Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

絶対的信頼

2021年11月14日 | 日記
 先日、久しぶりにハプニングがあり、冷や汗をかいたことがありました。その日、今まで在宅で何時間もかけて準備してきた研修の、しかもその集合研修日の当日に栃木から東京まで電車で向かう際、途中到着が間に合わないという状況がおこり「ああ、もうだめだ!神様助けてください!と祈りました。一方で、「間に合わなかったら、それはこの研修の修了・資格保持ができなくとも、私の将来の方向には差し支えないのかもしれない。自分の計画が通らなくても、神様にゆだねよう」と、ふと冷静に思いました。そして待っている間に夫に電話し窮状を訴えると「大丈夫、間に合うよ、祈っているから」と励まされ、その後なんとかタクシー乗り場まで走り込み、会場の受付に開始3分前に到着。無事に研修が受けられほっとし、感謝でした。次回は前の日から東京の実家に泊まることにします。

 いちいち夫に電話しなくとも自分一人やればよいのですが、何か起こったときは夫に助けを求められること、特にその場で祈ってもらえることは心強く、幸いです。しかし、夫が人間である限り、物理的に体は一つしかないし、空間的にいつも共にいるわけではなく、また助けたくても助けられない状況がある、つまり限界があることは承知しています。結局、独りで立ち向かわなければならないという状況は必ずあり、独身でも既婚でも、皆同じだと思います。

 私は今まで、神様により多くの危険から守られ、助けられてきました。日本でもどこにいてもそうですが、特にアメリカで独りで生活していた時は、いま振り返ると「よく、無事だったなあ」と思うほど、無茶をしていたと思うことがあります。アメリカでは一部の一般人が銃をどこでも持ち歩いているという点で、怖い面があります。治安の悪いフィラデルフィア中心部やニューヨークで、タクシーも乗れず夜中に路面電車や地下鉄で帰宅したこともあり、また危機的状況の中で誰からも助けが得られず、自分独りで対応せざるを得ないこともありました。しかし、どんな時も神様が共にいて下さったから、独りではない、神様が守っていてくれるという信仰が与えられ、実際安全が保たれ、本当に感謝であり、またこれからもどんな状況になろうとも、神様がいるから大丈夫だという絶対的信頼を持てます。

 使徒パウロは当時、私たちが想像も及ばないほど多くの危険や困難な目に会い、それでもキリストの福音を伝えるために、ローマで殉教するまで宣教活動をしていたことが聖書にしるされています。下記のみことばのように、彼の実体験を伴う神様への信頼はとても重みがあり、このことを信じるすべての人に、この神様の愛が及ぶということが記されています。死でさえも、私たちを神様の愛から引き離すことはできません。ただ、私たちがこの信仰を持ち続ける必要はあります。信仰とは、神様に対する絶対的信頼であるとも言えます。世の中に絶対というものはないですし、相対的なことばかりですが、神様に関しては絶対という形容詞を使えます。信仰もプレゼントですから、まだ信じられないという思いであれば、求めれば不思議と与えられます。「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。 」(ローマの信徒への手紙15章13節)とあるように、この信仰によって、状況に左右されない救いの喜びと平安が私たち一人ひとりの心を日々満たすように、祈っていきたいと思います。

「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。 」 ローマ信徒への手紙8章38-39節