国立新美術館 2010年1月20日(水)-4月5日(月)
公式サイトはこちら
ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)の芸術の全容を、国内外の美術館のコレクションから集めた80点ほどの作品で紹介する展覧会。
生涯に絵画だけで6000点を超える作品を残したというだけあって、国内外問わずどこにでも彼の作品があるような印象を受けるが、考えてみれば私にとってルノワールの大がかりな個展というのはこれが初めて。
日本ではまるで国民的画家と言えそうなほど人気のある画家なのかもしれないが、私には正直、「ああ、いいな」と思える作品と、「ん~、苦手」と感じるものとがあり、どちらかというと後者の方が多い。そのことについて改めて探るのにも、本展はよい機会となった。
本展の構成は以下の通り:
第Ⅰ章 ルノワールへの旅
第Ⅱ章 身体表現
第Ⅲ章 花と装飾画第
第Ⅳ章 ファッションとロココの伝統
以下、章ごとに見ていきたいと思います:
第Ⅰ章 ルノワールへの旅
まず、約60年に及ぶルノワールの画業について、大きく三つの時代に区分けできるという解説があった。すなわち、①19歳~38歳(シャルル・グレールの画塾での修業時代。印象主義の画風を編み出し、他の印象派の画家たちと1874年開催の第1回印象派展にも参加)、②39歳~50歳(印象派から離れ、サロンでの成功を収める。アルジェリアやイタリア旅行を経験し、模索と試行の時代)、そして③51歳~78歳(モダニズムと絵画の伝統の間で常に模索しつつ、様式を集大成させる)。
ルノワールの名前の前には必ずと言ってよいほど「印象派の巨匠」という言葉が冠されるが、上記の説明によるといわゆる印象派の技法を追ったのは画業の初期だけで、あとは作風に関してずっと試行錯誤を続けた人だった。
さて、この第1章は「ルノワールゆかりの人物や風景画」が並ぶとのことで、様々な年代に渡って描かれた肖像画や、彼が住んだり訪れたりした場所の風景画などが展示されていた。これはまあイントロダクション的な意味合いの章かもしれないが、以下続く章立ての構成も制作年ではなくモティーフや主題で括られている。このような大規模な回顧展であれば、個人的には制作年代で追った方がルノワールの画風の変遷がわかりやすかったのでは、と思ったけれど、どうでしょうね。
『アンリオ夫人』 (1876)
ルノワールは温厚な性格だったため、モデルをリラックスさせるという点では肖像画家向きだったと聞く。このアンリオ夫人の首から下はほとんど淡い背景と溶け込んでしまいそうで、その分くっきりした大きな瞳がより強い印象を放っている。この女性は女優で、かつルノワールの恋人だったとされ、1870年代の作品に多く描かれているそうだ。
『団扇を持つ若い女』 (1879-1880)
チラシに使われている作品。ん~、これは素人目に観て構図の比重がどうかと思った。背景の花と手前の女性の描き分けがあまり感じられず、どちらが主役なのだろうか、と。ガチガチに肖像画だと考えずに観ればいいのでしょうか?
『ジュリー・マネの肖像』 (1894)
ジュリーは、画家ベルト・モリゾとエドゥアール・モネの弟であるウジェーヌ・マネとの間に生まれた女の子。父、母、伯母が立て続けに世を去って、16歳にして孤児となってしまったそうで、これはその頃に描かれた肖像画。黒いドレスを着て長く豊かな髪をたらす美しいジュリーの瞳には、深い孤独感が漂っているように見受けられる。衣服や背景をそれほど描き込まず、少女の沈んだ感情をキャンバスに写し取ることに集中し、とても速い筆運びで描き出したような作品。
『ブージヴァルのダンス』 (1883)
181.9x98.1cmの縦長の大きめの画面に、踊る男女の全身像を捉えた作品。踊りながら身を翻す女性の躍動感が伝わってくる。男性のファッションが何だか野暮ったいような気もするが。女性のモデルとなったのは、のちにあのモーリス・ユトリロの母となるマリー=クレマンティーヌ・ヴァラドンだそうです。
第Ⅱ章 身体表現
ルノワールが生涯を通して探究したという裸体画。実は、観ているうちにこちらの平衡感覚が失われていくようなモヤモヤした風景画(失礼!)と共に私がルノワール作品で最も苦手とするコーナー。確かに一言で裸体と言ってもその表現には年代ごとに変化が見てとれるが、例えば「厳格な輪郭線と量感の表現による古典的なアングル様式」と言われる1880年代の作品群を観ても、私にはどうにもピンとこない。とりわけ最晩年の、バラ色の裸婦像群はお手上げ。描かれた女性の内面的なものが感じられず、ひたすら肉塊を追っているように感じてしまうのです(我ながらひどい言いようだが)。
話は飛ぶが、次の第Ⅲ章に『アネモネ』(1883-1890)という、花瓶に入った花の静物画が展示されているのだが、解説に「花を描くことは、ルノワールにとって女性の肌の色合いや質感の表現を探求するための重要な機会」とあり、それも附に落ちなかった。花を描くのだから、「花」を描けばいいのに、なんて思ってみたり。
がしかし、展示室で裸婦像に観入る初老の男性たちを観察しているうちに、やはり鑑賞の側には自然な性差があり、かつ自分はルノワールに求めてはいけないものを求めているだけなのだと思い始めた。これらの、はち切れそうなバラ色の肉体を描いたのは、重度のリューマチに苦しみ、車椅子に座ってキャンバスに向かった晩年のルノワール。その生に対する前向きな創作意欲はすごいではないか。
次の第Ⅲ章に入る前に、最新の光学調査によって判明したルノワールの技法(例えば肌の光の当たっている部分を表現するために、あらかじめ鉛白が塗られているとか)を映像やパネルで解説する大がかりなコーナーが設けられていた。油彩画の鑑定などでよく耳にする用語の説明があったので、メモしてきた。
光源から発せられる電磁波の波長が、可視光線(人間の目による鑑賞)より短いものが紫外線、長いものが赤外線、そして紫外線より短いのがX線。
鑑定箇所によって以下のように使い分けられる:
紫外線→絵画の表層
赤外線→絵の具層の下のデッサン
X線→支持体の状態
第Ⅲ章 花と装飾画
この章では、「絵画は壁を飾るために描かれるものだ。だから、できるだけ豊かなものであるべきだ」という言葉を残したルノワールの、“装飾”を切り口にした作品群が並ぶ。
『花瓶の花』 (1866)
これは落ち着いた色彩が好みだったのでポストカードを買った。初期の作品。あとは『水差し』(制作年不詳)が良かった。
第Ⅳ章 ファッションとロココの伝統
そもそもルノワールは13歳で陶器の絵付け職人として働き始め、20歳の時にようやく貯めたお金で画塾に入った人。絵付け職人の時代は、ルーヴルに通って学んだロココ風の図柄を陶器製品に描いていたということで、この章では18世紀フランス絵画の伝統をその作品に追う。
『レースの帽子の少女』 (1891)
この作品は、2006年にBunkamuraで開催されていた「ポーラ美術館の印象派コレクション展」で年明け早々に観て、新年らしくとても爽やかな気分にさせてくれたことを覚えている。モネの睡蓮を思わせるような美しいブルー・グリーンの背景と、心身ともに健やかそうな少女の自然な肌色、レース飾りのついた帽子の筆触が好きだった。
最後に、年表やルノワールがしたためた書簡を見ながら改めて思ったのは、ルノワールが生きた時代は決して穏やかではなかったのだということ。20代の時に自ら徴兵された普仏戦争や、息子二人を徴兵された第一次世界大戦などが起こっていた時代の中で、その時勢を嘆きつつも後に「幸福の画家」と呼ばれるような生命賛歌的作品を、よくこれほど描きまくったものだと思った。
公式サイトはこちら
ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)の芸術の全容を、国内外の美術館のコレクションから集めた80点ほどの作品で紹介する展覧会。
生涯に絵画だけで6000点を超える作品を残したというだけあって、国内外問わずどこにでも彼の作品があるような印象を受けるが、考えてみれば私にとってルノワールの大がかりな個展というのはこれが初めて。
日本ではまるで国民的画家と言えそうなほど人気のある画家なのかもしれないが、私には正直、「ああ、いいな」と思える作品と、「ん~、苦手」と感じるものとがあり、どちらかというと後者の方が多い。そのことについて改めて探るのにも、本展はよい機会となった。
本展の構成は以下の通り:
第Ⅰ章 ルノワールへの旅
第Ⅱ章 身体表現
第Ⅲ章 花と装飾画第
第Ⅳ章 ファッションとロココの伝統
以下、章ごとに見ていきたいと思います:
第Ⅰ章 ルノワールへの旅
まず、約60年に及ぶルノワールの画業について、大きく三つの時代に区分けできるという解説があった。すなわち、①19歳~38歳(シャルル・グレールの画塾での修業時代。印象主義の画風を編み出し、他の印象派の画家たちと1874年開催の第1回印象派展にも参加)、②39歳~50歳(印象派から離れ、サロンでの成功を収める。アルジェリアやイタリア旅行を経験し、模索と試行の時代)、そして③51歳~78歳(モダニズムと絵画の伝統の間で常に模索しつつ、様式を集大成させる)。
ルノワールの名前の前には必ずと言ってよいほど「印象派の巨匠」という言葉が冠されるが、上記の説明によるといわゆる印象派の技法を追ったのは画業の初期だけで、あとは作風に関してずっと試行錯誤を続けた人だった。
さて、この第1章は「ルノワールゆかりの人物や風景画」が並ぶとのことで、様々な年代に渡って描かれた肖像画や、彼が住んだり訪れたりした場所の風景画などが展示されていた。これはまあイントロダクション的な意味合いの章かもしれないが、以下続く章立ての構成も制作年ではなくモティーフや主題で括られている。このような大規模な回顧展であれば、個人的には制作年代で追った方がルノワールの画風の変遷がわかりやすかったのでは、と思ったけれど、どうでしょうね。
『アンリオ夫人』 (1876)
ルノワールは温厚な性格だったため、モデルをリラックスさせるという点では肖像画家向きだったと聞く。このアンリオ夫人の首から下はほとんど淡い背景と溶け込んでしまいそうで、その分くっきりした大きな瞳がより強い印象を放っている。この女性は女優で、かつルノワールの恋人だったとされ、1870年代の作品に多く描かれているそうだ。
『団扇を持つ若い女』 (1879-1880)
チラシに使われている作品。ん~、これは素人目に観て構図の比重がどうかと思った。背景の花と手前の女性の描き分けがあまり感じられず、どちらが主役なのだろうか、と。ガチガチに肖像画だと考えずに観ればいいのでしょうか?
『ジュリー・マネの肖像』 (1894)
ジュリーは、画家ベルト・モリゾとエドゥアール・モネの弟であるウジェーヌ・マネとの間に生まれた女の子。父、母、伯母が立て続けに世を去って、16歳にして孤児となってしまったそうで、これはその頃に描かれた肖像画。黒いドレスを着て長く豊かな髪をたらす美しいジュリーの瞳には、深い孤独感が漂っているように見受けられる。衣服や背景をそれほど描き込まず、少女の沈んだ感情をキャンバスに写し取ることに集中し、とても速い筆運びで描き出したような作品。
『ブージヴァルのダンス』 (1883)
181.9x98.1cmの縦長の大きめの画面に、踊る男女の全身像を捉えた作品。踊りながら身を翻す女性の躍動感が伝わってくる。男性のファッションが何だか野暮ったいような気もするが。女性のモデルとなったのは、のちにあのモーリス・ユトリロの母となるマリー=クレマンティーヌ・ヴァラドンだそうです。
第Ⅱ章 身体表現
ルノワールが生涯を通して探究したという裸体画。実は、観ているうちにこちらの平衡感覚が失われていくようなモヤモヤした風景画(失礼!)と共に私がルノワール作品で最も苦手とするコーナー。確かに一言で裸体と言ってもその表現には年代ごとに変化が見てとれるが、例えば「厳格な輪郭線と量感の表現による古典的なアングル様式」と言われる1880年代の作品群を観ても、私にはどうにもピンとこない。とりわけ最晩年の、バラ色の裸婦像群はお手上げ。描かれた女性の内面的なものが感じられず、ひたすら肉塊を追っているように感じてしまうのです(我ながらひどい言いようだが)。
話は飛ぶが、次の第Ⅲ章に『アネモネ』(1883-1890)という、花瓶に入った花の静物画が展示されているのだが、解説に「花を描くことは、ルノワールにとって女性の肌の色合いや質感の表現を探求するための重要な機会」とあり、それも附に落ちなかった。花を描くのだから、「花」を描けばいいのに、なんて思ってみたり。
がしかし、展示室で裸婦像に観入る初老の男性たちを観察しているうちに、やはり鑑賞の側には自然な性差があり、かつ自分はルノワールに求めてはいけないものを求めているだけなのだと思い始めた。これらの、はち切れそうなバラ色の肉体を描いたのは、重度のリューマチに苦しみ、車椅子に座ってキャンバスに向かった晩年のルノワール。その生に対する前向きな創作意欲はすごいではないか。
次の第Ⅲ章に入る前に、最新の光学調査によって判明したルノワールの技法(例えば肌の光の当たっている部分を表現するために、あらかじめ鉛白が塗られているとか)を映像やパネルで解説する大がかりなコーナーが設けられていた。油彩画の鑑定などでよく耳にする用語の説明があったので、メモしてきた。
光源から発せられる電磁波の波長が、可視光線(人間の目による鑑賞)より短いものが紫外線、長いものが赤外線、そして紫外線より短いのがX線。
鑑定箇所によって以下のように使い分けられる:
紫外線→絵画の表層
赤外線→絵の具層の下のデッサン
X線→支持体の状態
第Ⅲ章 花と装飾画
この章では、「絵画は壁を飾るために描かれるものだ。だから、できるだけ豊かなものであるべきだ」という言葉を残したルノワールの、“装飾”を切り口にした作品群が並ぶ。
『花瓶の花』 (1866)
これは落ち着いた色彩が好みだったのでポストカードを買った。初期の作品。あとは『水差し』(制作年不詳)が良かった。
第Ⅳ章 ファッションとロココの伝統
そもそもルノワールは13歳で陶器の絵付け職人として働き始め、20歳の時にようやく貯めたお金で画塾に入った人。絵付け職人の時代は、ルーヴルに通って学んだロココ風の図柄を陶器製品に描いていたということで、この章では18世紀フランス絵画の伝統をその作品に追う。
『レースの帽子の少女』 (1891)
この作品は、2006年にBunkamuraで開催されていた「ポーラ美術館の印象派コレクション展」で年明け早々に観て、新年らしくとても爽やかな気分にさせてくれたことを覚えている。モネの睡蓮を思わせるような美しいブルー・グリーンの背景と、心身ともに健やかそうな少女の自然な肌色、レース飾りのついた帽子の筆触が好きだった。
最後に、年表やルノワールがしたためた書簡を見ながら改めて思ったのは、ルノワールが生きた時代は決して穏やかではなかったのだということ。20代の時に自ら徴兵された普仏戦争や、息子二人を徴兵された第一次世界大戦などが起こっていた時代の中で、その時勢を嘆きつつも後に「幸福の画家」と呼ばれるような生命賛歌的作品を、よくこれほど描きまくったものだと思った。