JW脱出計画(進行中)

エホバの証人2世(現在不活発)の思いをつらつらと・・・

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初詣に行こう

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JWを離れてから1年以上経つというのに今だに「何かに祈りたい」と感じる自分がいる。もちろんJWの神に祈りたいわけではない。そんなことは金輪際お断りだ。それに祈るからといって、祈った相手に何か願いを叶えて欲しいという思いも無い。「祈る」という行為そのものがしたいのだ。

そんなわけでこの正月は「初詣」なるものに行ってみようと思っている。聞けばそこでは神前でこれから始まる1年に向けて自分の願いを披露するのだという。自分としても2007年は少しでも前に進める年にしたい。「休養」はこの1年でかなりしっかり取れたと思う。だからそろそろ自分を何らかの行動へと駆り立てたいのだ。その決意を確かなものにする意味でも初詣に行くというのは必要な気がする。

・・・まあ初詣にそこまで期待しなくても、という意見もあるかもしれないが、とりあえず正月のうちにどこぞの神社で勢いよく拍手(かしわで)を打つ予定である。
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旅行帰り

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金曜日の夜から日曜の夜まで仙台にサッカー観戦旅行に行っていた。オール鈍行列車での正真正銘のビンボー旅である^^;

高校卒業した翌年にやはり東北を5日間かけて回る旅をして以来、長期の休みはほとんどどこかしら列車で日本を回っている。

全て鈍行列車で行くので時間的には車内にいることが多いのだが、JWに身を置いていた頃は出発前に現地の集会時間を調べ、それに間に合うよう計画しなければならなかったので今よりはるかに大変だった。旅先でちゃんと集会に出たかどうかは次の地元での集会で「クリスチャン愛」を披露できるかどうかですぐバレてしまうので絶対出なければ・・・というプレッシャーが大きい。

一番大変だったのは四国を旅した時で、調べておいたはずの高知市内での集会場所(書籍研究)が分からなくなり、やむなくタクシーを奮発したのだが結局着かなかったので仕方なく宿までバスで帰ったことがあった(笑)まさかウソを着くわけにもいかないので当然その時は地元に「クリスチャン愛」を持ち帰れず、恥ずかしい思いをしたのを覚えている。

それに比べればその日の目的地に着くことだけを考えればいい今の旅は本当に楽になったものだ。旅とは本来、日常のしがらみを忘れ、心も体も自由にできる機会のはずなのだが、あの組織にいた時には長期休暇が近づくと「移動中の乗り物内やSAで証言しろ」などということを実演付きのプログラムでやられ、行く前から気の滅入ったものだ。もちろん証言など一度もしたことはないがw

今日はクリスマス。自分一人でだがケーキを食べて世間の華やいだ気分に少しでもあやかれたらと思っている。
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融通の利かない人たち

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暮れも迫ってくるとJW信者の間で密かに(しかし確実に)大きな関心の的となるのは「年末年始の集会時間(及び)奉仕時間」である。

今年は大晦日に日曜礼拝wがあるので未信者のいる家庭も夜は何とか家族で年越しができそうである。おそらく群れの書籍研究は三が日に掛かってしまうが、これも司会者の裁量で何とかなるのではないか。残る木・金曜の集会も既に4日と5日だからこれはもう一般家庭の時間割も平常に戻りつつあるだろうし、まずもってカレンダー的にはいい感じになっている気がする。

以前、「31日が金曜の集会で2日が日曜礼拝」という未信者のいる家庭にはまさに地獄絵図を予感させるような並びの時があった。自分のいた会衆では世の行事を差し置いても集会に出るのが信仰の証だ!というようなヘンなプレッシャーを未信者家庭にかける風潮があって、それに従ったために家族との関係がギクシャクして問題をかかえるようになった信者たちを見ていると哀れでならなかった。

どだい9月スタートというアメリカの暦に合わせて進行しているJWの予定と、年の始まりを1月1日とする日本人の生活習慣が噛み合う事など絶対にないのだが、そこは一切の妥協を許されないのが末端信者の辛いところである。

それでも一時期はそうした家庭事情に配慮して集会の日を年末年始に被らないようにしたこともあったのだが、その後、日頃から家族に良い証言をしていれば問題が起きるはずはない!という「上層部」の一方的な思い込みでこうした親切な変更もされなくなった。年末年始というのはいわば異教のものなのだからそれに真の宗教が譲歩する必要はないということなのだろう。

だがよく考えてみると今の世の中で信心のためにこの時期を活用する人間が果たしてどれくらいいるだろうか。それよりも年末年始の数日間というのは日頃すれ違いがちな家族にとって共にゆっくりと時間を送れる数少ない機会なのである。それを意固地になって家族の時間をわざわざ奪うような日程を押し通し、「幸福な家族生活を築く」というJWのキャッチフレーズと正反対のことをしているのはどうしてだろう?

確かに一見些細なことかもしれない。だがこういうことの積み重ねが「偏屈者の集まり」という一般の人からのありがたくないキャッチフレーズを頂く原因の一つとなっていることに上の人たちには早く気付いてほしいものである。

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非常識な人たち

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JWの人というのは他人から何かをしてもらうということに慣れ切っているせいか、時としてさも当たり前のようにそれを期待して相手を不快にさせることが多い気がする。

昔、家の食器棚が古くなったので新しいのを買おうと母と二人で家具店に行った時のこと。そこにたまたま長老の妻であるT姉妹がいた。何と同じく食器棚を見に来たという。正直言って自分も母もT姉妹は苦手な人だったのだが無視するわけにもいかず、こちらも食器棚を買うつもりである事を告げた。するとそのT姉妹は少し考えるそぶりを見せてからこう言ったのだ。

「じゃあ、ウチが買うかどうかはあなたの捨てる棚を見せてもらってからにするわ」。

・・・普通の感覚だとこれは軽いジョークだと思われるかもしれないが、この姉妹の場合は本気で言っていることがすぐ分かった。

なにしろこの姉妹、修学旅行に行く息子にお土産を買うための小遣いを渡す際に、「何か買う時には最低3回はそれが本当に必要か考えてから買いなさい」と言って送り出し、結局その子はほとんどお金を使わず帰ってきた事を小躍りして仲間に話してたという程のケチな人だったからだ。

それにしてもこちらがまだ差し上げますとも言ってないのに、要らないのなら自分にくれるのは当然だと言わんばかりのこの態度は何なのだろう。その場は鷹揚に応じたものの、当然ながら母は(そして子供ながらに僕も)彼女の無神経な発言に気分を害し、その日は店内を見ることなく立ち去った。

神への奉仕のため、という大義名分を傘に着て、他人の愛を少しでも自分の利益にしようとする人が多いこの組織。それに芯から毒される前に手を引けて良かったと今では思っている。
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また悪夢…

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昨夜また悪夢が訪れた。場面はまたもやものみの塔の朗読。

朗読のためステージに上がり、ページを開いたところ全く予習していないことに気付いた。しかも1節を見るとのっけから読めない漢字が出ている。司会者が概要を説明している横で刻々と朗読の時間が迫り、ああどうしようどうしよう・・・と思っているところで目が覚めた。

当時はそれほどこの割り当てを嫌だとは感じていなかった。しかしどうにも練習する気にならず、ぶっつけ本番で臨んだ時も何度かあった。そういう時は明らかにつっ変えたり間違って読んだりして、あとでそれとなく成員から嫌味を言われた記憶がある。

特にいつも最前列に座っている長老I。こちらが読み間違えたりするとしかめっ面をしたり舌打ちをしたりして心理的プレッシャーをかけてくる陰険な人だった。この人は僕の司会者なのだが・・・正直言ってキライだった。

今夜は静かに眠れるといいのだが。
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父との事②

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そんな上辺だけの「神権家族」生活も自分が中学に入る頃に終わりを迎える。数ヶ月前から集会に行かなくなっていた父が排斥を言い渡された日、自分は家に残され母だけが衆目を集める中その発表を聞くことになった。予断だが、排斥の宣告は集会の最後の賛美の歌の前に参加者達に向けて短い言葉で伝えられる。だから排斥者の家族はある意味「さらし者」になるわけで、これは随分酷い方法だと思う。とてもじゃないが「仲間への愛」をウリにしている団体のやる事ではない。

閑話休題。

排斥後の父は以前にも増して好き放題に振舞うようになった。自分としては母が離婚してくれるものと思っていたし、そうなれば母を支えて生きていく覚悟はできていたが母はそうしなかった。その後父も多少落ち着いてきた。自分は高校を出て1年ほど親元を離れ、寮生活をしながら専門学校に通った。そのままその地で就職してしまうこともできたのだが何だかそれでは自分が逃げてるような気がしたので結局家に戻り、また親元で暮らし始めた。

既にその頃からJWに対する不信感は募り始めていた。その思いは1年間の独り暮らしの際にさらに加速したが、家に戻って父の横暴に耐えつつ子供たちをJWの道に育てる母の姿を見ると組織を出るとは言い出せなかった。むしろ自分が母にとっての「報い」にならなければ・・・と思い、上辺だけだが「模範的な兄弟」になろうとした。一時的に開拓奉仕をし、その後推挙されて奉仕の僕となり、会衆の仕事をこなした。そうすると上層部からあれもこれもと様々な役割が与えられ始め、ついにはある時「長老になるつもりはないか?」と持ちかけられた。

その時自分は始めて危機を感じた。もしこのまま行けば自分は母の望みどおりに「立派な兄弟」と言われるようになるだろう。でも自分の心がこの組織にはないことは自分によく分かっている。どうすればいいんだろう・・・。そう思うと自分が徐々に追い込まれていくのを感じた。それまでどおり会衆での仕事をこなしながらも、心の中は葛藤がうずまき、しだいに鬱状態になっていった。結局その気持ちが1年ほど前についにバクハツして今に至るわけだ。

数年前に家を建て今も家族で暮らしているが、正直言って父とはほとんど口をきかない。向こうも話しかけてこないのである意味「冷戦状態」である。自分は父に対して「失格者」の烙印を押している。それでも自分が父を評価している唯一の点は「JWの信仰」ゆえに家族を迫害したことがない、という点だ。彼がJWを辞めるように家族に迫った事はこれまで一度もない。まあそうなっていれば間違いなく家族はバラバラになっていただろうが。

今後も自分はおそらく父の事を理解してやることはないと思う。向こうも自分のやってきたことを思えばこちらに多くを望むこともないだろう。でも長男として彼の再期には死に水を取るつもりだ。それがいつになるかは分からないが、長男としての自分の責任を果たそうと思っている。

                                    了
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父との事①

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自分の父親について書くのは家の恥を晒すようで気が引けるが、自分として避けては通れない話なので書くことにする。

父は自分が中学の頃にJWを辞めた。詳しい経緯は知らないが、何でも独身の頃に東京で勉強を始めて一度辞め、そしてそれを何度か繰り返して、結局バプを受けたのは結婚後だった。

彼の生い立ちはかなり不幸なものだったらしい。祖父(彼の父)は、その地域で手広く商売などをしているいわば「名士」のような存在であり、父も初めはお坊ちゃんのような身分だったらしいが、やがてその商売が傾くと祖父は家族を捨てて別の女の人と暮らし始めた。当然父とその母親はたちまちにして困窮し、ある時など父は妾宅(と言ってしまっていいと思うが)に出かけ、父の前に土下座して生活費を無心したこともあったという。

まあ一概には言えないかもしれないがそんな生活がきっと父の性格を歪めてしまったのだろう。当人は「聖書を知らなければきっと自分は犯罪者にでもなっていただろう」と言っていた。

そんな父もやがて結婚した。母は結婚後にJWのもとで聖書を勉強し始め、父より先にバプを受けた。父もその後で受けたのだが・・・まあその生活ぶりはとても他の信者に言えないようなものだった。何故JW信者の家にタバコの箱が置いてあるのか、大量の酒瓶が転がっているのか子供心に不思議だった。父は仕事から帰ると浴びるように酒を飲み、時には家の中を滅茶苦茶にし、よく母は僕を連れて母方の実家に逃げた。今なら間違いなくDV法に抵触するだろうし、今の自分だったらきっと自ら警察に電話していただろう。

後年母に「どうして父と結婚したのか?」と聴いたことがある。返ってきた答えは「かわいそうだったから」。そう言われた時は何だか虚しくなった。

だから正直に言ってJWに籍を置いていたとしてもちっとも幸せな家庭などではなかった。将来のパラダイスでの素晴らしい生活が待っている!などという話を聞くよりも「とりあえず今夜、何事もなく布団に入れるか」という事のほうが自分としては大事だった。

                                   続く
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ZARDのベスト

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ZARDのベストアルバム、その名も「Golden Best」が出たのでさっそく聴いてみた。どれも自分にとっては懐かしい曲ばかりでとても心が和んだ。

年代的に中学から高校という非常に多感な(と自分で言ってしまえば世話はないが)時期に流れていた歌声であり、自分にとって青春の曲というとまっさきに彼女のそれを思い出す。

恐らく同年代の人たちはカラオケで散々歌っていたのではないかと思うが、当時はJW生活真っ只中だった自分にはそんな事をする機会はなかった。なにしろ組織内では賛美歌以外の歌詞付きの歌は唱歌や浪曲などを除けばすべて「世の歌」ということで一括りされ、誰彼の歌が好きなどという話は若い信者同士でも憚られる・・・今はどうか分からないが少なくとも当時はそんな風潮があった。

だから自分も密かにZARDやらT-BOLANの曲を家で聴いていたくせに、会衆の年かさの兄弟姉妹たちの前では「クラシックが好きですねえ」などと優等生の発言をして彼らの心を満足させていたw

月並みな言い方だが、同い年の一般の人たちが普通にしているであろう恋や青春の思い出ともなるべきものを何一つまともに体験できない自分には、そうしてこっそり流行りの曲を聴くしか他に己の青春を感じる術はなかったように思う。

今更奪われた青春を無理して取り戻そうとは思わないが、せっかく心も体も自由の身になったのだから、人並みの人生の楽しみを少しずつ味わっていけたらと思う。
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プリンターから思う

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我が家の人間は自分を含めてどちらかと言えば機械には疎いタチで、たとえばパソコンを常時使っているのは自分だけである。

先日、妹に「プリンターを貸して欲しい」と言われた。何を刷るのか聞くと「会衆の割り当ての紙」との答え。そういえばここ1,2ヶ月プリンターを使っていなかったので嫌な予感がしたのだが・・・試し刷りしてみると案の定インクがキレイに出ない。仕方なくパソコンに繋いでクリーニングなどしたが一向に改善されず、結局新しいカートリッジを買ってくることになった。

もはやJWとは縁を切ったはずの自分が、家族のJW活動のために寒い中車を運転して家電量販店に向かっている・・・何となく矛盾も感じたが、でもこういうことはこれからも色々な場面で自分自身に求められてくるだろう。

その最たるものが冠婚葬祭。特に我が家の「葬」関連は今のところ父(元信者)が一手に担っている。しかし父が死ねばその葬儀の喪主を皮切りにして、親戚関係のそういったものについては自分が引き受けねばなるまいと思っている。

JW信者は「自分達に出来る部分は最大限協力して理解してもらう」というが、世の中そんなに甘くはない。葬式の一番肝心な部分ができない人間に理解を示してくれる人などそうそういないのだ。結局未信者の家族らが負担を背負うことになる。まあ肝心のJW信者自身は「自分達は信仰を守った!」と悦にいっているのだがw

それにしてもJWにいると「やらなくて済んでラッキー♪」などと本心では思いながら「自分には信仰があるからできません!」と言って一方的に拒否できてしまう事が結構あるものだ。そう思うと自分は随分とラクな人生を歩んできたんだな、と今更ながら感じている。
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サングラス

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JWを離れてからというもの外出の際には必ずサングラスをかけるようになった。とは言っても別に急に色気付いたわけではない。

この街には自分と関わりを持ってはならない、あるいは自分のことを見れば不快な気分を催すであろう100人以上の人間がいる。

しかしこちらも組織を去ったとはいえ日常生活は今までとおり営まねばならない。当然店舗や道すがらで彼ら信者たちに出くわす事もあるだろう。

だからできるだけ周囲に気を配って“事故”を回避しようとはしているのだがそれも完璧にとはいくまい。その際裸目だと万一視線が合ってしまったらもうどうしようもないが、サングラスをしていればこちらは「気付かなかったふり」ができる。

そして相手も「サングラスしてたからよく分からなかったけど…」と己に言い聞かせて“今のはなかったこと”にできるのではないか、と思ったのだ。

正直に言ってサングラスをするのは不愉快だ。まるで自分のしたことを恥じているようで。でも…やむなく僕を視野に入れなければならない人たちの感情を全く無視するわけにはいかない。

あと何年、あるいは何十年かしてこちらの風貌が代わり、彼らが僕と見分けが付かなくなるまで続けるしかない。

自分のために、そして100人の清き人たちのために。
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