久しぶりの晴天。
今日は、わたしのお休みです。
学生時代の同窓会です。
歴史の学徒だった私たちの同窓会は、
どうも、飲み会と言うのには程遠く、
古墳を探して歩く、歩く。
だれかが、言うには、20000歩、歩いたとか。
今回の古墳は、応神陵かしらね。
去年は、仁徳陵(堺市)だったので、
この藤井寺市に住んでいる同窓生が、応神陵もあるよ、と言いたかったらしい。
これが、応神陵。
面積は仁徳陵に負けるけど、盛り土の体積は、こっちの方が多いらしいです。
うーん、無駄な空間、と言ってはいけないのだろうなあ。
作成時は、大王の力を見せるため。
そして、今は、自然を残してくれている。
中に入れないのは、かえって、荒らされずに、いいのかもしれません。
こんな小さな古墳もあります。
ここは、住宅街の真ん中にあって、ロータリーの役を果たしています。
番所山古墳と言います。
まだ、調査が入ってない小さな古墳です。
これくらいの古墳が、この辺りには、いっぱいあります。
「5分歩けば、古墳」
そんな感じです。
さて、わたしたちがまず来たのは、
あら、藤棚しか映ってないね。
ここは、「葛井寺」と、書いて、ふじいでら と読みます。
ここに来るために降りた駅は、藤井寺駅。
むかし、この辺りに”王仁”氏が住んでいました。
この人の子孫が、
名前をいただいて、土師氏となり、古墳を作ったのです。
5世紀ごろかな。
やがて、菅原氏に続いていきます。
そんな話を聞きました。
こんな話を聞いても、面白くないですよね。
ほんとうに、町の中なんだけど、
田んぼがあって、稲が刈られていました。
こんな八重のベゴニアを竹に植え込んで飾ってある家もありました。
建物の写真ではなく、遠くの山並み、その奥に、ちらっと見える山です。
二上山の雄岳です。
その山の向こうが和歌山辺りです。
古墳を見てきたからでしょうか、
大津皇子の話を思い出して、
今日は、たっぷり、日本のあけぼのの時代に、浸かってきました。
最後に、道明寺では、菊花展がありました。
キクを作っている同窓生は、
1種類で60ぐらい作らないと、出展できない、と言ってました。
キクは、奥深く、難しい。
その友の言葉です。
「だから、つくるんでしょう」
そう言うと、ニヤッと笑って、
「暇は、あるからね」
そうやねえ、
ここまで、古墳を見に来るぐらいだから、
わたしも、暇人なんでしょう、きっと。