先日、カスタマーサービスの人に当たってしまいました。原因は、4年使っていたPCがうまく作動しないため、新しいPCを購入ししたのですが、それも初期セットアップが上手くいかず、購入したお店や、カスタマーサービスに電話で問い合わせました。しかし、それから何度も、部署が違うからかけなおすようにと言われ、4度目の方に「何度もたらいまわしにされているんです。その部署に転送してもらえないんですか?」と当たってしまいました。もちろん、相手はそれができないので「申し訳ございません。とにかくこの番号にかけなおしてください」の一辺倒。しかし、私の心は、そのイライラを4度目の人に言葉に出した時点で罪悪感がこみ上げ、5度目の人に電話をかけた時は心をおちつかせ、結局、問題はスムーズに解決しました。最初からこの5度目に担当した方に対応してもらっていたら。。と思ったりもしますが、そうはいかないのが現実です。
私は忍耐がなく、穏やかに対処できず、きつい言葉を相手に言ってしまうことがある性質を自覚しています。ましてや以前、2ヶ月間だけ携帯電話会社の電話によるカスタマーサービスの仕事をした時に、何度も理不尽な当たられ方をしたり、怒鳴られたり、2度とこの仕事はしないと思った一方、この手の仕事に従事している人に、色々事情があったとしても決してきつい言葉を言ってはいけないと思っていたのです。4度目のカスタマーサービスの人は、私が何度も電話をかけ、たらいまわしにされていることは知らないし、その人の責任でもないのに本当に申し訳なかったと思います。次回から気をつけなければと。
聖書の教え「愛は寛容であり、…怒らず、いらだたず、人のした悪を思わず…全てを耐え忍ぶ…」*ということを頭に叩き込もうとしてきましたが、やはりまだまだ自分の感情を治めることが出来ません。自分の思う通りにスムーズに事が進まないと、つい文句や、きつい言葉を発し、穏やかに話すことができなくなってしまいます。もしくは、その場は何も言わず、黙っていたとしても、後から「こう、言えばよかった。。。」と頭の中で議論をしている自分がいるのです。私の心の中には、ある状況に陥ると、戦う欲望にスイッチが入ることを認めざるをえません。本当に、なんと惨めなのか、これでも信仰を持ったクリスチャンなのか?と。しかし、こんなダメな自分のために、キリストが代わりに十字架にかかり、罰を負ってくれたのだと。何度も赦してもらって、申し訳ないのですが、赦してもらえる恵みと憐みにすがるしかない私です。そして、赦してもらうだけでなく、心を変えて下さいと祈ります。
「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなた方のからだの中で戦う欲望が原因ではありませか。」 聖書:ヤコブの手紙4章1節
*聖書:第一コリント人への手紙13章4-7節