シニア花井の韓国余話

韓国交流50年の会社経営を引退しソウル定住の日本人が写真とともに韓国の案内をします。

期限付き人生の外国人英語講師、韓国への愛が奇跡を呼んだ

2012年06月30日 01時46分20秒 | Weblog
韓国大手紙・ 中央日報12年6月28日記事
2001年に南アフリカの法律事務所に勤めていたピーター・ジェイコバス(57)の人生は一瞬にして奈落に落ちた。家族との不和、倒産した職場…。失意に陥っていた彼は偶然にインターネット広告で韓国に英会話学校の講師の職があることを知った。彼は新しい土地で新しい人生を生きるために地球の反対側の小さな国へ向かった。
韓国生活は楽しかった。子どもたちは明るく大人たちは親切だった。ジェイコバスは「こちらに来てから韓国人の情熱と努力に感動した。韓国での生活は私の人生で一番幸せだった時間だ」と話した。
しかし幸福は長く続かなかった。2006年のある日、胸と背中に焼けるような痛みを感じた。3年間我慢したが2009年に英会話学校に休暇をもらい故郷の南アフリカに帰った。翌年南アフリカのある病院で彼は青天のへきれきのような話を聞いた。骨にがんができる難病の軟骨肉腫という判定を受けたのだ。
2010年と2011年の2度にわたり手術を受けたが良くならなかった。南アフリカの医師は彼に期限付きの人生を宣告した。1年ほどしか生きられないので人生を整理しろという趣旨だった。彼は残された人生を韓国で送ることを決心した。
昨年4月、彼は2度目の韓国の地を踏んだ。「韓国社会で一度結ばれた関係は強固だ。英会話学校の講師として働き、先生の日には父兄が訪ねてきて一緒に食事し、誕生日には子どもたちとパーティーをした。韓国は私に家族以上の意味がある所だ」。彼は以前に知り合った塾の院長の助けで働き口も得た。
今年4月。ソウル・大峙洞(テチドン)の英会話学校の授業を終えて出てきたところ、うれしそうにあいさつする少女に会った。少女が6歳だった6年前に少しの間教えたことを思い出した。母親とともに家へ帰る途中に少女は道端でジェイコバスと話を交わした。少女の母は彼の胸と背中などがこぶのように膨らんでいるのを見て尋ねた。「どういう事情なのか話してくださいませんか」。
ジェイコバスは期限付きの宣告を受け人生を整理するために韓国に来たという事実を打ち明けた。少女の母が話した。「私の夫は医師です。私が役立てるよう努力してみます」。
少女の父はソウル峨山(アサン)病院の麻酔痛症医学科のノ・ギュジョン教授だった。ノ教授の助けでジェイコバスは5月に峨山病院を訪問した。検査の結果肋骨のがんがすでに肝臓、肋膜、横隔膜に転移していた。軟骨肉腫は完全に除去しなければ再発し、一度再発するとすぐに大きくなり悪化する。
病院はすぐに手術日を決めた。そして5日午前7時にジェイコバスは手術室に入った。右側の胸を開き肋骨だけでなく皮膚と筋肉、肝臓、胸壁、横隔膜を除去した。太ももの皮膚と筋肉を胸に移植した。14時間かけた大手術は成功した。
手術費・入院費など1130万ウォンは病院が700万ウォンを負担し、ジェイコバスと彼の韓国の知人らが残りを用意した。彼は「韓国が私に奇跡を与えた。韓国でずっと子どもたちを教えて生きたい」と話した。



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