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yokonohananikki's blog

花と遊ぶ。

葛井寺から道明寺へ。

2017-10-27 21:06:32 | でかけてみたら

久しぶりの晴天。

今日は、わたしのお休みです。

学生時代の同窓会です。

歴史の学徒だった私たちの同窓会は、

どうも、飲み会と言うのには程遠く、

古墳を探して歩く、歩く。

だれかが、言うには、20000歩、歩いたとか。

今回の古墳は、応神陵かしらね。

 

去年は、仁徳陵(堺市)だったので、

この藤井寺市に住んでいる同窓生が、応神陵もあるよ、と言いたかったらしい。

これが、応神陵

面積は仁徳陵に負けるけど、盛り土の体積は、こっちの方が多いらしいです。

うーん、無駄な空間、と言ってはいけないのだろうなあ。

作成時は、大王の力を見せるため。

そして、今は、自然を残してくれている。

中に入れないのは、かえって、荒らされずに、いいのかもしれません。

 

こんな小さな古墳もあります。

ここは、住宅街の真ん中にあって、ロータリーの役を果たしています。

番所山古墳と言います。

まだ、調査が入ってない小さな古墳です。

これくらいの古墳が、この辺りには、いっぱいあります。

「5分歩けば、古墳」

そんな感じです。

 

さて、わたしたちがまず来たのは、

あら、藤棚しか映ってないね。

ここは、「葛井寺」と、書いて、ふじいでら と読みます。

ここに来るために降りた駅は、藤井寺駅。

 

むかし、この辺りに”王仁”氏が住んでいました。

この人の子孫が、

名前をいただいて、土師氏となり、古墳を作ったのです。

5世紀ごろかな。

やがて、菅原氏に続いていきます。

そんな話を聞きました。

 

こんな話を聞いても、面白くないですよね。

ほんとうに、町の中なんだけど、

田んぼがあって、稲が刈られていました。

 

こんな八重のベゴニアを竹に植え込んで飾ってある家もありました。

 

建物の写真ではなく、遠くの山並み、その奥に、ちらっと見える山です。

二上山雄岳です。

その山の向こうが和歌山辺りです。

古墳を見てきたからでしょうか、

大津皇子の話を思い出して、

今日は、たっぷり、日本のあけぼのの時代に、浸かってきました。

 

最後に、道明寺では、菊花展がありました。

キクを作っている同窓生は、

1種類で60ぐらい作らないと、出展できない、と言ってました。

キクは、奥深く、難しい。

その友の言葉です。

「だから、つくるんでしょう」

そう言うと、ニヤッと笑って、

「暇は、あるからね」

 

そうやねえ、

ここまで、古墳を見に来るぐらいだから、

わたしも、暇人なんでしょう、きっと。

 

 

 


そして、緑に

2017-04-10 15:36:17 | でかけてみたら

今日は、大江橋のパートナーシップ花壇の植え替えでした。

「やっと、植え終わった・・・・」

さて、写真を・・・と思ったら、

電池がありません、とマヌケな話で。

後日、改めて撮りに行きましょう。

 

それで、裏の公園のサクラを撮りに行きました。

もちろん、電池を充電してから。

ここのサクラは、静かです。

ただ、泰然と咲いているだけです。

その下を歩きながら、ふと目をやると、

一隅に、いや、かなり大きな花壇がありました。

その一画、一画を花好きなお年寄りたちが、

好き勝手に植えていらっしゃるのです。

(いえ、公園の中は、私有化は、できないので、

違反と言えば、違反なのですが、

「愛護会が管理している」ということで、

お年寄りの楽しみを取上げたりは、しなかったのですよ)

そこは、まあ、いろんな花が植えられていました。

だけど、どの花壇にも、植えられていたのが、

チューリップ

人は、なぜ、チューリップを好むのでしょうね。

秋に球根を植えて、

春が近くなってくると、ニョキっと芽を出して、

瞬く間に、伸びていきます。

サクラの花が、合図のようにポッコ、と、花を広げます。

4・5日くらいでしょうね、お行儀の良いのは。

1週間も経てば、サクラが散りゆくのに合わせるように、

パッカ、と大きく花を広げて、

(こういうのを、アホ丸出しと表現したいのですが)

ぱらり、パラリと花びらを失っていくのです。

 

この後半の姿ゆえに、

ガーデンでは、あまり、チューリップを植えないのですが、

はじめに戻って、人は、なぜ、チューリップを植えるのでしょうね。

公園で、たっぷりのチューリップを見ながら、考えました。

後を考えないでもいい、

派手に終わればいい、

そんな出来事って、人には、ほとんどないですからね。

入学式や、新しい年度を祝って、

めでたいなあ、とシャンシャン手を打つには、

もってこいの花なのかもしれません。

 

さて、サクラが散り始めたのを見ながら、

気が付けば、

周りの木々たちもまた、きれいな緑の葉を芽吹いていて、

ここからは、

「まだまだ。 頑張れよ」

とエールをくれました。

腰が痛いだの、しんどい、だの言ってないで、

新しい季節を迎えましょうか。

日々、やがて、緑に包まれて、

そう、元気を取り戻さないと。

 

春がやってきたのですから。

 

 

 

 


ガックリ した後で。

2017-01-28 20:26:06 | でかけてみたら

暖かくていいお天気。

こんな日は、花好きには、何か植えたくなる日。

あの寒さの後ですからねえ、余計にそう思う。

 

種花広場でも、小さなセル苗を、直接プランターに植えたりしたけど、

気分は、「どこかで、春が生まれてる」。

やっぱり、行かなくちゃあ。

と、昼ごはんもそこそこに、自転車で走りました。

土手沿いの道を。

ホームセンターを目指して。

 

だけど、「早春ならこの花!」 そう思う花は、ひとつもなかった・・・。

ハナカンザシ、クモマグサ、マツムシソウなど、

何でもよかった・・・

鉢を埋めてしまえるくらいの花が欲しかった。

パンジーや、ストックなどの洋花ではなくて。

 

ガックリして、ナツちゃんのご飯だけ買って帰ってきたけど、

心は、晴れない。

では、大きな気分になれるところに行ってこよう。

 

堤防は、遠目にも緑が戻ってきてるし。

家の傍の淀川。

青い空と、

流れすら見えないけど、

満々と水をたたえている空間。

 

気持ちがのびやかになって、

「そうだった、まだ1月。

立春もまだ来てないものね。

また、どこかで逢うよ、真っ白なハナカンザシ。

ゆっくり待とう」

 

まだ、ツクシも顔を出してなかったしね。

 

そう、まだ、冬の真っ最中!

 

 

 

 

 


同窓会は、たのしく。

2016-10-25 20:07:42 | でかけてみたら

今日は、同窓会。

堺市の同窓生が、

小型のバスをチャーターして、

自分の街を見せてくれました。

 

仁徳天皇陵

空からの写真で、いつも見ているこの御陵は、

深い水をたたえて、人を拒否していました。

案内人の彼は、

子どもの頃に、この向こうの林の中で遊んでいたそう。

「どうやって、向こうに渡ったの?」

「昔は、舟があったからね」

今は、天皇陛下がお参りに来られても、

この写真の鳥居の前までしか行かれないとか。

今、世界遺産を目指している、この仁徳陵は、

考古学的に、凄い資料を持っているのですが、

もう、中を見ることは、不可能でしょうねえ。

 

大仙公園の日本庭園では、

この友だちは、キクを展覧会に出品していました。

11月に審査があるそうで、

その時には、また、入れ替えるそうです。

 

堺は、千利休と、与謝野晶子の町です。

さかい利晶の杜で、たっぷりとその世界を堪能しました。

 

昼からは、

堺市内のお寺を廻りました。

どのお寺も、素敵な石庭を持っているのに、撮影禁止。

残念でしたねえ。

 

南宗寺は、徳川家康のお墓があったりします。

信長が、本能寺の変で死んだとき、

家康は、この堺にいたそうで、

籠に乗って逃げる途中、後藤又兵衛に刺されて、死んだとか。

はて?と思うけど、

大きな碑まであるんですから、面白い。

 

けど、私が不思議だったのは、

ソテツで有名な妙國寺。

ここの枯山水は、背景が、大きなソテツなのです。

1400年ほどの大木です。

お寺ができたのは、600年ほど前。

植え替えたというのですが、

この堺に、ソテツが育ってるというのが、なんでなのか知りたかったのです。

案内のボランティアさんは、

「そう聞かれたら、「わからないのです」としか言えませんが、

かってこの地は、海のすぐそばで、深い砂地でした。

だから、流れ着いたソテツの種が、芽を出したのかもしれません」

そう教えてくれました。

 

今回の一番の疑問をそのままに、

楽しかったですよ。

威張ることも、飾ることもないし、

純粋に、1年に一度の再会を楽しむことができる貴重な仲間です。

また、来年、誰かが幹事をしてくれる。

楽しみにして、1年を頑張りましょう!

 

 

 

 

 

 


高野山の庭。

2016-10-18 21:39:10 | でかけてみたら

今日は、ガーデンも、種花広場もお休みして、

高野山への観光バス旅行です。

高野山は、寒いと聞いていて、上衣を持っていったのですが、

秋の気配はまだまだ薄く、

紅葉の葉先が、ちらちらと光を跳ね返していました。

遍照尊院で、精進料理をいただきました。

思いがけないほどおいしくて、

それほどの量とも思わなかったのに、

お腹がいっぱいになりました。

この食事の時の言葉です。

「一滴の水にもめぐみがこもっております

一粒の米にも萬人のちからが加はおります

ありがたくいただきましょう」

これは、当たり前のこと、

だけど、つい忘れてしまう言葉でした。

ちょっと、自分の食生活を振り返ったのでした。

ここが、そのお庭。

 

これは、金剛峰寺の石庭。

 

高野山は、奥の院につづくさまざまのお墓が有名なのですが、

やはり、その写真は、何かが写るようで怖いので、

撮れませんでした。

その墓を包み込む杉の大木の森。

”はならんまん”のコニファーのイメージはこれだったんだと思いました。

やっぱり、本物は、深い深い緑でした。