いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語30、フィアラ城が手狭に

2018年12月12日 00時26分40秒 | マンジュの森 --ヌルハチの家族の物語
十六年後にこの地を離れざるを得なくなった理由は、情勢変化に伴う人口過多だ。

小さな勢力だった時は、守りやすく、ちょうどよい規模だった城も
たて続く戦勝で兵力が拡大し、収まりきらなくなったのである。
 
城内に四五箇所ある井戸だけでは、千人規模に増えた郎党とその家族の生活用水を賄うことができず、
人々は下の河まで水を汲みに行った。

春から秋までは桶でかつぎ、冬になると凍った河の水をのこぎりで切り出し、
荷車に乗せてえっさわっさと城門に続く坂道を押して上がる。

交差する荷車の絶えないことはいうに及ばず、数人の労働力を占拠する余計な仕事である。


ヌルハチが新たに見つけた場所は、なんと元の住まい、先祖代々住み着いた地であった。

フィアラ城からの距離はわずか五里、やはり蘇子河と加哈河に挟まれた中州だが、
フィアラ城と違い、高台ではなく、面積も圧倒的に広かった。

味方少なし頃のヌルハチにとっては、このだだっ広さが安全ではなかったのだが、
千人規模の徒党を抱える身になると、そのゆったりとした収容力が決め手となった。

海抜が低いだけに敷地内の井戸も水が豊か、城中に残る井戸は今も水を並々とたたえ、
地元の人々は「千軍万馬も飲み干せぬ」と褒め称えた。


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遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮

満州族のための民族小学校




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