l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

有元利夫展 天空の音楽

2010-08-10 | アート鑑賞
東京都庭園美術館 2010年7月3日(土)-9月5日(日)



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有元利夫(1946-1985)の個展は4年前に一度だけ、小川美術館で観ている。まだ画家のことをよく知らず、それが彼の命日に合わせて毎年そこで催されている展覧会であることも知らず、2月末の寒風に吹かれながら、市ヶ谷の駅から身を縮めて美術館までてくてくと歩いて行った。

あれ以来この美術館には足を運んでおらず、記憶もやや覚束ないけれど、一歩中に入った時のひっそりとした「石」のイメージと、時が沈殿しているような静寂感、そして最初に目に入った有元作品の前で、「ああ、この人は本当にフレスコ画が好きだったのだ」と思ったことはよく覚えている。私の大好きなイタリアの、ルネッサンス期のフレスコ画。展示室ではバロック音楽も流れていた。

この夏、今度は身体にまとわりつくような湿気の中、蝉の声が降りしきる東京都庭園美術館に有元の個展を観に行った。瀟洒なアール・デコの館で観る有元作品はまた素敵に違いない、とすでに心は躍っていた。

今回の個展は、展覧会名が語るように、有元が愛したバロック音楽が一つのアクセントになっている。実際のところ作品名にもオラトリオ、フーガ、ソナタなど音楽用語を用いたものが多いし(彼自身もリコーダーを吹いた)、今回はヴィヴァルディの「四季」など、彼の好きな楽曲から着想された版画作品を集めた展示室などもある。

本展の鑑賞でとても良かったのは、創作に関する彼の言葉が引用され、適度な間隔で作品の横に置かれていたこと。例えば、展示の最初の方には「素晴らしい音楽を画面いっぱいに鳴り響かせる―、いつかそんな作品を作ってみたい」という言葉があった。

『花降る日』 (1977)



先端がほんのりと赤く色づく可憐な白い花びらが、画面全体に舞う。上記の有元の言葉を思い浮かべてじっと観ていると、花びらが音符にも見えてくる。

美大の授業内容は存じないが、有元は東京芸大のデザイン科出身。明瞭で安定感のある事物の表現は、そのせいもあるのだろうか?それはともかくも、ほとんどの作品において描かれている登場人物は一人だけで、身体の線もわからないゆったりしたドレスを着ている。それらの点については、「なぜひとりなのか。簡単に言えば関係が出てくるからです」、「足を描くと、何をしているかがはっきりわかってしまう」という画家の言葉が聞かれる。普遍性を突き詰めた表現、という風に私には感じられる。

『ロンド』 (1982)



他の場所で紹介されていた言葉だが、バロック音楽について有元は「なるべく自然に、リズムにしても心臓の鼓動に合わせ、人間にとって何が心地よいかというところにすっと入ってきて、僕らを浮き上がらせてくれる」と語っている。この作品は、まさに彼のそんな言葉を思い出させるよう。下の4人の女性は輪を作り、一定のテンポでロンドを舞い続ける。宙に浮くような、心地よい繰り返し。

『花吹』 (1979)



学生時代に初めて訪れたイタリアで、ルネッサンス期のフレスコ画に強い感銘を受けた有元は、日本の仏画との共通点をも見出し、岩絵の具を使った独自の画風を確立する。この作品では、女性の頭上に輝く光輪、上部のアーチ型の壁、山河の情景など、割とストレートにルネッサンス期の教会のフレスコ画を思わせる。

ちなみに彼の大学の卒業制作は『わたしにとってのピエロ・デラ・フランチェスカ』(1973)と題された10点連作の作品。今回もそのうちの5点が展示されていて、有元の創作の原点を見るようでとても興味深い。本作は高く評価され、東京芸大のお買い上げとなったそうだ。

何となく気になって、アレッツォのサン・フランチェスコ教会にあるピエロの『聖十字架伝説』をちょこっと見てみたら、なるほど色遣いや雲の描き方など、有元がピエロからただならぬ影響を受けているような印象を受けた。

『光る箱』 (1982)



櫛のように緻密に走る金色の光の筋は、フラ・アンジェリコを始めルネッサンス期の宗教画を想起させるが、金粉はとても和的。そういえば、私は岩絵の具のことはわからないけれど、確かにフレスコ画を思わせるマチエールを持った日本画家の作品をいくつも観たことがある。

『星の運行』(1974)㊧と、『花火』(1979)㊨

   

「音楽を聴いても、その陶酔感は僕の中で浮遊に結びつく。だからそれを絵としても表現したい時、それこそまさに通俗に徹し、臆面もなく文字通り人間や花を点に昇らせてしまうわけです」との言葉通り、ここに挙げた作品では二人とも身体が宙に浮いている。『星の運行』の方では花も舞い、「花はめでたい時、歓喜の時に降ってくる」との言葉を思い浮かべれば、これはとてもハッピーな高揚感を表わした作品かもしれない。『花火』は、それこそ女性が花火と一緒に空へ打ち上がってきそうな勢い。まさに天にも昇る気持ち、ということだろうか?

ところで、私は以前誰かに「なぜフレスコ画が好きなのか」と聞かれ、風合い、とだけ答えたことを思い出した。有元はフレスコ画について「風化というのはとりもなおさずものが時間に覆われることだと思う。いかにも時間そのものが喰い込んでいる感じがして気持ちが安らぐ」と言っている。

まさにそういうことなのかもしれない。クリスチャンでもない私が、イタリアで飽くこともなくフレスコ画で有名な教会を巡り、宗教画の大画面に囲まれて得た心の安寧は、時の堆積に包み込まれる安堵感のようなものだったのだろう。

『出現』 (1984)



有元利夫は38歳の若さで世を去ってしまった。でも彼自身の様式で創り出した「風化した画面」は、これからもずっとそこにあり続け、俗世で右往左往している私のような人間に、「人生なんてあっという間。落ち着いていきなさい」と語りかけてくれることだろう。

本展は9月5日(日)まで開催です(第2・4水曜日がお休みなので、8月11日、25日は閉館)。尚、8月14日(土)から8月20日(金)までは夜8時まで開館するそうです。きっと夜も素晴らしい空間が出現することでしょう。


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3 コメント

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Unknown (一村雨)
2010-08-11 21:30:38
この画家の壮絶な最期を想像すると心が痛みます。
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Unknown (一村雨)
2010-08-19 07:24:20
有元を研究すると、宗教的バックボーンのことがもっと理解できるのかもしれませんね。
私も俗世界で右往左往しているので、これらの作品は本当に指標になります。
しかし、38歳の若さで逝ってしまうなんて、晩年はさぞ壮絶な生きざまだったことでしょうね。そんなそぶりは微塵も感じさせられませんが。
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Unknown (YC)
2010-09-07 22:50:38
☆一村雨さん

有本さんの奥様も、芸大出の有名な日本画家ですよね。

彼が何歳頃の話か失念しましたが、確かその奥様に
自分のサポートに徹するよう、そして「俺が死んだら
お前は筆を取れ」というようなことを言ったという
エピソードを読んだ記憶があります。

早世の芸術家の存在を知る度に、熱心に芸術の探求を
していただけの人が、何でこんなに早く世を去らねば
ならないのかといつもその理不尽さに愕然とします。
遺された作品が素晴らしければ素晴らしいほどに。
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