l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

ルーヴル美術館展―17世紀ヨーロッパ絵画 プレス内覧会

2009-02-27 | アート鑑賞
明日2月28日から始まる「ルーヴル美術館展―17世紀ヨーロッパ絵画」のプレス内覧会にお伺いしてきた。このような機会を頂いたのは、私にとって勿論初めての経験。Takさんのおかげです。

雪が舞う中、この冬一番の冷え込みもなんのその、ハイ・テンションで国立西洋美術館に向かった私。Takさん、奥様のYukiさんと落ち会い、12時20分にドキドキしながら受付を済ませ、撮影許可のシールを頂いて、いざ入口へ。

今回の展覧会には「国立西洋美術館開館50周年記念事業/日本テレビ開局55年記念事業」と冠がついているが、読売新聞も元旦から宣伝、日本テレビでは今日は朝から各番組で中継していたそうだし、帰りにもまだ撮影の準備が続けられていた。このプレス用の内覧会も結構な人ごみ。

入口の前で、まずは「囲み取材」。登場されたのは、本展の音声ガイドのナレーションを担当された中尾彬さん。実際音声ガイドをお借りしたが、落ち着いたお声でよろしいのではないでしょうか。



展示室に入ったものの、メディアの方々が右往左往される中なにぶん勝手がわからず、とりあえずカメラ片手にまずはざっと一巡。宣伝に「これぞルーヴル」「これぞヨーロッパ絵画の王道」とある通り、プッサン、レンブラント、フェルメール、ルーベンス、ベラスケス、ロラン等の巨匠たちの作品を含め、17世紀のヨーロッパ絵画が次々と登場。考えてみれば、昨年はミレー展、コロー展、フェルメール展などがあったが、このような大型の西洋美術の美術館展を観るのは久しぶり。しかもルーヴル。しかも17世紀の油絵黄金期の作品群。通常だったら列に辛抱強く加わって、ひたすら絵の前に行けるのを待って観るような絵の数々が、自分の視界を遮るものがほとんどないまま、目の前にズラリ。なんだか逆に浮き足立ってしまった(はじめはたくさん人がいたが、メディアの方々はさっさと取材して去っていってしまう)。



2時半から記念式典があるとのことで、いったん展示室から退室。再度入口の前で、国立西洋美術館館長の青柳氏やルーヴル美術館副館長などのご挨拶、高円宮妃殿下による開会のテープカットが行われたが、Takさんが見つけて下さった後方のベンチに一度腰をおろしてしまうと、立ち上がって人をかき分けて前の方に行く気にもなれず、スピーカーから聞こえてくるお話だけぼーっと拝聴。

そのあとに一般用の内覧会となったが、とりあえず上のエントランス・ホールへ。お腹が空いたなぁと思っていたら、有難いことに目の前にレセプション・パーティーが。美味しいパテ、ケーキ類を頂いてエネルギーの補給が終了、復活。この頃になると会場の雰囲気にも大分慣れ、2巡目は作品にかなり集中できた。

版画や素描などは一つもなく、最初から最後まで大小さまざまな油絵の作品のみが71点。そのうち60点が日本初公開、ルーヴルが初めて門外に出す作品が30点あるとのこと。思いのほか展示もゆったりしていて、鑑賞しやすかった。各作品についての感想はまた別の機会に書きたいと思うが、西洋美術の展覧会としては私が言わずともおそらく今年一番の目玉。観終わった時は、こんな素晴らしい展覧会をこのような形で拝見できて、なんて贅沢なのだろうとしみじみ思った。前売り券を買っておいたので、また近いうちにお邪魔するつもり。

会期は2月28日から6月14日まで。そのあと6月30日から9月27日まで、京都市美術館に巡回します。めくるめく17世紀ヨーロッパ絵画の世界に、皆さまも是非。

ついでながら、美味しいお菓子もたくさん売っているので、お気をつけて。かく言う私も、LADUREE(ラデュレ)のマカロンと、小川軒のレイズン・ウィッチを購入。だって、もう見ちゃったらダメですよ。

最後に今一度、Takさん、Yukiさん、今日は本当にお世話になり、ありがとうございました!



三瀬夏之介「冬の夏」

2009-02-19 | アート鑑賞
佐藤美術館 2009年1月15日-2月22日



これは―。

3Fの展示室の扉を開けたとき、目の前に広がる光景に一瞬言葉が出なかった。

緩やかに波線状に折れながら、右へ右へと連綿と続く屏風は、1枚154x91.5㎝のパネルが34枚連なる『奇景』(2003-2008年)。決して小さくない長方形の展示室の角を2回折れるほど長いその屏風を、ぐるりと一回り見渡すだけでもかなり時間がかかる。

日本画家、と聞いていたが、この『奇景』は通常の屏風画の範疇には納まらない。そばに寄って一番左のパネルから詳細に観ていくと、広重の波、船、飛行機、鳥居、UFO、巨大な埴輪か大魔神のような不気味なシルエット、仏教の塔、ネッシー、大きな甕(なんだかパンドラの箱が脳裏をよぎった)など、時空を超えていろいろな物体が、一見何の脈略もないように次々と立ち現れてくる。写真、手作りのオブジェ、羽毛など様々な素材のコラージュも多用されており、文字もゆらゆらと呪文のようにたゆたう。画面の風情もパネルごとに随分異なり、大竹伸朗の「網膜シリーズ」を思い出させるような、透明樹脂で固めたような光沢のある絵肌もあれば、墨絵のようなモノクロームの世界も。

まさに奇景なり。幻視や白昼夢とも思えるその世界は荒唐無稽にも映るが、作品の放つ有無を言わせない迫力を前に、鑑賞者である私は立ち尽くすだけ。

同じ部屋に展示されていた小さな作品の一つに、以下のような文章が刻まれていた:

モードのないオペレーション・システム

中身のないアイコンたち

それらは閉ざされているのだが
ある一定の場所へと導く抗えない力をもつ

いきつくことのない堂々巡り

そこにすきまはない

最後の2行は特に、三瀬さんの作品のキーワードではないだろうか?

4Fには、チラシに使われている楕円の大きな紙(252x545cm)に描かれた『ぼくの神さま』(2008年)。左上に目を開いた大仏様の顔があるが、創世記のようでもあり、あるいはアポカリプス的でもあり。混沌が渾然一体となって、画面の上で蠢いているようだ。この画家の精神的営為が吐き出され、絵と言う形に結晶したもの。

同じく4Fにあった『日本画滅亡論』『日本画滅亡論』。共に三瀬さんが1年間滞在したフィレンツェにて、2007年に制作した作品。街のシンボル、ドゥオーモやポンテ・ヴェッキオ、彼の地でよく見かける教会のファサードなどが日の丸などと共に盛り込まれている。画家の脳裏に刻まれた記憶の断片たちが、境界を越えて浮遊している感じだ。

 

『日本画滅亡論』(2007年)                    『J』(2008年) 

このフロアーには、絵画作品のほか、インスタレーション風に数々の立体作品も展示されていた。

木の十字架、カラスの剥製、カナブンの標本ケース、名所が写った奈良のポストカード。小さい小屋風の作品の中を覘き込むと、壁に枯れ葉や埴輪風のオブジェ。

床に置かれたもの、天井からぶら下がるもの、壁に貼られたもの。

隅に画家のアトリエも再現されており、厳かなパイプオルガンの楽曲が流れていた。いつもこのような音楽を聴きながら、創作活動を行うのだろうか?

三瀬さんは奈良の生まれで、今も古墳が乱立する地区に囲まれた森の中で制作を行っているそうだ。千年単位の時間の流れ、堆積を肌身に感じる環境の中で生まれ育ったこの作家さんは、無常観に対するより鋭い感覚を持っているに違いない。三瀬さんの言葉「何年もの時間をかけ、思いを込めた大作が誰にも見られること無く、倉庫の裏側で朽ち果て土に帰っていく姿を思い、少しの時間恍惚感に浸る」。悠久の流れの中における一個人の生きた奇跡などほんの点に過ぎず、万物は錆び、無に帰すという美学。作品の大小を問わず画面に現れる、緑青が吹いたような点々はそんな美学の表出を思わせる。

この個展のタイトル、「冬の夏」もいい。

強烈な三瀬作品との出会いであった。

「生活と芸術―アーツ&クラフツ展」ウィリアム・モリスから民芸まで

2009-02-14 | アート鑑賞
東京都美術館 2009年1月24日-4月5日



先日「妙心寺展」を観に行って日本の美にどっぷり浸かってきたから、今度は軽やかなイギリスの装飾品でも、とろくすっぽ予習もせず、ウィリアム・モリスの壁紙でラッピングした頭で出かけたので、最後は棟方志功で終わろうとは想像だにしなかった。確かにタイトルに"ウィリアム・モリスから民芸まで"と小さ目に添えられているが、実際に会場に足を踏み入れ、パネルに書かれた本展の趣旨を読んで「あらそうなの」と思ったものの、イギリスの作品の展示が終ってヨーロッパの展示に入るや興味がだんだん薄れ、最後の我が日本の「民芸」に至っては残念ながら心から浮いてしまう結果となった。

まぁ、順番に行くとしましょうか。

アーツ&クラフツは、19世紀後半のイギリスにおいて、ウィリアム・モリス(1834-96)やジョン・ラスキン(1819-1900)らが牽引したデザイン運動。産業革命を世界に先駆けて成し、産業化、工業化による大量生産によって得た富に沸く19世紀のイギリスで、『手仕事の良さを見直し、自然や伝統に美を再発見し、シンプルなライフスタイルを提案する』(本展オフィシャル・サイトより)という基本理念のもと、家具、ファブリック、書籍など、生活に活用できる様々な作品を世に送り出した。

今回の展覧会は、その本家イギリスにおけるアーツ&クラフツ運動のみならず、その影響を受けてヨーロッパや日本でも展開した芸術運動を探る試み。ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館(博物館と呼んだ方がピンとくるが)との共同企画で、本国では「International Arts and Crafts」と題され、2005年に開催されている。

ちなみにV&A美術館では以下のような展示構成になっていた:

Britain 1880 - 1914
America 1890 - 1916
Europe 1890 - 1914
Japan 1926 ‐ 1945

今回日本での構成は以下の通り:

Ⅰ イギリス/Britain
Ⅱ ヨーロッパ/Europe
Ⅲ 日本/Japan

非常に大雑把な括りであるが、日本での展示からはアメリカが割愛され、当然ながら出展作品も全てが同じではない。だいたいV&A美術館には、モリス商会が手掛けた美しいモリス・ルーム(グリーン・ダイニング・ルーム)が今もミュージアム・レストランの一部として機能しているのだから、比較すること自体無理。

では、東京で印象に残った作品をつらつら挙げていきたい:
(以下すべてイギリス/Britainから)

『森』 ウィリアム・モリス、ジョン・ヘンリー・ダール、フィリップ・ウェッブ (1887年) 羊毛と絹のタペストリー織り
横幅4.5mもある横長の大きなタペストリーで、いかにもモリスといった青緑の森の中に、左から孔雀、野ウサギ、ライオン、キツネ、カラスが並ぶ。中央の、オズの魔法使いに出てくるような優しい顔のライオンがなかなかの迫力。今もこれらの動物を1種類ずつモティーフに切り取ってデザインしたクッションなども売られているようだ。

『壺を持つブルターニュの少女』 ジョージ・クラウセン (1882年) 油絵
絵が視界に入るや、”あら、またお会いしましたね”。2003年にBunkamuraで開催された「ミレー3大名画展 ~ヨーロッパ自然主義の画家たち~」で観た絵に期せずして再会であった。なかなか良い絵であるし、アーツ&クラフツの自然主義に通ずる、同時代の作品ということで展示されているのだろうが、ポツンと1点だけ油絵が掛かっていると何となく浮く感じも。

『聖ゲオルギウス伝ステンドグラス・パネル6枚』 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ (1862年) ステンドグラス
個人的にロセッティの油絵、というか、油絵に描かれる女性像が余り好きではないのだが、彼の画風はステンドグラスに起こすとなかなかいいものだと思った。ドラゴン退治の物語も彼の作風に合ったテーマ。ステンドグラスの白色部分が実際は透明だったが(後ろに白いスクリーンか何かがある)、これは窓にはめ込むものではないのだろうか?当時ゴシック復活の機運から教会からの注文が多く、ステンドグラスはモリス商会の貴重な財源だったらしい。モリスやバーン=ジョーンズも数多くデザインを担当しており、V&A美術館内のモリス・ルームにはバーン=ジョーンズの中世風の美しいステンドグラスがある。

貴婦人と動物のサイドボード』 エドワード・バーン=ジョーンズ (1860年) サイドボード
頭に白いベールをかぶり、ロングドレスに身を包んで横向きに立つ中世風の貴婦人が中央に描かれたサイドボード。彼女の周りにたくさんいる白っぽいオウムに手を差出し、餌でも与えているのだろうか。手作り感の温もりが感じられる家具。

『いちご泥棒』 ウィリアム・モリス (1883年) 内装用ファブリック
ケルムスコット・マナーのキッチン・ガーデンで、小鳥が果物をついばんでいるのを見たことからモリスが編み出した有名なデザイン。小鳥のペアーが背中合わせにそれぞれ左と右を向き、口にイチゴをくわえた愛らしいパターン。のどかなイングランドのカントリーサイドの暮らしが漂ってくる。

『果樹園』あるいは『オーチャード』 ウィリアム・モリス、ジョン・ヘンリー・ダール (1890年) タペストリー
これも横に長い大きな作品。中世風のロングドレスに身を包んだ4人の女性が、正面を向き、均等の間隔をおいて横に並んで立っている。ゴシック体の文字で書かれた詩が刻まれた、横長にたなびく帯状のバナーを一緒に持ち、背景にはオレンジ、リンゴ、ブドウ、西洋ナシの木が、そして裸足の足元には色とりどりの野の花が咲き乱れている。女性の顔はややバーン=ジョーンズのそれと似ているが、モリスの方が柔和で穏やかな表情。美しい絵巻物のようなタペストリー。

『孔雀』 アレキサンダー・フィッシャー  (1899年) 燭台
孔雀をモティーフに、銀とエナメル技術を駆使したきらびやかな燭台。どちらかというとアール・ヌーヴォー的な作風で、まるで1点豪華主義とでもいおうか、他の作品から浮いているようにも感じたが、機械生産ではできない手仕事の美しさに目を奪われた。

『置き時計』 C.F.A.ヴォイジー (1895-96年)
野原、ヨットの浮かぶ湖、山、それらを背景に手前に木が横並びに3本という、朴訥とした絵が描かれた置時計。でも木々の間にたなびくバナーに書かれているのは「TIME AND TIDE WAIT FOR NO MEN」。そう、その通り。このあいだ年が明けたと思ったらもう2月も半ばではないか。時計にピッタリな格言、と思いつつ、きっと眺めいているうちにいつの間にやらデザインの一部としてデフォルトになって、戒めにすらならないんだろうな(私の場合)。

さて、次はヨーロッパの展示。オーストリア、ドイツ、スカンジナビア、ロシアの作品が並ぶ。基本的に家具、ガラス工芸、陶芸、ファブリックなど、作品の種類はイギリスと似たような感じだが、やはりデザインの風情がかなり異なるのを感じた。

イギリスは主にデザインに動植物を取り入れ、色彩も柔らかく、言うまでもなくカントリーサイド趣味的。翻って大陸の国々では、人の顔や形もモティーフとして加わり、特にウィーンやドイツは直線的、都会的、シャープで、グラフィック的要素が強いように思った。

北欧の家具や食器、ファブリックなどは日本の若い女性にも大人気だが、この数年とてもポピュラーなフィンランドのマリメッコ製品などにも通ずるデザインを見つけて、その国特有の風土に培われた伝統の長さを改めて思った。

そして最後の我が日本の「民芸」の展示。柳宗悦らが昭和初期に建てた「三国荘」(みくにそう)の再現などはかなりの労作であったし、富本憲吉、河井寛次郎、濱田庄司らの焼き物や芹沢介の『沖縄絵図六曲屏風』など、趣向を凝らした展示であったにも関わらず、どうにも心に入ってこなかった。西洋のカラフルな品々を観続けたあとに、渋い色彩に沈んだ日本家屋の空間はなかなか染み入ってこない。

ふと思い出したのだが、15年ほど前にイングランドのセント・アイヴスにあるテイト・ギャラリーの分館で、何点か濱田作品を観たことがあった。実はその時初めて彼の名を知ったのだが、コーンウォールの青く美しい空や紺碧の海、白壁の建物を見続けた目には、あの土色をした渋い風情の焼き物はどうにもピンとこなかった。

この展覧会の趣旨は理解するが、はなからマインドセットが間違えていた私には、この三つのグループを一緒に観るには辛いものがあった。特に日本の作品群などは、お隣の韓国や中国、あるいはインド以東のアジアの括りで鑑賞したらもっとすんなり入ってきたかもしれない、などと思ってしまった。