事実の記述は近似値を超えない

2023-11-26 15:28:00 | 哲学・論理学
・ある事実を「机の上に1辺1cmの重さ5gの赤い立方体がある」と記述したとする。しかし、これは実在の近似にすぎない。 →その1。「1cm」「5g」という物理量の測定には誤差が伴う。□内田126 →その2。色彩や臭いと行った二次性質には概念の曖昧さが伴う。□内田125-6 ・現実世界をそのまま認識することはできず、「経験的事実を数学の言語で置き換える」「経験的事実で働いてい . . . 本文を読む
コメント

「幸福」なあり方

2023-01-04 15:13:09 | 哲学・論理学
森村進『幸福とは何か』(ちくまプリマー新書)[2018]は、「幸福(well-being)」をめぐる哲学学説を手際よく説明する。その前提として、pp17-21に「幸福」という用語法の説明がある。「what makes someone's life go best」との別称が示すように、「幸福=その人にとってそれ自体でよいものであり、その人生(生活)をよくするもの」と捉えるべきものである。 私見で . . . 本文を読む
コメント

論証の作法

2021-02-28 23:13:18 | 哲学・論理学
2023-11-04:文献追記。   [「論証」の意義] ・1つ以上の「前提・根拠・理由」から「結論・主張」を導出・推論(inference,reasoning)する過程全体を「論証(argument)」と呼ぶ。□野矢101題80-2、丹治15-6、戸田山教室38-42 ・ある前提Aから、Aとは異なる結論Bを導出する必要がある。小さなジャンプを繰り返して(=「論理の飛躍」に陥るこ . . . 本文を読む
コメント

エラトステネスの篩

2016-11-27 20:11:47 | 哲学・論理学
【問題】1から100までの間にある素数をすべて求めよ。 【解答】「求める素数=全体から合成数を除いた残り」だから、順に合成数を除いていけばよい。具体的には次のステップとなる。 (1)1〜100の表から「1」を除く。 (2)もっとも小さい素数「2」を残し、「2自身より大きい2の倍数(=4,6,8,10,12...98,100)」をすべて除く。 (3)次に小さい素数「3」を残し、「3自身より大 . . . 本文を読む
コメント

懐疑論にサヨナラ

2016-09-22 15:06:46 | 哲学・論理学
※2023-01-19追記(末尾)。 来週で35歳になる。2008年9月28日に書きかけていた記事をつづけてみる。 小学生の頃、仲のいい友達と一緒に下校していた。途中で「ばいばい」と別れ一人自宅へ向かう。その時、ふと疑問が湧いた。「どうして僕は僕の家に帰り、太郎君(仮名)は太郎君の家に帰るんだろう?」 目の前を通り過ぎる野良犬を見ているのが太郎ではなく克俊であることが不思議に思えた。自分が克 . . . 本文を読む
コメント

排中律を認めるか

2016-07-16 02:16:59 | 哲学・論理学
2008年の記事を書いたものの実は理解していないことを弟弁に教えられて野矢本を読み直す。   【キーワード】実在論的(神の立場)/反実在論的(人間の立場)、真理/証明可能性   古典論理の意味論は「真理」を中心に作られており、「われわれの認識がどうであろうと、世界の在り方は(認識とは独立に)決まっている」との実在論的態度を取る。したがって、「Pの真偽が証明されていなくて . . . 本文を読む
コメント

論理哲学論考を読むを読む(3)

2015-11-25 22:00:13 | 哲学・論理学
2015-11-25に追記。 <2•01231改※:対象を捉えるkennenために、偶々の外的性質や外的関係を捉える必要はない。しかし、その対象の本質ともいうべき「論理形式」を把握していなければ、その対象を探求することができない。> 現実から可能性へとジャンプする仕掛けは、眼前の事実を対象(個体、性質、関係)へと解体することにあった(復習)。今、「テーブルの上に赤いトマトがある」とわ . . . 本文を読む
コメント

論理哲学論考を読むを読む(1〜2)

2015-11-14 01:28:46 | 哲学・論理学
野矢茂樹『ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」を読む』[哲学書房2002、ちくま学芸文庫2006]。凡例;<1>はウィトそのまま、<1改>は野矢による改訂、<1※>は自分の通りがいいようにブログ主が直した。   <1※:現実世界は事実(=可能性ではなく実際に成立したことがら)の総体である。> 「現実性を受け持つ現実世界」に対して、現実世界までも含む「可能性を受け持つ論理空間」が対比 . . . 本文を読む
コメント

外的世界の存在は証明できるか?

2015-08-29 03:16:44 | 哲学・論理学
自室で目の前にPCに向かってキーボードを叩いている。本心を見えば、視界に映るとおりの世界(PC、机、いす…)が『ほんとうに』実在することを確信している。自分が死んでも、その外的世界は変わらずありつづける、と信じている(色とか匂いとかの第二次性質の問題は置く。)。だけど、この確信が正しいことが証明できるのか? 外的世界など存在しないとの懐疑論者・独我論者を反駁できるのか? 書店に行く度 . . . 本文を読む
コメント

デカルトの呪い

2015-01-30 23:31:12 | 哲学・論理学
ラフスケッチ。    ウィトゲンシュタインではないけれど、「哲学」は病気のようだとつくづく思う。「哲学を勉強する」じゃなくて「哲学にかかる(罹患する)」と言いたくなる。いつからか覚えていないくらい前からずーっと、「目の前のモノは『ほんとうに』実在するのか??」という幼稚な悩みにとらわれている。デカルトが言う「コギトの実存」は納得した。でも、コギト以外のモノの実在は?  この . . . 本文を読む
コメント

懐疑論

2014-02-11 08:03:30 | 哲学・論理学
大昔のメモ書き。読み返してもよくわからないけど… 【論ずべき懐疑論とは】 1.極端な懐疑論は、自分の首を絞める。「みんな何も知らない」ならば、「私(∈みんな)は極端な懐疑論(∈何)が正しいかどうか知らない」となってしまう。 2.したがって、論じるべきは、「ほとんど何も知らない」という懐疑論である。 【議論1:培養層の中の脳】 P:わたしは座って本を読んでいる。 Q:わたしは培養層の脳ではない。 . . . 本文を読む
コメント

殺人と傷害致死を区別するもの

2009-05-28 01:55:28 | 哲学・論理学
Aが包丁でVを刺して死亡させた場合,刑法199条と205条のいずれが適用されるのかが問題となる。両者は,行為時にAが「殺意」を有していたか否かで分けられる。つまり,Vを死亡させることに認識認容があれば殺人であり,ケガをさせる認識しかなければ傷害にとどまる。問題は,この殺意の有無を他人がどうやって知るのかということだ。ここで,ウィトゲンシュタインの説く「意図」概念が想起される。公園のベンチに私とあな . . . 本文を読む
コメント

コギト

2008-12-11 21:10:03 | 哲学・論理学
思わぬ所でデカルトのコギト論について議論になった。周りで記録を読んでいた皆さん、場所をわきまえずにごめんなさい。デカルトが‘cogito,ergo sum’と言った、ということは高校の倫理で習った。そのときはふーんとしか思わなかったが、これはものすごいことだ。そのことに気づいたのは、懐疑論に囚われ、永井均氏の一連の著書を読んでからだ。いま自分はPCの前に座ってキーボードを叩いているような気がする。 . . . 本文を読む
コメント (2)

神とオイラー

2008-12-02 22:38:35 | 哲学・論理学
日本人の多くは特定の信仰を持たない。「私は無宗教です」などと口にする人は少なくない。だが、それは単なる宗教的無関心・宗教的無知に過ぎない、と看破したのは勝田吉太郎氏だった。無神論とはそういうことではない。あらゆる権威を否定した無神論者バクーニンの「神」に対する態度は、先の日本人とは程遠い。彼は、神との血みどろの格闘を経て、無神論という「信仰」を獲得したのだ。「神は死んだ」という警句で有名なニーチェ . . . 本文を読む
コメント (3)

学問の有用性

2008-11-13 03:16:51 | 哲学・論理学
今年のノーベル賞を日本人が4人(3人?)も受賞したが、受賞対象が地味な基礎研究だということで、巷では「基礎研究・基礎学問を大事に」という声が大きい。それ自体には全く異論はない。無関係な本ばかり読んでいたため、法律学で落ちこぼれた私を弁護してくれるかのようだ。だけど、少し考えると、この「役に立たない基礎学問/役に立つ応用学問」という対立図式はおかしい。下村氏のオワンクラゲ研究の成果が後に生命科学の分 . . . 本文を読む
コメント (2)