江戸東京博物館 2009年7月4日-9月6日
まずは、
江戸博のサイトから本展の趣旨を転載(展覧会の公式サイトは
こちら):
2007 年に世界遺産に登録されたギリシャ・コルフ島にある国立コルフ・アジア美術館には、ウィーン駐在ギリシャ大使のグレゴリオス・マノス氏が、19 世紀末から20 世紀初頭にかけて、パリとウィーンで購入した 1 万点以上におよぶ美術が所蔵されています。
そのコレクションは 1 世紀のあいだほとんど人の目に触れることがありませんでした。しかし、 2008 年 7 月に日本の研究者による大々的な学術調査が行われ、謎の浮世絵師、東洲斎写楽による肉筆扇面画が発見されたのです。これは写楽が版画での活動を終えた後の 1795 年(寛政7) 5 月に描かれたものとみられ、従来の写楽研究に大きな影響を与える大発見となりました。このほかにも、喜多川歌麿、葛飾北斎などの新出の浮世絵版画のほか、江戸城本丸にあった狩野探幽の屏風の摸本(原寸大)など絵画作品も次々と確認され、ギリシャに眠る秘宝の全貌が明らかになりました。
本展はこうした調査の成果を紹介するもので、膨大なコレクションから浮世絵、絵画など約 120 件が出品されます。真筆と確認されている写楽の肉筆画が一般に公開されるのは、世界で初めてのことです。
補足すると、マノス氏は外務省を定年退職後ジャポニスムに沸くパリに移住し、オークションを通してアジア美術の購入に全財産をつぎ込むまでに熱中。そのコレクションは、浮世絵1600点、日本絵画200点、アジアの工芸品600点に及んだ。最終的にマノス氏は、そのコレクションを総督府に全て寄贈し、美術館として一般公開する代わりにギリシャ政府からわずかな給付金と館内に一室を与えられ、余生を過ごした。
いやはや、すごいストーリーである。私がさらに驚いたのは、このマノス氏のコレクションはそれから1世紀に渡り封印され、「ギリシャ・コルフ島に日本美術コレクションの名品があるらしい」という情報が日本にもたらされたのがたった数年前だということ。世界の思わぬところに、散逸した日本美術の名品がまだまだあるのでしょう。
そんなマノス氏のコレクションを紹介する本展の構成は以下の通り:
第一章 日本絵画
第二章 初期版画
第三章 中期版画
第四章 摺物・絵本
第五章 後期版画
では、印象に残った作品とともに章ごとの感想:
第一章 日本絵画
近世初期から江戸後期までの、狩野派の屏風などを紹介。浮世絵(肉筆画)については、懐月堂派などの美人画を展示。
狩野山楽 『牧馬図屏風』 桃山時代後期・17世紀前半
紙本墨画淡彩、金泥引きの六曲1双の屏風画。野山にたくさんの馬(右隻42頭、左隻37頭)が描かれる。川でのんびり遊ぶ3頭の親子や、水を飲んだり草を食んだりと穏やかな馬たちから、連なって疾駆するもの、後ろ脚で猛々しく跳ね上がるもの、左前足を持ち上げてにらみ合うものなど動きの激しい馬たちまで、その姿態はさまざま。馬の体も白、黒っぽいもの、ブチ模様といろいろで、顔の表情も笑っていたり、目を釣り上げて怒っていたり、脱力していたり。いくら観ても観飽きない画面。
第二章 初期版画
初期とは、錦絵が誕生する明和 2 年 (1765) より前の時代、17 世紀後期からおよそ 100 年間を指す。墨摺絵(すみずりえ)から筆彩を経て、紅摺絵(べにずりえ)と呼ばれる簡単な多色摺りの時代がこれに相当。この時代の現存作品は少ないとのこと。
奥村利信 『傘を持つ若衆』 享保(1716~36) 中後期
紅彩色の中、傘の上の花や着物の家紋に金色が使われているのが目を引いた。
鳥居清忠 『初代市川門之助』 享保(1716~36) 中後期
広げた傘を肩の位置まで下ろし、体をくねらせて右後方に目をやる女性。色彩も淡く、これといってそれほど印象的な絵ではないのだが、ブロガーの皆さんのご教示に従い、屈んで斜め下から観上げてみる。と、本当に傘や着物がキラキラしている。絵の正面から観たのではわからないが、真鍮の粉が振りかけてあるそうだ。浮世絵にもこのような装飾技法が使われていたのを初めて知った。よく画面から剥離せず、残っていたものだ。
石川豊信 『花桶を持つ美人』 延亨(1744~48)~寛延(1748~51)頃
縦長の画面。幅広柱絵判紅絵、と呼ぶらしい。桶には梅、水仙、椿などが入り、華やか。美人が身につける黄色い帯もきれい。
第三章 中期版画
浮世絵版画が極彩色の錦絵に変わり、人気画師が次々と登場した時代。鈴木春信、司馬江漢、鳥居清長、歌川歌麿、勝川派などの名品が並ぶ。目玉の写楽の肉筆画もこのセクションに。
鈴木春信 『見立菊児童』 明和期(1764~72)
体を心もち後ろに反らせ、すっと川辺に立つ女性。着物の流麗かつくっきりとした線描、その着物の黒と背景の黄色や桃色の菊の花の対比が非常に美しい。
鈴木春重(司馬江漢) 『碁』 明和(1764~72)末期
司馬江漢は、20歳前後に鈴木春信に師事して鈴木春重を名乗り、版画作品を制作していたそうだ。日本における洋風画の第一人者。洋風表現を見倣っての遠近法だが、その極端ぶりが凄い。右側にある衝立はその押し潰され方にくらくらするし、碁盤の目は手前にくると線が重なってしまい、破たんしている。遠方の建物もすかすかの模型のようだ。
喜多川歌麿 『歌撰恋之部 深く忍恋』 寛政5~6年(1793~94)頃
美女の大首絵。着物の襟からにゅっと出た首の角度が独特のフォルム。美しく櫛ですいて結いあげられた大丸髷の表現(生え際や、横の透け具合)が繊細。背景には紅雲母が使われ、薄桃色にきらきら輝く。第二章で挙げた鳥居清忠の『初代市川門之助』同様、このように保存状態が良いものを観られるのは嬉しい。
喜多川歌麿 『風流六玉川』 享和(1801~04)~文化(1804~18)初期
大判錦絵六枚続。ゆっくりと川の流れに沿って左から右へ視線を走らせると、まるで華麗な絵巻を観ているよう。各画面さまざまな情景を捉え、団扇片手におしゃべりに興じる美女二人、頭に手拭いを巻いて洗濯に励む女性たち、着物の裾を持ち上げ、川に足を浸して涼む美女三人など、それぞれ二人から三人の人物が動的に、色鮮やかに描かれている。一枚ずつ観ても、全体を見渡しても構図が素晴らしい。濃い色、薄い色、グラデーションと、色彩の美しさも秀でている。
東洲斎写楽 『四代目松本幸四郎の加古川本蔵と松本米三郎の小浪』 寛政7年(1795)
これが目玉の写楽の肉筆画。単独でケースに入れられ、見やすくなっている。中国製の竹紙(ちくし)に描かれたこの作品は、いつの頃からかオリジナルの扇から鑑賞者によって剥がされ、保存されてきたという。謎の多い写楽の稀な肉筆画ということで、どちらかというと資料的価値の方が大きいのではないかと、浮世絵に詳しくない私は正直それほど期待しないでケースの前に立ったが、思いのほかオーラのある作品であった。お馴染みの役者の大胆な大首絵と異なり、恐らく八頭身くらいのプロポーションで描かれた役者の姿態、抑えられたその表情が繊細。扇にしつらえられているせいもあるだろうが、画面に光沢があって存在感があり、色彩も鮮やかだった。
第四章 摺物・絵本
摺物とは、注文制作による非売品の版画作品のこと。葛飾北斎、歌川国芳などの作品がケースの中に並んだ。
葛飾北斎 『四姓ノ内 源 小烏丸の一腰』 文政5年(1822)頃
刀を両足でつかんで飛んでいる真っ黒いカラスを真下から描いた作品。アングルも迫力あるし、真っ黒と観えたカラスも実は羽の彫りが美しい。
第五章 後期版画
19世紀前半の浮世絵作品を中心に、歌川派、菊川英山、渓斎英泉、葛飾北斎などの作品が並ぶ。
歌川豊国 『風流てらこや吉書はじめけいこの図』 享和4年(文化元年・1804)
江戸時代の書道教室。書道が苦手の私には同情を禁じ得ない情景が展開する。上方で、嘆かわしい表情で大きな口を開け、両腕が万歳状態の人。もうお手上げで、書道のお稽古なんかうっちゃりたくなってしまったのだろう。右下の眉をへの字に曲げている人も、自分の出来栄えに哀しげだ。私は他の筆記用具やPCが使える時代に生まれて助かった。
歌川豊国 『両国花火之図 三まへつゝき』 文化(1804~18)前・中期
花火を観る群衆でぎっしりの両国橋。日本人は昔から本当に花火が好きなんだなぁ、としみじみ。何年前だったか、イギリス人の友だちと花火大会に行ったとき、会場への最寄り駅に滑り込む電車の窓から眼下に押し合いへし合いの群衆を見て彼がひとこと。”Why Japanese are so desperate for fireworks?” 彼の丸い目とdesperateという単語がとても可笑しかったのを思い出す。
菱川柳谷 『風流五節句遊』 文化期(1804~18)後半頃
少女が着ている、白抜きで菊の模様が入った着物の、紫からピンクへのグラデーションがとてもきれい。
菊川英山 『風流夕涼三美人』 文化期(1804~18)
ちょっとはだけた着物の胸元、少しほつれた結い髪、気だるそうに傾けた体。何とも色香の漂う三人の美女が登場する風俗画である。着物や帯の模様、色彩もとても鮮やかで、観ていて目に楽しい。彼女らの背景には、室内で遊ぶ人々のシルエットが障子越しに見える。その影絵が絶妙。一ヶ所だけ障子が少し開いていて、酒瓶を掲げた人の手元が垣間見えるのがいい。