いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語55、タイシャンもう一つの武勇伝

2019年03月20日 18時49分31秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
タイシャンの戦いに関するエピソードがもう一つある。

のちのことのなるが、天命三年(一四一八)四月十三日、
ヌルハチは「七大恨」を大義に掲げ、ついに明への反旗を翻し、撫順攻撃のために出発した。

ところが翌日に雨が降ったために、ヌルハチは引き返そうとしたのだ。
タイシャンはこれを強く止めて主張した。

これまで明は、ヌルハチの勢力の拡大するのを、薄々は把握しつつも
国力が衰え、対応しきれないために目をつぶってきた。

しかしこのたびヌルハチが大軍を動かし、撫順に向かって移動を始めたことは、
明らかに反旗を翻した動かぬ証拠である。

そうなれば明は、台所事情がどんなに苦しかろうと、力を振り絞って兵力を終結してくるだろう。


今回の明への攻撃は、相手に完全に油断させた時に急襲するからこそ、
撫順には充分な兵力も備えもなく、勝つ可能性がある。


満洲側は明に気づかれないように、こっそりと戦いの準備を進めるため、これまで細心の注意を払ってきた。

二ヶ月前、ヌルハチは明に反旗を翻すこと決心し、城攻めのための梯子(はしご)の用意を始めた。
明側に感づかれることを恐れ、森林から木材を伐採する際も
「諸ベイレに馬小屋作りを命じる」
と周囲に喧伝し、七百人を山に派遣した。

梯子が出来上がった後も明側に見咎められることを恐れ、
横にして馬をくくる柵のように見せかけたくらいである。

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遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮

ホトアラ城



前述のとおり、ホトアラ城は、ヌルハチが先祖代々暮らしてきた土地に建てられた。
ここでは、その跡地にタクシの家を再現している。

つまりはヌルハチの生家である。


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