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JW脱出計画(進行中)

エホバの証人2世(現在不活発)の思いをつらつらと・・・

仕事

2009-08-22 01:40:27 | Weblog
勤めて半年程経った今の職場ですが、このまま続けるべきか真剣に悩んでいます。

理由はあまりに不規則な勤務時間と、社長のやり方の乱暴さです。

まず時間について言えば、仕事が立て込んでいる時に残業するのは当たり前だしそれを拒否する気はありません。ただ、この会社では忙しい時以外にも社長の機嫌を損ねぬよう毎日意味なく会社に残らねばならないのです(どちらもサビ残)。そんなわけで平均するとだいたい毎日3時間は残業してます(もちろんサビ残)。

その時間をたとえば自分のための勉強等に当てればいいのかもしれませんが、毎日となるとさすがに厳しいものがあるし虚しい。

二つ目の社長のやり方、というのは多岐に渡るんですが、たとえば休みの予定を前日になっていきなり変える事。これも社長の気分一つでコロコロ変わるので全く予定が立てられないのが現状。

小さな会社というものの性なのかもしれませんが、毎日振り回され過ぎている気がしてならない。

いまや求人倍率がとんでもない低水準であることが分かってはいるんですが、あまりの激務に先日も体調を崩してしまい苦労したので、かなり悩んでいます。

仕事があるだけ有難いと割り切るべきなのか、自分の体のことを優先すべきなのか。

難しい決断を迫られそうです。

「神」を選ぶ

2009-08-01 23:19:32 | Weblog
このところ狂ったように忙しい日々を送っていて、書きたいことがあってもブログを開く気力が起きませんでした。

最近こんな言葉を聞きました。

「自分に幸福をもたらさない神は、自分の神ではない」

まさに至言だと思いました。

「神」という言葉を聴いてあの「神」しか思い浮かばないというのは元JW信者の悲しい性と言えるかもしれません。

JWから離れてもう自分にはいかなる「神」も必要ない!と意気込んでいたわけですが、辛いことがあったりすると何か「すがれる」存在が欲しいと感じてしまう自分が未だにいます。

中学の頃に国語の教師に「神に頼る人間は弱い人間だ」と言われたことがあり、その時は自分もまだ「現役」でしたので聞き流していましたが、

今思えばその教師の言ったことは真実かもしれないと思うようになりました。

JWを去ってからも色々な神について調べた時期がありました。特に崇拝したいと思ったわけではなく、JWの頃の教わっていた「偽りの神々」というのが本当はどういうものなのだろうかという興味本位からです。

特に頼りたいと思える神はいませんでした。

ただ、歴史が好きなのでその関係で仏像に興味があり、そういうものを見ることでちょっと癒されることはあります。実を言えばこれは小さい頃からそうで、いけないと思いつつも寺社仏閣やそこに奉られる仏像に心惹かれていました。

ここで「自分に幸福をもたらさない神は、自分の神ではない」という言葉に戻るわけですが、自分にとって「神」というのはその程度の存在でいいのかもしれないなと思います。ちょっと心惹かれたり癒されたりさせてくれればいいわけで、

何も過酷な修行をさせたり、夏の暑い中無理やり子供の手を引っ張って相手が頼みもしないのに人ん家のドアを開けさせたりするのを強制する神は自分にとって必要じゃなかったと思います。勿論、そういう事をさせる神が好みだと言う人がいればそれに文句を言う気はありませんが。

万が一今後「神」が欲しいと思う時が来たとしたら、そんな無理せず付き合っていける存在を選びたいと思いますがとりあえずは今は要りませんw

中身、じゃないんですか?

2009-07-16 23:09:35 | Weblog
うちの母は声が大きいので聞くとはなしに聞こえた話なんですが、

会衆のある姉妹が、集会を休みがちな自分の娘さんを夏の大会に連れてくると言っていたらしいんですが、どうもその娘さんは茶髪であるらしく、

それが気に入らない母は「連れてくるのはいいけどあの髪で連れてくなんて信じられないわ」みたいは事を言ってました。

何だかJWというのは時代が変わっても同じような事ばかり拘ってますね。

大事なのは外見よりも中身だって言ってるのはあなた方じゃないんですか?「内面が外見に出る」というけれど、外面ばかり飾って中身は外の世界の人と同じかそれ以下のような人間だって組織にはいっぱいいるのに・・・。

茶髪にすると堕落してるとか色付きのYシャツ着て集会来るなとかスリット(?)の入ったスカートは良くないとか、本当にどうでもいいです^^;

バカバカしいですね、本当に。こういう話を聞く度にJWの中というのはつくづく空っぽだなと思います。


心境の変化

2009-07-15 22:24:01 | Weblog
うまく書けるか自信が無いんですが、最近の自分の心の変化について書いてみます。

今までは、たとえば誰かに怒られた時に、それがたとえ状況的に理不尽な事だとしても、「自分が全部いけないんだ。申し訳ない」と思わなくてはいけないと感じていました。

でもやっぱり理不尽な理由で怒られたとしたら「心の中では」悔しく思ったり相手を恨んだりしてしまうもの。でもそういう事を感じてしまう自分が許せなくてどんどんと自分を追い込んでいました。

思えばこれも「心の中を見通せる神」に怯えてきた日々の後遺症かもしれません。

それが最近は同じようなシチュエーションの際には「何だよ、このヤロー」と心の中では相手に舌を出しながら、態度では「すいませんすいません」と使い分けることができるようになりました。

これができるようになってから自分の中でストレスを溜める事が減ってきたように思います。

逆に言えば「小癪な人間」になってしまった、という事になるのかもしれませんが、眠れぬ夜を過ごすよりはマシだと最近は割り切っています。

それにしてもこんな事でいままで思い悩んできたのかと思うと恥ずかしい限りです。

夜型

2009-07-13 00:00:17 | Weblog
決め付けてはいけないかもしれませんがJW信者には所謂「夜型人間」が多いんじゃないかと思います。

まあ、平日のうちに2日は夜に集会があって、それが無い日は集会の準備に時間を取られ、休日は休日で日中は布教活動をやらされ、その夜ともなれば家族での聖書研究を強いられ…という事になれば好奇心旺盛な子供たちが自分の趣味や好きな事をできる時間て家族が寝静まった深夜くらいしかなかったですからね。

かくして「親が寝てる時間=自由な時間」という図式が成り立つわけです。

とはいえ「たとえ親の目が無くても一晩中、というか四六時中僕たちを見張ってる目がある」教えられていたので、始めのうちはあまり大それた事はできず、

せいぜい学校で友達から借りたゲームボーイを「消音モード」にして布団の中で野球ゲームしたり、

図書館で借りてきた本を懐中電灯の灯りを頼りに読んだりするくらいでした。

そのうち多少大胆になるとこっそりテレビの深夜放送を見たりするようになりました。これは男としてあらゆる意味で学ぶ事が多かったと思います(笑)

そんなわけですっかり「夜は起きてなきゃ損!!」という考えが身に付いてしまったせいで大人になってからも始終寝不足に悩まされてきました。

しかし30歳を過ぎて(遅すぎですが)流石にこのままでは不味いと思い、最近はできるだけ寝る時間を確保するように心掛けています。

やはり睡眠が足りていると気持ちにゆとりができていいですね。別によく寝てるからと言って仕事ができる人間になれるわけではないと思いますが、

自分なりに改善できることは改善していって、少しでも社会のお荷物の立場から脱却したいです。