l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

ボッティチェリ展

2016-03-29 | アート鑑賞
2016年1月16日(土)-4月3日(日) 東京都美術館



公式サイトはこちら

この展覧会は非常に混雑するだろうと思い、始まって1週間後くらいに足を運びました。しかしながら、≪ヴィーナス誕生≫や≪春≫が来るわけじゃないし、出品数もそれほど多くなさそうだから、さらっと観られるのではないかと安直に構えていたのですが・・・。

甘かった。実は東博の「始皇帝と大兵馬俑展」とはしごしたのですが、大混雑の東博でかなり集中力と体力を消耗していた身にはちょっと濃すぎる内容でありました。

何せ、私が勝手に本展の目玉だろうと高をくくっていた≪ラーマ家の東方三博士の礼拝≫が、最初の部屋に入るなりいきなり登場するのですから。この作品をしょっぱなに持ってくるところに主催者の本気モードが伝わってくるようです。

その≪ラーマ家の東方三博士の礼拝≫の左方にはロレンツォ豪華王の巨大なブロンズ像が鎮座し、さっきまで紀元前3世紀の中国大陸にどっぷりつかっていた私の頭は、瞬時にルネッサンス美術の咲き誇る15世紀のフィレンツェへ切り替わることとなりました。

このように時空を自由に旅できる美術館や博物館が集まる上野の山は、やはりすごいところですね~。

さて本題ですが、下記の各章のタイトルが示す通り、本展ではボッティチェリ本人の作品のみならず(と軽く言いましたが、ボッティチェリの真筆が20点も一堂に会するなんて凄いことです)、師匠のフィリッポ・リッピ、弟子のフィリピーノ・リッピ(フィリッポ・リッピの息子)、そして同時代の画家たちの作品も含め、計78点が並びます:

1章 ボッティチェリの時代のフィレンツェ
2章 フィリッポ・リッピ、ボッティチェリの師
3章 サンドロ・ボッティチェリ、人そして芸術家
4章 フィリッピーノ・リッピ、ボッティチェリの弟子からライバルへ

個人的に興味深かった作品を何点か挙げてみます:

≪書斎の聖アウグスティヌス(あるいは聖アウグスティヌスに訪れた幻視)≫ 1480年頃



フィレンツェには2回ほど行ったことがありますが、オニサンティ聖堂をついぞ訪ねることができず、観ることが叶わなかった作品です。まさか先方から東京に会いに来てくれるなんて夢のよう。だって、これ結構大きなフレスコ画ですよ。よくぞはるばる日本まで運んで下さいました。しかも、美術館でこうして展示されている方が、美術作品としては聖堂内より近くでじっくりと鑑賞できるのではないでしょうか。というわけで、聖人のお顔をはじめ隅から隅までゆっくりと拝見しました。

≪聖母子(書物の聖母)≫ 1482~83年頃



もう10年も前の話ですが、この作品の所蔵元であるミラノのポルディ・ペッツォーリ美術館には一度行ったことがあって、確かにこの作品を観た記憶はあります(ポストカードも買っていますし)。しかし、この美術館に行く前に巨大なブレラ美術館を歩き回っていたせいでヘトヘトに疲れ、頭の中はすでに飽和状態。

というわけで、今回改めてこの作品の前に立ち、その美しさが心に沁み込んだような次第です。聖母のまとう深みのある青いマント、光輪や金糸装飾の繊細な描き込み。高級な顔料がふんだんに用いられ、全体的にもしまった画面構成で、ボッティチェリが高い集中力を注ぎこんだことが伺える作品です。

≪胸に手をあてた若い男の肖像≫ 1482-85頃 *2月25日までの期間限定展示



忽然と現れた流し目のイケメンにちょっとドキドキ。ボッティチェリの作品は遠近法などはさほど重視されず、輪郭線を描きこむ画法が日本の伝統的な絵画にも通ずるのではと言われますが、私はやはり小学生の頃読んでいた少女マンガが浮かんできます。

以前ウフィツィ美術館のボッティチェリ作品の展示室に入り、彼の描く美少年たち(天使たち)に囲まれた時、その余りの美しさになんだか涙が出てしまったのですが、今思えば小学校時代の少女マンガのノスタルジーが幾分作用したのかもしれません。

輪郭線といえば、私はボッティチェリの人体のパーツの描き方で昔から目がいってしまうポイントが二つあります。一つは、時にいびつなほど長い特徴ある足の指。もう一つは、くっきり平坦に描かれた手足の爪です。師リッピの作品からはあまり感じられない要素で、ボッティチェリ独自の表現に見えます。

≪温和なミネルウァ(女神パラス)≫ 1494-1500年頃

ボッティチェリの原寸大下絵をもとに織られた大きなタペストリー。中央には女神パラスが立っていますが、風になびく長い髪と衣、右足に重心を置くS字気味のポーズは一目でボッティチェッリ作とわかります。彼の甘美な女性像を織物に仕立てるのも、絵画とは異なる趣があってなかなかいいものだと思いました。

≪オリーヴ園の祈り≫ 1495-1500年頃



修道士サヴォナローラに傾倒した後の作品は、ロレンツォ・イル・マニーフィコとつるんでいた頃の、ふんわりと優美な作風とは打って変わってギスギスしたものとなりますが、本作はまるでフランドル絵画。色彩は鮮やかですが、禁欲的と言いますか、登場人物の表現よりも画題ありきといった仕上がりです。これがボッティチェリの筆による作品かと驚きました。

以上、ボッティチェリの作品ばかり挙げましたが、アントニオ・デル・ポッライオーロの≪竜と戦う大天使ミカエル≫も来ていましたし、素描類が観られるのも貴重です。

ボッティチェリはやはり春がお似合いです。本展はあと1週間足らずで終わってしまいますが(4月3日まで)、はらはらと舞う上野の山の桜の花びらを受けながら足を運ぶのもいいかもしれませんね。

リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展

2016-02-26 | アート鑑賞


2015年12月22日-2016年3月6日 Bunkamura ザ・ミュージアム
公式サイトはこちら

ラファエル前派の名作を多数所蔵している美術館としてつとに有名な「レディ・リーヴァー・アート・ギャラリー」と「ウォーカー・アート・ギャラリー」。この二つに「サドリー・ハウス」を加えた、イングランド北西部の三つの美術館から出品された65点の作品により本展は構成されています。

ちなみに「リバプール国立美術館」とは「リバプール内及び近郊の美術館、博物館7館の総称」だそうで、上記3館もその一部であるということを今回初めて知りました。

19世紀のリバプールは、産業革命によって造船業や貿易の輸出港として大変栄え、多くの新興の中産階級を生み出しました。余談ながら、当時アイルランドからアメリカに移住する人々もリバプール港から出航する船で大西洋を渡ったそうで、中にはそのままリバプールに居ついた人も多いと聞きます。地理的にとても近いし、ビートルズをはじめリバプールやマンチェスター出身のロック・バンドのメンバーもアイルランド系が多いですよね。

そんなウンチクはさておき、経済的に裕福になった企業家たちがパトロンとなり、芸術が繁栄した結果としてこれだけの潤沢なコレクションが地元に残るわけですが、ビジネスで成功し、豪邸を建てた人々が好んだ画題はやはり「見た目に美しいもの(美しい女性)」が多いという印象を受けます。

章立ては以下の通りです: 

Ⅰ.ヴィクトリア朝のロマン主義者たち
Ⅱ.古代世界を描いた画家たち
Ⅲ.戸外の情景
Ⅳ.19世紀後半の象徴主義者たち

Ⅰ章の1作品目、ジョン・エヴァレット・ミレイによる≪いにしえの夢―浅瀬を渡るイサンブラス卿≫(1856-57年)。チラシにある作品です。

解説には、「画家は馬が大きすぎることに気づいてあとで修正した」というようなことが書かれています。言われてみれば、確かに馬の鼻の輪郭が結構大胆に白っぽい絵具で上塗りされ、細く修正されているように見えます。素人目にはややぞんざいにも感じられ、クスッとなりかけた瞬間、ん?と思い当たる事が。そうか、油彩画だからか!

ここでちょっと横道にそれます。

実は何となく私にとってずっと掴みづらいところのあった「ラファエル前派」。どうもしっくりこないその主義主張、そしていったいどの画家がその範疇に入るのか?

美術史的には、「ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood=PRB)とは1848年に結成されたグループ」であり、PRBとしての活動は1853年に自然消滅したことになっています。しかしながら、今回の出展作品は1点を除いてそれ以降のものばかりです。

ついでに、今回も5点出品されているジョージ・フレデリック・ワッツの、イングランドに所在する「ワッツ・ギャラリー」の入口には、「ワッツはラファエル前派ではありません」という断り書きがしてあると聞きます。

そもそもラファエル前派が目指したとされる「ラファエロ以前」の絵画とは、具体的にどのようなものをいうのでしょうか?図録の解説を参考にすると、それは1400年代前半の初期ルネサンス絵画(例えばフラ・アンジェリコやボッティチェリなど)を指し、輪郭線を伴う描画法、奥行き表現の発達していない平坦な画面、豊かな装飾性などを特徴とするとあります。

そこで私が思い当ったのは技法です。ご存知の通り、初期ルネサンス絵画は主に板にテンペラで描かれています。対してラファエル前派の人たちはほとんどがカンバスに油彩。油彩は奥行き感を出すのに秀でた画法ですし、絵肌もテンペラ画にはない特有の光沢があります。だから、例えばロセッティやミレイなどの初期の聖書主題の油彩作品などに、わざと平坦に描こうとしているような違和感を私は感じるのかもしれないなぁ、と。



≪シャクヤクの花≫ チャールズ・エドワード・ペルジーニ (1887年に最初の出品)

多分初めて観る画家ですが、無条件にきれいだなぁ、とうっとりしました。レイトンの助手などもしており、その影響も受けているとのことですが、レイトンより自然で、ふんわりと柔らかい画風です(筆跡を残さない完璧な古典主義技法で仕上げたレイトンの女性の顔や肌は美しいとは思いますが、筆触を残す衣服との対比や、これでもかと波打つ衣襞にやりすぎ感を感じてしまうことがあります)。

ここで思うのは、現在ラファエル前派の大きな括りの中で語られる画家の多くが女性の美しい肖像画をわりとアカデミックに描いていて、それがどことなくラファエロ作品との親和性を感じさせてしまうことも、PRBをわかりにくくしている一因かもしれないということです。つまり、ラファエロの名を冠した「ラファエル前派」という名称と内実が、どうも私の中で混乱を起こしてしまうようです。



≪ブラック・ブラウンズウィッカーズの兵士≫ ジョン・エヴァレット・ミレイ (1860年)

女性のドレスと兵士の制服の質感描写が称賛されたという作品。なるほど見事です。このようにアカデミック(「ラファエル以後」)の作風を得意とするミレイが、PRB創始者の一人というのがおもしろいですね。まあ反アカデミズムといっても、技法だけの問題ではないのでしょうけど。

そういえば以前、同じBunkamuraで開催されたミレイ展に出品されていた、画家が9歳頃に描いたという≪ギリシャ戦士の彫像≫のチョーク画は、9歳児の手になるとはにわかに信じがたいほど見事な出来栄えで腰を抜かしそうになったことを覚えています。

さらに2013年に東京藝大美術館の「夏目漱石の美術世界展」において、ミレイの≪ロンドン塔幽閉の王子≫とウォーターハウスの≪シャロットの女≫が並んでいたときのことも思い出されました。しげしげと両者を見比べてみたら、人物のリアルな迫真性という点ではミレイの方が断然秀逸で、しかし決してウォーターハウスが劣るというわけではなく(後述するように、むしろ私のお気に入りの画家です)、両画家の目指すものの違いが歴然と浮かび上がる貴重な体験でした。



≪ペルセウスとアンドロメダ≫ フレデリック・レイトン (1891年)

≪ペルセウスとアンドロメダ≫(1891年)は、ヴィクトリア朝画壇の重鎮、レイトン卿の235x129.2cmの大作です。ポセイドンの生贄として岩場につながれているアンドロメダをペルセウスが救いに来る場面ですが、アンドロメダに覆いかぶさるドラゴンのような怪物が私にはどうも岩場に貼りつく昆布のように見えてしまい・・・なんて言ったら、この絵のためにドローイングや粘土のモデルまで使って下準備しという卿に激怒されるでしょうね。

レイトンは大陸仕込みの、いわゆる新古典主義と評される画家。ここでまた美術史的な観点からみると、PRBとしての活動は短命に終わりますが、このレイトンも含め、いわばその第二世代とも呼べるような画家たちによって19世紀後半のイギリス美術にはいくつかの流れが出来上がってきます。

すなわち、バーン=ジョーンズやワッツに代表される象徴主義、レイトンやアルマ=タデマなどの新古典主義、ロセッティが追い求めたファム・ファタルやアルバート・ジョセフ・ムーアらによる美しい女性が主役の唯美主義などです。



≪スポンサ・デ・リバノ(バノンの花嫁)≫ エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ (1891年)

325.7x158cmのこの大作が水彩画だということに驚嘆。左画面の宙に舞う二人は「北風」と「南風」で、12歳の少女をモデルにして描いたそうです。

水彩画といえば、「鳥の巣のハント」と呼ばれているらしいウィリアム・ヘンリー・ハントの≪卵のあるツグミの巣とプリムラの籠≫(1850-60年)も、小品ながら精緻で繊細な描写が素晴らしかったです。



≪エコーとナルキッソス≫ ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス (1903年)

私はウォーターハウスがとても好きです。本展でもっとも観たかった作品も≪エコーとナルキッソス≫、今回やっと初対面と相成りました。ウォーターハウスは新古典主義のようでもあり、ロマン主義的な色合いもあり、といった画家に映ります。いずれにせよ作品を観ながら、私は彼の描く人物の造形や色彩のバランスが好みなのだということに思い至りました。例えば、女性たちはバーン=ジョーンズのように病的ではありませんし、ロセッティのようにちょっと毒々しい癖もなく、自然で健康的。



≪デカメロン≫ ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス (1916年) 部分

ぐだぐだと書いてきたわりに偏った感想になってしまいましたが、本展では各章のタイトル通り、さまざまな切り口から作品が鑑賞できます。それらを眺めていくうちに、PRBはそれのみで捕えようとするより、19世紀のヴィクトリア朝絵画の流れの中で見てこそ、その意義や位置づけのようなものが立ちあがってくるように感じました。

ところで、これは余談になりますが、本展は私が今年最初に足を運んだ展覧会。1月2日のことで、この日先着150名に配られたユニリーバ社からのお土産を私も頂くことができました。入口で整理券を頂きながら、恐らく石鹸一つくらいだろうと正直あまり期待をしていなかったのですが、出口で手渡された紙袋には固形石鹸、ハンド・ソープ、そしてリプトンの紅茶という豪華三点セットが入っており、整理券のお心遣いをありがたく理解。

紅茶はイギリス美術の展覧会だからおまけかな?なんて呑気に思った私ですが、1885年に石鹸で起業した会社から発展したユニリーバ社は、今やリプトンやPGティップスといった紅茶ブランドなども所有する、巨大グローバル企業なのですね。

イギリスの紅茶業界も最近はコーヒー人気に押され気味なのだそうですが、イギリスのユニリーバ社は、いち早くコーヒーに倣ってカプセル型の紅茶(ティーポッド)の発売を開始したそうです。さらには専用のティーポッド用マシーンの製造販売にも着手しているとか。ビジネスの生き残り、発展にはイノベーションが不可欠といったところでしょうか。

本展は3月6日までですので、ご興味のある方はどうぞお急ぎください。

クリーブランド美術館展 名画でたどる日本の美

2014-02-21 | アート鑑賞
東京国立博物館 2014年1月15日(水)-2014年2月23日(日)



展覧会の公式サイトはこちら

クリーブランド美術館は、設立100年を迎える全米でも有数の総合美術館で、”なかでも体系的に収集した日本美術の作品は、全米屈指のコレクション”だそうです。

海外の美術館に所蔵されている日本美術作品のコレクションとあっては、一度機を逸したら二度と日本でお目にかかれない確率も大きいでしょうし、そのような展覧会では珍しい作品に出会えることもしばしば。本展にはまた、東博との交換展という背景もあるようです。

今回は出展数が約50点とさほど多くはないものの、仏画、中世絵巻、屏風絵、水墨画と多岐に渡るジャンルの中に目を惹く作品も多々あり、やはり行ってよかったと思う展覧会でした。

章の構成は以下の通りです:

第一章 神・仏・人
第二章 花鳥風月
第三章 山水
終章 物語世界


≪福富草子絵巻≫ (室町時代・15世紀)

 部分

主題は、「放屁の芸」でひと儲けした高向秀武(たかむこのひでたけ)に弟子入りするも、騙されて下剤となる朝顔の種を飲まされ、その結果、芸を披露しに向かった中将の家で大失態を演じてボコボコにされてしまった福富の話。過去に別バージョンの絵巻を観たことがありますが、今回は福富のおかみさんの猛烈キャラがパネルでフィーチャーされていて思わず笑ってしまいました。例えば、目論見が失敗し、中将の家から血だらけで戻ってきた福富を、妻は怒ってさらに打ちのめします。赤ん坊を背負いながらも着物の裾を端折って福富の背に乗っかり、鬼の形相で夫を鞭打つ妻。ただでさえ弱っている福富には抵抗する気力もなく(もっともこの人は始めから奥さんに頭が上がらないのでしょうね)、打たれるがままです。

でも、彼女は福富のために下痢止めの薬をもらいに行ったり、夫を騙した秀武を絶対呪い殺してやると言わんばかりに必死に呪いの儀式を行ったり、道で出くわした秀武に噛みついたり、と彼女なりの愛情表現(?)も示します。

今回、もう一点出展されていた≪融通念仏縁起絵巻≫ (鎌倉時代・14世紀)も素晴らしかったし、中世絵巻にみられる日本人の線描表現にはいつも引き込まれます。詞書が読めればもっと楽しめるのでしょうけど。

≪朝陽補綴図(ちょうようほてつず≫  (南北朝時代・14世紀)



「朝陽補綴」とは、“禅僧が朝日のもとで破れた袈裟を縫う”という、禅宗で好まれたポピュラーな主題とのことですが、私は初めて観ました。サッカー好きの私としては、イングランドのルーニーを思わせる禅僧の顔つきにどうにも目がいってしまいますが、画面全体を見渡すと緩急の効いた筆の運びの見事さに気づきます。ザザッと一気に濃い墨で表された袈裟に対し、そこから伸びる糸や針を持つ禅僧の手は繊細です。

≪大空武左衛門像(おおぞらぶざえもんぞう)≫ 渡辺崋山 (1827)



大空武左衛門は実在した熊本藩のお抱え力士で、身長が227cm(!)もあったそうです。西洋画の技法を学び、写実描写を追求した渡辺崋山が、カメラ・オブスキュラを使って彼をほぼ等身大に描いたのがこの作品。牛を跨げるほど足が長く、「牛跨ぎ」とも呼ばれたそうですが、仰ぎ見るような背の高さや手や足の大きさといい、文字通りのけぞるような肖像画でした。

≪南瓜図(なんかず)≫ 伝没倫紹等(もつりんじょうとう)賛  (室町時代・15世紀)

 部分

蟻を擬人化したような生き物が大きな南瓜を引っ張る図は、一瞬自分の体より大きい葉や餌を運ぶ蟻の隊列を思わせましたが、よく観ると笛を吹いたり太鼓を叩いている人もいます。南瓜の上の人も扇子を煽りながら囃したてているし、ひょっとしてこれはお祭りの情景、南瓜はさしずめお祭りのお神輿か山車といったところでしょうか?悲しいかな、賛が理解できないので本当のところはわかりません。この蟻のような生き物はしばしば絵画に現れるモティーフだそうですが、私には珍しいものでした。

≪松に椿・竹に朝顔図屏風≫ 伝海北友松 (江戸時代・17世紀)

 右隻・部分

水墨で描かれた松の幹が中途で霞みの中に没しています。足のない幽霊ではありませんが、松の物質的な実在性よりも、樹木の霊(スピリット)が立ち現れたような感じがしました。

≪琴棋書画(きんきしょが)図屏風≫ (室町時代・16世紀)

 左隻・部分

中国の教養人が嗜んだ四芸を主題にした作品は今まで幾度となく観てきたので、私にも馴染みの主題となりました。この作品では、碁(棋)と画の二芸が取り上げられていますが、画を嗜む文人の、自作の出来栄えにまんざらでもなさそうな「ふむ」といった表情が印象的。

ちなみに右隻では、碁を打つ文人が眉間にしわを寄せ、口をへの字に結んで苦戦しているようです。

≪燕子花図屏風≫ 渡辺始興(しこう) (江戸時代・18世紀)

 左隻・部分

この図柄はいやでも尾形光琳の代表作を想起させますが、本作品では燕子花の下半分以上が霞みの中に消え、花びらも光琳よりはポッチャリしている感じです。このところ世界各地で起こっている洪水のニュースが多いせいか、不謹慎ながらこの燕子花も水没しているように見えてしまいました。

本展ではその他、期せずして馬遠米友仁などの中国山水画の貴重な作品や(クリーブランド美術館の館長さんが、日本美術を単独ではなく東洋美術の流れの中で捉える視点をもとにコレクションされていたことがベースにあるようです)、アンリ・ルソーのジャングル画などを観られたことも収穫でした。

シャルダン展 ― 静寂の巨匠

2013-01-15 | アート鑑賞
三菱一号館美術館 2012年9月8日(土)-2013年1月6日(日)
*会期終了




こちらも昨年中に見損ね、新年明けに終わってしまうので、駆け込み鑑賞となった展覧会でした。ジャン・シメオン・シャルダン(1699-1779)の、わが国初の個展だそうです。結果から言って、見損ねなくて本当によかった!

私がシャルダンという画家を知ったのは、何年か前に「美の巨人たち」で≪赤えい≫を観た時だったと思います。調理場に吊り下げられた赤エイは、白いお腹を裂かれ、はみ出した赤い内臓が生々しく描かれたもの。それは一度観たら忘れられない、強烈なインパクトのある作品でしたが、でも、印象に残ったのは決してグロテスクさではありません。絵から伝わる「何か」に心をつかまれました。

今回、第1章に展示されていた≪死んだ野兎と獲物袋≫(1730年以前)の解説にあった、対象を「できる限り忠実に、情熱をもって描写する」という言葉を読み、展示室を観て回っているうちに、その「何か」がじわじわと理解されてきました。

画家のモティーフに対する「忠実さ」は、対象を正確に写し取って再現するということのみならず、画家が対象と対峙して感受したものを、妥協せずにあますことなく忠実に画面に描き切っているということなのではないかと(舌足らずな言い方ですが)。それを≪赤エイ≫にも感じていたのだと思いました。

前置きが長くなりましたが、本展の構成は、以下の通りです:

第一部 多難な門出と初期静物画
第二部 「台所・家事の用具」と最初の注文制作
第三部 風俗画―日常生活の場面
第四部 静物画への回帰


では、いくつか作品を挙げたいと思います:

≪錫引きの銅鍋≫ (1734-35年頃)
≪銅の大鍋と乳鉢≫(同


恐らく”対作品”だっただろうという、台所にあるごく普通の鍋類を描いた2枚の小さな板絵。カンバスとは異なる、板絵独特の深みのある絵肌に引き込まれます。

家事の用具が描かれたシャルダンの静物画を観ていくと、取っ手のある壺などの容器の多くが、その取っ手をこちらに向けた角度で描かれていることに気づきます。これは、おおむね緑あるいは褐色がかった灰色のトーンに沈む画面の色調に奥行き感とリズムを出すための、なくてはならない仕掛けなのでしょう。取っ手に反射する光を表現するために、チョンと載せた白い絵の具がアクセントとなり、効果を発揮しています。

≪台所のテーブル(別名)食事の支度≫ (1755年)
≪配膳室のテーブル≫ (1756年)


こちらも対作品。しかしながら、現在前者はボストン美術館、後者はカルカッソンヌ美術館に離れ離れに所蔵されているそうです。別の対作品である≪デッサンの勉強≫≪良き教育≫(共に1753年)に至っては、今回30年ぶりの再会とか。

さて、≪台所のテーブル≫と≪配膳室のテーブル≫ですが、描かれているモティーフに差があります。前者はわりと普通の台所という感じなのに対し、後者には高価そうな、装飾的な食器類が所せましと描きこまれています。

最初の妻を亡くし、画家が二番目に再婚したお相手が富裕な女性で、それに伴って絵の注文主の社会的階層、そして当然ながらその嗜好も変わっていったことを、この2枚の絵が示しているということのようです。

≪セリネット(鳥風琴)≫ (1751‐1753年)



セリネットというのは、カナリアに歌を覚えさせるための手回し式オルガンだそうです。鳥かごの質感描写が見事です。オルガンを回す女性の口元には笑みが浮かんでいるようにも見えますが、カナリアを見やる目は真剣で、結構スパルタな感じも受けます。はっきり描かれていないカナリアですが、なんとなく女性の方を向いて必死に頑張っているけなげな印象を受けます。

≪木いちごの籠≫ (1760年頃)



さほど緻密に描写されているわけではないのに、籠に盛られた赤い木いちご一粒一粒がリアルに伝わってきます。台所に入って、テーブルの上にこんな籠が置かれていたら、どんなに心が弾むことでしょうか。個人蔵の非公開作品だそうなので、またお目にかかれる機会があるか定かではありませんが、この世にこの作品を自宅に飾れる人がいるんですね。

≪鼻眼鏡をかけた自画像≫ 



実作品は来ていませんでしたが、ポストカードが売られていたので思わず買ってしまいました。正直、この自画像を以前ネットで観たときは衝撃的でした。失礼ながらその風貌と作品が結びつかず。男性もお化粧や刺繍などをしていたというロココ時代のファッションで決めたということなのでしょうね。

シャルダンという人の生涯は、年表をしみじみ眺めてみると結構波乱万丈です。作品がやっと売れるようになって結婚した最初の妻は数年で亡くなってしまうし、授かった長男も父より先に亡くなります。作品に頻繁に登場する銀のゴブレットも盗難に遭ったり、アカデミーの会計係を任されたり、晩年には眼病を患って油彩画を断念するなど、多難な人生と言えるかもしれません。でも何よりも作品から浮かび上がるのは、信念の画家という像です。

自画像をしみじみ眺めていると、その目には自負にも似た、うっすらと満足そうな微笑みをたたえているように感じるのは私だけでしょうか?

メトロポリタン美術館展 大地、海、空―4000年の美への旅 西洋美術における自然

2013-01-04 | アート鑑賞
東京都美術館 2012年10月6日(土)-2013年1月4日(金)
*会期終了




本展の公式サイトはこちら

昨年中に見損ねた展覧会の一つが、このメトロポリタン美術館展。1月4日に終わってしまうので、意を決して2日の早朝に上野の山にダッシュしました。

9時ちょっと過ぎに着いたのですが、案の定、会場の外にはすでに結構な行列。でもチケットをまだ買っていない人たちもわりと混ざっていたらしく、ゲートが開いて会場内に進んでいくうちにスルスルと前に行くことができ、期せずして先着200名が手にできる特製カレンダーをゲット!

普段こういうものにご縁のない私はことのほか嬉しく、手渡して下さったスタッフの方に満面の笑みで「ありがとうございます!」。良い新年のスタートとなりました。

もう終了してしまったので、サクッと記録を残しておきたいと思います。

本展の構成は以下の通り:


第1章 理想化された自然
 1-1:アルカディア―古典的な風景
 1-2:擬人化された自然
第2章 自然のなかの人々
 2-1:聖人、英雄、自然のなかの人々
 2-2:狩人、農民、羊飼い
第3章 動物たち
 3-1:ライオン、馬、その他の動物
 3-2:鳥
第4章 草花と庭
第5章 カメラが捉えた自然
第6章 大地と空
 6-1:森へ
 6-2:岩と山
 6-3:空
第7章 水の世界
 7-1:水の生物
 7-2:海と水流


副題に「大地、海、空―4000年の美への旅 西洋美術における自然」とありますが、”実物で見る百科事典”といわれるメトロポリタン美術館のコレクションならではの、スケールの大きくユニークな展覧会でありました。ひとことで言えば、「自然」という大きなテーマのもと、133点に及ぶ作品が、制作場所・年代を問わずに、モティーフなどの共通項で括られて展示されていました。

例えば、第3章「3-1:ライオン、馬、その他の動物」では、≪リラのための牛頭の装飾≫(メソポタミア、紀元前2600-前2350年)と、≪シロクマ≫(フランソワ・ポンポン、1923年)が一緒に並んでいましたし、第6章「6-3:空」では、≪雲から現れる天使の柱頭≫(フランス、ブルゴーニュ、1150-1200年頃≫と、≪トゥーライツの灯台≫(エドワード・ホッパー、1929年)が並ぶといった具合です。

次々と現れる作品に頭の中がシャッフルされ、スポンテニアスな反応をしながら鑑賞するというのもなかなか楽しいものでした。

何点か作品も挙げておきたいと思います:


≪洗礼者聖ヨハネの生涯が描かれた写本紙葉≫ スコットランドのジェイムズ4世の画家(フランドル、1485-1530年頃に活動) (1515年頃)



羊皮紙に描かれた、色彩の大変美しい写本装飾。中央に座る洗礼者聖ヨハネの周りに、聖ヨハネの生涯(キリストの洗礼から、ヨハネの骨の焼却まで)を描いた場面が描きこまれています。本当は手にとって、じっくり眺めたい作品です。

≪馬丁と犬を伴うドーセット公3世の猟馬≫ ジョージ・スタッブス (1768年)



馬の画家スタッブスは、私に強くイギリスを思い出させる画家の一人です。ロンドンのナショナル・ギャラリーにある≪ホイッスルジャケット≫を久々に観たくなりました。

≪池、ヴィル=ダブレイ≫ ウジェーヌ・アジェ (1923-1925年)



パリ西部の郊外にあるヴィル=タブレイはコローのお気に入りの場所で、ここに写し出されているのは「コローの池」と呼ばれていた池だそうですが、私はJ.W.ウォーターハウス≪シャーロット妃≫を想起しました。

≪タコのあぶみ壺≫ ミュケナイ/後期ヘラディックⅢC期 (紀元前1200-前1100年頃)



洗練されたフォルムの美しさに息を飲みました。紀元前1200年!隣に並んでいた、≪ロブスターのハサミ形の壺≫(ギリシャ、アテネ、紀元前460年頃)のデザイン・センスもおもしろかったです。

≪主教の庭から見たソールズベリー大聖堂≫ ジョン・コンスタブル (1825年)




久しぶりに大型のコンスタブルの油彩画を観たような気がします。イングランドの空気感が懐かしいなぁ。。。

ついでながら、今ロンドンのロイヤル・アカデミーで「Constable, Gainsborough, Turner and the Making of Landscape」と題された特別展が開催されているようです(本展にもお三方の作品が揃っていますが)。

そのレヴューをイギリスの新聞で読んでいたら、”16世紀、17世紀の(英国)宮廷は外国人画家を雇えれば十分満足で、宗教画はイタリアから買うものだった”というくだりがあり、ウィンブルドン現象って歴史の長いイギリスのお家芸みたいなものなんだな、などと思ってしまいました。

≪緑樹≫ 
デザイン:ジョン・ヘンリー・ダール 1892年
綴り:モリス商会のジョン・マーティン 1915年


 (部分)

187 x 470cmの、横長のタペストリー。画像では全体像をご紹介できませんが、こんもりと葉を茂らせた3本の木が立ち、地面には草花が生い茂り、ウサギ、キツネ、鹿、鳥たちが集います。3本の木は、左からセイヨウナシ、クリ、オークで、なるほど葉の形や実が異なっています。それぞれの木の上に巻物がありますが、書かれているのは、木の用途を暗示するウィリアム・モリスの詩。ちなみにセイヨウナシは彫刻、クリは屋根の垂木、オークは造船だそうです。

≪マーセド川、ヨセミテ渓谷≫ アルバート・ビアスタッド (1866年)



今回は、普段あまりお目にかかれない19世紀のアメリカ人画家による風景作品をいくつか拝見できたのも収穫でした。本作には、アメリカ先住民の人たちの姿も描きこまれています。

第7章「7-2:海と水流」には、カナレットターナーモネセザンヌヴラマンクサージェントなどによる水のある光景が描かれた作品が並んでいました。それぞれの表現の仕方、もっといえば水の表情を出すためにそれぞれの画家がキャンバスに置いた色のコンビネーションを見比べるのも面白かったです。

最後の章にたくさん絵画作品が並んでいたせいもあってか、気分も高揚した私はもっと絵が観たくなり、館内のカフェでお気に入りのアボカド&シュリンプのサンドウィッチと紅茶を頂いてから、これまた昨年見損ねたシャルダン展へと向かったのでした。

リヒテンシュタイン 華麗なる公爵家の秘宝

2012-12-19 | アート鑑賞
国立新美術館  2012年10月3日(水)-2012年12月23日(日・祝)



展覧会の公式サイトはこちら

実は本展を観に行ったのはだいぶ前なのですが、「エントランス」に足を踏み入れて最後の展示室を出るまで、次から次へと現れる豪華絢爛たる西洋の美術品に囲まれた贅沢な時間は、いまだに忘れることができません。あと数日で終わってしまいますが、感想を留めておきたいと思います。

リヒテンシュタイン侯国は、オーストリアとスイスに挟まれた、人口35000人の小さな国。その国家元首であるリヒテンシュタイン侯爵家は、もともとはハプスブルク家の臣下で、1791年に現在の領土の自治権を神聖ローマ皇帝から与えられたそうです。

一族は代々、芸術庇護を家訓とし、約5世紀に渡って集められた収集品は「英国王室に次ぐ世界最大級の個人コレクション」とのこと。今回は、その中から選りすぐりの139点が日本にやってきました。

。。。と書くと平凡に響きますが、作品の質もさることながら、現地での展示方法を取り入れたという「バロック・サロン」(天井画まで再現した展覧会など、私は観たことがありません)、感嘆のため息がもれるような技巧を凝らした工芸品の数々、横幅4メートルを超えるルーベンスの大作など、見どころ満載です。チラシの「ようこそ、わが宮殿へ」という文句もあながち大袈裟ではありません。

そんな本展は、以下のような構成となっていました:

エントランス
バロック・サロン
リヒテンシュタイン伯爵家
名画ギャラリー
 ■ルネサンス
 ■イタリア・バロック
 ■ルーベンス
クンストカンマー:美と技の部屋
名画ギャラリー
 ■17世紀フランドル
 ■17世紀オランダ
 ■18世紀―新古典主義の芽生え
 ■ビーダーマイヤー


豪華ラインナップから数点を選ぶのは無理な話ですが、自分の好きな絵画分野を中心に、いくつか挙げてみたいと思います:

≪死せるアドニスの変身≫ マルカントニオ・フランチェスキーニ (1692年)



≪メディチ家のヴィーナス≫を模したブロンズ像に出迎えられ、「エントランス」に歩を進めると、ここに挙げた作品を含め、フランチェスキーニによる色鮮やかな神話画5点に囲まれます。うち4点は横幅2m以上の作品で、その目の覚めるような鮮やかな色彩に、こちらの気分も一気に高揚します。

≪貴石象嵌のテーブルトップ≫ 作者不詳、フィレンツェ (17世紀)



「バロック・サロン」の展示は、画期的。広い展示室を大広間のように見立て、中央の床には何も置かず、壁伝いに美術品が並べてあります。各作品にキャプションもついていません(入り口で写真付き出品リストを頂けますので、それと照合しながら鑑賞できます)。

テーブル、キャビネット、椅子、鏡、時計などの、金ぴかの装飾がのたうつバロックの調度品、3mを超える磁器、大理石の胸像、タペストリー、その間に間に掛けられた絵画がこのサロンを彩ります。そして上を見上げれば、楕円状の天井画が4点(各294 x 212cm)。それぞれ占星術、彫刻、絵画、音楽の寓意画です。

さて、ここに挙げたテーブルトップの貴石象嵌は、今もフィレンツェの職人が得意とする技。目の回るようなバロック装飾(このテーブルの脚の部分もしかり)が苦手な私に、呼吸を許してくれるような作品でした。小鳥が愛らしいです。

≪テラコッタの花瓶の花≫ ヤン・ファン・ハイスム (18世紀前半)



サロンの壁に掛っていた作品の一つ。このように色とりどりの花を画面一杯に盛大に描いた作品はわりとよく見かけますが、本作の、全体的に落ち着いた風情は一目で気に入りました。

≪古代ローマの廃墟のある風景≫ ヘルマン・ポステュムス (1536年)



風変わりな絵として印象に残りました。古代ローマの建築物や彫刻作品などが溢れる中、下方中央に小さく人物が描かれています。遺跡をスケッチに残している建築家だそうです。

≪徴税史たち≫ クインテン・マイセス (1501年以降)



このようなフランドルの貴重な板絵を拝見でき、嬉しい限りです。作品の年代鑑定の裏付けにもなったというコインや、皮膚、宝飾品などの質感描写、絵具の美しさも素晴らしかった。

≪聖エウスタキウス≫ ルーカス・クラナッハ(父) (1515/20年)



白馬の可愛らしい目がなんとも言えません。

≪占いの結果を問うデキウス・ムス≫ 「デキウス・ムス」連作より ピーテル・パウル・ルーベンス (1616/17年)



今回、リヒテンシュタイン家が所蔵する約30点のルーベンス作品から、10点が来日。そのうちの1点である本作品は、本展の目玉の一つです。294 x 412cmというサイズもさることながら、ほとんど彫刻作品といってもよいような豪華な額。まさに圧倒されます。

「デキウス・ムス」は8点からなる連作だそうで、そのうちの6点については、後世に模して作られたという小型の版画作品が本展にも展示されていますが、それらが全て巨大な油彩画として壁面を覆う迫力はいかばかりかと。

本展の「ルーベンス」の部屋には、この他にも以下のような大型の作品が並び、まるで海外の美術館にいるような錯覚を覚えました:

≪勝利と美徳―「デキウス・ムス」連作より≫(1618年) [288 x 272cm]

大きな翼を広げ、月桂樹の冠を掲げる優雅な「勝利」と、古代ローマ兵士のような出で立ちのクールな「美徳」。それぞれの象徴が、対照的な女性二人の姿で表されています。

≪マルスとレア・シルヴィア≫(1616/17年頃) [208 x 272cm]

 (部分)

赤いマントを翻し、こちらに差し出されたマルスの右手が、まるで3Dのごとく画面から飛び出してくるようです。

≪キリスト哀悼≫(1612年頃) [151 x 204cm]

大粒の涙をポロポロこぼしながら、横たわるキリストの周りに集う人々を見ていると、クリスチャンでもない私までもらい泣きしそうになります。それほどルーベンスの表現は迫真的で、これぞバロック絵画というものなのでしょうね。

大型作品ではありませんが、カラヴァッジョを想起させる、非常に写実的に描かれた葡萄の房が目を引く≪果物籠を持つサテュロスと召使の娘≫(1615年頃)や、次に挙げる画家の娘の肖像画も大変印象に残りました:

≪クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像≫ ペーテル・パウル・ルーベンス (1616年頃)



ルーベンスの娘さんが5歳の時の肖像画だそうです。正面をじっと見つめる利発そうな澄んだ瞳、ほんのり笑みをたたえた口元、ふっくらとバラ色の頬。こんなに可愛い女の子が12歳で亡くなるなんて、世の不条理を感じずにいられません。

≪ぜんまい仕掛けの酒器(牡鹿に乗るディアナ≫ ヨアヒム・フリース (1610/12年)



「クンストカンマー」には、数は少ないながら思わずケースに顔を近づけて見入ってしまう逸品が並びます。本作品も見ているだけでたいへん美しい美術品ですが、なんとぜんまいで台座ごと動く仕掛けになっています(その様子は、展示ケースの両側2か所に設置されているモニター画面で見ることができます)。

テーブルの上を移動していくこの酒器が目の前で止まった客は、鹿の頭部を外して、中に入っているお酒を飲まなくてはならないという酒の席の戯れ。中身が少なくなるほど顔や衣服にかかる危険が高くなり、それが楽しかったらしいのですが、よく落として壊さなかったものです。

≪豪華なジョッキ≫ マティアス・ラウフミラー (1676年)



文字通り、豪華なジョッキです。本体の表面には「サビニの女たちの略奪」の主題が彫られていますが、象牙でこれほど繊細に細工された美術品には滅多にお目にかかれません。ため息が出ました。

≪夢に浸って≫ フリードリヒ・フォン・アメリング (1835年)



男性が守ってあげたくなる女性とは、こんな感じの人なんでしょうね。

絵画に関しては、この他ラファエッロヴァン・ダイクレンブラントハルスダウレーニなど巨匠たちの作品(珍しいところではアイエツなど)も並んでいます。

残念ながら、「バロック・サロン」の天井画や、ルーベンスの≪占いの結果を問うデキウス・ムス≫などは東京展のみの出展のようですが、90点余りの作品が以下の2か所に巡回するそうです:

[高知展]
高知県立美術館 
2013年1月5日(土)-3月7日(木)

[京都展]
京都市美術館
2013年3月19日(火)-6月9日(日)

マンチェスター大学 ウィットワース美術館所蔵 巨匠たちの英国水彩画展

2012-12-13 | アート鑑賞
Bunkamura ザ・ミュージアム  2012年10月20日(土)-2012年12月9日(日)
*会期終了 (12月18日より新潟県立万代島美術館へ巡回)



展覧会の公式特集ページはこちら

前売り券を買っていたにもかかわらず行きそびれ、終了間際に飛び込み鑑賞してきました。一応記録に残しておきたいと思います。

本展には、英国の画家による水彩画・素描作品を4500点も所蔵しているというマンチェスター大学付属のウィットワース美術館のコレクションから、150点あまりの作品が並びました。

17世紀にオランダからもたらされた水彩画は、18世紀の英国で広く普及。習作などの補佐的な役割ではなく、一つの芸術分野として確立したのは英国においてのことだそうです。

英国を代表する画家約70人の作品によって、18世紀から19世紀に全盛期を迎えた英国水彩画の流れを追うという趣旨ですが、そもそも展示が難しい水彩画をこのようなまとまった形で観られるのはとても貴重。ウィットワース美術館が2012年~2014年にかけて大規模な拡張工事を行うために実現したようです。

構成は以下の通り章立てされていました:

第1章 ピクチャレスクな英国
第2章 旅行:イタリアへのグランド・ツアー
第3章 旅行:グランド・ツアーを超えて、そして東方へ
第4章 ターナー
第5章 幻想
第6章 ラファエル前派の画家とラファエル前派主義
第7章 ヴィクトリア朝時代の水彩画
第8章 自然


では、いくつか心に残った作品を挙げていきたいと思います:

≪南西の方角から望むコンウェイ城≫ ポール・サンドビー (1802年)



北ウェールズにあるコンウェイ城を遠方に望むパノラマ風景。この作品では中景に霞んでいますが、結構立派なお城(というより中世の砦)です。私もはるか昔に一度行ったことがあり、地元出身の友人の運転する車で3日間走りまわった北ウェールズの、起伏に富み、ドラマティックに展開する景色を懐かしく思い出しました。

この作品にはグワッシュ(不透明水彩絵具)が使われているので、色の濃淡にめりはりのある画面になっています。

≪ヴェネツィアの運河のカプリッチョ≫ サミュエル・プラウト



カプリッチョ(架空の景観図)とは言いながら、いかにもヴェネツィアらしい光景です。確かに人物たちの配置が劇の舞台のようでもありますが、左側の建物のファサードに、運河をはさんで対面する建物の影が差す様子や、少し霞んでそびえ立つ塔など、繊細に表現されています。

英国の貴族の子弟たちが、教育の仕上げとして行ったヨーロッパ大陸へのグランド・ツアー。ローマ、ナポリを訪れ、スイスを経由して帰国するのが一般的な旅程で、ヴェネツィアも外せない目的地の一つだったそうです。この作品は違いますが、そのツアーに画家を隋行させて、訪れる先々で風景を描かせたなんて、何とも贅沢な大名ツアーですね。

≪旧ウェルシュ橋、シュロプシャー州シュルーズベリー≫ J.M.W.ターナー(1794年)



英国では、18世紀に国内の地誌的な風景画の需要も高まり、ターナーも『銅版画マガジン』から依頼を受けてこの作品を描きました。雑誌に掲載後、版画として出版されたそうです。

ちょうど橋が建て直されているところを実況するかのように、画面に記録されています。家屋のような建造物が載っている手前が橋の古い部分なのですが、後方から新しくすっきりした橋が取って替わろうとしています。

≪アップナー城、ケント≫ J.M.W.ターナー (1831‐32年)



うろこ雲を照射しながら光り輝く夕日と、その光がまぶしく反射する水面。遠くに大型の帆船が逆光の中に霞みます。解説の通り、まるでクロード・ロランのような風景画ですが、色彩感覚はまさにターナー。

≪夢の中でポンペイウスの前に姿を現すユリア≫ ヨハン・ハインリヒ(ヘンリー)・フュースリ

 

フュースリの水彩画とは珍しいものを拝見しました。ブレイクも何点か並んでいましたが、個人的には少年マンガ風のブレイクより、少女マンガ風のフュースリの柔らかい画風の方が好きです。

≪マンフレッドとアルプスの魔女≫ ジョン・マーティン (1837年)



ジョン・マーティンの水彩画を観られるとは思ってもみませんでした。テイト・ブリテンの常設にかけられている2枚の大作を初めて観たときの、あの飲み込まれそうなインパクトは、その後何度絵の前に立っても薄まりません。

水彩の小画面ながら、この作品でもその壮大な世界は健在です。解説には「大げさな背景」とありますが、私にはこのうねりまくる画面が彼の持ち味に思えます。

≪窓辺の淑女≫ ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ (1870年)



正直なところ、ジェイン・モリスをモデルにした作品はちょっと苦手なのですが(あのトタンのように波打つ髪と、真っ赤な唇がどうにも)、この作品の実在感は凄いです。振り返ると、そこにデンと彼女がいる感じがしました。

≪ビーチー岬から望むイーストボーン、サセックス≫ ジョージ・アーサー・フリップ (1863年)



とてもイングランドらしい景観を切り取った1枚。石灰質の真っ白な断崖、青い海、明るい緑に覆われた崖。大陸から船で渡って来て、ドーヴァーの白亜の絶壁が見えてくると、イングランドに来たという感慨が湧くと聞きます。私はビーチー岬に行ったことはありませんが、イギリスの海はとても好きで、様々な海岸へ友人たちとよく出かけました。

≪プロヴィデンス号―テムズ川に浮かぶ艀船≫ マイルズ・バーケット・フォスター



こちらもとてもイングランド的な光景です。初めて知る画家ですが、別の出品作≪夏季―ふたりの少女、幼子、人形≫にさらに顕著な通り、点描のような筆触が特徴的です。この人の作品は当時から引っ張りだこの人気で、今も競売で高値を生んでいるそうです。

≪ブナの木、ヘレフォードシャー州フォクスリー、彼方にヤゾー教会を望む≫ トマス・ゲインズバラ (1760年)



解説に「ゲインズバラは生涯を通じて、骨が折れて退屈な肖像画の制作に嫌気がさすと、風景を描いて英気を養った」とあります。肖像画の仕事をきっちりこなしているように見えながら、やはり時には外の空気が吸いたくなるのでしょうね。本展にも何点か出品されているジョン・エヴァレット・ミレイも、確か同じようなことを言ってましたっけ。

以上、やや地味目な選択となりましたが、ターナーの作品のみ20点以上集めた第4章や、ミレイ、ハント、バーン=ジョーンズ、マドックス・ブラウン、ソロモンなどの色鮮やかなヴィクトリアンの画家たちの作品、コンスタブル、ウィルソン、ガーティンなどの18世紀の古い作品なども並び、かなり見応えがありました。

また、水彩画は確かにお手軽な画材ではありますが、描き直しはききませんし、描く人の画力やセンスが本当に光る技法だとしみじみ思いました。

2012年4月から巡回が続く本展は、東京の後はとうとう最後の開催地、新潟県へ巡回します:

新潟県立万代島美術館

2012年12月18日(火)-2013年3月10日(日)


雪の多い季節ですが、行かれる方はどうぞお気をつけて足をお運びください。







国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展

2012-10-05 | アート鑑賞
Bunkamura ザ・ミュージアム 2012年8月4日(土)-2012年10月8日(月・祝)



本展の特集ページはこちら

今週末で終わってしまいますが、もしお時間があったら是非足を運ばれることをお薦めします。芸術の秋にふさわしい、「絵画の魅力」を堪能できる展覧会です。

イリヤ・レーピン(1844-1930)は、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍した、ロシア絵画の巨匠。激動期のロシアに寄り添い、歴史画、風景画、肖像画などさまざまなジャンルを通してその姿を描出し続けました。本展にはトレチャコフ美術館所蔵のレーピン作品から、油彩画、素描約80点が並びます。

ついでに国立トレチャコフ美術館は、「ロシアのメディチ」の異名を持つ実業家、パーヴェル・トレチャコフ(1832-1892)によって創設された美術館。トレチャコフはレーピンを非常に高く評価し、その作品を蒐集しながら世界最大のレーピン・コレクションを築きました。

本展は日本における過去最大の本格的な回顧展とのことで、東京展のあとは浜松市美術館、姫路市立美術館、神奈川県立近代美術館 葉山へと巡回するそうです。お近くの方は是非!

構成は以下の通りです:

Ⅰ 美術アカデミーと≪ヴォルガの船曳き≫
Ⅱ パリ留学:西欧美術との出会い
Ⅲ 故郷チュグーエフとモスクワ
Ⅳ 「移動派」の旗手として:サンクト・ペテルブルク
Ⅴ 次世代の導き手として:美術アカデミーのレーピン


では、いくつか心に残った作品を挙げていきたいと思います:

≪ヴォルガ川のシリャーエヴォ渓谷≫ (1870年)

 

≪ヴォルガ川にて≫ (1870年)



久々に驚嘆するような鉛筆画を観ました。画像では伝わりにくいかと思いますが、デリケートな鉛筆の濃淡のみで風景が見事に立ち上がってきます。2点とも≪ヴォルガの船曳き≫(実作品は今回来ていませんが、写真をパネルにして参考図版として展示されています)のための準備素描です。

≪浅瀬を渡る船曳き≫ (1872年)



≪ヴォルガの船曳き≫のヴァリエーションとして描かれた作品。展示されている同テーマの一連の習作も合わせ、胸が苦しくなるような作品です。後方に浮かぶ船から伸びる網を体に巻きつけ、ぬかるむ足元の中、全体重をかけて前へ進もうとする労働者たち。その過酷な情景は、労働者ひとりひとりが描き分けられていることで現実味が増し、観る者に重くのしかかってきます。

≪皇女ソフィヤ≫ (1879年)



政権争いから、異母弟ピョートル1世によって修道院に幽閉された皇女ソフィヤ(1657-1704)。カッと見開いた目、そして全身から発せられる憤怒の凄さには思わずひるんでしまいます。しかも窓の外には、処刑されて吊り下げられた、ソフィヤ派の同胞の影。

この作品の制作にあたり、レーピンは入念な時代考証を重ね、ソフィヤの当時の衣裳を仕立てることまで行ったそうです。また、この主題の背景にはトルコとの露土戦争(1877-1878)によるナショナリズムの高揚があり、画家の、ピョートル1世以来の西欧化に対する反抗が込められているとのことです(嗚呼、ロシアの歴史は要勉強だ。。。)。

≪トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック 習作≫ (1880年)



コサックと聞くとコサック・ダンスしか浮かばないような私はここで少しお勉強。図録の解説によると、コサックとは「15世紀から17世紀のロシアで、領主の過酷な収奪から逃れて南方の辺境に移住した農民とその子孫」。この作品はザポロージャのコサックたちの伝説にもとづいたもので、降伏してトルコの臣民になるよう勧告してきたアフメト4世(1642-1693)に対して嘲笑しながら断りの手紙を書いているところだそうです。

それぞれの顔の表情(アジア系の人も見受けられます)から感じられる、生きるための狡猾さと逞しさ。手前右手の、卓抜な短縮法で描かれた禿頭の男性の後ろ姿もアクセントとなり、コサックたちの一致団結した熱気が波打つような構図となっています。

≪巡礼者たち≫ (1878年)



昔のロシアには、人生の全てを参拝に捧げ、修道院から修道院へと歩き続ける巡礼者たちがいたそうです。この二人の女性が歩く長い道のりには、ここに描かれるのどかな田園風景ばかりが広がっているとは限りません。昔のロシア、と聞きながら、今もこの二人が歩いているようなリアリズムを感じさせます。

≪休息―ヴェーラ・レーピナの肖像≫ (1882年)

記事冒頭に載せたチラシにある作品で、画家の妻の肖像画です。ソファでうたた寝するその寝顔はとても幼い印象ですが、彼女は1855年生まれなので、1882年に実年齢で描かれたとすると27歳ということになります。

足を組んで曲線を描く体の柔らかなラインと、それを包み込むドレスの質感。主調となるボルドー色が今の季節ともマッチし、とても素敵です。

最初は彼女も起きていて、目は開いて描かれていたのですが、ポーズをとるうちに眠りに落ちてしまい、レーピンも寝顔に描き直したそうです(セザンヌだったら「リンゴが眠りますか!」と激怒したことでしょうね)。

ついでながら、本展には家族の他、トルストイなどの文化人たちの肖像画もたくさん並びますが、皆カッチリとしたポーズを取らず、椅子の上に姿勢を崩して座り、リラックスした表情をしています。背景もあまり描き込まれていません。

レーピンは肖像画を制作中、そのモデルと会話をすることを愉しみにしていて、ときに議論に熱中しすぎて絵がそっちのけになってしまうこともあったそうです。それがモデルの自然な表情を引き出すことにつながったのでしょうね。

≪少年ユーリー・レーピンの肖像≫ (1882年)



あどけない表情が何とも愛らしい肖像画。レーピンの息子です。子供4人のうち3人は娘ですから、パパは相当この男の子を可愛がったことでしょう。

≪作曲家モデスト・ムソルグスキーの肖像≫ (1881年)



この肖像画は、ムソルグスキーが亡くなる10日前に描かれたということを事前に知っていたので、絵の前に立つときに何となく力が入ってしまいましたが、思いがけず惹きつけられたのは、そのあまりに澄んだ瞳の美しさでした。病床からやっと起き上ったことをうかがわせる着衣や頭髪の乱れにはそぐわないような、深い知性を漂わせる生きた瞳です。

ムソルグスキーはレーピンが学生の頃からの知り合いで、レーピンは彼のことを親しみを込めて「ムソリャーニン」と呼んでいたそうです。長年の友が不治の病に冒されていると知るや直ちにモスクワからペテルブルクに向かい、病室を訪れてこの作品を描いたというエピソードには泣けてきます。

≪キャベツ≫ (1884年)



いとも鮮やかなキャベツです。画家の観察力と画力(手前の写実的に描かれたキャベツでさえ、わりと軽妙に絵具をポンポン置いている感じです)にほとんどウットリしてしまいます。

以上、他にも素晴らしい作品がたくさんありますが、とても紹介しきれませんので、最後に画家本人にご登場頂きましょう。

≪自画像≫ (1887年)



オランダ・フランドル絵画の至宝 マウリッツハイス美術館展

2012-09-13 | アート鑑賞
東京都美術館 2012年6月30日(水)-2012年9月17日(月・祝)



本展の公式サイトはこちら

展覧会場の入場口ならともかく、展示室内の1点の絵の前に設えられた行列用の柵。テレビでその様子を見たときに、≪真珠の耳飾りの少女≫は諦め、テンションも少し下がりました。でも、マウリッツハイス美術館に行ったことがなく、オランダ・フランドル絵画好きの自分としては、この展覧会はやはり行かないわけにはいきません。

9月初旬の平日の午後遅めに会場へ行ってみました。17:30に閉室なのに、16:00近くになっても会場への入場が「30分待ち」のままです。鑑賞に1時間は確保したいので、列に加わり、実際30分ほど並んでやっと会場内へ入ることができました。

中は確かにとても混雑してはいましたが、≪真珠の耳飾りの少女≫以外の作品を案外じっくり観ることができたのは幸いです。マウリッツハイス美術館の改装により実現したこの展覧会、全部で48点と少なめではありますが、良い作品がたくさん来ていました。

展覧会の構成は以下の通りです:

第1章 美術館の歴史
第2章 風景画
第3章 歴史画(物語画)
第4章 肖像画と「トローニー」
第5章 静物画
第6章 風景画


では、いくつか心に残った作品を挙げていきたいと思います:

≪ベントハイム城の眺望≫ ヤーコプ・ファン・ライスダール (1652‐1654年頃)



オランダから国境を越えてすぐのところにある、ドイツのお城だそうです。さして大きな画面ではありませんが(51.9x67.cm)、鑑賞者の視線を上方の岩山のお城へと誘導していく構成が見事です。

≪シメオンの賛歌≫ レンブランド・ファン・レイン (1631年)



この作品に描かれているのは、図録の解説をお借りすると「救世主を見ずに死を迎えることはないと知らされたシメオンが、幼子キリストこそ待ち焦がれた救世主であると悟り、声をはり上げ賛歌を歌う」場面。広く取られた空間の暗闇の中、舞台にスポットライトを当てたように浮かび上がるシーンが劇的です。

本展には、本作のような初期の歴史画から晩年の自画像まで、レンブラントの作品が6点もまとまって来ています。

≪真珠の耳飾りの少女≫ ヨハネス・フェルメール (1665年頃)

最前列で観たい人は、冒頭に書いた例の柵に沿って並ばなくてはならず、この日も30分待ちでした。勿論私はこの列には加わらず、人だかりのしている脇の方からのぞき見。まぁこんな状況での初対面となりましたが、第一印象は「変わった絵だなあ」というものでした。何も描かれていない漆黒の闇に、ほとんど唐突に浮かび上がる少女の振り向いた顔。肩のちょっと下あたりでぷっつり切れているのも、バランスとして妙といえば妙。

解説を読んで、「トローニー」という用語を初めて知りました。頭部の習作を意味するオランダ語で、架空の人物、もしくは特定できないモデルの胸から上を描いて、表情や性格のタイプを探る習作だそうです。実物に似せて描くことを目的としないため、肖像画とはみなされないとのこと。だから、従来の肖像画の概念で見てしまうと、この少女の人格があまり感じられないことに奇妙な感じを覚えるのかもしれません。

性懲りもなく最後にまたこの絵をのぞきに行ったのですが、何だか彼女の表情が、背後の群衆に戸惑っているようにも見えてしまいました。

≪羽根飾りのある帽子をかぶる男のトローニー≫ レンブランド・ファン・レイン (1635‐1640年頃)



この作品も「トローニー」とありますが、肖像画と聞いても違和感がないような出来映えです。レンブラントはコスプレもどきの自画像を何点も描いていますが、あれもトローニーのジャンルに入るようです。

≪ペーテル・ステーフェンスの肖像≫ アンソニー・ヴァン・ダイク (1627年) (左)
≪ヤーコプ・オリーカンの肖像≫ フランス・ハルス (1625年) (右)


 

第4章には、17世紀オランダの富裕な中産階級の夫婦を描いた2対の肖像画作品が並んでいます。

1組目は、アンソニー・ヴァン・ダイクによる≪ペーテル・ステーフェンスの肖像≫≪アンナ・ウェイクの肖像≫

2組目は、フランス・ハルスによる≪ヤーコプ・オリーカンの肖像≫≪アレッタ・ハーネマンの肖像≫

画像は、それぞれのペアから旦那さんの方を選んでみました。

両夫婦とも、レースや刺繍などをあしらったゴージャスな衣裳に身を包んでおり、それらの質感描写を再現する画家二人の卓抜した筆捌きも冴え渡っています。

4点ともほとんど同じ年代(1625~1628年の間)に、ほとんど同じ大きさに描かれており、肖像画の巨匠二人のそんな作例をこうして見比べることができるのも贅沢なことです。

夫婦の表情は、ヴァン・ダイクの方がおすましな感じなのに対して、ハルスの方は目元や口元にうっすらと笑みが浮かんでリラックスしているように見えました。ハルスの描く人物はいつも肌の温もりを感じさせますが、ヴァン・ダイクが描いた婦人の方はイギリス人なので、実際青白かったのかもしれません。

≪笑う少年≫ フランス・ハルス (1625年)



このインパクトのある笑顔は、400年近くにわたって人々に笑みをもたらし、これからもそうあり続けることでしょう。ハルスの的確な素早いタッチで表現されたクシャクシャの髪の毛も、何とも柔らかそう。

≪5つのアンズのある静物≫ アードリアーン・コールテ (1704年)



2009年のルーヴル美術館展@西美にて、5つの貝殻のみを描いた作品にすっかり魅了されたコールテの、今度は5つのアンズを描いた作品。小さくてシンプルな静物画ではありますが、画面を漂う静寂に独特の深みを感じます。

≪デルフトの中庭≫ ピーテル・デ・ホーホ (1658-1660年)



最後から2番目のこの絵まで辿りついた時、お酒を飲む大人の皆さんは、あ~私も/僕も1杯飲みたい!と思われたのではないでしょうか?赤いスカートと青いエプロン姿の女性は、煙草を吸っている男性の召使だそうです。召使なのに仕事中にビールが飲めるなんて大らかですね。図録の解説にもありましたが、右後方のレンガの壁が、フェルメールの≪小路≫を思わせます。

本展は9月17日(月・祝)までということで、残すところあと数日となりました。最終日まで20:00まで開室するそうです。

東京展のあとは、以下の日程で神戸市立美術館へ巡回します:

2012年9月29日(土)~2013年1月6日(日)

ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年

2012-09-10 | アート鑑賞
国立西洋美術館 2012年6月13日(水)-2012年9月17日(月・祝)



展覧会の特設サイトはこちら

ベルリン国立美術館展となっていますが、正確にはドイツの首都ベルリンにある、15もの総合美術館・博物館で構成されるベルリン国立美術館群のうちの三つの美術館(「絵画館」、「素描版画館」、「ボーデ美術館」)から作品が来ています。

ちなみに2005年にも「ベルリンの至宝展」が開催されていますが、こちらは「旧博物館」や「ペルガモン博物館」などからの出展がメインで、先史時代に始まり、エジプトやギリシャ・ローマなどの古代美術に加えて近代美術と、全くコンセプトの異なる内容でした。

たまに短いスパンで同じ作品を繰り返し送ってくる海外の美術館がありますが、それとは別次元。英語の副題に”From Renaissance to Rococo”とある通り、今回はルネサンスからロココまでの400年間を、平面、立体作品で観ていく内容です。個人的には素描作品が一番観たかったのですが、彫刻作品も期待以上に見応えがあり、とても楽しめました。

展覧会の構成は以下の通りです:

Ⅰ部 絵画/彫刻
  第一章 15世紀:宗教と日常生活
  第二章 15‐16世紀:魅惑の肖像画
  第三章 16世紀:マニエリスムの身体
  第四章 17世紀:絵画の黄金時代
  第五章 18世紀:啓蒙の近代へ

Ⅱ部 素描
  第六章 魅惑のイタリア・ルネサンス素描


では、印象に残った作品をいくつかご紹介したいと思います。

≪聖母子、通称アレッツォの聖母≫ アンドレア・デッラ・ロッビア (15世紀後半)



アンドレア・デッラ・ロッビアの作品を初めて観たのは、もう10年近くも前にフィレンツェのサン・マルコ修道院(美術館)を訪れた時。前知識もなかったので、初めて目にする、大理石とは異なるそのつるつるとした光沢のある表面が印象的で、不思議な魅力を感じました。彩釉テラコッタ、要するに焼き物なのですね。背景の青は、冬のフィレンツェで見上げた清澄な青空を思い出させます。マリアの手が幼児キリストの足の指を挟んでいるポーズも独特。

≪最後の晩餐≫ ライン川流域の工房 (1420年頃)



画面手前の長椅子の中央に座り、こちらに真後ろの背中を見せているのが裏切り者ユダ。椅子の下に見える弟子たちの衣の襞や、その間からのぞく足など、細部に至るまで美しく繊細に彫られた大理石の彫刻作品です。

≪龍を退治する馬上の聖ゲオルギウス≫ ティルマン・リーメンシュナイダー (1490年頃)



東京藝大の学長、宮田先生が、テレビでこの聖ゲオルギウスを「二日酔いみたいな顔をしている」とおっしゃったので、どうしてもそのように・・・。確かにリーメンシュナイダーの彫る人物は、大方トロンとした垂れ目をしていますよね~。退治される龍も、どことなく笑いを誘います。

ついでに、この作品の素材は菩提樹ですが、その他今回出品されている木彫作品の素材は実にさまざま。樫、胡桃、ツゲ、スモモ。スモモなんて可愛い響きでしょう?ところが、彫られているのはちぎれた人間のスネにかぶりつく老婆。レオンハルト・ケルンという人の≪ガイア、もしくは人喰いの擬人像≫です。

≪コジモ・デ・メディチの肖像≫ アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房 (1464年)



図録の画像では普通に横顔を彫ったレリーフにしか観えませんが、さにあらず。作品を横の角度から観ると、ほとんど顔が飛び出しているのです。展示室入口の解説パネルを読みながら、何やら視線を感じると思って横を見やると、コジモがあなたを凝視。こういう意匠は初めて観ました。

≪ヤーコプ・ムッフェルの肖像≫ アルブレヒト・デューラー (1526年)



ヤーコプ・ムッフェルはデューラーと同年の生まれで、ニュルンベルグ市長なども務めた貴族だそうです。デューラーと親交があったムッフェルが55歳の時にこの肖像画が制作されましたが、彼はまさに55歳で亡くなっているので、今でいう遺影の意味合いが強い作品かもしれません。顔の微妙な皺、独特な鼻の形、そして毛皮の質感と、デューラーの細密描写には毎度ながら感嘆のひとことです。

≪逆立ちする青年≫ バルテルミ・プリウール (1600年頃)



高さ30cm足らずのブロンズ像の作品ですが、単純にビックリしました。見たとおりの題名だったのでよくわからなかったのですが、あとで気づいた英語のタイトルはAcrobat。日本語も軽業師とかにすればピンときたのに?ということはさておき、制作するにはバランスを取るのが難しそうな作品です。

≪黄金の兜の男≫ レンブラント派 (1650‐1655年頃)



油絵具のマジックってすごいなぁ、と兜に観入りました。

≪キリストの割礼≫ フェデリコ・バロッチ (1581‐1590年)



油彩画などの見事な完成作の陰には、一体どれだけの素描習作が描かれるのでしょうか。第Ⅱ部は、ボッティチェッリミケランジェロも、まずは地道に素描をしながら作品の構想を練っていくのだ、という当然のことを体感させてくれる展示です。

ここに挙げたバロッチは、彼の他の出展作も含め、飽くことなく手の表情を捉えようと紙の上で試行錯誤を繰り返しています。本作の左下に描かれた手は角度からいって画家本人の左手だと思うのですが、真似したらツリそうになりました。

最後に、フェルメールの≪真珠の首飾りの少女≫。想像していたより絵のそばに近寄ることができてよかったです。画中の、窓際に置かれた陶器の放つ光沢の見事な表現や、少女の横顔(おでこから鼻にかけてのラインが特徴的)など、わりとじっくり観られました。

9月17日(月・祝)までです。