l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

FAN DAY 2009 (@国立西洋美術館)

2009-07-31 | アートその他
国立西洋美術館 2009年7月11日-12日



もう大分日が経ってしまったが、一応書き留めておこう。

暑さの厳しい週末の午後遅く、西洋の版画作品でも観て涼もうかと向かった国立西洋美術館。敷地内に足を踏み込むと、館外では何やら野外コンサートの最中で人だかりができており、館内もやけに人が多くざわざわと賑わっている。観覧無料の日にしてもどこか様子が違うし、なにごとだろう?

あ、そうか!前にチラシだけはもらっていた。西美の『FAN DAY 2009』という催しは今週末だったのだ。ギャラリー・トーク、館内建築ツアー、版画の技法のデモンストレーション、前庭コンサート(「地獄の門」の前でのコンサート、と説明にあり、ちょっと笑ってしまった)など、イベントが盛りだくさんで、なかなか盛況の様子。

この日は常設展のみならず、「ル・コルビュジェと国立西洋美術館」展(8月30日まで)と「かたちは、うつる」展(8月16日まで)も、420円ながら無料であった。私はいかんせん時間がなかったので、「かたちは、うつる」展へ直行。感想はその1その2と2回に分けて書いたので、よろしかったらご覧ください。

さて、入口で頂いたものの中に、世界遺産登録に向けて盛り上がっている西洋美術館の建物の模型を作る、ペーパークラフト・キットが入っていた。



私は子供の頃から自他共に認める手先が不器用な人間で、学校の美術の授業では、絵はともかく工作の類は大の苦手だった。小学生のときに粘土で顔を造る宿題が出た時、あろうことか私は、家にあった群馬県の高崎名物「だるま弁当」のふた、要するにだるまさんの顔の型に粘土を押し込め(これがドンピシャの量だった)、そのまま提出したつわもの。今思えば、いくらやる気がなかったからと言って、我ながらよくそんな暴挙に走れたものだと思うが。。。

と、お恥ずかしい話をしたところで、そんな私が、なぜかその西美の模型を作ってみたくなった。カッターと糊を用意し、黙々と作業開始。紙が思いのほか厚みがあり、部品および各部分の糊しろが小さいのでうまく貼りつかず、ちょっとだけ難儀したが、ちゃんと作れた。自慢にもならないが。




写楽 幻の肉筆画 ギリシャに眠る日本美術~マノスコレクションより

2009-07-30 | アート鑑賞
江戸東京博物館 2009年7月4日-9月6日



まずは、江戸博のサイトから本展の趣旨を転載(展覧会の公式サイトはこちら):

 2007 年に世界遺産に登録されたギリシャ・コルフ島にある国立コルフ・アジア美術館には、ウィーン駐在ギリシャ大使のグレゴリオス・マノス氏が、19 世紀末から20 世紀初頭にかけて、パリとウィーンで購入した 1 万点以上におよぶ美術が所蔵されています。
 そのコレクションは 1 世紀のあいだほとんど人の目に触れることがありませんでした。しかし、 2008 年 7 月に日本の研究者による大々的な学術調査が行われ、謎の浮世絵師、東洲斎写楽による肉筆扇面画が発見されたのです。これは写楽が版画での活動を終えた後の 1795 年(寛政7) 5 月に描かれたものとみられ、従来の写楽研究に大きな影響を与える大発見となりました。このほかにも、喜多川歌麿、葛飾北斎などの新出の浮世絵版画のほか、江戸城本丸にあった狩野探幽の屏風の摸本(原寸大)など絵画作品も次々と確認され、ギリシャに眠る秘宝の全貌が明らかになりました。
 本展はこうした調査の成果を紹介するもので、膨大なコレクションから浮世絵、絵画など約 120 件が出品されます。真筆と確認されている写楽の肉筆画が一般に公開されるのは、世界で初めてのことです。

補足すると、マノス氏は外務省を定年退職後ジャポニスムに沸くパリに移住し、オークションを通してアジア美術の購入に全財産をつぎ込むまでに熱中。そのコレクションは、浮世絵1600点、日本絵画200点、アジアの工芸品600点に及んだ。最終的にマノス氏は、そのコレクションを総督府に全て寄贈し、美術館として一般公開する代わりにギリシャ政府からわずかな給付金と館内に一室を与えられ、余生を過ごした。

いやはや、すごいストーリーである。私がさらに驚いたのは、このマノス氏のコレクションはそれから1世紀に渡り封印され、「ギリシャ・コルフ島に日本美術コレクションの名品があるらしい」という情報が日本にもたらされたのがたった数年前だということ。世界の思わぬところに、散逸した日本美術の名品がまだまだあるのでしょう。

そんなマノス氏のコレクションを紹介する本展の構成は以下の通り:

第一章 日本絵画
第二章 初期版画
第三章 中期版画
第四章 摺物・絵本
第五章 後期版画

では、印象に残った作品とともに章ごとの感想:

第一章 日本絵画
近世初期から江戸後期までの、狩野派の屏風などを紹介。浮世絵(肉筆画)については、懐月堂派などの美人画を展示。

狩野山楽 『牧馬図屏風』 桃山時代後期・17世紀前半
紙本墨画淡彩、金泥引きの六曲1双の屏風画。野山にたくさんの馬(右隻42頭、左隻37頭)が描かれる。川でのんびり遊ぶ3頭の親子や、水を飲んだり草を食んだりと穏やかな馬たちから、連なって疾駆するもの、後ろ脚で猛々しく跳ね上がるもの、左前足を持ち上げてにらみ合うものなど動きの激しい馬たちまで、その姿態はさまざま。馬の体も白、黒っぽいもの、ブチ模様といろいろで、顔の表情も笑っていたり、目を釣り上げて怒っていたり、脱力していたり。いくら観ても観飽きない画面。

第二章 初期版画
初期とは、錦絵が誕生する明和 2 年 (1765) より前の時代、17 世紀後期からおよそ 100 年間を指す。墨摺絵(すみずりえ)から筆彩を経て、紅摺絵(べにずりえ)と呼ばれる簡単な多色摺りの時代がこれに相当。この時代の現存作品は少ないとのこと。

奥村利信 『傘を持つ若衆』 享保(1716~36) 中後期
紅彩色の中、傘の上の花や着物の家紋に金色が使われているのが目を引いた。

鳥居清忠 『初代市川門之助』 享保(1716~36) 中後期
広げた傘を肩の位置まで下ろし、体をくねらせて右後方に目をやる女性。色彩も淡く、これといってそれほど印象的な絵ではないのだが、ブロガーの皆さんのご教示に従い、屈んで斜め下から観上げてみる。と、本当に傘や着物がキラキラしている。絵の正面から観たのではわからないが、真鍮の粉が振りかけてあるそうだ。浮世絵にもこのような装飾技法が使われていたのを初めて知った。よく画面から剥離せず、残っていたものだ。

石川豊信 『花桶を持つ美人』 延亨(1744~48)~寛延(1748~51)頃
縦長の画面。幅広柱絵判紅絵、と呼ぶらしい。桶には梅、水仙、椿などが入り、華やか。美人が身につける黄色い帯もきれい。

第三章 中期版画
浮世絵版画が極彩色の錦絵に変わり、人気画師が次々と登場した時代。鈴木春信、司馬江漢、鳥居清長、歌川歌麿、勝川派などの名品が並ぶ。目玉の写楽の肉筆画もこのセクションに。

鈴木春信 『見立菊児童』 明和期(1764~72)
体を心もち後ろに反らせ、すっと川辺に立つ女性。着物の流麗かつくっきりとした線描、その着物の黒と背景の黄色や桃色の菊の花の対比が非常に美しい。

鈴木春重(司馬江漢) 『碁』 明和(1764~72)末期
司馬江漢は、20歳前後に鈴木春信に師事して鈴木春重を名乗り、版画作品を制作していたそうだ。日本における洋風画の第一人者。洋風表現を見倣っての遠近法だが、その極端ぶりが凄い。右側にある衝立はその押し潰され方にくらくらするし、碁盤の目は手前にくると線が重なってしまい、破たんしている。遠方の建物もすかすかの模型のようだ。

喜多川歌麿 『歌撰恋之部 深く忍恋』 寛政5~6年(1793~94)頃



美女の大首絵。着物の襟からにゅっと出た首の角度が独特のフォルム。美しく櫛ですいて結いあげられた大丸髷の表現(生え際や、横の透け具合)が繊細。背景には紅雲母が使われ、薄桃色にきらきら輝く。第二章で挙げた鳥居清忠の『初代市川門之助』同様、このように保存状態が良いものを観られるのは嬉しい。

喜多川歌麿 『風流六玉川』 享和(1801~04)~文化(1804~18)初期



大判錦絵六枚続。ゆっくりと川の流れに沿って左から右へ視線を走らせると、まるで華麗な絵巻を観ているよう。各画面さまざまな情景を捉え、団扇片手におしゃべりに興じる美女二人、頭に手拭いを巻いて洗濯に励む女性たち、着物の裾を持ち上げ、川に足を浸して涼む美女三人など、それぞれ二人から三人の人物が動的に、色鮮やかに描かれている。一枚ずつ観ても、全体を見渡しても構図が素晴らしい。濃い色、薄い色、グラデーションと、色彩の美しさも秀でている。

東洲斎写楽 『四代目松本幸四郎の加古川本蔵と松本米三郎の小浪』 寛政7年(1795)



これが目玉の写楽の肉筆画。単独でケースに入れられ、見やすくなっている。中国製の竹紙(ちくし)に描かれたこの作品は、いつの頃からかオリジナルの扇から鑑賞者によって剥がされ、保存されてきたという。謎の多い写楽の稀な肉筆画ということで、どちらかというと資料的価値の方が大きいのではないかと、浮世絵に詳しくない私は正直それほど期待しないでケースの前に立ったが、思いのほかオーラのある作品であった。お馴染みの役者の大胆な大首絵と異なり、恐らく八頭身くらいのプロポーションで描かれた役者の姿態、抑えられたその表情が繊細。扇にしつらえられているせいもあるだろうが、画面に光沢があって存在感があり、色彩も鮮やかだった。

第四章 摺物・絵本
摺物とは、注文制作による非売品の版画作品のこと。葛飾北斎、歌川国芳などの作品がケースの中に並んだ。

葛飾北斎 『四姓ノ内 源 小烏丸の一腰』 文政5年(1822)頃
刀を両足でつかんで飛んでいる真っ黒いカラスを真下から描いた作品。アングルも迫力あるし、真っ黒と観えたカラスも実は羽の彫りが美しい。

第五章 後期版画
19世紀前半の浮世絵作品を中心に、歌川派、菊川英山、渓斎英泉、葛飾北斎などの作品が並ぶ。

歌川豊国 『風流てらこや吉書はじめけいこの図』 享和4年(文化元年・1804)
江戸時代の書道教室。書道が苦手の私には同情を禁じ得ない情景が展開する。上方で、嘆かわしい表情で大きな口を開け、両腕が万歳状態の人。もうお手上げで、書道のお稽古なんかうっちゃりたくなってしまったのだろう。右下の眉をへの字に曲げている人も、自分の出来栄えに哀しげだ。私は他の筆記用具やPCが使える時代に生まれて助かった。

歌川豊国 『両国花火之図 三まへつゝき』 文化(1804~18)前・中期
花火を観る群衆でぎっしりの両国橋。日本人は昔から本当に花火が好きなんだなぁ、としみじみ。何年前だったか、イギリス人の友だちと花火大会に行ったとき、会場への最寄り駅に滑り込む電車の窓から眼下に押し合いへし合いの群衆を見て彼がひとこと。”Why Japanese are so desperate for fireworks?” 彼の丸い目とdesperateという単語がとても可笑しかったのを思い出す。

菱川柳谷 『風流五節句遊』 文化期(1804~18)後半頃
少女が着ている、白抜きで菊の模様が入った着物の、紫からピンクへのグラデーションがとてもきれい。

菊川英山 『風流夕涼三美人』 文化期(1804~18)



ちょっとはだけた着物の胸元、少しほつれた結い髪、気だるそうに傾けた体。何とも色香の漂う三人の美女が登場する風俗画である。着物や帯の模様、色彩もとても鮮やかで、観ていて目に楽しい。彼女らの背景には、室内で遊ぶ人々のシルエットが障子越しに見える。その影絵が絶妙。一ヶ所だけ障子が少し開いていて、酒瓶を掲げた人の手元が垣間見えるのがいい。

内海聖史展 ― 千手 ―

2009-07-22 | アート鑑賞
ギャラリエ アンドウ 2009年7月7日-7月25日



「個展が決まると、まずその展示場所の模型を作り、全体でどう観せるかという大枠を捉えて出展作品の大きさ、色彩のバランスを構想します」

この個展に先立ち、6月30日から7月12日までスパイラルガーデンで開かれていた内海聖史さんの個展「色彩のこと」を観に行った際に、ちょうど会場にいらした作家さんご本人から伺った言葉の一つである。

そんな作家さんの新作を、初めて行くギャラリーで拝見できるのだから胸が高鳴る。今回はどんな色彩空間に誘ってくれるのだろう?

ギャラリーのドアを開けた瞬間、ふわっと何かに包まれたような感覚がした。変形した台形のような形の、床も壁も天井も真白な小さな空間。壁の高い位置に、同じ大きさ(70x64cm)の色とりどりの12枚の作品が、四方を取り囲むように整然と並んでいる。観上げているとギャラリーの方がいらして、照明の照度を上げて下さった。展示位置が高くて照明に近いため、作品への負担を配慮して調節しているとのこと。

右手の壁から、青味の強い紫→紫→赤紫→赤→ピンク→オレンジ→山吹→レモン→黄緑→緑→濃緑→青、と色彩の移り変わりが心地よく流れていき、一周するとまた最初の1枚に戻りたくなる。当初、個展のタイトル「千手」にある通り、千手観音の四方八方に伸びる手のように、壁にランダムに展示する構想だったが、実際に現場に足を運んでから再考し、このように壁の高い位置に横一列に並べる形に落ち着いたそうだ。3枚、3枚、4枚、2枚、とそれぞれの壁の幅に合わせた枚数が同間隔で収まっている。まるであつらえたかのように。

内海さんのドット作品には、大き目のドットを筆で描いていくものもあるが、今回はすべて綿棒で絵の具をキャンバスの上に置いていく手法の作品群。下から観上げることによってそのクレーターのようなマチエールが見て取れる。パレット上で絵の具を混ぜ、綿棒でそれをすくい取って慎重にキャンバスに置いていく作家の息遣いが聞こえてきそうだ。今回の新作では、それぞれ基幹の色に入り込む色も増え、隣接色も補色も画面をより芳醇にしているように感じた。

内海さんはまさに「色彩の人」。

「千手」は今週土曜日、7月25日までの開催。残るところあと三日しかないが、サイト・スペシフィックな内海ワールドは個展ごとにその場に立ち会わないと味わえないので、是非観に行かれることをお薦めします。どうしても足を運べない方には、Takさんのこちらの記事がお薦め。スパイラルガーデンでの「色彩のこと」と合わせ、画像とともに内海作品の魅力を余すことなく伝える素晴らしいレポートとなっています。

尚、来月は京都のeN artsというギャラリーで内海さんの次の個展が開催されます。8月1日から30日まで、金土日のみの開廊だそうです。

かたちは、うつる 国立西洋美術館所蔵版画展 その2

2009-07-20 | アート鑑賞
国立西洋美術館 2009年7月7日-8月16日



その1からの続き。

うつせみⅠ ― 虚と実のあいだの身体
西洋の古典主義において、人体は特別な関心であり続けた。それは可視的な形態でありながら、生の肉体を越えた精神性を帯びるものでなくてはならず、15世紀にローマで発見された『ベルヴェデーレのアポロン』は、身体表現の規範とされた彫像。その理想的形態は、デューラーなどによって作品に応用されていく。

『ベルヴェデーレのアポロン』 ヘンドリク・ホルツィウス (1592頃)



『アダムとエヴァ』 アルブレヒト・デューラー (1504)



うつせみⅡ ― 身体の内と外
ルネッサンス以降の芸術にあっては、理想的身体像の輪郭を剥ぎ取り、その内部を可視化しようとする視線も顕在化。カラッチ一族が創設したアカデミーでは、芸術科の教育のために死体解剖が実演されていたとも伝えられる。一方で、アルプス以北では「死の舞踏」という主題において「死」の擬人像がたびたび描かれるようになる。

『死と名声の寓意』(ロッソ・フィオレンティーノの原画) アゴスティーノ・ヴェネツィアーノ(アゴスティーノ・デ・ムージ) (1518)



中央の有翼の骸骨と隣の両性具有の人は何を論じ合っているのだろう。骸骨が指し示す本には何が書かれているのか?右側に群がる人々は、レオナルド・ダ・ヴィンチの『東方三博士の礼拝』の引用だそうだ。

『エゼキエルの幻視』(ジョバンニ・バッティスタ・ベルターニの原画) ジョルジョ・ギージ (1554)



旧約聖書「エゼキエル書」からの主題。エゼキエルは骨の散らばる谷で神に促され、復活を宣言。すると骨には筋と肉が生じ、皮で覆われ、群衆となった。骨や筋の描写が標本的。空の雲や背景の岩場の描写もなんだか人体の部位に観えてしまったりして。

『線路の上で』 (死についてⅠ)より マックス・クリンガー (1889)



『通称ミネルヴァ・メディカ神殿』 ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ (1764頃)



ピラネージの作品中、最も有名な連作「ローマの景観」からの一点。建造物でありながら、まるで生き物がうごめいているような、えもいわれぬ妖気が漂う。ピラネージには建築家、考古学者としてのバックグラウンドがあり(画面左下の解説では”ここの内部はかつて大理石で装飾されていた”等、書き記されている)、この一見壮大な妄想的世界も確固たる足場の上に堂々と構築されているように観える。

第2部 回帰するイメージ
主題、意味は異なりながらも、さまざまな作品に見出される類似し合う定型的な「かたち」を観ていく。細かくセクションが分かれるが、平易なセクションのタイトルに見合った作品群が並ぶ。

落ちる肉体

『イクシオン』(コルネリス・ファン・ハールレムの原画) ヘンドリク・ホルツィス (1588)



すごいアングルである。円の中心からの強力な吸引力にこちらも吸い込まれ、イクシオンと一緒に落下していきそうだ。

受苦の肢体
キリストの鞭打ちなど、キリスト教の受苦を主題にしたデューラーらの作品や、ゴヤの「戦争の惨禍」シリーズからの作品などが並ぶ。

暴力の身振り
文字どおり、暴力のシーンのオンパレード。聖書、神話の主題から、椅子を振り上げ、夫に殴りかかる妻を描いたオノレ・ドーミエの風刺画までさまざま。ちなみに本記事のあたまに画像を取り入れているチラシの表面の7作品は、すべてこのセクションから。皆いろんなものを振り上げて、怖いでしょう?

人間≒動物の情念
古代から西洋にある、動物学的な観相学(動物の外見の中に人間的な性格を見出し、人間の相貌の中に動物の性格を映しみるという思考)の観点から作品を観る。

『人間観相学について』 ジョヴァンニ・バッティスタ・デッラ・ポルタ (1586)



このように図鑑のごとく大真面目に作品にされると余計おかしみが増す。この作品の前でクスクス笑う人、私以外にもいました。性格はともかく(そもそも馬とか犬とか、種別で性格のカテゴライズをするのは無理な話)、確かに馬面なんて言葉もあることだし。

『安息日の夜、馬を駆るファウストとメフィストフェレス』 (ゲーテ『ファウスト』より) ウジェーヌ・ドラクロワ (1828)



ほとんどバランスを崩しそうになりながら疾駆する2頭の馬がいかにもドラクロワだと思ったが、よく観ると顔の表情が人間っぽい。

踊る身体
文字通りドレスを翻して踊るダンサーを描いた、ジュール・シェレ作の『フォリー・ベルジェールのポスター:ロイ・フラー』から、岩場に縛り付けられてもがくアンドロメダを描いたウィレム・ファン・スワーネンブルク『ペルセウスとアンドロメダ』まで、身を躍らせているシーンを描いた作品が並ぶ。

『悪魔つきの女』 ジャック・カロ



悪魔に取りつかれて自分の体をコントロールできなくなったのだろうか。覚束ない足元で後ろにしな垂れかかり、背後の男性に抱きかかえられる女性の顔は口を大きく開き、正気を失っている。画面を装飾するフレームに並ぶ顔も不気味な様相。オカルティックな感じすらする。

輪舞
ルネッサンスの画家たちが古代芸術の中に見いだしたものの一つが「輪舞」。ゴヤはこの循環の形態にこだわった。「妄」シリーズから2作品が出ているが、不思議な世界。

『女の妄』 フランシスコ・ゴヤ (1820-23年頃)



『陽気の妄』 フランシスコ・ゴヤ (1820-23年頃)



以上、記事で取り上げた作品はほんの一部。観覧料420円で楽しめますので(部屋も暗めでヒンヤリと涼しいです)、夏の日のそうめんのごとくお薦めです。

かたちは、うつる 国立西洋美術館所蔵版画展 その1

2009-07-19 | アート鑑賞
国立西洋美術館 2009年7月7日-8月16日



国立西洋美術館開館当時、24点であった版画コレクションは、現在3,747点。ルネッサンス期のデューラーらに始まり、17世紀のカロやレンブラント、18世紀のピラネージやゴヤ、19世紀のドーミエやクリンガーなど、西洋版画史を代表する優品を多数所蔵している。紙とインクというデリケートな作品の性質上、常設展示は難しいが、開館50周年を記念して、選りすぐりの127点を一挙公開。

構成は以下の通り:

序 うつろ―憂鬱・思惟・転写

第1部 現出するイメージ

   うつしの誘惑Ⅰ ― 顔・投射・転写
   うつしの誘惑Ⅱ ― 横顔・影・他者
   うつしだす顔 ― 肖像と性格
   うつる世界Ⅰ ― 原初の景色
   うつる世界Ⅱ ― 視線と光景
   うつせみⅠ ― 虚と実のあいだの身体
   うつせみⅡ ― 身体の内と外

第2部 回帰するイメージ

   落ちる肉体
   受苦の肢体
   暴力の身振り
   人間≒動物の情念
   踊る身体
   輪舞

かなり細分化された構成で、それぞれの説明パネル(しかも往々にして概念的)も結構なヴォリューム。一つ一つ丁寧に読み、考えていると時間がかかるが、時間が許すならそれらを吟味しつつゆっくり観られればベストだと思う。が、出展数も多く、作品も小さいので、まず作品の前に行って版画の手触りを楽しんでもよろしいのではないかと。版画作品も、印刷物で観るのとは質感が全く違います。

では、各章ごとにざっくり記していきたい:

序 うつろ―憂鬱・思惟・転写
頬杖をつくポーズは西洋美術史上に繰り返し登場する定型。中世においては、多くは「怠惰」「憂鬱質(メランコリー)」に結びついていた。デューラーの時代になると、卓越した創造者としての意味も与えられ、両義性を持つように。これ以降、異なる文脈の中で解釈され、形象化されていく。

『メレンコリアⅠ』 アルブレヒト・デューラー (1514)



本展は、いきなり真打登場で幕を開ける。石段の上に腰を下ろし、大きなコンパスを片手に頬杖をついて思索にふける女性の眼光の鋭さ(画像では取り込めないが、実作品では迫力満点)。それぞれどんな意味を持つのか、周りを取り囲む種々の事物。線や点で表現された繊細な陰影。濃密な画面の前からなかなか動けない。

『理性の眠りは怪物を生む』 フランシスコ・デ・ゴヤ (1799)



作品の制作途中で机の上に突っ伏して眠るゴヤの自画像。眠りによって理性が解除されると、背後にこうもり、ミミズク、山猫のような怪物が跳梁跋扈。傍らのミミズクもどきがペンをゴヤに差出し、制作を促す。非理性の想像力がゴヤの創造の霊感源であることを示唆している、と解説にあった。要するに頭で抑え込まず、感性を解き放て、ということだろうか?

『貧しき食事』 パブロ・ピカソ (1913)



「青の時代」の画風そのままの雰囲気。左側の盲目の男性は両手を隣の女性の体に添え、その引き伸ばされた長い指で女性の存在を確かめているふう。互いに顔を背けているが、男の右手と女の左手、男の左手と女の右手が呼応している。ピカソは版画作品を2000点ほど残したそうだ。

第1部 現出するイメージ
日本語の「うつる」は様々な漢字に転換できる。「映る」(反射、投影する)、「写る」(転写する、刻印する)、「移る」(移動する、伝染する)。これら三つはすべて同語源であり、「ウツ(空/虚)」の活用。そう考えると、「うつる」とは、目に見える像が生まれること、次いでそれが変化していくこと。

英語では、projection(投影、映写、突出)、imprint(刻印、印象、面影)、reflection(反射、影響、反省)。projectionと imprintの違いは、前者には「距離」が前提とされ、後者は「接触」「内面化」が必要とされること。

例えば、ナルキッソスが覗き込む泉の中の自分の投影や、大プリニウスが博物誌に述べる「絵画芸術の起源は人の影の輪郭をなぞったこと」という逸話はprojectionであるし、ヴェロニカの聖顔布などの遺物はimprintといえる。このように古代の神話や逸話の中の中に含まれる起源的なイメージと、中世のキリスト教的思考が生み出した原型的な像とでは、その現出の仕方が異なる。この章では、そのような「現出するイメージ」とその変容に焦点があてられる。

うつしの誘惑Ⅰ ― 顔・投射・転写
「友情がそうであると同様、不在の人を現出させるばかりでなく、死んだ人を、ほとんど生きているかのようにする神のような力をもっている」というアルベルティの言葉が引用され、彼が「絵画」の発明者の地位に据えたナルキッソス主題の作品としてジャック・カロ、オノレ・ドーミエの版画作品が並ぶ。その他アンリ・マティスのずばり『版画を彫るアンリ・マティス』((肝心の手元の描写がぞんざいなのはなぜ?)、エドヴァルド・ムンク『眼鏡を掛けた自画像』なども並ぶ。私はカリエールの闇から浮き出るヌメ~っとした肖像画が一番印象に残った。

『ポール・ヴェルレーヌ』 ウジェーヌ・カリエール (1896)



うつしの誘惑Ⅱ ― 横顔・影・他者
前出の、大プリニウスの記した逸話「ある娘が、壁に投影された恋人の影をなぞったことから絵画が生まれた」が引き合いに出され、それが横顔であり、ナルシスティックな自己愛ではなく、「他者への愛」である点に注目。『シルエットを描くための確実で簡便な機械』なるものが紹介されていた。横顔の肖像画は15世紀のイタリアで描かれるようになり、16世紀になると版画においてもプロフィール形式の肖像が描かれるようになる。デューラー、カロ、ゴヤなどの横顔の作品が並ぶ。

うつしだす顔 ― 肖像と性格
版画という複製メディアで肖像画が盛んに制作されるようになったのは16世紀のドイツ。統治者、学者、宗教者などの顔が多く描かれ、大衆に広められた。この宣伝効果を持つ肖像版画は版画家自身もモデルとなっていく。

『ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ寛大公』 ゲオルク・ペンツ



毛皮の質感や凝った袖のデザインなど人物像自体の細かい描写ですら大変だと思うが、周りをずらりと取り囲む沢山の紋章もよく入れこんだものだと芸の細かさに感心してしまう。選帝侯の肖像画としてはそれらがなくては意味がないのでしょうけど。

『ジャック・カロの肖像(ヴァン・ダイクの『イコノグラフィ(肖像版画集)』より)』 ルカス・フォルステルマン(父) 



何年か前に、西美で観た『戦争の惨禍』が強烈な印象だった版画家カロの肖像。タレ目気味ながらなかなか理知的で、おしゃれな印象。背景の処理にも工夫が見られる。今回初めて知ったが、肖像画家アンソニー・ヴァン・ダイクは『イコノグラフィ』という著名人の肖像版画集を残しており、この作品はそこからの1枚。ヴァン・ダイク自身の手によるエッチング作品は18点しかなく、残りはエングレーヴィングの専門家に委ねられており、このカロの肖像は、ヴァン・ダイクの下絵を元にルーベンス作品の複製版画家として名高いルカス・フォルステルマン(父)が彫版したもの。

『柔らかい帽子と刺繍付きの外套をまとった自画像』 レンブラント・ファン・レイン (1631)



『東洋風を装った自画像』 レンブラント・ファン・レイン (1634)



自画像といえばこの人。版画作品でも当然コスチュームでポーズ。

うつる世界Ⅰ ― 原初の景色
18世紀のヴェネツィアに生まれたジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージやクロード・ロランらによる古代ローマの世界と、西洋美術史上初めて純然たる「風景画」を生み、森に古代的なものをみた16世紀初頭のドナウ派の流れをくむドイツの版画家たちの作品が並ぶ。ルカス・クラナハ(父)の繊細な画風の『聖ヨハネス・クリュソストムスの改悛』(1509)、頭上で踊る二体の骸骨が印象的なロドルフ・ブレダン『死の喜劇』(1861)、動感のあるピラネージ『骸骨』などが観どころ。

うつる世界Ⅱ ― 視線と光景
「うつし」とは人間を映し出すイメージばかりではない。人間の主体的な意図とは無関係に生じるもの。例えば差し込む光、移ろう映像、浮かび上がるシルエット。ここでは、画家の光への関心、変幻する世界を構築しようとする意志という観点から、風景、都市の景観などを写し取った作品が並ぶ。

『三本の木』 レンブラント・ファン・レイン (1643)



主役は3本の木としながら、それらが落とす影、左上に現れる斜線、空模様の陰影など光や大気の表現に重点が置かれているように思う。

『写真術を芸術の高みにまでひきあげるナダール』 



ドーミエの風刺画。写真によって肖像画家の地位は脅かされた。ナダールは風刺画家から肖像写真家に転身した人物で、1858年には気球からのパリの眺望を空中撮影することに成功したそうだ。傾く気球もなんのその、帽子を吹き飛ばされてもカメラのファインダーからは絶対目を離さない。眼下の建物はPHOTOGRAPHIEの看板だらけ。

ざっくりと言いながら思いのほか長くなってしまったので、文字数の関係上いったんここで切り、その2に続く。

やまと絵の譜

2009-07-11 | アート鑑賞
出光美術館 2009年6月6日-7月20日



前回の水墨画に続いて、今回は出光美術館で「やまと絵」のお勉強。公式サイトにとてもわかりやすい説明があったので、ここにそのまま抜粋しておく:

「やまと絵」という言葉の発生は、平安時代にさかのぼります。古くは、中国の風景を描いた絵画を「唐絵」と呼んだのに対し、「やまと絵」はこの国の様子を写した絵画でした。その後、鎌倉時代に中国より水墨画の技法が伝わってからは、様式や流派までをも含む言葉へと広がってゆきます。このように、本来「やまと絵」は、水墨画のように特定の技法や主題とははっきりと結びつかない言葉でした。それゆえ、用いる立場や時代によってその意味は大きく揺らぎ、さまざまな解釈を生みます。

本展では、時間の経過にその変遷を追うのではなく、自ら「やまと絵」の継承者だと主張した江戸時代の浮世絵師たちから展観をはじめます。その上で、江戸時代以前に誕生した作品を眺め直し、「やまと絵」の新たなイメージを探ります。

本展の構成は以下の通り:

第一章 「うつつ」をうつす―「やまと絵」と浮世絵
第二章 「物語」をうつす―「やまと絵」絵巻の諸相
第三章 「自然」をうつす―「やまと絵」屏風とその展開

では、各章ごとに印象に残った作品を挙げながら記していきたい:

第一章 「うつつ」をうつす―「やまと絵」と浮世絵
この国に暮らす人々の身近な題材を取り上げるという伝統に惹かれ、自らを「やまと絵」の画家と位置付けた浮世絵師たち。このジャンルを大成させた菱川師宣、その誕生に大きな役割を果たした岩佐又兵衛、都市の風俗を描く英一蝶などの作品を中心に、「やまと絵」の系譜をたどる。

『二美人図』 伝菱川師宣 江戸時代
屏風の前の女性は、ちょっと変わった態勢で座って思案顔(着物の袖から手が出ていないが、中で腕組みでもしているのだろうか?)、対面する小間使い風の少女は正座して一生けん命硯で墨を擦っている。画讃の中に「すずりのうみのふかきおもひを」とあり、女性は恋文の文面を考え、お付きの少女にその恋文をしたためるための墨を擦らせているらしい。自分で擦ったら、より想いがこめられそうだが。

『立姿美人図』 菱川師宣 江戸時代



いかにも師宣といった感じの、S字型に立つ美人図。文様も細かく描き込まれた赤い着物が鮮やかで美しく、モノクロームで御所車が描かれた帯も風流な感じ。やっぱり師宣の美人画は美しいものだ。

『江戸風俗図巻』 菱川師宣 江戸時代

  *部分

扇屋さん、桶屋さんに始まって、お花見、屋形船など江戸のさまざまな情景、風俗が季節を追って描き込まれた絵巻。たくさん人物が描き込まれているが、とてもすっきりした画面。人物も一人一人丁寧に描かれていて、特に後半で男女入り交って円になって踊っているシーンは見事だと思った。

『四季日待図巻』 英一蝶 江戸時代
「日待(ひまち)」とは、特定の日に夜を明かして日の出を拝む神事。画面を見ると結構どんちゃん騒ぎで、神聖というより楽しそうな行事だ。庭では鳥をさばいている人、日本酒を天秤棒で売りに来る人、はしゃぐ子供たち。家の中では煮炊きしたり、太鼓を打ち鳴らして踊り狂う人々。南蛮風の仮装をした人もいる。2階では、そんな騒ぎに朝までついていけない二人の老人が寝入っていて、子憎が起こしにかかるところ。でもほら、左の方に、もう太陽が顔を出そうとしている!これは、一蝶が流罪先の三宅島で描いた作品だそうである。

『桜花紅葉図』 英一蝶 江戸時代



春と秋の風情が対になった双幅の作品。右幅には桜と、2羽の燕。一羽は桜の枝に結わえられた短冊と戯れ、もう1羽は背を下にアクロバティックな態勢で宙に舞う。横を桜の花びらがはらり。頭頂がほんのり赤くてかわいい。左幅には葉が紅に色づいた楓と、その枝に止まって横の短冊に目をやる鶺鴒(せきれい)が1羽。こちらは落ち着いた風情。左端に描かれている幹は、解説にある通りなるほど狩野派っぽい。一蝶は、はじめ狩野派(狩野安信)に学んだそうだ。

『職人尽図巻』 岩佐又兵衛 江戸時代
猿回しや獅子舞の一団など、芸人集団が活き活きと描かれている。獅子の頭を振りまわして踊る人の背中で、風をはらんでふわりと舞う布、その周りで踊りながら太鼓を囃す人たち。中にはバック転をする人まで。その横で体をくの字にして笑う大黒様はいかにも楽しそうだ。笑う門には福来たる。

『野々宮図』 岩佐又兵衛 江戸時代



「源氏物語」の「賢木(さかき)」の段に題材を取った作品。六条御息所への未練から、光源氏が嵯峨野の野々宮までやってきたところ。体を後ろに反らし気味にし、口を軽く開ける源氏の視線の先には何が見えるのだろうか。源氏の着る着物の、モノクロームながら繊細な表現に観入った。

『江戸名所図屏風』 筆者不詳 江戸時代
八曲1双の図屏風で、横幅が一つ5m近くある。金地着色のきらびやかな屏風。"新興都市"江戸を俯瞰した絵画として現存最古の作品だそうで、上野、浅草から芝浦辺りまでを網羅してある。街中では、大勢の従者を引き連れ通りを行く殿様、建築現場で働く人々、荷を牛に曳かせる人など様々な仕事に従事する人から通行人まで大勢の人々が行き交う。川にも大小たくさんの船が浮かび、釣り糸を垂れる人、貨物を運搬する人、遊覧する人さまざま。建物の中ではそばを打つ人、鍛冶を打つ人、囲碁を打つ人、膝枕で耳掃除をしてもらっている人、観劇に興じる人々、踊る人々、などなど。とにかく家の中も外も、川の上も橋の上も、働く人々、遊ぶ人々でぎっしり。何とその数2000人以上。よくもまぁこれだけ描き込んだものだ。しかも人々の表情が皆明るく、生活を楽しんでいる様子。東京にこんな活気が戻るのはいつのことか?

第二章 「物語」をうつす―「やまと絵」絵巻の諸相
平安時代以降、日本に生まれた物語が隆盛し、12世紀にその内容が「やまと絵」と結びついて絵巻に描かれるようになる。説話や社寺の成り立ちにまつわる霊験譚など、人々が親しみ、語り継いできた物語の絵巻を眺める。

『福富草紙絵巻』 筆者不詳 室町時代
この『福富草紙』は、高向秀武の放屁の芸を真似て失敗する福富という男の物語を描いた絵巻であるが、今回展示されていたのは、夫秀武を騙したとしてその妻が街中で福富に襲いかかり、噛みついているシーン。妻は後ろから福富に掴みかかり、不意打ちを襲われて振り向く福富の帽子は頭からずり落ち、肩の上着もはだけている。そして大きな口を開けて絶叫状態。獰猛な動物のごとく噛みつく秀武の妻の形相のすごいこと。そしてその様子を、指さしたり手を叩いたりして大笑いする周りの通行人たちも活写されている。

『木曽物語絵巻』 伝住吉如慶 江戸時代
木曽義仲の説話。色とりどりの鎧を身にまとい、馬にまたがる武士たちの合戦の場面が描かれている。よく観ると、義仲の率いる武士たちの中に白馬にまたがる女武者が。色白のその人は巴御前。劣性の義仲に生き延びるよう命じられるも果敢に敵陣に切り込み、敵兵の首をねじり切るシーンが展示されていた。

『雪月花図』 冷泉為恭 江戸時代

*右幅は綴じ目に当たり、右端が切れてしまった

双幅の画で、左幅は『枕草子』の「香炉峰の雪」、右幅は『源氏物語』の「若菜」の段に主題を取っている。最初目に入った時にちょっと変わった画風だと思ったのは、人物のみ鮮やかに彩色されていて、あとの部分、例えば遠景の山並みや家の中の調度品、手前の木などすべてモノクロームで表現されているから。その上に金泥がたなびき、独特な味わいがあって美しい。

『異形加茂祭図巻』 田中訥言(とつげん) 江戸時代

  *部分

擬人化されたさまざまな「異形のものたち」が、動物の上にまたがったり、車を引かせたりしながら行進するさまは理屈抜きに観ていて楽しい。

第三章 「自然」をうつす―「やまと絵」屏風とその展開
「やまと絵」の主要な一側面が四季への共感、自然への関心。この章では主に屏風絵に描かれた身近な自然の情景を追う。近世以降その自然の光景は、様々な流派を巻き込み、展開していく。

『松竹に群鶴図屏風』 狩野安信 江戸時代
六曲1双の図屏風で、横幅が一つ350cm近くある。右幅にはマナヅルとタンチョウが1羽ずつ、左幅にはマナヅルが2羽に飛翔するタンチョウが1羽。両幅とも松と竹が繊細な筆遣いで描かれているが、余白の金地が圧倒的に大きく、とてもさっぱりした画面である。飛翔するタンチョウのしなるフォルムが大胆、しなやかで、思わずポストカードを買ってしまった。

  

土佐光起『須磨・明石図屏風』が展示替えで観られなかったのは、至極残念であった。

ネオテニー・ジャパン―高橋コレクション

2009-07-10 | アート鑑賞
上野の森美術館 2009年5月20日-7月15日

  

本展は、公式サイトから引用すると「日本屈指の現代美術コレクターとして知られる精神科医・高橋龍太郎氏が収集したコレクションにより、世界から注目を集める1990年代以降の日本の現代美術の流れと動向をたどる」展覧会。

展覧会のタイトルとなっている「ネオテニー」とは「neoteny=幼形成熟の意」だそうで、そのネオテニーをキーワードに「90年代以降の日本の現代美術にみられる特徴―幼さ、カワイイ、こどものような感性、マンガ、アニメ、オタク、サブカルチャー、内向的、物語性、ファンタジー、過剰さ、日常への視線、技術の習熟、細密描写、巧みなビジュアル表現など、日本の現実や若者の心象風景とリンクした世代のアーティストたちが生み出してきた新たな世界を多角的に読み解く」のが趣旨。

高橋氏のコレクションは1000点を超え、今回はその中から33名の作家による平面、立体、映像等、様々な形態の作品約80点が展示されている。その33名の出展作家を、以下の通り公式サイトから転載しておく:

会田誠、青山悟、秋山さやか、池田学、池田光弘、伊藤存、小川信治、小沢剛、小谷元彦、加藤泉、加藤美佳、工藤麻紀子、鴻池朋子、小林孝亘、佐伯洋江、さわひらき、須田悦弘、高嶺格、束芋、千葉正也、照屋勇賢、天明屋尚、できやよい、奈良美智、名和晃平、西尾康之、町田久美、Mr.、三宅信太郎、村上隆、村瀬恭子、村山留里子、山口晃(50音順)

まさに錚々たる顔ぶれ。「日本現代美術史美術館」なるものがあったら、1990年代以降のパートは高橋氏個人のプライベート・コレクションでかなりまかなえてしまえそうである。

美術館の入口前に、高橋龍太郎氏のインタビュー記事を載せた新聞のパネルがあった。「美術館の鼻を明かしてやろう」と思って始めたコレクションだが、2000年以降は予算削減により美術館の方は作品購入が難しくなってしまった。そこで「僕が集めるしかない」との使命感に変わり、コレクションを続けているそうだ。都内に5か所もクリニックをお持ちで、生活費以外はすべて美術品購入に充てておられるそうである。このご時世に、日本にこのような気概のある美術品コレクターが存在することにまずは驚きを覚えずにいられない。

と、ここまで書きながら、実は現代美術は私にとって鬼門。高橋氏が以前コレクションを公開していた神楽坂や白金のギャラリーに足を運んだこともないし、美術館クラスで開催される大規模な展覧会くらいなら観に行く、という程度である。それとて、中にはすんなり「いい」と思える作品もある一方、う~ん、と唸ったり、作品の前でどうしていいやらわからず立ち往生するものも多い。

ついでに、アニメ、マンガの風潮を映した作品群も私はおおむね苦手である。とはいえ、現代美術作品は世相を映す鏡。通勤電車の中を見渡せば、かつて新聞を広げていた背広姿の人々も漫画を夢中で読んでいたり、MANGAという単語がよその国でも通じる昨今。100年後、200年後には、このようなアニメ風の絵も、今の時代にありがたく鑑賞されている浮世絵のような地位を築いているのかもしれない。Who knows?

ずいぶんグダグダ書いてしまったが、そんな現代美術オンチの私でもすんなり楽しめた作品を挙げておく:

池田学 『興亡史』 (2006年)


ミヅマアートギャラリーで購入したカタログから。見開きなのできれいにスキャンできないが。。。


2006年にミヅマアートギャラリーで観たのがこの作品との出会い。確かフレーミングされていなかったと思う。「ペン、インク、紙」で構築された、人間技とは思えないほどの緻密で濃厚な2m四方の世界に言葉も出ず、ただひたすら画面の上を縦横無尽に目を走らせるのが精一杯。戦国時代の戦の場面、連なるクレーン車、観音様の手、桜の大木、etc,etc。脈略のない事象の連なりのごった煮的な、荒唐無稽の世界ともいえるが、離れて観てみると完璧に1枚の絵として成立している。下描きなしに左下方からどんどん描き足して最後にこのように絵としてまとまる、という制作方には驚愕するしかない。この作品が高橋コレクションに入ったことは喜ぶべきことだと思う。ヨーロッパやアジアでも注目されるという池田の個展が日本で開かれたら、海外から観に来る人もたくさんいるのでは?

鴻池朋子 『Knifer life』 (2000-2001)
2007秋に私の地元のギャラリーでグループ展を観たことがあり、平面、立体作品ともに大型の作品をもって展開されるその壮大な独特のファンタジーの世界と、鉛筆画に観られる、一筆一筆手仕事のぬくもりの伝わる丁寧な描き方が印象に残った。ナイフが渦巻く『Knifer life』も、異様といえば異様な世界だが、大きな画面に作家の画力が発揮されている。

小林孝亘 『Dog』 (1998年)
横幅5mを超える大作も出展された、2007年の横須賀美術館での《生きる》展をはじめ、この作家は今まで何度か作品を観てきた。この作品では、魚眼レンズで観たような犬の顔のアップが画面いっぱいにドンと描かれているが、《生きる》展で観たガスレンジや白いお茶碗一つだけを描いた作品などと同様、モティーフの朴訥感と、その色彩にアクリルではなく油彩ならではの時間をかけた深みが感じられるのが魅力かもしれない。

奈良美智 『green mountain』 (2003年)
本来なら苦手である分野の絵であるが、2007年に水戸芸術館で開催された「夏への扉―マイクロポップ展」で観た『The little star dweller』(2006年作)の穏やかな世界はとても好きだった。描かれた具象の造形は単純だが、作品に近寄って観ると、女の子の髪の毛など複雑に色が絡み合っていて美しい。今回奈良作品は4点出展されているが、そのうちの本作『green mountain』は、私の好きな画風への転換過渡が観てとれるような気がして興味深い。

あとは、名和晃平の作品をもう少し理解してみたいと思った。ちょうどメゾンエルメスで個展を開催中だそうなので、近いうち足を運んでみるつもりである。



内海聖史「色彩のこと」

2009-07-07 | アート鑑賞
スパイラルガーデン(表参道)2009年6月30日-7月12日

今日は倒れそうに暑かったが、所用をさっさと済ませ、私はオアシスを求めるような心持ちで表参道のスパイラルガーデンに向かった。そこに展示されている内海聖史さんの作品が、きっとこのじめじめした鬱陶しさを払いのけ、私を涼やかな気分にしてくれるに違いない、と思いつつ(それにしても、今年早春のラディウム-レントゲンヴェルケでの内海さんの個展「十方視野」では一足早く春を感じさせて頂いたが、あっという間に夏である)。

建物の中に入ると、横幅17mにも及ぶそのお目当ての大きな作品『色彩の下』が、奥の方に展開しているのがすぐ目に入る。でも、お楽しみはそれだけではない。内海作品の色彩のさざ波が、入口からもう始まっている。各々の画面で色とりどりのドットが絶妙に集散する、大小取り混ぜた作品が全部で28点、リズミカルに、楽譜の音符のように、『色彩の下』に至るまでの白い壁にズラリと並ぶ。またしても一つ一つの作品にじっと観入ってしまうが、離れて全体を俯瞰すると、色彩としては右から紫、青、緑、橙、ピンク、赤と移ろいゆくさまがまた美しい。

  「十方視野」のカタログから

そうやってドットの色彩をしばらく楽しんだあと、いよいよ私が再会を楽しみにしていた『色彩の下』。私が初めて内海聖史さんのお名前を知り、作品を拝見したのは、2008年に東京都現代美術館で開催されていた「屋上庭園」での展示だった。この『色彩の下』と『三千世界』の二つの作品が出展されていた。突然目の前に現れた、3.8mx17mに及ぶ大きな作品『色彩の下』に何の前知識もなく対面したときの、新鮮な驚きと感動を昨日のことのように思い出す。ほとんど同系の緑の濃淡で、大小さまざまな丸の形を連ねることで、こんな大きな画面が作り出せるのか、と。

その時は作品の展示場所が高めであり、仰ぎ観るような鑑賞だったので、まるで森の中で木を見上げているような感覚だった。また、その時は長方形のフラットな画面として展示されていたのが、今回のスパイラルガーデンでは画面の端が内向きに角度がつけられているので新たな趣がある上、地面の高さに置かれているため、前回仰ぎ見た木に今回は自分がよじ登っているような、あるいは梢に止まった鳥のような視点を味わえるといおうか。今回この作品が置かれたエリアの上は天窓になっていて、私が行った時間はまだ外が明るく、午後遅くの柔らかい自然光の中で観るこの作品の味わいも格別だった。

さてさて、すっかり清々しい気分になって入口の方に戻ると、なんと受付のところに内海さんがいらっしゃるではないか!引いた汗が再び出てきそうだったが、こんな機会を逃してはいけないと思い、お声をかけさせて頂いた。ちょっとお話を伺うつもりが、わざわざ立ち上がり、作品の前で懇切丁寧に私の稚拙な質問に答えて下さった。

本当は伺ったことについていろいろ書きたいところだが、また別の機会に譲ろうと思う。

このスパイラルガーデンでの「色彩のこと」は12日までの開催だが、この暑苦しい時節柄、本当にお薦めですので是非。

最後に、本日から内海さんのもう一つの個展「千手」が渋谷のギャラリエANDOで始まりました。こちらは7月 25日(土)までですので、こちらも是非!

レオナルドのライオン

2009-07-04 | アートその他
7月4日付のイギリスの「The Independent」紙のオンライン・ニュースに、レオナルド・ダ・ヴィンチが考案した機械仕掛けのライオンが500年の時を経て再現され、フランスのクロ・リュセ城でこの夏公開されるとのニュースが載っていた。

ご存知の通り、フランス国王フランソワ1世に招かれ、レオナルドが人生最後の3年間を送ったのが、フランスのアンボワーズにあるクロ・リュセ城(Château du Clos Lucé)。レオナルドゆかりの場所として観光客もたくさん訪れるのだろうな、などと思いながら記事を読み進んで驚いた。なんとお城は現在レオナルド・ダ・ヴィンチ・パークになっていて、今後はレオナルドのみならず、シェークスピアやマキアヴェッリなど他のルネッサンス期の文化人たちの展示も加えたテーマ・パークにしていく予定だそうである。

確かに昨今は貴族の生活も厳しく、城を手放したり、館の中を有料で公開したり、中にはイングランドのロングリートのように敷地をサファリ・パークにしてしまった例もある。そこまで無茶ではないにせよ、この城の寝室で、死の床にあるレオナルドを抱き寄せるフランソワ1世の姿を描いたアングルの『レオナルドの死』のイメージをそのままに感じることなどもはや無理なのだろうか。実際行ったことがないので、悪い方に想像してしまっているのかもしれないが。

いずれにせよ、そのクロ・リュセ城にて「レオナルドとフランス」展が今週から来年の1月31日まで開催され、冒頭のライオンも目玉の一つとして出展されるらしい。ちなみにヴェネツィアのアカデミア美術館から今まで門外不出だった、レオナルドがこの城で描いたスケッチ4点も、この展覧会のために貸し出されるそうだ。

この際だから、ライオンについても触れておく。レオナルドは少なくとも3体のライオンを設計しているらしく(フランソワ1世の先王ルイ12世に献上された1体目は歩けなかったが、フランソワ1世に捧げられた2体目は歩いたり頭を動かしたりできた可能性があるらしい)、今回はレオナルドがフランスに移った後の1517年に設計した3体目のライオンの稿本を元にイタリア人の自動装置デザイナー、レナート・ボアレット氏が初めて再現化したもの。体長180cm以上、体高120cm以上と本物のライオンの大きさに近く、歩くのみならず頭を動かし、尻尾を振り、口を開けて牙を見せる仕掛けになっているという。

しかし、レオナルドのライオンの設計に関して残っている稿本は基礎的な部分ばかりで、肝心の動作させる仕掛けの設計については何も残っておらず、ボアレット氏は時計のメカニズムなどレオナルドが残した他の考案品の設計図などを見ながら研究。レオナルドならこうしただろうという氏の見解の元、今回のライオンが出来上がったらしい。そもそもライオンは、このお城の”プレジデント”であるフランソワ・セ・ブリ(François Saint Bris)氏が注文制作したもので、氏はレオナルドのことを「16世紀のジョージ・ルーカス」などと表現している。

ライオンの写真が載っていたので、リンクを貼っておく。なんだか外見はチープな感じがしないでもないが、実際のレオナルドのライオンはどのように仕上がっていたのだろう。何かの動物の毛皮とかを貼りつけたのだろうか。中の仕掛けのみならず、気になるところである。

写真では見えないが、ライオンの体の右側に設置されている大きなクランク(鉛筆削りの取っ手のような、回転軸の端につけられた柄、あるいは往復運動を回転運動に変える装置)を巻き上げることによって動くらしい。展覧会を観に来た入場者がリクエストする度にクロ・リュセ城の雑用係が呼ばれ、柄を回してくれるそうだ。一度完全に巻き上げれば、ライオンは10歩ほど歩き、先ほども書いた通り尻尾を振り、首を動かして牙を見せてくれる、らしい。果たしてどれほど集客があるのやら。

鈴木理策 WHITE

2009-07-03 | アート鑑賞
ギャラリー小柳
2009年5月18日-7月11日

私が鈴木理策を初めて知ったのは、2007年の東京都写真美術館での個展「鈴木理策:熊野、雪、桜」だった。この写真家が自分の生まれ故郷、熊野で切り取ったさまざまな景色、情景が並んでいた。観始めてまず強く印象づけられたのは、熊野の山の中で撮った木立や水の情景が、私が知る日本の湿り気のある木や水の質感と異なる乾いた肌ざわりを持っていることだった。その印象は、続く熊野の夜祭りを撮った作品でさらに増幅した。そこで炊かれる火が、気体と言うよりぬめぬめと液体のような感触を放っていたからだ。

そして、その夜祭の暗い展示室から次の部屋に足を踏み入れた時の立ちくらみは、未だに忘れることができない。まさに夜の闇から、目もくらむような眩しい雪原に放り込まれたような感覚。床も、壁も、天井も真白の展示室に足を踏み込むと、壁に並んだ雪の風景の中に入り込んでしまったようだった。

今回は熊野ではなく、北海道の雪。そして雪オンリー。

霧雨がじめじめと大気を舞う、梅雨空の鬱陶しい気候のせいか、汗ばんだ体で雪景色に対面しても、はじめ心にすんなりと入ってこなかった。しかし汗も引き、思考が落ち着いてくると、やはり鈴木理策の世界に惹きこまれていく。北海道の雪の中を動き回って撮影したという今回の展示作品は、大型の雪景色を撮った作品群がWHITE、雪の結晶を撮った小作品群がSNOW LETTERと名付けられていた。

WHITEシリーズでは、とりわけ二つの作品が心に残った。一つは、焦点が外されてふわふわと雲のように映る周囲に囲まれ、1本だけくっきりとした梢をのぞかせる針葉樹を撮ったもの。他の作品でもそうだが、ぼやけた背景の中、フォーカスされた木だけに与えられた硬質な存在感は独特だ。笑われそうな例えだが、そのパリパリとした輪郭には薄く衣をつけてさっくり揚げた大葉か何かのような物質感が想起された(空腹だったわけではない、念のため)。

もう一つは、地面に降り積もった雪の表面を撮ったもの。離れて観ると真っ白な大きな画面であるが、目を凝らせば真ん中だけフォーカスされ、水分を含んできらめくざらめのような雪の粒、それらが積もってささくれ立ったような表面のザクザク感が伝わる。

SNOW LETTERシリーズは、7cmくらいの円の中に一片の雪の結晶を拡大して作品にしたもの。レセプションの横にはずらりと7枚並び、そのひとつひとつに様々な結晶が現れる。どのように制作されたのかわからないが、結晶をそのまま顕微鏡で拡大撮影したようなものもあれば(六角形の結晶の、幾何学的でありながらこの上なく複雑で繊細な造形はヴァリエーションに富み美しい)、輪郭がペン画のようであったり、水彩のようであったりと趣の異なる写真が並ぶ。中でも青い色彩が映り込んだ1枚が気に入った。その青さはスコットランドを流れる川の濃紺の水を想起させ、水の巡回を思わせた。

最後に、本展とまったく関係ないチラシを1枚。同じ日に上野の美術館で入手したものだが、このぼやけた背景から浮きあがるフォーカス具合が、鈴木理策のWHITEシリーズに通ずるものを感じさせた(本当です)。



ちなみにこの「かたちは、うつる」展は、国立西洋美術館で今月7日から8月16日まで開催。西美所蔵の西洋版画の展覧会です。デューラー、カロ、レンブラント、ピラネージ、ゴヤ、ドーミエなどなど。楽しみ!