羊毛フェルトクラフト Little field

羊毛フェルトで作る小さな世界 Little fieldの ほんわ家(ほんわかと読みます)おのよーこの日記です。

持ち物

2008-01-29 17:46:28 | えとせとら
 娘の学校でスキー教室があり、
娘はその持ち物をそろえておりました。

 スキー教室のお知らせ印刷物に
持ち物が書いてあり

 スキー手袋 ゴーグル タオル等々
の下に
「持ち物を持っていくカバン
と書いてありました。
 
「なんで、わざわざ『持ち物を持っていくカバン』
 って書いてあるんだろう?」
と私が言うと
「だって、いつも(旅行系行事の時の)持ち物のところに
 『カバン』て書いてあるよ。。」
と娘。

 いや、ただ『カバン』なら分かるけど
わざわざ「『持ち物を入れる』カバン」
と記入した理由はなんなのかしら?
と思いませんか?

 なんでなんで?と
一人で大受けしちゃいました。
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ひとりごと

2008-01-28 20:45:25 | えとせとら
三丁目の夕日の「花の名」から
すっかりハマっているBUMP OF CHICKEN
の新しいCDを私と息子と娘で聞いていました。

ちょうど「花の名」が流れたところで
息子:「いやぁ、バンプの歌はいいよ。」

私:「そうだよね。『花の名』とか
 聞くほどに味わい深くなるって感じだよね。」

娘:「え~、私はこの歌の何が、いいかよくわからない。」

息子:「お前はおやじと感性が一緒なんだよ。
    『BUMPの歌とかみんな同じに聞こえるとか』
    言いそうじゃん。」

娘:「え~そんなことないもん。
   確かに似たような曲だと思うのことはあるけど」

私:「そうだよね。たしかにBUMPの曲は
   似たような感じだけど
   それがいいんじゃない。
   あなた(娘に対して)は
   まだ、この歌の奥深さが分かるような人生経験が
   ないだけなんだよ。」

娘:「そうだよ。そういうことにしておこう。」

 しかし
 
“一緒に見た空を忘れても
 一緒にいたことは忘れない”

という歌詞をどうしても
“一緒にいたことを忘れても
 一緒に見た空は忘れない”

と歌ってしまう、娘より3つ年上の息子の
この歌への思い入れとはいかほどのものなのか

「よほど辛い過去があったんだね。
 素晴らしい空の景色は忘れなくても
 そこに一緒にいた人のことは忘れたいから
 (たとえば中学時代の同級生とか
 そういう風になっちゃうんじゃないの

 それって全然、奥深さと違うんじゃぁ…

 そのCDから皆様には「ひとりごと」という曲を
 お送りします。    クリックしてね。

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疲れました。

2008-01-26 21:07:11 | えとせとら
 今日、ジョブコーチの講座に参加してきました。
午後1時半から5時くらいまで
実際に障害のある方を雇用している会社の方と
NPO法人の就労支援グループの方から
お話を聞きました。

 受講者はどうみても50名以上いましたよ。
ただ、純粋に今回の講座案内で
集まった人は何人いるのか分かりません。

 支援の内容は多義にわたり
たった20回程度のの講義と実習で
ジョブコーチとしての仕事なんてできるのかしら?
というのが正直なところです。

 まぁ、まだ始まったばかりなので
いろいろ考えてみたいと思います。

 しかし、久しぶりに人の集まる場所に
参加したので、疲れました。
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・・・!?

2008-01-25 15:38:36 | えとせとら
 体調がやっと全快したので、今日買い物に出かけました。
すでに冷蔵庫の中身は空っぽ

 あいかわらず気分はさえないままだったけれど
少し気分転換になるようにと
いつもの近所のスーパー(と言っても家からは2kmくらい先)
をやめてIYに行きました。

 IYの手前の交差点で信号が赤になり止まりました。
右折レーンにも車がきて止まりました。

 しばらくするとその車が前に進みだしたので
(この時点で信号を見ていない私
私も進もうと前を見ると信号は“赤”のまま…

「ん?」
と思ってブレーキを踏みなおしましたが、
隣の車はそのままするすると前に出て
信号が赤にも関わらず右折して行ってしまいました。

「はっ
 あれって信号無視じゃん。
 まだ信号赤だよ。」

 確かに交差する側の信号も赤になっていました。
時間差的なものだったとは思いますが
 進んで良いわけじゃありません。

 あれれ・・・?

 あまりにびっくりしすぎて、信号をじっくり見つめちゃいました。
そしたらやっと青になって
私も進みましたけど、危ないですよね・・・

 危ないと言えば、
 昨日の夜、ミッキーを英語教室に送って行った帰り道
T字路のところで事故に遭っている車がありました。

 しかも道路のど真ん中。
 ドライバーらしき二人の人は車から降りて
歩道のところでただぼーっと立ってみているだけ…

 (なんで車放置してるの?
  横に寄せられるスペースがあるんだから
  車をどかさなきゃ。
  ぼーっと見てる場合じゃないでしょ。)

 思わず車を止めて注意しに行こうかと思って
 ルームミラーを見ると後ろからパトカーが
 御到着の様子だったので
 そのまま、通り過ぎてきましたが・・・・

 家に帰ってきて、思わず夫に尋ねてしまいました。

「ねぇ、事故起こした時って
 事故の車両は現場保持しなければいけないわけじゃないよね?
 事故後速やかに道路の端に寄せなくちゃいけないよね?」

私の質問に夫は
「そうだよ。そのままにしといたら危ないだろう・・・」
との答え。

 そうだよね。私の認識に間違いはなかった。

 皆様、道交法違反と事故には気をつけましょう。
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何か楽しめることをみつけたい

2008-01-24 16:35:55 | えとせとら
 こんなことをタイトルにするとまた変なコメントの書き込みが
あるかなぁ…と不安を覚えつつも

 この頃、ちょっと自分のなかに楽しめることがないので
考えてみたいと思います。

 前のブログで体調を崩したことを書きましたが
日曜の昼まで、いや夕飯を作り始めるまでは
いたって元気だった私に
何が襲いかかったのか?と思うくらい突然にその
症状は現われたのです。

 そして、翌日には発熱とそれによる体中の痛み&下痢

 おそらく医者に行けば、ウィルスによる腸炎だと
間違いなく診断されたと思われるような症状です。

 でも、私には分かっています。
単なる医学上の見識とはことなる発症なのだと。

 私はその日、どうしても仕上げてしまいたい仕事がありました。
それを日曜の午後ずっとからかって、夕食の支度前に
なんとか、もう少しがんばれば仕上がるところまで
いっていました。

 夕飯のあと、もう少しがんばれば、明日この書類を
提出できるなぁ…とホッとしたのですが…
 しかし、私にはこの仕事をするにあたって
もうひとつ心に引っかかっている懸案事項がありました。

 おそらく、そのことを昨年からずっと
心の奥で負担に感じていたのかもしれません。
書類が仕上がれば、それを持って行って、その事態に
直面しなければならない…

 特に意識したことではありませんでしが、
結果的に、その後、体調が一気に崩れ
結局、書類を仕上げることもできず、
次の日出掛けることもできませんでした。

 体が拒否反応を示したのだと思います

 昔からそうでした。
 頭では、それをなんとか乗り越えよう、頑張ろうとする
のすが、体がそれを拒絶します。
 正式には理性はコントロールできても
感情がコントロールできてないと言うことになります。

 あぁ、しかし、以前は熱まで出ませんでいした。
これがウィルスによるものと言えばそうかもしれませんが、
その後誰にもその症状がでないところを見ると
やはり自分の精神的な問題のほうが
大きいような気がします。

 これは、やはり、上手に気分転換することが必要ですよね。

 何が自分の負担になっているのかも
 十分すぎるほど分かっています。
 でも、解決する手段はみつかりません。

 ただ、生きていたらこんな楽しいこともあるよ的なことを
みつけたら、気がまぎれるて苦痛なことだけに
目を向けることもなくなるでしょうから、
 何か楽しめることを見つけたいです。
 それは、ただ気晴らしに遊びに行くというような
ことではなくて、
う~ん、そうですね…
もっと今の生活を根本的に変える何かが必要ということ
なのです。

  何かあるかしら・・・・。
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カゼ!?ですか?

2008-01-22 12:28:05 | えとせとら
 日曜日の夕方、夕飯を作っていると突然激しい腰痛と腹痛が襲って
きました。ついでに少し頭痛も…
 これが、本当に突然で…
 とりあえず、夕飯の支度はしたもの、そのうち悪寒もしてきたので
熱を計ってみましたが、この時点では36.4度と
熱はありませんでした。

 でも、どんどん腰痛も腹痛も頭痛もひどくなってくるので
「お母さん、具合悪いから先に寝るよ。」
と9時ごろには布団に…

 しかし、痛みはますばかりで、夜中に何度も目を覚まし、
熟睡もできぬまま一夜を過ごしました。
 子供のお弁当を作らなければならないので
いつもの時間に起き上がってお弁当を作りましたが
あまりの具合悪さに立っているのがようやっと
お弁当だけ作り、そのまままた布団にもぐりこみました。

 うつらうつら…と寝ているような起きているような感覚のまま
昼ごろになりました。
 やっとの思いで布団からはい出し1階へ行って
熱を計ると…37.7度
 あ~ぁダメだこれ。夫からは朝
「病院行ったほうがいいよ。」
と言われたけれど、座っているのも辛くて
自力で運転して病院へ行くなんて無理だよ

 鎮痛剤を飲もうかとも思いましたが
ご飯を食べることもできず、お腹の調子もよくなかったので
とりあえず、水分補給のためのお茶だけ持って
また布団へ

 そのまま、また夕方までうつらうつらと寝ていました。
 夕飯の準備もできず、結局夫に仕出し弁当を買ってきてもらう羽目に

 それでも、丸一日寝て、夜になったら少し楽になったので、
熱を測ったら36.6度になっていました。
 でもまだ頭痛は残っていて
「これ放っておくとまた、夜中に痛みがひどくなるんだろうな。」
と思ったので、とりあえずお粥を少し食べて鎮痛剤を飲んで
そのまままた布団にもぐりこみました。

 さすがに日中寝て過ごしたので夜もそんなに眠れませんでしたが
鎮痛剤が効いて、痛みは去りました。

 今はまだお腹の調子が悪くて、思うように活動できませんが、
(ご飯も食べられません食べると下してしまうので

 とりあえず快方には向かっているみたい。重くならなくてよかった
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今日の富士山2008-1

2008-01-20 09:57:16 | 本日の富士山
 毎週、土曜日は週末課外に出席させるため
息子を学校まで送迎しています。

 息子の学校は富士川につながる支流の川のすぐ横にあり
田舎なので周りに高い建物もなく、富士山がよく見えます。
山梨県にお住まいの方ならご存知かと思いますが
いわゆる国中地方では遠方に行くほうが富士山の姿
よく見えることが多いのです。

 そして昨日の朝、いつものようにター坊を乗せて
学校近くの橋を渡るとき、富士山のほうを見ると

 背景が雲でおおわれているにもかかわらず
富士山の稜線がくっきりと形を描きだしていました。
朝は空気が冷たいので空気が澄んでおり
ちょうど太陽光の加減がよかったのだと思いますが
「富士山すごくきれいだよ。見てごらん。」
と思わず息子に向かって言ってしまいました。

 (運転中だったので残念ながら、画像はありません。

 息子を下ろして、帰路に着くときに同じ場所で見たら
もう、稜線がぼやけ初めて、先の富士山ではなくなっていました。

 ほんの一瞬の出来事でした。
 
 富士山は日々違う顔を見せています。
 毎日見ていても、
 この息をのむような美しい風景に出会えるのは一瞬だけで、
 この地にいなければ、日常の生活の中で
 このような風景を目にすることは不可能です。

 子供達の学校はともにとても眺めのよい場所にあり
毎日富士山を臨めるので、
 とても幸せなことだなぁ…
 と思いました。
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ネット社会がひきこもりを増やしている?

2008-01-18 21:33:04 | えとせとら
 インターネットとは大変便利なものです。
 家にいながらにして、さまざまな情報を得られますし
いろいろな人とコミュニケーションをとることも可能です。

 以前(もう何年も前になりますが…)テレビで
インターネットが使える環境にあれば
家から一歩も出ずに生活できる
ということを検証している人のニュースを見たことがあります。

 欲しいものはすべてネット注文して宅配便で
届けてもらえるので
外へ一歩も出なくていいというものでした。

 確かに、その人一人なら、それで生活できるかもしれません。
でも、みんながそんな生活をしたら
だれが宅配便の荷物を届けてくれるのでしょう。

 しかし、ネット社会の普及によって
家にいても一人だけ取り残される感は確かに減りました。

 ここでこんなことを書いている私自身も
最近他人と会話をしたのはいつだっけ
状態になりつつあります。

 そう、ブログやメールやSNSで
コミュニケーションをとることができ
自分のなかではコミュニケーションをとっているような
気分になっていますが、ほとんどバーチャルな世界に
近いですよね。

 外へ出なくてもよい
なんて生活が正しいはずがありません。

 ネット生活は引きこもりを増長させると思います。

 外へ出ましょうね。みなさん。

(って一番危ないのはあなた自身でしょ!よぽぽさん)
そんな声が聞こえてきそうです。
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子どもは自然に強くなる

2008-01-17 23:02:00 | えとせとら
  時事通信社のニュースに
  ぜんそく確率 母ストレスで高い確率!?
  「子供の幼少期に母親のストレスがたまっていると
  その子供がぜんそくになる可能性が高まる」
  とカナダのマニトバ大学の教授が研究結果を発表した

という記事がありました。
それを読んで、以前、別のブログに
喘息のことを記事にしたことがあったのを
思い出したので再度、させていただきます。 

2005年2月5日の記事です。


新聞に「心に残る医療」という体験記コンクールの
入賞作品が発表されていました。
 厚生労働大臣賞を受賞された方は喘息で苦しむ子供さんがおり、
お子さんが3歳のときに、出会った医師のことを書かれていました。
 題名は「約束」です。どんな約束かといいますと…、
 初めてこの作者がこの医師の病院を訪れたとき

「喘息は治らない病気じゃありません。
治そうとする強い意思と、家族の協力があれば必ず治ります。
逆に言えば、医者の力だけでは治せるものではありません。
…お母さん、お子さんの前で絶対泣かないと約束できますか?
 発作を起こして苦しんでいるとき、子供が一番すがりたいのが
そばにいるお母さんなんです。そのお母さんが泣いていたら、
子供はより所をなくして不安になっちゃいます。
不安はストレスになって、余計喘息を悪化させます。」


と医師から言われたそうです。

 病気の子供を見るのは親にとってもつらいことです。
ましてや、ちょっとした気温の変化や環境の変化に敏感に反応して
発作を起こす喘息は、親もつい神経質になりがちで、
ついつい過干渉になったり、発作で苦しむ子供を前に
親のほうがオロオロしたりすることもあるんだろうと思います。

 私も子供のころ気管支喘息を患いました。
もっとも・・・
家の母親はもともと子供の病気に対して無頓着で、
私が発作を起こしていても、
「コタツであたたかくして寝ていろ」
というような母親でしたから、
一度、祖父母の家に行って喘息の発作をおこしたときに、
私の苦しみを見た祖父が、
「いつもこんなに苦しいのか?」
と私に聞き、
「お前は自分の子供がこんなに苦しんでいたの今まで知らなかったのか?」
と祖父は母を叱ったそうです。

どんな病気でもそうなのかもしれませんが、
“治そうとする強い意思”
が大切なのだと思います。病気に負けない強い心ということでしょうか。

 私の喘息は中学校に入って徐々に発作を起きることが少なくなり、
高校1年のときを最後に喘息の発作が起きることはなくなりました。
今、考えると中学校が地元の中学校ではなくバスで1時間ほどかかる
私立の学校へ通うようになったこと、中1で大好きだった祖母を亡くし、
中2の時に父を病気で亡くしました。高校で寮に入り、
家から離れたことなどが少し影響したのかもしれません。
自分の身は自分で守らなければいけないと無意識のうちに
自覚したことが、喘息が治るきっかけとなったのではないかと
思います。

 今、自分が母となって、子供が喘息持ちでなくて良かったと
心から思います。
あの苦しみを子供にはさせたくないです。
それでも子供を育てていく中で、ター坊は2回、
ミッキーは1回入院しました。
とくにミッキーは「川崎病」で、発病してから1週間ほどは
原因も解らず高熱が続き、解熱剤もきかず、
ほんとに心配しました。
そんなときは私のほうがオロオロしてしまい、ダメな母親でした。

 しかし、子供達も成長し我が家の子供たちは風邪もひかない
丈夫な体になりました。
 特別な事情がないかぎり、子供は自然と強くなるということです。
今、小さなお子さんを抱えて、病院通いを続けているお母さん方、
あなたのその愛情がきっと子供を強くします。
今はつらいけれど、笑顔を忘れずにがんばってくださいね。
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新しい一歩

2008-01-16 20:15:47 | えとせとら
 すでに先週から始まっていたのに、
担当者の方の手違いで連絡が届かなかったために
知らずにいましたが、
連絡が来ないので確認の問い合わせをしたところ
手違いで私のもとに連絡が届いていませんでした。

 週1ですがとりあえず3月まで
県で主催している障害をもつ人の就労をサポートする
ジョブコーチ養成講座に通うことになりました。
3月までは講義を受け4月から1年かけて
(ここはまだ詳細未定)
実際に障害の持っている人の雇用・実習を受け入れている企業に
研修に行きます。

 まだ講座を受けてみないとどうなるのかわかりませんが
何か自分自身のスキルの向上になればいいと思います。

 前の職場をやめてから1年半、こちらに越してきてから
何か所もの企業に面接に行き、派遣の仕事もしましたが
何かがしっくりこないままでした。

 今年は心機一転がんばります。
 ジョブコーチもですが、発達障害の子供たちの支援も
形にしていきたいと思っています。
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