JW脱出計画(進行中)

エホバの証人2世(現在不活発)の思いをつらつらと・・・

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きっかけ②

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近頃I君が少しおかしいらしい・・・という話を母から聞いたのはそれからまもなくでした。

I君のお母さんが漏らしたみたいなんですが、何でもI君は家でも誰とも話そうとせず、食事が終わるとすぐ自分の部屋に引きこもってしまうとか。

でも集会や奉仕にいたのはいつもの元気で明るいI君でした。だから僕も普段通りに接していたんですが、次第に一緒に行動することは少なくなっていきました。

そしてついに心配した家族の勧めでI君は病院に行き、「うつ病の疑いあり」という診断を受けたのです。

それからのI君は頑張って続けていた開拓奉仕を降り、朝の新聞配達以外の仕事も辞めました。集会には参加していましたが、いくつか受け持っていた集会での係の仕事もできなくなり、集会に来てプログラムを聴き、終わってから少し回りの人と話をして帰る・・・というような日々を送るようになっていきました。

その姿を見て、僕は訳が分からなくなった。

「どうしてあんなに一生懸命神に仕えているI君がこんなに苦しい思いをしなければならないのだろう。たとえJWの希望が今の命ではなく将来の命にあるからといっても、今の生活がこんなに辛いのに慶びに溢れて神に仕えるなんて絶対できないじゃないか。」

それから僕は自分なりにこの答えを見つけようとしました。

でも、どこにも答えはなかった。

しかも会衆の人たちはあんなに成員のために頑張ってくれていたI君を、それまで誉めそやしていたのとは一転して腫れ物に触るかのように扱っているように見えました。

それからというもの僕の中にJWに対する疑問がどんどん沸いてきました。でも疑問を抱きながらも毎週のように演壇に立ち、用意された筋書きで偉そうにプログラムをこなさなければならず本当に辛かった。

そうやっているうちに自分の心と体が徐々に乖離していくように感じました。相手に心にもない誉め言葉を言ったり、プログラムを盛り上げようとやたらと凝った内容の話をしたり・・・でも僕の心はすっかり乾いていました。出版物にはいつも「そういう時こそ個人研究をするべき!」なんて書いてあったけど、もはやそんな事をする気力もありませんでした。「個人研究を怠るようになったらこの世に惑わされている証拠だ」なんて書いてあったけど、きっとこれを書いた人は何も知らないんだと思う。本当に自分ではどうしようもないくらい追い込まれた人間はもはや出版物を開く気力すらなくなってしまうんです。

親から「顔に死相が出てる」なんて言われるようになった頃には、いつ「もう集会には行きたくない!」と切り出すか、そればかりを考えて毎日を過ごすようになっていきました。そしてこのブログを始めたあの日、僕はついに集会に行くのを辞め、それからは一度もあそこの人たちに会っていません。

I君とはその後一度だけメールで話しました。「色々あるけど、お互い頑張って生きていこう」とそれだけ伝えました。彼はまだ頑張ってあの組織と交わっているようです。僕にできることはないかもしれないけど、少しでも元気になって自分の進むべき道を見つけてくれたらと思います。
                                  (了)
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きっかけ①

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僕が初めてJWの世界を「外から」眺めてみようと思うきっかけになったある人の話を書きたいと思います。

その人(I君とします)は僕より少し年下の2世信者でした。お父さんは長老でお母さんは開拓者というガッチガチの神権家族の中で育てられたわけですが、本当に真面目で優しくて礼儀正しいという、年上の僕から見ても尊敬できる人でした。おまけにパートの仕事をしながら開拓奉仕もするというJWにとっては理想的な若者でした。

彼は決して社交的なタイプの人ではなかったけれど、それと同じ(あるいはそれ以上に)社交的でなかった僕となぜか気が合って一緒に連れ立って奉仕をしたり釣りに行ったりしてました。

そんなある日、いつものように朝から一緒に再訪問に行こうというお誘いの電話を彼の家に入れたんですが、電話口に出たのはI君ではなくI君の父親兄弟(ヘンな表現ですね)でした。

「今日はIは具合が悪いから行けないよ。ごめんね。」

そう言われた時にはこちらも「お大事に」と言っただけで受話器を置きました。明日の集会でI君とまた話せばいいや、と軽い気持ちだったんですね。

しかし翌日の夜の集会にI君は来ませんでした。I君の家族に聞いても「全然大丈夫ですよ」と言われるばかり。

そして次の週、再びI君の家に電話をかけると、まず少し不機嫌そうな父親兄弟が出て、それからI君に代わってくれました。

いつものように再訪問に一緒に行かない?と誘うとI君もあまり気乗りしない様子でしたが応じてくれ、少し打ち合わせをしてから彼の家に車で迎えに行きました。

車に乗り込んできたI君は明らかに機嫌が悪そうでした。でもきっと朝の新聞配達で疲れているのだろう、と思っていました。しかし最初にコンビニに立ち寄ると、彼は黙って車の雑誌を1冊買い、奉仕の移動中ずっとそれを読んでいたんです。隣りの助手席で楽しそうに話すいつもの彼の姿はそこにはありませんでした。

今思えばI君と「うつ病」との戦いはその頃から始まっていたんだと思います。

                                    (続く)

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温度差

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今の時点で一刻も早くハルマゲドンが来て欲しいと願っているJW信者ってこの世界にどのくらいいるんだろう?・・・ふと考えてみました。

まず組織本体は間違いなく早く来て欲しい派でしょうね。たとえばJWの活動に人生のほとんどを捧げてきたおかげで老後に蓄えのないたくさんの「功労者」たちのお世話一つ取ってみても、とてもじゃないけどこの先何十年もこの世界が続いたとしたらいくら信者たちから寄付を吸い上げても追いつかなくて最後には破産すること間違いなしですから。やはりご年配の「とりわけ熱心に」この宗教に身を捧げてきた方たちもそれと同じ理由で滅びの時が待ち遠しい事でしょう。

でも逆に「それなりに」JW信者としての活動をしつつ「堅実に」この世での生活環境を整えてきた方々にとっては少し事情が違うのではないかと。そういう方々は現体制がこの先続いてもそこでの生活をある程度楽しみつつ暮らせるゆとりがあるわけですからいきなりハルマゲドンが来て一気に原始共産主義体制みたいな世界に住む事になるのはちょっと・・・と思われるのではないでしょうか。

ここに絶対的な温度差が生じるわけです。というか、もう既に生じているのかもしれません。僕が元いた会衆でも、夏期休暇を利用して聖書に描かれた約束の地をこの目で見たい!という美辞麗句を用意して優雅な長期海外旅行に出掛けた富裕な神権家族がいる一方で、年を取って体の調子が悪い上に年金等を一切納めて来なかったために定年後の収入が全くなく、親戚からの援助で何とか糊口を凌ぐといった老夫婦もいました。

一般の社会だったらこういった異なる生活環境の人たちが一緒に過ごすということはほとんどないはずですが、いかんせんJWではこういった状況が多々見られます。そうすると間違いなくこの二つのグループは互いに反目し合うのではないか。一方は相手の暮らしを(心の中で)「この世的」と見下し、もう一方は向こうの境遇を(心の中で)「自業自得」と冷めた目で見る・・・こういう全く両極端といってもいい生活環境にいる人たちが思いを一つにして新しい世を目指していけるとはとてもじゃないけど思えないのです。

このいかんともしがたい温度差が組織にどんな影響を与え、それによってJWは今後どうなっていくのか。もうあそこに戻ることはないけれど、何となく興味があります。

そういえば少し以前からものみの塔に信者が自分の死後の財産をどのように協会に寄付できるのか事細かに書いた記事が載るようになりましたね。不動産や株を納める際は事前にご連絡を・・・なんて書いてあるのを見ると、そういうものを協会がかなりアテにしているのがあからさまで何だか怖いです。結局先に死の眠りに就いた人たちのそういった浄財で残った人たちを養う・・・今のところそれしか方法がないのかもしれません。こうなると別にハルマゲドンなんか待たなくても先に組織自体が息絶える可能性も大です。
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恥ずかしながら…

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書き言葉と話し言葉が一致しないというのが書いていてこんなに苦しいとは思わなかったです(^_^;)

今このブログでは末尾を「~だ」「~である」で締める書き方をしていますが、正直に言って自分は普段「~です」「~ます」調で話したり書いたりすることが多いのです。

じゃあなぜ今の今まで「~です」「~ます」でやってきたのかと言うと、自分でもよく分からないんですがやっぱりJWの事を書くという事で片意地張ってたところがあったのかもしれないですね。

というわけでこれからはこのブログでも一応「~です」「~ます」調で書いていこうかと。

急にここでの口調(?)が変わるのもどうかと思ったので事前に告知させていただきました。今後ともよろしくお願いします。
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無意味に疲れる牧羊訪問

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牧羊訪問には良い思い出がない。

このブログにも何度か登場させているH長老(主宰・40代独身)。はっきり言って彼と自分とは犬猿の仲だった。まあ彼は自分に擦り寄る人間にしか挨拶もしないし優しい言葉もかけない(でも巡回訪問中は180°態度が変化して気味悪がられてたw)人間だったのでこちらも変に好かれなくて逆にラッキーだったのだが、そのあまりに理不尽な物言いに何度かキレてしまったことはある。

確か協会の取り決め(だったと思うが定かでない)で、主宰と群れの司会者がその群れの成員を一人ずつ呼んで3者会談のような形式で牧羊的なものをする、というイベントがあった。何人目かで自分の番になり、集会終了後に家族を車に待たせて彼らの待つ第3会場へ行った。こちらはH長老に向かい合って座り、司会者は少し離れて座っている。これではほとんどHとマンツーマンであるw甚だ不愉快だったので早く終わらせようと心に決めて牧羊が始まった。

始めは近状(「最近何が悩みがありませんか?」)を聞かれたが、言う事は取り立ててない、というかこの人に話してもしょうがないと思っていたので適当に「~や~を個人的に頑張ってます。」などと答える。「兄弟は奉仕の司会や割り当ても頑張っておられて若い人たちの励みになってますよ~」というお決まりの文句を引きつった笑顔を称えながら言うHにゲンナリしていると、続いて彼はこちらの日常生活に話題を振ってきた。

「ところで兄弟は奉仕の僕ですが全時間で世俗の仕事をしておられますね。開拓者になるといった目標はないんですか?」

カチンときた。開拓者至上主義が頭に巣食っているからこそ出る発言。出版物では「たとえ開拓奉仕ができなくても開拓者精神を持つ事が大事だ!」などと言っておいて、現場の人間はこれである。それでも自分は気持ちを落ち着けて、最近家を建てたばかりなので親がローンを払う手助けをしたいから、という事を率直に伝えた。しかしHは納得しない。

「そういった家のローンなどのことは兄弟のお父さんが考えなければならない事であって、兄弟自身は若い今の時期に全時間奉仕を目標にすべきではありませんか?」

・・・もしかしたらこの人は日本語が分からないのだろうか?と少し頭が痛くなった。全時間働いているのはその必要があるからで、別に開拓者がイヤだからではない。それに長男が自分の家の事である程度の責任を持つのは当然ではないか!?

自分「でも今はそれが必要だと感じているので働いているんです」

H「それでも色々な調整を加えれば全時間奉仕も可能なのではありませんか?それに家のことは兄弟のお父さんが考えなければならない事であって云々・・・」

しばらくこの繰り返しが続いた。次第にお互いの声も大きくなっていく。そして最後には少し怒鳴りあいのようになってしまったのを覚えている^^;

結局群れの司会者がとりなしてくれてその場はお開きになったのだが、霊的な益を受けるどころか精神に害が及びそうになった牧羊であった。この後、Hと自分との関係が修復不可能にまで悪化したのは言うまでもない。

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手紙

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これまで人生の中で好意を持った人に手紙に気持ちを書いて伝えた事が2度ほどある。

一度目はまだ現役の頃。相手は中学時代に放送委員の1年先輩だったYさん。どちらかというと勝気な女性で、頼りない後輩だった自分を色々と指導してくれていた。こちらもそんな先輩に何となく好意を持つようになったがJWでは外部の方との恋愛は即異端審問に繋がる重罪であったので気持ちを伝える勇気が出ず、そのうちに先輩は卒業。

それから1年ほどしてこちらも卒業したのだが彼女への想いは消えず、何とか連絡を取りたいと思い悩んだ末、卒業アルバムで住所を調べ、とりあえず暑中見舞いを書いて送ってみた。返事は特に期待していなかったのだが、なんと数日後に可愛らしい封筒に入った手紙が届いた。内容は近状報告程度のものだったがその日は眠れないほど嬉しかったのを覚えている。

・・・だが結局それ以上の進展はなく、後年某ショップで働く彼女の姿を偶然見かけたものの声をかけられずじまい。今はもうどうなられたのか分からないが幸せになっていてくれたらと思う。

2人目は、JWを飛び出しこれから自分はどうなるのかと途方に暮れていた時期に、ふと小学校時代から気になっていた女性Hさんの事を思い出し、やはり卒業アルバムで実家の電話番号を調べダメもとでかけてみたところ偶然帰省していた彼女と繋がり、しかもこちらのことを覚えていてくれて思いがけず話が盛り上がった。

しかしその電話では想いを伝えられず、受話器を置いた後かなり後悔。どうしよう・・・と少し悩んだ末、やはり(?)手紙を書くことにし、色々考えて便箋2枚ほどに率直にこちらの想いを綴り送った。

数日後、彼女から電話。

なんと彼女も以前からこちらの気持ちを知ってたとの事。予想外の答えに驚き喜んだのだがしかし・・・色々な事情があって今は「誰かと」恋愛をする気持ちになれないと言われ、あえなく玉砕orzその後はお互い連絡を取ることもなくいつしかこちらも自然消滅になったw

28年生きてきてそれなりの人生経験を積んできたつもりだったが、こと恋愛に関しては自分はまだまだひよっ子である。まあ恋愛指南本を出すような「達人」になろうとは思わないがせめていつかは初級くらいには上がりたいと思っている。
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後遺症

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かつて自分がJWにいた、ということをイヤでも思い出してしまう瞬間がある。たとえば髪の毛を染めている人を見ると反射的に「不良!」だとか感じてしまう自分が未だにいる。

JW信者というのはそれぞれの個性を尊重していると言っているにも関わらず、少しでも自分達のローカルルール上から外れた外見(服装や髪型等)をしてくると露骨に不快感を出してくる。心の乱れはすぐに服装や身だしなみに表れる!と決めてかかっているからだ。長老の息子だったある兄弟は「少し」髪を染めただけですぐさま親に丸坊主にされていた。遠目から見れば分からない程度の髪色よりも年齢にそぐわない丸坊主の方がよっぽど違和感があっておかしいんじゃないかと思うが、まあ見せしめの意味合いもあったのだろう。ある程度の年頃になれば色々なファッションや髪型に挑戦してみたくなるのは至極当然なのにそれらは全て堕落の象徴と見なされる。こうして若者たちは個性を潰され嫌気がさしてるのだろう。

そういえば以前、ある姉妹が巡回監督から「その服装はあまりにみすぼらしいからもう少し良い服を着るように」と言われたら「この服が自分の持ってる中で一番いいんです」と答えた、という話を聞いたことがある。もちろんJWの中では「美談」ということになっているのだろうが、年頃の女性がみすぼらしい服を着ていることが誉められることだとはとても思えない。むしろ奉仕の際などに家の人に奇妙な目で見られて宣教の妨げになるんじゃないかと思うのだがそういう考えは通用しないのだ。

一般常識から見れば明らかにおかしいのに、「真理のため」という究極の目標のためならば周囲の感情などおかまいなしなのだ。そういう事が「JWは偏屈な人間の集団」というイメージを地域の人の中にますます広めていることに気付かないのだろうか。

組織を出た今となっては彼らの考えの変化を望んでも仕方がない。それよりもいつの日か、自分の中に残っているそういう物の見方が完全に消えてくれる事を願っている。

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同じ眼

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一頃、連日のように報道されていた「歯科医長女殺害事件」。

犯人の男が警察に連行されるシーンが何度もテレビの画面に映し出されていた。

あの男の眼を見た時、

「なんか、JWにいた時にこういう眼をした人が結構いたな・・・」と思った。

精気のない、何の覇気も感じられない眼。

そんな眼をした人達が演壇の上で教えを説き、会衆の係をし、奉仕の司会をしていた・・・

組織の出版物に出てくるような喜びの光を放つ眼をした人なんて,少なくとも僕の周りには一人もいなかった。

みんなへとへとに疲れていた。僕も疲れ切った。そして僕は辞めた。

でも今でも辞められずに留まり続けている人もいる。明らかに僕より「症状」は重かったはずのI君も、睡眠薬で壊れそうな心を何とか持たせていたK兄弟も、まだ頑張っているらしい。

今の自分には「もう辞めよう!」と言ってあげることはもうできない。でも、いつか、そしてできるだけ早く気付いて欲しい。

「そこが本当に君達が留まるべき場所なの?」

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自然消滅は罪なりや?

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とある某有名SNSサイト上のJW関係のトピックスで、ある元2世信者の人のこんな言葉を見かけた。

「自然消滅した(あるいはしている)人に良い感情を持てない」

ちなみにこの人は現在「断絶」中で、組織に戻りたいが戻るとしたら家族(一般の人)と一緒がいいとか。

ある程度予想できたのだがこの発言には「おかしい!」「納得できない!」という意見が多数寄せられていた。自分もその一人だ。

そもそも「自然消滅」というものはJWを離れる「方法」ではなく「結果」ではないかと思う。様々な事情(多くは組織に残された家族のため)があって、自分はもはやJWときっぱり縁を切りたいのにはっきりとした意思表示ができず、仕方なくできるだけ傷が少ないようにフェイドアウトしていく道を考えると自動的に自然消滅の道を選んでいた・・・というのが多いのではないかと思う。

JWからすれば「長期の不活発者」という扱いになるのではないかと思う。学校で当てはめれば「ユーレイ部員」というやつ。一応はその部に籍を置いているがそれは建前上だけであって、もはや心はそこにはないという感じ。

それでも籍だけ置いていれば学校に対しても顔が立つし、親もいつか本腰を入れてやってくれるのではないかと一応は納得してくれる。そんなあやふやだけどとりあえず安パイの選択なわけである。

正直、ビシッとJWと袂を分かった人たちからすればカッコ悪いものに見えるかもしれないと思う。でもそれも個人の選択。だれもとがめだてはすべきでない。

たとえ今はそんな状態でも、いつの日か「自分が本当にやりたい部活」が見つかればそれでいいんじゃないだろうか。その時に正式に「退部届」を出すかどうかはぞれぞれが決めると思うが。大事なのはどんな形にせよ自分の意志で決意して行動できたことだと思う。

「ユーレイ部員」2年目に突入している今、そんな風に思った。
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やることもやらずに・・・

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自分が交わっていた会衆は隣接する会衆と合併した後に数年の時を経て再び分解したため、分解後に交わる事になったK会衆は成員も程よくシャッフルされて初めて関わるようになったJW信者が何人もいた。

もともとあまり人と深く関わるのが苦手な性分だったので以前の仲間と離れ離れになった事もさして気にならず、新しい成員とも上辺だけだが上手に付き合っていたが・・・その中に「どうもこの人苦手だな~」と感じてしまう数歳年上の兄弟Kがいた。

Kはいわゆる「必要の大きな所での奉仕」ということで我が会衆にやってきた人だった。が、後に実は彼は自分のいた会衆の成員たちから持て余され、本人も居ずらくなって異動の申請を出したところウチの会衆に「当たってしまったらしい」という事が判明したw

それでも粋のいい若い兄弟が不足がちだったところにせっかく来てくれた人なんだから、ということで移籍当初からある程度の特権を与えられ、会衆内のある兄弟とパートナーを組んで一軒家を借りて暮らし出した。

ある時、奉仕から帰ってきた母からとんでもない事を聞いた。

その日、あるグループがたまたまKとパートナーの暮らす家の周辺を奉仕することになり、何人かがその家の側を通りかかると、その庭先で一人の老婆が炎天下に草取りをしている。・・・よく見ると、何とその人はこの家の大家さんだった。

聞けばいくら大家さんが「庭の手入れをしてくれ」とお願いしてもKもパートナーも一向に何もしてくれず、草が伸び放題になってしまったらしい。このままだと虫が湧いて近所から苦情がきてしまうと思った彼女がやむなく独りで草取りを始めたのだ、という。

驚いた奉仕者たちはその場で奉仕を中断し、一緒に草むしりをしてきたそうだ。その家はJWに理解のある大家さんの好意で格安で借りており、しかもそこはK自身が司会する群れの集会場所としても利用していた。それにも関わらずKのこの責任感の無さは一体何なんだ・・・。

母は話しながらしきりに首をかしげていた。

この家には後日談があって、自分がある時この家に数名の兄弟たちと遊びに行ったことがあるのだが、空いた皿を片付けようと台所に入ってガクゼンとした。

家の奥にあるその薄暗い台所は一面にゴミや酒瓶が散乱し、床はベトベトに汚れ、そして今まで嗅いだ事のない異様な匂いが立ち込めていたのだ・・・。

まあ男の2人暮らしだから新婚家庭のように台所は始終ピカピカであれというのは無理な要求かもしれない。それでも集会場所という事で多くの人が立ち寄るわけだし、群れの茶話会などの時には台所に入るのは女性の方が多いかもしれない。それを思えばせめて人が来る時にはある程度恥ずかしくない程度に片付けるのが普通の感覚なのではないか・・・。

そんなこちらの常識からすれば奇行とも思える行動を取り続けたKだったが、聞けばその後も順調に会衆内で「出世」を重ねているとか。これからも彼はJWの出世道と日常の振る舞いは全く関係が無いという実例を自らの行動で示し続けていくのだろう。




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