灯火(ともしび)の かげにかがよふ うつせみの 妹(いも)が笑(ゑ)まひし 面影に見ゆ 【万葉集 巻十一 2642】
訳)灯火の火影に揺れ動く 実際の あの娘の笑顔が 今面影に見える
この歌、万葉仮名の原文では、
灯之陰尓蚊蛾欲布虚蝉之妹蛾咲状思面影尓所見
灯之陰尓 ←これが「ともしびの かげに」は、言われれば、なんとか読めるようなところです。
ともしびのかげ、といえば、ともしびの光のこと。
ちなみに、「かげ」は、古語辞典を見れば、「景、影」と書けば、日、月、灯火などの光、「陰、蔭」と書けば、光や風のあたらないところ、物におおわれたところ、など、意味が違うようですが、ここでは、原文は「陰」で、訳は、火影となってます。辞典の例にある歌は、古今や源氏物語、徒然草などのものが多く、万葉集のころには、はっきりした使い分けは、まだ、なかったのか、「陰」も、光を意味したのか、よく調べないと、今ここでは、わかりません。ただ、そのあとの「面影」は「影」なので、違いはあったろうと思います。
先に進みましょう。
蚊蛾欲布 ←これが「かがよう」ですよ。
「かがよふ」は、ちらちらと光ってゆれる。きらめく。というような意味。
灯火に、「蚊蛾欲布」と書くと、
明かりに、蚊や蛾などの虫が、寄って来て、ちらちら飛び回る様子が見えるような気がします。
万葉仮名の一覧を見れば、蚊、蛾、欲、布、それぞれ、か、が、よ、ふ、で出てきますから、一般的に使われているもののようですが、選び方で、イメージが広がりますね。
「欲布」と書くと、今は「タオル」の当て字みたいな使われ方をしますが、当時、こう書くことで、あるいはさらに、なにかイメージできるものが、あったのかもしれません。
「うつせみ」にも、虚蝉という字をあててますし、
「妹が」の「が」にも蛾を使ってます。
虫がいろいろ出てきて、灯火に集まる虫の映像を喚起します。
「うつせみ」は、面白いんですよ。
辞書の語史を写しますと、
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「うつせみ」は、「うつ(現)し‐おみ(=人の意)」から「うつそみ」となり、さらに転じた語で「空蝉」や「虚蝉」などの字があてられたが、はじめは無常観を含まず、枕詞として単に「この世」という意味で「世」などにかかった。上代末期から、仏教的無常観と「空蝉」の文字の連想から「はかないこの世」の意を含むようになり、また中古以降は、虫の「せみ」や「せみのぬけがら」の意も生じた。
***
ここでは、現実に肉体を持ったもの、妹(いも)の実在感、存在感が、「うつせみ」によって、強まる感じがします。
灯火の明かりに、会ったあとの相手の美しい印象が、今も、見えるというような感じでしょうか。
先に行きますと、
咲状思 ←これを「ゑまひし」と。「ゑまふ」は、微笑む。「ゑまひ」は、微笑み。「ゑみ」は、笑うことですが、花が開くというときも使います。それで、「咲」なんでしょう。
The東南西北の、この前の新曲「花咲く歌」に、小さな花が微笑んで咲いている、という歌詞がありますが、これは、万葉集にある「咲く」と「微笑む」の使い方が好きだったので、そこからきてるんです。
ざっと、書きましたが、万葉集も後期、奈良朝になると、こうした漢字で遊ぶ歌も、目立ってきます。
もう一度、この歌の原文を書いてみます。
灯之陰尓蚊蛾欲布虚蝉之妹蛾咲状思面影尓所見
解説されると、わかりますが、そうでないと、なんのことだか、さっぱりわかりませんね。
今、これが読める楽しみ、本当に、ありがたいことです。
今日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司
いつまでもあなたの笑顔がちらついて、悩ましくも頭から離れない、という感じでしょうか。
あなたの事が頭にちらついてSha la la ♪ですね。
きみに用意されたるステージは
われらが胸の底沈殿す
あらためて … 炎の11日間、お疲れ様でした。
来年はもう1日増えるかもしれないんですよね。夢がまた熱気球のように膨らみますね。
みんなに広げよう、健次cafeの輪、輪!
忘れないよ いくつもの場面を
昔聞いた歌 口ずさみながら
さっき笑った目があの頃と同じ
僕らがそこにいることは
いつまでも いつまでも 変わらない
いつの日かいつの日か
続いてる scenes 「scenes」より
今、静けさの中に、健次cafeでのステージの素晴らしいパフォーマンスの数々や、客席みんなの花ほころぶような笑顔が、久保田さんの瞼の裏にあればいいな、と思います。
P.S.チキンジョージさんのトマトジュース🥤が美味しかったので、どこのメーカーさんのものかお尋ねしたところ、トップバリューと。
灯台下暗し、でした。