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アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

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ボッティチェリ展

2016-03-29 | アート鑑賞
2016年1月16日(土)-4月3日(日) 東京都美術館



公式サイトはこちら

この展覧会は非常に混雑するだろうと思い、始まって1週間後くらいに足を運びました。しかしながら、≪ヴィーナス誕生≫や≪春≫が来るわけじゃないし、出品数もそれほど多くなさそうだから、さらっと観られるのではないかと安直に構えていたのですが・・・。

甘かった。実は東博の「始皇帝と大兵馬俑展」とはしごしたのですが、大混雑の東博でかなり集中力と体力を消耗していた身にはちょっと濃すぎる内容でありました。

何せ、私が勝手に本展の目玉だろうと高をくくっていた≪ラーマ家の東方三博士の礼拝≫が、最初の部屋に入るなりいきなり登場するのですから。この作品をしょっぱなに持ってくるところに主催者の本気モードが伝わってくるようです。

その≪ラーマ家の東方三博士の礼拝≫の左方にはロレンツォ豪華王の巨大なブロンズ像が鎮座し、さっきまで紀元前3世紀の中国大陸にどっぷりつかっていた私の頭は、瞬時にルネッサンス美術の咲き誇る15世紀のフィレンツェへ切り替わることとなりました。

このように時空を自由に旅できる美術館や博物館が集まる上野の山は、やはりすごいところですね~。

さて本題ですが、下記の各章のタイトルが示す通り、本展ではボッティチェリ本人の作品のみならず(と軽く言いましたが、ボッティチェリの真筆が20点も一堂に会するなんて凄いことです)、師匠のフィリッポ・リッピ、弟子のフィリピーノ・リッピ(フィリッポ・リッピの息子)、そして同時代の画家たちの作品も含め、計78点が並びます:

1章 ボッティチェリの時代のフィレンツェ
2章 フィリッポ・リッピ、ボッティチェリの師
3章 サンドロ・ボッティチェリ、人そして芸術家
4章 フィリッピーノ・リッピ、ボッティチェリの弟子からライバルへ

個人的に興味深かった作品を何点か挙げてみます:

≪書斎の聖アウグスティヌス(あるいは聖アウグスティヌスに訪れた幻視)≫ 1480年頃



フィレンツェには2回ほど行ったことがありますが、オニサンティ聖堂をついぞ訪ねることができず、観ることが叶わなかった作品です。まさか先方から東京に会いに来てくれるなんて夢のよう。だって、これ結構大きなフレスコ画ですよ。よくぞはるばる日本まで運んで下さいました。しかも、美術館でこうして展示されている方が、美術作品としては聖堂内より近くでじっくりと鑑賞できるのではないでしょうか。というわけで、聖人のお顔をはじめ隅から隅までゆっくりと拝見しました。

≪聖母子(書物の聖母)≫ 1482~83年頃



もう10年も前の話ですが、この作品の所蔵元であるミラノのポルディ・ペッツォーリ美術館には一度行ったことがあって、確かにこの作品を観た記憶はあります(ポストカードも買っていますし)。しかし、この美術館に行く前に巨大なブレラ美術館を歩き回っていたせいでヘトヘトに疲れ、頭の中はすでに飽和状態。

というわけで、今回改めてこの作品の前に立ち、その美しさが心に沁み込んだような次第です。聖母のまとう深みのある青いマント、光輪や金糸装飾の繊細な描き込み。高級な顔料がふんだんに用いられ、全体的にもしまった画面構成で、ボッティチェリが高い集中力を注ぎこんだことが伺える作品です。

≪胸に手をあてた若い男の肖像≫ 1482-85頃 *2月25日までの期間限定展示



忽然と現れた流し目のイケメンにちょっとドキドキ。ボッティチェリの作品は遠近法などはさほど重視されず、輪郭線を描きこむ画法が日本の伝統的な絵画にも通ずるのではと言われますが、私はやはり小学生の頃読んでいた少女マンガが浮かんできます。

以前ウフィツィ美術館のボッティチェリ作品の展示室に入り、彼の描く美少年たち(天使たち)に囲まれた時、その余りの美しさになんだか涙が出てしまったのですが、今思えば小学校時代の少女マンガのノスタルジーが幾分作用したのかもしれません。

輪郭線といえば、私はボッティチェリの人体のパーツの描き方で昔から目がいってしまうポイントが二つあります。一つは、時にいびつなほど長い特徴ある足の指。もう一つは、くっきり平坦に描かれた手足の爪です。師リッピの作品からはあまり感じられない要素で、ボッティチェリ独自の表現に見えます。

≪温和なミネルウァ(女神パラス)≫ 1494-1500年頃

ボッティチェリの原寸大下絵をもとに織られた大きなタペストリー。中央には女神パラスが立っていますが、風になびく長い髪と衣、右足に重心を置くS字気味のポーズは一目でボッティチェッリ作とわかります。彼の甘美な女性像を織物に仕立てるのも、絵画とは異なる趣があってなかなかいいものだと思いました。

≪オリーヴ園の祈り≫ 1495-1500年頃



修道士サヴォナローラに傾倒した後の作品は、ロレンツォ・イル・マニーフィコとつるんでいた頃の、ふんわりと優美な作風とは打って変わってギスギスしたものとなりますが、本作はまるでフランドル絵画。色彩は鮮やかですが、禁欲的と言いますか、登場人物の表現よりも画題ありきといった仕上がりです。これがボッティチェリの筆による作品かと驚きました。

以上、ボッティチェリの作品ばかり挙げましたが、アントニオ・デル・ポッライオーロの≪竜と戦う大天使ミカエル≫も来ていましたし、素描類が観られるのも貴重です。

ボッティチェリはやはり春がお似合いです。本展はあと1週間足らずで終わってしまいますが(4月3日まで)、はらはらと舞う上野の山の桜の花びらを受けながら足を運ぶのもいいかもしれませんね。
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リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展

2016-02-26 | アート鑑賞


2015年12月22日-2016年3月6日 Bunkamura ザ・ミュージアム
公式サイトはこちら

ラファエル前派の名作を多数所蔵している美術館としてつとに有名な「レディ・リーヴァー・アート・ギャラリー」と「ウォーカー・アート・ギャラリー」。この二つに「サドリー・ハウス」を加えた、イングランド北西部の三つの美術館から出品された65点の作品により本展は構成されています。

ちなみに「リバプール国立美術館」とは「リバプール内及び近郊の美術館、博物館7館の総称」だそうで、上記3館もその一部であるということを今回初めて知りました。

19世紀のリバプールは、産業革命によって造船業や貿易の輸出港として大変栄え、多くの新興の中産階級を生み出しました。余談ながら、当時アイルランドからアメリカに移住する人々もリバプール港から出航する船で大西洋を渡ったそうで、中にはそのままリバプールに居ついた人も多いと聞きます。地理的にとても近いし、ビートルズをはじめリバプールやマンチェスター出身のロック・バンドのメンバーもアイルランド系が多いですよね。

そんなウンチクはさておき、経済的に裕福になった企業家たちがパトロンとなり、芸術が繁栄した結果としてこれだけの潤沢なコレクションが地元に残るわけですが、ビジネスで成功し、豪邸を建てた人々が好んだ画題はやはり「見た目に美しいもの(美しい女性)」が多いという印象を受けます。

章立ては以下の通りです: 

Ⅰ.ヴィクトリア朝のロマン主義者たち
Ⅱ.古代世界を描いた画家たち
Ⅲ.戸外の情景
Ⅳ.19世紀後半の象徴主義者たち

Ⅰ章の1作品目、ジョン・エヴァレット・ミレイによる≪いにしえの夢―浅瀬を渡るイサンブラス卿≫(1856-57年)。チラシにある作品です。

解説には、「画家は馬が大きすぎることに気づいてあとで修正した」というようなことが書かれています。言われてみれば、確かに馬の鼻の輪郭が結構大胆に白っぽい絵具で上塗りされ、細く修正されているように見えます。素人目にはややぞんざいにも感じられ、クスッとなりかけた瞬間、ん?と思い当たる事が。そうか、油彩画だからか!

ここでちょっと横道にそれます。

実は何となく私にとってずっと掴みづらいところのあった「ラファエル前派」。どうもしっくりこないその主義主張、そしていったいどの画家がその範疇に入るのか?

美術史的には、「ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood=PRB)とは1848年に結成されたグループ」であり、PRBとしての活動は1853年に自然消滅したことになっています。しかしながら、今回の出展作品は1点を除いてそれ以降のものばかりです。

ついでに、今回も5点出品されているジョージ・フレデリック・ワッツの、イングランドに所在する「ワッツ・ギャラリー」の入口には、「ワッツはラファエル前派ではありません」という断り書きがしてあると聞きます。

そもそもラファエル前派が目指したとされる「ラファエロ以前」の絵画とは、具体的にどのようなものをいうのでしょうか?図録の解説を参考にすると、それは1400年代前半の初期ルネサンス絵画(例えばフラ・アンジェリコやボッティチェリなど)を指し、輪郭線を伴う描画法、奥行き表現の発達していない平坦な画面、豊かな装飾性などを特徴とするとあります。

そこで私が思い当ったのは技法です。ご存知の通り、初期ルネサンス絵画は主に板にテンペラで描かれています。対してラファエル前派の人たちはほとんどがカンバスに油彩。油彩は奥行き感を出すのに秀でた画法ですし、絵肌もテンペラ画にはない特有の光沢があります。だから、例えばロセッティやミレイなどの初期の聖書主題の油彩作品などに、わざと平坦に描こうとしているような違和感を私は感じるのかもしれないなぁ、と。



≪シャクヤクの花≫ チャールズ・エドワード・ペルジーニ (1887年に最初の出品)

多分初めて観る画家ですが、無条件にきれいだなぁ、とうっとりしました。レイトンの助手などもしており、その影響も受けているとのことですが、レイトンより自然で、ふんわりと柔らかい画風です(筆跡を残さない完璧な古典主義技法で仕上げたレイトンの女性の顔や肌は美しいとは思いますが、筆触を残す衣服との対比や、これでもかと波打つ衣襞にやりすぎ感を感じてしまうことがあります)。

ここで思うのは、現在ラファエル前派の大きな括りの中で語られる画家の多くが女性の美しい肖像画をわりとアカデミックに描いていて、それがどことなくラファエロ作品との親和性を感じさせてしまうことも、PRBをわかりにくくしている一因かもしれないということです。つまり、ラファエロの名を冠した「ラファエル前派」という名称と内実が、どうも私の中で混乱を起こしてしまうようです。



≪ブラック・ブラウンズウィッカーズの兵士≫ ジョン・エヴァレット・ミレイ (1860年)

女性のドレスと兵士の制服の質感描写が称賛されたという作品。なるほど見事です。このようにアカデミック(「ラファエル以後」)の作風を得意とするミレイが、PRB創始者の一人というのがおもしろいですね。まあ反アカデミズムといっても、技法だけの問題ではないのでしょうけど。

そういえば以前、同じBunkamuraで開催されたミレイ展に出品されていた、画家が9歳頃に描いたという≪ギリシャ戦士の彫像≫のチョーク画は、9歳児の手になるとはにわかに信じがたいほど見事な出来栄えで腰を抜かしそうになったことを覚えています。

さらに2013年に東京藝大美術館の「夏目漱石の美術世界展」において、ミレイの≪ロンドン塔幽閉の王子≫とウォーターハウスの≪シャロットの女≫が並んでいたときのことも思い出されました。しげしげと両者を見比べてみたら、人物のリアルな迫真性という点ではミレイの方が断然秀逸で、しかし決してウォーターハウスが劣るというわけではなく(後述するように、むしろ私のお気に入りの画家です)、両画家の目指すものの違いが歴然と浮かび上がる貴重な体験でした。



≪ペルセウスとアンドロメダ≫ フレデリック・レイトン (1891年)

≪ペルセウスとアンドロメダ≫(1891年)は、ヴィクトリア朝画壇の重鎮、レイトン卿の235x129.2cmの大作です。ポセイドンの生贄として岩場につながれているアンドロメダをペルセウスが救いに来る場面ですが、アンドロメダに覆いかぶさるドラゴンのような怪物が私にはどうも岩場に貼りつく昆布のように見えてしまい・・・なんて言ったら、この絵のためにドローイングや粘土のモデルまで使って下準備しという卿に激怒されるでしょうね。

レイトンは大陸仕込みの、いわゆる新古典主義と評される画家。ここでまた美術史的な観点からみると、PRBとしての活動は短命に終わりますが、このレイトンも含め、いわばその第二世代とも呼べるような画家たちによって19世紀後半のイギリス美術にはいくつかの流れが出来上がってきます。

すなわち、バーン=ジョーンズやワッツに代表される象徴主義、レイトンやアルマ=タデマなどの新古典主義、ロセッティが追い求めたファム・ファタルやアルバート・ジョセフ・ムーアらによる美しい女性が主役の唯美主義などです。



≪スポンサ・デ・リバノ(バノンの花嫁)≫ エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ (1891年)

325.7x158cmのこの大作が水彩画だということに驚嘆。左画面の宙に舞う二人は「北風」と「南風」で、12歳の少女をモデルにして描いたそうです。

水彩画といえば、「鳥の巣のハント」と呼ばれているらしいウィリアム・ヘンリー・ハントの≪卵のあるツグミの巣とプリムラの籠≫(1850-60年)も、小品ながら精緻で繊細な描写が素晴らしかったです。



≪エコーとナルキッソス≫ ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス (1903年)

私はウォーターハウスがとても好きです。本展でもっとも観たかった作品も≪エコーとナルキッソス≫、今回やっと初対面と相成りました。ウォーターハウスは新古典主義のようでもあり、ロマン主義的な色合いもあり、といった画家に映ります。いずれにせよ作品を観ながら、私は彼の描く人物の造形や色彩のバランスが好みなのだということに思い至りました。例えば、女性たちはバーン=ジョーンズのように病的ではありませんし、ロセッティのようにちょっと毒々しい癖もなく、自然で健康的。



≪デカメロン≫ ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス (1916年) 部分

ぐだぐだと書いてきたわりに偏った感想になってしまいましたが、本展では各章のタイトル通り、さまざまな切り口から作品が鑑賞できます。それらを眺めていくうちに、PRBはそれのみで捕えようとするより、19世紀のヴィクトリア朝絵画の流れの中で見てこそ、その意義や位置づけのようなものが立ちあがってくるように感じました。

ところで、これは余談になりますが、本展は私が今年最初に足を運んだ展覧会。1月2日のことで、この日先着150名に配られたユニリーバ社からのお土産を私も頂くことができました。入口で整理券を頂きながら、恐らく石鹸一つくらいだろうと正直あまり期待をしていなかったのですが、出口で手渡された紙袋には固形石鹸、ハンド・ソープ、そしてリプトンの紅茶という豪華三点セットが入っており、整理券のお心遣いをありがたく理解。

紅茶はイギリス美術の展覧会だからおまけかな?なんて呑気に思った私ですが、1885年に石鹸で起業した会社から発展したユニリーバ社は、今やリプトンやPGティップスといった紅茶ブランドなども所有する、巨大グローバル企業なのですね。

イギリスの紅茶業界も最近はコーヒー人気に押され気味なのだそうですが、イギリスのユニリーバ社は、いち早くコーヒーに倣ってカプセル型の紅茶(ティーポッド)の発売を開始したそうです。さらには専用のティーポッド用マシーンの製造販売にも着手しているとか。ビジネスの生き残り、発展にはイノベーションが不可欠といったところでしょうか。

本展は3月6日までですので、ご興味のある方はどうぞお急ぎください。
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クリーブランド美術館展 名画でたどる日本の美

2014-02-21 | アート鑑賞
東京国立博物館 2014年1月15日(水)-2014年2月23日(日)



展覧会の公式サイトはこちら

クリーブランド美術館は、設立100年を迎える全米でも有数の総合美術館で、”なかでも体系的に収集した日本美術の作品は、全米屈指のコレクション”だそうです。

海外の美術館に所蔵されている日本美術作品のコレクションとあっては、一度機を逸したら二度と日本でお目にかかれない確率も大きいでしょうし、そのような展覧会では珍しい作品に出会えることもしばしば。本展にはまた、東博との交換展という背景もあるようです。

今回は出展数が約50点とさほど多くはないものの、仏画、中世絵巻、屏風絵、水墨画と多岐に渡るジャンルの中に目を惹く作品も多々あり、やはり行ってよかったと思う展覧会でした。

章の構成は以下の通りです:

第一章 神・仏・人
第二章 花鳥風月
第三章 山水
終章 物語世界


≪福富草子絵巻≫ (室町時代・15世紀)

 部分

主題は、「放屁の芸」でひと儲けした高向秀武(たかむこのひでたけ)に弟子入りするも、騙されて下剤となる朝顔の種を飲まされ、その結果、芸を披露しに向かった中将の家で大失態を演じてボコボコにされてしまった福富の話。過去に別バージョンの絵巻を観たことがありますが、今回は福富のおかみさんの猛烈キャラがパネルでフィーチャーされていて思わず笑ってしまいました。例えば、目論見が失敗し、中将の家から血だらけで戻ってきた福富を、妻は怒ってさらに打ちのめします。赤ん坊を背負いながらも着物の裾を端折って福富の背に乗っかり、鬼の形相で夫を鞭打つ妻。ただでさえ弱っている福富には抵抗する気力もなく(もっともこの人は始めから奥さんに頭が上がらないのでしょうね)、打たれるがままです。

でも、彼女は福富のために下痢止めの薬をもらいに行ったり、夫を騙した秀武を絶対呪い殺してやると言わんばかりに必死に呪いの儀式を行ったり、道で出くわした秀武に噛みついたり、と彼女なりの愛情表現(?)も示します。

今回、もう一点出展されていた≪融通念仏縁起絵巻≫ (鎌倉時代・14世紀)も素晴らしかったし、中世絵巻にみられる日本人の線描表現にはいつも引き込まれます。詞書が読めればもっと楽しめるのでしょうけど。

≪朝陽補綴図(ちょうようほてつず≫  (南北朝時代・14世紀)



「朝陽補綴」とは、“禅僧が朝日のもとで破れた袈裟を縫う”という、禅宗で好まれたポピュラーな主題とのことですが、私は初めて観ました。サッカー好きの私としては、イングランドのルーニーを思わせる禅僧の顔つきにどうにも目がいってしまいますが、画面全体を見渡すと緩急の効いた筆の運びの見事さに気づきます。ザザッと一気に濃い墨で表された袈裟に対し、そこから伸びる糸や針を持つ禅僧の手は繊細です。

≪大空武左衛門像(おおぞらぶざえもんぞう)≫ 渡辺崋山 (1827)



大空武左衛門は実在した熊本藩のお抱え力士で、身長が227cm(!)もあったそうです。西洋画の技法を学び、写実描写を追求した渡辺崋山が、カメラ・オブスキュラを使って彼をほぼ等身大に描いたのがこの作品。牛を跨げるほど足が長く、「牛跨ぎ」とも呼ばれたそうですが、仰ぎ見るような背の高さや手や足の大きさといい、文字通りのけぞるような肖像画でした。

≪南瓜図(なんかず)≫ 伝没倫紹等(もつりんじょうとう)賛  (室町時代・15世紀)

 部分

蟻を擬人化したような生き物が大きな南瓜を引っ張る図は、一瞬自分の体より大きい葉や餌を運ぶ蟻の隊列を思わせましたが、よく観ると笛を吹いたり太鼓を叩いている人もいます。南瓜の上の人も扇子を煽りながら囃したてているし、ひょっとしてこれはお祭りの情景、南瓜はさしずめお祭りのお神輿か山車といったところでしょうか?悲しいかな、賛が理解できないので本当のところはわかりません。この蟻のような生き物はしばしば絵画に現れるモティーフだそうですが、私には珍しいものでした。

≪松に椿・竹に朝顔図屏風≫ 伝海北友松 (江戸時代・17世紀)

 右隻・部分

水墨で描かれた松の幹が中途で霞みの中に没しています。足のない幽霊ではありませんが、松の物質的な実在性よりも、樹木の霊(スピリット)が立ち現れたような感じがしました。

≪琴棋書画(きんきしょが)図屏風≫ (室町時代・16世紀)

 左隻・部分

中国の教養人が嗜んだ四芸を主題にした作品は今まで幾度となく観てきたので、私にも馴染みの主題となりました。この作品では、碁(棋)と画の二芸が取り上げられていますが、画を嗜む文人の、自作の出来栄えにまんざらでもなさそうな「ふむ」といった表情が印象的。

ちなみに右隻では、碁を打つ文人が眉間にしわを寄せ、口をへの字に結んで苦戦しているようです。

≪燕子花図屏風≫ 渡辺始興(しこう) (江戸時代・18世紀)

 左隻・部分

この図柄はいやでも尾形光琳の代表作を想起させますが、本作品では燕子花の下半分以上が霞みの中に消え、花びらも光琳よりはポッチャリしている感じです。このところ世界各地で起こっている洪水のニュースが多いせいか、不謹慎ながらこの燕子花も水没しているように見えてしまいました。

本展ではその他、期せずして馬遠米友仁などの中国山水画の貴重な作品や(クリーブランド美術館の館長さんが、日本美術を単独ではなく東洋美術の流れの中で捉える視点をもとにコレクションされていたことがベースにあるようです)、アンリ・ルソーのジャングル画などを観られたことも収穫でした。
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シャルダン展 ― 静寂の巨匠

2013-01-15 | アート鑑賞
三菱一号館美術館 2012年9月8日(土)-2013年1月6日(日)
*会期終了




こちらも昨年中に見損ね、新年明けに終わってしまうので、駆け込み鑑賞となった展覧会でした。ジャン・シメオン・シャルダン(1699-1779)の、わが国初の個展だそうです。結果から言って、見損ねなくて本当によかった!

私がシャルダンという画家を知ったのは、何年か前に「美の巨人たち」で≪赤えい≫を観た時だったと思います。調理場に吊り下げられた赤エイは、白いお腹を裂かれ、はみ出した赤い内臓が生々しく描かれたもの。それは一度観たら忘れられない、強烈なインパクトのある作品でしたが、でも、印象に残ったのは決してグロテスクさではありません。絵から伝わる「何か」に心をつかまれました。

今回、第1章に展示されていた≪死んだ野兎と獲物袋≫(1730年以前)の解説にあった、対象を「できる限り忠実に、情熱をもって描写する」という言葉を読み、展示室を観て回っているうちに、その「何か」がじわじわと理解されてきました。

画家のモティーフに対する「忠実さ」は、対象を正確に写し取って再現するということのみならず、画家が対象と対峙して感受したものを、妥協せずにあますことなく忠実に画面に描き切っているということなのではないかと(舌足らずな言い方ですが)。それを≪赤エイ≫にも感じていたのだと思いました。

前置きが長くなりましたが、本展の構成は、以下の通りです:

第一部 多難な門出と初期静物画
第二部 「台所・家事の用具」と最初の注文制作
第三部 風俗画―日常生活の場面
第四部 静物画への回帰


では、いくつか作品を挙げたいと思います:

≪錫引きの銅鍋≫ (1734-35年頃)
≪銅の大鍋と乳鉢≫(同


恐らく”対作品”だっただろうという、台所にあるごく普通の鍋類を描いた2枚の小さな板絵。カンバスとは異なる、板絵独特の深みのある絵肌に引き込まれます。

家事の用具が描かれたシャルダンの静物画を観ていくと、取っ手のある壺などの容器の多くが、その取っ手をこちらに向けた角度で描かれていることに気づきます。これは、おおむね緑あるいは褐色がかった灰色のトーンに沈む画面の色調に奥行き感とリズムを出すための、なくてはならない仕掛けなのでしょう。取っ手に反射する光を表現するために、チョンと載せた白い絵の具がアクセントとなり、効果を発揮しています。

≪台所のテーブル(別名)食事の支度≫ (1755年)
≪配膳室のテーブル≫ (1756年)


こちらも対作品。しかしながら、現在前者はボストン美術館、後者はカルカッソンヌ美術館に離れ離れに所蔵されているそうです。別の対作品である≪デッサンの勉強≫≪良き教育≫(共に1753年)に至っては、今回30年ぶりの再会とか。

さて、≪台所のテーブル≫と≪配膳室のテーブル≫ですが、描かれているモティーフに差があります。前者はわりと普通の台所という感じなのに対し、後者には高価そうな、装飾的な食器類が所せましと描きこまれています。

最初の妻を亡くし、画家が二番目に再婚したお相手が富裕な女性で、それに伴って絵の注文主の社会的階層、そして当然ながらその嗜好も変わっていったことを、この2枚の絵が示しているということのようです。

≪セリネット(鳥風琴)≫ (1751‐1753年)



セリネットというのは、カナリアに歌を覚えさせるための手回し式オルガンだそうです。鳥かごの質感描写が見事です。オルガンを回す女性の口元には笑みが浮かんでいるようにも見えますが、カナリアを見やる目は真剣で、結構スパルタな感じも受けます。はっきり描かれていないカナリアですが、なんとなく女性の方を向いて必死に頑張っているけなげな印象を受けます。

≪木いちごの籠≫ (1760年頃)



さほど緻密に描写されているわけではないのに、籠に盛られた赤い木いちご一粒一粒がリアルに伝わってきます。台所に入って、テーブルの上にこんな籠が置かれていたら、どんなに心が弾むことでしょうか。個人蔵の非公開作品だそうなので、またお目にかかれる機会があるか定かではありませんが、この世にこの作品を自宅に飾れる人がいるんですね。

≪鼻眼鏡をかけた自画像≫ 



実作品は来ていませんでしたが、ポストカードが売られていたので思わず買ってしまいました。正直、この自画像を以前ネットで観たときは衝撃的でした。失礼ながらその風貌と作品が結びつかず。男性もお化粧や刺繍などをしていたというロココ時代のファッションで決めたということなのでしょうね。

シャルダンという人の生涯は、年表をしみじみ眺めてみると結構波乱万丈です。作品がやっと売れるようになって結婚した最初の妻は数年で亡くなってしまうし、授かった長男も父より先に亡くなります。作品に頻繁に登場する銀のゴブレットも盗難に遭ったり、アカデミーの会計係を任されたり、晩年には眼病を患って油彩画を断念するなど、多難な人生と言えるかもしれません。でも何よりも作品から浮かび上がるのは、信念の画家という像です。

自画像をしみじみ眺めていると、その目には自負にも似た、うっすらと満足そうな微笑みをたたえているように感じるのは私だけでしょうか?
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メトロポリタン美術館展 大地、海、空―4000年の美への旅 西洋美術における自然

2013-01-04 | アート鑑賞
東京都美術館 2012年10月6日(土)-2013年1月4日(金)
*会期終了




本展の公式サイトはこちら

昨年中に見損ねた展覧会の一つが、このメトロポリタン美術館展。1月4日に終わってしまうので、意を決して2日の早朝に上野の山にダッシュしました。

9時ちょっと過ぎに着いたのですが、案の定、会場の外にはすでに結構な行列。でもチケットをまだ買っていない人たちもわりと混ざっていたらしく、ゲートが開いて会場内に進んでいくうちにスルスルと前に行くことができ、期せずして先着200名が手にできる特製カレンダーをゲット!

普段こういうものにご縁のない私はことのほか嬉しく、手渡して下さったスタッフの方に満面の笑みで「ありがとうございます!」。良い新年のスタートとなりました。

もう終了してしまったので、サクッと記録を残しておきたいと思います。

本展の構成は以下の通り:


第1章 理想化された自然
 1-1:アルカディア―古典的な風景
 1-2:擬人化された自然
第2章 自然のなかの人々
 2-1:聖人、英雄、自然のなかの人々
 2-2:狩人、農民、羊飼い
第3章 動物たち
 3-1:ライオン、馬、その他の動物
 3-2:鳥
第4章 草花と庭
第5章 カメラが捉えた自然
第6章 大地と空
 6-1:森へ
 6-2:岩と山
 6-3:空
第7章 水の世界
 7-1:水の生物
 7-2:海と水流


副題に「大地、海、空―4000年の美への旅 西洋美術における自然」とありますが、”実物で見る百科事典”といわれるメトロポリタン美術館のコレクションならではの、スケールの大きくユニークな展覧会でありました。ひとことで言えば、「自然」という大きなテーマのもと、133点に及ぶ作品が、制作場所・年代を問わずに、モティーフなどの共通項で括られて展示されていました。

例えば、第3章「3-1:ライオン、馬、その他の動物」では、≪リラのための牛頭の装飾≫(メソポタミア、紀元前2600-前2350年)と、≪シロクマ≫(フランソワ・ポンポン、1923年)が一緒に並んでいましたし、第6章「6-3:空」では、≪雲から現れる天使の柱頭≫(フランス、ブルゴーニュ、1150-1200年頃≫と、≪トゥーライツの灯台≫(エドワード・ホッパー、1929年)が並ぶといった具合です。

次々と現れる作品に頭の中がシャッフルされ、スポンテニアスな反応をしながら鑑賞するというのもなかなか楽しいものでした。

何点か作品も挙げておきたいと思います:


≪洗礼者聖ヨハネの生涯が描かれた写本紙葉≫ スコットランドのジェイムズ4世の画家(フランドル、1485-1530年頃に活動) (1515年頃)



羊皮紙に描かれた、色彩の大変美しい写本装飾。中央に座る洗礼者聖ヨハネの周りに、聖ヨハネの生涯(キリストの洗礼から、ヨハネの骨の焼却まで)を描いた場面が描きこまれています。本当は手にとって、じっくり眺めたい作品です。

≪馬丁と犬を伴うドーセット公3世の猟馬≫ ジョージ・スタッブス (1768年)



馬の画家スタッブスは、私に強くイギリスを思い出させる画家の一人です。ロンドンのナショナル・ギャラリーにある≪ホイッスルジャケット≫を久々に観たくなりました。

≪池、ヴィル=ダブレイ≫ ウジェーヌ・アジェ (1923-1925年)



パリ西部の郊外にあるヴィル=タブレイはコローのお気に入りの場所で、ここに写し出されているのは「コローの池」と呼ばれていた池だそうですが、私はJ.W.ウォーターハウス≪シャーロット妃≫を想起しました。

≪タコのあぶみ壺≫ ミュケナイ/後期ヘラディックⅢC期 (紀元前1200-前1100年頃)



洗練されたフォルムの美しさに息を飲みました。紀元前1200年!隣に並んでいた、≪ロブスターのハサミ形の壺≫(ギリシャ、アテネ、紀元前460年頃)のデザイン・センスもおもしろかったです。

≪主教の庭から見たソールズベリー大聖堂≫ ジョン・コンスタブル (1825年)




久しぶりに大型のコンスタブルの油彩画を観たような気がします。イングランドの空気感が懐かしいなぁ。。。

ついでながら、今ロンドンのロイヤル・アカデミーで「Constable, Gainsborough, Turner and the Making of Landscape」と題された特別展が開催されているようです(本展にもお三方の作品が揃っていますが)。

そのレヴューをイギリスの新聞で読んでいたら、”16世紀、17世紀の(英国)宮廷は外国人画家を雇えれば十分満足で、宗教画はイタリアから買うものだった”というくだりがあり、ウィンブルドン現象って歴史の長いイギリスのお家芸みたいなものなんだな、などと思ってしまいました。

≪緑樹≫ 
デザイン:ジョン・ヘンリー・ダール 1892年
綴り:モリス商会のジョン・マーティン 1915年


 (部分)

187 x 470cmの、横長のタペストリー。画像では全体像をご紹介できませんが、こんもりと葉を茂らせた3本の木が立ち、地面には草花が生い茂り、ウサギ、キツネ、鹿、鳥たちが集います。3本の木は、左からセイヨウナシ、クリ、オークで、なるほど葉の形や実が異なっています。それぞれの木の上に巻物がありますが、書かれているのは、木の用途を暗示するウィリアム・モリスの詩。ちなみにセイヨウナシは彫刻、クリは屋根の垂木、オークは造船だそうです。

≪マーセド川、ヨセミテ渓谷≫ アルバート・ビアスタッド (1866年)



今回は、普段あまりお目にかかれない19世紀のアメリカ人画家による風景作品をいくつか拝見できたのも収穫でした。本作には、アメリカ先住民の人たちの姿も描きこまれています。

第7章「7-2:海と水流」には、カナレットターナーモネセザンヌヴラマンクサージェントなどによる水のある光景が描かれた作品が並んでいました。それぞれの表現の仕方、もっといえば水の表情を出すためにそれぞれの画家がキャンバスに置いた色のコンビネーションを見比べるのも面白かったです。

最後の章にたくさん絵画作品が並んでいたせいもあってか、気分も高揚した私はもっと絵が観たくなり、館内のカフェでお気に入りのアボカド&シュリンプのサンドウィッチと紅茶を頂いてから、これまた昨年見損ねたシャルダン展へと向かったのでした。
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