シニア花井の韓国余話

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韓国の歴史教科書をめぐる騒動、なぜ続くのか

2011年10月31日 20時55分26秒 | Weblog
(韓国大手新聞、朝鮮日報 11.10.25記事抜粋)
2004年の左派寄り教科書騒動以降、現政権では守勢に回った左派が反撃に
 歴史教科書執筆基準開発委員会(委員長:李益柱〈イ・イクチュ〉ソウル市立大学教授)が「韓国は、韓半島(朝鮮半島)唯一の合法政府として承認された」という記述について「韓半島唯一の」という表現を削除するとの試案を提出したことをめぐり、学界では、これまで教科書問題で守勢に回っていた左派寄りの学者たちが「反撃」に出たとの指摘が挙がっている。「自由民主主義」という表現から「自由」を削除しようとして挫折するや、今度は「韓半島唯一の」という表現を問題視し始めたというわけだ。
 韓国の歴史教科書問題は、金大中(キム・デジュン)政権末期の2002年、金星出版社が『高等学校韓国近現代史教科書』(以下、金星教科書)を出版したのを機に始まった。この教科書は当時、光復軍など右派よりも左派系列の独立運動に重点を置き「南(韓国)だけの単独政府が樹立されたことは、統一民族国家の樹立が失敗に終わったことを意味する」と記述した。この教科書は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時に全国教職員労働組合(全教組)に所属する教員らの支援を受け、「近現代史」を教える韓国の高校で50%以上の採択率を記録した。だが右派・保守寄りの知識人は、この教科書が韓国の歴史を「機会主義が勢いを得た失敗の歴史」と規定しているとして反発した。これを受け、朴孝鍾(パク・ヒョジョン)・李栄薫(イ・ヨンフン)・全相仁(チョン・サンイン)の各教授は、05年に「教科書フォーラム」を立ち上げ、08年には代案教科書を発行した。
 李明博(イ・ミョンバク)政権になると、左派寄りの教科書は守勢に回った。08年10月、教育科学技術部(省)は金星教科書などの左派寄りの教科書に対し、韓国の正統性、6・25戦争(朝鮮戦争)発生の原因、李承晩(イ・スンマン)政権の軽視などに関する記述55項目について、修正を勧告した。金星教科書の執筆陣は、裁判所に修正禁止の仮処分申請を行うなど反発したが、今年8月にソウル高裁は「教科書の修正は正当」という判決を下した。
 金大中・盧武鉉の両政権時代には全く問題視されなかった「韓半島唯一の」という表現を、今になって持ち出したのは「これ以上守勢に回ってはならない」との判断が働いたものと解釈されている。カン・ギュヒョン明知大学教授(歴史学)は「金大中政権時代の98年に“建国50周年”を祝う記念行事を開催した時は特に反応がなかったが、現政権になって“建国60周年”の表現を問題視しているように、左派陣営が押されまいとして“卑屈な手段”を使っている」と語った。
 現代史研究が本格的に始まった80年代、ブルース・カミングスなど修正主義の歴史観で学んだ研究者らが、大学の中心的学者に成長したことも背景にあると指摘されている。許東賢(ホ・ドンヒョン)慶煕大学教授(韓国近現代史)は「教科書は国民の統合と国家のアイデンティティーに関わる問題だということを政府が直視し、決定しなければならない」と語った。
(投稿者注)
自国の歴史教科書も確定できないのに、日本の歴史教科書にはいかにも自分たちの考えが正当だとして介入する感覚がわからない。



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