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チワワの保護

2008-10-05 15:01:50 | 刑事実体法

名古屋地裁で3日、Aさんのチワワを蹴り殺した男性Xに有罪判決が言い渡された。そのチワワの冥福を祈る(トビーちゃんと言うそうだ)。

適用された法令は、刑法261条(器物損壊罪)と動物愛護管理法44条1項である。

前者の保護法益は、言うまでもなくAの財産権である。Aが飼っていたチワワは、私法上、動産としてAに所有権が帰属する(民法86条2項)。

他方、後者の保護法益は何だろうか。まず、同法の目的規定(1条)によると、法律制定の目的は「国民の間に動物を愛護する気風を招来」させることにあるようだ。また、傷害を加えることを禁じられる「愛護動物」は、人に飼育されているかどうかを問わない(44条4項1号)。さらに、同法は、(器物損壊と違い)親告罪としていない。以上からすると、保護法益は、個人の財産権とは別の、「私たちがもつ動物を愛護する気風(?)」と考えられよう(社会的法益の1つと言えようか)。

したがって、チワワを蹴るというXの1個の行為は、器物損壊罪と動物愛護管理法違反のいずれにも該当するが、両者は独立に評価されるべき法益なので、観念的競合となる(刑法54条1項)。前者の法定刑は懲役3年以下/罰金科料30万円以下、後者は懲役1年以下/罰金100万円以下なので、Xは懲役3年以下/罰金100万円以下で処断されることとなる。

犬・猫といったメジャーな動物を念頭に置けば、(ア)人に飼われていれば器物損壊+動物愛護管理法違反、(イ)野良ならば動物愛護管理法違反のみ、と理解しておけば大体あっている。レアケースとして、(ウ)人に飼われている魚類は「愛護動物」ではないので、器物損壊罪のみが成立しうる。

追記:個人の生命・身体・財産の保護こそが国家の任務であると考える古典的リベラリズムの思想からすると、動物愛護管理法が守ろうとする「動物愛護の気風」なるものが、果たして正当な保護法益と言い得るか疑問が残る。しかし、私のような軟弱なリベラリストは、そこらに野良犬・野良猫の死体がころがっている社会は住みにくい(気持ちが悪い)という理由で同法に賛成するだろう。私の老猫が野良猫と誤解されて近所の子供にいじめられることも回避できる。

追記2:財産権としてではなく「愛護されるべきものとしての動物」という発想を突き詰めれば、ピーター・シンガーの提唱するアニマルライツ思想へとつながる(その意味で、動物愛護管理法は応用倫理学の教材にもなる)。もっとも、わが国の立法者は慎重であり、文言をみる限りでは、「動物の権利を守る」ことではなく、あくまでも「人間の動物愛護の精神を育てる」のが同法の建前のようだ。

追記3(08-10-12):「野良猫を自分の物にしてもいいのですか?」と聞かれたが、もちろんOKだ。野良猫は無主の動産なので、あなたが他人に先んじて所有の意思をもって占有すれば、その所有権を取得する(民法239条1項)。大事に飼ってください。

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