2008年9月13日-11月9日 損保ジャパン東郷青児美術館
閉会前日の11月8日(土)、なかなか治らない風邪を押して滑り込みで観に行ってきた。
ビルのエントランスを入ると、42階の美術館に直通のエレベーターの前には長い列。若い人の姿が目立ったのも意外だった。
感想に入る前に前置きを少々。
5年ほど前、どうしてもルネッサンス美術が観たい!という思いが募って衝動的に一人フィレンツェに飛んだことがある。クリスマスの日の夜遅くに到着したのだが、翌朝ホテルから出て角を曲がった瞬間、濃い青空を背景にサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の白いファサード正面が目に飛び込んできた時は余りに嬉しくて、こみ上げる笑顔を抑えられなかった。
その足で観光案内所に行き、「フィレンツェの美術館、博物館、教会等の開館時間の一覧表を下さい」と言ってリストをもらい、一ヶ所でも、一作品でも多く観られるようその場で計画を練り直し(礼拝堂など曜日や開館時間の設定が複雑なところもあって気が狂いそうになりつつ)、ほぼ1週間、一日3か所くらいを目途に鑑賞しまくった。
浅薄な美術史の知識では到底太刀打ちできず、当然消化不良を起こしたが、毎日毎日朝から晩までフレスコ画や祭壇画にどっぷり浸かっているうちに、クリスチャンでもないのにいつしか宗教画に心の安寧を覚えるようになり、それ以来以前の苦手感がうそのように宗教画は鑑賞対象として目にすんなり馴染むようになっている。
では、この辺で本題に。
ジョット・ディ・ボンドーネ(1267年頃-1337年)は、近代西洋画の父と言われている。ヴァザーリの『芸術家列伝』には、粗野なビザンチン美術の伝統を断ち切り、「観たものを忠実に描く」画法が、ジョットにより再び息を吹き返した、というようなことが書かれている。313年の「ミラノ勅令」を古代との分岐点と見なすなら、1000年近く続いた暗黒の中世を抜け出し、古代ローマ・ギリシャ文化(ラテン文化)が「再生」されたのがルネッサンスであり、その絵画分野での「再生」の先駆けとなったのがジョット、ということになるのだろう。そう言えばウフィッツィ美術館も、入ってすぐにチマブーエ、ドゥッチョ、そしてジョットによる3メートルを超す大きな『聖母子像』の板絵が三つ並んで美術館の幕を華々しく開けている。
今回の展覧会は、ジョットが直接関わった作品が4点と、その流れを汲むジョッテスキ(ジョットの後継者たち)の作品30点とで成り立っていた。ほとんどが板にテンペラで描かれた祭壇画で、主題は圧倒的に「聖母子像」が多い。
最初の展示室にジョットの作品4点が並んでいた。
『聖母子像』 (1295年頃)
ジョット作品の特徴、すなわち「輪郭線をぼかして明暗法で立体感を出す」、「表情や身振りの写実的な描写」、「3次元的奥行き」などが実感される。マリアの紺色のマントに包まれた体の線、例えば玉座に座るマリアの膝頭の位置がはっきりわかるし、顔の凹凸、例えばアゴのひしゃげ加減、奥まった眼と筋の通った鼻(彫塑的で、彫刻家ジョットの視点を感じる)が陰影できちんと表現されている。この板絵は、アーチ形に整えるためにパネルの頂上部と両端が切断され、よって玉座のてっぺんと両端が切れてしまっているそうで、その点がとても惜しまれる。
『嘆きの聖母』
数年前にジョットのフレスコ画のかけらが日本に来ていたな、と思って調べてみたら、2005年に東京都美術館で開催された「フィレンツェ-芸術都市の誕生展」にこの『嘆きの聖母』が出展されていた。彩色された色がほとんど剥離しているが、そのおかげで聖母の衣服に残されたシノピア(下描き素描用の顔料)の朱色の線によってジョットの筆の動きが観てとれ、とても興味深い。聖母の頭の後ろにある光輪に少しだけ残る鍍金部分も含め、フレスコ画特有の、風化した風情を醸し出している。
美術館の解説パネルに、ジョットとフィレンツェ共和都市政府の誕生はほぼ同時期である、という興味深い指摘があった。市庁舎や聖堂などが次々と建設された時期にジョットは登場し、芸術家としてこれ以上にない活躍の場が用意されていたことになる。フィレンツェだけでも捌き切れないほどの仕事があっただろうに、今回パネルで丁寧に紹介されていたパドヴァのサン・スクローヴェニ礼拝堂やアッシジのサン・フランチェスコ聖堂の一連のフレスコ画群のみならず、イタリア中(やアヴィニョンまで)の主だった都市をほぼ隈なく渡り歩き、各地の聖堂などのために絵を描き続けたジョット。『芸術家列伝』には、「パドヴァ、ヴェローナでの仕事を終え、トスカーナに帰る途中フェラーラに寄ってエステ家の注文に応じ、そのあとラヴェンナに寄ってダンテの勧めでそこの聖フランチェスコ教会の内装のために絵を描き・・・」とエピソードが載っているが、実際生涯を通じて彼が描いた作品の数はどれほどだったのだろう?
私はアッシジやパドヴァにまだ行ったことがないので(いつか必ず!)、今のところ映像や画像で想像するしかないのだが、今回展示されていたそれぞれの聖堂のフレスコ画のパネル群の前で、ジョットの描く人物の表情はなんて威厳があって厳しく、時にこんなにも険しいのだろうとしみじみ眺めた。やはりポイントは言うまでもなく目。上下の瞼の輪郭線がきっちり引かれ、よって黒目と白目のコントラストも強調され、画中で視線がビーム光線のごとき飛び交う。
ジョット以外で印象に残った作品:
『携帯用三連祭壇画』 ベルナルド・ダッディ (1312年頃から1348年までフィレンツェで活動)
ベルナルド・ダッディは、ジョッテスキの中でも最も名の知られた画家の一人。これは彼の手になる個人礼拝のための携帯用小型祭壇。小型、携帯用と言っても決して小さくなく(83x55㎝)、板絵であるからそれなりに重量もあるだろうし、ぞんざいには扱えない美術品。よく持ち運んだものだ。保存状態もとてもいい。中央パネルには聖母子像、両翼は表も裏も聖人たちの絵が描き込まれており、見ごたえがある。解説に「14世紀にフィレンツェで大いに普及し、遠方地域にトスカーナ美術を普及させる手段ともなった」とあるが、これを観た北ヨーロッパの人々などは、大いにアルプスの向こうに思いを馳せたことだろう。
『聖ドンニーノの物語』 ジョヴァンニ・デル・ビオンド (フィレンツェ/1356年から1398年まで情報あり)
本展でも一緒に展示されていた『洗礼者ヨハネ』と『聖ドンニーノ』を含む多翼祭壇画のプレデッラ(裾絵)に描かれた作品。5枚の板絵から成る。聖ドンニーノは「3世紀末に生きた奇跡を起こす聖人であり、古い伝承によれば、狂犬病や伝染病を奇跡的に治癒した」という。この作品では、説法や施しをする場面に続いて、何と斬首された自分の首を持って川を渡ろうとするシーンがある。荒唐無稽と言えばそれまでだが、小さい板にまるで紙芝居のように物語風にこまごまと描かれていると、ぎょっとしつつもつい観入ってしまう。
『降誕図』 ビッチ・ディ・ロレンツォ (フィレンツェ/1373-1452年)
170x200㎝の大きな板絵の祭壇画。1435年の作品。まぐさ桶の中に寝かされた赤子キリストが細い筋状の光に包まれ、その左でひざまずいて拝むマリア、右側にはヨセフが神妙な面持ちで座る。羊飼いたちや絵の注文主である修道士の姿もあるが、とにかく群れ舞う天使の数が多い。左上方からは20人くらいの集団、右からは10人くらいのグループが二つ。その下にも3人組が3グループ。下のプレデッラの真ん中の板絵(聖三位一体が描かれている)にも左右から天使が押し寄せる。何とも賑やかな大画面である。遠近法がどうの以前に、鑑賞するのが楽しい作品。70年後に登場する、ボッティチェッリの『神秘の降誕』への流れも感じる。
『玉座の聖母子』 ロレンツォ・モナコ (シエナ/1370年頃‐フィレンツェ/1425年)と工房
それまで観てきた他の画家たちの聖母が、どちらかというと威厳に満ちた表情をしているのに対し、モナコの聖母は可憐で柔和な表情をしている。首を傾げてこちらに斜めの視線を投げかけている様子は、どことなく可愛らしくさえある。自然な頬の赤味を含め肌の色も自然で、とても人間に近づいた聖母に見える。
それにしても、東京にいながらにしてこんなにたくさんのルネッサンス期の祭壇画に囲まれることができるなんてすごいことである。プラート展、ペルジーノ展ときて今回のジョット。今後もこちらの美術館には期待申し上げたい。
閉会前日の11月8日(土)、なかなか治らない風邪を押して滑り込みで観に行ってきた。
ビルのエントランスを入ると、42階の美術館に直通のエレベーターの前には長い列。若い人の姿が目立ったのも意外だった。
感想に入る前に前置きを少々。
5年ほど前、どうしてもルネッサンス美術が観たい!という思いが募って衝動的に一人フィレンツェに飛んだことがある。クリスマスの日の夜遅くに到着したのだが、翌朝ホテルから出て角を曲がった瞬間、濃い青空を背景にサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の白いファサード正面が目に飛び込んできた時は余りに嬉しくて、こみ上げる笑顔を抑えられなかった。
その足で観光案内所に行き、「フィレンツェの美術館、博物館、教会等の開館時間の一覧表を下さい」と言ってリストをもらい、一ヶ所でも、一作品でも多く観られるようその場で計画を練り直し(礼拝堂など曜日や開館時間の設定が複雑なところもあって気が狂いそうになりつつ)、ほぼ1週間、一日3か所くらいを目途に鑑賞しまくった。
浅薄な美術史の知識では到底太刀打ちできず、当然消化不良を起こしたが、毎日毎日朝から晩までフレスコ画や祭壇画にどっぷり浸かっているうちに、クリスチャンでもないのにいつしか宗教画に心の安寧を覚えるようになり、それ以来以前の苦手感がうそのように宗教画は鑑賞対象として目にすんなり馴染むようになっている。
では、この辺で本題に。
ジョット・ディ・ボンドーネ(1267年頃-1337年)は、近代西洋画の父と言われている。ヴァザーリの『芸術家列伝』には、粗野なビザンチン美術の伝統を断ち切り、「観たものを忠実に描く」画法が、ジョットにより再び息を吹き返した、というようなことが書かれている。313年の「ミラノ勅令」を古代との分岐点と見なすなら、1000年近く続いた暗黒の中世を抜け出し、古代ローマ・ギリシャ文化(ラテン文化)が「再生」されたのがルネッサンスであり、その絵画分野での「再生」の先駆けとなったのがジョット、ということになるのだろう。そう言えばウフィッツィ美術館も、入ってすぐにチマブーエ、ドゥッチョ、そしてジョットによる3メートルを超す大きな『聖母子像』の板絵が三つ並んで美術館の幕を華々しく開けている。
今回の展覧会は、ジョットが直接関わった作品が4点と、その流れを汲むジョッテスキ(ジョットの後継者たち)の作品30点とで成り立っていた。ほとんどが板にテンペラで描かれた祭壇画で、主題は圧倒的に「聖母子像」が多い。
最初の展示室にジョットの作品4点が並んでいた。
『聖母子像』 (1295年頃)
ジョット作品の特徴、すなわち「輪郭線をぼかして明暗法で立体感を出す」、「表情や身振りの写実的な描写」、「3次元的奥行き」などが実感される。マリアの紺色のマントに包まれた体の線、例えば玉座に座るマリアの膝頭の位置がはっきりわかるし、顔の凹凸、例えばアゴのひしゃげ加減、奥まった眼と筋の通った鼻(彫塑的で、彫刻家ジョットの視点を感じる)が陰影できちんと表現されている。この板絵は、アーチ形に整えるためにパネルの頂上部と両端が切断され、よって玉座のてっぺんと両端が切れてしまっているそうで、その点がとても惜しまれる。
『嘆きの聖母』
数年前にジョットのフレスコ画のかけらが日本に来ていたな、と思って調べてみたら、2005年に東京都美術館で開催された「フィレンツェ-芸術都市の誕生展」にこの『嘆きの聖母』が出展されていた。彩色された色がほとんど剥離しているが、そのおかげで聖母の衣服に残されたシノピア(下描き素描用の顔料)の朱色の線によってジョットの筆の動きが観てとれ、とても興味深い。聖母の頭の後ろにある光輪に少しだけ残る鍍金部分も含め、フレスコ画特有の、風化した風情を醸し出している。
美術館の解説パネルに、ジョットとフィレンツェ共和都市政府の誕生はほぼ同時期である、という興味深い指摘があった。市庁舎や聖堂などが次々と建設された時期にジョットは登場し、芸術家としてこれ以上にない活躍の場が用意されていたことになる。フィレンツェだけでも捌き切れないほどの仕事があっただろうに、今回パネルで丁寧に紹介されていたパドヴァのサン・スクローヴェニ礼拝堂やアッシジのサン・フランチェスコ聖堂の一連のフレスコ画群のみならず、イタリア中(やアヴィニョンまで)の主だった都市をほぼ隈なく渡り歩き、各地の聖堂などのために絵を描き続けたジョット。『芸術家列伝』には、「パドヴァ、ヴェローナでの仕事を終え、トスカーナに帰る途中フェラーラに寄ってエステ家の注文に応じ、そのあとラヴェンナに寄ってダンテの勧めでそこの聖フランチェスコ教会の内装のために絵を描き・・・」とエピソードが載っているが、実際生涯を通じて彼が描いた作品の数はどれほどだったのだろう?
私はアッシジやパドヴァにまだ行ったことがないので(いつか必ず!)、今のところ映像や画像で想像するしかないのだが、今回展示されていたそれぞれの聖堂のフレスコ画のパネル群の前で、ジョットの描く人物の表情はなんて威厳があって厳しく、時にこんなにも険しいのだろうとしみじみ眺めた。やはりポイントは言うまでもなく目。上下の瞼の輪郭線がきっちり引かれ、よって黒目と白目のコントラストも強調され、画中で視線がビーム光線のごとき飛び交う。
ジョット以外で印象に残った作品:
『携帯用三連祭壇画』 ベルナルド・ダッディ (1312年頃から1348年までフィレンツェで活動)
ベルナルド・ダッディは、ジョッテスキの中でも最も名の知られた画家の一人。これは彼の手になる個人礼拝のための携帯用小型祭壇。小型、携帯用と言っても決して小さくなく(83x55㎝)、板絵であるからそれなりに重量もあるだろうし、ぞんざいには扱えない美術品。よく持ち運んだものだ。保存状態もとてもいい。中央パネルには聖母子像、両翼は表も裏も聖人たちの絵が描き込まれており、見ごたえがある。解説に「14世紀にフィレンツェで大いに普及し、遠方地域にトスカーナ美術を普及させる手段ともなった」とあるが、これを観た北ヨーロッパの人々などは、大いにアルプスの向こうに思いを馳せたことだろう。
『聖ドンニーノの物語』 ジョヴァンニ・デル・ビオンド (フィレンツェ/1356年から1398年まで情報あり)
本展でも一緒に展示されていた『洗礼者ヨハネ』と『聖ドンニーノ』を含む多翼祭壇画のプレデッラ(裾絵)に描かれた作品。5枚の板絵から成る。聖ドンニーノは「3世紀末に生きた奇跡を起こす聖人であり、古い伝承によれば、狂犬病や伝染病を奇跡的に治癒した」という。この作品では、説法や施しをする場面に続いて、何と斬首された自分の首を持って川を渡ろうとするシーンがある。荒唐無稽と言えばそれまでだが、小さい板にまるで紙芝居のように物語風にこまごまと描かれていると、ぎょっとしつつもつい観入ってしまう。
『降誕図』 ビッチ・ディ・ロレンツォ (フィレンツェ/1373-1452年)
170x200㎝の大きな板絵の祭壇画。1435年の作品。まぐさ桶の中に寝かされた赤子キリストが細い筋状の光に包まれ、その左でひざまずいて拝むマリア、右側にはヨセフが神妙な面持ちで座る。羊飼いたちや絵の注文主である修道士の姿もあるが、とにかく群れ舞う天使の数が多い。左上方からは20人くらいの集団、右からは10人くらいのグループが二つ。その下にも3人組が3グループ。下のプレデッラの真ん中の板絵(聖三位一体が描かれている)にも左右から天使が押し寄せる。何とも賑やかな大画面である。遠近法がどうの以前に、鑑賞するのが楽しい作品。70年後に登場する、ボッティチェッリの『神秘の降誕』への流れも感じる。
『玉座の聖母子』 ロレンツォ・モナコ (シエナ/1370年頃‐フィレンツェ/1425年)と工房
それまで観てきた他の画家たちの聖母が、どちらかというと威厳に満ちた表情をしているのに対し、モナコの聖母は可憐で柔和な表情をしている。首を傾げてこちらに斜めの視線を投げかけている様子は、どことなく可愛らしくさえある。自然な頬の赤味を含め肌の色も自然で、とても人間に近づいた聖母に見える。
それにしても、東京にいながらにしてこんなにたくさんのルネッサンス期の祭壇画に囲まれることができるなんてすごいことである。プラート展、ペルジーノ展ときて今回のジョット。今後もこちらの美術館には期待申し上げたい。