今朝、この時期には珍しく富士山がくっきり見えました。
白い雲をバックに蒼い富士山がくっきり見えるのは
夏ならではの光景ですね。
田植えを終えたばかりの田んぼに逆さ富士映っていました。
天気が良くて比較的暖かい日でした。
なので、正月太りを解消するため
自転車で買い物に出かけました。
一般の道路(県道)が狭くて
自転車で走るのは結構命がけ~な感じなので
住宅街を抜けていくと
畑地帯になり、山梨を囲う山々が360度見渡せました。
こんな天気が良くて気分爽快
のはずだったのに…
まぁ、昨年からの元凶になっている事案を
いまだこじらせている人がいて…
いい加減、
自身が非常識であることい気づいてほしいと
それに係わった全ての人が思っているのに
気づかない気の毒な方がいらっしゃって
私の気分を害するのでした。
もう一度山でも眺めて気分を鎮めよう…
今日は風もなく穏やかです。
来訪中のペル様つれて散歩に行ったら、富士山もくっきり…
空にはうっすらベールのような雲…
空は続くよどこまでも
川は流れるどこまでも…
秋には黄色く色づく銀杏の葉も新芽を出しました。
当たり前のことだけど…
いちょうの葉は、ちっちゃくても
いちょうの葉の形をしているんだね。(笑)
散歩から帰ってきたペル様は
すっかりお疲れになってお昼寝中…。
今日も、甲府盆地は快晴でした。
思いっきりズームして撮ったので
写り悪いですが…
本日も変わりなく美しい富士さんでした。
この写真だと分かりにくいですが
空は紫のような薄紅色の夕暮れどきです。
南アルプス市下今諏訪付近にて
富士山て、見る場所によっていろいろな表情があるけど
結婚するまではこの近くにすんでいたから
ここから見る富士山が
一番愛着のある富士山の表情!!
今日はとても暖かです
風もなく、本当に穏やか…。
そうだ、こんな日はダイエットも兼ねて自転車で出掛けよう!!
というわけで、
自宅から3kmくらいのところにあるスーパーまで
自転車で出掛けました。
主要地方道を行けば、1本道で近いのですけど、
何しろ…山梨って道路が狭い
でも、主要道だから、交通量は多くて
ちょっと自転車で走るのは怖いです。
なので、ちょっと(いや、かなり?)遠回りして
釜無川沿いのサイクリングロードと農道を通っていきました。
途中、富士山が見えます。
(まあ、この近所は大抵どこからも 富士山は見えますが、
家の前には5階建てビルがあって
視界が遮られているので見えません。)
↑携帯で撮ったので画質が悪いですが、今日の富士山です。
土手沿いの桜はすでに満開を過ぎて、散り始めています。
市内の緑化活動の一つとして街のあちこちに造られている花壇の花が
春の花に植え替えられていました。
土手周りの道が結構長かったので
帰りはちょっと近道をして帰ってきました。
家に着くころには、うっすら汗ばむほどの陽気。
少しは運動になったということかしら…?
日夜!?増加し続ける体重に歯止めを掛けるべく
これからも自転車に乗って行動しようかな…
1日坊主でないことを祈ろう
息子を学校まで送迎しています。
息子の学校は富士川につながる支流の川のすぐ横にあり
田舎なので周りに高い建物もなく、富士山がよく見えます。
山梨県にお住まいの方ならご存知かと思いますが
いわゆる国中地方では遠方に行くほうが富士山の姿
よく見えることが多いのです。
そして昨日の朝、いつものようにター坊を乗せて
学校近くの橋を渡るとき、富士山のほうを見ると
背景が雲でおおわれているにもかかわらず
富士山の稜線がくっきりと形を描きだしていました。
朝は空気が冷たいので空気が澄んでおり
ちょうど太陽光の加減がよかったのだと思いますが
「富士山すごくきれいだよ。見てごらん。」
と思わず息子に向かって言ってしまいました。
(運転中だったので残念ながら、画像はありません。)
息子を下ろして、帰路に着くときに同じ場所で見たら
もう、稜線がぼやけ初めて、先の富士山ではなくなっていました。
ほんの一瞬の出来事でした。
富士山は日々違う顔を見せています。
毎日見ていても、
この息をのむような美しい風景に出会えるのは一瞬だけで、
この地にいなければ、日常の生活の中で
このような風景を目にすることは不可能です。
子供達の学校はともにとても眺めのよい場所にあり
毎日富士山を臨めるので、
とても幸せなことだなぁ…
と思いました。
今日はとってもいいお天気でしたね。
あまりにお天気が良かったので
娘と一緒にドライブしてきました。
その帰りに富士山が気持ち良いほど
よく見えました。
子供のころからずっと見慣れた山ですが、
晴れた日にくっきりと見える富士山は
何度見ても素晴らしいなぁ…と思います。
人生の晴れ舞台である結婚式の日
式場に向かう道すがら
(結婚式場は山中湖でした)
真正面に富士山を仰ぎ見て、心に誓ったこと…
時の流れとともに、忘れていたけれど
いつもそこにあって
私たちを見守っていてくれるのかもしれないです。