JW脱出計画(進行中)

エホバの証人2世(現在不活発)の思いをつらつらと・・・

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それは寛容さじゃない

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先日テレビでアメリカの「アーミッシュ」と呼ばれる聖書の教えを厳格に守る人達の事をやっていまして。確かハリソン・フォードが出てた映画で彼らのコミュニティーの中で生活しているうちに未亡人と恋に落ちるみたいな内容のがあったので「ああ、あの人たちか」という感じで見ていました。

詳細な点は省きますが個人的に一番感銘を受けたのは「子供達は16歳になるとそのまま信仰を守るか一般社会に出て行くかの選択ができる」というシステムがあるという事です。

その決定の仕方というのが真に合理的(?)で、それまでコミュニティー内で聖書の教えを叩き込まれ、規則にがんじがらめにされていた子供達にいきなり酒や遊び等のあらゆる楽しみを一定期間与えた上で判断させるのだそうです。

ただその番組が言うには「子供達の9割は元の生活を選んでコミュニティーに戻る」と言っていました。でも裏を返せば1割の子供達は、その先に苦労はあるものの自由を得て社会に出て行く事ができるわけです。

今更願っても詮無い事ですが、もしJWにこのシステムがあったらどれだけ沢山の若者が精神疾患やその他のあらゆる苦しみから解放されるだろうなと思いました。まだあの中にいた頃、僕はそういう人達を何人も見てきました。

親のため、生活のため、やむを得ずJWに居つづけざるを得ないものの、傍から見ても心身共にボロボロな人達・・・。そしてそういう人達に「個人研究が足りない」だの「世の事を考え過ぎてる」だのと、アドバイスという名の「感情の強制」を喰らわすベテラン信者者・・・。そのせいでどれだけの人達が地獄絵図のような毎日を送っていた事か。

しぶとくJWに残るには余程の馬鹿(失礼!)でないと自分の感情が保てなくて無理ないのではないかと、組織を出た後によく思ったものです。

そう言えばそのベテラン達は己らの宗教がいかに寛容かを折に触れてぐだぐだと言っていましたが、本当の寛容さとはアーミッシュの人達のやっているようなものじゃないかと思えてなりませんでした。

日本も宗教の自由は結構ですが、信仰の強要は是非とも憲法で禁止して欲しいとつくづく思います
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