l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

円山応挙―空間の創造

2010-10-29 | アート鑑賞
三井記念美術館 2010年10月9日(土)-11月28日(日)



展覧会の詳細はこちら

「三井記念美術館 開館五周年記念 特別展」ということで、円山応挙(1733-1795)を「空間の画家」として捉え、その奥行きのある立体的画面をこの画家がどのように構築していったのか、様々な作品で「視覚体験」するもの。

眼鏡絵、応挙の絵画論が垣間見られる『萬紙』、実験的な絵画、といろいろな仕掛け花火を楽しみながら、最後には水墨で松を描いた国宝、重文の「二大最高傑作」の揃い踏みという大輪の打ち上げ花火が用意されています。

構成は以下の通り:

[展示室1] 遠近法の習得
[展示室2] 応挙の絵画空間理論 「遠見の絵」
[展示室3] 応挙の茶掛け
[展示室4] 応挙様式の確立―絵画の向うに広がる世界
[展示室5] 淀川両岸図巻と小画面の中の空間
[展示室6] (タイトルなし)
[展示室7] 応挙二大最高傑作―松の競演


今回は画像がほとんどなく、私の拙い文章ではあまり参考にならないと思いますが、感想だけ留めておきたいと思います。

[展示室1]

応挙が若かりし頃に描いた眼鏡絵の数々。眼鏡絵は18世紀初めにヨーロッパで誕生し、中国から日本に伝わったもので、鏡に映してレンズでのぞく「反射式」と、直接レンズでのぞく「直視式」があるそうだ。

ここには応挙によるその両方の作例が並び、どれも建物や景色が極端な線遠近法で描かれているものの、立体的に見えるという「のぞき眼鏡」がないので実際どのように見えるのかわからない。

いずれにせよ、小さいながらどれも緻密に描き込まれ、細部も手抜きのない画面で(中には部分的に青いガラスがはめ込まれていて、背後から光を当てると夜景のようになって月が青い光を放つという『石山寺図』も)、それまで東洋の画法になかった概念への応挙のチャレンジャー精神、そして創るからには観る者を喜ばそうというエンターテイナー精神のようなものを感じます。

蛇足ながら、『京洛・中国風景図巻』の中で目に止まったものが。スーパーって、建物の上にそのスーパーのロゴの入った、目印的立方体のものが載っているでしょう?あれの先祖みたいなのが、この絵の中に。。。

[展示室2]

応挙と深い信仰があったという三井寺(みいでら)円満院門主の祐常(1723-73)が残した『萬誌』が展示。この中には、応挙の絵画制作における考えが述べられていてとても興味深い。

その一つは、掛け軸、屏風、襖絵などの大画面の作品には、“近くで見ると筆ばなれなどがあるが、間をおいて見ると真の如く見える「遠見(とおみ)」の絵”にすること。もう一つは、モティーフを三次元的に把握する「三遠の法」(すなわち「平遠」「深遠」「高遠」を捉えること)の重要性。「うまくできなければ鏡に写して描くとよい」とも。

応挙は西洋の解剖学なども学んでいたと聞くし、やはり西洋画のテクニックの研究も相当のレベルだったのでしょうね。

[展示室4]

『雲龍図屏風』 安永2年(1773年) *重文

六曲一双の紙本墨画淡彩で、2匹の龍が天の雲と地の波を逆巻きながら画面を駆け巡る。左隻の龍は天から下り、右隻の龍は地から昇っていく。下で荒れ狂う波はまるで龍の分身か鉤爪のごとくいきり立ち、龍たちの躍動感を盛り立てる。ほとんど墨の濃淡で描かれているが、龍の鱗には薄く金彩が入れられ、顔の表情も豊か。特に右の龍の、昇りながら後ろを見やる眼光にやられました。

『竹雀図屏風』 天明5年(1785年)

こちらも六曲一双の紙本墨画淡彩だが、竹林の中に可愛い雀たちを捉えた平穏な作品。3羽が竹から飛び立つシーンがあるのだが、3羽いるのではなく、枝から飛び立ち、羽ばたいてから滑空に移る1羽の雀の連続した姿を捉えたのかもしれないという解説を読んだら本当にそう観えてきて、なるほど~と思った。別の個所でも地上に3羽いて、こちらも1羽の歩く動作を連続して描写しているようにも観える。

[展示室5]

『淀川両岸図巻』 明和2年(1765年)

応挙の「視覚実験」の作品。中央に流れる淀川を挟んで、右岸(画面上部)と左岸(同下部)の川辺の景色を眺めながら右から左へ目を移していくと、急に左岸の景色だけ上下逆さまになってしまう。つまり、例えば川辺に生える木々は最初、右岸も左岸も上を向いて立っているのに、途中から左岸(下部)の木々だけがぱたっとこちらに倒れたような生え方(木のてっぺんが下を向いている)になってしまうのです。と言葉で言ってもわかりにくいと思うので、どうぞ現物を。作品の良し悪しはともかく、応挙って本当にいろいろ試したんだなぁ、と思わずにいられません。

[展示室7]

『雪松図屏風』 *国宝

 左隻

 右隻

初めてお目にかかった応挙の名作(国宝だったのですね)。解説によると、画面両端から中心へ向かい、中央部に空白を残す構図を「迫央構図」と呼ぶそうで、これにより奥行き感、立体感を強く意識した空間の広がりが実現される。ブログの画面の都合上横並びに載せられなくて残念だが、確かに左隻の右上と右隻の左上が白く抜かれていて、二つを合体させると中央上部が空白となる。

単純に左と右の松のフォルムに変化を持たせ、リズムを作っているのかと思っていたが、それ以上の深い計算がされているのですね。塗り残しによって、この松の枝や幹にふんわりと積もる純白の雪を表現したテクニックにもひたすらため息。

『松に孔雀図襖』 寛政7年(1795年) *重文

チラシの下の方に一部が載っている、金箔地に松の木と孔雀が墨で描かれた襖絵。彩色はされていないというのに、金箔マジックなのか線描が真っ黒に見えず、墨の濃淡、線の強弱で色を感じるから不思議。

金箔は大気や地面を表わしていると解説にあり、よく観るとなるほど地面にはうっすら墨が引いてあるし、今まで画面をゴージャスに見せる装飾だとばかり浅はかに思っていた背景の金箔も、透明な大気に色がつけられることによって奥行きが増しているのだと理解された。

下降していく松の枝と、枝の下にいる孔雀の長い尾が呼応して流れるようなリズムを感じる。

以上です。

途中展示替えがあり、後半も別の重文作品が登場しますので、気になる方はサイトの出品目録をご確認下さい。11月28日(日)までです。

バルビゾンからの贈りもの 至高なる風景の輝き―

2010-10-25 | アート鑑賞
府中市美術館 2010年9月17日(金)-11月23日(火・祝)



府中市美術館は今年開館十周年を迎えたとのことで、その記念展として企画されたのが本展。バルビゾン派の作品が明治の日本近代洋画に与えた影響を、「バルビゾン村」と「武蔵野」をキーワードに国内外の作品約120点で展観するという意欲的な試み。

実は観に行ったのは今月あたまの秋晴れの週末。東府中駅から歩いて府中の森公園に近づくと、まだ青々とした葉が茂る美しい並木道が現れ、そこはかとなく金木犀の甘い香りが。公園の中に一歩足を踏み入れれば木々の植わり方が西洋風に感じ、展覧会名のおかげもあって何だかヨーロッパの森を歩いているような気分に(元来単純な性格なので暗示にかかりやすい)。

さて、クールベの風景画が出迎えてくれるこの展覧会は、以下のように四つの章立てになっていた:

第一章 ドラマチック・バルビゾン
第二章 田園への祈り―バルビゾン派と日本風景画の胎動
第三章 人と風景―その光と色彩の輝き
第四章 バルビゾンからの贈りもの―光と色彩の結実


上記の章はさらにそれぞれに丁寧なカテゴリー分けがなされていたりもしたが、私はあまり意識せず、次々に立ち現れる風景に誘われるままに展示室を観て回った。

まず、バルビゾン派は戸外制作にこだわったということで、エルネスト・ルヌーという人の野外写生用具一式(絵の具箱、イーゼル、椅子、パラソル)の展示や、シャルル=フランソワ・ドービニーの、自分が使っていた写生専用の舟(「ボタン号」という可愛い名前のこの小舟には、ちゃんと屋根つきの部屋が設えられた本格的なもの)を描いたエッチング作品などが並び、工夫された導入部でスタート。

以下、個人的に印象に残った絵画作品を挙げておきます:

『鵞鳥番の少女』 ジャン=フランソワ・ミレー (1866-67年)

水鳥のいる風景は和むものだが、この喧しそうな鵞鳥たちの群れには思わず微笑んでしまう。上を向いてくちばしをパックリ開けて鳴いているのもいて、彼らの元気な声が聞こえてきそう。

『夕暮れのバルビゾン村』 ピエール・エティエンヌ・テオドール・ルソー (1864年頃)



夕暮れ時の日の名残り。空を染めるバーミリオンが印象的。

『東都今戸橋乃夜景』 松本民治 (1877年頃)

夜空に明るく輝くまん丸のお月さま。中央を流れる川はその月光の反映を川面に棚引かせ、両脇に並ぶつましい家々の障子からは蝋燭の灯りが洩れている。よく目を凝らせば夜空にも雲が浮かび、画家は月光を浴びている部分と逆光になっている部分とをうまく表情をつけて描き分けている。得も言われぬ叙情が漂う明治の東京の街。描かれているのは西洋の街ながら、私の好きなイギリス人画家、アトキンソン・グリムショウが連想された(グリムショウにご興味のある方はこちらをどうぞ)。

『墨水桜花輝燿の景』 高橋由一 (1874年)



歌川広重あたりが油彩を操ったら、こんな絵を描いたかもしれませんね。

『景色』 本多錦吉郎 (1898年)



初めて知る画家だが、上手いなぁ、と思って足が止まった。手前の大きな木や、奥の方の、まるで竹ぼうきを逆さに立てたようなカサカサの木立。日本の秋冬の風土を見事に描き切っているように思います。チラシの裏に、この絵の舞台となった府中のけやき並木の100年前と現在の様子が映っていますが、木々が今も青々と茂っているのにほっとします。

『森の小径(ル・クール夫人とその子供たち) オーギュスト・ルノワール (1870年)

この画家の作品にしては(と言っては失礼だけれど)、風通しのよい、すっきりとした風景画。

『富士』 和田英作 (1899年)



夕日を柔らかく反映する富士山の山肌や、手前の山の稜線が薄紫の落ち着いたグラデーションで描かれていて、清涼な空気感が伝わってくる素敵な絵。

同じく和田による『波頭の夕暮』(1897年)は、着物の裾を端折った明治の農民たちと、目の前を流れるパステル調の虹色の川が何とも不思議なコンビネーションだった。

『信州景色』 中川八郎 (1920年)



珍しく美しい青空がのぞく風景。大気が乾燥した日本の冬の空は、ウェッジウッドのジャスパーウェアーのようなマットな青い色が美しく広がるので、よく見上げる私。

同じ画家による大きめの木炭画、『雪葉帰牧』(1897年)も、上記とは違いモノトーンの世界だが、しんとした日本の雪国の迫力が漂う素晴らしい作品だった。

最後の方に(一旦展示室を出たところに)『鎮守の森』 正宗得三郎(1954年)という作品があって、その解説に「湿度が多く、光が弱いとされる日本の風景にもかかわらず、果敢に色彩を見出している」とあったが、私は常々日本の風景を油彩で描くのは大変なのではないかと思っている(まぁ対象にもよりますが)。別の解説には「湿潤な風土を描く上でも、油彩画は茫洋とした輪郭を光と色で補うのに好都合」とありましたが、さて?

落ち葉の積もる秋の府中の森公園もいい雰囲気ですので、まだ行かれてない方は散策がてら本展をのぞくのもいいかもしれません。

三菱が夢見た美術館 岩崎家と三菱ゆかりのコレクション

2010-10-24 | アート鑑賞
三菱一号館美術館 2010年8月24日(火)-11月3日(水・祝)



本展の公式サイトはこちら

この美術館は水曜日・木曜日・金曜日は夜8時まで開いているので、私にとって前回のエドゥアール・マネ展に続いてこの美術館への2回目の訪問となる本展に、珍しくスーツ姿で平日の夜に行ってみた。

前回は気づかなかったのだが、ヒールのある靴で歩くと、この美術館の木の床は靴音がコツンコツンとひと際大きな音を立てる。展示室入口のドアの手前に、床に使われている資材が靴音を反響させやすいのでご留意を、というような但し書きがあり、しかもこの日は鑑賞者の数も少なめで展示室が静まり返っていたので、私も極力音を立てないようにそろそろと歩いた。

うっとりするほどピカピカの木の床に比べるとグレーの階段が味気ない感じがして、前回来た時はこの階段も木造りだったら更にいいのに、なんて思ったけれど、その思いは霧散。木だときっとタップダンス教室のようになってしまうでしょうね。

ついでと言っては何ですが、映画のチケットのような当日券もやっぱり味気ない気がします。本展に関しては私が入手しただけで3種類もの紙質の良いチラシがありますが、それだったらもう少しチケットを工夫願いたい、とまあこれは鑑賞者の勝手な要求でありますが。

では、本題に。

この展覧会は、簡単に言えば三菱を興した岩崎家の芸術パトロネージを、その蒐集品の中から総数約120点(会期中入れ替えを含む)を実見しながら紹介するもの。作品のカテゴリーごとに章が組まれており、すっきりした展示でとても見易かった。

序章 「丸の内美術館」計画:三菱による丸の内の近代化と文化

ここは岩崎家や三菱の依頼によりコンドルが手がけた建造物の設計図の並ぶ、本章への導入部。『丸の内美術館』(1892年)というものもあるが、ここはまずチラシからおさらい。

明治初年に岩崎彌太郎(1835-1885)が土佐藩の行っていた海運業を引き継いで興した三菱は、1890年に丸の内の土地を政府から一括購入し、地震に耐えうる洋風建築の並ぶオフィス街の建設を目指す。

二代目社長の岩崎彌之助(1851‐1908)は、英国人建築家ジョサイア・コンドルに最初の洋風事務所建築である旧三菱一号館建設(1894年竣工)を依頼。

明治20年代、三菱は丸の内を単なるオフィス街ではなく文化的な要素を取り入れた近代的な街にしようとコンドルに相談し、美術館や劇場の設計を試みる。

そこで「丸の内美術館」の設計がされたわけですが、計画は実現しなかったものの、旧三菱一号館の再生である三菱一号館美術館が今年誕生し、こうして岩崎家及びそのゆかりのコレクションが展示された、ということで本展のタイトルにつながる。

第一章 三菱のコレクション:日本近代美術

明治・大正期の富裕層の興味の対象が骨董や茶道具などに限られていた中、三菱のように同時代の芸術文化を支援した例は稀だった。この章には当時で言えば現代美術(今振り返れば日本近代美術)の洋画作品が並ぶ。

『十二支のうち午「殿中幼君の春駒」』 山本芳翠(1892年)

いきなり山本芳翠の作品が3点並ぶ。本展のサイトにリンクのあるmarunouchi.comに詳しい説明があった。それによると、この十二支にちなんで描かれたシリーズは二代目社長の岩崎彌之助の依頼により芳翠が制作したもので、12点中10点が現存し、今回はそのうちの3点が並んでいるとのこと。ちなみに午の他の2点は丑と戌。

画像はないが、私はとりわけ午が気に入った。先に挙げたサイトにある通り、徳川家光(竹千代)が張り子の午で遊ぶ様子を春日局と侍女が見守るという図だが、どことなくラファエル前派というか、着物の刺繍の質感描写が私の好きなヴィクトリア朝時代のイギリス人画家、J.W.ウォーターハウスを思わせ(そういえばウォーターハウスの『シャロット姫』の制作年も1888年だから両者はほぼ同じ頃に描かれたのですね)、芳翠独特の画世界に引き込まれた。

それと、同じく芳翠による『花』(制作年不詳)は、筆触の残し方がエドゥアール・マネの静物画を思い出させた。マネの作品の背景も、こんな茶系の色じゃありませんでしたっけ?

『花畑』 浅井忠 (1904年)

浅井忠というと秋の黄金色の情景の印象が強いので、このように鮮やかな緑の中に咲く赤や黄色の花を描いた風景は新鮮だった。塀の向こうに霞む山の稜線で奥行きや大気感が増して、取り立てて目を引くものが描かれているわけでもないのに引き込まれ、観飽きない。

『童女像(麗子花持てる)』 岸田劉生 (1921年)

チラシにある、赤いタータン・チェックのワンピースが印象的な麗子像。絵から離れて振り向くと、麗子の放つ存在感に驚く。

第二章 岩崎家と文化:静嘉堂

二代目彌之助により設立された静嘉堂は、明治初期から昭和前期にかけて古典籍20万冊、古美術6500件を蒐集した文化施設で、国宝7点、重文83点、重美79点を含む。四代目岩崎小彌太(1879‐1945)が彌之助の跡を継いで更に所蔵品を充実させ、1924年に現在の世田谷に静嘉堂文庫が、そして1992年に美術館が建設される。

『色絵吉野山図茶壺』 野々村仁清 (江戸時代) *重文



ゴージャスな仁清の茶壺。堂々とした存在感があって美しいけれど、個人的には出光で観た白地の壺(色絵芥子文茶壺)の方がすっきりしていて好みかな。

『江口君図』 円山応挙 (江戸時代) *重美



吸い寄せられるようにこの絵の掛かる展示ケースの前へ。この流麗で気品のある線描は見事ですね~。

『浪月蒔絵硯箱』 清水九兵衛 (江戸時代 17‐18世紀)

上方に細い三日月が浮かぶ箱の表面。下方の、岩や海藻には緑に光る螺鈿細工が施され、その間にうねる波や、箱の中の控えめな松の線がとても繊細。

第三章 岩崎家と文化:東洋文庫

三代目岩崎久彌(1865‐1955)が1917年に購入した、中華民国総統府顧問であったイギリス人のアーネスト・モリソンが蒐集した極東に関する文献(モリソン文庫)に、同じく久彌が購入した和漢書のコレクション「岩崎文庫」などが加えられ、1924年に建設されたのが東洋文庫。

原本である『ターヘル・アナトミア』 ヨハン・アダム・クルムス(1734年)と共に並ぶ『解体新書』 杉田玄白訳(1774年頃)、くっきりした活字で思わず読み出してしまう『ロビンソン漂流記』 ダニエル・デフォー(1719年)、江戸をCittie Edooと書いている『ジョン・セーリスの航海日誌』 ジョン・セーリス(1617年)、資料的に興味深い16世紀から18世紀に作られたアジアや日本の地図など、珍しいものが並んでいて楽しめた。

第四章 人の中へ街の中へ:日本郵船と麒麟麦酒のデザイン

日本郵船と麒麟麦酒も三菱系の企業だったのですね。前者は橋口五葉、後者は多田北烏(雑誌「主婦の友」の表紙を手掛けた人だそうです)などの大正ロマン風ポスター作品が並ぶ。昔はビールのコップも小さくて、慎ましやかな感じ。

第五章 三菱のコレクション:西洋近代美術 

『波』 モーリス・ド・ヴラマンク (制作年不詳)

個人的にこの章で一番良かった作品。嵐の海の波を画面一杯に描いた作品で、白い波頭は画面全体で荒れ狂い、水平線も判然としない。白と濃紺のほとんどモノトーンの世界だが、この人の油絵具を画布に乗せるセンスといいましょうか、とても好きです。ポストカードがあればよかったのに。

そういえばこの章の解説パネルに、久彌はバルビゾン派やラファエル前派を好んだと言うようなことが書かれていた。1章の芳翠の絵も好きだったかしら?

終章 世紀を超えて:三菱が夢見た美術館

『三菱ヶ原』 郡司卯之助(福秀) (1902年)

手前から広がるだだっ広い野原の向うに大きな木が数本あって、その背後に洋風の建物が数軒のぞくだけの牧歌的なこの絵はまるで印象派の風景画のようだが、これがたった120年くらい前の丸の内の風景だと言われてもにわかに信じがたい。

この絵の前に居合わせた老紳士たちが、「やっぱり不動産だよなぁ」。本当ですね(笑)

三菱の「大番頭」と呼ばれていた荘田平五郎という人が、イギリスで知見したことを踏まえて岩崎彌太郎に丸の内の土地を買うことや、美術のパトロンになることを進言したらしい。彌太郎はこの何もない広大な野原で「虎でも飼うか」と冗談を言ったそうだが、近年の再開発に伴ってこうして本当に美術館も加わった今の繁栄ぶりに、きっと天から目を細めて見ていることだろう。

本展は残すところあと少し、11月3日(水・祝)まで。通常月曜日はお休みですが、11月1日(月)は開いているそうです。

次回の展覧会は「カンディンスキーと青騎士展」ということで、個人的にも最近目覚めたドイツ表現主義の作品をいろいろ観られそうで楽しみ。ブリックスクエアのクリスマスの雰囲気も良さそう♪

 

レンバッハハウス所蔵美術館所蔵「カンディンスキーと青騎士展」
三菱一号館美術館
2010年11月23日(火・祝)-2011年2月6日(日)

フランダースの光 ベルギーの美しき村を描いて

2010-10-01 | アート鑑賞
Bunkamura ザ・ミュージアム 2010年9月4日(土)-10月24日(日)



ベルギー北部のフランダース地方にシント・マルテンス・ラーテムという小さな村があり、この村及び周辺に19世紀末から20世紀初頭にかけて芸術家たちが移り住み、創作活動を行っていたそうだ。本展では、そのラーテム村で制作を行った芸術家の作品89点を紹介するもので、日本初公開の作品も多いとのこと。

実はチラシを入手したときから密かに期待していたのだが、果たしてとても素晴らしい内容だった。何よりも良かったのは、世代ごとに三つ(すなわち「象徴主義」、「印象主義」、「表現主義」)に区切ったシンプルな構成の下、一人の作家の作品が複数揃えて展示されていること。1点やそこらでは画家の印象はなかなか残らないし、スーパースターの作品が1点もなくとも、このように質の高い作品を上手い切り口で展示して頂けると見応えがあります。

では、印象に残った作品を挙げながら感想を記しておきたいと思います:

第一章 精神的なものを追い求めて

1900年頃、産業革命による生活環境の変化や都会の喧騒から逃れるように、ラーテム村に移り住んできた第一世代の芸術家たち。彼らは深い精神性を表現した象徴主義的絵画を発展させた。

上は『春の緑』(1900年)、下は『シント・マルテンス・ラーテムの雑木林』(1898年)。共にアルベイン・ファン・デン・アルベール作。

 

『春の緑』の目の覚めるような黄緑色が目に飛び込んできた瞬間、わぁ、なんてきれいな絵なのだろうと思った。そして解説にある「象徴主義」の文字が頭の中で回り出す。

いわゆる「風景画」と、景色を描きながら「象徴主義」と呼ばれるこれらの絵を違わせているのは何だろう、と思ってしばらく眺めていた。確かにアルベールの画面には、例えば1本だけ抜きん出た大木であるとか、群れる動物であるとか、風車であるとか、鑑賞者の目を誘導するいわゆるフォーカル・ポイント(焦点)というものが全くない。しかしこの「何もなさ」は、鑑賞者の視覚のみならず、さまざまな感覚を覚醒させる。

アルベールはラーテム生まれで村長まで務めたというから(初めて絵筆を取ったのは39歳のときだそうです)、この村のことは隅々まで知り尽くしていたことでしょう。そんな彼が選んで切り取った情景には、産業革命云々という表層的なことよりも更に深い精神性を感じます。

左は『冬の果樹園』(1908年)、右は『冬景色(大)』(1926年頃)、共にヴァレリウス・ド・サードレール作。

 

少し前に観に行ったアントワープ王立美術館コレクション展で、私が思わず「近代のブリューゲル!」と感動した人の作品が沢山並んでいてとても嬉しかった。この画家も最初は印象派風の作品を描いていたそうだが(その作例が1点展示されている)、15世紀フランダース絵画展を観て方向転換。静謐な、心象風景ともいえる独特の世界を構築した。

この他、『静かなるレイエ川の淀み』(1905年)の、墨絵のような諧調を見せる空の表現、『フランダースの農家』(1914年)の、琥珀色の闇に落ちていく大きな農家から発せられる時の堆積。筆跡の残らない滑らかな画面に描かれる、これらの人の気配のない風景画の数々はじんわりと心に沁みてくる。余談ながら、写真を見ると随分恰幅のいい人であったようだ。

『悪しき種をまく人』 ギュスターヴ・ヴァン・ド・ウーステイヌ (1908年)



異彩を放っている作品だった。金地の上に人物が切り絵で貼られたような、まるでルネッサンスの宗教画が紛れ込んだのかと思うようなマチエール。この画家も、「初期フランダース美術の展覧会を見て以来、ルネッサンス以前の美術と文化に対する崇敬の念を持ち続けていた」と解説にあった。モデルになっている男性はデースという名の農民で、他の作品にも登場する。

第二章 移ろいゆく光を追い求めて

印象主義の画家たちが移り住み、第二世代を形成。村の美しい情景や、ブルジョワ的な美しい室内なども描いた。

『ピクニック風景』 エミール・クラウス (1887年)



第二世代の先駆となったのが、リュミニスム(光輝主義)と呼ばれる作風で外光表現を追求したエミール・クラウス。チラシに使われている作品(『刈草干し』1896年)を描いた人です。何と今回彼の油彩画が12点も大集合、そこだけ眩しい一角が。

この作品は、手前の人物たちの一群が写実的に描写されているのに対し、彼らを取り囲む川辺の草花がやや粗い乾いた筆捌きで描かれており、独特の効果を生み出していた。

『レイエ川沿いを歩く田舎の娘』 エミール・クラウス (1895年)



日本からベルギーに赴き、エミール・クラウスに絵の指導を受けた太田喜三郎(今回初めて知りました。ちょっと長友選手似)が残したノートには、師の言葉として「いつでも日に向かって画をすえて」とある。

その言葉通り、クラウスは逆光の中に飛散する光の粒子を追い求め、彼の描く人物達はその粒子をまとっている。この作品も、実物を観ないとわからないと思うのだが、右側の女性の横顔にちらりとのぞくおくれ毛にきらきらと光が宿り、私はこの画家の逆光に対するフェティシズムのようなものを感じずにいられなかった。

太田喜三郎と、太田と共にゲントの美術学校に学び、同じくクラウスに作品批評などをしてもらっていたという児島虎次郎の二人の作品も展示されていた。太田の『樹陰』(1911年))などはかなり師の教えに肉薄しているのではないでしょうか。

『運河沿いの楡の木』 エミール・クラウス (1904年)



151x184cmの大きな画面に現れた、ともすればどこにでもあるような風景ではあるが、絵の中に入り込んで左側の坂を上ってみたくなる。

『梨の木』 アルベール・サヴレイス (1912年)



印刷だと何だか色が薄くなってしまうような気がするが、絵具の置かれ方が、点描というよりモザイクに近い触感を醸し出す印象深い作品だった。

第三章 新たな造形を追い求めて

第三世代を形成したのは第二世代の画家たちだが、第一次世界大戦中に疎開していた先でドイツ表現主義やキュビスムなど新しい美術の潮流に触れ、戦争前とは異なる画風を成立させる。

上が『レイエ川』(1927年)、下が『レイエ川のアヒル』(1911年)、共にギュスターヴ・ド・スメット作。

 

左が『オーイドンク城の鳩舎』 (1923年)、右が『庭の少女』(1909年)、共にフリッツ・ヴァン・デン・ベルグ作。

 

上に挙げた二人の画家による4点ですが(ともに新しい年代の方が第3章に、古い方は第2章に展示)、どちらもとても同じ画家が描いたとは思えない画風の変貌ぶりでしょう?スメットなど同じ川の情景を描いてこの違い。

実は今までベルギー近代美術の展覧会で私が個人的に苦手だったのが、この3章に並ぶごっつい表現主義の作品たち。でも今回はあら不思議、朴訥とした色彩のブロックに何とも言えない味を感じてしまったのでした。

本展は10月24日(日)まで。お勧めします。