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JW脱出計画(進行中)

エホバの証人2世(現在不活発)の思いをつらつらと・・・

あの頃を思い出す

2009-06-08 01:23:08 | Weblog
最近、村上春樹の「1Q84」を読み始めたらその中に○ウムや○マギシと並んでJWも登場してきたのでちょっとビックリしました。まだ全部読んでいないので何とも言えませんが、話の本筋にはあまり関係なさそうです。

※以下、小説の内容に触れます。念のため。

主人公の一人が子供の頃に学校で庇った女の子がJW(小説内では「証人会」と表現)の信者だったとの事。子供ならではの純真さで親に押し付けられた宗教の教えを守っているがために孤立しているという設定からして過去の自分そのまんまという感じでちょっと笑えました。

僕自身のことを思い返してみても小・中学生の頃はJWの教えにこれっぽっちの疑問も抱いていませんでした。もちろん完璧に実践できていた訳ではありませんが、いつも周りの同級生を滅びから救えたらいいのに…と考えていた気がします。

そう考えるとJWにとって信者はいつまでも「子供」のままでいてくれるのが理想なんでしょうね。表向きは「自分の頭で理解して信じなさい」と言っておきながら。

今までJWのやってきた事と○ウムがやってきた「洗脳」とは違うような気がしていたんですが、やはりどちらも変わらないのだと改めて思いました。

自分たちの教義にとって邪魔なものを一切遠ざけさせて比較するものを奪い、「考える力を奪う」あるいは「考える余地を奪う」というのがJWの手口なんですね。

ただ、悲しいかなあの頃が自分にとって今までの人生で一番「まともな」時期だったのは事実です。周囲の人とも普通に接することが出来ましたし毎日が生きていてそれなのに楽しかった。自由はかなり制限されていたのに。

それにひきかえ今は…心も体も自由なはずなのに生きていて楽しいと思える時間は本当に少ない。人に心を開くのが怖い。

僕はきっと壊れてしまいました。自分の人生を終わりにする度胸がないので何もなければあと何十年かは生きるでしょう。でも何かの弾みで急に人生が終わりを迎えてもあまりガッカリはしないと思います。

虚しい日々。いっそニートにでもなればいいけど親が哀れでそれも出来ない。親もこんな息子を持って迷惑だとは思いますがそこは産んだ責任を果たして一生苦しむしかないのでしょう。

何で産まれてきた?自分は。死にたいというより消えたい。そんな考えが時々頭をもたげます。

いくら努力しても生来のネガティブ思考は消えないものですね。今、JWの教えに疑問を少しでも抱いている若い人がいたら、とにかく一刻も早く組織から出る手段を考えて下さい。

学生ならば生活をJWの親に依存している人が多いと思いますが、まずは助けてくれそうな一般人の親戚の方とかはいないか探してみて下さい。

親が変わるのを待とうなんて考えないほうがいいです!自分自身の人生をまともなものにしたいのならとりあえず自分だけが助かる方法を優先させて下さい。

僕みたいに20代後半になるまでズルズルと続けていたら、先々かなり厳しいと思います。人生いつでもやり直しが効くとは言いますがそれにも限界はあります。

勿論JWを出ても必ず幸せになれる保証はありません。でも若ければ若いほど「自分の人生を自分で決めてそれに伴う責任を取る」という事を学べる機会を沢山得られ、結果として軌道修正をするチャンスが増えます。これはJWではまず学べない事です。年を取ってから組織を抜けた場合このチャンスが少ないために僕のように行き当たりばったりの人生を歩む可能性が高くなります。

一人でも沢山の人にJWに人生を台無しにされない事を願いたいと思います。

分かってはいけないのだけれど・・・

2009-05-31 23:01:57 | Weblog
大学教授殺人事件で捕まった卒業生の男がいましたが、彼が「自分を変えたい」と悩んでいたという報道を目にして考えさせられました。

「自分を変えたい」と願っている人は大勢いると思いますが、もしかしたら彼はそれが自分一人の力では出来ない事に気付いて絶望的な気持ちになったんじゃないかと思います。

でも結局そんな事に気付いても世の中から振るい落とされるだけなんですけどね。僕らが住んでいるのは弱い人間に一人一人手を差し伸べてくれる世の中じゃない。

彼がした(かもしれない)事は理不尽極まりない事なわけですが、でも「誰かに」そのやるせいない怒りを向けてしまう自分を抑えられなかったんじゃないかと思います。

僕の場合はその怒りの矛先を父に向けています。今もです。さすがに手を掛ける事はないと思いますが。

でも彼の気持ちが少し分かってしまう自分が情けないというか怖い気もします。

このところ「嫌な夢」を見ます。「悪夢」ではないんですが「嫌な夢」です。奉仕や集会に出ている夢です。そしてそこで苦しくて仕方ないのに愛想笑いしながら信者達と接してるんです。

まだあそこから逃れられていないんですね。いっそ27歳までの記憶がすっかり無くなってくれればと思います。

言葉に縛られる

2009-05-22 23:10:12 | Weblog
「言霊」という言葉があります。

言葉に霊力なるものがあるとは思えませんが、人の言葉に「支配」されやすい人というのは世の中にいます・・・ここに(泣)

営業の仕事をしていた時に上司から「キミは何があっても絶対にお客さんのせいにしない人だね」と言われたことがありました。

当時はまだ入社したてで自分の担当さえ持っておらず、しかもその上司の人というのは本社の方で普段の僕の事など知らないはずなのですが、そう言われてしまうと何だか自分はそういう人間に「ならなければいけない」気がして、後々かなりプレッシャーになりました。

また別の上司からは「営業マンは○石屋さ○まみたいにならなきゃダメだ!」と言われ、そうかと思いとにかくお客さんの前で喋るようにしましたが、あまりに普段の自分とのギャップがあり過ぎてキツイ思いをしました。

・・・つまりは営業に向いていなかったというのが手っ取り早い結論ではありますね。また別の見方をすれば僕には「自分というものが無い」とも言えるかもしれません。この記事を書くことで今の自分の状況をどこかで人のせいにしようとしていたのかもしれませんが、考えてみれば自業自得ですねえ。

何だか日々の反省が増すだけの記事になってしまいましたw




曝け出したい、でも曝け出せない

2009-05-22 22:48:38 | Weblog
もう5月も終わりですね。

前回の記事を読んでいかに当時自分が病んでいたかと考えると恐ろしくなりました^^;

おばあさんとは亡くなる数ヶ月前に一度フラリと会いにいったきりでお別れとなってしまい、情けない気持ちで一杯です。あんなに可愛がってくれたのに。

おそらく自分はこれからもたくさんの別れを経験していくでしょう。その度におばあさんに感じたような気持ちを抱くのかと思うと不安になります。

だったら今から人との関係を密にするよう努力していけばいいのでしょうが、ここ何年かの自分は人との関係を非常にドライなものにしようとばかりしてきましたのでこれが意外と難しい。

はっきり言えば「自分の見せたい部分しか見せない」ように生きてきました。だから自分を曝け出す事が怖い。上手にできる人はその辺りの使い分けができるのかもしれませんが不器用な僕には全てを見せるか隠すかのどっちかしかできないんです。

それにいま無理をして全てを晒そうとすると、かろうじて繋ぎ止めている自分の中の何かがダメになってしまう気もします。

まだまだ病み病みな日々は続きそうです。

みんな死んでいく

2009-03-31 22:32:45 | Weblog
先日、祖母が亡くなりまして。入院はしていたもののすぐにどうこうという状態ではなかったのでそのあまりに急なお別れにいまだに実感が湧かずにいます。

通夜から葬儀まで参加してきたんですが、まずは喪主である叔父と通夜の打ち合わせのために坊さんの所へ一緒に行ったんですが、特に故人の話をするではなく極めて事務的に打ち合わせして、最後にしっかりと「料金」の話をされた時には正直白けました。

通夜ではその坊さんがお経を上げたわけですがもちろん何言ってるのか分からず、坊さんも本気で読んでくれてるようには聞こえず、こんなのに20数万も払うのか?と思うとおばあさんの死が金儲けに利用されてるようで悲しくなりました。「葬式仏教」とは良く言ったものです。

翌日には初めて葬儀の席というものに出たわけですが、仰々しく飾られた祭壇や会場を見て「こんな事してもおばあちゃんは喜ばないだろうな・・・」とつくづく思いました。

信仰心ゼロながら見よう見まねで焼香もしてみましたが、本当に形だけで、こんなこと一体誰のためにやっているんだろうと思うと何だか虚しく、その後も何言ってるのか分からないお経を聞きつつ係りの人の指示に合わせて合掌したり頭を下げたり・・・最後にはどうでもよくなってきてしまいました。

こんなにバタバタしなければ、もっとおばあちゃんの事を思い出したりできたかもしれないのに。つくづく葬式なんて無駄だと思いました。亡くなった後にどんなにお金を掛けてお祭りしても何の意味もないですね。生きているうちにもっとしてあげられる事があったのだろうな、と自分の不甲斐なさを恥じています。

それにしてもこれで祖父母は皆亡くなりました。「順番」というと変かもしれませんがいよいよ自分の親たちの代になりました。こうやってみんな死んでいくんですね。

そういう事を考え込んでもこの流れに乗っているしかない以上はどうしようもないので深く考えずにいたいと思います。