Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

ウクライナ支援のバザー

2022年05月03日 | 日記
 GWが始まり、初日は嵐のように激しい雨が降りましたが、2日目は良いお天気となりました。その日、茨城県土浦市にある教会でウクライナ支援のためのバザーを開催するということで、私たちは少量の物品を持参して参加しました。ここ数年の間コロナ禍でイベントの開催がされていなかったので、教会で行うバザーに参加するのは久しぶりでした。この売上金が少しでもウクライナの戦禍にある人々の支援に役立てばと願っています。
 
ロシアによる侵略戦争として、ウクライナの惨状が毎日のように報道され、心が痛み、平和への祈りを続けています。一方、メディアに報道されないだけで、世界では他の国々でも内戦が続き、人々が苦しんでいます。私たちの教会関係の友人はアフリカのカメルーンという国の出身で、日本に宣教師として来ている夫と共に日本に在住しています。彼女の国は植民地時代の名残による内戦が続いており、同じ国民同士が残虐な殺し合いをしており、その見せてもらった写真には、ぼかしなしの死体がたくさん写されていて、衝撃的な映像でした。国連も、関与していません。また、ウクライナでの戦争が始まる以前から続くミャンマーの軍事政権の状況は、報道されなくなりました。私たちは、世界で起こっているすべてのこと全てを把握できません。どんなにインターネットが普及していても、報道統制があり一部だけなのです。
 
 聖書に「預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、 わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。 完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。」*としるされています。完全なものが来た時には、部分的なものが廃れるとあります。しかし、いつまでも残るものがあり、それは信仰と希望と愛だと記されています。

私が今生きている時代も過去も、情報が開示されている部分しか知ることができず、ましてや未来を知ることはできません。一部のことしか把握できないし、日々新しい情報と入れ替わっていき、それらに信ぴょう性があるかも疑問です。しかしながら、どんなに時代が変わろうとも、この体が滅びようとも、私の魂が持ち続けられることは神様への信仰、希望、愛であり、そしていつか部分的にしかわからなかったことがすべて知られるようになるという、この神様の約束が与えられているのは幸いです。この愛は神様の愛であり、感情に左右されてしまう人間の愛ではありません。神様の愛は無償で与える愛、忍耐する愛、柔和な愛であり、私は自分の持ち前の気質で表すことは困難です。日々、部分的な情報や自分のその時の感情に支配されないように心がけ、神の言葉である聖書を読み、平和を祈りつつ、すべてのことにおいて、そこに愛はあるのかと、神様の導きを求めて過ごせたらと願います。

「わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」コリント信徒への手紙1 13章12-13節

*コリント信徒への手紙1 13章8-10節