徳川秀忠は、慶長九年(1604)諸街道の改修、一里塚の設置とともに街道に樹木を植えさせて並木をつくらせた
この幕府の植樹政策によって街道の並木は全国的な広がりをみせ、松・杉のほかに樫・榎・漆などが植えられた。特に箱根や日光の並木は、「昼尚暗き」杉の並木として広く知られている。
笠取峠のマツ並木は、近世五街道の一つ中山道芦田宿の西方1キロメートル地点から笠取峠にかけて約2キロメートルにわたっている。言い伝えでは慶長七年頃、公儀より赤松苗753本を小諸藩に下付され、近隣の村へ人足が割り当てられ小苗を植え付けたとされ、幕末まで手入れ・補植等管理されていた。現在総本数68本の松は、いずれも樹齢が150~300年以上経たもので、その景観は往時の中山道をしのばせてくれるみごとなものである。
立科町では平成五年に、「松並木公園」として整備し松の保護に努めています。
地図
立科町大字芦田3797-2
山部交差点から国道142号線バイパス長門方面へ300メートル
2007-11-19 中山道10
(岩村田ー塩名田ー八幡ー望月(泊り)ー<間宿茂田井>ー芦田<津金寺~笠取峠>ー長久保ー和田ー下諏訪)
影が長くなってきている。街道一番の難所和田峠を目指す。
昔、茂田井の隣町であった「望月町」のこと。
<中山道10 2007-11-17,18 望月 山城屋に宿泊>
かつて隣町であった望月町は、2005年、近隣の町と合併して「佐久市」となった。市のホームページからは、すぐには「望月町」は探し出せない。古い歴史ある「望月」が消えてゆくのは残念なことだ。「市町村の合併」とはそういうものなんだと知る。「望月の歴史」を知るにはWikipediaが手っ取り早い。 望月町 - Wikipedia
昔、茂田井と望月町は小、中学校は一緒、高校も「望月高校」があった。小中高一緒だった友人は、東京に出てから望月に戻り、現在地元で不動産の会社をやっている。しばらく会っていない。
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