l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

2009年の展覧会ベスト10

2009-12-29 | アートその他
今年観た展覧会の「ベスト10」なるものに初めてトライしてみました。見落としたものも多く、数としてはそれほど観ていないはずなのに、結構難しいもんだ。。。

1位 The ハプスブルク @国立新美術館

古典的西洋絵画が好きな私には、やはりこれが1位。今年2月頃に初めて見たとき陳腐に思えた展覧会タイトルも、以降数ヶ月に渡ってあちらこちらのメディアで目にしているうちに違和感が消えてしまった。それはともかく、画家を国ごとに分ける展示というアプローチもおもしろかったし、ジョルジョーネ、デューラー、クラナッハなど16世紀の板絵を含めて西洋の名画の数々に囲まれるというのはまさに至福のひとときだった。

2位 皇室の名宝展 @東京国立博物館

伊藤若冲の『動植綵絵』そろい踏み、正倉院宝物『螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんのげんかん)』をはじめ感嘆の声しか出ない工芸品の数々、教科書でお馴染みの作品たち。混雑具合も半端ではなかったけれど、我が日本の至宝であるからして根気強く頑張って鑑賞。汗だくで観た高階隆兼の『春日権現験記絵』は忘れられない。

3位 妙心寺展 @東京国立博物館

迫力ある狩野山楽の『龍虎図屏風』、妖気漂う狩野山雪の『老梅図襖』など、ダイナミックな妙心寺の障壁画の数々や、白隠慧鶴の個性的な書、幻惑的なガラス玉の天蓋など、美術作品として楽しめる作品が多かった。

4位 フランス絵画の19世紀 @横浜美術館

“アカデミスム”をキーワードに19世紀フランス絵画の変遷を追う切り口がおもしろかった。ある意味、フランス画壇を通して19世紀の西洋絵画の需要、受容の歴史を垣間見たような気がした。

5位 加山又造展 @国立新美術館

私には未知の日本画家だった加山又造の、生涯に渡る画業を伺い知ることができた回顧展。作品の美しさもさることながら、西洋画から水墨画に至るまで、生涯を通じて貪欲に自分のスタイルを追求する姿勢に感動した。

6位 かたちは、うつる @国立西洋美術館

白黒のみでこんなに深遠な画面世界を構築する西洋版画は、色の美しさが勝負の平面的な日本の浮世絵と対極的だな、などと思ったりもした。西美のコレクションは素晴らしい。第2弾、お願いします。
 
7位 阿修羅展 @東京国立博物館

シアトリカルな演出が秀逸だった。仏像ガールではない私も、阿修羅の美しさには腰ぬけ状態。と言いながら記事を書いていないなんて…。オフ会で、はろるどさんに唐突に「YCさん、阿修羅展行かれました?」と聞かれたことが妙に記憶に残る。来年はせめてベスト10に入れそうな展覧会だけは記事を書くように頑張ります。

8位 ラリック展 @国立新美術館

あちこちで単発的に作品を観ているせいで知った気になっていたルネ・ラリックの、仕事の全容を実は初めて知ることとなった。よくこれだけの作品数を集め、美しく展示できたもの。

9位 内海聖史 「色彩のこと」 @スパイラルガーデン

レントゲンでの「十方視野」、ギャラリエANDOでの「千手」も合わせ、今年はこの作家さんの個展を三つ観て、それぞれに感動した。スパイラルガーデンでの展示は、常設にしたらいいのに、と思うほど完璧だった。ご本人とお話できたのもよき思い出。

10位 三瀬夏之介 「冬の夏」 @佐藤美術館

展示室に足を踏み入れた瞬間のインパクトは今も忘れられない。この作家さんとこのような形で出会えたのは幸運だった。先月行った東京美術倶楽部でのTCAFで京都のギャラリーに彼の作品が何点か出ていて、小品ながらやはりあの独特のエネルギーを放出していた。

敢えて挙げれば上のようになるけれど、染付展 @東京国立博物館まぼろしの薩摩切子展 @サントリー美術館なども初心者には見応えがあり、勉強になった。

その他としては、ルーヴル美術館展 @国立西洋美術館にて初めて内覧会というものに参加させて頂いたり、日本の美術館名品展 @東京都美術館シカン展 @国立科学博物館ではブロガーとして取材させて頂いたことなども今年の思い出に残りそうです(Takさんに感謝!)

2010年も、たくさん美しいもの、刺激的なものが観られますように!

パリに咲いた古伊万里の華

2009-12-21 | アート鑑賞
東京都庭園美術館 2009年10月10日(土)-12月23日(水・祝)

公式サイトはこちら

副題に「日本磁器 ヨーロッパ輸出350周年記念」とある。パネルの説明によると、「1659年10月15日にオランダ東インド会社によって長崎から5,748点の陶磁器を積んだフォーゲルザンゲ号が出航し、日本からヨーロッパに向けて本格的に陶磁器の輸出が始まった」とのことで、今年はその350周年の節目。それを記念し、パリを拠点に長年に渡って古伊万里の収集をしている碓井(うすい)コレクションから165点を紹介するもの。

会場に足を踏み入れてみると、本編に入る前に序章があり、派手目の目を引く作品群にまずは出迎えられる。

『染付漆装飾花束菊文蓋付大壺』 (1690~1730年代) 



高さが91cmもある、存在感のある立派な壺。蓋のてっぺんは、まるで貴婦人がイヤリングを下げているような装飾が施されている。碓井氏がパリの骨董店でこの壺に出会ったときは亀裂や剥落があり、壁土のようにポロポロ漆が落ちるような劣悪な状態だったという。それを1年半かけて修復し、本展に無事出展となったとのこと。

『色絵花鳥文蓋付大鉢』 (1720~50年代)



この金属加工はフランス国王ルイ15世(在位:1715~74〉時代の様式だそうで、いかにもバロック的なのたうちぶり(?)。海の向こうの人たちの趣味とはいえ、私には重すぎに感じてしまう。図柄の蛸唐草文様の入れ方もどことなく浮足立った風に観えてきてしまうのは、穿った見方かな?

ということで、本編は以下の章立てに沿って有田からの輸出磁器の変遷を観ていきます:

第1章 欧州輸出の始まりと活況 (寛文様式、1660-70年代)
第2章 好評を博した日本磁器の優美 (延宝様式、1670-90年代)
第3章 宮殿を飾る絢爛豪華な大作 (元禄様式、1690-1730年代)
第4章 欧州輸出の衰退 (享保様式、1730-50年代)

では、印象に残った作品を挙げながら順番に:

第1章 欧州輸出の始まりと活況 (寛文様式、1660-70年代)

1644年の王朝交代によって内乱に突入し、磁器輸出がままならなくなった中国に変わり、1657年頃から日本がヨーロッパ向けの磁器の見本を作り始める。1659年から1660年代にかけては、輸出量が最も多かった時代。中国磁器やヨーロッパ陶器を見本に作られるものがある中、注文生産では間に合わず、国内向けの製品からも輸出された。生活品が多いためか染付の割合が高い。

『染付牡丹文大瓶(一対)』 (1650~60年代)



これは総高72cmもある大瓶で、ヨーロッパに輸出後、現地で金属加工されたそうだ。宮殿などの広間を飾る装飾品として見栄えはするのでしょうが、やっぱり「余白の美」的な磁器と重厚な金属装飾の取り合わせはしっくりこない(しつこいね、私も)。何だか磁器が羽交い絞めにされているような窮屈さを感じる。思うに、このような金属加工装飾はやはり、セーブル焼きなどの、余白をターコイズ・ブルーやらピンやらで塗りつぶした焼き物にベスト・マッチなのでは?

『染付藤文大瓶』 (1660~80年代)



こちらは恐らく輸出用に作られたものではないが、選ばれてヨーロッパに渡った作品の一つだそうだ。藤の花房や葉がサラサラと下に流れる様子が風流。もし前出の一対の作品とこの瓶のどちらかをもらえるとしたら、私は断然こちらです。

『染付花鳥文手付坏』 (1660~70年代)



ビール・ジャグ。まろやかな形状。高さ25.5cmもあるけど、ここから直接飲むのでしょうか?

『染付鯉蓮波文手付水注』 (1660~90年代)



観れば観るほどまた妙チクリンな。。。

第2章 好評を博した日本磁器の優美 (延宝様式、1670-90年代)

オランダ商社の厳しい注文から生まれた完璧な乳白色の素地。そこに色絵を施した柿右衛門様式の色絵磁器は、ヨーロッパで好評を博す。

『染付岩牡丹鳳凰柘榴文 八角蓋付大壺・大瓶』 (1670~90年代)



1680年代頃から壺・瓶の5点セットがヨーロッパ王侯の注文で作られ始めたそうだが、これはその初期の完存した例とのこと。植物の葉の散り方や、中央に描かれた鳳凰の長い尾が流れる図柄は単品でも優美だけれど、5点並んだときの統一感はほれぼれする美しさだった。

『染付松竹梅文蓋付大壺』 (1680~1700年代)



プリーツのような縦の筋が印象的な壺。何とはなしに生真面目で几帳面な職人が作ったのだろうな、なんて想像する。

『色絵柴垣松竹梅鳥文皿』(1670~90年代)と『色絵鶉菊文皿』(1680~90年代)



左の作品はスケッチ感が感じられる絵画的な絵柄で、色合いも線描もとても繊細。右は鶉が可愛い。

『染付菊牡丹山水文髭皿』 (1680~1700年代)



下部をこのように半円形に切り抜き、上部に二つの小さな穴を開けたものを「髭皿」と言うそうだ。なにそれ?と解説を読むと、こわ~い説明が。当時ヨーロッパには理髪外科医という職業があり、理髪師と外科医を兼ねたような仕事をしていて、整髪や髭剃りなどの理髪師としての仕事以外に外科医として瀉血(しゃけつ)を行った、とのこと。「針を刺して血を抜くのである」とあっさり書いてあったが、要するに抜いた血をこの皿に受け取るのでしょう?そういえば、昔ヨーロッパでは理髪師が抜歯を行っていたという話も聞いたことが。想像するだに貧血起こしそう。

第3章 宮殿を飾る絢爛豪華な大作 (元禄様式、1690-1730年代)

注文品が大型化し、色絵が染付製品にとって代わる。その色絵も柿右衛門様式から金襴手(中国明後期の嘉靖、万暦時代に盛行した多色の色絵様式)が主体に。中国が国内統一を果たして輸出を再開するも、今度は逆に景徳鎮が有田磁器を見本に注文を受けるように。有田で作られた、染付素地に赤・金の2色のみによる色絵が施された金襴手は低価格のため好評で、景徳鎮がこれに倣って作った作品を「チャイニーズ・イマリ」と呼ぶ。

『色絵桜樹巻物冊子文大皿』 (1700~40年代)



濃紺の部分は呉須で描いた染付なので、赤・金だけで文様が描かれたエコノミカルな金襴手作品。口径が55cmもある大型のお皿なのに、少ない色数でこんなに装飾的に華やかな作品になるなんて。口縁部に描かれた巻物や冊子がいかにも輸出を意識した和的なモティーフで、ちょうど今文房具屋さんに並ぶ海外向けのクリスマス・カードを思い出したりした。

『色絵邸宅牛文蓋付大壺』 (1700~40年代)



何よりもツマミ部分の遊女に目が釘付け。この遊女が壺の身長を水増しし、高さ67.2cmに。

第4章 欧州輸出の衰退 (享保様式、1730-50年代)

再興した景徳鎮との価格競争に敗れ、オランダの衰退、マイセンなどヨーロッパでの磁器生産の拡大などを背景に、有田磁器の輸出は衰退。1757年に公式輸出は終焉を迎える。

『色絵竹梅鳥文壺』 (1720~40年代)



別途作った梅の花や蕾が胴部に貼り付けてある。このような装飾法は有田にて18世紀前半にヨーロッパ輸出向けに少なからず行われた、と他の作品に説明があった。これがドイツのマイセン焼きなどに影響を与えたのだろう、と。貼り付け装飾は西洋磁器でのイメージの方が強かったけれど、あのマイセンも有田からヒントを得たのですね。この作品は絵柄が雑だけれど。

この最終章にも大型の壺や鯉をモティーフにした風変わりな置物などが並ぶが、一見立派ながら概ね絵柄などもぞんざいな感じで、それまで観てきた作品と比べると生彩が感じられない。

それにしても、本展の優雅な展示作品はこのアール・デコの邸宅にぴったり。普通の美術館で観るよりずっと趣があったと思う。明後日、12月23日までです。

クリスマス・カード 2009

2009-12-18 | アートその他
イギリスから届いたクリスマス・カードを封筒から取り出した瞬間、うっほ~!と思った。



カードの表面に使われていた写真は、レオナルド・ダ・ヴィンチの『ウィトルウィウス的人体図』の彫刻作品。あのドローイングを立体作品にしようなどと考える人がいるのだ。いや、この広い世の中、案外いるのかもしれない。でも私は初めて観たし、写真といえどこれが突然出てきたらビックリしません?

制作者は、昨年も拙ブログでご紹介した私のイギリス人彫刻家の友人アニータ。今年のクリスマス・カードに使われたということは、彼女の最新作の一つなのだろう。カードを開けると、裏面に”three-dimensional realisation of Leonardo da Vinci’s drawing of “Vitruvian Man”(レオナルド・ダ・ヴィンチの『ウィトルウィウス的人体図』の三次元化作品)とだけある。

すぐさま手元の本を開いて、レオナルドのドローイングと見比べてみた。ドローイングの男性の顔はいかにもイタリア人と言う感じだが、アニータの作品はイギリス人男性っぽい。胸の辺りもちょっと違う。もしかして誰かモデルを使ったのかな?

でも、そうか足は確かに左に向いているんだなぁ、とか、指はこんな風になっているのか、などと、知った気になっていたこのドローイングの細部を初めてしみじみ観たような気がする。

それにしても寸法も書いてないし、素材もよくわからない。背景はどうなっているのだろう。パブリック・アートの注文制作だろうか。次から次へと聞きたい事が出てきて、ちょうど入れ違いに彼女にクリスマス・カードを送ったばかりだというのに、またすぐ手紙を書く破目になりそうだ。

ところで、今年のイギリスのクリスマス・カード用の切手はラファエル前派のステンドグラス・シリーズらしい。実際にイングランドの教会にあるステンド・グラスから選ばれたウィリアム・モリスヘンリー・ホリディの作品が使われていて、私が頂いた封筒に貼られていたのは1ポンド35ペンスの、ホリディの羊飼いの図。羊を抱く、バーン・ジョーンズを思わせる愁いのある美しき羊飼いの横顔が描かれている(ふと、自分が昔イングランドで羊飼いに間違えられたことを思い出したりして…)。

惜しむらくは、サイズが小さい。イギリス国内向けの切手は大判なのに、一番高価な海外向けの切手が通常サイズとはいかに、ロイヤル・メール!

これらの切手にご興味のある方は、こちらをどうぞ。全種類見られます。

THE ハプスブルク

2009-12-11 | アート鑑賞
国立新美術館 2009年9月25日(金)-12月14日(月)

公式サイトはこちら



お楽しみはとっておこう、にもほどがあった。毎度ながら、気付けばもう閉会間近ではないか!12月も1週間が過ぎた頃、泡食って乃木坂へ走った。

本展は、ウィーン美術史美術館とブダペスト国立西洋美術館の所蔵品から、ハプスブルク家ゆかりの作品を中心に、絵画75点に工芸品を加えた計120点を展覧するもの。チラシには「ベラスケスもデューラーもルーベンスも、わが家の宮廷画家でした」というニクイ言葉がある通り、7割がたはハプスブルク家が所有していたもの。

また、2009年は日本とオーストリア・ハンガリー二重帝国(当時)とが国交を結んで140年の節目にあたるということで、明治天皇が皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に友好のしるしとして送った画帖や蒔絵も里帰りして本邦初公開。

本展の構成はとても明瞭で、特に絵画に関しては時代別ではなく国ごとにまとめられて展示されていたのが新鮮。壁の色もそれぞれの国のイメージに合った色が使われ、イタリアはグリーン・ゾーン、スペインはレッド・ゾーンという感じで鑑賞にもリズムが生まれた。ちなみにドイツはグレイ、フランドル・オランダはモカ。

その構成は以下の通り:

Ⅰ ハプスブルク家の肖像
Ⅱ イタリア絵画
Ⅲ ドイツ絵画
特別出展
王室と武具
Ⅳ フランドル・オランダ絵画
Ⅴ スペイン絵画

それではいつものように、印象に残った作品を挙げながら順番にいきます:

Ⅰ ハプスブルク家の肖像

『神聖ローマ皇帝ルドルフ2世』 ハンス・フォン・アーヘン (1600-03年頃)



このセクションでは、章題の通りハプスブルク家の人々の肖像画が計8点並ぶ。これは最初の1枚。宮廷肖像画というジャンルは16世紀初めに成立したそうで、ハプスブルク家の統治者たちも最初はこの作品のようにその相貌をありのままに描きとどめさせていた。ソラマメのような顔の輪郭、たるんだ目元。生涯独身を貫いたこの君主はしかし、宮廷美術のパトロンとして有名。今年の夏、Bunkamuraでの「だまし絵展」にて展示されていた、彼が擁護したアルチンボルトによる風変わりなこの王の肖像画も記憶に新しい。

このような肖像画は、18,19世紀になると美化され、理想を追った作風になっていく。『オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世』 フランツ・シュロッツベルク (1865-70年頃)など、体中に煌びやかな装身具をぶら下げて美しく描かれている。

しかし、ここのセクションを他のどこより混雑せしめたるは、透き通るようなブルー・グレイの瞳と折れそうなウェストが印象的な『11歳の女帝マリア・テレジア』 アドレアス・メラー作(1727年)(チラシに使われている作品)と、完璧な美を湛えるプリンセス『オーストリア皇妃エリザベート』 フランツ・クサファー・ヴィンターハルター作(1865年)。後者は、絵としてそれほどいいとは思わなかったが。

Ⅱ イタリア絵画

『矢を持った少年』 ジョルジョーネ (1505年)



中性的な面立ちをやや傾げながら、物理的に何も見ていないような空虚な眼差し。どこか次元を超えた闇から浮き出てきて、次の瞬間には儚く消えてしまっているのではないか、という妄想すら覚える。間近で対面しても、人々の肩越しに観ても、その不思議な瞳で鑑賞者を見返してくる500年前の少年。離れ難し。

『聖母子と聖エリザベツ、幼い洗礼者ヨハネ』 ベルナルディーノ・ルイーニ (1515‐20年頃)



レオナルドの静謐さとラファエッロの甘美さを併せ持ったような聖母の顔立ち。彼女の深紅のドレスと膝にかかるオレンジの布地、聖エリザベツが羽織る赤いマント(?)と、暖色に包まれた画面は深みがあって落ち着く。

『聖母子と聖カタリナ、聖トマス』 ロレンツォ・ロット (1527-33年)



左の天使と聖母子が形作る三角形の構図がきれいに決まっている。聖母の着るブルーのドレスがまず目に飛び込んでくるが、よく観ると聖カタリナのオリーヴ色のドレスの色も美しい。何よりわき役である天使の軽やかさが私は好きだった。

『イザベッラ・デステ』 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ (1534-36年頃)



芸術を政治に利用したことで知られるこのマントヴァ侯爵夫人の名前を聞くと、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた彼女の右横顔の肖像画デッサンをまず思い浮かべる。この作品は彼女が60歳のときに、別の画家による昔の作品(現所蔵先不明)に倣ってティツィアーノに描かせた肖像画だそうだ。それほど美人ではなかったと読んだことがあるが、ファッション・センスはフランスの女官たちも憧れたほどだったと聞く。毅然とした意思を感じさせる目、堅く結んだ口元も、バラ色のさすふっくらとした健康そうな頬のおかげで憎めなく感じる。ターバン風の凝った帽子やファーの使い方、濃紺の生地に金糸の刺繍がされたドレスなど、本当におしゃれ。

『聖母と6人の聖人』 ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ (1755‐56年頃)



72.8cmx56cmのそれほど大きな作品ではないが、とても良い絵だった。聖母を頂点に群像を綺麗な三角形でまとめながらも、各人の動的ながら柔らかいポーズと色の配色によって自然な奥行きが生まれ、立体的な画面になっているように思える。実はこの絵はノー・マークだったが、やはり実作品を観てみるものですね。

Ⅲ ドイツ絵画

『ヨハンネス・クレーベルガーの肖像』 アルブレヒト・デューラー (1526年)



デューラーの板絵が3枚並んでいるなんて、デューラー好きにはたまらない一角。2002年に来日した女性像以外の2点は初見。そのうちの1枚であるこの作品はとても風変わり。解説には「丸く切り抜かれた壁の上に、かろうじて載っている丸彫の胸像」とあるが、かなり不自然に感じる。肌の質感、頭髪など余りに写実的で、とても彫刻作品とは思えないし、むしろシュールレアリスム絵画という感じ。いずれにせよ、デューラーの精密な画面は素晴らしいです。

『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』 ルーカス・クラナッハ(父) (1535年頃)



これはもう別格の美しさ。自分が斬首した、目や口元が半開きの生首を抱え、冷徹な微笑みを湛えるサロメ。とても残酷なシーンなのに、きれいな絵だなぁ、と見詰めてしまう。鉋屑(かんなくず)をかたどった首飾りの金属の質感、凝ったデザインの豪華なドレス(腕は長すぎるけど)、ゆで卵のようなすべすべの肌に目が奪われる。

本展では、上記の作品を合わせ、主題は異なるが斬首のシーンを扱った作品が3点並ぶ。

『ホロフェルネスの首を持つユディット』 ボロネーゼ (1580年頃) *イタリア絵画



『ホロフェルネスの首を持つユディット』 ヨーハン・リス (1595‐1600年頃) *ドイツ絵画



いずれも自分が斬首した首を持つが、それぞれの女性の表情を見比べるのも一興。ボロネーゼのユディットは何やら目もうつろで、半開きの口元は「私、何をしでかしたのでしょう」という呆然自失の表情。リスのユディットは「やったわよ!」と不敵な眼差しで我々に振り返っているよう。

絵画はいったんここで中断。

特別出展

歌川広重(三代)らによる『風俗・物語・花鳥図画帖』が2帖展示。1869年制作で、全部で100点あるそうだが、とにかく展示ケースの前はすごい混雑ぶり。肩越しに何点か観てスルーしてしまった。蒔絵の棚も人々の肩越しに観て、かろうじて優美な金色の川の流れだけ確認。

王室と武具

金、銀、ブロンズ、大理石、貴石、ガラス、貝など様々な素材を使い、金銀細工や象嵌細工など意匠を凝らして作られた多様な品々が展示されていた。甲冑一式のような大きな物から武具、彫像、杯などなど、いかにもバロック的で煌びやかな造形が並ぶ(私には多少くどいけど)。

『「籠を背負った男」としてのサテュロスの蓋つき祝杯』 ハンス・ハインリッヒ・ロレンブッツ2世 (17世紀前半)



個人的にはエレガントなものよりこういう変わった作品に目が行く。

『掛時計』 (1700年頃)



写真を観た時は小さいものを想像していたが、実物は直径50cmもあった。外枠に並ぶ、玉石で作られたサクランボ、葡萄、ザクロなどのフルーツが何とも可愛らしい。美術品としては素敵だけど、時間はわかりづらい。まぁここで求められているのは実用性よりも芸術性ですから。

Ⅴ スペイン絵画

図録上はスペイン絵画が最終章になっているが、会場での実際の展示順に従って書きます。

『悪魔を奈落に突き落とす大天使ミカエル』 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ (1665‐68年頃)



私の好きなムリーリョの絵がここに3枚も並んでいるなんて。しかも初見のこの作品が余りに良くて、絵の前でしばしうっとり。私の浅薄な知識では、ムリーリョというとまず「無原罪の御宿り」が浮かび、今回隣に並ぶ『幼い洗礼者聖ヨハネ』(1650-55年)のような、ふわふわの羊を伴った幼い聖人の絵がイメージとして強いが、この大天使ミカエルのかっこよさと言ったらどうでしょう。甘美と冷徹が合わさった顔と、しなやかな身体の優美な動き。これはセビーリャのカプチン会修道院のために描いた、21点の連作のうちの1点とのこと。全部観たいなぁ。。。

『食卓につく貧しい貴族』 ディエゴ・ベラスケス (1618‐19年頃)



ベラスケスが若干20歳くらいのときの作品(やっぱり上手いねー!)。落ち着いた筆致で丁寧に描かれているが、全体の構図や明暗に浮かび上がる人物たちの表情など巧みに表現されている。

Ⅳフランドル・オランダ絵画

『フィレモンとバウキスの家のユピテルとメルクリウス』 ペーテル・パウル・ルーベンスと工房 (1620‐25年頃)



オウィディウスの『変身物語』の一場面。フリギアを巡り歩いていたユピテルとメルクリウスにどこの家ももてなしを断る中、唯一招き入れたのがこの貧しい老夫婦。この絵は、老夫婦が自分たちの最も高価な財産であるガチョウをつぶしてもてなそうとしているところ。

肩を出したユピテルの出で立ちは目立つが、中央で語り合うメルクリウスと老人の情景や老婆の動作は風俗画的で親しみやすい。ガチョウを含めた4人と1羽の構成する環が、画面をきれいにまとめている。

物語の続きとしては、つぶされそうになったガチョウは二人の神々へ助けを求め、ここで老夫婦はこの二人の正体を知る。老夫婦の家は神殿に変化し、二人は司祭になり、一緒に死にたいという願いもかなえられ、二人とも長寿を全うして同時に2本の木に変身したそうな(図録参照)。

『水鳥』 メルヒオール・ドンデクーテル (1680年代)



薄桃色のペリカンが大きな存在感を放つ、装飾的な鳥の群像。ペリカンの横にいる、目が朱色のパッチで囲まれた変わった鳥は、解説を見るとナイルガチョウというのかな。この画家はオランダ人だそうだが、精緻な写実表現が十八番のオランダやフランドルの画家の、動植物を描いた作品は図鑑的でおもしろい。

他にアンソニー・ヴァン・ダイクが3点(プラス「?」マークつきが1点)、ヤン・ブリューゲル(父)、ルーベンス、ホーホなど、このセクションはイタリア絵画に次いで出展数が多かった。

この西洋画の華麗なる祭典も、いよいよ残すところあと数日。12月14日(月)までです。

古代ローマ帝国の遺産―栄光の都ローマと悲劇の街ポンペイ―

2009-12-10 | アート鑑賞
国立西洋美術館 2009年9月19日(土)-12月13日(日)



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共和制ローマ末期の政治家、ガイウス・ユリウス・カエサル(BC100頃-BC44年)の意思を継いで、初代ローマ帝国の皇帝となったアウグストゥス(BC63-AD14)。本展は、このアウグストゥスが活躍した時代周辺のローマ帝国の遺産と、AD79年の火山の噴火で地中に埋もれたポンペイからの出土品に焦点をあてた展覧会。出展作品は、よって紀元前1世紀から紀元後1世紀の間のものが主体。

構成は以下の通り:

第1章 帝国の誕生
第2章 アウグストゥスの帝国とその機構
第3章 帝国の富

それでは1章から観ていきます。画像は図録から取り込みましたが、レイアウトの関係上周りの文字がトリミング出来ず。雑ですがお許しを:

第1章 帝国の誕生

『アウグストゥスの頭部』 (ティベリウス時代 後12‐37年)



共和制末期、ヘレニズム文化の影響を受けた大理石製の肖像彫刻を彫らせることが富裕層に流行。経験と優れた知識を示す皺の表現など、ギリシャ彫刻にはない迫真性を持った作風であったが、「王」ではなく市民の「第一人者(プリンケプス)」であることを強調したアウグストゥスは、ヘレニズム君主を連想させるヘレニズム様式を避け、BC5世紀頃のギリシャの古典時代に範をとる様式を成立させた。

この頭部は、そのギリシャ古典様式による胸像。これより前に展示されていた、ヘレニズム様式の『アウグストゥスの胸像(オクタウィアヌス・タイプ)』 (後1世紀前半)』(アウグストゥスが皇帝になる前、アクタウィアヌスと名乗っていた頃の胸像)と見比べると、正直なところ明確な差異が私には今一つわからないが、言われてみればこちらの方がすべすべと無感情な印象を受ける。

『皇帝座像(アウグストゥス)』 (後1世紀中頃)



18世紀にヘルクラネウムで出土し、頭部をアウグストゥスとして修復したもの(とはいえ、実際アウグストゥスである可能性が高いとのこと)。高さ215cmもある、白大理石の堂々たる座像。やや姿勢を崩してもたれ気味に座り、お腹の腹筋や足の指、足の甲に走る血管など写実的に表現されている。開いた両足の間にたわむ衣の襞、ガッツポーズのように突き出した左肩の上で折り返されるマントの襞など、水流のような美しい彫り。涼しい顔して会場に鎮座しているが、よくもまあはるばるこんな極東の島までやってきたもの。

第2章 アウグストゥスの帝国とその機構

『アレッツォのミネルヴァ』 (前3世紀頃)



こちは特別出展とのこと。1541年にアレッツォで出土するや、メディチ家のトスカーナ大公コジモ1世のコレクションに入ったミネルヴァのブロンズ像だそうだ。高さ155cm。独特の緑色、洗練された彫りの美しさ、すっきりしたプロポーション。会場で孤高の美を放っていた。何となく2005年に東博の表慶館で観た『踊るサテュロス』像が脳裏に浮かぶ。

『アポロ像』 (後1世紀)



高さ105cmほどの白大理石像。肩に下がる縦ロールの巻き毛と口元の笑みが印象的。アポロが撫でるグリュプスも、どことなくじゃれつく犬のようで微笑ましい。

『アルミティス(ディアナ)像』 前2世紀-前1世紀



ポンペイのアポロ神殿から出土したブロンズ像。目は練りガラス製。弓矢を射るところで、左手が欠損しているのがとても残念。

『コブラとアオサギ』 (後1世紀)



ポンペイの民家の食堂を装飾していたフレスコ画。ハブとマングースならぬ、コブラとアオサギの戦い。鳥の羽根など筆捌きがよく観てとれて、描かれてから2000年近くもの時の隔たりがあるのが嘘のよう。ちょうど閉じ目に当たって画像は取り込めないが、この絵の隣にあったという『犬のシュンクレトゥス』も愛らしかった。自分の身丈より大きな草の横でちょこんとお座りしている、目の大きなむく犬。ちゃんと名前のついた犬の肖像が描かれているということに新鮮な驚きを覚える(こうして2000年後にお会いできて嬉しいよ、シュンクレトゥス君!)。

『セリフォス島のダナエ』 (後1世紀後半)



父アクシリオス王に、息子共々木箱に入れられ海に捨てられたダナエが、セリフォス島で漁師に発見されるシーン。この作品が最初に目に入った時、ピエロ・デッラ・フランチェスカを想起した。

上に挙げたのはほんの一部で、この章には主にポンペイ及びその周辺から発見されたフレスコ画の作品が充実していたが、繊細な衣襞の表現が目を引く『王座のデメテル』や、まるで油絵のような『セレネとエンデュミオン』など、その高度な画力に改めて感嘆させられた。

『骨壷』 (後1世紀)



共和制末期から後1世紀までのローマは、火葬が一般的だったとのこと。この青い色が美しいガラスの壺にも、当時火葬された遺骨が入ったまま展示されている。取っ手はまるで飴細工のよう。

第3章 帝国の富

いつの世も、国が平和のもと上手く治められ、経済が潤っていれば芸術が振興する。とりわけ、教養があり文化に理解のある統治者に恵まれればなおのこと。

共和制末期の混乱を無事平定したアウグストゥスが力を注いだ文化の刷新。それは建築、彫刻、モザイク、絵画、貴金属細工、銀器、貨幣鋳造、彫玉など多岐の分野に及び、この章ではその片鱗の数々を各分野から観ることに。

『アウグストゥスのアウレウス金貨』 (前18-17/16)



アウグストゥスは貨幣システムも再統一。アウレウス金貨は高額貨幣で、この金貨にはアウグストゥスの横顔が刻まれている。この時代、帝国内に流通する金貨は皇帝のイメージを伝える重要なメディア。

硬貨鋳造にも不可欠であったローマ帝国の大規模な鉱山開発について、パネルに詳しい説明があった。例えばアウグストゥスが併合したイベリア半島の金鉱山ラス・メドゥラスでは、水圧で地層を崩壊させる「山崩し法」という採掘法が取られ、6万人の奴隷が働いていたという。凄い規模です。

そして金と言えば宝飾品。硬貨に続いて、首飾り、ペンダント、腕輪、指輪、耳飾りなど美しいものもずらり。エメラルドと金を美しくデザインした首飾りなど今身につけても誰も2000年前のものだと思わないだろう。イタリア女性の洗練されたファッション・センスは1日にして成らず、ってことですね。

『錘(おもり)』 (後1世紀)



外側はブロンズ製で、中に鉛が詰まっているそうだ。長さが30cmもあるし、取っ手がついているものの結構な重さなのでは?豚を模っているところに古代ローマ人のユーモアのセンスを感じるが、一体何の錘に使ったのだろう?

『シノレスのカンデラブルム(卓上型ランプ台』 (前1世紀後半)



ローマの住居の照明は、一般には蝋燭かテラコッタ製のランプ。このランプを置く燭台をカンデラブルムという。この一角に並ぶ作例は、アール・ヌーヴォー顔負けの意匠を凝らしたデコラティヴなものばかり。本作はこの間観た映画「クリスマス・キャロル」に出てくる、“クリスマスの現在の幽霊”に似ている。ふぁ~はっはっはっ・・・

『水道の弁』 (後1世紀)

  

古代ローマ人の成し得た偉業の一つが、道路網や上下水道の設備などのインフラ整備。ローマ帝国圏内だった国々に現在も残る、まっすぐな「ローマの道」と巨大な水道橋などがすぐ浮かぶ。上はそのような水道橋建設に使われた部品である弁と、きっとこのような部品の数々がちゃんと機能していたスペインのタナゴラの水道橋(参照までに)。このような出展作品も、当時の高度な工学技術の断片資料として興味深い。

余談ながら、一介の水道技官の目を通してヴェスヴィオ火山噴火の前後4日間が物語られる「ポンペイの四日間」(ロバート・ハリス著 2005年)はとてもおもしろい小説なので、未読の方にはお薦めです。

『庭園の風景(東壁)』 



ポンペイで出土した「黄金の腕輪の家」から剥がされた壁。幅350cmを超える南壁と共に、楽園のごとき美しい情景が豊かな色彩で描かれたフレスコ画の壁を再現展示し、夢のような空間を演出。思わず "Viva, Pax Romana!" それにしても東京にいながらにしてこんな空間に身を浸すことができるなんてビックリです。

『モザイクの噴水』



驚きは、続くこちらの噴水で更に。目も覚めるような青と緑の織りなすモザイク画。目に入った瞬間、余りの美しさに思わず声が出そうになった。ニンフに捧げられた噴水だそうだが、高さ240cmもあるこの噴水が水を湛えて機能している姿を想像するだに陶然となる。

展示はこの他、東京大学の発掘調査団らによるソンマ・ヴェスヴィアーナ遺跡(ヴェスヴィオ火山の北山麓。472年の噴火で埋もれてしまった)での発掘の成果も紹介。チラシの左に写る大理石像、、『豹を抱くディオニュソス』(前1世紀-後1世紀)もその一つ。

出展作品の感想は以上だが、このような豊かな文化的生活を市民(まぁ一定の地位以上の人々に限られるのでしょうが)にもたらしたアウグストゥスの政治的手腕についてパネルの解説を読みながら、深いため息が出た。どこかの国にもこういう人がいればいいのにね。

とブツブツ言いながら、久しぶりにレスピーギの「ローマの松」が聴きたくなった。とりわけ勇壮なエンディングがかっこいい「アッピア街道の松」はいい。

ユートピア ―描かれし夢と楽園―

2009-12-06 | アート鑑賞
出光美術館 2009年10月31日(土)-12月20日(日)

出光美術館と、カタカナの「ユートピア」という展覧会名の組み合わせが何となく新鮮に感じた。そしてその「ユートピア」という白抜きの5文字が映える、溢れそうな紅葉の絵柄が使われたチラシも目を引き・・・。



裏を見ると、「日本美術の世界には、さまざまな想像の翼が大胆かつ自由に広がっています。(略)“ユートピア”(理想郷)をテーマに、絵画・工芸の優品、約60件を展示し、古来描かれてきた「夢」と「楽園」の知られざる特質を探ります」とある。何やら形而上学的にも響くが、美しいものにお目にかかれそうな予感に、私には珍しく開会して間もなくの11月上旬に足を運んだ。図録もないし、そろそろ記憶も危うくなり、本当に“夢かうつつか”になってしまいそうなので、急いで記録を残すことにします。

公式サイトはこちら

本展は以下の4つの章立てで構成されている:

Ⅰ 夢ものがたり―夢見と夢想、そして幻想
Ⅱ 描かれし蓮菜仙境―福寿と富貴
Ⅲ 美人衆芳―恋と雅
Ⅳ 花楽園―永遠なる四季

それでは順番に:

Ⅰ 夢ものがたり―夢見と夢想、そして幻想

『馬上残夢図屏風』 伝 狩野山楽 (桃山時代)

ロバに乗ったまま、うなだれて眠りに落ちている官僚。夢見るは安穏な隠遁生活。現代の、電車の中で居眠りをしているお疲れモードのサラリーマンの姿とダブる。この章では「厳しい現実からの救済」としての眠り、夢がテーマに扱われているが、みた夢が楽しければ楽しいほど起きた時の落胆は大きいもの。この官僚も、目が覚めたら隠遁どころか残夢は残務となっていることでしょう(それがキビシイ現実というものよ)。

『洞裡長春』 小杉放庵 (昭和3年(1928))

 部分

手前にフレームのごとく描かれた洞窟。その暗闇を抜けて向う側へ出れば、ホ~ラ、そこは桃源郷!穏やかな表情の唐子がのんびりと草原に座り、芳しい花の香りを楽しんでいるのが見える。現実と夢の境界線がこの洞窟、ということらしい。通常は洞窟に入って桃の花を見つける漁師の姿が描かれる主題らしいが、いずれにせよ暗い洞窟に入る勇気のある人だけに許されるのが桃源郷なのでしょうか。

『吉野龍田図屏風』 (室町時代)

チラシで楽園に誘っている作品。六曲一双の、装飾の極致たる絢爛な屏風。右隻には吉野の満開の桜、左隻には龍田の紅葉した楓。桜も楓の葉も画面から溢れんばかりで、枝ぶりはどうなっているのだなどと考えても意味がなさそう。ソファに座ってじっと対面していると幻惑され、まさに現実から浮遊して夢の中の世界へ。

『日月四季檜図屏風』 (室町時代)

六曲一双の屏風で、右隻に春と夏、左隻に秋と冬。檜の立姿だけで四季を表現した、私の今回のお気に入り。構図はシンプルながら葉の描き方は緻密で濃い。春はまだか弱さを漂わしつつ、上を向いて成長を予感させる若木、夏は葉もこんもりしてきて命の隆盛を思わせ、秋には枝ぶりもうなだれてくる。

Ⅱ 描かれし蓮菜仙境―福寿と富貴

『粉彩百鹿文双耳扁壺』 景徳鎮 中国・清「大清雍正年製」銘)

ふっくらとした壺。百鹿とある通り、鹿があちらこちらに。毛並みがとても丁寧に描かれている。鹿は禄と発音が同じなので、富をもたらすもの。だからこんなに一杯。山の峰々の青色、ちょこっと描かれた梅の花(?)のピンク色もきれい。

『寿老四季山水図』 池大雅 (宝暦11年(1761))

 部分

寿老人と福禄寿は日本では同一視されることもあるが、厳密には別々の神様。パネルに解説があったので、簡単にメモを取った。

中国古来、南半球で最も明るい星を南極老人星(カノープス)と呼んだ。長寿と天下泰平を司る星として祀ってきたこの星の化身が、道教の神様として描かれると寿老人。対して福禄寿(福星・禄星・寿星の三星を神格化したもの)は鹿や幸福を表す蝙蝠などと一緒に描かれたが、この画題が中国から日本に伝わった際に両者の混乱が生じた。

また、江戸時代の日本の絵師は、いかに笑いを誘うかという点に重きを置いて寿老人を描いた。ということでこんな頭に。池大雅の作品では後ろの鶴のくちばしもずい分長く引き伸ばされている。寿老人の表情はとても優しそうで、観ていて和む。

『福禄寿・天保九如図』 円山応挙 (寛政2年(1790))

そして応挙の福禄寿。滞りの全くないとてもきれいな線描だけど、輪郭の太い線が漫画っぽいと思ってしまった。

『百寿老画賛』 仙 (江戸時代)

100歳の老人がわやわやと100人以上集まり、楽しそうに大宴会。脱力系微笑的作品。仙崖が生きた江戸時代には、100歳まで生きるなんてそれこそ夢の話だったと思うが、今や日本の100歳以上の人口は4万人を突破。夢は如実に現実味を帯びてきている。仙の描くご老人たちのように、健康で微笑んでいられたら100歳まで生きるのも悪くはないけど。。。

『四季花鳥図屏風』 山本梅逸(やまもとばいいつ) (弘化2年(1845年))

 部分 

まるで水彩画のような瑞々しい屏風。岩や樹木に使われているこげ茶の諧調が全体をやわらかくまとめ、笹や植物の葉の淡い色彩と溶け合う。花やタンチョウの頭の赤もアクセント的に映える。画風がとても好み。

Ⅲ 美人衆芳―恋と雅

『桜下弾弦図屏風』 (江戸時代)

満開の桜の下で、三味線を弾いたり書を読んだりと遊興に興じる3人の女性と二人の女の子。それぞれが羽織る着物の柄も、尾を広げて舞う孔雀や永楽通寶の硬貨をモティーフにしていたりと凝っていて、とても艶やか。

『美人鑑賞図』 勝川春章 (江戸時代)



高塀に囲まれた女の秘密の花園。品を作る女性たちも優美だが、整然と走る直線が作る、妙な遠近法で描かれた建物も現実離れしていておもしろかった。

Ⅳ 花楽園―永遠なる四季

この章では、タイトル通り草花がモティーフの作品が並ぶ。花の命は短い。種類によって咲く時期も限られている。だから、最も美しい瞬間を描きとどめておきたい。四季を問わずその姿を愛でたい。とりわけ好きな花をいつも眺めていたい。そんな想いで四季の花々が咲き乱れる屏風画などが生まれたのだということが理解される(世の男性諸氏が女性に求める幻想のような。。。)。小さい作品だったけれど、鈴木基一『秋草図』などもさりげなく置かれていていたし、『粉彩牡丹文瓶』 景徳鎮 (中国・清「大清雍正年製」銘)は、描かれた桃色の花に一瞬にしてふわふわと夢心地にさせられた。このような感覚にさせてくれる作品に会えるから、美術館通いは止められない。

映画 『クリスマス・キャロル』

2009-12-04 | その他
12月といえばクリスマス。といえば私にとって、イギリス人の文豪チャールズ・ディケンズ(1812-1870)の小説の映画である。

年の瀬になると、毎年のようにNHKがディケンズの作品の映画を放映してくれる。『オリヴァー・トゥイスト』とか『ディヴィッド・コッパーフィールド』とか。そして私は毎回飽くことなくそれらを観て、恐らく1年中で一番イギリスが恋しくなる。

モミの木を担いで(イギリスでは八百屋で売っているそうな)、お父さんたちが坂道をヨタヨタと登っていく光景が目に浮かび、通りに面した出窓の内側で色とりどりの暖かい光を放つクリスマス・ツリーが週末ごとに増えていくロンドンの12月の宵。

ということで、たまには映画の話題でも。

封切前から話題になっていたディズニー映画「クリスマス・キャロル」。言わずと知れたディケンズの名作を元に映画化されたもので、普段ディズニー映画とかハリウッド映画には余り縁のない私も今回ばかりは観に行かずにはいられなかった。しかも私にしては珍しく手間暇かけた映画鑑賞となった。

この映画はどうしても字幕の3Dで観たい。そう思って検索をしていたのだが、私が見つけられたのは日本全国、IMAX 箕輪・川崎・菖蒲の3ヶ所だけ。あとは全て普通の字幕か、3Dであれば日本語吹替のみ。

箕輪は大阪だから、埼玉在住の私にとってチョイスは川崎と菖蒲の2ヶ所。同じ埼玉県内といえど菖蒲ってどこ?と調べると、最寄りはJR久喜駅で、しかも映画館は駅からかなり遠そう。電車代も川崎とほぼ同じだし、これは川崎の方が出やすいかな、と川崎に気持ちが傾きかけたところ、久喜には友だちがいることにハタと気がついた。

その友人に声をかけてみると、映画に付き合ってくれるばかりか、車で久喜駅と映画館の間の送迎をしてくれるという何ともラヴリーなお返事。持つべきものは友だちですね!というわけで、親の実家から届いたリンゴと樽柿をお土産に初めて久喜駅に向かった。

さて、念願かなって3D眼鏡をかけて観たこの映画の感想だが、まずは画像も音も確かにすごい迫力だった。実写とアニメの中間のような不思議な映像は「パフォーマンス・キャプチャー」という技術が使われているそうで、どんな技術かというと(以下映画のオフィシャル・サイトから引用)、「俳優の表情や動きを連続してデジタルに取り込み、それをスクリーンに再現するテクノロジー。そして、俳優の演技を、全周囲360度からコンピュータ・カメラでデジタル的に捉える」もの。

主役のエベニザー・スクルージを演じたジム・キャリーが一人で7役もこなしていると話題だが、スクルージをはじめどの役も本人の容姿の原形をとどめているとは言い難い。ただし、元となった顔の表情や身体の動き、声の演出などは素晴らしい演技であるし、私がかろうじて知っているイギリスの俳優陣の演技もとても良かったと思う。スクルージの甥役のコリン・ファースはすぐに本人とわかる容姿で登場したが、何といってもゲイリー・オールドマン。最初に登場する幽霊である、スクルージのかつての仕事のパートナーで今は亡きマーレイの鬼気迫る演技は、その登場のし方からしてホラー映画の苦手な私を震え上がらせた。

また、登場人物の肌の描写など立体的すぎるほど克明で、毛穴が汚く開いた主役の守銭奴エベニザー・スクルージや不潔っぽい葬儀屋夫婦などをじっと見ていると、ちょっと気持ち悪くなるほど。スクルージの寝室を訪れた幽霊のマーレイが、去り際に窓を開けてスクルージに見せる、責め具に苦しみながら空に浮遊する無数の亡霊たちの映像は幻想的で美しいと思ったけれど。

この映画では、マーレイの幽霊の出現に続いてクリスマスの過去・現在・未来の亡霊が順に登場して話が進んでいくが、最初の「過去の亡霊」が寝室からスクルージをしょっぴいてビュ~ン!と過去への旅に出てから、観ている側もずっとジェット・コースターに乗りっぱなしのような、息をもつかせぬ展開で進んでいく。勿論静的な場面もあるのだが、「現在の亡霊」の豪快な声と場面展開、「最後の亡霊」が現れてからの逃走シーンまで、レッドゾーンに針が振り切っている時間が圧倒的に長く感じられた。監督のロバート・ゼメキスは、「テクノロジーは物語を語るための道具であり、その逆であってはならない」と言っているが、確かに原作に忠実ではあり、ちょっとじんわりくるシーンもあるにはったが、私にはやや「映像ありき」の感が否めず。というより、私が映画に求めるものがそもそも違っていたのだろう。

本編が終わり、ふう、と思っているところにクレジット・ロールが流れ出すと、今度はオペラ歌手アンドレア・ボチェッリが朗々と歌い上げるテーマ・ソング。その大きな音量を聴きながら、あまりイギリスが恋しいという余韻には浸れなかった。

とはいえ、よく出来た映画には違いないので、3Dの画像世界で師走の気忙しさをしばし忘れるのもいいと思います。

下の画像は映画館でもらったスクルージ人形。友人は要らないと言うので、2個ゲット。今にもHumbug!(くだらない!)と毒づきそう。



ついでに、今年の国立西洋美術館の中庭のクリスマス・イルミネーション。ツリーの後ろはロダンの『地獄の門』。スクルージにピッタリ?


皇室の名宝―日本美の華 2期 正倉院宝物と書・絵巻の名品

2009-12-02 | アート鑑賞
東京国立博物館 平成館 2009年11月12日(木)-11月29日(日) *会期終了




公式サイトはこちら

1期に続き、何とか2期も観てきた。2期の会期はとても短い、とわかっていながら気付けば閉会間近。インフルエンザも流行っているし、人ごみは極力避けたいところだが、観たいものは観たい。チラ観でもいいや、と開場に向かったはずなのに、実際目の前に『春日権現験記絵』が現れたらやはり列の最後尾に並び、ケースに貼りつく私。懲りません。

構成は以下の通り:

第1章 古の美 考古遺物・法隆寺献納宝物・正倉院宝物
第2章 古筆と絵巻の競演
第3章 中世から近世の宮廷美 宸翰と京都御所のしつらえ
第4章 皇室に伝わる名刀

では順番に行きます:

第1章 古の美 考古遺物・法隆寺献納宝物・正倉院宝物

『聖徳太子像』(法隆寺献納宝物) (奈良時代 8世紀)



聖徳太子の像としては最古のもの。教科書でお馴染みのこの絵の実物を初めて観ることができた。両脇の童子の着物はもともと鮮やかな緑青が使われていたそうで、なるほど緑の断片がところどころ残る。この色が完璧にし残っていたら、さぞやきれいだったことでしょう。それにしても聖徳太子の唇は赤い。

『法華義疏(ほっけぎしょ)』 聖徳太子筆 (飛鳥時代 7世紀)

聖徳太子の直筆の書が現存しているということに単純に驚嘆する。わが国最古の肉筆遺品、だそうである。私は書のことはよくわからないが、自体はチマチマとしていて「これが聖徳太子の字かぁ」となんとなく親しみが湧いた。

『螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんのげんかん)』 (奈良時代 8世紀)

恐らく本展のハイライトの一つ。チラシにも大きくその背面部分が使われているが、阮咸とは4弦の楽器。これは聖武天皇(701-756)遺愛の品で、正倉院宝物の中でも名宝として名高い品。1m足らずの楽器だが、この装飾美はウットリ見詰める以外何ができましょう?裏面の、宝綬をくわえて舞う鸚鵡の幻想的な図柄も素晴らしいが、表の意匠もなかなか。ヘッド、フレット、ペグ、ブリッジと全ての部位がかっこよく装飾されている。

第2章 古筆と絵巻の競演

『春日権現験絵(かすがごんげんげんきえ)』 高階隆兼 (鎌倉時代 延慶2年(1309)頃)

ここでの、というか、私にとって本展のプライオリティ No.1である絵巻。NHK教育テレビの日曜美術館で詳細に紹介されているのを観て、どうしてもこの目で観たい、と馳せ参じたのは私だけではあるまい。案の定凄い人だかりで、その手前に展示されていた『絵師草紙』(これも結構おもしろい絵巻だった)から連なる列の最後尾に加わり、後ろからも横からも押されながら遅々として進まぬ状態にくじけそうになりながらも最後まで最前列で観切った。

この作品は、「藤原氏一門のこれまでの繁栄に感謝し、また以後の繁栄をも願って制作された」もので、遺例の少ない絹本。想像以上に縦幅があり(3巻それぞれ40~42cm)、本来なら押し合いへし合いなどせず、1場面1場面をゆっくりと鑑賞したい見応えのある絵巻。人物の豊かな表情、活き活きした描写はとりわけ印象的。

通常平成館は涼しいのに、この時ばかりは汗ばむ熱気。最後の雪山の情景に至った時は、丸く連なる森の木々がアイスクリームに観えてしまった。




『蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)』 (鎌倉時代 13世紀)



これも小学校の教科書を思い出す。そうそう、この弓を張る蒙古軍兵士たちの身体のしなり具合。実物はこんなに色鮮やかなのか、と初めて実物を観られたことが嬉しい。

この章では貴重な書も沢山並んでいた。書はたいていスルーだが、これだけの名前が揃っているとそうもいかない。わからないながらもお気に入りは以下の通り:

『恩命帖(おんみょうじょう)』 藤原佐理 (平安時代 天元5年(982))

藤原佐理(ふじわらのさり)は平安時代中期の公卿で、小野道風(おのとうふう)、藤原行成(ふじわらこうぜい)とともに三跡の一人だそうだ。字体の独特の角度、リズムがなんとなく枯れ枝の風情を思わせた。

『本阿弥切本古今和歌集(ほんあみぎれぼんこきんわかしゅう)』 伝小野道風 (平安時代 12世紀)

丸みを帯びてくるんくるんと流れる小さめの文字の連なりが、なんだか金細工の鎖のようにも観えた。

『堤中納言集断簡(名家家集切)』 伝紀貫之 (平安時代 11世紀)

まるで細いペンで書いたような、太さ(というより細さ?)が均等な文字が、さらさらとどこまでも流れていくような書。実に繊細。

『書状』 西行 (平安時代 12世紀)

催促のお手紙だそうだが、紙のほぼ左半分しか使われていない。しかも紙の中央あたりに行間のスペースを取りながら大きい字で書き始め、あとはその周囲に集落のごとく数行ずつの文章を書き足している(解説によると全部で8ヶ所から成る)。しかも最後は紙を90度右に倒して書き足し。文字の大きさも文章の向きもバラバラなこんなお手紙、初めて観た。芸術的ではあるけど、実際受け取ったら読みにくそう。

第3章 中世から近世の宮廷美 宸翰と京都御所のしつらえ

宸翰(しんかん)とは天皇の書いた文章。伏見天皇、花園天皇、と続いていく様々な書の作品を人波の肩越しに覗き観しながら、江戸時代の屏風絵へGO!

『扇面散屏風(せんめんちらしびょうぶ)』 俵屋宗達 (江戸時代 17世紀)

 部分

8曲1双の画面に、「保元物語」「平治物語」「伊勢物語」などの物語からのシーンや草花の絵を描き込んだ扇子が並ぶ、装飾性に凝った華やかな屏風。1曲につき扇子が三つずつ、右向き、左向き、時に折り重なるようにして縦に並ぶ。テレビで観た時は何だか安直な作品に思えたが、実物はやはり違う。離れて観ると、左隻、右隻合わせて16曲を覆う扇子の配置が絶妙。

『井出玉川(いでのたまがわ)・大井川図屏風』 狩野探幽 (江戸時代 17世紀)

右隻は、装束の裾をたくし上げて川の中で戯れる宮廷人たちののどかな春の風景。左隻は、紅葉した木々が枝を伸ばし、その赤く色づいた葉を散らす川で、いかだを操る村人たちの様子を川辺ではやし立てる宮廷人たちの楽しげな姿。この左隻に描かれた2艘のいかだがおもしろい。人が一人乗れるくらいの板が4枚ないし5枚ほど縦に連結していて、それぞれの連結部分がゆるい蛇腹のように曲がって川に浮いている。4枚続きのいかだには3人、5枚続きの方には4人が間を置いて乗り、それぞれ長い棒で必死にバランスを取っている風。3人乗りの方の一人は、棒を置いて何やら連結部分の調子を見ているようだ。これは何かゲーム用のいかだでしょうか?

『糸桜図屏風』 狩野常信 (江戸時代 17世紀)


(部分)

6曲1双の屏風だが、右隻、左隻それぞれ両端の2枚を除いた真ん中の4枚の屏風の中央に大きな簾がはめ込まれている。やや濃い目な茶色の、密に編まれた簾の上の部分にも画面上の絵が断絶せず描き込まれ、白く可憐な花をつけてしなだれる桜の枝ぶりが映える。このような屏風は初めて観た。

第4章 皇室に伝わる名刀

充実していた3章の展示作品の間に間借りのごとく展示されていた名刀10点、すみませんがスルーしてしまいました。

、「特別展関連展示 正倉院宝物の模造制作活動 伝統技術の継承と保護」ということで、1Fには正倉院宝物のレプリカが18点ほど展示されていた。本格的な模造が制作されるのは明治時代の初めからだそうで、齢1200歳以上になる(!)オリジナル作品の復元修理のためにも大変重要な意義を持つとのこと。日曜美術館でも、『春日権現験記絵』の表紙裂、巻紐、軸首を制作されたそれぞれの専門家の方々の制作場面が紹介されたが、その時に映し出された作品もここで拝見することができた。