l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

染付-藍が彩るアジアの器

2009-08-30 | アート鑑賞
東京国立博物館 平成館 特別展示室第1・2室 2009年7月14日-9月6日



まずは、「染付」の説明を公式サイトから抜粋:

染付(そめつけ)とは白磁の素地にコバルトを含んだ顔料(がんりょう)を用いて筆で文様を描く技法をいう。透明釉(とうめいゆう)を掛けて焼成すると、文様は鮮やかな藍色に発色。中国では「青花(せいか)」、欧米では「ブルー・アンド・ホワイト」、日本ではきものの藍染(あいぞめ)を思わせることから「染付」とよばれる。

ちなみに本展を観に行った日、本館にちょうどコバルト顔料の見本が小瓶に入れられて手に取って見られるようになっていたが、展示室の照明の下では鶯色っぽく見えた。

もとい、本展では染付の技法が確立した元時代を起点に中国における染付の変遷を辿るとともに、その技法が伝播したベトナムや朝鮮、日本の作品も概観。12章に分けられ、200点ほどが並ぶ。その展示風景を含め、この展覧会の意義についても素晴らしいまとめをされているTakさんの記事はこちら

では、本展を構成するその12章を以下の通り書き出しておく:

1 元時代の染付
2 明時代前期の染付
3 雲堂手―民窯の染付―
4 明時代後期の染付
5 ベトナムの染付
6 朝鮮の染付
7 明末清初の染付
8 伊万里と鍋島の染付
9 清時代の染付
10 京焼と地方窯の染付
11 伊万里染付大皿―平野耕輔コレクション―
12 染付の美を活かす

何せ200点余の出展数。切りがないので、画像は各章1点ずつ選びながら、順を追って観ていこうと思う:

1 元時代の染付

染付の技法は中国江西省の景徳鎮窯において元時代(1271~1368)に完成。筆描きによる文様装飾が主役で、「空間恐怖」ともいわれる濃密な文様構成に特徴。元時代の染付は西アジアまで伝播し、景徳鎮は揺るぎない地位を築く。

『青花蓮池魚藻文壺』 中国・景徳鎮窯 (元時代 14世紀) 重要文化財

ぐるりと四方から。

泳ぐ魚たち、たゆたう藻や蓮の花。一周すると、解説にある通り回り灯籠を観ているよう。胴の上下の各仕切りにも波濤文や唐草文が施され、余白部分が少ない。

2 明時代前期の染付

明時代(1368~1644)には宮中の御用品を焼く官窯が景徳鎮に置かれる。官窯の特色がはっきりと示されるのは宣徳年間(1426~35)であり、「大明宣徳年製」の款識(かんしき)を入れることが一般化。純白の白磁が完成され、表面には橘皮文(きっぴもん)と呼ばれるかすかな凹凸がある。蘇麻離青(そまりせい)とよばれる良質のコバルト顔料が用いられ、白磁を引き立てる。文様は元時代の力強さから優美で洗練されたものへ。

『青花牡丹唐草文水注』 中国・景徳鎮窯 (明時代 14世紀)



この作品で使われているコバルトはそれほど良質ではなく(イスラム圏との交流が途絶えて、良質のコバルトが入手できなかった時期に作られたらしい)、青色が灰がかってくすんでいる。が、個人的にはこのような色も目にやさしくて好きである。文様も、第1章で目にした絵画的な作品群と異なり、あくまで装飾的。口の裏まで唐草が這いずりまわるように描きこまれている。

3 雲堂手―民窯の染付―

官窯に対し、一般の需要に向けた陶磁器を焼く窯を民窯(みんよう)という。「雲堂手(うんどうで)」とは明時代前期に民窯で焼かれた染付の一群をさす。楼閣と渦を巻いたような特徴的な雲気文が描かれていることに由来。

『青花楼閣人物図壺』 中国・景徳鎮窯 (明時代 15世紀)



楼閣の脇にもくもくとわき立つ雲。太い輪郭線の内側に、感覚的な細い線がちょこちょこ加筆されていて、魚の鱗のようでもある。肩の部分の背景に描きこまれているのは「七宝繋ぎ」という文様だそうだ。

4 明時代後期の染付

明時代になると次第に色彩への関心が高まり、釉上彩(ゆうじょうさい)、すなわち上絵付けの技法が盛んに。上絵付けとは、素地をいったん高温で焼き、様々な色の上絵具で彩色を施し、錦窯(きんがま)で焼く技法。これにより多色を用いることが可能になり、染付も華やかなものになっていく。嘉靖年間(1522~66)には、新たに西方から輸入されるようになった回青(かいせい)とよばれるコバルト顔料が用いられるようになり、やや紫がかった染付が作られる。万暦年間(1573~1620)になると回青の入手が困難になり、次第に染付の色が黒ずんでくる。濃染め(だみぞめ=むらなく塗りつぶす技法)を施し、びっしり描きつめられた文様は、江戸の文人にも愛された。

『青花蝶文双耳瓶(せいかちょうもんそうじへい)』 中国・景徳鎮窯 (明時代 万暦年間)



上の説明にはそぐわない作品だが、爽やかな青の諧調で描かれた舞い飛ぶ蝶のごとく、観ているこちらの心も弾んだ。

5 ベトナムの染付

ベトナムでは、14世紀中頃からコバルトで文様を施したやきものが作られた。ただし磁器ではなく、半磁質の胎(たい)に白化粧をしたもの。生産当初から優れた轆轤(ろくろ)挽きの技術を持ち、文様表現には中国の染付の影響が認められる。15~16世紀にはベトム染付の最盛期を迎え、周辺諸国にも輸出されたが、次第に中国製の染付・五彩への需要が高まり、16世紀末には国内向けに縮小。

『青花鹿山水図大皿』 ベトナム 15~16世紀 重要美術品



黄味がかった地に、黒っぽい発色のコバルト色。真ん中で疾駆する鹿はもとより、全体の装飾文様も筆に勢いがあって、躍動感のある図柄。

6 朝鮮の染付

朝鮮の染付は京畿道広州(キョンギドクアンジュ)におかれた官窯において15世紀中頃に生産が始まったと考えられている。都から宮廷画家が広州に派遣されて絵付けを行ったという記録も残る。16世紀末に豊臣秀吉の侵略という国難に見舞われ、朝鮮の窯業は大きな打撃を受けるが、18世紀前半には金沙里(クムサリ)の官窯にて朝鮮独特の様式の染付が完成。

『青花松竹図壺』 朝鮮時代 15~16世紀



文様に仕切りが全くなく、全面を1枚の絵画が覆っているような作品。枝ぶりがちょっぴり狩野派を思わせた。

朝鮮の染付は、大きな余白にささっと野花が線描されているような作品が目立ち、和的な感じもした。実際「秋草手」は昭和初年ころから日本人に親しまれてきたと解説にあった。

7 明末清初の染付

明時代後期になると、景徳鎮民窯が目覚ましい発展を遂げ、ヨーロッパを含め世界各地に運ばれていった。「芙蓉手(ふようで)」(中央に大きく円窓を設け、外周を均等に区画して、それぞれの中に文様を配する染付)は主にヨーロッパに輸出。天啓年間(1621~27)頃には山水などが描かれた「古染付(こそめつけ)」が焼かれる。虫喰いと呼ばれる釉の剥落が生じた粗雑な作風は日本の茶人に愛され、茶器のオーダーメイド品が中国に発注された。崇禎(すうてい)年間(1628~44)になると、良質の素地に鮮やかな発色の染付で瀟洒な文様が描かれた「祥瑞(しょんずい)」が日本の茶人のために焼かれるようになる。ただしこれらはほんの一部で、この時代の景徳鎮では多様な染付作品が焼かれた。また、福建省南部の漳州(しょうしゅう)周辺の窯では呉須(ごす)染付が量産され、東南アジアや日本に向けて輸出された。

『祥瑞捻文瓢形徳利(しょんずいねじもんひょうけいとっくり)』 中国・景徳鎮窯 (明時代 17世紀)



画像では分かりにくいかもしれないが、その捻じ曲がった形、それに寄り添って縦に仕切る歪んだ帯模様、その間に描かれた文字や楼閣山水人物図と独特の意匠。素地の光沢、コバルトの発色も素晴らしく、美しい作品だと思った。

また、6種類ほど香合が並んだケースがあったが、それぞれ古染付、呉須染、祥瑞とばらばらの技法ながらどれも何とも言えずかわいらしく、ケースの周りを2周しまった。特に茄子をかたどった『祥瑞茄子香合』は、てっぺんのヘタの傾げ具合がたまらない。とにかくこのセクションは、染付技法もさまざまな多様な作品が並んでいて、もっとも見応えがある。

8 伊万里と鍋島の染付

日本の染付は、朝鮮半島から渡来した陶工によって技術が伝えられ、江戸時代初頭に有田で生産が始まった。積出港の名をとって伊万里焼と呼ばれる。伊万里焼は急速に技術を高め、寛文年間(1661~73)には大胆な構図と力強い筆づかいによる雄渾な作風、さらに延宝年間(1673~81)頃になると繊細な濃染めを駆使した、日本独自の優美な様式の染付が完成。有田を領内に持つ鍋島藩は、藩窯を置いて将軍家・大名への献上品、贈答品を焼く。

『染付蓮鷺文三足皿(そめつけれんろもんさんそくさら)』 鍋島 江戸時代 17~18世紀 重要文化財



濃染めと聞くと、なんとはなしに濃い色で塗りつぶされるようなイメージが湧くが、濃淡ではない。この作品のように薄い色合いで広い範囲をむらなく塗るには大変高度な技術が必要とされるそうだ。そんな淡い濃染めの余白を大きく取った三羽のサギのポジショニングも絶妙、優雅な作品である。

9 清時代の染付

明末清初の動乱が収まり、康煕(こうき)19年(1680)に官窯の操業が再開。新しい気風のもと、素地、形、筆遣いも洗練されてくる。コバルト顔料も精製され、優美であると同時に冷たい印象を与える。筆を重ねて濃染めを施す手法はこの時期特有。一方で、清時代の官窯では、永楽・宣徳期の再現を目標に中国歴代のすぐれた磁器の模倣が活発に行われた。

『青花木蓮文瓶』 中国・景徳鎮窯 清時代 17~18世紀



木蓮のやや大ぶりな白い花びらの周りだけ濃染めで影がつけられている。横に走る筆触がよく残り、水彩画のようだ。白い余白が大きいのに夜を思わせる不思議な文様。

10 京焼と地方窯の染付

京都でさかんに磁器が焼かれるようになるのは江戸時代後期のことで、奥田穎川(おくだえいせん 1753~1811)がその基礎を築いたとされる。門下の青木木米(あおきもくべい 1767~1833)らによってさらに多様に。19世紀に入ると、日本各地で染付の生産が活発になる。瀬戸における染付は、肥前で技術を学んだ加藤民吉(かとうたみきち 1772~1824)により文化4年(1807)に始められ、明治時代になると輸出向けの染付が量産されるようになる。

『染付龍濤文提重(そめつけりゅうとうもんさげじゅう)』 京焼 青木木米作 江戸時代 19世紀 重要文化財



高さ23㎝ほどの、それほど大きくない作品だが、色も形もどっしり主張する作品。余白がほとんどないほど塗りこまれ、描きこまれ、横には透かし彫りと、さまざまな技巧が凝らされている。虫喰いは意図的に作り出しているそうだ。

11 伊万里染付大皿―平野耕輔コレクション―

元商工省陶磁器試験所所長の平野耕輔氏(1871~1947)からの寄贈コレクション。伊万里染付大皿224点(その多くは江戸時代後期の天明(1781~89)頃から幕末頃に作られたもの)から50点以上と、中国清時代の染付大皿が5点並ぶ。

『染付鶴繫文大皿』 伊万里 江戸時代 19世紀



展示室の長い2面の壁に、大皿を上に、小皿を下に置く形で約60枚がずらりと並ぶさまは圧巻。図柄も日本地図や東海道五十三次、虎、鷲、鯉、兎などの動物たち、植物、各種文様、変わった形のものと多様。その中で選んでみたのは、このスタイリッシュな大皿。濃染めと線描のコバルト色の対比も美しい。スカーフなどに転用したらきっとおしゃれ。

ついでに、『染付網目文大皿』にはエビなど海の幸が、『染付羊歯文大皿』には松茸が載せて展示されてあった(もちろん本物ではないが)。そばにフランス人父娘がいたが、小学生くらいのその女の子は「パパ~、シャンピニョ~!」と大喜びであった。

12 染付の美を活かす

最後は、染付の器を中心に添えて様々な焼き物をコラボさせたテーブル・セッティングの試み。朝食、お茶のおもてなし、お酒のおもてなし、というようにシチュエーション毎に選ばれた器が並ぶ。

お酒のおもてなしセッティングで、あの捻れた徳利があった。あれ、途中でどひゃーっと出たりせずに、普通に注ぐことができるのでしょうか?

この展覧会も9月6日までなので、お急ぎください。この期に及んで今更な情報ですが、「伊勢神宮と神々の美術」とのセット券は1600円ととてもお得です。本館の常設展にも興味深い作品が多々ありますので(コバルト顔料の確認も!)、1600円で本当に贅沢な一日が楽しめます。

伊勢神宮と神々の美術 第62回式年遷宮記念 特別展

2009-08-29 | アート鑑賞
東京国立博物館 平成館 特別展示室第3・4室 2009年7月14日-9月6日

     

伊勢神宮に一度も詣でたことがない上に、あまりに日本人として無知なのではないかと恥入ったこの展覧会。どれほど理解できたかわからないが、というより一度は詣でないと話にならないのだろうが、とりあえず今回展示物から学んだことを記しておこうと思う。考えた末、やはり紋切り型だが章を追いながらまとめることにした。公式サイトはこちら

本展は以下の四つの章に分かれて構成されている:

第1章 神宮の歴史と信仰
第2章 遷宮と古神宝
第3章 今に伝える神宝
第4章 神々の姿

では、順を追って章ごとに:

第1章 神宮の歴史と信仰

伊勢神宮の正式名称は「神宮」。三重県伊勢市の、天照大神を祀る皇大神宮(こうたいじんぐう)=内宮(ないくう)と、豊受大神(とようけおおみかみ)を祀る豊受大神宮=外宮(げくう)の両宮を中心に、合わせて125の宮社から成る。

約2000年前の垂仁(すいにん)天皇26年、宮中で天皇が天照大神を祀ったのが内宮の起源。その500年後の雄略天皇22年、天照大神の食事を司る豊受大神が祀られたのが外宮の創建と伝わる。

古代より、天皇は宮中にて皇祖神である天照大神の祀られた神宮を遥拝(=はるかに離れた所から拝むこと)したが、行幸はされなかった。代わりに未婚の皇女や王女が斎王(さいおう)に任じられ、神宮にほど近い斎宮に住み、重要な祭りには神宮へ赴き奉仕した。

天皇以外の私的な祈りが禁じられていた神宮だが、中世には日本全国の御祖神(みおやがみ)として将軍をはじめ武士たちが、江戸に入ると民衆も参拝するようになった。

神官と仏教の関わりは平安時代に遡り、神官は仏教信仰を通じて追善供養、現世安穏、後世安楽を願った。

伊勢神宮は「日本人の『こころ』のふるさと」。

以上が、パネルや図録から自分なりに拾い集めた説明である。しかしながら、入り口に展示されている、皇大神宮(内宮)を上空から写した写真のパネルが目に入った瞬間、言葉の説明ではないのだと悟った。鬱蒼たる広大な森に護られるように建つ独特の様式の社群。静かに湧き上がる畏怖の念。写真ですら。

『伊勢参詣曼荼羅(両宮曼荼羅) 1幅 室町~安土桃山時代 16世紀 (三重・神宮徴古館)

 ちょうど図録の閉じ目で、左隅の富士山は切れてしまった

中世から近世にかけて民衆が伊勢神宮を詣でる様子を描いた曼荼羅。4点しか現存が確認されておらず、今回全てが勢ぞろいしたそうだが、展示替えの関係で私が観られたのはこの1点のみ。そして私が今まで観てきた曼荼羅とはずいぶん違う。右に外宮、五十鈴川をはさんで左に内宮(実際は6キロも離れている)、左上に金剛証寺。左隅には富士山。その敷地の中を、黒装束の公家一行や編み笠をかぶった民衆などがいろいろな方向にそぞろ歩いている。儀式中の人々や、川で祈祷中の人々も。よく観ると、互いに髪の毛を引っ張りあって小競り合い中(?)の二人や川で戯れているように見える人たちもいるが、笑みを浮かべた人も多く、誰もが朗らかで幸せそう。観ているこちらも穏やかな気分になる。

『雨宝童子立像』 1軀 平安時代 12世紀 (三重・金剛証寺)



重要文化財。頭上に五輪塔を戴いている。画像ではわからないが、指のしなやかな動きに見とれた。

『瑞花双鳳八稜鏡』 1面 平安時代 12世紀 (三重・金剛証寺)

 

重要文化財。白銅製。上下に瑞花(想像上の、豊年の兆しとなるめでたい花)、左右に鳳凰。繊細な彫で、日本的。

この章には、鎮座の過程などを記録する資料として『日本書紀』『延喜式』などの書もたくさん並ぶ(前期には『古事記』も)。

第2章 遷宮と古神宝

遷宮とはなんぞや?という説明がここでなされる。図録からそのまま転記:

神宮には、二十年に一度、社殿(神の住まい)をはじめ、御装束神宝(身のまわりの調度や品々)をすべて造り替えて、御神体を新たな宮へ遷(うつ)す一大祭典、式年遷宮が伝えられている。式年とは定められた年を意味し、二つの隣接した御敷地に交互に社殿が造替される。

さらに要約してつけ加えると、遷宮は天武天皇の宿願であったが、それを持統天皇が引き継ぎ、690年に内宮、692年に外宮において初めて斎行された。以来今日に至るまで1300年続き、平成25年には62回目の式年遷宮が行われる。

神宮ではかつて、撤下(てっか=役目を終え神前から下げられた)御装束神宝を人の目や手に触れるのが畏れ多いとして火に投じたり土に埋めたりした。のちに発掘されたり伝世したものを古神宝類と称する。

神宮以外の地でも神々に捧げものをしている。沖ノ島、神島では神宮と同様の紡織具があり、鶴岡八幡宮、熊野速玉大社にも多くの古神宝類が伝世。

『遷宮奉飾御金物図説 1巻 江戸時代 寛文13年(1673) (三重・神宮文庫)
寛文9年の第45回遷宮の記録として金銅飾金物の奉飾位置を略図で示したもの。略図とはいえ、皇大神宮の屋根の妻の部分の装飾に関してこと細かく書き込まれているのを観るにつけ、技術を正確に伝承していくことの大変さを思った。

『諸社御神宝図(伊勢内外宮神宝式幷神宝図5巻のうち)』 狩野新三郎筆 5巻のうち3巻 (江戸時代 元禄8年(1685))

 

高機(はたき)=手織り機。和的で繊細な色遣いがきれいな図。実物を観てみたい、と思って歩を進めると。。。

『金銅高機』 伝沖ノ島祭祀遺跡出土 1具 奈良時代 8世紀 (福岡・宗像大社)



こちらが実物例。国宝。

『桐蒔絵手箱及び内容品(古神宝類のうち)』 1具 南北朝時代 明徳元年(1390) (和歌山・熊野速玉大社)



箱も中身もいとうつくし。ため息が出た。鏡、鏡箱、梳き櫛と整髪用の櫛、櫛箱、白粉箱、紅筆、ハサミ、毛抜き等、一通り化粧道具も揃っている。これも国宝。

『土師器甕』 沖ノ島祭祀遺跡出土 1個 奈良時代 8世紀 (福岡・宗像大社)
『須恵器器台』 沖ノ島祭祀遺跡出土 1個 奈良時代 8世紀 (福岡・宗像大社)

 

2点とも国宝。このような状態で出土し、祭祀の様子を知ることのできる貴重な事例。残念ながらこの画像ではわかりにくいが、台の正面に描かれる、子供が描いたような人物像が何とも言えない。造った人の遊び心だろうか。ちょっぴりクレーを思い出したりもした。

第3章 今に伝える神宝

式年遷宮には1500余点に及ぶ神々の御料(ごりょう)・御装束神宝のすべてが古式のままに新しく調進される。御装束は衣服・服飾品などを含めお飾りや儀式に使われる様々な品が含まれ、525種、1085点に及ぶ。神宝は神々の調度品を意味し、紡織機・武器武具・馬具・楽器・文具・日常用品と大きく分類され、189種、491点にのぼる。これらは当代最高の美術工芸家の技法によって調達される。

このセクションではすべて昭和時代の遷宮で造られた品々を展示。近代になって技術伝承のため保管される神宝も一部あるそうだが、最高の技術が注がれた品々が20年で撤下とは途方もない話である。

『玉纏御太刀(たままきのおんたち) 附 平緒(つけたりひらお)、鮒形、太刀袋』 皇大神宮御料 1柄 昭和4年調進 (三重・神宮司庁)



遷宮ごとに合計60柄の御太刀が調進されるそうだが、これはその中でも最も豪華絢爛たる儀礼用の飾太刀。鞘の金具のところには水晶、瑠璃、琥珀、瑪瑙が鏤(ちりば)められ、その間の部分には5色の吹玉が300丸。皆「きれいね~」とため息しきり。

『須賀利御太刀 附 平緒、鮒形、太刀袋』 皇大神宮御料 1柄 昭和4年調進 (三重・神宮司庁)

 

こちらも美しいが、柄の上下にうっすらと桃色の鴾(とき)の羽二枚が糸で纏られている。その部分を拡大した写真が図録の表紙にあったので、それを載せておく。

『御白玉(おんしらたま) 附 楊筥(やなぎばこ)』 皇大神宮御料 81丸 昭和4年調進 (三重・神宮司庁)



「しらたま」とは真珠のこと。この真珠の入る楊筥(やなぎばこ)は、他にも御枕や御靴など様々な品を入れるものとして展示されている。三角形に切り出した柳の木を幾筋にも並べて、糸で綴じ合わせて作られているそうだ。その木と糸の柔らかい風情が素敵。

『玉佩(ぎょくはい)』 豊受大神宮御料 1流 昭和4年調進 (三重・神宮司庁)

 右はディテール。

朝廷の儀式において礼服着用の際、腰の下から垂らす容飾品。天皇は2流、臣下は1流を身につけると規定されているそうである。日本の装身具も誠に美しいものだと思った。
 
第4章 神々の姿

8世紀半ばに神像が造られるようになるが、現存作品はなし。9世紀前半には当時の貴族の装束を模した像が造られた。女神や御子神(おこがみ)も造られ、三尊形式をとる。その頃は仏像の表現を多く取り入れたが、9世紀末には神像独特の表現が生まれる。

『八幡三神坐像』 3軀 平安時代 11世紀 (大分・奈多宮)

『八幡神』

重要文化財。日本古来の神々と仏教の密接な関わりを示す作例。お顔の表情、垂れた大きな耳など、八幡神はとりわけ仏さまを思わせる。八幡神は応神天皇と同体とされ、画像はないが一緒に並んでいた神功皇后はその母。

『男神坐像』 平安時代9世紀 1軀 (京都松尾大社)
重要文化財。当時の貴族の装束である幞頭冠(ぼくとうかん)と袍(ほう=上着)を身につけており、9世紀前半の作とされる。右足を左足の上に載せて坐る「胡座」のポーズは仏教の影響がうかがえる。眉間に皺を寄せたような、やや険しい面持ちに観える。下方に折り重なって波打つ衣の襞が装飾的。

『熊野速玉大神坐像・夫須美大神坐像』 2軀 平安時代9から10世紀 (和歌山・熊野速玉大神)



国宝。「衣の襞を単純化し、胸部の奥行きを減じた」神像独特の表現が生まれた9世紀末頃の作品。両方とも袖に流れるような柔らかい襞が観られるが、全体的にまろやかな形。男神は厳しい顔つき、片膝を立てて坐る女神はふっくらとしたお顔。

尚、1階のラウンジでは伊勢神宮の行事を追ったビデオ(約17分)が流されているので、時間があれば是非ご覧になることをお薦めします。いずれにせよ9月6日までなので、ご興味のある方はお急ぎを。

中国の陶俑―漢の加彩と唐三彩

2009-08-22 | アート鑑賞
出光美術館 2009年8月1日-9月6日



今年は5月に「水墨画」、7月に「やまと絵」と勉強させて頂いている出光美術館。続いて三つ目となるこの夏の展示は、中国のやきもの、「陶俑」。「俑」とは、平たく言えば葬られる主人とともにお墓に入れる人がたや動物の模型のこと。今回の展示には、その俑を中心に様々な副葬品も含まれる。公式サイトから説明を拝借すると、死者も生前と同じ暮らしをするという当時の死生観により、中国では紀元前5世紀頃から、それまで殉葬されていた生身の人間や高価な道具に代えて陶器や木製品で代用品を作り、副葬するようになった。これらの副葬品は「明器」と呼ばれ、当時もっともすぐれた工人の最高の技術が結集されている。漢時代の「灰陶加彩」や唐時代の「三彩」などの技法を駆使して作られた明器は、造形的にも色彩的にも芸術的に優れている上、当時の暮らしを知る貴重な資料ともなっている。

私にとって、このようにまとまった形で陶俑およびその周辺のやきものを観るのは初めてのこと。昔、私の両親が中国の西安を旅した時に持ち帰った秦の始皇帝の兵馬俑の写真集(兵士だけで8000体!)と、何かの展覧会で観た数体の実物、東博の東洋館に展示されていた数点の唐三彩の作品くらいしか脳裏に浮かばないような私にも、とても親しみやすい展覧会だった。

ちなみにこれは出光美術館が開催している「やきものに親しむ」シリーズの第7回目だそうで、中国の漢~唐時代の俑を中心とする陶器を展示するのは11年ぶりとのこと。

今回の展示は、5章と1つのサブセクションに分かれていた:

1.際立つ個性―漢時代の陶俑
2.苛烈な時代の形象―南北朝~隋時代の陶俑
◆洗練されたやきもの―俑の周辺の副葬器物
3.写実的形象―唐時代の人物俑
4.シルクロード交流の記憶―唐時代の駱駝・馬
5.洗練されたやきもの―俑の周辺の副葬器物


では、章ごとに追って行きたい:

1.際立つ個性―漢時代の陶俑

陶俑の本格的な開花は、漢時代の紀元前2世紀。前漢時代のものは騎馬人物や動物などが登場するが写実性がない。後漢時代になると更に生活に密着したものが多くなる。しかし動物など実物通りではなく、個性的。

#2 『灰陶加彩牛』 (前漢時代 BC3~AD1)
牛と書いてなければ牛だとわからない。でも作者が牛といえば牛。おおらかでいい。

#3 『灰陶加彩女子』 (前漢時代)
顔の凹凸はほとんど消失しているが、着物の襟、袖、模様に朱が残る。

#7 『緑釉楼閣』 (後漢時代)
入口に足を踏み込むやすぐ目に入る、入場者の掴みはこれでOKといわんばかりの高さ150cmもある楼閣。4階建て。スポットライトを浴びてこちらに向いているので、順路を無視して思わず真っ先ににじり寄る。現存する世界最大の後漢時代の緑釉陶器の楼閣で、当時の豪族の館の一角にあった望楼を兼ねた塔。各階に弓を構えた兵や人の姿があり、塔のてっぺんの屋根の上には風見鶏のような鳥が載る。屋根や壁にも装飾が施され、よく出来ていると観入ってしまった。

#8 『灰陶加彩貼花人物禽獣文器台』 (後漢時代)
犬や鳥、カメ、人間、キツネと人間のハイブリッド風のものまで、いろいろな生き物が賑やかに貼りつく器。貼りつくというか、面から相当飛び出していて、実用性を全く無視した遊び心が感じられる。これ作るの、楽しかっただろうな。

#10 『緑釉鴨池』 (後漢時代)
四角い池に鴨が一杯。覗き込むと魚も泳いでいる。鴨たちの適当とも思える偏った配置がおもしろい。しゃがんで観ると、台座の側面にも装飾がしてあって、手作り感がある。

#11 『褐釉囷(籾倉)』 (後漢時代)
安定感のある円筒形の入れ物。温かみのある褐色の色が好き。蓋を開けたらいかにも籾(もみ)が入っていそうだ。左端に貼りつく、口を開けた動物は熊だろうか?鹿の角は立派に写実されている。

#12 『緑釉犬』 (後漢時代)
頭部だけやたら大きい犬。稚拙な感じはするが、なんとも憎めない。木の葉のように前に折れ曲がる耳がかわいい。

#13 『緑釉猪』 (後漢時代)
この猪は犬と異なり、実物に即してよく出来ている。背中のしなり具合、張り出した胸部の表現がいい。

2.苛烈な時代の形象―南北朝~隋時代の陶俑

漢の滅亡後、隋・唐の統一に至るまでの300年間は、中国史上未曽有の分裂と戦乱の時代。為政者には余裕がなく、俑も小型で地味なものが中心となり、作品数自体少ない。例外的に北朝支配下の華北地方だけは制作が活発であった。また、駱駝俑は西域との交流があったことを物語る。

#16 『灰陶加彩官人』 (北魏時代)
10等身(以上)の麗人。プロポーションはスーパーモデル並。ずんぐりした人物、動物が続いた後に唐突に登場するので、目が冴えるようだった。

#23 『褐釉胡人』 (隋時代)
口元が笑っているのが印象的。

#24 『褐釉緑彩牛車・馭者』 (隋時代)
牛車を引く牛のお尻が荷台の下に隠れているというデザインなのだが、荷台の前で胴体の後部がすぱっと直線に切られているところが少し笑えた。

#25 『褐釉駱駝』 (隋時代)
まったりした表情の駱駝。屈みこんで観ると中は空洞になっている。駱駝の褐色の色は、褐釉のキャラメル色にぴったりだと改めて思った。

◆洗練されたやきもの―俑の周辺の副葬器物

地下深くや墳丘の下に甎(せん=レンガ)積みで築かれ、崩れにくい構造を持った中国の王や貴族の墓の墓室、そして厚葬の風習のおかげで俑や器物が伝世した。ここではその構造の説明とともに、壺類や神将などが並ぶ。

#70 『灰陶加彩雲気文獣環耳壺』 (前漢時代)
とても洗練されている。雲を表わす曲線の、闊達かつしなやかな筆の動きがいい風情を出している。

#72 『緑釉獣環耳壺』 (後漢時代)
装飾を抑えた滑らかな壺と、深い緑色がとてもまろやか。好み。

#73 『緑釉貼花文壺』 (北斉~隋時代)
このピスタチオ色もいい。獅子、人物、竪琴を抱えた天女のような人物が貼りつく。

3.写実的形象―唐時代の人物俑

隋・唐帝国の統一時代になると陶俑芸術は著しく高揚し、唐の時代に最盛期を迎える。唐に入ると絵画でも写実性が優れてくるが、それが俑の形態にも如実に表れてくる。7-8世紀は、白・緑・褐色を中心とする鉛釉を流しかける唐三彩の全盛。顔だけは釉をかけず、焼きあげ後から加彩したり、素焼きして加彩するなど写実性を出す工夫が観られる。ヒゲを生やしているのは、シルクロードを通じてやってきた胡人。

#27 『三彩女子』 (唐時代)
この頃の人物俑は、楽人のような職能を持った女性がスマートに作られるのに対し、貴婦人はふくよかに作られた。豊満なほど美人とされたそうだ。この女性も有閑マダム風、ジョットのマエスタのようにゆったりと椅子に座っている。ふっくらした頬に釣り目で、整った目鼻立ち。衣の下の両足の堂々たる広げ具合を観ると、昔は女性も足を揃えなくてよかったのだな、と思う。

#28 『三彩女子』 (唐時代)
こちらのご婦人は袖のドレープが印象的。身ごろの部分も、青と緑の衣が流れるようにきれい。左手に乗せた青い小鳥を愛でているところだろうか。

#31 『彩家屋』 (唐時代)
ぽつんと一つだけ離れたケースに入れられている。シンプルな家の入口を覗き込むと、前で手を組み、おずおずと立つ女性。かわいらしい作品。

#33 『三彩楽人』 (唐時代)
そしてこちらが職能婦人。チラシの右下に大きく載る、笛を持った女性である。確かに貴婦人と比べると細身で、明らかに顔つきが違う。でもこちらも色白美人だし、キリッと結んだ口元、切れ長の目は賢そうだ。

#34 『灰陶加彩楽人 六体』 (唐時代)
ずらりと横に一並びした、六人のスラッとした美女楽人たち。吹奏楽器、弦楽器、打楽器など、それぞれが手に楽器を持っている。衣にはうっすらと朱色が残る。思わず高島ちさ子率いる美女楽隊を思い出してしまった。

#40 『藍釉男子 二体』 (唐時代)
このセクションの説明パネルで言及されていた、一癖ありそうな官僚とはこの左の人?何かよからぬことを企んでいそうなギョロ目、ダンゴっ鼻、肉厚の唇。とてもユニークな風貌をしている。手の動きは何を現すのだろう?衣の藍色はとてもきれいだが。

#41 『灰陶加彩武人』 (唐時代)
はにかんだようなうつむき加減の顔、体の前に置いた腕、揃えた足。この人本当に武人?と思ってしまうほど小心者っぽく観える。

#60 『白釉牛・灰陶加彩牛車』 (唐時代)
白い牛が新鮮。形も大分洗練されてきた。

4.シルクロード交流の記憶―唐時代の駱駝・馬

シルクロードの交流で生まれた作品の代表は、三彩の騎駱人物と大型の駱駝。鞍に跨る胡人はソグド人ではないかと言われている。婦人も北方騎馬民族から伝わるズボンを履いている。中国に元来なかった三彩の色彩感覚も、西方世界に由来しているかもしれない。

#44 『三彩騎駱人物』 (唐時代)



駱駝の足の関節や顔など、写実的。乗っている人はわし鼻で、エキゾチックな感じ。

#45 『三彩駱駝』 (唐時代)
チラシの左端に載る作品。体が白く、たてがみ、コブ、踝などが茶色に彩色されていてスタイリッシュ。鞍の獅子の装飾も見事。

#47 『三彩馬』 (唐時代)
茶色の馬で、白いたてがみは首の左側に寄せられ、きっちり首に載っている。ちょっとうどんのようだが、丹念に線を入れていく工人の手元が浮かびそうだ。

#49 『三彩馬』 (唐時代)



今度は白い馬で茶色のたてがみ。背中に載せられた青い布の質感描写がおもしろい。

#51-59 『三彩騎馬人物』 (唐時代)
一体40㎝前後の大きさであるが、ガラスケースの中に騎馬人物が9体ずらりと並ぶ様は壮観。乗っている人物はみな背筋が伸びて姿勢がよく、馬も顔が白かったり、鼻筋が白かったり。

#64 『藍釉獅子』 (唐時代)
藍色の獅子。お座りして、左足で口の下を掻いている。ライオンというより、犬。

5.洗練されたやきもの―俑の周辺の副葬器物

陶俑と並行して作られたのが、副葬器物。中国陶器は金属器の代用品として発達したため、金属器やガラス器の流れを汲み、機能美を追求した器形に特徴がある。

#75 『三彩貼花文万年壺』 (唐時代)
不思議な魅力を持った意匠。白地に薄い藍が流れ、装飾的な円形の浮彫文様が貼りつく。

#76 『三彩万年壺』 (唐時代)
どことなく印象派を思わせる青と緑の色彩。

#86 『三彩蓮花文三足盤』 (唐時代)
くっきりした花の文様。南欧や中東の焼き物を想起した。

#88 『三彩六葉型三足盤』 (唐時代)
凝った足の部分も含め、各部所の曲線がアール・ヌーヴォー風にも観える。

#90 『三彩貼花騎馬人物文水注』 (唐時代)



取っ手が龍の首になっている壺類がとても多いが、これもその一つ。疾駆する馬に跨り、弓を放たんとする人物の姿などが貼りついている。

#95 『三彩皮囊壺』 (唐時代)
皮のカバンをモティーフにした壺である。側面のボツボツがちょっと大仏様の頭のようであるが、壺の変り種のようで珍しかった。

#106 『三彩練上手枕』 (唐時代)
細くウネウネと走るマーブル模様がおもしろい。溶け出す釉をこのように繊細な模様に仕立てるには高度な技術が必要なのではないだろうか?

#119 『白磁脚杯』 (唐時代)
白く上品なこの杯の、洗練された形と薄さに驚く。

#120 『白磁杯』 (唐時代)
これも薄い白磁だが、取っ手がついている。現代に作られたティーカップといっても誰も疑わないだろう。

#121 『緑釉碗』 (唐時代)
抹茶色の小ぶりの碗。これでお茶を飲んでみたい。

メモを取ったのは以上である。言うまでもなく上に挙げたのはほんの一部で、総数130点余りの作品群は結構な見応え。

今回は図録も買わなかったので、スキャナーと格闘することもなくすんなり書けるかと思っていたら、出品リストを見ながら作品名を書き出すのが一苦労だった(そのくせ各作品の感想は短い)。いずれにせよ、この展覧会は楽しいのでお薦めです。9月6日まで。

フランス絵画の19世紀~美をめぐる100年のドラマ~

2009-08-18 | アート鑑賞
横浜美術館 2009年6月12日-8月31日



19世紀のフランス画壇の流れを、「アカデミスム」絵画を軸に新古典主義の絵画から印象派他に至るまで、時系列で展観する意欲的な展覧会。世界40の美術館から80点余りが集められて展示。

「そもそもアカデミスムってなんぞや?」という方、もしくは今一度ざっと復習しておきたいという方がいらしたら、本展の公式サイトの「やさしいアカデミスム講座」というセクションがお薦めです。そこにある、キーワードを簡潔にまとめた「アカデミスムを知るための基本用語集」にざっと目を通しておくだけでも、ずいぶん鑑賞しやすくなると思います。

本展の構成は以下の通り:

第1章 アカデミスムの基盤~新古典主義の確立
第2章 ロマン主義とアカデミスム第一世代
第3章 アカデミスム第二世代とレアリスムの広がり
第4章 アカデミスム第三世代と印象派以後の世代

では、印象に残った作品をまじえながら章ごとに:

第1章 アカデミスムの基盤~新古典主義の確立

18世紀後半、古代ギリシャ/ローマの芸術に規範を置く「新古典主義」が台頭。ギリシャ神話や聖書などに主題をとる「歴史画」が尊ばれ、古代彫刻を理想とした人体表現、厳格なデッサン、筆跡を残さない滑らかな画面を特徴とした。これが19世紀のフランスのアカデミスムの基盤となり、ダヴィッド、その弟子であるグロ、ジロデ、ジェラール、次世代のアングルへと継承されていく。尚、国立美術学校に入学→官展であるサロンに出品してローマ賞を獲得→官費でローマに数年留学→凱旋して国からの受注制作に励む、というのがエリート画家の出世の王道であった。

*蛇足ながら、家に帰ってちょっと調べてみたところ、国立美術学校が保持していた「ローマ賞」は1968年まで存続していたということを知り、軽い驚きを覚えた。

『アキレウスの怒り』 ミシェル=マルタン・ドロリング (1810年)



この作品が目に入った瞬間、「はい、ローマ賞決定!」。 実際1810年のローマ賞受賞作品であるこの作品は、ホメロスの詩にとった主題といい表現法といい、まさにアカデミスム絵画の模範的作品。言い争いをしている、ギリシャ彫刻のような滑らかな人体表現で描かれた群像の、それぞれの身振りはダイナミックなのに、かっちりした構図はまるで時間が貼りついたような静止画面。アガメムノンに襲いかかろうとする激昂したアキレウスを制止しようとするアテナの表情はややしかめ面程度。物音のしない絵である。

『男性裸体習作』、または『パトロクロス』 ジャック=ルイ・ダヴィッド (1797年)



ダヴィッドは、5回目の挑戦でローマ賞を獲得。ローマ留学中、毎年タブローを1点、習作を1点提出せよ、というアカデミーの要求に応えて制作されたのが本作。身を後方によじる男性の全裸を、背後から描きだす。男性が下に敷く赤い布の照り返しで臀部に赤味が差し、上部の肩甲骨の辺りの青白さとのコントラストが和らげられている。あまり冷たい感じがせず、筋肉の動きや体温すら感じ、艶めかしい。

『レフカス島のサッフォー』 アントワーヌ=ジャン・グロ (1801年)



ファオンの愛を得られず、竪琴を胸に断崖から夜の海へ身を投げようとするサッフォー。深い絶望を浮かべるその横顔は月の寂光にうっすらと照らし出され、踏み込んだ左足の踵は上がり、指は崖から滑り落ちようとしている。まさに海へ落ちていく寸前を暗い色調の中に捉えたこの絵は、過度に演劇がかったところがなく、画面から滲み出る哀しみに自然と引き込まれる。

『パフォのヴィーナス』 ジャン=オーギュスト=ドミニック・アングル、アレクサンドル・デ・ゴッフ (1852年頃)



絵としては不完全で(ヴィーナスの左手の位置の修正は途中で終わっている)違和感のある、おかしな作品であるが、アトリエにおける師匠と弟子の共作というアカデミスムの伝統を代表する作品として鑑賞されるべきものと理解した。名の挙がっているアレクサンドル・デ・ゴッフは本作で風景を担当。ヴィーナスの体は複数の視点から描かれているので、左肩の位置がいびつになっている。

第2章 ロマン主義とアカデミスム第一世代

1820-1830年代になると、新古典主義に対してドラクロワを代表とするロマン主義が台頭してくる。感情表現や豊かな色彩表現などに重きを置き、主題も幅広くなっていく。とはいえ新古典主義と厳密に線引きできるものではなく、ここではロマン主義と新古典主義を折衷させていった中庸派(ジュスト・ミュリュー)と呼ばれる画家たちをアカデミスム第一世代とし、その作品を観ていく。

『廃墟となった墓を見つめる羊飼い』 アシル=エトナ・ミシャロン (1816年)



1816年、ローマ賞コンクールの新部門として「歴史的風景画」が美術アカデミーに承認され、これはその第1回目の受賞作品。申し訳程度に古代の遺物が転がっているが、明らかに画家の関心は風景を描くことに注がれている。遠景に霞む山、中景の清々しい木立と、中央でアクセントとなっている白くしぶきを上げる滝、前景の墓と人物。堅固な構図だが、人物を排除しても成り立つ美しい風景画。

『シビュレと黄金の小枝』 ウジェーヌ・ドラクロワ (1838年)



「アエネイス」からの主題。父に会うために冥界を訪れようとしているアエネイスに、冥界の女王プロセルピナの供物に捧げる金の枝をシビュレが指し示している場面。顔や人体は丁寧に描かれているが、顔の血色は彫刻よりも人間に近く、左手の指などは端折った表現になっている。金の枝や背景の樹木、シビュレのまとう朱の衣も筆跡を残した筆触で、絵画技法としては明らかに新古典主義と一線を画す。

『クロムウェルとチャールズ1世』 イポリット・ドラロッシュ、通称ポール・ドラロッシュ (1831年)



ロンドンのナショナル・ギャラリーに展示されている『ジェイン・グレイの処刑』で私には馴染みのある画家。本作では、英国で唯一断頭刑に処された王、チャールズ1世の遺体が納められた棺の蓋を、断頭台に送った張本人のオリヴァー・クロムウェルが開けて覘いているシーンである。本当にこんなことがあったのか知らないが(ドラクロワは否定していて、たまたまクロムウェルがカーテンを開けて遺体と対面してしまった、という別の構図で同じテーマの作品を残している)、あまり気味の良い絵ではない。棺がとても小さくて、チャールズ1世の体がきつそうだ、などと妙なことを思ってしまった。

第3章 アカデミスム第二世代とレアリスムの広がり

19世紀半ばになると、市民階級の台頭により、それまで王侯貴族だけのものであった絵画が広く一般市民にも鑑賞されるようになる。そのような社会を反映し、現代に生きる民衆の生活をありのままに描こうとするレアリスムが勃興。クールベやミレーなどにより、画面にも民衆や農民の姿が登場し、歴史画と風俗画の境界線があいまいに。芸術の大衆化により美術アカデミーの権威も揺らぎ始め、1863年には皇帝ナポレオン3世によりサロンの「落選展」が開催される。

『眠れる裸婦』 ギュスターヴ・クールベ (1858年)



目に観えるものしか描かない、天使を描いてほしいなら天使を連れてきてくれ、と言ったクールベ。画中で可愛い寝顔を観せる女性だが、だらしなく開いた両脚、太めの腕、たるんだ脇の肉。レアリスムといえばそうだが、どうしてもポーズが美的にどうかと。ベッドの右端にはパレット・ナイフで絵具を載せている(と思われる)。

『ヴィーナスの誕生』 アレクサンドル・カバネル、アドルフ・シェルダン (1864年)



オルセー美術館所蔵のオリジナルのレプリカ。複製権を買い取ったグーピル商会がアドルフ・シェルダンに描かせ、カバネルが加筆修正し、署名したもの。相当人気のあった作品であることが伺える。1863年のサロンには本作と、ボードリー『真珠と波』アモリー・デュヴァル『ヴィーナスの誕生』(2点とも本展に並ぶ)の3点が人気を分け合い、「ヴィーナスのサロン」とも呼ばれたそうだ。カバネルのこの作品は、ヴィーナスは海の波の上に横たわり、上をキューピッドが舞っていてとても装飾的。ヴィーナスのうっすらと開けた目も蠱惑的で、一般大衆に受けそうだ。本展に出ているカバネルの作品としては『狩りの女神ディアナ』(1882年)の方が個人的には好きだった。

『真珠と波』 ポール・ボードリー (1862年)



もしカバネルの作品とこちらではどちらが好きかと聞かれたら、私はこちら。磯の香りがしそうな浜辺に白い体を横たえ、振り返って微笑むヴィーナスは健康的な美しさがあっていい。

『弟子にベルヴェデーレのトルソを見せるミケランジェロ』 ジャン=レオン・ジェローム (1849年)



18世紀末から19世紀中葉のフランス絵画では、古の巨匠の生涯のエピソードを表した作品が多数描かれたそうだ。古代の風俗を描く「新ギリシャ派」の画家として登場したジェロームのこの作品では、盲目のミケランジェロが徒弟の手を借りてベルヴェデーレのトルソに触っている場面が描かれる。しかしこれは事実ではなく、言葉は悪いが鑑賞者の受けを狙った画家が創り出したもの。祖父と孫を結ぶ愛情といったような、大衆が好みそうなセンチメンタリズムも感じる。しかしながらトルソの質感描写は職人技。

『酔ったバッコスとキューピッド』 ジャン=レオン・ジェローム (1850年)



楕円の画面の中、酩酊状態のバッコスと、その腕を取って一緒に歩くエロス。二人ともぽっちゃりした幼児の姿で描かれる。その滑らかな絵肌と描き込まれた二人の表現は技量的には感嘆するが、大衆的と言えば大衆的。

『フローラとゼフュロス』 ウィリアム=アドルフ・ブグロー (1875年)



野原で花と戯れる花の女神フローラの元へ、蝶の羽をつけた西風の神ゼフュロスが舞い降りたところ。ゼフュロスが体にまとった青い布はふわりと風をはらみ、右足も宙に浮いている。フローラは愛する人の訪問に嬉しくも恥じらいの表情で顔を伏せ、抱き寄せられつつ白い身をよじらす。ゼフュロスはフローラの耳元で愛の言葉でも囁いているのだろう。ある意味フランス絵画と聞いて真っ先に浮かべるような、まったく甘美な絵である。

第4章 アカデミスム第三世代と印象派以後の世代

戸外での制作や、パレット上で色を作らずそのままキャンバスに置いていく筆触分割の技法を編み出した印象派の画家たちは、作品の発表の場も自らグループ展を開催するなど画壇に変革をもたらした。サロンも1891年から民営となり、それがさらに分裂したり、新しい美術協会が創設されたりという動きにつながっていく。作品発表の場も増え、印象派に続き、1880年代以降は新印象主義、象徴主義など様々な画風の作品が世に送り出されていった。

『フロレアル』 ラファエル・コンラン (1886年)



滑らかな裸婦の筆致はアカデミスム絵画を思わせるが、何といってもこの裸婦は草原の中に寝転んでいる点で神話の世界からは逸脱する。題名の「フロレアル」(花月)とは、フランス革命暦(共和暦)の4月20日頃から5月19日頃までの、春爛漫の花の季節を指すそうだ。つまり、これは花の季節の擬人化。花はそれほど目立って描き込まれていないが、野原の緑と裸婦の白い身体の対比が美しい。ふつう野原に裸婦が寝転んでいると唐突な感じがしそうだが、不自然さが感じられない。

『カルメンに扮したエミリー・アンブルの肖像』 エドゥアール・マネ (1880年)



描かれた女性が画面から大きな存在感を放つ。卓抜したマネの筆捌きが素晴らしい。エミリー・アンブルはオペラ歌手で、オランダ王ヴィレム3世の愛人であったそうだ。

『干し草』 ジュール・バスティアン=ルパージュ (1877年)



2メートル四方の大きな画面に、干し草作りの合間の休憩を取る二人の農民が描かれる。身を横たえる男に対して女は座っているが、少し開いた口元、やや放心したような大きな目、無造作に開いた足などから肉体労働の疲労のあとが伺える。最初に観たドロリングの歴史画を振り返ると、この作品に至ってその主題、技法に大きな隔たりを覚える。と言うのも、バスティアン=ルパージュはカバネルに師事し、ローマ賞を狙ってコンクールに挑戦するも5度失敗し、画風を転換。その分岐点となったのがこの作品だそうだ。

文字数が限界なのであとは端折るが、この他、この章にはルノワール、ドガ、ピサロ、モネ、シスレー、モロー、ドニなど、印象派や象徴主義等の作品がたくさん並んでいた。

最後に付け加えるなら、本展のカタログが通常版と豪華版の2種類があった割にはポストカードの種類が少ないのと、頼めば頂ける出展作品リストがカタログからコピーしたもので、歪んだ紙面がしょぼい感じであったのが残念であった。

生誕150年 ルネ・ラリック 華やぎのジュエリーから煌きのガラスへ その2(ガラス編)

2009-08-09 | アート鑑賞
国立新美術館 2009年6月24日-9月7日



その1(ジュエリー編)からの続きです。

Ⅱ煌めきのガラス
1908年に受注した、香水商フランソワ・コティの香水瓶の注文をきっかけに、ラリックは1909年からパリ東方のコンブ=ラ=ヴィルの工場で量産開始。花瓶、デカンタ、蓋物、灰皿、印章など1914年までに発表されたモデルの数は600から800種類。鋳型を用いた力強い造形、光がガラスを透過するときに放つ輝きの美しさ、光の角度によって変化するガラスの表情の豊かさなど、一貫して透明の美学を追及。

1.ガラスへの扉
1898年にパリの西南クレールフォンテーヌに新たにガラス製造のための工房を開き、ジュエリーからガラス作品への転向を模索。透かし彫りの銀枠にガラスを吹き込んだ作品、エナメル彩とガラスの組み合わせなど、金工細工からガラス制作への移行を象徴する作品が並ぶ。

2.ふたつの時代、ふたつの顔
植物、昆虫などのモティーフの浮彫装飾、裸婦など、初期はガラスの透過性と色ガラスの組み合わせでアール・ヌーヴォー風の作品を作成。1921年に新工場を作ると、半透明のオバルセント・ガラスを用い、オウム、インコ、草花、生き物などを抽象化したモティーフを用いた、幾何学的な文様でアール・デコの作風に。

#09 『花瓶《菊に組紐文様》』



このセクションでは、似た意匠ごとに数点ずつ作品が入った展示ケースを覗き込むのが楽しい。ラリックの花瓶は厚みがあってヴォリューミー。オレンジ、緑、青などカラフルなものも多いが、個人的には#25 『花瓶《ナイアード》』、#30 『花瓶《オラン》あるいは《大きなダリア》』など、乳白色の作品の光の透過具合が気に入った。それにしても、これらの花瓶は一つ何キロくらいあるのだろう?

3.創作の舞台裏
ラリックが1909年から1945年までの間に発表したガラス製品は3000種以上。アイデアが浮かぶとすぐ描きとめていたというラリックのスケッチ帳の数々や、作品とスケッチが並べて展示されていたりと興味深い。また、代理店に製品のカタログを置いて受注生産も行っていたとのことで、当時のカタログも展示。作品では#46 『蓋物《孔雀》』が美しいと思った。

4.シール・ペルデュ
「シール・ペルデュとは蝋でつくった原型を耐火石膏で覆い、全体を加熱して蝋を溶かし、脱蝋した後の空洞にガラスを注入して形を作り上げる方法」だそうだ。型はガラスを取り出す際に壊されるため、作品は一点ものとなる。精密な表現が可能なこの技法は高い技術を要するため、展覧会への出品作や限られたコレクターのための作品に特別用いられた。そんな貴重なジール・ベルデュ作品が約20点並ぶ。

#88 『花瓶《雀のフリーズ》』は、3層に分かれている花瓶の層と層の間に雀がぎっしり並ぶ作品。ころころとした愛らしい雀が身を寄せ合い、帯状にぐるりと並ぶ様子に思わず笑みがこぼれた。この製法で作られた作品群には黒い煤のようなものが混入しているように観えるが、これが味なのだろうか?

5.1925年アール・デコ博覧会
1925年にパリで開催された「現代装飾美術産業美術国際博覧会」にて、ラリックは「ガラス部門の責任者」も務め、「ルネ・ラリック館」のみならず「セーヴル国立製陶所館」のダイニニグ・ルームの内装、グラン・パレ内の香水館のロジェ・ガレの展示デザイン、とガラスを用いた空間演出を手掛けて絶賛される。そこで注目されたのが、メイン会場の中央広場に建てられた野外噴水『フランスの水源』

#90-101 『立像《噴水の女神》』他。上記『フランスの水源』を構成した女神の立像を展示。博覧会では、フランスの泉と河川を象徴する16種類、128体のガラス製の女神像が16段に積まれ、高さ15mに及んだという。電気照明が内蔵され、夜間は光り輝いたというから、さぞやゴージャスな噴水だったことだろう。今回はその16種類の立像の中から12種類が、2段に分けて並べられて展示。ほっそりとした動きのない立像で(なんとなく少しだけエジプトのツタンカーメンの棺を思わせる)、ダフネ、アリアドネなどギリシャ神話の名前がついたものも。こうして横に整列させて観るだけでもきれいなものだ。

6.皇族・王族とラリック
ラリックのガラス工芸品は、外交における公式な贈答品としても利用された。日本においても昭和天皇が皇太子時代に外遊された際、大臣方へのお土産にラリック社製の花瓶を持ち帰られたとのこと。また、東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)はラリック社製の玄関扉やシャンデリアが使われていることで有名だが、朝香宮ご夫妻は前出の「現代装飾美術産業美術国際博覧会」を訪問されており、その際にラリックの作品に魅せられたのだそうだ。このセクションに展示されている作品群は少ないが、さすがロイヤルな感じでクォリティが高い。

#113 『テーブル・センターピース《火の鳥》』 



彫りの繊細さが見事。これがテーブルの上に置かれていたら、食べるのも忘れて観入ってしまいそうだ。また、水流に揺らめくような流麗なヒレの彫りも美しい金魚が泳ぐ#112 『花瓶《フォルモーズ》』も涼やかで上品だった。

7.香りの小宇宙
現代香水の祖と言われる香水商フランソワ・コティに始まり、ロジェ&ガレ、ドルセーもこぞってラリックに香水瓶のデザインを依頼。初期から晩年までラリックがデザインした香水瓶は400種類以上に及んだ。

香水というのは香りのみならず瓶のデザインも重要な要素。どんなにいい香りでも、夢のない無味乾燥な瓶に入っていたら購買意欲も半減するというもの。ラリックに任せたら間違いなし、と香水商が期待するのは至極当然のことだっただろう。実際この展示ケースには、本体や蓋もそれぞれに凝った、色もさまざまのきれいな香水瓶がたくさん並ぶ。このような瓶から香りを手にとったら、さぞや気持も浮き立つことだろう。どんな香りの香水が入っていたのか、嗅いでみたかった。

8.装いのガラス
19世紀終わり頃から、それまで貴族、上流階級、女優など限られた女性しか嗜なかった化粧がより広い層へ普及。ラリックはガラスの特性を活かしたアクセサリー、化粧道具などを手掛けるようになる。ケースにズラリと並ぶ色とりどりのネックレス、ブレスレット、指輪などはどれも大ぶりで、身につけたら結構重そう。このセクションまで観てきた疲労感も上乗せされた観方かもしれないが。#154 『ブレスレット《ルネッサンス》』は、緑の弾薬を並べたようだ。そういえば、様々なドッグ・カラーもここのみならず複数のセクションに展示されていたが、観るからに重そうで、犬にとっては迷惑千万。

9.スピードの世紀
交通手段が著しく発達した1920年代、ラリックは高速列車や豪華客船の内装なども手掛ける。この展示室には、車のボンネットを飾る、ラジエーター・キャップに装着するガラス製のカー・マスコットがケースにずらり。馬、猟犬、鷲などの動物のモティーフから裸婦や彗星など、発表されたデザインは約30種。実際に『勝利の女神』を装着した、鍋島直泰侯爵が使用していた高級車イスパノスイザまで展示されていたが、その鍋島氏の「破損を恐れて到着地に着いてから装着した」というエピソードに肯く。走行中、タイヤが弾き飛ばした小石などが当たったら致命的。どれもオブジェとして部屋の中に大事に飾っておきたいような芸術的なものばかり。車のイメージとしてはやはり馬の頭部などがかっこいいが、#192 『パーチ』(淡水魚)も乳白色で美しかった。

#186 『カーマスコット《勝利の女神》』



10.室内のエレガンス
1920年代半ばから一般家庭にも電気照明が普及。17世紀後半のルイ14世の時代から伝わるフランスの豪奢でエレガントな室内装飾の伝統を踏まえ、現代の室内に様々な形でガラスを取り入れようとしたラリックは、照明のデザインに意欲的に取り組む。#205 『常夜灯《二羽の孔雀》』、#210 『電気式芳香ランプ《バラ》』は、実際点灯したところが観たい美しい照明器具。

11.テーブルを彩るアート
1921年にアルザス地方ヴィンゲン=シュル=モデールに新工場を作ったラリックは、新たにテーブルウェアに取り組み、機械の導入で量産を始める。1830年代からヨーロッパでは飲み物ごとにグラスを使い分ける習慣ができたとのことで、種々のグラスやグラス・セットが並ぶ。#228#232など、《トウキョウ》《ニッポン》という名のついたものも。これらの台座のつぶつぶは、日本の何をイメージしたのだろう?

以上であるが、今までアール・ヌーヴォー/デコのガラス製品という一端のイメージしか持っていなかったルネ・ラリックの作品、およびラリックその人について学ぶには、本展は大変よい機会となった。

生誕150年 ルネ・ラリック 華やぎのジュエリーから煌きのガラスへ その1(ジュエリー編)

2009-08-08 | アート鑑賞
国立新美術館 2009年6月24日-9月7日



19世紀から20世紀にかけて、ジュエリー制作者、ガラス工芸家として活躍したルネ・ラリック(1860-1945)の生誕150年を記念し、その仕事の全容に迫る展覧会。公式サイトでは展示構成が大まかに第Ⅰ部(ジュエリー)第Ⅱ部(ガラス)の二つのカテゴリーに分かれているだけのように見えたので、余り深く考えずのんびり行ったらとんでもないことに。国内外のコレクションから厳選された約400点の作品が集結する、ルネ・ラリックの生涯の仕事を細やかに追った本展の構成は以下の通り:

第Ⅰ部 華やぎのジュエリー
 1.目覚め
 2.愛の美神アリス
 3.花開くジュエリー:モティーフの展開
     自然―花
     自然―草木
     自然―女性と花
     象徴―風
     象徴―水
     象徴―ダンス/音楽
     象徴―神話/宗教/物語
     デザイン画
 4.グルベンキアンの愛したラリック
 5.透明の世界へ

第Ⅱ部 煌めきのガラス
 1.ガラスへの扉
 2.ふたつの時代、ふたつの顔
     アール・ヌーヴォーのなごり
     アール・デコの展開
 3.創作の舞台裏
 4.シール・ペルデュ
 5.1925年アール・デコ博覧会
 6.皇族・王族とラリック
 7.香りの小宇宙
     コティの香水瓶
     挑戦的デザイン
 8.装いのガラス
     アクセサリー
     化粧道具
 9.スピードの世紀
 10.室内のエレガンス
 11.テーブルを彩るアート

では、順を追ってざっくりと感想にいきたい:

第Ⅰ部 華やぎのジュエリー
ダイヤモンド・ジュエリーが全盛する19世紀のパリ。ラリックはあえて高価な宝石に背を向け、金工細工に新たな表現の可能性を見出す。ロココ、ルネッサンス、オリエントの工芸に霊感を求め、やがてジャポニスムからの影響も加わり、自然を立体的に表現したり、女性と自然の事物が一体となった象徴主義的なデザインが生まれる。エナメル、ガラス製のパーツ、色石、バロック真珠、象牙、獣角、オパールなどの素材を効果的に使い、宝石の値打ちではなく、デザインそのものに価値を置いた斬新なジュエリーは19世紀のパリ万博で絶賛された。

1.目覚め
1886年、26歳で工房主となり、ブシュロン、カルティエに作品を納めるようになったラリック。本展のプレリュードとなる、最初の部屋に一点だけ置かれた#1 『扇《二羽の雀とバラ》』は、キャリア初期に普通の扇に描かれた絵画。ラリックの、自然の動植物に美を見出す視線の原点を感じさせ、象徴的。#11 『デザイン画-コサージュ・オーナメント《冬景色》』は、湖面に映る木立、枝に雪を積もらせる枯れ木などが描かれ、風景画そのものを宝飾品に持ち込むデザインにラリックらしさを感じる。

2.愛の美神アリス
すでに妻子がありながら、工房の協力者の娘アリスと激しい恋に落ちたラリックは、苦悩の末アリスと結婚。ケシの花を想起させるというこのミューズが霊感源となって、ラリックは大いに鼓舞され、数々の名品が生まれる。チラシに大きく載る作品、#14 『ハットピン《ケシ》』はその代表作。茎、花びら、雄蕊、雌蕊は7つに分解でき、花びらは省胎七宝というエナメルの透かし細工で作られている。ケシの花びらの和紙のように柔らかい質感表現が見事。更に花の中に目をやると、眩い光を放つダイヤモンドが置かれた雌蕊に目がくらむ。1897年のサロンで国家買い上げになっただけのことはある、誠に美しい逸品。

3.花開くジュエリー:モティーフの展開
ラリックは少年時代を母方の実家シャンパーニュで過ごす。豊な自然に恵まれたこの地で過ごした経験は、ジュエリーのデザインにも活かされることに。ブローチ、ネックレスなどがモティーフごとに細かく区分けされて展示されている(区分けは展示ケースの上の壁に書かれている)。私が一番好きだったのは「象徴―風」のコーナーにあった、トンボとニンフのシリーズ。小ぶりでかわいらしい。

#47 『ハットピン《枯れ葉》』



手で触れるとほろほろと崩れてしまいそうな、縁が巻き上がった枯れ葉の中をのぞくと、包み込まれるように宝石が。

4.グルベンキアンの愛したラリック
カルースト・グルベンキアンは、イスタンブール出身の、石油採掘事業で巨万の富を築いた実業家。国際的にも知られる美術品コレクターであり、1899年頃にロンドンでラリックと知り合い、深い友情で結ばれた。グルベンキアンの所蔵する資料や美術品にラリックは霊感を受け、数々の傑作が生み出された。

#105 『ティアラ《雄鶏の頭》』



大粒のアメジストをくわえた雄鶏の頭部。当初はイエローダイヤがはめ込まれていたそうだ。色彩的にはこの赤紫の石の方が、とさかのエメラルド色と対比して映えるかもしれない。金の透かし彫りも繊細で見惚れてしまう。ついでに展示ケースの白い底部に投影される影も幻想的。

5.透明の世界へ
1901年のサロンへの出品作は淡い色調で統一。非対称性からシンメトリーへ、複数の色の組み合わせから単色のグラデーションへ。シンプルこそ美しいとする20世紀の美学が反映され、ガラス自体がデザインの中心になっていく。

#124 『ネックレス《木の実》』



直径約1.5cmくらいのガラスの球で出来た実が、13個並ぶ。ケースに入っているのを目で愛でる分にはいいが、観た目に結構な重量感が感じられ、長時間首にかけていたら肩が凝るのでは、と野暮な思いが頭をよぎる。

。。。とここまでざっくりきたつもりだが、カタログも買っていないのに手元のメモを見ると、後半を入れたらどうにも一記事分の文字数に収まりそうにない。振り返れば構成のところで大分スペースを取ってしまったのが痛いが、せっかく書き出したので消すのも悔しい。

というわけで、今回も2回に分けます。第Ⅱ部 煌めきのガラスは、その2で。

奇想の王国 だまし絵展

2009-08-01 | アート鑑賞
Bunkamura 2009年6月13日-8月16日



まずは公式サイトから本展の趣旨を転載:

だまし絵」は、ヨーロッパにおいて古い伝統をもつ美術の系譜のひとつです。古来より芸術家は迫真的な描写力をもって、平面である絵画をいかに本物と見違うほどに描ききるかに取り組んできました。それは、そこにはないイリュージョンを描き出すことへの挑戦でもありましたが、奇抜さだけでなく、あるときは芸術家の深い思想を含み、また時には視覚の科学的研究成果が生かされるなど、実に多様な発展を遂げました。本展覧会では、16、17世紀の古典的作品からダリ、マグリットら近現代の作家までの作品とともに、あわせて機知に富んだ日本の作例も紹介し、見る人の心を魅了してやまない「だまし絵」の世界を堪能していただきます。

開催早々、週末に行列のできる人気の展覧会。主眼が「だまし絵」ということで、正直軽い気持ちで足を運んだのだが(そして中には詰めの甘さに突っ込みを入れたくなる作品もあるにはあったが)、一巡してみればヴァリエーションに富んだ、なかなか見応えのある楽しい展覧会であった。

本展の構成は以下の通り:

第1章 イメージ詐術(トリック)の古典
第2章 トロンプルイユの伝統
第3章 アメリカン・トロンプルイユ
第4章 日本のだまし絵
第5章 20世紀の巨匠たち ―マグリット・ダリ・エッシャ―
第6章 多様なイリュージョニズム ―現代美術におけるイメージの策謀

では、章ごとに追っていきたいが、実際の展示は2→3→1→4→5→6となっていることを付記しておく:

第1章 イメージ詐術(トリック)の古典

イタリア・ルネッサンスにおける遠近法の発達により、3次元の世界を2次元に再現することが可能に。この遠近法の応用で、正面からではなく、特定の位置に立って初めて何が描かれているのかがわかるアナモルフォーズ(歪曲像)と呼ばれる画法も生まれる。

『ウェルトゥムヌス(ルドルフ2世)』 ジュゼッペ・アルチンボルド (1590頃)



ちょっとグロテスクでもあり、摩訶不思議なこの肖像画のモデルは、古代ローマの果樹と果物の神、そして季節の移り変わりを司るウェルトゥムヌスになぞらえられたルドルフ2世。要するに皇帝の統治と繁栄を祝福している肖像画なのだが、ルドルフ2世は政治への関心は薄く、学問や芸術の庇護に力を入れた人であったらしい。アルチンボルドも、この王のために骨董や珍奇な動物などの買い付けも担当していたそうだ。果物、野菜、花を整合させて肖像画に誂えるこの発想の豊かさ。構図が決まったら、描いていて楽しかっただろうな。

『ルドルフ2世、マクシミリアン2世、フェルディナント1世の三重肖像画』 パウルス・ロイ (1603年)
自分の立ち位置を動かすと、画中の人物が二人になったり一人になったり。画面が蛇腹になっていて、角度を変えることにより観える面が切り替わる仕組み。皆絵の前で右往左往。

『判じ絵-フェルディナント1世』 エアハルト・シェーン (1531‐34)



正面からでは何が描かれているのかわからないが、画面左に体を移動させて横から観ると、鼻の高い男性の顔が立ち現れる。CGもないはるか昔、鑑賞されるべき視点を固定して、細かく対比を計算しながら引き伸ばしていったのだろうか。普通の遠近法ですら相当頭を使うと思うが、こんな芸当よく出来るものだ。

第2章 トロンプルイユの伝統

トロンプルイユとは「目だまし」のこと。モティーフを本物そっくりに写実的に描きつつ、3D効果のようにこちらに飛び出してくるように鑑賞者の視覚を惑わすような楽しい作品群。

『非難を逃れて』 ペレ・ボレル・デル・カソ (1874)
チラシの表紙にある、インパクト抜群の絵。初めて知る画家。写実的で、額縁からこちら側に逃げてこようとする少年の切羽詰まった表情は臨場感がある。タイトルも意味深だが、所蔵先がマドリードのスペイン銀行というのが面白い。日頃飾っているのだろうか?

『花瓶の花』 ヤーコプ・マレール (1640年以降)


実は純粋に絵画としては最も気に入った作品。まん丸い花瓶の中に映り込むアトリエの描写が秀逸。もし1枚好きな作品を持って行ってよいと言われたら、私はこれを選ぶ。

『ヴァニタス-画家とその妻の肖像』 アントニー・ヴァン・ステーンウィンケル (1630年代)
妻が背後から支える鏡に映り込む画家の肖像。画家の被る、大きな帽子が気になった。昔の美容院で使われていた、パーマをかけるときに被る器具、もしくはたらいのよう。

『珍品奇物の棚』 ヨハン・ゲオルク・ヒンツ (1666年)
1666年といえば、ヨーロッパは17世紀の大航海時代。棚の上には大小様々な貝殻やサンゴを始め、美しく彫りの装飾がされた花瓶、宝飾品などが並ぶ。同時にさり気なく髑髏も置かれていて、ヴァニタス画の雰囲気も。中央の棚に置かれた一対の杯の、右側のものが最後まできちんと描かれていないのは何故だろう?

『食器棚』 コルネリス・ノルベルトゥス・ヘイスブレヒツ (1663年)



紙のめくれ具合など、写実的に巧く描かれている。奥行きのある棚に物が置かれていると見せかけ、その棚が扉のように開きかけている。だまし絵の王道。

『狩りの獲物のあるトロンプルイユ』 コルネリス・ノルベルトゥス・ヘイスブレヒツ (1671年)
ウサギの毛並みなどはうまく写実的に描かれていると思うが、画面右にかかる青いカーテンの質感が硬すぎていまいち。ついでにアレクサンドル=フランソワ・デポルト『果物と狩りの獲物のある静物』(1706年)も、解説に"だまし絵としてよりも静物画として優れた作品"とあるが、それほど巧いと思えなかった。画面が大きくなると、画家の技量が如実に出る。

ところで、壁に固定された紐やバンドに身の周りのものを挟み込む「伏差し」のモティーフは17世紀後半以降のトロンプルイユの典型的な意匠として人気があったとのことで、この章ではエーヴェルト・コリエ『壁の伏差し』(17世紀)サミュエル・ファン・ホーフストラーテン『トロンプルイユ-静物(伏差し)』(1664年)など、その意匠を汲む作品がズラリと並ぶ一角があった。新聞、ハサミ、櫛、メダル、ネックレスなどがたわわに差し込まれてとても賑やか。

第3章 アメリカン・トロンプルイユ

ヨーロッパで発達したトロンプルイユは、19世紀のアメリカで人気を博し、様々な作品が生み出される。CGを駆使した映画やイリュージョン系のトリックが大好きな現代のアメリカの人たちを思えば、いかにも彼らが喜びそうな世界ではなかろうか?

『インコへのオマージュ』 デ・スコット・エヴァンス (1890年頃)



インコの剥製が入ったケース。ガラスの割れ方がリアル。右下の紙には、このインコは生前フランス語を喋ったという説明が書いてあり、それには画家の「真似事が上手なのは、この画家もインコも同じ」というメッセージが隠されているそうだ。剥製であることも起因しているのだろうが、私には何やら内省的な気分になる絵だった。

『石盤-覚え書き』 ジョン・ハバリー (1895年)
私が一番だまされた絵。額縁が絵であった。つまり、他の作品同様、額に入っているものと思ってしまった。そうか、前章で観てきた伏差しの作品群も、描かれた当初は今自分が観ている状態とは異なって額に入らず、壁と一体になって皆を「だまして」いたのだ。

第4章 日本のだまし絵

西洋のだまし絵に対する日本の答えとも言うべき、幕末から明治にかけて日本の絵師たちが描いた多種多様のだまし絵作品が並ぶ。

『幽霊図』 河鍋暁斎 (1883年頃)



通常織物になっている掛け軸の絵の周囲(表具)の部分も、画家の手によって描かれているものを「描表装(かきびょうそう)」というそうだ。この作品では、首を垂れた女の幽霊が画面からこちらへ出てこようとしている。一緒に冷気までも漂ってくるよう。いいです、出てこなくて。

『正月飾図』 鈴木其一 (19世紀)
上方の立派な赤い伊勢海老と、下の方にこじんまりと鎮座する人物の対比に思わず笑ってしまった。優等生的な絵しか知らない私にとって、鈴木其一の作品で笑ったのは初めてかもしれない。

『としよりのよふな若い人だ』 歌川国芳 (1847-48年)



歌川国芳の人物を組み合わせて作る人の顔シリーズの作品と、歌川広重の障子に映る影絵で出来た隠し絵シリーズは、期間中展示替えが頻繁に行われ、私が行った時は国芳の作品は『人をばかにした人だ』が展示されていた。いずれにせよ、人体を組み合わせて顔を描くなどまさに奇想。決まった文字数に文字をはめ込んで句を作る俳句の意匠にも通ずるものを感じた。

第5章 20世紀の巨匠たち ―マグリット・ダリ・エッシャ―

イリュージョン効果を詐術的に操る手法の発展形の一つとして、20世紀のシュルレアリストの画家であるダリやマグリットの作品、そして視覚トリックと言えばこの人という感じのエッシャーの作品などを観ていく。

『囚われの美女』 ルネ・マグリット (1931年)




マグリットの作品が7点も並んでいてちょっとびっくり。確かに画面はトリッキーであるが、視覚で遊ぶというよりもイマジネーションを刺激され、静謐な思考へと誘ってくれるマグリット作品をだまし絵というカテゴリーで括られるのはちょっとした抵抗感がなきにしもあらず。とは言え、20年以上も前に東京国立近代美術館で開催された大がかりなマグリットの回顧展で観て、大判のプリントを買った『白紙委任状』(1965年)に再会できたのは感無量。

M.C.エッシャーの作品群も、皆楽しそうにのぞき込んでいた。

第6章 多様なイリュージョニズム ―現代美術におけるイメージの策謀

さて、ここでは現代美術におけるイリュージョニズムの例を探る。基本的にこれまでの章は2次元の絵画世界での勝負であったが、ここからは立体、映像、写真など表現手段は多様になる。

「small planet」シリーズより 本城直季 (2006年)



よくこんなに小さな人間の模型を作ったもんだ、と思ったら本物であるらしい。私は写真の撮影技術に関しては説明を読んでもよくわからないが、とにかくこの作家さんは実際の風景や人物をミニチュアのように見せる手法で写真を撮るそうである。周囲の風景がピンボケで、その中でうごめく人々がおもちゃのように浮き出る不思議な世界。

『虚空 No.3』 アニッシュ・カプーア (1989年)
最近よく名を聞くターナー賞受賞作家。この度、かのロンドンのロイヤル・アカデミーにて、現代美術家としては1988年のヘンリー・ムーア以来の個展を開くそうだ。それはともかく、この作品には虚をつかれた。横から観ると中が空洞の、黒い半球の断面であるのがわかるのだが、正面に回って対面すると、あるはずのない中の容量が存在を主張する。しばし横、正面と動き、不思議な感覚を味わった。虚空を見詰めるとはまさにこのこと。

『水の都』 パトリック・ヒューズ (2008年)
横長の作品で、ヴェネツィアの運河に立つ街並みが描かれている。その街並みが、自分の動きに合わせて動く。逆遠近法を駆使した手法だそうで、実は3Dの画面なのだが、本来出っ張るところを引っ込め、引っこんでいるところを出っ張らせるとこのような画面が出来るらしい。恐らくここが一番盛り上がっていたかもしれない。私が観に行ったときはマダムたちがそれは楽しそうにアクティヴに鑑賞していて、背後を注意しながらその隣の福田美蘭『壁面5°の拡がり』(1997年)を鑑賞していたのだが、案の定マダムの一人に背中をドンと押された。第1章の『ルドルフ2世、マクシミリアン2世、フェルディナント1世の三重肖像画』同様、周囲の鑑賞者の動きに気をつけられたい。

冒頭に書いたとおり、混雑が予想される展覧会。公式サイトによると、夏休みに入り平日も混み出したが、まだ週末よりは平日の方が鑑賞しやすいとのこと。また、最終日まで連日21時まで夜間延長開館しているので、13時-16時のピーク時を外し、夕方以降の時間帯がお薦めだそうだ。8月16日まで。