先日、私の友人で中国の方に、中国には還暦のお祝いはあるのかを聞きました。すると中国では親を敬うのは大切なことで、子供は大人になったら親の誕生日、母の日、父の日などにはプレゼントをあげ、彼女の家の場合、還暦や古希の祝いには10段のケーキを用意して大勢でお祝いをすると聞き、驚きました。もちろん、中国と言ってもその地方ごとに、また個々の家族ごとに差はあると思いますが、親を大切にすることの表れとして素晴らしいことだと思いました。また、この度還暦を迎えるという韓国の友人は、子ども達がハワイ旅行に招待してくれるそうです。今は人生100歳時代とも言われるようになりましたが、ひと昔は、どの国でも60年健康に生きられるということは、お祝いに値する長寿だったのだろうと思います。
私は恥ずかしながら、旅行には沢山一緒に行きましたが、費用を自分が負担して旅行に連れていけたことがない娘です。考えてみると、私は親にいくつになっても頼っているところがあり、親に対して孝行が足りないといつも思わされます。では、何か大人になって両親のためにしたかというと、父の仕事で必要なパソコン関係のことは遠隔で手伝ったりはしてきましたが、その他特に何もせずに過ごしてしまいました。還暦のお祝いもしませんでした。一方私の夫は、必ず親に対しての誕生日、母の日、父の日、クリスマスにプレゼントを送る習慣があります。私は結婚前までは母の日くらいにカーネーションを送るくらいでした。しかし、たとえ私が良い娘でなくとも、孝行どころかいつも心配をかけ、ふらふらしていた不肖の娘であっても、私の両親は親として私を愛し続けてくれていることは、本当に自分が年を重ねれば重ねる程感謝しています。
聖書では、「父と母を敬え」というのは大事な十の戒めの一つとして書かれいます。それが人として大切なことであり、その命令には「但し、こういう親ならば敬わなくてもよい」のような、但し書きもないのです。つまり、たとえ良い親でなくても、親である限りは子は親を敬えという意味です。一方「父たちよ、あなたがたも、子どもたちをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」*とも書いてあります。つまり、親は自分の子どもだからといって、自分の感情に任せて怒ったり、暴力を振るったり、支配してはならず、教育し、しつけをして育てる義務があるのです。
昨今の悲しいニュースは子供が親に虐待されて命を奪われること、もしくはそのトラウマでその子が大人になって子供を持っても、自分が子どもの時親から扱われたように、自分の子どもを扱うという負の連鎖になってしまうことがあることです。また私が介護関係の仕事をしていた時に、親子関係が良好でなく、親が認知症などにより酷い状態で独りで暮らしていても、その子どもたちは最低限しか関わろうとしないケースもみてきました。一方で、両親の介護のため一生懸命に、愛をもって介護される子供たち、配偶者の方々もおられます。
良好な親子関係、夫婦関係を保つには努力が必要です。しかし様々な事情、環境により限界があります。ではどうしたらよいでしょうか。まずは人間を愛し、人間同士も互いに愛し合ってほしいと願われる神様を信じ、その上で神様がそう命じるならそれがベストだと、その通りに従おうとすることを目指すのが良いのではないかと思います。たとえそれが感情的に不可能でも、神様に願って愛する心を与えて頂き、やろうとする。そうすれば、その関係の中にどんなトラウマ、困難があったとしても、不可能は可能になるケースを多くの方々から観て、諦めずに、それが自分を含めてすべての人々に起こると信じて願っています。
「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」出エジプト記20章12節
*エペソ人への手紙6章4節
私は恥ずかしながら、旅行には沢山一緒に行きましたが、費用を自分が負担して旅行に連れていけたことがない娘です。考えてみると、私は親にいくつになっても頼っているところがあり、親に対して孝行が足りないといつも思わされます。では、何か大人になって両親のためにしたかというと、父の仕事で必要なパソコン関係のことは遠隔で手伝ったりはしてきましたが、その他特に何もせずに過ごしてしまいました。還暦のお祝いもしませんでした。一方私の夫は、必ず親に対しての誕生日、母の日、父の日、クリスマスにプレゼントを送る習慣があります。私は結婚前までは母の日くらいにカーネーションを送るくらいでした。しかし、たとえ私が良い娘でなくとも、孝行どころかいつも心配をかけ、ふらふらしていた不肖の娘であっても、私の両親は親として私を愛し続けてくれていることは、本当に自分が年を重ねれば重ねる程感謝しています。
聖書では、「父と母を敬え」というのは大事な十の戒めの一つとして書かれいます。それが人として大切なことであり、その命令には「但し、こういう親ならば敬わなくてもよい」のような、但し書きもないのです。つまり、たとえ良い親でなくても、親である限りは子は親を敬えという意味です。一方「父たちよ、あなたがたも、子どもたちをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」*とも書いてあります。つまり、親は自分の子どもだからといって、自分の感情に任せて怒ったり、暴力を振るったり、支配してはならず、教育し、しつけをして育てる義務があるのです。
昨今の悲しいニュースは子供が親に虐待されて命を奪われること、もしくはそのトラウマでその子が大人になって子供を持っても、自分が子どもの時親から扱われたように、自分の子どもを扱うという負の連鎖になってしまうことがあることです。また私が介護関係の仕事をしていた時に、親子関係が良好でなく、親が認知症などにより酷い状態で独りで暮らしていても、その子どもたちは最低限しか関わろうとしないケースもみてきました。一方で、両親の介護のため一生懸命に、愛をもって介護される子供たち、配偶者の方々もおられます。
良好な親子関係、夫婦関係を保つには努力が必要です。しかし様々な事情、環境により限界があります。ではどうしたらよいでしょうか。まずは人間を愛し、人間同士も互いに愛し合ってほしいと願われる神様を信じ、その上で神様がそう命じるならそれがベストだと、その通りに従おうとすることを目指すのが良いのではないかと思います。たとえそれが感情的に不可能でも、神様に願って愛する心を与えて頂き、やろうとする。そうすれば、その関係の中にどんなトラウマ、困難があったとしても、不可能は可能になるケースを多くの方々から観て、諦めずに、それが自分を含めてすべての人々に起こると信じて願っています。
「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」出エジプト記20章12節
*エペソ人への手紙6章4節