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JW脱出計画(進行中)

エホバの証人2世(現在不活発)の思いをつらつらと・・・

言葉ひとつ

2009-07-12 00:19:41 | Weblog
「あるとき子供が親に持っていた飴をあげようとしたところ、その親は受け取らず子供に食べさせてあげた。それが子供のためだと思った。でも本当はその飴を貰ってあげることがその子のためだ」。

そんな話を本で読んだ記憶があります。親と言えども子供の気持ちを理解できるわけじゃないんですね。

僕は今は親と一緒に住んでいるんですが、当然ながら毎月それなりのお金を渡しているわけですね。

それを渡すとき必ず親は「預かります」と言います。これが結構傷付くというか、正直言うとムカつくんですよね。「預かる」って何だよ、と。

確かにこれまで心配をかけてきたし、今も贅沢をさせてやれるほどの金を入れてるわけじゃない。

でも自分なりに精一杯働いて渡してる金を受け取る時にそう言われると、「別にどうしてもこの金がいるわけじゃない」と言われているような気がして。

言い方一つなんですけどね。

多分この事を言えば母親も「言い方は」変えるかもしれません。でも気持ちまでは変わらないでしょう。だからこのブログで憂さ晴らしをして(笑)これからも何も感じてない顔で接していきたいと思います。

それが一番平和に物事を運ぶ方法だと思うから。

油断大敵

2009-07-11 01:29:01 | Weblog
夜に近所のスーパーに買い物に出掛けて駐車場に車を止めたんですが、すぐにそこに来た事を後悔しました。

そこには見慣れた車がチラホラ。そういえば今日は金曜の夜だった・・・そう、集会帰りのJW信者がよく利用する店だったんです。

しばらくその店に来てなかったので忘れてました^^;

でもせっかく来たんだからと店内に入ると、既に見慣れた皆さんが夜の買い物を楽しんでおられました(笑)

4年経つとはいえこちらの風貌は昔から変わっていないので、顔合わせたらすぐバレるな、と思い、速攻で買うものを買って出てきました。

なんでこっちがこんなに気を遣わなきゃいけないんだ、とは思うんですがね。

自分が嫌な思いしないためにも油断は禁物だと肝に銘じたいと思います。

孤独と無知

2009-07-06 21:27:49 | Weblog
TVを見ていたら「孤独な人には一本の道しかない」という言葉を耳にして深く頷いてしまいました。これを言ったのははるな愛さんというタレントなんですが、彼女曰く「孤独な人には一本の道しかないのに対して孤独じゃない人にはあんな道もこんな道もあるんだ!!と見つけることができる」というわけです。

ちなみに孤独の反対語は何なのだろうとちょっと調べてみたら「無知」だという事が書いてあったのでちょっと驚きました。

これを書いたのは糸井重里という人で、彼によれば、「孤独は創造の母であり人に伝わるものを書こうと思ったら孤独とよく付き合わなければならない」との事。これも何となく分かります。

こうなると孤独も決して悪いものではないかもしれません。僕も今の自分の心の中の葛藤を相談できる相手がいないので独りでずっと考えているわけですが結論はいまだに出ません。ただ、他の人に相談してそこで答えが出るとも思えない。これは「独りでくよくよ悩む」というのとは違うような気がします。

とはいえ始終孤独に浸っているのも良くないのは自明の理。孤独な状態がなにより楽になってしまっている今の自分の状態はやはり問題です。

このまま孤独と心中するのではなく、上手に付き合えたらと思います。

素の姿

2009-07-05 23:05:01 | Weblog
忙しいとはありがたいことで、余計な事を考える間も無く飛ぶように日々が過ぎていく今日この頃です。

大体毎日、朝8字から遅い時には夜11時まで仕事をし、休みは日曜のみという感じでこの2ヶ月は過ごしてきました。それもようやく少し落ち着いてきたところです。

他の仕事では続かなかったかもしれませんが、今の仕事は「忙しいんだけれども忙しくない」と言いましょうか、仕事量は多いんですが、極端に時間に追われているわけではなく、一つ一つ丁寧にやっていくことが大事という感じで進めているので、こちらも未熟ながらも何とか続けられています。

とはいえ全く問題がないわけではありません。

今やっている仕事は数年前に一度挫折して離れてしまった職種で、今回縁あってまたやらせてもらっているわけですが、以前の仕事内容を思い出そうにもかなりブランクがあるので結局一から勉強しつつやっている状態です。さらに困ったことに雇ってくれたほうは「経験者」という事で採用してくれたようなんですが、予想以上に僕が「できない」人間なので内心「こんなはずでは・・・」と困惑しているようです。

というわけで何時まで経営者の方が我慢してくれるのか分からず、もしかしたらまた辞めなければならないのかと少し不安な気持ちで毎日を送っています。まあ30歳過ぎた男を悠長に育ててくれるほど世の中は甘くないのだとは思っているので、精一杯やってみてダメなら見切りを付けられるのも仕方ないかなと思っています。

以前であればこういう状態に自分が置かれていると思っただけでパニックになり眠剤を手放せなくなっていたかもしれませんが、一度そういう経験をしているせいか今は以前に比べて冷静です。「雇ったほうが悪いんだ」とは言いませんが、僕も面接の際にはこの仕事についての自分のスキルについて正直に話したつもりだし、それを承知で雇ってくれたんだから・・・と多少開き直っているフシはありますが。

元々自分はこういう図々しい人間だったのかもしれないな、と最近思うようになりました。「誠実」だとか「真面目」だとか周囲は言ってくれたのですがそれは自分が(意識的にせよ無意識にせよ)そういう風に見せるように振舞ってきただけだったのだと。

もう自分は「いい人」じゃなくてもいいです。万一、人を不快にする事があったとしても自分が生きたいと思うまで生きられれば。自分ももう30歳を過ぎました。人生の終わりを頭の片隅に思い描いてもいい年齢ですよね。

だからこれからは「いい人」の仮面を脱ぎ捨てていきたいと思います。

それぞれの檻

2009-06-13 19:32:01 | Weblog
※以下に、村上春樹著「1Q84」の内容に触れる部分があります。





人が自由になるというのはいったいどういうことなのだろう、と彼女はよく自問した。たとえ、ひとつの檻からうまく抜け出すことができたとしても、そこもまた別の、もっと大きな檻の中でしかないということなのだろうか-村上春樹著「1Q84」より

自分自身が日頃感じている事がかなり的確に表現されていたので引用してみました。前に書いた記事(あの頃を思い出す)でJWに酷似した団体が今読んでいる小説に登場すると書きました。これは少女時代にその団体に属していたヒロインの心情の部分です。

JWに関わらずに生きてきた人にとっては当たり前に経験しそれなりに対処してきたものが、JWを抜けてきたばかりに人にとってはとてつもなく重いものがあります。

たとえば、あらゆる種類の「人間関係」。

JWにいた頃は精神的な面では同じ教義を信じる人たちの中で暮らし、それ以外の考えを持つ人とは上辺だけの付き合いしかしなかったので、いざ実社会に出て色々な考えを持つ人と普通に接し、場合によっては関係を深めていかなければならないというのがこんなに苦労するものとは思っていませんでした。

組織から抜ける前からこっそりとそういう付き合いをしていれば良かったんですが、もともと人付き合いが苦手な自分としては日々、組織内の人間関係を処理するので精一杯だったのでそんな余裕は無く、新しい世界でも苦しみは続いています。

結局僕にとっての「檻」はあっちの世界でもこっちの世界でも同じだったわけです。そしてまた新たな「檻」が今後も待ち受けていることを覚悟しなければいけません。それが「生きる」という事だとは分かっているんですが、辛いですね。

皆さんにとっての「檻」は何でしょうか?