僧侶2人が「1分足らずで消火」
甲斐善光寺、訓練生きて大火を回避
本堂内の廊下に掛けられた「戸帳」と呼ばれる布が焼けた甲府市の甲斐善光寺。一夜明けた14日、甲府署は本堂や境内の巡回を始めた。7年ぶりの「御開帳」で多くの参拝客を迎え入れる中でのトラブル。寺関係者は「消火訓練や日ごろの備えで大火を免れた」と胸をなで下ろしている。
甲府署や寺によると、13日午後2時40分ごろ、本堂西側の廊下から出火した。壁に掛けられた戸帳(縦約3・5メートル、横約3メートル)の一部、約1平方メートルが焼けた。戸帳が覆う壁や柱には黒い焼け跡が残っていた。
廊下は幅約2・5メートル。本堂奥の戒壇(かいだん)に通じ、参拝客の通路となっている。寺は「ろうそくや電気配線など出火につながるものはない」と説明する。
出火当時、現場から約30メートル離れた場所にいた寺のアルバイトらが煙に気づき、僧侶2人が消火器を使って消火した。副住職の吉原知仙さんは「出火に気づいてから消火するまで1分足らずだった」と振り返る。
甲斐善光寺の本堂と山門は1754年の火災で焼損。その後、再建され、現在は国の重要文化財に指定されている。毎年1月の「文化財防火デー」に合わせた消火訓練では、僧侶らが消火器や消火栓の設置場所と使い方を確かめている。吉原さんは「木造建築の寺にとって一番怖いのは火。今回は不幸中の幸いだった」と話す。
当ブログ 左目次「甲州街道を歩く」
「甲州道中(街道)四十四次」を歩く ⑦ より
日程 平成29年10月17(火)~19日(木) 2泊3日
〇甲斐善光寺(本尊「銅造阿弥陀三尊像」、本堂、山門等は国重要文化財)
当山は、開基武田信玄公が、川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558)、御本尊善光寺如来をはじめ、諸仏寺宝類を奉遷したことに始まります。ここ板垣の郷は、善光寺建立の大檀那本田善光公を葬送した地と伝えられ、信濃より大本願上人以下、一山ことごとくお迎えいたしました。その後、武田氏滅亡により、御本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々といたしましたが、慶長三年(1598)信濃に帰座なさいました。甲府では新たに、前立仏を御本尊と定め、本坊三院十五庵を有する大寺院として浄土宗甲州触頭を勤め、徳川家の位牌所にもなっておりました。
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