弁護士法人四谷麹町法律事務所のブログ

弁護士法人四谷麹町法律事務所のブログです。

有期契約労働者が正社員と同じ待遇を要求する。

2014-08-21 | 日記

有期契約労働者が正社員と同じ待遇を要求する。

1 問題の所在
 有期契約労働者の労働条件は個別労働契約又は就業規則等により決定されるものであり,正社員と同じ待遇を要求することは認められないのが原則です。しかし,有期契約労働者が正社員と同じ仕事に従事し,同じ責任を負担しているにもかかわらず,単に有期契約というだけの理由で労働条件が低くなっているような場合には,「期間の定めがあることによる不合理な労働条件の禁止」を定めた労契法20条に違反,正社員と同じ待遇を要求することができるのではないかが問題となります。
(期間の定めがあることによる不合理な労働条件の禁止)
 労契法20条 有期労働契約を締結している労働者の労働契約の内容である労働条件が,期間の定めがあることにより同一の使用者と期間の定めのない労働契約を締結している労働者の労働契約の内容である労働条件と相違する場合においては,当該労働条件の相違は,労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下この条において「職務の内容」という。),当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して,不合理と認められるものであってはならない。

2 労契法20条の趣旨
 労契法20条は,使用者に対し,有期契約労働者と無期契約労働者の間の均等待遇を義務づけるものではありません。また,条文の表題からも明らかなように,労契法20条は,有期契約労働者と無期契約労働者との間で「期間の定めがあることによる」不合理な労働条件の相違を設けることを禁止する趣旨の規定であり,期間の定めを理由としない労働条件の相違については射程の範囲外です。
 基発0810第2号平成24年8月10日「労働契約法の施行について」でも,「法第20条は,有期契約労働者の労働条件が期間の定めがあることにより無期契約労働者の労働条件と相違する場合,その相違は,職務の内容(労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度をいう。以下同じ。),当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して,有期契約労働者にとって不合理と認められるものであってはならないことを明らかにしたものであること。」「したがって,有期契約労働者と無期契約労働者との間で労働条件の相違があれば直ちに不合理とされるものではなく,法第20条に列挙されている要素を考慮して『期間の定めがあること』を理由とした不合理な労働条件の相違と認められる場合を禁止するものであること。」とされています。

3 労契法20条の禁止内容
 ア 期間の定めがあることにより同一の使用者と期間の定めのない労働契約を締結している労働者の労働契約の内容である労働条件と相違する場合においては,
 イ 有期契約労働者と無期契約労働者との間の労働条件の相違は,
   ① 労働者の業務の内容
   ② 当該業務に伴う責任の程度
   ③ 当該職務の内容(=①+②)及び配置の変更の範囲
   ④ その他の事情
を考慮して,不合理と認められるものであってはならないとされています。
 有期契約労働者と無期契約労働者との間の労働条件の相違が期間の定めを理由としている場合に初めて労契法20条違反が問題となりますので,訴訟や労働審判においては,有期契約労働者と無期契約労働者との間の労働条件の相違が不合理と認められるものかどうかだけでなく,有期契約労働者と無期契約労働者との間の労働条件の相違が期間の定めを理由としたものかについても問題となります。
 ①労働者の業務の内容,②当該業務に伴う責任の程度,③当該職務の内容及び配置の変更の範囲,④その他の事情は,それぞれ独立した要件ではなく,不合理性を判断する上で考慮される要素です。
 比較の対象となる「無期契約労働者」は正社員とは限らず,正社員以外に無期契約労働者がいる場合は,無期契約労働者が比較の対象となることも考えられます。また,労契法20条は,同一の使用者に雇用されている有期契約労働者と無期契約労働者との間の労働条件の相違に関する条文ですから,使用者が異なれば比較の対象にはなりません。
 不合理性の解釈にあたっては,「本条の『不合理と認められるものであってはならない』とは,有期契約労働者の労働条件が無期契約労働者の労働条件に比して単に低いばかりではなく,法的に否認すべき程度に不公正に低いものであってはならないとの趣旨を表現したものと解される。」(『労働法(第十版)』235頁)との有力な見解があります。

4 労契法20条違反の効果
 労契法20条は,違反の効果について「不合理と認められるものであってはならない。」と規定しており,使用者の行為規範としての性質を有することは明らかであり,使用者と労働組合との間の団体交渉等で活用されることが予想されますが,本条違反の効果について明確に規定されていないこともあり,裁判規範たり得るかについては検討を要します。
 本条が使用者の行為規範として作用する以上,同条に違反した場合に使用者が不法行為法上の義務違反ないしは労働契約上の債務不履行が認められ,他の要件を充たせば損害賠償責任を負う可能性があるとまではいえるものと思われます。問題は,本条に違反した労働条件を無効と解すべきか否か,無効となるとすると,無効とされた労働条件はどのような内容となるのかです。
 この点,平成24年8月10日付け基発0810第2号「労契法の施行について」は,「法第20条は,民事的効力のある規定であること。法第20条により不合理とされた労働条件の定めは無効となり,故意・過失による権利侵害,すなわち不法行為として損害賠償が認められ得ると解されるものであること。法第20条により,無効とされた労働条件については,基本的には,無期契約労働者と同じ労働条件が認められると解されるものであること。」としています。しかし,立法の際参考にされた特許法35条が,まずは3項において従業員等は一定の場合に「相当の対価の支払を受ける権利を有する。」と定めた上で,同条4項において「契約,勤務規則その他の定めにおいて前項の対価について定める場合には,対価を決定するための基準の策定に際して使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況,策定された当該基準の開示の状況,対価の額の算定について行われる従業者等からの意見の聴取の状況等を考慮して,その定めたところにより対価を支払うことが不合理と認められるものであつてはならない。」と定めているのとは異なり,労契法20条には,特許法35条3項に相当する条項(一定の労働条件を請求する権利を有する旨直接規定した条項)が存在しません。また,本条は,無効となった労働条件をどのように補充するのかについて具体的に規定しておらず,労働協約,就業規則,労働契約の解釈により,無効となった労働条件を補充する労働条件を導き出すことができる事案であれば,有期契約労働者は,当該労働条件の無効及びあるべき労働条件を主張立証していけばよいとも考えられますが,無効となった労働条件を補充する労働条件を導き出すことができない場合は,同条に違反した場合の労働条件を直ちに無効としてしまうと,不合理ながらも存在していた労働条件に関する合意すら効力がなくなってしまい,かえって有期契約労働者にとって不利益となりかねません。正社員等の無期契約労働者の労働条件が職務内容等に照らし高過ぎるような場合には,有期契約労働者の労働条件を引き上げたらかえって不合理に高い労働条件になってしまいますので,有期契約労働者の労働条件を引き上げるのではなく,不合理に高い労働条件となっている無期契約労働者の労働条件を引き下げた方が合理的な場合もあり得ます。
 労契法20条違反の効果に関しては,「労働条件分科会での議論をみれば,本条は,訓示規定にとどまるものではなく,私法上の効力をもつことを想定して構想されたといえる。つまり,『不合理』と認められた労働条件の定め(労働協約,就業規則,労働契約)は無効とされよう。」としつつ,「不合理性の判断に際して比較対象となった無期契約労働者の労働条件を定める就業規則等の基準が存しており,その合理的な解釈によって同基準を有期契約労働者にも適用できるような場合でなければ,無効と損害賠償の法的救済にとどめ,関係労使間の新たな労働条件の設定を待つべきであると考える。」(『労働法(第十版)』238頁~239頁)との有力な見解が存するところですが,本条違反の効果について明確に規定されていない以上,本条は単なる訓示規定に過ぎず,本条違反の労働条件も無効とはならないという解釈も成り立ち得るところです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

賃金減額に応じない社員の対応方法

2014-08-21 | 日記

賃金減額に応じない。

1 賃金減額の方法
 賃金減額の方法としては,
 ① 労働協約の締結
 ② 就業規則の変更
 ③ 個別合意
によることが考えられます。

2 労働協約の締結による賃金減額
 労働組合との間で賃金に関する労働協約を締結した場合,それが組合員にとって有利であるか不利であるか,当該組合員が賛成したか反対したかを問わず,労働協約で定められた賃金額が労働契約で定められた賃金額に優先して適用されるのが原則です(労組法16条)。したがって,労働者が賃金減額に反対していたとしても,当該労働者が加入している労働組合との間で賃金を減額することを内容とする労働協約を締結すれば,賃金を減額することができます。労働協約の規範的効力が及ぶ範囲は原則として組合員との範囲と一致し,労働協約締結後に組合員となった者にも組合加入時から労働協約の規範的効力が及びますが,労働組合を脱退した場合には離脱の時点から労働協約の規範的効力は及ばなくなります。労働協約が締結されるに至った経緯,当時の会社の経営状態,同協約に定められた基準の全体としての合理性に照らし,同協約が特定の又は一部の組合員を殊更不利益に取り扱うことを目的として締結されたなど労働組合の目的を逸脱して締結されたものである場合には,その規範的効力を否定され(朝日海上火災保険(石堂・本訴)事件最高裁平成9年3月27日第一小法廷判決),賃金減額の効力が生じません。
 労働協約締結による賃金減額の効力が及ぶのは,原則として労働協約を締結した労働組合の労働組合員に限られることになりますが,労働協約には,労組法17条により,一の工場事業場の4分の3以上の数の労働者が一の労働協約の適用を受けるに至ったときは,当該工場事業場に使用されている他の同種労働者に対しても右労働協約の規範的効力が及ぶ旨の一般的拘束力が認められており,この要件を満たす場合には,賃金減額に反対する未組織の同種労働者に対しても労働協約の効力を及ぼし,賃金を減額することができます。労働協約によって特定の未組織労働者にもたらされる不利益の程度・内容,労働協約が締結されるに至った経緯,当該労働者が労働組合の組合員資格を認められているかどうか等に照らし,当該労働協約を特定の未組織労働者に適用することが著しく不合理であると認められる特段の事情があるときは,労働協約の規範的効力を当該労働者に及ぼし,賃金を減額することはできません(朝日海上火災保険(高田)事件最高裁平成8年3月26日第三小法廷判決)。少数組合に加入している組合員に対しては,労組法17条の一般的拘束力は及びません。
 具体的に発生した賃金請求権を事後に締結された労働協約により処分又は変更することは許されません(香港上海銀行事件最高裁平成元年9月7日第一小法廷判決)。
 労働協約を締結することができない場合や労働協約の効力が及ばない労働者の賃金を減額する方法としては,就業規則変更又は個別同意による賃金減額が考えられます。

3 就業規則の変更による賃金減額
 就業規則の変更により賃金を減額する場合は,就業規則の不利益変更に該当するため,就業規則の変更が有効となるためには,以下のいずれかの場合である必要があります。
 ① 労働者と合意して就業規則を変更したとき(労契法9条反対解釈)
 ② 変更後の就業規則を周知させ,かつ,就業規則の変更が,労働者の受ける不利益の程度,労働条件の変更の必要性,変更後の就業規則の内容の相当性,労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるとき(労契法10条)
 ①に関し,「就業規則の不利益変更は,それに同意した労働者には同法9条によって拘束力が及び,反対した労働者には同法10条によって拘束力が及ぶものとすることを同法は想定し,そして上記の趣旨からして,同法9条の合意があった場合,合理性や周知性は就業規則の変更の要件とはならないと解される。」(協愛事件大阪高裁平成22年3月18日判決)との見解が妥当と思われますが,労働者の同意があれば合理性や周知性は就業規則の変更の要件とはならないとの見解に立ったとしても,合意の認定は慎重になされるのが通常であるため,労働者が就業規則の変更を提示されて異議を述べなかったといったことだけでは不十分であり,最低限,書面による同意を取る必要があります。また,合理性に乏しい就業規則の規定の変更については,書面による同意を取ったとしても,労働者の同意があったとは認定されないリスクが高いものと思われます。
 ②に関し,賃金,退職金など労働者にとって重要な権利,労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更については,当該条項が,そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合において,その効力を生ずるとされています(大曲市農協事件最高裁昭和63年2月16日第三小法廷判決)。
 具体的に発生した賃金請求権を事後に変更された就業規則の遡及適用により処分又は変更することは許されません(香港上海銀行事件最高裁平成元年9月7日第一小法廷判決)。

4 個別合意による賃金減額
 個別合意よりも社員に有利な労働条件を定めた労働協約,就業規則が存在する場合には,それらの効力が個別合意に優先するため(労組法16条,労契法12条),個別合意だけでは賃金減額の効力は生じず,労働協約,就業規則を変更して初めて賃金減額の効力が生じることになります。
 個別合意よりも社員に有利な労働条件を定めた労働協約,就業規則が存在しない場合は,個別合意により賃金減額の効力が生じることになりますが,賃金減額に対する社員の同意の認定は慎重になされることが多いため「口頭」での同意では同意なしと認定されるリスクが高いものと思われます。賃金減額に対する社員の同意は「書面」で取るようにして下さい。
 「既発生の」賃金債権の減額に対する同意の意思表示は,既発生の賃金債権の一部を放棄することにほかなりません(北海道国際空港事件最高裁平成15年12月18日第一小法廷判決参照)。労基法24条1項に定める賃金全額払の原則の趣旨に照らせば,既発生の賃金債権を放棄する意思表示の効力を肯定するには,それが社員の自由な意思に基づいてされたものであることが明確でなければなりません(シンガーソーイングメシーン事件最高裁昭和48年1月19日第二小法廷判決参照)。既発生の賃金債権を放棄する意思表示が,社員の自由な意思に基づいてされたものであることが明確なものではなく,社員の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在したということができない場合には,既発生の賃金債権を放棄する意思表示としての効力を肯定することはできません。
 「未発生の」賃金債権の減額に対する同意についても「賃金債権の放棄と同視すべきものである」とする下級審裁判例もありますが,「未発生の」賃金債権の減額に対する同意は,労働者と使用者が合意により将来の賃金額を変更した(労契法8条参照)に過ぎず,賃金債権の放棄と同視することはできないのですから,通常の同意で足りると考えるべきであり,それが労働者の自由な意思に基づいてなされたものであることが明確であることまでは要件とされないものと考えます。
 北海道国際空港事件最高裁平成15年12月18日第一小法廷判決が,「原審は,上告人が平成13年7月25日に減額された賃金を受け取り,その後同年11月まで異議を述べずに減額された賃金を受け取っていた事実によれば,同年7月1日にさかのぼって賃金が減額されることも,上告人はやむを得ないものとしてこれに応じたものと認めることができると認定した。すなわち,原審は,上告人が平成13年7月25日に同月1日以降の賃金減額に対する同意の意思表示をしたと認定したのであるが,この意思表示には,同月1日から24日までの既発生の賃金債権のうちその20%相当額を放棄する趣旨と,同月25日以降に発生する賃金債権を上記のとおり減額することに同意する趣旨が含まれることになる。しかしながら,上記のような同意の意思表示は,後者の同月25日以降の減額についてのみ効力を有し,前者の既発生の賃金債権を放棄する効力は有しないものと解するのが相当である。」と判示し,未発生の賃金債権の減額に対する同意の意思表示の効力を肯定しているのは,既発生の賃金債権の減額(放棄)に対する同意の意思表示の効力を肯定するための要件と未発生の賃金債権の減額に対する同意の意思表示の効力を肯定するための要件を明確に区別し,未発生の賃金債権の減額に対する同意の意思表示の効力を肯定するための要件としては,それが労働者の自由な意思に基づいてなされたものであることが明確でなければならないことを要求していないからであると考えられます。

5 定期昇給凍結
 就業規則に一定額・割合以上の定期昇給を行う義務が定められている場合に定期昇給を凍結するためには,定期昇給を凍結する旨の労働協約を締結するか,定期昇給を凍結する旨就業規則の附則に定める等の就業規則の変更が必要となります。
 労働協約を締結できず,定期昇給を凍結する旨の就業規則の変更に関し同意が得られない場合は,就業規則変更により一方的に労働条件の変更をせざるを得ませんが,その合理性(労契法10条)の有無が問題となります。
 就業規則に一定額・割合以上の定期昇給を行う義務が定められておらず,使用者に定期昇給の努力義務が課せられているに過ぎない場合は,定期昇給をしなくても法的問題はありません。

6 ベースアップ凍結
 ベースアップは労使交渉により特段の決定がなされない限り行う必要がありません。

7 賞与不支給
 個別労働契約,就業規則,労働協約で一定額・割合の賞与を支給する義務が定められていない場合には,使用者には賞与を支給する義務がないため,賞与を支給しなくても法的には問題がありません。
 一定額以上の賞与支給が労使慣行になっているとして賞与請求がなされることがありますが,労使慣行の成立が認められるケースは多くありません。民法92条により法的効力のある労使慣行が成立していると認められるためには,
 ① 同種の行為又は事実が一定の範囲において長期間反復継続して行われていたこと
 ② 労使双方が明示的にこれによることを排除・排斥していないこと
 ③ 当該慣行が労使双方の規範意識によって支えられていること
が必要であり,使用者側においては,当該労働条件についてその内容を決定しうる権限を有している者又はその取扱いについて一定の裁量権を有する者が規範意識を有していたことが必要です(商大八戸ノ里ドライビングスクール事件最高裁平成7年3月9日第一小法廷判決,同事件大阪高裁平成5年6月25日判決参照)。
 他方,一定額・割合の賞与を支給する義務が定められている場合は,賞与を支給する義務があります。就業規則の定めを変更して賞与不支給とする場合には,就業規則の不利益変更の問題となるため,就業規則変更の高度の合理性の有無が問題となります。

8 諸手当の廃止,支給停止
 賃金規程で定められた諸手当を廃止したり支給を停止したりする場合は,賃金規程を変更したり附則に支給を停止する旨定めたりする必要があり,就業規則の不利益変更の問題となります。

9 年俸額の引下げ
 年俸制を採用した場合に,年度途中で年俸額を一方的に引き下げることができるか,次年度の年俸額引下げを求めたところ合意が成立しない場合における次年度の年俸額がどうなるかは,当該労働契約の解釈の問題です。トラブルを予防するためにも,労働契約上明確にしておくべきでしょう。
 一般的には,年度途中で年俸額を一方的に引き下げることはできないケースが多いものと思われます。
 次年度の年俸額引下げを求めたところ合意が成立しない場合における次年度の年俸額については,使用者の提示額を超えては請求できないとされた裁判例,前年度実績の年俸額を支給すべきものとされた裁判例等があり,事案により結論が別れています。

10 休業時の賃金カット
 会社の業績が悪いことを理由とした休業がなされた場合は,通常は使用者の責めに帰すべき事由があると言わざるを得ないため,平均賃金の60%以上の休業手当を支払う必要があります(労基法26条)。
 労基法は労働協約,就業規則,個別合意に優先して適用されますので(労契法13条,労基法13条・92条),使用者の責めに帰すべき事由による休業がなされた場合における休業手当(労基法26条)の支払義務は,労働協約,就業規則,個別合意により排除することはできません。
 民法536条2項は任意規定であり特約で排除することができますので,民法536条2項の適用を排除し平均賃金の60%の休業手当のみを支払う旨の労働協約が締結された場合には,当該労働組合の組合員については,平均賃金の60%の休業手当を支払えば足ります。
 民法536条2項は任意規定であり特約で排除することができますので,民法536条2項の適用を排除し平均賃金の60%の休業手当のみを支払う旨就業規則や労働契約に定めた場合には,理論的には平均賃金の60%の休業手当を支払えば足りるはずですが,裁判所は,就業規則等による民法536条2項の適用除外について慎重に判断する傾向にあります。
 例えば,いすゞ自動車(雇止め)事件東京地裁平成24年4月16日判決は,休業手当に関し,就業規則に「臨時従業員が,会社の責に帰すべき事由により休業した場合には,会社は,休業期間中その平均賃金の6割を休業手当として支給する。」と定められている事案において,「被告は,本件休業に係る休業手当額を平均賃金の6割にすることについては,第1グループ原告らとの間の労働契約及び臨時従業員就業規則43条により,その旨の個別合意が存在し,この合意は本件休業の合理性を基礎付ける旨主張する。しかし,上記の規定は,労働基準法26条に規定する休業手当について定めたものと解すべきであって,民法536条2項の「債権者の責めに帰すべき事由」による労務提供の受領拒絶がある場合の賃金額について定めたものとは解されないから,被告の上記主張は,その前提を欠くというべきである。」 と判示しており,民法536条2項の適用除外を認めていません。
 就業規則や労働契約により民法536条2項の適用を排除するためには,単に休業期間中は平均賃金の60%の休業手当を支払うとだけ就業規則や労働契約に規定するのではなく,民法536条2項の適用を排除する旨明確に規定しておくべきでしょう。もっとも,就業規則や労働契約に民法536条2項の適用を排除する旨明確に規定したとしても,就業規則の合理性や合意の効力が問題とされる可能性は残されています。
 少数組合の組合員など労働協約の効力が及ばない社員に対し平均賃金の60%の休業手当を超えて賃金を支払う必要があるかどうかについては,従来,民法536条2項の「使用者の責めに帰すべき事由」の存否の問題として争われてきました。
 例えば,いすゞ自動車事件宇都宮地裁栃木支部平成21年5月12日決定は,使用者が労働者の正当な(労働契約上の債務の本旨に従った)労務の提供の受領を明確に拒絶した場合(受領遅滞に当たる場合)に,その危険負担による反対給付債権を免れるためには,その受領拒絶に「合理的な理由がある」など正当な事由があることを主張立証すべきであり,その合理性の有無は,具体的には,使用者による休業によって労働者が被る不利益の内容・程度,使用者側の休業の実施の必要性の内容・程度,他の労働者や同一職場の就労者との均衡の有無・程度,労働組合等との事前・事後の説明・交渉の有無・内容,交渉の経緯,他の労働組合又は他の労働者の対応等を総合考慮して判断すべきものとしています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

管理職なのに残業代を請求する。

2014-08-21 | 日記

管理職なのに残業代を請求する。

1 管理職 ≠「監督若しくは管理の地位にある者」(管理監督者)
 管理職であっても,労基法上の労働者である以上,原則として労基法37条の適用があり,週40時間,1日8時間を超えて労働させた場合,法定休日に労働させた場合,深夜に労働させた場合は,時間外労働時間,休日労働,深夜労働に応じた残業代 (割増賃金)を支払わなければならないのが原則です。
 当該管理職が,労基法41条2号にいう「監督若しくは管理の地位にある者」(管理監督者)に該当すれば,労働時間,休憩,時間外・休日割増賃金,休日,賃金台帳に関する規定は適用除外となるため,その結果,労基法上,使用者は時間外・休日割増賃金の支払義務を免れることになりますが,裁判所の考えている管理監督者の要件を充足するのは,本社の幹部社員など,ごく一部と考えられます。中小企業の場合,管理監督者の実態を有する管理職は,取締役とされていることも多いところです。
 通常は,管理監督者扱いとすることで残業代の支払義務を免れることができると考えるべきではありません。

2 管理監督者と深夜割増賃金
 管理監督者であっても,深夜労働に関する規定は適用されますので,管理職が管理監督者であるかどうかにかかわらず,深夜割増賃金(労基法37条3項)を支払う必要があることに変わりはありません(ことぶき事件最高裁平成21年12月18日第二小法廷判決)。

3 管理職からの残業代請求に対するリスク管理
 管理監督者としていた社員から労基法37条に基づく割増賃金の請求を受けるリスクを負いたくない場合は,管理監督者とする管理職の範囲を狭く捉えて上級管理職に限定し,その他の管理職は最初から管理監督者としては取り扱わずに残業代(割増賃金)を満額支給し,基本給や賞与等の金額を抑えることで,総賃金額を調整したほうが無難です。

4 管理職本人が残業代不支給に同意していたり,就業規則で管理職には残業代を支給しない旨定めたりした場合
 労基法で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は無効となり,無効となった部分については労基法で定める基準が適用されます(労基法13条)。したがって,就業規則等で管理職には残業代(割増賃金)を支給しない旨規定したり,管理職本人が残業代(割増賃金)不支給に同意したりしていたとしても,直ちに残業代(割増賃金)の支払義務を免れるわけではありません。

5 管理監督者の判断基準
 管理監督者は,一般に,「労働条件の決定その他労務管理について,経営者と一体的な立場にある者」をいうとされ,管理監督者であるかどうかは,
 ① 職務の内容,権限及び責任の程度
 ② 実際の勤務態様における労働時間の裁量の有無,労働時間管理の程度
 ③ 待遇の内容,程度
等の要素を総合的に考慮して判断されます。
 ①職務の内容,権限及び責任の程度を検討するにあたっては,労務管理を含む事業経営上重要な事項にかかわっているか,事業経営に関する決定過程にどの程度関与しているか,現場業務(管理監督以外の仕事)にどの程度従事していたか,他の従業員の職務遂行・労務管理に対する関与の程度,管理監督者として扱われている社員の割合等が考慮されます。
 ②実際の勤務態様における労働時間の裁量の有無,労働時間管理の程度を検討するにあたっては,タイムカード等による始業終業時刻管理の有無,欠勤控除の有無等が考慮されます。
 ③待遇の内容,程度を検討するにあたっては,役職手当や賃金の額が役職に見合っているか,社内における賃金額の順位,管理職になった後の賃金総額と管理職になる前の賃金総額との比較等が考慮されます。

6 従来の一般的な判断基準とは異なる判断基準を用いて管理監督者該当性を判断する見解
 『労働法 第十版』(菅野和夫著)340頁は,「近年の裁判例をみると,管理監督者の定義に関する上記の行政解釈のうち,『経営者と一体の立場にある者』,『事業主の経営に関する決定に参画し』については,これを企業全体の運営への関与を要すると誤解しているきらいがあった。企業の経営者は管理職者に企業組織の部分ごとの管理を分担させつつ,それらを連携統合しているのであって,担当する組織部分について経営者の分身として経営者に代わって管理を行う立場にあることが『経営者と一体の立場』であると考えるべきである。そして,当該組織部分が企業にとって重要な組織単位であれば,その管理を通して経営に参画することが『経営に関する決定に参画し』にあたるとみるべきである。最近の裁判例では,このような見地から判断基準をより明確化する試みも行われている。」としています。
 ゲートウェイ21事件東京地裁平成20年9月30日判決,プレゼンス事件東京地裁平成21年2月9日判決,東和システム事件東京地裁平成21年3月9日判決は,結論としてはいずれも管理監督者該当性を否定していますが「管理監督者とは,労働条件の決定その他労務管理につき,経営者と一体的な立場にあるものをいい,名称にとらわれず,実態に即して判断すべきであると解される(昭和22年9月13日発基第17号等)。」とした上で,具体的には,以下の①②③④の要件を満たすことが必要であるとしています。
 ① 職務内容が,少なくともある部門全体の統括的な立場にあること
 ② 部下に対する労務管理上の決定権等につき,一定の裁量権を有しており,部下に対する人事考課,機密事項に接していること
 ③ 管理職手当等の特別手当が支給され,待遇において,時間外手当が支給されないことを十分に補っていること
 ④ 自己の出退勤について,自ら決定し得る権限があること

7 平成20年9月9日基発第0909001号『多店舗展開する小売業、飲食業等の店舗における管理監督者の範囲の適正化について』
 平成20年9月9日基発第0909001号『多店舗展開する小売業、飲食業等の店舗における管理監督者の範囲の適正化について』は,下記のとおり,店舗の店長等の管理監督者性を否定する要素について整理しています。同通達の否定要素がなければ店舗の店長等の管理監督者性が肯定されるというわけではないことに留意して下さい。。

1 「職務内容、責任と権限」についての判断要素
 店舗に所属する労働者に係る採用、解雇、人事考課及び労働時間の管理は、店舗における労務管理に関する重要な職務であることから、これらの「職務内容、責任と権限」については、次のように判断されるものであること。
(1) 採用
 店舗に所属するアルバイト・パート等の採用(人選のみを行う場合も含む。)に関する責任と権限が実質的にない場合には、管理監督者性を否定する重要な要素となる。
(2) 解雇
 店舗に所属するアルバイト・パート等の解雇に関する事項が職務内容に含まれておらず、実質的にもこれに関与しない場合には、管理監督者性を否定する重要な要素となる。
(3) 人事考課
 人事考課(昇給、昇格、賞与等を決定するため労働者の業務遂行能力、業務成績等を評価することをいう。以下同じ。)の制度がある企業において、その対象となっている部下の人事考課に関する事項が職務内容に含まれておらず、実質的にもこれに関与しない場合には、管理監督者性を否定する重要な要素となる。
(4) 労働時間の管理
 店舗における勤務割表の作成又は所定時間外労働の命令を行う責任と権限が実質的にない場合には、管理監督者性を否定する重要な要素となる。
2 「勤務態様」についての判断要素
 管理監督者は「現実の勤務態様も、労働時間の規制になじまないような立場にある者」であることから、「勤務態様」については、遅刻、早退等に関する取扱い、労働時間に関する裁量及び部下の勤務態様との相違により、次のように判断されるものであること。
(1) 遅刻、早退等に関する取扱い
 遅刻、早退等により減給の制裁、人事考課での負の評価など不利益な取扱いがされる場合には、管理監督者性を否定する重要な要素となる。
 ただし、管理監督者であっても過重労働による健康障害防止や深夜業に対する割増賃金の支払の観点から労働時間の把握や管理が行われることから、これらの観点から労働時間の把握や管理を受けている場合については管理監督者性を否定する要素とはならない。
(2) 労働時間に関する裁量
 営業時間中は店舗に常駐しなければならない、あるいはアルバイト・パート等の人員が不足する場合にそれらの者の業務に自ら従事しなければならないなどにより長時間労働を余儀なくされている場合のように、実際には労働時間に関する裁量がほとんどないと認められる場合には、管理監督者性を否定する補強要素となる。
(3) 部下の勤務態様との相違
 管理監督者としての職務も行うが、会社から配布されたマニュアルに従った業務に従事しているなど労働時間の規制を受ける部下と同様の勤務態様が労働時間の大半を占めている場合には、管理監督者性を否定する補強要素となる。

3 「賃金等の待遇」についての判断要素
 管理監督者の判断に当たっては「一般労働者に比し優遇措置が講じられている」などの賃金等の待遇面に留意すべきものであるが、「賃金等の待遇」については、基本給、役職手当等の優遇措置、支払われた賃金の総額及び時間単価により、次のように判断されるものであること。
(1) 基本給、役職手当等の優遇措置
 基本給、役職手当等の優遇措置が、実際の労働時間数を勘案した場合に、割増賃金の規定が適用除外となることを考慮すると十分でなく、当該労働者の保護に欠けるおそれがあると認められるときは、管理監督者性を否定する補強要素となる。
(2) 支払われた賃金の総額
 一年間に支払われた賃金の総額が、勤続年数、業績、専門職種等の特別の事情がないにもかかわらず、他店舗を含めた当該企業の一般労働者の賃金総額と同程度以下である場合には、管理監督者性を否定する補強要素となる。
(3) 時間単価
 実態として長時間労働を余儀なくされた結果、時間単価に換算した賃金額において、店舗に所属するアルバイト・パート等の賃金額に満たない場合には、管理監督者性を否定する重要な要素となる。
特に、当該時間単価に換算した賃金額が最低賃金額に満たない場合は、管理監督者性を否定する極めて重要な要素となる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残業代込みの給料という約束で入社したのに残業代を請求する社員の対応方法

2014-08-21 | 日記

残業代込みの給料という約束で入社したのに残業代を請求する。

1 残業代 (割増賃金)は支払わない旨の合意の有効性
 残業代(割増賃金)の支払は労基法37条で義務付けられているところ,労基法で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は,労基法で定める基準に達しない労働条件を定める部分についてのみ無効となり,無効となった部分は労基法で定める労働基準となります(労基法13条)。したがって,残業させた場合であっても労基法37条に定める残業代を支払わないとする合意は無効となり,残業させた場合には労基法37条で定める残業代の支払義務を負うことになるため,残業代を支払わなくても異存はない旨の誓約書に署名押印させてから残業させた場合であっても,使用者は残業代の支払義務を免れることはできません。
 この結論は,年俸制社員であっても,変わりません。


2 残業代(割増賃金)に当たる部分を特定せずに月例賃金には残業代が含まれている旨の合意の有効性
 残業代(割増賃金)に当たる部分を特定せずに月例賃金には残業代が含まれている旨合意し,合意書に署名押印させていたとしても,時間外・休日・深夜割増賃金に当たる部分の額が労基法及び労基法施行規則19条所定の計算方法で計算された金額以上となっているかどうか(不足する場合はその不足額)を計算(検証)することができず,残業代(割増賃金)を支払わないのと変わらない結果となるので,労基法37条の規定する時間外・休日・深夜割増賃金の支払があったとは認められません。
 モルガン・スタンレー・ジャパン(超過勤務手当)事件東京地裁平成17年10月19日判決では,割増賃金に相当する金額が特定されていないにもかかわらず,基本給に残業代が含まれているとする会社側の主張が認められていますが,労働者が自らの判断で営業活動や行動計画を決めることができ,基本給だけで月額183万円超えている(別途,多額のボーナス支給等もある。)等,追加の残業代の請求を認めるのが相当でない特殊事情があった事案であり,通常の事例にまで同様の判断がなされると考えることはできません。


3 基本給や手当等に時間外・休日・深夜割増賃金を組み込んで支払う場合
(1) 賃金規程等の定め
 基本給や手当等に時間外・休日・深夜割増賃金を組み込んで支払ったといえるためには,基本給や手当等に時間外・休日・深夜割増賃金を組み込んで支払う旨の合意や賃金規程等の定めは最低限必要となります。「契約書の記載も賃金規程の定めも存在しないが,口頭で説明した。」では,基本給や手当等に時間外・休日・深夜割増賃金を組み込んで支払うことが労働契約の内容になっているとは認められないのが通常です。
(2) 時間外・休日・深夜労働させた場合の基本給等自体の金額の増額又は通常の労働時間・労働日の賃金に当たる部分と時間外・休日・深夜割増賃金に当たる部分との判別可能性
 時間外・休日・深夜労働させた場合に,基本給等自体の金額が増額されるのであれば,増額部分が時間外・休日・深夜割増賃金と評価することができますので,増額部分について労基法37条の規定する時間外・休日・深夜割増賃金の支払があったと認められます。
 また,通常の労働時間・労働日の賃金に当たる部分と時間外・休日・深夜割増賃金に当たる部分とを判別することができるのであれば,時間外・休日・深夜割増賃金に当たる部分の額が労基法及び労基法施行規則19条所定の計算方法で計算された金額以上となっているかどうか(不足する場合はその不足額)を計算(検証)することができますので,時間外・休日・深夜割増賃金に当たる部分について労基法37条の規定する時間外・休日・深夜割増賃金の支払があったと認められることになります。
(3) 通常の労働時間・労働日の賃金に当たる部分と時間外・休日・深夜割増賃金に当たる部分とを判別することができるといえるためには,労働契約において,何を明示する必要があるか
 テックジャパン事件最高裁平成24年3月8日第一小法廷判決櫻井龍子補足意見は,「使用者が割増の残業手当を支払ったか否かは,罰則が適用されるか否かを判断する根拠となるものであるため,時間外労働の時間数及びそれに対して支払われた残業手当の額が明確に示されていることを法は要請しているといわなければならない。そのような法の規定を踏まえ,法廷意見が引用する最高裁平成6年6月13日判決は,通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外及び深夜の割増賃金に当たる部分とを判別し得ることが必要である旨を判示したものである。」と結論付けています。この考え方に従えば,使用者が時間外・休日・深夜割増賃金を支払ったといえるためには,労働契約において,時間外・休日・深夜労働の「時間数」及びそれに対して支払われた時間外・休日・深夜割増賃金の「額」の両方が明確に示されていることが必要となります。
 しかし,使用者が割増の残業手当を支払ったか否かが,罰則が適用されるか否かを判断する根拠となるものであることから直ちに,使用者が割増の残業手当を支払ったといえるための要件として,時間外労働の時間数及びそれに対して支払われた残業手当の額の両方が明確に示されていることを法が要請しているという結論に結びつくものではありません。
 また,テックジャパン事件最高裁平成24年3月8日第一小法廷判決の法廷意見も,高知県観光事件最高裁平成6年6月13日第二小法廷判決も,使用者が割増の残業手当を支払ったといえるための要件として,時間外労働の時間数及びそれに対して支払われた残業手当の額の両方が明確に示されていることを要求していません。仮に,櫻井龍子補足意見の言うとおりであったとすれば,その旨,法廷意見の判旨から読み取れるはずです。補足意見自体は最高裁判例ではありません。
 したがって,定額(固定)残業代の支払により使用者が時間外・休日・深夜割増賃金を支払ったといえるためには,労働契約において,時間外・休日・深夜労働の「時間数」及びそれに対して支払われた時間外・休日・深夜割増賃金の「額」の両方が明確に示されていることが必須の要件となるものではないと考えます。
 もっとも,テックジャパン事件最高裁平成24年3月8日第一小法廷判決が,「月額41万円の全体が基本給とされており,その一部が他の部分と区別されて労基法37条1項の規定する時間外の割増賃金とされていたなどの事情はうかがわれないこと」を考慮要素の一つとして,月額41万円の基本給について,通常の労働時間の賃金に当たる部分と同項の規定する時間外の割増賃金に当たる部分とを判別することはできないものというべきであると結論付けていることからすれば,通常の労働時間・労働日の賃金に当たる部分と時間外・休日・深夜割増賃金に当たる部分とを判別することができるかの判断に当たっては,賃金の一部が他の部分と区別されて労基法37条の規定する時間外・休日・深夜割増賃金とされていることが重要な考慮要素となると考えられ,原則的には,時間外・休日・深夜割増賃金の「金額」を明示する必要があるものと考えます。
 時間外・休日・深夜割増賃金の「金額」さえ明示すれば,通常の労働時間・労働日の賃金に当たる部分と時間外・休日・深夜割増賃金に当たる部分とを判別し得るのですから,当該時間外・休日・深夜割増賃金が何時間分の時間外・休日・深夜労働の対価か(時間数)を明示することは必須の要件ではないと考えます。
 ただし,定額(固定)残業代が時間外・休日・深夜労働の対価であること(実質的にも時間外・休日・深夜割増賃金の趣旨で支払われる金額であること)を明らかにするためにも,当該金額が何時間分の時間外・休日・深夜労働を見込んで設定されたものかといった当該金額の算定根拠を説明できるようにしておくべきと考えます。
(4) 「基本給には,45時間分の残業手当を含む。」といったように,時間外・休日・深夜割増賃金の「金額」については明示せず,「時間外・休日・深夜労働時間数」のみを明示した場合,時間外・休日・深夜割増賃金の支払があったと認められるか
 時間数を明示しただけでも,方程式を用いれば,通常の労働時間・労働日の賃金に当たる金額と時間外・休日・深夜割増賃金に当たる金額を算定することができ,時間外・休日・深夜割増賃金に当たる部分の額が労基法及び労基法施行規則19条所定の計算方法で計算された金額以上となっているかどうか(不足する場合はその不足額)を計算(検証)することができることから,通常の労働時間・労働日の賃金に当たる部分と時間外・休日・深夜割増賃金に当たる部分とを判別することができるといえなくもありません。
 しかし,「45時間分の残業手当」が何円で,残業手当以外の金額が何円なのかが一見して分からず,45時間を超えて残業した場合にどのように計算して追加の残業代を計算すればいいのか分かりにくいことも多いところです。給与明細書・賃金台帳の時間外勤務手当欄・休日勤務手当欄・深夜勤務手当欄が空欄となっていたり0円と記載されていたりすることが多いため,残業代は支払済みと言ってみても説得力が今一つなこともあります。労基法上,通常の時間外労働の割増賃金単価(25%増し)は,深夜の時間外労働の割増賃金単価(50%増し)や法定休日労働の割増賃金単価(35%増し)と単価が異なりますが,どれも等しく「45時間分」の時間に含まれるのか,あるいは時間外労働分だけが含まれており,深夜割増賃金や休日割増賃金は別途支払う趣旨なのか,その文言だけからでは明らかではないこともあります。
 予定されている残業時間以上の残業をした場合に不足する残業代(時間外・休日・深夜割増賃金)が追加で支給されているような場合は,時間外・休日・深夜割増賃金の支払があったと認められやすい傾向にありますが,残業代の精算がなされていない場合は,時間外・休日・深夜割増賃金の支払があったと認められないリスクが比較的高いと言わざるを得ません。
 定額(固定)残業代制度を採用する場合には,基本的には定額(固定)残業代の「金額」を明示することをお勧めします。
(5) 定額(固定)残業代で不足額があれば当該賃金計算期間に対応する賃金支払日に不足額を追加で支払う旨賃金規程に定めて周知させたり合意したりすることが必要か
 定額(固定)残業代で不足額があれば当該賃金計算期間に対応する賃金支払日に不足額を追加で支払う必要があるのは労基法上当然のことですし,最高裁の法廷意見がこのような要件を要求したことはないのですから,定額(固定)残業代で不足額があれば当該賃金計算期間に対応する賃金支払日に不足額を追加で支払う旨の合意は,定額(固定)残業代の支払により使用者が時間外・休日・深夜割増賃金を支払ったといえるための必須の要件ではないと考えます。
 ただし,定額(固定)残業代で不足額があれば当該賃金計算期間に対応する賃金支払日に不足額を追加で支払う必要があるのは労基法上当然のことで労働者と合意しても害はありません。また,労基法所定の計算方法による額が定額(固定)残業代の額を上回るときはその差額を当該賃金の支払期に支払うことが合意されていることを定額(固定)残業代の支払により使用者が時間外・休日・深夜割増賃金を支払ったといえるための必須の要件と考える裁判官もいます。
 小糸機材事件東京地裁昭和62年1月30日判決は,「傍論」において,「仮に,月15時間の時間外労働に対する割増賃金を基本給に含める旨の合意がされたとしても,その基本給のうち割増賃金に当たる部分が明確に区別されて合意がされ,かつ労基法所定の計算方法による額がその額を上回るときはその差額を当該賃金の支払期に支払うことが合意されている場合にのみ,その予定割増賃金分を当該月の割増賃金の一部又は全部とすることができる」と判示し,東京地裁判決とほぼ同じ理由で会社側の控訴を棄却した東京高裁昭和62年11月30日判決の認定判断を最高裁昭和63年7月14日第一小法廷判決が是認しています。
 阪急トラベルサポート事件(派遣添乗員・第2)事件最高裁平成26年1月24日判決の原審の東京高裁平成24年3月7日判決においても,「仮に時間外手当を加えて基本給を決定する旨の合意がなされたとしても,時間外手当部分に当たる部分を明確に区分して合意し,かつ,労基法所定の計算方法による額がその額を上回るときはその差額を当該賃金の支払期に支払うことを合意した場合のみその予定時間外手当分を当該月の時間外手当の一部又は全部とすることができると解すべき」としています。
 テックジャパン事件最高裁平成24年3月8日第一小法廷判決櫻井龍子補足意見においても,「さらには10時間を超えて残業が行われた場合には当然その所定の支給日に別途上乗せして残業手当を支給する旨もあらかじめ明らかにされていなければならないと解すべきと思われる。本件の場合,そのようなあらかじめの合意も支給実態も認められない。」としています。
 したがって,実際には,定額(固定)残業代で不足額があれば当該賃金計算期間に対応する賃金支払日に不足額を追加で支払う旨賃金規程に定めて周知させておくとともに,個別合意を取得しておくべきと考えます。
(6) 定額(固定)残業代の支払により使用者が時間外・休日・深夜割増賃金を支払ったといえるためには,「賃金支給時」において支給対象の時間外・休日・深夜労働時間と時間外・休日・深夜割増賃金の額の両方が労働者に明示されていることが必要か
 テックジャパン事件最高裁平成24年3月8日第一小法廷判決櫻井龍子補足意見は,「便宜的に毎月の給与の中にあらかじめ一定時間(例えば10時間分)の残業手当が算入されているものとして給与が支払われている事例もみられるが,その場合は,その旨が雇用契約上も明確にされていなければならないと同時に支給時に支給対象の時間外労働の時間数と残業手当の額が労働者に明示されていなければならないであろう。」としており,使用者が時間外・休日・深夜割増賃金を支払ったといえるためには,時間外・休日・深夜労働の時間数及びそれに対して支払われた時間外・休日・深夜割増賃金の額の両方が雇用契約上明確にされているだけでは足りず,「賃金支給時」にも労働者に対し明確に示されていることが必要となるようにも読めます。
 しかし,使用者が時間外・休日・深夜割増賃金を支払ったといえるための要件として,「賃金支給時」において支給対象の時間外・休日・深夜労働時間と時間外・休日・深夜割増賃金の額の両方が労働者に明示されていることが必要である理由が明らかでありません。仮に,「使用者が割増の残業手当を支払ったか否かは,罰則が適用されるか否かを判断する根拠となるものである」ことを理由としているとしても,使用者が割増の残業手当を支払ったか否かが,罰則が適用されるか否かを判断する根拠となるものであることから直ちに,使用者が時間外・休日・深夜割増賃金を支払ったといえるための要件として,「賃金支給時」において支給対象の時間外・休日・深夜労働時間と時間外・休日・深夜割増賃金の額が労働者に明示されていることが必要と結論付けることはできません。
 仮に,定額(固定)残業代の支払により使用者が時間外・休日・深夜割増賃金を支払ったといえるための要件として,「賃金支給時」において支給対象の時間外・休日・深夜労働時間と時間外・休日・深夜割増賃金の額が労働者に明示されていることが必要であるとすると,労働契約書で賃金の内訳が明示されていて,通常の労働時間・労働日の賃金と時間外・休日・深夜割増賃金の金額が明らかであるにもかかわらず,給与明細書を交付しなかったり交付が遅れたりしただけで,使用者が時間外・休日・深夜割増賃金を支払っていないことになりかねませんが,このような結論が不合理なのは明らかです。
 テックジャパン事件最高裁平成24年3月8日第一小法廷判決法廷意見も,定額(固定)残業代の支払により使用者が時間外・休日・深夜割増賃金を支払ったといえるための要件として,賃金支給時において支給対象の時間外・休日・深夜労働時間と時間外・休日・深夜割増賃金の額が労働者に明示されていることを要求していません。補足意見自体は最高裁判例ではありません。
 櫻井龍子補足意見のこの部分の文末が「であろう。」という表現を用いていることも勘案すると,「賃金支給時」において支給対象の時間外・休日・深夜労働時間と時間外・休日・深夜割増賃金の額が労働者に明示されていることを定額(固定)残業代の支払により使用者が時間外・休日・深夜割増賃金を支払ったといえるための要件とするまでの意図はなかった可能性もありません。
 したがって,「賃金支給時」において支給対象の時間外・休日・深夜労働時間と時間外・休日・深夜割増賃金の額が労働者に明示されていることは,定額(固定)残業代の支払により使用者が時間外・休日・深夜割増賃金を支払ったといえるための要件ではないと考えます。
 もっとも,実際には,通常の労働時間・労働日の賃金と区別されて時間外・休日・深夜割増賃金の支払がなされていることを明らかにするために,給与明細書においても,時間外・休日・深夜割増賃金の「金額」を明示すべきと考えます。
 また,支給された金額が時間外・休日・深夜労働に対する対価であること(実質的にも時間外・休日・深夜割増賃金の趣旨で支払われる金額であること)を明らかにするためにも,当該金額が何時間分の時間外・休日・深夜労働を見込んで設定されたものかといった当該金額の算定根拠を説明できるようにしておくべきと考える。


4 基本給や他の手当等の通常の賃金とは金額を明確に分けた手当の形式で時間外・休日・深夜割増賃金を支払う場合
(1) 賃金規程等の定め
 「時間外勤務手当」「休日勤務手当」「深夜勤務手当」等,時間外・休日・深夜割増賃金の支払であることが明白な名目で金額を明示して支給した場合は,通常は時間外・休日・深夜割増賃金の支払があったと認められます。
 他方,「営業手当」「管理職手当」「配送手当」「長距離手当」「特殊手当」等の一見,時間外・休日・深夜割増賃金の趣旨で支払われる手当とは分からない名目で支給した場合は,当該手当が時間外・休日・深夜割増賃金の趣旨で支払われる手当である旨定めた賃金規程等の定めがない限り,通常は時間外・休日・深夜割増賃金の支払があったとは認められません。
(2) 当該手当が実質的にも時間外・休日・深夜労働の対価(時間外・休日・深夜割増賃金の趣旨で支払われる手当)であること
 「営業手当」「管理職手当」「配送手当」「長距離手当」「特殊手当」等の一見,時間外・休日・深夜割増賃金の趣旨で支払われる手当とは分からない名目で支給した場合,当該手当が時間外・休日・深夜割増賃金の趣旨で支払われる手当である旨定めた賃金規程等の定めがある場合であっても,実質的に時間外・休日・深夜労働の対価(時間外・休日・深夜割増賃金の趣旨で支払われる手当)であるとは認められないとして,時間外・休日・深夜割増賃金の支払があったと認められないリスクがあります。
 例えば,営業手当はその全額を時間外割増賃金の趣旨で支払う旨の賃金規程の定めがある事案において,反対尋問において,「営業手当はどういった趣旨の手当ですか?」と労働者側弁護士から質問されると,「営業の精神的負担や被服・靴などの消耗品に対する金銭的負担を補填する趣旨の手当です。」等と回答しがちです。このような趣旨の手当では,時間外割増賃金の趣旨で支払われる手当とはいえないので,時間外割増賃金の支払があったとは認められなくなるリスクがあります。
 模範解答どおり,「時間外割増賃金の趣旨で支払われる手当です。」と回答したとしても,「営業手当の全額がそうなんですか?」「営業の精神的負担や被服・靴などの消耗品に対する金銭的負担を補填する趣旨も含むんじゃないですか?」等と尋問されると,これを否定するのはつらくなり,「基本的には時間外割増賃金の趣旨で支払われる手当なのですが,営業の精神的負担や被服・靴などの消耗品に対する金銭的負担を補填する趣旨も含んでいます。」等といった回答をせざるを得なくなる可能性があります。
 営業の精神的負担や被服・靴などの消耗品に対する金銭的負担を補填する趣旨と時間外割増賃金の趣旨とが混在する場合,通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外割増賃金に当たる部分とを判別することができなければ時間外割増賃金の支払があったとは認められないと考えられますが,上記のような場合,営業手当のうち何円が営業の精神的負担や被服・靴などの消耗品に対する金銭的負担を補填する趣旨で支払われるもので,何円が時間外割増賃金の趣旨で支払われるものか分からないため,通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外割増賃金に当たる部分とを判別することができないと判断されて,時間外割増賃金の支払があったと認められなくなるリスクが高いものと思われます。
(3) 通常の労働時間・労働日の賃金に当たる部分と時間外・休日・深夜割増賃金に当たる部分との判別可能性
 通常の労働時間・労働日の賃金とは金額を明確に分けた手当の形式で定額(固定)残業代を支払う場合,当該手当の全額が実質的にも時間外・休日・深夜労働の対価(時間外・休日・深夜割増賃金の趣旨で支払われる手当)であると評価できるのであれば,支給した時間外・休日・深夜割増賃金の額が労基法37条及び同法施行規則19条の計算方法で計算された金額以上となっているかどうかを容易に計算(検証)できるため,通常の労働時間・労働日の賃金に当たる部分と時間外・休日・深夜割増賃金に当たる部分とを判別することができます。
 全額が時間外・休日・深夜割増賃金の趣旨を有する手当の「金額」さえ明示すれば,通常の労働時間・労働日の賃金に当たる部分と時間外・休日・深夜割増賃金に当たる部分とを判別し得るのですから,当該手当が何時間分の時間外・休日・深夜労働時間の対価か(時間数)を明示することは必須の要件ではないと考えます。
 ただし,当該手当が時間外・休日・深夜労働の対価であること(実質的にも時間外・休日・深夜割増賃金の趣旨で支払われる金額であること)を明らかにするためにも,当該手当の金額が何時間分の時間外・休日・深夜労働を見込んで設定されたものかといった当該金額の算定根拠を説明できるようにしておくべきと考えます。
 また,労基法上の割増賃金には,時間・休日・深夜割増賃金の3種類があり,それぞれ時間単価が異なるため,当該手当と時間外・休日・深夜割増賃金との関係を明確に定義しておく必要があります。
(4) 定額(固定)残業代で不足額があれば当該賃金計算期間に対応する賃金支払日に不足額を追加で支払う旨賃金規程に定めて周知させたり合意したりすることが必要か
 3(5)で述べたとおり,定額(固定)残業代で不足額があれば当該賃金計算期間に対応する賃金支払日に不足額を追加で支払う必要があるのは労基法上当然のことですし,最高裁の法廷意見がこのような要件を要求したことはないのですから,定額(固定)残業代で不足額があれば当該賃金計算期間に対応する賃金支払日に不足額を追加で支払う旨賃金規程に定めて周知させたり合意したりすることは,定額(固定)残業代の支払により使用者が時間外・休日・深夜割増賃金を支払ったといえるための要件ではないと考えられますが,実際には,定額(固定)残業代で不足額があれば当該賃金計算期間に対応する賃金支払日に不足額を追加で支払う旨賃金規程に定めて周知させておくとともに,個別合意を取得しておくべきと考えます。
(5) 定額(固定)残業代の支払により使用者が時間外・休日・深夜割増賃金を支払ったといえるためには,「賃金支給時」においても支給対象の時間外・休日・深夜労働時間と時間外・休日・深夜割増賃金の額が労働者に明示されていることが必要か
 3(6)で述べたとおり,「賃金支給時」においても支給対象の時間外・休日・深夜労働時間と時間外・休日・深夜割増賃金の額が労働者に明示されていることは,定額(固定)残業代の支払により使用者が時間外・休日・深夜割増賃金を支払ったといえるための要件ではないと考えますが,実際には,通常の労働時間・労働日の賃金と区別されて時間外・休日・深夜割増賃金の支払がなされていることを明らかにするために,給与明細書においても,時間外・休日・深夜割増賃金の「金額」を明示すべきですし,支給された定額(固定)残業代が時間外・休日・深夜労働に対する対価であること(実質的にも時間外・休日・深夜割増賃金の趣旨で支払われる金額であること)を明らかにするためにも,当該金額が何時間分の時間外・休日・深夜労働を見込んで設定されたものかといった当該金額の算定根拠を説明できるようにしておくべきと考えます。


5 定額(固定)残業代制度の有効性を判断する際のイメージ
 定額(固定)残業代の支払は,一定金額の時間外・休日・深夜割増賃金の支払がなされていることが明確であればあるほど,時間外・休日・深夜割増賃金の支払があったと認められやすくなり,時間外・休日・深夜割増賃金の支払がなされていることが分かりにくくなればなるほど,時間外・休日・深夜割増賃金の支払がなかったと認定されやすくなります。
 会社経営者は,普段は時間外・休日・深夜割増賃金とは分からない名目の手当等を支給した上で,残業代請求を受けた途端,当該手当は時間外・休日・深夜割増賃金だとか,基本給には残業代が含まれているだとか主張できるような制度設計を望む傾向にあり,こういった会社経営者の意向に迎合した賃金制度が散見されます。
 しかし,「いいとこ取り」しようとして,定額(固定)残業代の支払が時間外・休日・深夜割増賃金の支払だとは分かりにくくなればなるほど,時間外・休日・深夜割増賃金の支払があったとは認めてもらいにくくなり,多額の残業代請求が認められてしまうリスクが高くなることを理解しておく必要があります。


6 追加の残業代(割増賃金)の支払義務
 定額(固定)残業代の支払により使用者が時間外・休日・深夜割増賃金を支払ったと認められた場合は,当該定額(固定)残業代を含む除外賃金を除外した賃金を基礎賃金として労基法37条及び同法施行規則19条の計算方法で残業代(割増賃金)の金額を計算した結果,定額(固定)残業代の金額で不足する場合は,その「不足額」を当該賃金の支払期に支払う法的義務が生じることになります。
 定額(固定)残業代の支払により使用者が時間外・休日・深夜割増賃金を支払ったと認めてもらえなかった場合は,定額(固定)残業代も残業代算定の基礎賃金に算入されて残業代(割増賃金)が算定され,その「全額」を当該賃金の支払期に支払う法的義務が生じることになります。


7 月例賃金に占める定額(固定)残業代の比率
 月例賃金に占める定額(固定)残業代の比率と定額(固定)残業代の有効性との間には,論理必然の関係はありません。
 もっとも,脳・心臓疾患や精神疾患を発症した場合に,長時間労働を理由として労災認定がなされる可能性が高い時間外労働を予定するような定額(固定)残業代制度を採用すべきではなく,月80時間分の時間外割増賃金額を下回る定額(固定)残業代額にすべきと考えます。個人的見解としては,月例賃金に占める定額(固定)残業代の比率は,金額では月例賃金全体の20%~30%程度,時間外労働時間数では月45時間程度までに抑え,それを超える時間外・休日・深夜労働については追加で時間外・休日・深夜割増賃金を支払う定額(固定)残業代制度とすることをお勧めします。
 最低賃金との関係では,定額(固定)残業代部分は最低賃金算定の基礎賃金には含まれないことに注意して下さい。
 月例賃金に占める定額(固定)残業代の比率が高い会社は,社員の離職率が高く,労使紛争が起きやすく,定額(固定)残業代の合意等の有効性が裁判所により否定されやすく,労働組合などによる労働運動のターゲットとされやすい傾向にあることにも留意して下さい。

 

8 定額(固定)残業代制度導入の手順
 ① 当該業務に通常必要とされる時間外・休日・深夜労働時間等の勤務実態を調査し,調査の経過及び結果を記録に残す。
 ② 調査結果に基づき,何時間分の時間外・休日・深夜労働に対する時間外・休日・深夜割増賃金を定額(固定)残業代として支払う必要があるのかについて協議決定し,記録に残す。
 ③ 「時間外勤務手当」「休日勤務手当」「深夜勤務手当」等,時間外・休日・深夜割増賃金の支払であることが明白な名目で定額(固定)残業代を支払う旨及び不足額があれば当該賃金計算期間に対応する賃金支払日に追加で支払う旨賃金規程に定めて周知させたり合意したりする。
 ④ 給料日には,「時間外勤務手当」「休日勤務手当」「深夜勤務手当」等,時間外・休日・深夜割増賃金の支払であることが明白な名目で,金額を明確に分けて給与明細に記載して支給する。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勝手に残業して残業代(割増賃金)を請求する社員の対応方法

2014-08-21 | 日記

勝手に残業して残業代(割増賃金)を請求する。

1 基本的発想
 部下に残業させて残業代 (割増賃金)を支払うのか,残業させずに帰すのかを決めるのは上司の責任であり,上司の管理能力が問われる問題です。その日のうちに終わらせる必要がないような仕事については,翌日以降の所定労働時間内にさせるといった対応が必要となります。


2 不必要な残業を止めて帰宅するよう口頭で注意しても社員が帰宅しない場合の対応
 不必要な残業を止めて帰宅するよう口頭で注意しても社員が帰宅しない場合は,社内の仕事をするスペースから現実に外に出すようにして下さい。終業時刻後も社員が社内の仕事をするスペースに残っている場合,事実上,使用者の指揮命令下に置かれているものと推定され,有効な反証ができない限り,残業していると評価される可能性が高いところです。近時の裁判例の中にも,「一般論としては,労働者が事業場にいる時間は,特段の事情がない限り,労働に従事していたと推認すべきである。」とするものがあります(ヒロセ電機事件東京地裁平成25年5月22日判決)。
 最低限,タイムカードを打刻させるとか,現実に働いていた時間を自己申告させるとかする必要がありますが,普段仕事をしている部屋にいつまでも残っているのを放置していると,タイムカード打刻後も残業させられていたとか,実際の残業時間よりも短い残業時間の自己申告を強制された等と主張されて,残業代請求を受けるリスクが生じます。


3 仕事の合間に食事したり喫煙したりおしゃべりしたり居眠りしたりしている時間
 仕事の合間に,食事したり,喫煙したり,おしゃべりしたり,居眠りしたり,仕事とは関係のない本を読んだりしていた場合であっても,まとまった時間,仕事から離脱したような場合でない限り,所定の休憩時間を超えて労働時間から差し引いてもらえないのが通常です。居眠り等が目に余る場合は,その都度,上司が注意指導して仕事をさせるのが本筋です。上司が部下の注意指導を怠っていたのでは,無駄な残業はなくなりません。


4 本人の能力が低いことや所定労働時間内に真面目に仕事をしていなかったことが残業の原因の場合
 本人の能力が低いことや所定労働時間内に真面目に仕事をしていなかったことが残業の原因の場合であっても,現実に残業している場合は,残業時間として残業代の支払義務が生じます。本人の能力が低いことや,所定労働時間内に真面目に仕事をしていなかったことは,注意,指導,教育等で改善させるとともに,人事考課で考慮すべき問題であって,残業時間に対し残業代(割増賃金)を支払わなくてもよくなるわけではありません。


5 明示の残業命令を出していないものの部下が残業していることを上司が知りながら放置していた場合
 明示の残業命令を出していなくても,部下が残業していることを上司が知りながら放置していた場合は,残業していることが想定することができる時間帯については,黙示の残業命令があったと認定されるのが通常です。具体的に何時まで残業していたのかは分からなくても,残業していること自体は上司が認識しつつ放置していることが多い印象です。部下が残業していることに気付いたら,上司は,残業を止めさせて帰宅させるか,残業代(割増賃金)の支払を覚悟の上で仕事を続けさせるか,どちらかを選択する必要があります。


6 残業の事前許可制
 残業の事前許可制は,残業する場合には上司に申告してその決裁を受けなければならない旨就業規則等に定めるだけでなく,実際に残業の事前許可なく残業することを許さない運用がなされているのであれば,不必要な残業の抑制や想定外の残業代(割増賃金)請求対策になります。
 しかし,就業規則に残業の事前許可制を定めて周知させたとしても,実際には事前許可なく残業しているのを上司が知りつつ放置しているような職場の場合は,不必要な残業時間の抑制になりませんし,黙示の残業命令により残業させたと認定され,残業代(割増賃金)の支払を余儀なくされることになります。
 残業の事前許可なく残業している社員を見つけたら,直ちに残業を止めさせて帰らせるか,許可申請するよう促すようにして下さい。就業規則を整備しても,実態が伴わなければ,不必要な残業時間の抑制にも想定外の残業代(割増賃金)請求対策にもなりません。


7 タイムカードの打刻時間が実際の労働時間の始期や終期と食い違っている場合
 タイムカードにより労働時間又は勤怠を管理している場合,タイムカードに打刻された出社時刻と退社時刻との間の時間から休憩時間を差し引いた時間が,その日の実労働時間と認定されることが多いところです。タイムカードの打刻時間が実際の労働時間の始期や終期と食い違っている場合は,それを敢えて容認してタイムカードに基づいて残業代を支払うか,働き始める直前,働き終わった直後にタイムカードを打刻させるようにするかを選択する必要があります。


8 自己申告制と労働時間
 自己申告された労働時間が実際の労働時間と合致しているのであれば,自己申告された労働時間をチェックすることで不必要な残業時間の抑制につなげることができますし,自己申告された労働時間に基づいて残業代(割増賃金)を支払えば,想定外の残業代(割増賃金)請求対策になります。
 しかし,自己申告された労働時間が実際の労働時間に満たない場合は,自己申告された労働時間をチェックしても不必要な残業時間の抑制につなげることができませんし,自己申告された労働時間に基づいて残業代(割増賃金)を支払っても想定外の残業代(割増賃金)請求がなされる可能性があります。
 自己申告制を採用する場合は,パソコンのオンオフのログで在社時間をチェックし,自己申告の労働時間と在社時間の齟齬が大きい場合には当該社員から事情説明を求める等の工夫をして,自己申告された労働時間が実際の労働時間と合致するようにする必要があります。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする