現在、自分が営業という仕事をしていて感じるのは「とにかく世の中では結果を残さなければダメなんだ」という事です。勿論一般の人から見れば至極当たり前の話なのかもしれませんが物心付いたときからJWに身を置いていた人間からするとこれを本当の意味で理解するのに時間がかかったのは事実です。逆に言えばJWでは結果というものはあまり重視されない世界だったと思います。
その最たる例が「開拓者」と呼ばれる人たちの存在ですね。
ご存知のように開拓者というのは1年間のうちに組織の要求する奉仕時間を「費やす」という事を求められている人たちです。そのために彼らはあの手この手で奉仕時間を「費やす」ための策を講じています。
でも、例えば何人の人を組織に加入させたとか、何十件の家で機関誌を受け取ってもらったとか、そういった面で何かを要求されているわけではない。営業用語で言えば「活動時間の報告」は求められているけど「売上げ実績の計上」に関してはとやかく言われないわけです。ですから何年も開拓者やっているのに一人も信者を導いていない・・・としても彼らは気に病む必要はありません。たとえ「ご新規さん」を獲得したってそれは個々の実績ではなく全て「神のお導き」として処理されるわけですからw
それでも自分は開拓奉仕をしています!と言ってさえいれば組織内では一定の評価を得て立派な人間として認められる・・・そういう意味では開拓者というのは非常に楽なポジションだと思います。
でも聖書なんかにはイエスの、あるいはパウロの話を聞いて何千人がバプテスマを受けた、という表現がよく出てくることからも分かるようにJWでは「実績」も非常に重要視している事は事実です。でなければ洗礼を受けた人数なんてイチイチ書く必要ないわけですからね。
だからあの組織の人たちもみんな気付いているはずです。いくら「最初の一軒目方式」を利用したり、ガソリンを大量に消費してわざわざ遠隔地にある家を訪れたりして奉仕時間を引き延ばすことで組織の要求を果たしても、信者の一人も獲得できない開拓者というのは意味がない存在だということを。
彼らの活動が役立つのは年に一度機関誌に載せるJWの年間統計の「活動時間」の項目を増加させる時だけwそれ以外はいてもいなくても同じだと思う。でもそんな事を実績のない信者たちに実感させたら莫大な量の単なる無職人間を世の中に送り出すだけなのでとにかく「開拓者」という名前を与えて彼らを飼い慣らしているのではないかと。
まあかつて自分もそんな人間の一人だったわけですがね^^;
先日とある県のとある宗教施設で暴行殺人事件がありましたが、こういうことが続けば今後この日本でも新興宗教に対する風当たりは強くなっていくことでしょう。今のような税金の優遇措置のようなものもなくなるかもしれない。その時に今のような大量の無職同然の人間を抱えているJWが持ちこたえれるかどうか分かりませんね。組織は今のうちに「仕事のできない」開拓者を「世俗の仕事」に就くよう奨励して収入の道を確保したほうがいいと思います。
こんな組織を後世に残したいならばの話ですがw
その最たる例が「開拓者」と呼ばれる人たちの存在ですね。
ご存知のように開拓者というのは1年間のうちに組織の要求する奉仕時間を「費やす」という事を求められている人たちです。そのために彼らはあの手この手で奉仕時間を「費やす」ための策を講じています。
でも、例えば何人の人を組織に加入させたとか、何十件の家で機関誌を受け取ってもらったとか、そういった面で何かを要求されているわけではない。営業用語で言えば「活動時間の報告」は求められているけど「売上げ実績の計上」に関してはとやかく言われないわけです。ですから何年も開拓者やっているのに一人も信者を導いていない・・・としても彼らは気に病む必要はありません。たとえ「ご新規さん」を獲得したってそれは個々の実績ではなく全て「神のお導き」として処理されるわけですからw
それでも自分は開拓奉仕をしています!と言ってさえいれば組織内では一定の評価を得て立派な人間として認められる・・・そういう意味では開拓者というのは非常に楽なポジションだと思います。
でも聖書なんかにはイエスの、あるいはパウロの話を聞いて何千人がバプテスマを受けた、という表現がよく出てくることからも分かるようにJWでは「実績」も非常に重要視している事は事実です。でなければ洗礼を受けた人数なんてイチイチ書く必要ないわけですからね。
だからあの組織の人たちもみんな気付いているはずです。いくら「最初の一軒目方式」を利用したり、ガソリンを大量に消費してわざわざ遠隔地にある家を訪れたりして奉仕時間を引き延ばすことで組織の要求を果たしても、信者の一人も獲得できない開拓者というのは意味がない存在だということを。
彼らの活動が役立つのは年に一度機関誌に載せるJWの年間統計の「活動時間」の項目を増加させる時だけwそれ以外はいてもいなくても同じだと思う。でもそんな事を実績のない信者たちに実感させたら莫大な量の単なる無職人間を世の中に送り出すだけなのでとにかく「開拓者」という名前を与えて彼らを飼い慣らしているのではないかと。
まあかつて自分もそんな人間の一人だったわけですがね^^;
先日とある県のとある宗教施設で暴行殺人事件がありましたが、こういうことが続けば今後この日本でも新興宗教に対する風当たりは強くなっていくことでしょう。今のような税金の優遇措置のようなものもなくなるかもしれない。その時に今のような大量の無職同然の人間を抱えているJWが持ちこたえれるかどうか分かりませんね。組織は今のうちに「仕事のできない」開拓者を「世俗の仕事」に就くよう奨励して収入の道を確保したほうがいいと思います。
こんな組織を後世に残したいならばの話ですがw