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yokonohananikki's blog

花と遊ぶ。

番外 ベランダにて、チャー猫。

2012-05-14 21:53:23 | 小さなエッセイ
今日は久しぶりのいいお天気だったのに、写真を撮り忘れました。
気持いいと、遊ぶのが忙しくなるのです。
剪定やら、挿し芽やら。

そうそう、ゴムの木が冬の間にボロボロになっていたので、
ぶすっと切って、
さて、切った先のほうはどうしようかとあたりを見回すと、
土の入った鉢を見つけて、突き刺しました。
・・・・ついたら、ついたで、邪魔な大きさなんだけど。
相棒さんがOKを出してくれたので。

どうしようかな、と、カメラの中の写真に、チャ―猫が写っていました。



4匹いた猫も、20年近くたつと、
もう、この猫1匹になりました。18歳になります。
完全に娘の猫で、
娘のベッドで寝起きして、窓から外を眺めています。

去年まで、ビビが占領していた居間は、
いなくなった直後は、
しばらくは、寝そべって、自分の居場所を拡げていましたが、
やっぱり、娘の部屋が落ち着くようです。

チャ―猫がわたしのところにとんでくるのは、
「ごはん、ごはん!」の催促と、
そして、窓を開けた時。

窓のサッシが開くと、何を感じるのでしょうね、
まず、その前に座り込んで、空を眺め、風の匂いを嗅いでいます。
それから、ベランダに出て、植物の間を歩き回ります。

緑が大好きのようですね。
あちこちに頭を突っ込んで、クンクン匂いを嗅いで、
気持ち良さそうに、スリスリをすることも。
やがて、窓の前まで戻ってきたら、
「ニャー」。
このニャーは、「水!」の催促です。
この写真は、この行動の最後のポーズです。

「水」と言っても、チャ―猫の水は、ここの水が大好きなのです。
雨の水。植物を浸けた水。
そう、土の匂いのする水がすきなんですよ。

毎朝、窓を開けて、チャ―猫がやってくると、
ご飯のそばの水や、台所のそばにも水を置くのです。
けど、「水」って、鳴くんですよねえ。

18年前、
生まれて1ヶ月ほどの猫が、
家に上がり込んで、ミシンの足踏みの上で寝ていました。
それから、2週間後には、腸を20cmほど切る手術をしたのです。
だから、この猫は、ちっとも大きくならなかったのです。

1匹だけになって、甘やかされ放題だけど、
やっぱり、一人だけ残るって、さびしいだろうなあ。
空を眺めているチャ―をみていると、
フウちゃんや、メイメイや、ビビが重なります。



番外編 御堂筋の話

2012-02-10 21:36:21 | 小さなエッセイ
今、大阪の新聞をにぎわしているのは、
道頓堀川を2000mのプールにするとか、
御堂筋の北から南までの3KLの道を公園化するとか、
大阪府と大阪市は、気炎を上げています。

そんなプールに税金をつぎ込む必要が分からないんだけど、
うーん、なんで、御堂筋を公園にしなければならないのか、
こっちの方は、ましてわからない。

ニューヨークのセントラルパークだの
パリのシャンゼリゼを考えているというのですが、
ニューヨークはニューヨークの、
パリはパリ。
何もそんなものを大阪に欲しいとは思わない。

何なんだろうね。この違和感・・・。
yokoのように、花植えにファイトを燃やすものとして、
そんな場が増えれば、うれしいと感じるはずなのにね。

御堂筋というのは、
銀杏並木と、高さ制限されたビルが延々と続くとても美しい道です。
広い道路なのに、北から南への一方通行になっていて、
ビジネス街の一等地です。

この公園化の代償は、高さ制限の撤廃。
で、谷間の道路の芝生化。
この道路の下には、地下鉄が通っていて、
道路と地下鉄の天井との差は、5mほどのところがあるとか。
だから、根を張れなかった銀杏の木が枯れると聞いています。

大阪は、緑が少ない。
いつもそう言われるけれど、
その通りなんだけど、
御堂筋を公園にするのは違うでしょ、と思う。

園芸技術を持っている職員の数を減らし、
公園を業者に委託してしまう。
そうするとね、請け負った業者は、当然、利益を上げるために、
シルバーセンターや、アルバイトを雇って、
素人に、管理をさせるのです。
長居植物園のバラは、とんでもない剪定をされていましたよ。

技術を受け継ぐはずの職員が減って、
城北の菖蒲園のショウブはボロボロになっています。
苗を作るというのを、ボランティアに任せて、
苗圃を閉鎖したために、
苗の作り方を知らない職員が増えていくでしょう。

街路樹を大きくなるからと、バサバサ切って、
夏の日陰さえなくしてしまう。

見えないところが必要なのに、
派手なパホーマンスになら、お金をつぎ込む?

御堂筋に芝を植えたら、
人は、その上を歩けるの?
はげたり、めくれた芝生の手入れって、すごい人件費だよ。

政治の世界は分からないけど、
ひとつだけ分かるよ。

「御堂筋を公園にする必要なんて、ない!」





忘れものの天才

2011-07-23 21:52:45 | 小さなエッセイ
最近、考える。
わたしの人生の何分の1かは、もの探しに費やされているのではないかと。
毎日、出かけるときに探し物をしてる。
それだけではない、
あれ、今使ってたハサミどこに置いたっけ。
まあ、探し物は、キリなく続くんだけど。

この頃、もう、うんざりしている。
”使った所に戻す”
なんでこれができないんだろう。
ほんと、自分ながら不思議な気がします。



トンボの種類は知らないけど、
アキアカネが飛んできました。

そしたら、今日は、大暑ですって。
もうすぐ、秋がきますね。
気が早すぎますか・・・。

ごめんなさい。
今日は、花の写真はありません。
この頃、写真を撮るのも、忘れてしまうんです。
・・・・明日は、ヒマワリ、咲いてないかなあ。





尋胡隠君 

2010-03-07 17:12:23 | 小さなエッセイ
いい加減にせえよ!
なんて、空に向かって言っても、やっぱり、雨が落ちてくる。
ガーデンに行っても、
海みたいな水たまりがあるだけ。
今日も、お休みです。

もう、花の写真もありません。
何を書きましょうか…。
最近、ちょっと、考えなければならないことが、ありすぎて、
(花以外でもね)
気持ちがへたってるから、
春の気分を味わいに、「詩」の世界にでも遊びに行きましょうか。

俳句でも、と思ったけど、
ふと、高校の漢文の先生を思い出しましてね、
久しぶりに、漢詩など、と思ったのですよ。

漢詩は、形式や、韻だのと、約束事が多いけれど、
そんなのにこだわらないで、
「ただ、分かるように、読めばいいし、感じればいい」
そう教えてくれた先生のおかげで、
遠い他人では、なくなりました。

たとえば、 高啓の

  尋胡隠君   

渡水復渡水   水を渡り復た水を渡り


看花還看花   花を看還た花を看る


春風江上路   春風江上の路


不覚到君家   覚えず君が家に到る

見るからに、
日差しの暖かな日に、ちょっと、遠出をしましたよ。
そんな詩です。

水と言うのは、小川かな。
この場合の花は、なにかなあ。
梅かも知れません。
春の風はやさしく、川上にたどっていくと、
おや、いつの間にか、親友の君の家に来てしまった。
では、
庭を見ながら、一献酌み交わしましょうか。

笑い声が聞こえてきそう。


こんなやわらかな温かい詩を書いた、高啓と言う人は、
それほど、優遇された人ではありませんでした。

明の時代。
若い時から、詩の才能を認められ、
宮廷につかえましたが、
家は、没落して、逼迫しておりました。
「元史」の編集にも、その名を残しながら、
やがて、太祖に疑いをもたれ、腰斬の刑を受けて、
39歳で、なくなりました。

高啓(号は青邱子)は、生涯に2000に及ぶ詩を残しています。

高啓の履歴を書かなかったほうがよかったかな。
ただ、暖かい春の1日の出来事。
ほっこり、楽しみましょうか。










キョウチクトウ(夾竹桃)の毒性

2009-12-11 21:42:12 | 小さなエッセイ
夜には、雨が止んだようですね。
降ったというほどの雨量ではなかったけれど、
今日は、ガーデンは、お休みです。

このブログを開けるために、PCをクリックしたら、
一つのニュースを見てしまいました。

毒性があるから、キョウチクトウ(夾竹桃)をみんな切ってしまうというのです。
福岡県の学校の600本の木です。

このキョウチクトウは、根から花まで、有毒物質オレアンドリンが含まれていて、
口にすると、吐き気や心臓マヒなど、かなり毒性が強いようです。

じつは、yokoのガーデンも、元は、学校でしたから、
建物の裏手に、植えられていて、
夏に濃い赤い色の花を咲かせていました。

今、その木たちは、剪定業者によって、
毎年、30cmほどの丈に切られて、
芽を出しても、大きくなれず、花を咲かせることはありません。
中には、枯れてしまったものもあります。
これは、学習ルームの管轄ですから、yokoたちは、手が出せないのです。

もう、10年以上も前でしょうか、
大阪駅の北側の開発することになったとき、
JRの保養所があったところに、
それは大きなキョウチクトウの木が塀越しに見えていました。
夏の盛りに、真っ白の花が咲き誇っていました。
白のキョウチクトウというのは、
とてもきれいで、貴婦人のような優雅さを持っていました。
その木が開発という斧で、切り倒されたとき、胸が痛かったのを覚えています。

けれど、yokoが危惧するのは、
毒性を持っているというだけで、危ないから、切ってしまうという発想です。
危ないから、汚いから、と、遠ざければいいという考えです。

毒性を持っている木は、いくらでもあります。
ピラカンサや、ナンテンもそう。
教えれば、わかることを、
切り倒してしまったら、もう、子供たちは、
「キョウチクトウは毒を持っているから、この花で遊んじゃいけないんだよ」
ということを知るチャンスをなくしてしまいます。

他の場所で、その花を見つけて、
手折ったりして、液が付いて、知らずに口に持っていったら。
そっちの方が恐くはありませんか。

それくらいのことで、毒は作用しないでしょうけれど、
やっぱり、知っておいた方がいい。

このキョウチクトウを切るのは、
なにかあったときに、責任を取らなければいけないから。
多分、そう言うことでしょう。

公園の遊具から落ちたら怪我をするから、と、ぶらんこを外すのと一緒。
子供は、自分の身を守るすべを覚えることができない。
たいした怪我でないのなら、
子供は、冒険させてやるべきなのに…。

話が違う方に進みそうです。
ただ、覚えていてください。
キノコに、毒の種類があるように、
むしろ、安全に食べれる植物のほうが少ないのだということ。
植物は、人間のためだけに咲いているのではないということを。