JW脱出計画(進行中)

エホバの証人2世(現在不活発)の思いをつらつらと・・・

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血の話

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JWと聞いて多くの人がまず頭に思い描くのはやはり「輸血拒否」の事になるのではないだろうか。

かなり前にはなるが輸血拒否したために我が子を失った信者の話がテレビドラマの題材になったりするほど、この問題は世間の興味を引くものになっている。

ただ面白いのは「一般の人が思っているほどJW信者は輸血拒否を深刻に考えていない」という事だ。

というか、JW信者は輸血と医療に関して結構無知なのである。

通常、1月初旬になるとJW信者は「血のカード」の書き換えをする。

「血のカード」は「医療上の事前の宣言および免責証書」というのが正式な名前。というのは折りたたむとちょうど名刺大の大きさになる紙製のカードで、要は信者以外の人に対して「自分は輸血を断固拒否します!」という意思表示を表すためのカード。

つまりJW信者は毎年このカードを更新することによってその有効性を確実なものにしているわけである。

そして普段からこのカードを首から提げたり財布に入れておいて、万一事故などに遭って自分の意識がない時にこのカードを見つけてもらい、勝手に輸血されないように気を付けている。

最近では医療側の方も裁判沙汰になることを恐れて患者がこうしたカードを持っていないかよく調べるらしい。聞いた話では出産のために入院した女性にもこうしたことを確認したそうで。

このように言わば自分の命に関わる内容なわけだから、さぞかし信者たちもこのカードを書くときは真剣なのだろうと思われるかもしれないが、実情はそうでもない。

たとえばこのカードを作成する時には保証人の名前を書く欄があって通常2名の長老(指導的な立場の人)のサインをもらう必要があるのだが、ある時には何人もの信者たちが自分の「お気に入りの」長老にサインを貰おうと集会場を走り回ったりしていたwこうなると小さなイベントのようなものである。

さらに普段はほとんど考えることのないせいか、この日が近づくと慌てて輸血に関する知識を勉強し出す人も多い。というのも「輸血」が禁止と言っても「全ての輸血」が禁止されているわけではなく、「臍帯血輸血」など暗黙のうちにOKになっているものもあったりしてかなり分かりづらい。血のカードに付随する書類にはこういう点について事細かに自分の意志を書かなければいけない部分もあるのでその日に備えて付け焼刃的に勉強し出すのである。

というわけで、実はJW内部においては輸血に関しては一般の人が思っているほど懊悩しているわけではないというお話。

このテーマについてはまた書いていきたいと思う。



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JW信者にとって一番キツイのは子供時代

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タイトルが既に結論になってしまっているが、要はそういうことである。

人間の人格形成にとって最も大切とされる子供時代にJWの掟の中で暮らすのは大人になってからこの教えの元で生きるのを志すより何十倍も大変なのである。

経験者が言うのだから間違いはないw

最近のニュースでも政府が学校の教職員に国旗敬礼を強要していることが問題になっているが、JWの子供は国旗・国歌どころか校歌すら歌わないよう親から命じられているのである。(親を通して神が命じている、というべきかw)

何百人もの同窓生たちが大声で校歌を歌っている中で、たった一人口を噤んでいるというのは精神的にかなりのプレッシャーになる。

さらにこの時期開かれる運動会でも「棒倒し」や「騎馬戦」といった暴力的な競技はご法度。これもかなり目立つし周囲の視線は痛い。

加えてクリスマス会やクラスで開かれるお誕生日会なども×となれば・・・いわゆる学校行事の多くはJWの子供にとって苦しみ以外の何物でもないということになるのである。

そうやってクラスの友達や教員の好奇の(あるいは軽蔑の)目に晒されながら高校まで合わせれば12年間過ごさねばならないというのは正直言ってかなり過酷である。

いい事と言えば週3回の信者同士の集まりの席で大人の信者たちからちょっと誉められることぐらい。

この組織ではとにかく「お互いを誉める事」が奨励されている。たとえ虫の好かない相手であってもここぞという時は顔に作り笑顔を浮かべ誉めそやす。そうやって組織の指示に従っている自分に満足している信者も少なくない。

子供は敏感だ。そんな取り繕った上辺だけの態度はすぐに見抜く。そして、しだいに無気力な人間になっていくのである。この組織でやっていくのには信仰心も神への愛も必要ない。上辺だけ「良い信者」を装えばとりあえずいいのである。

最後は少し横道に逸れたが、JWの子供に生まれるということはかなりキツイ子供時代を送る事を覚悟しなければならないというお話。
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外から見る、ということ

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JWと袂を分かってから自分がまず始めた事、それは

「JWを外から眺める」

ということだった。

実際、多くの元信者の方がそうなのではないだろうか。比較的高い年齢でこの宗教を信じるように親等から命じられた人ならばそこまでする必要はないのかもしれないが、自分のように物心付いた時からどっぷりと漬かってきた人間にとっては、「自分の常識」とはいわば「JW内での常識」に他ならない。

もしそのままの状態でいわゆる「この世」(JW信者以外の人の住む一般社会)で生活しようとすると、頭では「もうあの教えに縛られなくていいんだ」と分かっていても、生活の至る所で「JW内での常識」で物事を判断してしまって、かなり苦労することになると思う。

たとえば一番分かりやすいのは「異性への接し方」。

JWではたとえ気になる異性が目の前に現れたとしても、一般の社会のようにその相手を「恋人」にしよう!とすることはできない。

信じられないかもしれないがJW内で異性とお付き合いしたりできるのは「その相手と婚約がほぼ成立した後だけ」なのだ。だから何人かの異性と付き合ってその中から自分にふさわしいと思える相手を見つける・・・という「この世」の中では(そして人間としても)至極当たり前の行為は「非常識」と見なされる。逆にそういうことをしようとする信者は「淫らな人間」として白眼視されるだけなのである。

でも考えてみるとこの組織では基本的に男女が二人きりで会うことは禁じられているのだからそういった状況が生じること自体かなり少ないとも言える。ちなみに二人きりで会えないのだから当然キスやその他の身体的な接触はタブー。つまり結婚するまで「お預け」である。

では結婚してからそういった身体的な点でお互いの「相性が合わない」といった事が生じたらどうするのか?そういう場合JWでは「お互いの愛で補い合う」ように勧められる。要は我慢しろということ。

もしそういった理由で「離婚したい」と思ってもできないし、何らかの理由(相手が暴力を振る、養ってくれない)を見つけて離婚に漕ぎ着けたとしても、その二人はその後一生独身を通さなければならない。なぜか?

なぜならもしそのうち片方が再婚しようものならその人は自動的に新しい伴侶と「淫行」(要は不倫)したのと同じ扱いになるからである。つまりJWでは前の伴侶が死なない限り、その人が新しい相手と結婚することは許されないのである。

こういった点だけを見ても、この組織にいた人間が一般社会の常識を自分の常識にするのがいかに大変か分かっていただけるのではないか。だからこそ最初に書いたように、JWを離れた人間がこの組織のことを「外から見る」つまり「ああ、自分がいた組織ではこういう風に教えていたけど社会では違うんだな」と客観的に見られるように頭を切り替えないといけないのである。

少々長くなってしまったがJWの洗脳被害の苦労を拭い去るのは並大抵ではないというお話。
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