l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

新年のご挨拶 2013年

2013-01-01 | その他
新年明けましておめでとうございます!



皆さまも、さまざまな想いを胸に新しい年を迎えられていることと思います。

私はといえば、リチャード・ジノリの2013年度のイヤーズ・プレートを買ったおかげで、ルネサンスな気分で年末年始を過ごしています。

お皿に描かれているのは、フィレンツェにあるサンタ・マリア・ノヴェッラ教会。ファサードはアルベルティのデザインによるものです。昔フィレンツェに1週間ほど旅行に行った際、泊っていたホテルがこの教会のすぐそばで、毎日そのファサードを見ながらルネサンス美術探訪へと繰り出していました。

この教会にも、マザッチョウッチェロなどルネサンス美術のお宝がたくさんあるのですが、私は滞在最終日に駆け込み鑑賞となってしまい、それでもドメニコ・ギルランダイオのフレスコ画群の色彩の美しさは今でも思い出されます。

フィレンツェという街はとても優美な半面、バロック美術とは対照的に曲線よりも直線でカッチリした印象を受けます。私も今年のテーマはカッチリでいこうかと。

たわごとはおいといて、お正月に私のルネッサ~ンス気分をさらに高めたのが、読売新聞の元旦の別刷り美術特集。やはりラファエロ展がトップでフィーチャーされていました。




ラファエロの作品といえば、欧米の大型の美術館展で1点来るだけで「おぉ~!」となるものですが、≪大公の聖母≫(パラティーナ美術館)、≪聖ゲオルギウスと竜≫(ルーヴル美術館)、≪聖家族と仔羊≫(プラド美術館)など、20点を超えるラファエロ作品が一挙に来ると言うのだから驚きます。

素描や、師匠のペルジーノの作品も合わせて60点余りが展示されるという本展は、国立西洋美術館にて、2013年3月2日(土)-6月2日(日)まで開催です。




さまざまな企画チケットも紹介されている公式サイトはこちらをどうぞ。

新年のご挨拶 2011年

2011-01-02 | その他
新年明けましておめでとうございます。

昨年、特に後半は気分もそわそわして何やかやと落ち着かず、右往左往しているうちに年が明けてしまいました。

今年は卯年なんですね~。

古銅兎香炉 (中国 明時代 14-17世紀)



先月出光美術館で購入したポストカード。この兎のように、目を見開き、耳をそばだて、思わず口を半開きにして立ちつくしてしまうような作品に、2011年は出会うことができるでしょうか?

『交趾分銅亀香合』 (銘 萬歳々々 中国 明時代末期 17世紀)



この時観た『茶陶の道 天目と呉州赤絵』展(2010年11月13日(土)-12月23日(日)開催)で気に入った亀もついでに。まぁ「ウサギとカメ」は自戒を込めてというところでもあります。

さて、我が家で購読している読売新聞の元旦のアート特集。読売新聞社主催の今年の主な展覧会が紹介されているのですが、今回1面を飾るのは、今秋開催される「プラド美術館所蔵 ゴヤ~光と影~」で来日するフランシスコ・デ・ゴヤ『着衣のマハ』。私はスペインに行ったことがないので、この余りに有名な作品に東京でお目にかかれるのは嬉しい限り。素描40点が出品されるというのも個人的に期待大です。

「プラド美術館所蔵 ゴヤ~光と影~」
国立西洋美術館 2011年10月22日(土)~2012年1月29日(日)



ページをめくると、西洋美術の三つの展覧会がドン!と紹介されています。

「シュルレアリスム展」
国立新美術館 2011年2月9日(水)~5月9日(月)
公式サイトはこちら

記事によると、「ポンピドゥーセンターが所蔵する絵画、彫刻、写真、映画など約170点に、書籍や雑誌などの資料を加え、運動の全体像をつぶさに紹介する初の展覧会」。確かにダリやマグリットなどの個展なら観たことがあるけど、「シュールレアリスム」という芸術運動を総括的に学べる展覧会というのは私自身観たことがありません。楽しみ♪
 
「フェルメール<地理学者>とオランダ・フランドル絵画展」
Bunkamura ザ・ミュージアム 2011年3月3日(木)~5月22日(日)

こちらは、「ドイツのフランクフルトにあるシュテーデル美術館の改築に伴い、同館が誇る17世紀オランダ・フランドルの絵画コレクションから、厳選した95点を紹介」とのこと。フェルメールも去ることながら、私のようなオランダ・フランドル絵画好きにはテンションの上がる展覧会ではないでしょうか。

「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」
国立新美術館 2011年6月8日(水)~9月5日(月)

こちらも美術館の改修工事を機に実現した展覧会。印象派、後期印象派の絵画作品から、日本初公開の約50点を含む80数点が来日だそうです。中でもモネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホなどの34点は同館の心臓部と称される名品とのこと。夏休みとも重なってかなり混みそうだなぁ。。。



そして最後の締めは、東寺の国宝、持国天立像(839年)の猛々しいお姿。

「空海と密教美術展」
東京国立博物館 平成館 2011年7月20日(水)~9月25日(日)

展示物の大半が国宝、重要文化財というとてつもない展覧会のようです。



勿論上記以外にも沢山あり、今年も時間のやり繰りに四苦八苦しそうな予感。

末尾になりましたが、ご縁があって拙ブログをご訪問下さった皆さまにとって、今年も佳き1年となりますように!

フランドルからの贈り物

2010-06-23 | その他
サッカーが好きなもので、連日W杯にかまけているうちにまたしても長いことブログをさぼってしまった。お元気ですかと心配して連絡を下さる方もあり、反省しつつ本当にありがたいことだとしみじみ思います。

先月観に行っておきながら記事がうっちゃり状態の展覧会もいくつかあり、もう今更だよなぁ、と半分やる気を無くしかけていたが、やはり少なくとも自分用の記録として残さねば、と主だったものについては頑張って今月中にいくつかアップしようと決意しました。

と言いながら、今日はどうしてもW杯の話を少しばかり(ご興味ない方は飛ばして下さい)。

アフリカ大陸における初開催という意義はさておき、サッカーには素人の、一観戦者の目から見て今大会は何だか面白いのかつまらないのか正直よく分からない面がある。現在続行中のグループ・リーグでは、スター選手を抱える欧州勢が軒並み苦戦し、ほとんどノー・マークといってもいい韓国や日本などアジア勢が意外な健闘ぶりを見せるも、中南米勢の迫力が何より勝っているような印象を受ける。

その背後にあるのは何だろう。

思い返せば、本大会は開会直前に次々と入ってきた怪我人情報から始まったような気がする。ドイツやイングランドのように主将クラスの選手たちが欠場を余儀なくされたのには驚いたし、出場が微妙と言われる選手の名が挙がる度に落胆した。今に始まったことではないが、5月まで続く欧州各国リーグにて所属クラブの主要戦力として戦い抜く選手たちの疲労、そして言わば付け焼刃的に編成されたチームで国旗を背負って戦わねばならない彼らのストレスは、年々過酷を極めているように思えてならない。

そこにきて南アフリカ大会独特の環境。ボールの運動に影響を与える高地の気圧に加え、キーパーを始め選手から扱いにくいとクレイムの多々聞かれるジャブラニ(公式ボール)、そして客席からあの大騒音を放つブブゼラなど、素人目に見ても普通のサッカー試合の状況と異なる点は多い。地理的条件やボールは仕方ないとしても、ブブゼラはどうにかならないのだろうか。テレビで観ていてもイライラするし、何より審判の笛が聴こえない、選手間の声が通らない、夜耳鳴りがして眠れない選手がいる等、明らかに本分であるサッカーの試合に支障をきたしていると思われる。アフリカ民族の象徴的楽器であることは理解するけれど、試合中における使用は禁止にすべきだったのではないでしょうか?

そんな特殊な状況下、欧州の狩猟民族よりも我々農耕民族の忍耐強さ、協調性が案外勝る点があるのかもしれない、と思ったりするが、文字通り「生きるために」サッカーをするという現代の強烈なハングリー精神をまとった中南米の狩猟民族は、状況など選ばず、ことのほか強さを発揮するように思う。どの試合だったか、大きな口を開けて咆哮するアルゼンチンのテベス選手がスローモーションで映し出された時はテレビの前でのけぞった。まさに猛獣のごとし。しかもまだグループ・リーグでこれですから。戦いの場が“サドンデス”である決勝リーグに移ったら、狩猟民族の戦い方はこんなものじゃない。

グループ・リーグ突破を目指す我らが日本は、日本時間の25日未明に行われるデンマーク戦が正念場。勝つか引き分けるしかない。ここまで頑張ったのだから、是非とも韓国に続いて本戦に歩を進めてほしい。頑張れ、日本!

。。。と勝手に熱く語ったところで本題に。

私事で恐縮ですが、実は今日は私の誕生日でありました。ベルギー在住のお友達が素敵なプレゼントを送って下さったので、嬉しさのあまりご紹介させて頂きます。

ベルギー製レース



日経BP社の「フランドル美術紀行」を見ると、レース編みは15世紀に始まり、16世紀に最盛期を迎え、フランドル地方の重要な輸出品となったとある。ヨーロッパ各地の王侯貴族や商人などの富裕層がこぞって買い込んだと言うこのフランドル産のレース製品は、産業革命で機械編みのレースの登場により廃れそうになりながらも19世紀後半に息を吹き返したそうだ。

しかしながら、そんなベルギーの特産品も今や中国製が幅をきかせるようになったそうで、友人はわざわざブリュッセルのグラン・プラスにあるお店でベルギー製のものを入手して送って下さったとのこと。画像ではわかりにくいけれど、細い糸でそれはそれは繊細に編み込まれています。花瓶の下敷きにでも、と言われても全く実用しようという気になりません。

カード・セット



ベルギーの画家、ルネ・マグリットのグリーティング・カードが10種類入ったセット。彼の作品はともすれば平坦な画面に観えるかもしれないけれど、形而上的な深い意味合いを具象の中にとても美しく表現していて、何度観ても飽きない。こうしてカードの形で並べてみると、絵画としての美しさが再認識されるよう。

     

上の左側の画像、何だと思われますか?実はこのカード・セットを包んでいたのが、またこんな素敵な包装紙。この金と竹色のコンビネーションがアール・ヌーヴォー的でもあり、クリムトの作品なども浮かんできたり。ブックカバーにでもしようかしら。     

そして右側がバースディ・カード。オランダ製らしく、ポップな色のお花が沢山。細かい銀の粉と♪が入っていて、振るとさらさらと動く。カードを開くと、お人柄そのものの丁寧な美しい文字で、温かなメッセージが。本当に何から何まで細やかなお心遣い、ありがとうございます。

最後にもう一つ。



この可愛らしいカードはロンドンの友人から。木村カエラちゃんの歌が聞こえてきそう♪

皆さまの優しさに心からの感謝を。

AC/DC 来日公演

2010-03-17 | その他
AC/DC さいたまスーパーアリーナ 2010年3月12日(金)

LPジャケットの内側は見開きでこんな感じ

久々にロック・コンサートに足を運んだ。AC/DC、祝来日!!

などと冷静に書けるバンドではない。実は1982年、中学生の時に彼らの武道館公演のチケットを買っていたにも関わらず、学校のキャンプが入ってしまって行けなかった不運な私は、その19年後の2001年の来日公演を観る機会も逸し、およそ30年の時を経て、やっと、やっと彼らの生ライヴを観ることができたのだから。

一応、現メンバーを書いておこう:

アンガス・ヤング(b.1955) - リードギター
マルコム・ヤング(b. 1953) - リズムギター
ブライアン・ジョンソン(b.1947) - ヴォーカル
フィル・ラッド(b.1954) - ドラム
クリフ・ウィリアムズ(b.1949) - ベース

セットリストは以下の通り(ソニーのオフィシャルサイト参照):

1. Rock N' Roll Train
2. Hell Ain't a Bad Place To Be
3. Back In Black
4. Big Jack
5. Dirty Deeds Done Dirt Cheap
6. Shot Down In Flames
7. Thunderstruck
8. Black Ice
9. The Jack
10. Hells Bells
11. Shoot to Thrill
12. War Machine
13. High Voltage
14. You Shook Me All Night Long
15. T.N.T.
16. Whole Lotta Rosie
17. Let There Be Rock
(アンコール)
18. Highway To Hell
19. For Those About To Rock (We Salute You)

さて、冒頭に書いた理由により、2階席からまだ主役の登場していないステージを見降ろしつつ、私の心はこの30年間を行きつ戻りつしながら万感の思いに囚われていた。洋楽のロックを聴き始め、初めてエレキギターを手にした中学生時代の、呑気で屈託のない日々。英語を一生懸命勉強して(お陰さまで英語だけは学年1位の成績でした)、AC/DCの「悪魔の招待状」を飽くことなく聴いていた。その頃中野サンプラザで、ヘヴィ・メタルのPVを観るという今では牧歌的にすら思えるイベントも開催され、アンガス・ヤングのそっくりさん大会なんてのも行われたのを覚えている。彼のストリップを真似て、本当にお尻を出した人もいた。みんなアンガス・ヤングが大好きだった。

「お待たせしました―」という開演を告げるアナウンスと、湧きあがる2万人の大歓声で我に返る。

何故だろう、開演時間を10分ほど押してやっとステージの幕が切って落とされ、巨大なスクリーンに映し出された、メンバーがコミカルに登場するアニメーションに興奮を煽られたところまでは覚えているのに、メンバーが姿を現した瞬間がストンと記憶から欠落している。

気づいたら、お馴染みのハンチング帽を被ったブライアンがあの金切り声でシャウトしていて、夢にまで見たスクール・ボーイ姿の我がギター・ヒーロー、アンガスが頭を振りながらSGをかき鳴らしていた。右足と左足を2回ずつ交互に踏む、あの独特のステップを踏みながら。

ねえアンガス、嬉しくて涙が出るよ。

アンガスは身長が160cmに満たないと聞いている。しかし、ステージでは何と大きく感じることだろう。ネクタイにブレザー、半ズボンという色モノともいえる姿で何十年も世界中のステージに立ち続け、ファンにエネルギーを注ぎ続けてきた小さな巨人。演奏中、彼が右腕を上げて人差指で天を指す度に、まるで放電が起こったかのように熱いものが私の身体を駆け巡る。

ギター・ソロでのお約束のストリップでエンターテイナー振りを発揮した後は、上着とシャツを剥いだ半ズボン姿で演奏を続ける。タトゥーの全く入っていない、引き締まった上半身。その姿を観ながら私は、黙々とロックし続けることによってロック・ミュージシャンとしての本分を貫いてきた彼の姿勢を思わずにいられなかった。激しく動き回る彼のステップを支える軸足のように、自分のしたいことに全くブレがないのだ、きっと。25歳のときも、55歳の今も。え、55歳?

今年63歳のブライアンを最年長に、メンバーの平均年齢はほぼ60歳に届こうとしている。なのに、2時間ヴォルテージが下がることなく、というより、クライマックスに向けてどんどんエネルギッシュになっていくようにも感じる彼らのパフォーマンスはまさに驚異的。アンガスも、髪がちょっと寂しくなったとはいえ、ヘッドバンギングをしながら喘ぐように口を開けたあの表情は、20代の頃と全く同じじゃないか。

今回チケットが12000円もするのにはちょっと驚いたが、ステージセットに5億円かかっていると聞けば納得するし、たった3回の公演のためによく極東の島まで持ってきたと思う。実際ステージ上では曲に合わせて随所で趣向を凝らした演出が繰り出され、目を楽しませてくれた。しかし2階からステージを見下ろしていて改めて気付かされたのが、マルコム、クリフ、フィルのリズム隊の素晴らしさ。

リズム・ギターのマルコムは弟のアンガス同様とても小柄な人で、身体でリズムを取っているとはいえ足を開いてほぼ仁王立ちのような動きの少ない人。ベースのクリフもドラムのフィルも目立つような大きなアクションはなく、3人はひたすらリフやリズムを刻み続ける。前方で暴れるブライアンとアンガスの後ろでパフォーマンスの屋台骨を支える彼らのタイトな演奏は、難攻不落の城塞のようでもあった。

実際この3人は不可分とでもいうように、マルコムとクリフはフィルの座るドラム台の横にピッタリと寄り添うように立って演奏しているが(向かって左側にマルコム、右側にクリフ)、コーラスの時だけ前方に設置されたマイクスタンドに歩み寄る。そしてコーラス部分が終わるや否や、二人ともすぐ元のドラム台横の定位置に引き下がる。ほとんど無表情にどの曲でも繰り返される彼らのこのパフォーマンスが、何とも言えずかっこよかった。

実は、彼らの新譜はおろか、私は彼らの作品はほとんど80年代のものまでしか聴いていない。でも今回それは何の懸念にもならなかった。なぜならAC/DCだから。彼らならではの(彼らにしか出せない)AC/DCの音やリズムの普遍的魅力は、初めて耳にする曲だとしても聴き手の身体を自然に動かしてしまう。今回も然りだった。

最後の最後、6基の砲台が姿を現した。ついにこの時が来た。『For Those About To Rock (We Salute You)』。28年間聴き続けた我々のアンセム。ブライアンのFire!やShoot!というシャウトに合わせてドカン!と何度も炸裂する大砲。バンドからファンへの意思表明であり、それに応えるファンからAC/DCへの、歓喜の祝砲でもある。

WE SALUTE YOU - リスペクトと感謝をこめて。

カラヴァッジョ―天才画家の光と影

2010-03-09 | その他
カラヴァッジョ―天才画家の光と影



銀座テアトルシネマで、映画「カラヴァッジョ―天才画家の光と影」を観てきた。上映時間2時間を超す大作だが、画家カラヴァッジョの波乱に満ちた38年間の人生を追いかけてスピーディーに展開していく迫力あるシーンの連続に、そして妥協のない映像の美しさに息を詰めて観入っているうちに終わってしまった。連日大入りだそうですが、まだご覧になっていない方には是非ともお勧めします。

映画の中で、親しい人にはミケーレと呼ばれていたミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610)。資料によってはカラヴァッジョはミラノ生まれとあるが、いずれにせよ20歳前後に彼は大志を抱いてロンバルディア(州都ミラノ)から芸術の都ローマに向かい、かの地で名を問われて「ミケランジェロ・メリージ。カラヴァッジョ出身(ダ・カラヴァッジョ)の」と名乗る。この映画では、それ以降のカラヴァッジョが辿る人生を描いていく。

カラヴァッジョの人生についてざっと触れておくと、ローマではデル・モンテ枢機卿という強力なパトロンを得て次々に名作を描き上げる傍ら、その激しい性格から殺人事件を起こしてしまい、ナポリへ逃亡。死刑判決を下され、逃亡の旅はマルタ(ここでも傷害事件を起こす)からシチリアへと続き、最後は恩赦が出て再びナポリに戻るもローマへ向かう途中で熱病が元で客死。

滞在する先々で請われて作品を残し、“芸は身を助ける”という言葉が浮かんだりもしたが、実際のところそんなに平和な状況にはなく、ローマを出てからのカラヴァッジョは常に追われの身。死の恐怖に脅え、悪夢にうなされ、心身共に逼迫した中で絵筆をふるいまくるその姿はある意味狂気じみてもいて痛々しい。

この作品の見どころの一つは、やはり今日私たちが観ることのできるカラヴァッジョの名作の数々が描かれるシーンが、あたかも本当に今目の前で油絵具の匂いを漂わせながら描かれているような臨場感を持って、随所に登場するところだろう。

『果物籠を持つ少年』は、カラヴァッジョ本人の自画像説もあるようだが、この映画ではカラヴァッジョがローマで知り合ったマリオという画家をモデルに描かれたことになっている。右肩をはだけた白いシャツに身を包み、果物を盛った籠を手にポーズをとるマリオが陰の中に浮かんだ時は全く絵そのもの。ちなみにこのマリオ、『とかげにかまれた少年』のポーズを取らされるシーンもあるが、実際にトカゲを持たされて何度も顔をしかめ、リアルさを追求するカラヴァッジョに協力。『馬丁たちの聖母(蛇の聖母)』では、蛇を踏むキリスト役の子供がほとんど半べそ。

更にこちらの高揚感が煽られるのは、出来上がった作品を観る人々の反応を捉えたシーン。例えばローマでの彼の名声を決定づけることになった、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂に納められた『聖マタイの召命』『聖マタイの殉教』のお披露目の時の様子。絵を覆っていた幕がさっと開けられて作品が姿を現した瞬間、その前に集った聖職者たちや地元の人々が一様にどよめき、畏怖の面持ちで口を半開きにして観上げる場面など、実際こんな感じだったのだろうとこちらも興奮を覚える。

登場人物たちの衣装や髪型も、本当に作品からそのまま出てきたような美しさだった。ローマの聖職者たちの緋色の聖職服、マルタ騎士団の白黒の制服、貴族の女性たちの美麗なドレス姿。美術史家なども監修に携わっているとのことなので、時代考証もいろいろなされているのでしょう。

そして屋内外問わず「光と影」の表現に徹底的にこだわった映像は、さながら明暗を強調したカラヴァッジョ作品がそのまま動画になったようですらある。改めて思えばカラヴァッジョの時代には当然ながら電気もなく、自然光と蝋燭の光が全てであり、カメラだってなかった。だからこそのあの明暗表現、質感描写なのだろうし、出来上がった作品を観た人々は「本物のようだ」と感嘆したのでしょうね。

主役のカラヴァッジョを演じたアレッシォ・ボーニは、笑った顔がややラモス瑠偉に似てなくもないが、喧嘩や決闘や死の妄想にうなされるような場面が多い中、激しい感情表現を大熱演。デル・モンテ枢機卿を演じたジョルディ・モリャの抑えた演技も良かった。

ついでに、「ボルゲーゼ美術館展」(東京都美術館)にまだ足を運ばれていない方がいらっしゃったら、そちらも是非。カラヴァッジョの最晩年の作品『洗礼者ヨハネ』が、じっと見詰めてきます。

クリスタル・パレス(水晶宮)

2010-03-02 | その他
水晶宮物語」(松村昌家著 ちくま学芸文庫)

もしタイムマシーンがあったなら、私は是非1851年のロンドンに飛びたい。そしてハイド・パークに直行し、クリスタル・パレス(水晶宮)をこの目で観てみたい。

Bunkamuraで先月下旬まで開催されていた「愛のヴィクトリアン・ジュエリー展」にて、とても小さいながらその姿をあしらったブローチを見かけ(#177 『ブローチ「クリスタルパレス」(1851))、久しぶりにこの建物のことを思った。

クリスタル・パレスとは、1851年にロンドンで開催された世界初の万国博覧会のために展示会場として造られた建物。この画期的な建物がどのような経緯を辿って生まれ、そして終焉を迎えたのかを、様々な史実を盛り込みながらもワクワクする冒険談のように描いた好著がある。それが今回ご紹介する水晶宮物語」(松村昌家著 ちくま学芸文庫)

以前読んだのを、上記のブローチを見かけ、ついでに映画「ヴィクトリア女王 世紀の愛」を観て、また読み返したくなった。そして、映画を観る前に読んでおけばよかった、とかなり後悔した。この本の冒頭には、映画の登場人物たちのやや複雑な相関関係が簡略にまとめられているからだ。

映画では、アルバート公は「あらまあ♡」と思わず顔がほころぶイケメンくんで登場するが(実際、公は端正な容姿の人だったと想像される)、イギリスに帰化しても外国人として扱われる偏見に耐えつつ、冷静に、そして賢くヴィクトリア女王と国を支える数々のエピソードには感動すら覚える。

本著によると、そんなアルバート公が成し遂げた最大の功績がこの万国博覧会(正式名称は万国産業製作品大博覧会:Great Exhibition of the Works of Industry of All Nations)。

まずもって私が何よりスリリングに思うのは、クリスタル・パレス建設に向けて、ものごとがサクサクと小気味よく進んでいく過程だ。遅々として前に進まないどこぞの国会を思うにつけ、このスピード感はまさに爽快。

ちょっと端的にデータを挙げると、世界各国から集められた10万点にも及ぶ大小様々な作品を展示する大博覧会だとういうのに、会場の選定に入ったのが開催のたった1年半前というのだからまずは驚く。しかも会場がハイド・パークに決まるも、そこに建設されるメインの展示会場の設計案に関しては、1850年5月の段階で決定打がなかった。コンペが開かれ、国内外から245人もの参加者が案を提出したにも関わらず(そして時間がないというのに)全て採用されなかったという冷静さにも感心するが、開幕が1851年の5月1日だから、その1年前にこの状況というのは信じがたい。

と書くと、上記の「ものごとがサクサクと小気味よく進んでいく過程」とはほど遠いが、話はここから。

そんな窮地を救うべく登場するのがジョーゼフ・パクストン。農家に生まれ、アカデミックな教育の背景を持たず、庭師からスタートして建築まで手掛けるようになった、まさに現場叩き上げの人。たまたま別件でロンドンに出てきたこの人が、初めてこの展覧会会場の設計図を送ってみようかという気になったのが1850年の6月中旬。「9日間のうちに」設計図を仕上げると約束した彼は、実際1週間で完成させ、それを見たアルバート公も望みをつなげる。

そのパクストン案による建造物は、のちに「鉄とガラスの建築における最高傑作」と言われるように、レンガ造りが主流の当時にあって全面ガラス張りの画期的なもの。しかも、あらかじめガラス板や桟などの建築資材を一定の大きさにしつらえておき、現場で素早く組み立てると言うプレハブ様式が採用された。

ものごとが決定されると全てはスピーディーに進んでいく。パクストンはアルバート公との面会後のその足で建設業者の下に走り、その業者はすぐガラス製造や製鉄の下請け業者に手回しし、1週間後には完璧な見積書を作り上げて入札を勝ち取る。

この時点で、イギリス的だなぁ、と思ったことが二つある。

一つは、懸案となった会場建設予定地に立つニレの大木。ナショナル・トラストを設立するような国の人々がそれを伐採するわけはなく、大胆にもそのまま建物の中に取り込むことになる。ついでに、この万博のために組織された建築委員会会員にて、当時の技術者として名を馳せていたイザムバード・キングダム・ブルーネルは、自らの案が通らなかったにも関わらず、自らニレの木の高さを測りに行き、結果をパクストンに知らせて設計を助ける。「自分が手がけた設計に花を持たせてやりたい気持ちは山々だけれども、貴殿にできるだけの情報を提供するのにやぶさかではない」と言いながら。

そしてもう一つは、その設計のインスピレーションになったのが、「ヴィクトリア・レギア」という大睡蓮の構造であったこと。パクストンが、自らの手で作り上げたガラス張りの大温室でイギリスで初めて人工栽培に成功した睡蓮の、交差葉脈などが大きなヒントとなった。イギリスの、自然科学を実用する伝統を思わずにいられない。

そのクリスタル・パレスの大きさについて大まかな数字を拾ってみると、建物全体の長さは1,848フィート(約563m)x横幅408フィート(約124m)。この本体に加えられた増築部分が936フィート(約285m)x48フィート(約14m)。建物全体の土地面積は約19エーカー、と言われてもピンとこないが、これはローマのサン・ピエトロ寺院の4倍、ロンドンのセント・ポール寺院の6倍に相当するそうだ。

その建物に使われた板ガラスの総量は、縦49インチ(約124.46cm)x横10インチ(25.4cm)のものが29万3665枚、重さ400トン!しかも外部の雨どい設置や、内部の水蒸気、換気、床の埃の処理など細部に渡った構造も抜かりがない。

繰り返すけれど、これだけの一大事業を、それこそ開催地選びから始めて設計、資金・資材の調達、建設まで1年半足らずで成し遂げたヴィクトリア朝期のイギリスって、やっぱり凄いと思いませんか?

チャールズ・ディケンズに「へとへとになってしまいました」と言わしめたこの万国博覧会の様子は、大変興味深いながらとてもここに書き切れないので省きます。一つ加えるとしたら、アルバート公を総裁とする博覧会王立委員会は、万国博覧会閉会後にその収益を投入し、ヴィクトリア&アルバート博物館、科学博物館、自然史博物館など、現在に見るサウスケンジントンのアカデミックなエリアの礎を作ったのでした。

ここまで読んで頂いた方の中には、きっと私の中途半端な紹介ぶりにたくさんの疑問を持ったり、不明瞭な説明に首をかしげた方もおありかと思います。さぁ、是非本をお手にとってご一読を。

そして映画「ヴィクトリア女王 世紀の愛」をご覧になって、アルバート公の身を張った献身ぶりに涙された方、またはこれからこの映画をご覧になる方(まだ都内の映画館で上映中のようです)にも、この「水晶宮物語」を読まれることを強くお勧めします。


謹賀新年 2010

2010-01-01 | その他
新年明けましておめでとうございます。

早速ですが、美しく晴れ渡った元旦、じっとしているのも勿体ないと六本木ヒルズに行ってきました。森美術館も開いていたので、「医学と芸術展」を観て(元旦からすごいものを観てしまった。感想はまた後日)、展望台へ。傾きかけた太陽は直視できないほどの眩い光を放ち、ぽっかり浮かぶ大きな雲、遠くに霞む富士山のシルエット、そして眼下の街並みとすべてが透き通った空気の中で見渡され、新年らしい晴れ晴れとした気持ちになりました。

昨年の六本木アートナイトでトらやんが火を噴いていたアリーナには、和太鼓のパフォーマンスなどが行われるステージが。



さて、家に帰って恒例の読売新聞の元旦の別刷り「本社の展覧会」をチェック。西洋美術に関しては昨年のような大規模な海外の美術館展は見当たらなかったけれど、ルノワール、マネ、ドガそれぞれに焦点を当てた三つの展覧会が紹介されていました:

「ルノワール ~伝統と革新」 
1月20日(水)~4月5日(日) 国立新美術館


「マネとモダン・パリ」 
4月6日(火)~7月25日(日) 三菱一号館美術館


「ドガ展」 
9月18日(土)~12月31日(金) 横浜美術館


マネもドガもまとめて観る機会はなかなかなかったので、ちょっと期待。とりわけ100点もの名品が集まるドガの本格的な回顧展は21年ぶりだそうです。

他に気になったのは以下の二つ:

「ベルギー王立図書館所蔵 ブリューゲル版画の世界」 
7月17日(土)~8月29日(日) Bunkamura

「イタリアの印象派 マッキアイオーリ」
1月16日(土)~3月14日(日) 東京都庭園美術館

まぁ後者は去年プレス・リリースにもぐりこませて頂いたので、やっと展覧会を拝見できるという個人的な思い入れもあります。

さて、東洋美術に関しては「東大寺大仏-天平の至宝-」(10月8日(金)~12月5日(日) 東京国立博物館)というのが凄そうです。何といっても「光明皇后御遠忌1250年記念 特別展」とありますから。今から少しでも予習し、人の波に打ち勝つ体力をつけておかないと。

読売さんの主催だけで現時点でこんなにあるのだから、また今年も観きれないのでしょうね。

最後になりましたが、昨年中はこんな拙いブログにコメントやTBを下さったり、見に来て下さる方が思いの他いらして、驚くやら嬉しいやらの1年でした。本年もマイペースでのらりくらりと書いていきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。

映画 『クリスマス・キャロル』

2009-12-04 | その他
12月といえばクリスマス。といえば私にとって、イギリス人の文豪チャールズ・ディケンズ(1812-1870)の小説の映画である。

年の瀬になると、毎年のようにNHKがディケンズの作品の映画を放映してくれる。『オリヴァー・トゥイスト』とか『ディヴィッド・コッパーフィールド』とか。そして私は毎回飽くことなくそれらを観て、恐らく1年中で一番イギリスが恋しくなる。

モミの木を担いで(イギリスでは八百屋で売っているそうな)、お父さんたちが坂道をヨタヨタと登っていく光景が目に浮かび、通りに面した出窓の内側で色とりどりの暖かい光を放つクリスマス・ツリーが週末ごとに増えていくロンドンの12月の宵。

ということで、たまには映画の話題でも。

封切前から話題になっていたディズニー映画「クリスマス・キャロル」。言わずと知れたディケンズの名作を元に映画化されたもので、普段ディズニー映画とかハリウッド映画には余り縁のない私も今回ばかりは観に行かずにはいられなかった。しかも私にしては珍しく手間暇かけた映画鑑賞となった。

この映画はどうしても字幕の3Dで観たい。そう思って検索をしていたのだが、私が見つけられたのは日本全国、IMAX 箕輪・川崎・菖蒲の3ヶ所だけ。あとは全て普通の字幕か、3Dであれば日本語吹替のみ。

箕輪は大阪だから、埼玉在住の私にとってチョイスは川崎と菖蒲の2ヶ所。同じ埼玉県内といえど菖蒲ってどこ?と調べると、最寄りはJR久喜駅で、しかも映画館は駅からかなり遠そう。電車代も川崎とほぼ同じだし、これは川崎の方が出やすいかな、と川崎に気持ちが傾きかけたところ、久喜には友だちがいることにハタと気がついた。

その友人に声をかけてみると、映画に付き合ってくれるばかりか、車で久喜駅と映画館の間の送迎をしてくれるという何ともラヴリーなお返事。持つべきものは友だちですね!というわけで、親の実家から届いたリンゴと樽柿をお土産に初めて久喜駅に向かった。

さて、念願かなって3D眼鏡をかけて観たこの映画の感想だが、まずは画像も音も確かにすごい迫力だった。実写とアニメの中間のような不思議な映像は「パフォーマンス・キャプチャー」という技術が使われているそうで、どんな技術かというと(以下映画のオフィシャル・サイトから引用)、「俳優の表情や動きを連続してデジタルに取り込み、それをスクリーンに再現するテクノロジー。そして、俳優の演技を、全周囲360度からコンピュータ・カメラでデジタル的に捉える」もの。

主役のエベニザー・スクルージを演じたジム・キャリーが一人で7役もこなしていると話題だが、スクルージをはじめどの役も本人の容姿の原形をとどめているとは言い難い。ただし、元となった顔の表情や身体の動き、声の演出などは素晴らしい演技であるし、私がかろうじて知っているイギリスの俳優陣の演技もとても良かったと思う。スクルージの甥役のコリン・ファースはすぐに本人とわかる容姿で登場したが、何といってもゲイリー・オールドマン。最初に登場する幽霊である、スクルージのかつての仕事のパートナーで今は亡きマーレイの鬼気迫る演技は、その登場のし方からしてホラー映画の苦手な私を震え上がらせた。

また、登場人物の肌の描写など立体的すぎるほど克明で、毛穴が汚く開いた主役の守銭奴エベニザー・スクルージや不潔っぽい葬儀屋夫婦などをじっと見ていると、ちょっと気持ち悪くなるほど。スクルージの寝室を訪れた幽霊のマーレイが、去り際に窓を開けてスクルージに見せる、責め具に苦しみながら空に浮遊する無数の亡霊たちの映像は幻想的で美しいと思ったけれど。

この映画では、マーレイの幽霊の出現に続いてクリスマスの過去・現在・未来の亡霊が順に登場して話が進んでいくが、最初の「過去の亡霊」が寝室からスクルージをしょっぴいてビュ~ン!と過去への旅に出てから、観ている側もずっとジェット・コースターに乗りっぱなしのような、息をもつかせぬ展開で進んでいく。勿論静的な場面もあるのだが、「現在の亡霊」の豪快な声と場面展開、「最後の亡霊」が現れてからの逃走シーンまで、レッドゾーンに針が振り切っている時間が圧倒的に長く感じられた。監督のロバート・ゼメキスは、「テクノロジーは物語を語るための道具であり、その逆であってはならない」と言っているが、確かに原作に忠実ではあり、ちょっとじんわりくるシーンもあるにはったが、私にはやや「映像ありき」の感が否めず。というより、私が映画に求めるものがそもそも違っていたのだろう。

本編が終わり、ふう、と思っているところにクレジット・ロールが流れ出すと、今度はオペラ歌手アンドレア・ボチェッリが朗々と歌い上げるテーマ・ソング。その大きな音量を聴きながら、あまりイギリスが恋しいという余韻には浸れなかった。

とはいえ、よく出来た映画には違いないので、3Dの画像世界で師走の気忙しさをしばし忘れるのもいいと思います。

下の画像は映画館でもらったスクルージ人形。友人は要らないと言うので、2個ゲット。今にもHumbug!(くだらない!)と毒づきそう。



ついでに、今年の国立西洋美術館の中庭のクリスマス・イルミネーション。ツリーの後ろはロダンの『地獄の門』。スクルージにピッタリ?


館山の浜辺に遊ぶ

2009-05-09 | その他
今年のゴールデン・ウィークの、とある晴天の一日。東京駅を朝7時半に出発するさざなみ3号に飛び乗って、友人と千葉の館山に遊びに行った。

去年行った神奈川の荒崎海岸では、足を一歩前に踏み出すごとにザザザーッと大移動する巨大なフナムシの大群に卒倒しそうになったが(夢に出てこないよう必死に祈りながら岩場を進んだ。しばらく経って忘れた頃にまんまと出てきてうなされた)、館山ではどこまでも続く砂浜の散歩が非常に快適で、気分爽快。いいもんだ、海というのは。

背の低い松林を抜けてこんな光景が眼の前に開けると、胸が高鳴る。海の色がきれい。モネみたいだ。

     


砂から直接生えている草。強い海風に身を任せ、しなやかに根を張る。高山辰男の「砂丘」がなんとなく。

   


砂に足を捕られながら丘を登っていくと、眼下の浜辺に一本の大きな流木。生命活動を終え、カサカサに乾いて。ワイエスの無常の世界。

   


モネ、と思った美しい海の打ち寄せる波はしかし、思いのほか荒く激しく。じっと見詰めていると、時の止まる一瞬がある。クールベの波への執着、執念を想う。

    


数キロ歩いただろうか。爽やかな潮風を浴び、波の音を聴きながら、浜辺ではたくさん貝殻を拾った。夢中になりすぎて、顔を上げると友人ははるか前方に小さく。

ああ、ヴィーナス誕生。シュワシュワと泡立つ波の音の幻聴。やっぱりボッティチェッリの作品が真っ先に浮かぶ。

    


巻貝は見つからなかったけど、この日拾った貝殻たち。早くまたコールテの貝殻に会いに行かなくちゃ。西美の展示室に、ひっそりと掛かるあの小さな絵に。フランスに帰ってしまう前に。


    

(写真右)アドリアーン・コールテ(1665頃-1707以降)作 『5つの貝殻』(1696)
「ルーヴル美術館展―17世紀ヨーロッパ絵画」(国立西洋美術館)にて2009年6月14日まで開催中


フットサル

2009-04-09 | その他
会社の合併に伴い、オフィスが山の手線のマイナーな駅の前に建てられた新築のビルに引越してはや1年半。

六本木から引っ越すのは残念だったが、いいことが一つだけあった。それは、ビルの敷地内に立派な人工芝のフットサルのピッチがしつらえられており、サッカー好きのイングランド人副社長(ブラックバーン出身で、ローヴァーズのサポーター)のお陰で社内にフットサル部が結成されたことだ。週に一度、夜7時から始まる練習には社員なら誰でも参加できるので、未経験の私もたまに顔を出している。あまりに走れなくて我ながら情けなくなるが、ボールを無心に追い、足で蹴るという原始的な動作はストレス解消にピッタリ。そして、たま~にだがボールをインターセプトして仲間に上手くスルー・パスが出せたり、アシストして点が入ると物凄く気分がいいものである。

マイ・シューズまで買ってしまった。



そんな中、このような素晴らしい功績を残してくれた副社長が、残念ながらこのたび他の国に異動となり、はなむけの意味も込めて部署対抗のフットサル試合が一昨日の晩に催された。AからDまでの4チームが結成され、各チームに女子が一人入ることが条件。気づけば今年一度も練習に出ていない私は応援に回ろうと思っていたのだが、開催数日前に召集がかかり、急遽Dチームに参加と相成った。

実は4チーム中、外国人選手も皆無、経験者も2名しかいない我がDチームはどう見ても一番の弱小チームで、実際この試合に先駆けて行われた練習試合ではボロボロに負けてビリだったそうだ。女子もK嬢のみで、女子の交代要員なしではきついということで私に声がかかったらしい。逆に、そんなチームなら入ってもいいや、と気が楽だったのも事実。

あっという間に迎えた当日は、フランス人社長以下、取締役、部長クラスと国際色豊かな上役たちや同僚たちが大勢見守る中、出場4チームによる総当たり戦で、全部で6試合が行われた。一試合10分で選手の入れ替え自由。たかが10分と思うなかれ。休む間もなくボールを追って5分も走ればヘトヘトになり、キーパーになりたがる人続出である。女子がキーパーを務めるのは無理である上、男子は女子に1メートル以内に近寄ってはいけない(従って女子の足元からボールを奪えるのは女子だけ)、女子のゴールは2点と見なされるという2大基本ルールがあるので、案外女子選手は攻防に忙しい。私はK嬢と、1試合5分ずつで交代しましょうと事前に打ち合わせておいた。

それにしても、たいした賞品がもらえるわけではないのに、皆の熱の入り具合はどうしたことだろう。戦闘モード全開の他チームを横目で見ながら、練習試合ですらボロ負けだったという我がチームは、今日はどこまでやられてしまうのか、と正直かなり怯んでいた。

。。。がしかし、わからないものである。1試合目、我がチームのエースがいきなり先取点を取るとなにやら調子にのってしまい、激しい攻防戦の末そのまま試合に勝ち(私も生まれて初めてヘッドでクリアーをしてしまった)、その後の2試合もなんやかんや負けなかったのである。特に最後の試合はこの日最後の6試合目ということで相手チームもろとも鬼気迫るものがあったが、残り1分くらいのところで展開されたゴール前の際どい混戦(相手のシュート、我々のクリアーが目まぐるしく繰り返された)を最後に制し、蓋をあけてみれば2勝1分け。他の強いチームは潰し合いとなり、2勝したのは結局我がDチームだけ、ということで、見事優勝!

試合後はピッチの横にあるアイリッシュ・パブを貸切り、勝利の美酒に酔いながら優勝トロフィーの授与式。男子6名、女子2名の総勢8名の我がDチームが壇上に呼ばれ、社長自らガラス製の大ぶりなお椀型のトロフィーを手渡して下さった。それを持って記念撮影、となったとき、社長が「台座はどこにやった。あれがないとただのサラダ・ボールにしか見えないぞ」と私の耳元で言うので思わず噴出してしまった。確かに表面に刻まれたカットのデザインはそれっぽい。あとで誰かに、あのトロフィーはどうやって用意したの?と聞いたら、「どこかにあったらしいよ。今回あれが置ける台座だけ買ったんだって」とのこと。どこかって アヤシイなぁ。。。