いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

山西省と炭鉱1、炭鉱夫

2011年07月16日 22時31分12秒 | 山西省と炭鉱(写真中心、写真自信作笑)
2001年、山西省朔州の炭鉱を訪ねる機会がありました。
当時はまだ炭鉱に対する管理も甘く、個人で経営している小規模な炭鉱が
たくさんありました。

数年後には世界規模で石炭の値段が上がり、
この当時は炭鉱夫の月給が800元ほどでしたが、数年後には3000-5000元に
なりました。

政府の管理も厳格となり、この小さな炭鉱も閉鎖されたということです。
同じように小規模な炭鉱もなくなりつつあります。

産業革命時代のイギリスのムード、
宮崎アニメを彷彿とさせるような光景は、少なくなってきました。
たった10年前の写真でずが、歴史を感じます。











石炭は、山に掘られた入り口からトロッコで引っ張り上げられます。




入り口です。
昔からのしきたりにより、女性は地下に降りることができません。

女性が降りると落盤が起き、命の保障がないといわれ、私は降りることができませんでした。
これは迷信というにはあまりにもあちこちの分野で見られる風習ですな(船乗りなど)。

全神経を張り詰めないと、命に関わるような危険な作業を行う場合、
男女の色恋沙汰ほど集中力を阻害するものはなく、危険なのは納得いきますな。

山西には逆に女性だけしか降りない炭鉱もあるそうですが、
その場合も男女混合という話は聞かないのは、同じ理由でしょう。

女だってイケメンくんがほかの女としゃべっていたら、作業の気が散って命に関わるというもの。
健康な男女がいれば、体力のある男にきつい仕事がいくのも自然ですから、何事もベクトルというのは、落ち着くところに落ち着くものですなあ。





トロッコが上に到着し、ころりとひっくり返します。





中身をすべて出します。




全身をかけて引っ張ります。





底に張り付いている分は、ハンマーでがんがん底をたたいて落とします。


この村では、炭鉱は村の人により経営されていました。

こういう地上でやる作業は、現地の人がやっていることが多いです。
地下に降りる危険な作業を行うのは、外地からの流れ者が多く、まさに水上勉の『飢餓海峡』の世界。

犯罪を犯した挙句の逃亡者もいれば、仮名を使い、過去をまったく語らない者もあり。
黄土高原の谷深くに埋もれた炭鉱のたこ部屋に逃げ込めば、警察が調べにきても簡単に入り込める空間ではありません。

『飢餓海峡』は、文革時代に中国でも「資本主義社会の過酷なる労働者への搾取」を反映する反面教師的な作品として、紹介されていたそうです。

ちょっと教養の高い50代の中国人が津軽海峡を目の前にすると、「おお!! これがかの飢餓海峡!!」と感動するとか。

しかし。。。。改革開放後の現実は、皮肉にもどちらが『飢餓海峡』かいえないもの。
そしてポスト・オリンピックの今、さらに新たな情勢となっています。

ドッグイヤー的な急速な時代の流れの中、今は5年単位くらいであっという間に情勢が変わります。
10年経った今日、人件費が安く、安全への保険が安かった時代も急速に過去となりつつあります。。

山西省ではすでに石炭が少なくなり、採掘の中心は内モンゴルに移っているようです。




食事時間に行き当たりました。
山西省は、麺の本場。

人々の食事は3食、麺でした。








皆、思い思いの格好でかっこみます。








先に食べ終わった人は、たばこで一服。


皆さん、おみごとなヤンキー座り。

ところで、このアジア人独特のヤンキー座りというのは、なんで日本では「ヤンキー」の座り方なんでしょう? 
確かにヤンキーの人たちがこういう座り方をしますが、
なぜ日本では、「ヤンキー」以外、しなくなってしまったのでしょう? 不思議だわ。。。



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