l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

ルノワール ~伝統と革新

2010-02-28 | アート鑑賞
国立新美術館 2010年1月20日(水)-4月5日(月)



公式サイトはこちら

ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)の芸術の全容を、国内外の美術館のコレクションから集めた80点ほどの作品で紹介する展覧会。

生涯に絵画だけで6000点を超える作品を残したというだけあって、国内外問わずどこにでも彼の作品があるような印象を受けるが、考えてみれば私にとってルノワールの大がかりな個展というのはこれが初めて。

日本ではまるで国民的画家と言えそうなほど人気のある画家なのかもしれないが、私には正直、「ああ、いいな」と思える作品と、「ん~、苦手」と感じるものとがあり、どちらかというと後者の方が多い。そのことについて改めて探るのにも、本展はよい機会となった。

本展の構成は以下の通り:

第Ⅰ章 ルノワールへの旅
第Ⅱ章 身体表現
第Ⅲ章 花と装飾画第
第Ⅳ章 ファッションとロココの伝統


以下、章ごとに見ていきたいと思います:

第Ⅰ章 ルノワールへの旅

まず、約60年に及ぶルノワールの画業について、大きく三つの時代に区分けできるという解説があった。すなわち、①19歳~38歳(シャルル・グレールの画塾での修業時代。印象主義の画風を編み出し、他の印象派の画家たちと1874年開催の第1回印象派展にも参加)、②39歳~50歳(印象派から離れ、サロンでの成功を収める。アルジェリアやイタリア旅行を経験し、模索と試行の時代)、そして③51歳~78歳(モダニズムと絵画の伝統の間で常に模索しつつ、様式を集大成させる)。

ルノワールの名前の前には必ずと言ってよいほど「印象派の巨匠」という言葉が冠されるが、上記の説明によるといわゆる印象派の技法を追ったのは画業の初期だけで、あとは作風に関してずっと試行錯誤を続けた人だった。

さて、この第1章は「ルノワールゆかりの人物や風景画」が並ぶとのことで、様々な年代に渡って描かれた肖像画や、彼が住んだり訪れたりした場所の風景画などが展示されていた。これはまあイントロダクション的な意味合いの章かもしれないが、以下続く章立ての構成も制作年ではなくモティーフや主題で括られている。このような大規模な回顧展であれば、個人的には制作年代で追った方がルノワールの画風の変遷がわかりやすかったのでは、と思ったけれど、どうでしょうね。

『アンリオ夫人』  (1876)



ルノワールは温厚な性格だったため、モデルをリラックスさせるという点では肖像画家向きだったと聞く。このアンリオ夫人の首から下はほとんど淡い背景と溶け込んでしまいそうで、その分くっきりした大きな瞳がより強い印象を放っている。この女性は女優で、かつルノワールの恋人だったとされ、1870年代の作品に多く描かれているそうだ。

『団扇を持つ若い女』 (1879-1880)

チラシに使われている作品。ん~、これは素人目に観て構図の比重がどうかと思った。背景の花と手前の女性の描き分けがあまり感じられず、どちらが主役なのだろうか、と。ガチガチに肖像画だと考えずに観ればいいのでしょうか?

『ジュリー・マネの肖像』 (1894)

ジュリーは、画家ベルト・モリゾとエドゥアール・モネの弟であるウジェーヌ・マネとの間に生まれた女の子。父、母、伯母が立て続けに世を去って、16歳にして孤児となってしまったそうで、これはその頃に描かれた肖像画。黒いドレスを着て長く豊かな髪をたらす美しいジュリーの瞳には、深い孤独感が漂っているように見受けられる。衣服や背景をそれほど描き込まず、少女の沈んだ感情をキャンバスに写し取ることに集中し、とても速い筆運びで描き出したような作品。

『ブージヴァルのダンス』 (1883)



181.9x98.1cmの縦長の大きめの画面に、踊る男女の全身像を捉えた作品。踊りながら身を翻す女性の躍動感が伝わってくる。男性のファッションが何だか野暮ったいような気もするが。女性のモデルとなったのは、のちにあのモーリス・ユトリロの母となるマリー=クレマンティーヌ・ヴァラドンだそうです。

第Ⅱ章 身体表現

ルノワールが生涯を通して探究したという裸体画。実は、観ているうちにこちらの平衡感覚が失われていくようなモヤモヤした風景画(失礼!)と共に私がルノワール作品で最も苦手とするコーナー。確かに一言で裸体と言ってもその表現には年代ごとに変化が見てとれるが、例えば「厳格な輪郭線と量感の表現による古典的なアングル様式」と言われる1880年代の作品群を観ても、私にはどうにもピンとこない。とりわけ最晩年の、バラ色の裸婦像群はお手上げ。描かれた女性の内面的なものが感じられず、ひたすら肉塊を追っているように感じてしまうのです(我ながらひどい言いようだが)。

話は飛ぶが、次の第Ⅲ章に『アネモネ』(1883-1890)という、花瓶に入った花の静物画が展示されているのだが、解説に「花を描くことは、ルノワールにとって女性の肌の色合いや質感の表現を探求するための重要な機会」とあり、それも附に落ちなかった。花を描くのだから、「花」を描けばいいのに、なんて思ってみたり。

がしかし、展示室で裸婦像に観入る初老の男性たちを観察しているうちに、やはり鑑賞の側には自然な性差があり、かつ自分はルノワールに求めてはいけないものを求めているだけなのだと思い始めた。これらの、はち切れそうなバラ色の肉体を描いたのは、重度のリューマチに苦しみ、車椅子に座ってキャンバスに向かった晩年のルノワール。その生に対する前向きな創作意欲はすごいではないか。

次の第Ⅲ章に入る前に、最新の光学調査によって判明したルノワールの技法(例えば肌の光の当たっている部分を表現するために、あらかじめ鉛白が塗られているとか)を映像やパネルで解説する大がかりなコーナーが設けられていた。油彩画の鑑定などでよく耳にする用語の説明があったので、メモしてきた。

光源から発せられる電磁波の波長が、可視光線(人間の目による鑑賞)より短いものが紫外線、長いものが赤外線、そして紫外線より短いのがX線

鑑定箇所によって以下のように使い分けられる:

紫外線→絵画の表層
赤外線→絵の具層の下のデッサン
X線→支持体の状態

第Ⅲ章 花と装飾画

この章では、「絵画は壁を飾るために描かれるものだ。だから、できるだけ豊かなものであるべきだ」という言葉を残したルノワールの、“装飾”を切り口にした作品群が並ぶ。

『花瓶の花』 (1866)



これは落ち着いた色彩が好みだったのでポストカードを買った。初期の作品。あとは『水差し』(制作年不詳)が良かった。

第Ⅳ章 ファッションとロココの伝統

そもそもルノワールは13歳で陶器の絵付け職人として働き始め、20歳の時にようやく貯めたお金で画塾に入った人。絵付け職人の時代は、ルーヴルに通って学んだロココ風の図柄を陶器製品に描いていたということで、この章では18世紀フランス絵画の伝統をその作品に追う。

『レースの帽子の少女』 (1891)



この作品は、2006年にBunkamuraで開催されていた「ポーラ美術館の印象派コレクション展」で年明け早々に観て、新年らしくとても爽やかな気分にさせてくれたことを覚えている。モネの睡蓮を思わせるような美しいブルー・グリーンの背景と、心身ともに健やかそうな少女の自然な肌色、レース飾りのついた帽子の筆触が好きだった。

最後に、年表やルノワールがしたためた書簡を見ながら改めて思ったのは、ルノワールが生きた時代は決して穏やかではなかったのだということ。20代の時に自ら徴兵された普仏戦争や、息子二人を徴兵された第一次世界大戦などが起こっていた時代の中で、その時勢を嘆きつつも後に「幸福の画家」と呼ばれるような生命賛歌的作品を、よくこれほど描きまくったものだと思った。

愛のヴィクトリアン・ジュエリー展

2010-02-16 | アート鑑賞
Bunkamura ザ・ミュージアム 2010年1月2日(土)-2月21日

   

展覧会のタイトルから、宝飾品が優雅に並ぶ軽やかな展示会場を勝手に想像していたが、実際はジュエリーのみならず英国のヴィクトリア朝時代(1837-1901)の文化をより広い視点から紹介する、とても充実した展覧会だった。出展作品が300点近くある上、解説も懇切丁寧であるし、資料的なものも沢山出ているので、思いのほか観るのに時間を費やした。

展示の仕方についても、作品の素材やテーマごとに分けられた大小の個別のケースが適度な間隔で並べられ、また柱をくり抜いた中に作品を飾るような演出などもあり、見やすさと美観が考慮された素敵な空間が出来上がっていたと思う。会場内の様子は公式サイトに動画「スペシャル・ビジュアルツアー」があるので、是非ご参照を。

本展の構成は以下の通り:

プロローグ ヴィクトリア女王の愛
Ⅰ アンティーク・ジュエリー
Ⅱ 歓びのウェディングから悲しみのモーニングへ
Ⅲ 優雅なひととき―アフタヌーン・ティー


では章ごとに目に留まった解説や作品など、ほんの少しですが挙げていきます:

プロローグ ヴィクトリア女王の愛

#1 『若き日のヴィクトリア女王』 (1842) F.X. ヴィンターハルター工房

まずはパネルの解説を端折っておさらいからいきましょうか。ヴィクトリア女王(1819-1901年)は、1837年に18歳にして大英帝国の王位につき、以後64年間に渡ってヴィクトリア朝時代を治めた女王。1839年、20歳のときにアルバート公と結婚。産業革命を経て植民地政策で大いに栄える大英帝国にて、二人は美術工芸を奨励し(ヴィクトリア&アルバート博物館も二人の功績を物語ります)、ヴィクトリア女王はファッション・リーダー、そしてアフタヌーン・ティーやクリスマス・ツリーを流行らせるなど英国中産階級の文化のトレンド・セッターでもあった。9人の子宝に恵まれ、「平和の家庭の象徴」とされるも、結婚21年目で夫アルバート公が死去。以降25年間喪に服す。

この油彩画は(といいつつ画像がないが)、ヴィクトリア女王が寵愛したドイツ人画家、ヴィンターハルターの工房による女王の肖像画(ヴィンターハルターというと、昨年の「THE ハプスブルク展」で人気を集めたエリザベート妃の肖像画が記憶に新しいが、英国のロイヤル・コレクションにも、この画家による作品が100点以上所蔵されているとか)。1842年というと、女王23歳。最愛の伴侶を得て第一子も既に授かっており、その大きなブルーの瞳には落ち着きと自信の萌芽が宿っているように見える。胸のハート型のロケットには、きっとアルバート公の写真が入っていたのでしょうね。

Ⅰ アンティーク・ジュエリー

#5 シトリン&カラーゴールドパリュール (1830年頃)
ヴィクトリア朝時代のアンティーク・ジュエリーと聞くと、よくポートベローやカムデンなどのアンティーク・マーケットのガラス・ケースに並ぶ華奢な作りの宝飾品を思い浮かべるが、本展ではさすがにしっかりしたものが並ぶ。

同一の素材とデザインで作られた一揃い(ティアラ、ネックレス、ブレスレット、ブローチ、イヤリング)のジュエリーをパリュールといい、この作品は黄味がかった褐色のシトリンとゴールドの台が一体化していて美しい。やはり揃っているというのは一番おしゃれ。

ちなみに カラーゴールドとは合金。ゴールドは純粋な状態で加工するのが難しいため、赤味が欲しい時は銅、青みが欲しい時は銅を混ぜるそうです。本展ではそんな説明が盛りだくさん。

#13 『リガードパドロックペンダント』 (1820~30年頃)



Ruby、Emerald、Garnet、Amethyst、Ruby、Diamondの6種類(実際はルビーが重複しているので5種類)の宝石を使い、その頭の文字を綴ってREGARD(敬愛)を表す装飾を「リガード装飾」という。19世紀初期のセンチメンタリズム(感傷主義)に呼応する装飾法だそうで、これはそれを取り入れたペンダント。小さな作品だけど、金細工の台座にトルコ石やパールなども加えられ華やか。

#16 『ターコイズ&ゴールドブローチ』 (1830年頃)
小さなターコイズがあしらわれた羽を広げて飛翔する金の鳩が口にくわえるのは、勿忘草。これもセンチメンタル・ジュエリー。いじらしいというか奥ゆかしいというか。チラシ裏の右上の角に見えるのがそのブローチ。

#31 『シードパールミニチュアールブローチ』 (1800年頃)
シードパールったって、こんな白ゴマみたいに微細なものもあるのですね。職人さんも息を留めないと作業中に飛んでしまうのでは?と余計な心配まで。。。

#36 『シードパールティアラ』 (19世紀初期)



シードパールのみで装飾されたティアラ。どんなに小さなパールの粒にも孔が開けられ、細い糸で台座に固定されている。身につけた人の動きに合わせて各パーツが頭の上で揺れる作りになっているが、実際展示ケースの前を歩く人の振動だけでフルフルと震えるように動いていた。

#57 『スイスエナメルブローチ』 (19世紀中頃)
山々と山小屋が、空気遠近法とでもいうような見事な描写で描きこまれている。

#68 『オニキスカメオ&ダイヤモンドブローチ』 (19世紀中頃)
バラのリースを頭に載せたクピドの横顔。背に生える小さな羽が愛らしい。ちなみに浮き彫りをカメオと呼ぶのに対し、沈み彫りというのもあって、これをインタリオと呼ぶそうだ。そのインタリオの作品も何点か並ぶ。元々このような技法を使った装飾品は男性が権力の象徴として身につけていたために、モティーフは神話や古代の英雄が多かった。ヴィクトリア朝時代から女性の装身具につかわれるようになり、繊細なデザインが登場。カメオの素材もシェル、石、コーラル、べっ甲と様々。

#71 『ラブラドライトカメオペンダント』 (19世紀中頃)
初めて知ったラブラドライトという石。観る角度によって色が変わるが(これを遊色効果というらしい)、このペンダントのミネルヴァの横顔も青、緑、黒と変幻する。

#84 『ローマンモザイク&ゴールドブレスレット(ペア)』 (19世紀中頃)
踊る男女が描写された一対のブレスレット。ローマンモザイクは細かいガラス片(2万色もあるとは驚き)を敷き詰めたもので、一見してモザイクに見えない滑らかな表面が美しい。このコーナーにはフローレンスモザイクの作品も並ぶ。こちらはベースの大理石にモティーフの輪郭を彫り、その中に様々な色の半貴石を平らにカットして嵌め込んだもの。

#107 『フレンチペーストブローチ』 (1830年頃)
ダイヤモンドのように見えるが、ペーストという技法でガラスを加工したもの。ダイヤモンドについては「18世紀にベルギーでブリリアント・カット技術が発明されて以来、宝石の中心となり、それまで唯一の産出国であったインドに加え1725年にブラジルで鉱脈が発見されるとヨーロッパで大流行」との説明があった。きっと生産に追い付かないほどの需要があったはずだから、このペーストという技術は大ヒットだったのでは?

この辺りのケースには、この他べっ甲、アイボリー、珊瑚や珍しいところでは雄牛の角、昆虫、サメの歯など、本当に様々な素材の宝飾品が並んでいて見応えがあった。

#150 『ラーヴァカメオ「メドゥーサ」』 (19世紀中頃)
柱をくり抜いたケースの一つを覗き込むと、何とも美しいメドゥーサが。繊細な髪の毛の表現、苦悩しているような眉間のしわ。この作品は旧イスメリアン・コレクションから。

他にも宝飾史上最も貴重なものとして世界的に高く評価されているという「旧ジョン・シェルダン・コレクション」からの作品も並んでいた。

#153 『チャールズ1世のモーニングスライド』 (1658年頃)
一見きれいなブローチ風だけれど、英国王室で唯一処刑された王であるチャールズ1世の遺髪を水晶で覆ったモーニング・ジュエリー。華やかなヴィクトリア朝からピューリタン革命の時代に飛んでちょっと意表を突かれたが、歴史資料としても珍しい作品を観られて良かった。

ところで英国王室の君主には家臣に宝飾品を贈答する風習があり、特にヴィクトリア女王は裏方の人々にも様々な品を贈ったという。この辺りのコーナーには、そんな品々や王室メンバーにちなんだ作品(なぜかダイアナ妃のダイヤモンドリングまで)が並ぶ。

Ⅱ 歓びのウェディングから悲しみのモーニングへ

ヴィクトリア女王の身に起こった「歓び」と「悲しみ」を主題にした展示品。歓びとはすなわちアルバート公との結婚であり、悲しみとはアルバート公の死。展示品は見事に歓びの白と悲しみの黒が対照を見せる。

前者は、白いウェディングドレスや英国における結婚指輪の交換はヴィクトリア女王の挙式から始まったということで、1840年頃のウェディングドレスや指輪類、ヨーロッパのレース類や装身具の類が並ぶ。

後者は、黒のモーニングドレスに始まり、漆黒の宝石であるジェットを素材にした宝飾品類など。ヴィクトリア女王はアルバート公の死後25年に渡って喪に服し、公の肖像と遺髪を入れたロケットを生涯身につけていたという。

Ⅲ 優雅なひととき―アフタヌーン・ティー

アフタヌーン・ティーの習慣が完成したのもヴィクトリア朝時代、ということで、このセクションにはその関連の品々が並ぶ。主に19世紀の、シルバー製カトラリー類。

この展覧会と一緒にBunkamuraのル・シネマで上映中の映画ヴィクトリア女王 世紀の愛を観ると、更にヴィクトリア朝時代の雰囲気に浸れます。ちなみに本展は2月21日までですが、映画の方は2月26日までだそうです。


国宝 土偶展

2010-02-15 | アート鑑賞
東京国立博物館 2009年12月15日(火)-2010年2月21日(日)



ロンドン公演を成功裏に終えて無事帰国した「縄文のスーパースター。」たちに会ってきた。まずは彼らのプロフィール並びに本展の趣旨について、公式サイトから転載しておきます:

 “ひとがた”をした素焼きの土製品「土偶」の発生は、縄文時代草創期(約13,000年前)にまでさかのぼります。伸びやかに両手を上げるもの、出産間近の女性の姿を表すもの、極端に強調された大きな顔面のものなど、多様な姿かたちをする土偶は「祈りの造形」とも称され、縄文時代の人々の精神世界や信仰のあり方を具現化した芸術品として、世界的に高い評価を得ています。

本展は、イギリスの大英博物館で2009年9月10日(木)から11月22日(日)まで開催されるTHE POWER OF DOGUの帰国記念展で、国宝3件と重要文化財23件、重要美術品2件を含む全67件で構成されます。縄文時代早期から弥生時代中期にわたる日本の代表的な土偶とその関連資料を一堂に集め、土偶の発生・盛行・衰退の過程と、その個性豊かな造形美に迫ります。

構成は以下の3章で分けられており、1が土偶(38点)、2が国宝3体(3点)、3が土器その他(26点)というシンプルな括り。

1 土偶のかたち
2 土偶芸術のきわみ
3 土偶の仲間たち


括りはシンプルでも、そこに並ぶ土偶たちは観れば観るほど味があって一筋縄ではいかない。確かに形は異様といえば異様だけれど、技術がプリミティヴというより、そのデフォルメされた形に縄文の人々の作意がダイレクトに反映されていて芸術的。小さなヘラでちまちまと緻密につけられた模様は数千年を経た今も縄文人たちの息吹を感じさせ、やっぱり日本人って手先が器用だなぁ、とか、これ誰かに似ているなぁ、などと思いながら観るのも楽しい。

ほの暗い展示室に浮かび上がる土偶ワールド、個人的に面白いと思った作品は以下の通り:

1 土偶のかたち

#10 『子供を抱く土偶』 縄文時代中期(前3000~前2000) 東京都八王子市宮田遺跡
横座りのポーズがとても女性的で、母性を感じさせた。

#27 『筒型土偶』 縄文時代後期(前2000~前1000) 神奈川県横浜市稲荷山貝塚
何となくコケシにつながる造形のルーツを思わせた。

#14 『立像土偶』 縄文時代中期(前3000~前2000) 山形県舟形町西ノ前遺跡

重要文化財

横から見ると、ずい分お尻を後ろに突き出し、のけぞったポーズで立っている。足が短くずんぐりした造形の土偶が多い中、彼女はとてもスタイルが良い。まるで美脚ベルボトムを履いたヒッピー風。かっこいいじゃんと思いながら眺めた。

#23 『ハート形土偶』縄文時代後期(前2000~前1000) 群馬県東吾妻町郷原

重要文化財

なんて均整のとれた美しいハート型なのでしょう。その成形の技術にも驚くけれど、そもそも顔をこんな形にするという発想が面白い。

#32 『遮光器土偶』 縄文時代晩期(前1000~前400) 青森県つがる市亀ヶ岡遺跡

重要文化財

教科書を思い出す。両生類のような、あるいは胎児のような面持ちが強烈な印象を残すけれど、よく観ると身体の装飾や頭部などかなりデコラティヴ。この独特な出目が、極地地域の民族が雪の反射から目を守るために使う遮光器(スノーゴーグル)の形に似ていることから「遮光器土器」と名付けられたとのこと。

2 土偶芸術のきわみ

さて、国宝3体。どれも面構えが何とも言えない。チラシの裏に上半身のクローズアップがあったので借用(全体像は冒頭のチラシに)。



左から:
#39 『縄文のビーナス』 縄文時代中期(前3000~前2000) 長野県茅野市棚畑遺跡
#41 『中空土偶』 縄文時代後期(前2000~前1000) 北海道函館市著保内野遺跡
#42 『合掌土偶』 縄文時代後期(前2000~前1000) 青森県八戸市風張1遺跡

『縄文のビーナス』は、目のつり上がったおかみさん(いや、ビーナスか)で、お相撲さん以上にでっぷりした下半身。いかにも多産と豊饒の願いが込められている感じの造形で有無を言わせない存在感。『中空土偶』は、そのほけーっと上を見上げる表情が何とも言えずなごむ。ボディの装飾も手が込んでいておしゃれ。中空とは、中が空洞である作りを指す。『合掌土偶』は、その名の通り組み合わされた手がとても印象的。座ったポーズも写実的で洗練されているし、衣裳もちょっとSFチックで現代風。

3 土偶の仲間たち

#44 『土偶把手付深鉢型土器』 縄文時代中期(前3000~前2000) 神奈川県相模原市大日野原遺跡
土器の縁に、上半身のみの土偶が両腕をかけてあたかも中身を覗き込むように載っている。ちょっとメルヘンチックなデザイン。この土偶はどのような意味合いがあるのか作った人に聞いてみたい。

#65 『猪形土製品』 縄文時代後期(前2000~前1000) 青森県弘前市十腰内遺跡
コロンとした身体、その身体を支えるふんばった太く短い四肢、上を向いた短い尻尾、少し開いた口。猪というより子ブタちゃんという感じで、そのままトットットットっと歩きそうでやたら可愛い。“土偶と愉快な仲間たち”ですね。

#67 『巻貝型土製品』 縄文時代後期(前2000~前1000) 岩手県一関市中神遺跡
とても写実的な巻貝の造形に加え、見事にコップの役割を果たせそうな実用性を感じさせる作品。これで縄文時代のきれいな清流から冷たいお水をすくって、ごくごく飲んだら美味しそう。

ここに挙げたのはほんの一部で、他にもいろいろな形相の土偶たちが勢ぞろい。本館の一角で地味目に開催されている展覧会なのに、2月12日の時点で入場者10万人突破だそうです。今度の日曜日で閉会だけれど、国宝3点が揃い、またこれだけ整えられた土偶展というものもなかなかないと思われるので、時間がある方は是非行かれることをお勧めします。

ボルゲーゼ美術館展

2010-02-14 | アート鑑賞
東京都美術館 2010年1月16日(土)-4月4日(日)



公式サイトはこちら

私はボルゲーゼ美術館に行ったことがないので、この展覧会は去年からずっと楽しみにしていた。全48点の出展作品中、絵画は40点と少なく、観終えてちょっと期待過多だったかな、と思わなくもなかったが、目玉であるラファエロの『一角獣を抱く貴婦人』を東京にいながらにして観られるのは有り難く、また初めて知る画家による作品で気に入ったものにもいくつか出会えたのは収穫。ボルゲーゼ美術館に行きたい、という気持にも拍車がかかった。

本展の構成は以下の通り:

序章 ボルゲーゼ・コレクションの誕生
Ⅰ 15世紀・ルネッサンスの輝き
Ⅱ 16世紀・ルネッサンスの実り―百花繚乱の時代
Ⅲ 17世紀・新たな表現に向けて―カラヴァッジョの時代


では章ごとに印象に残った作品を挙げていきます:

序章 ボルゲーゼ・コレクションの誕生

『シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の胸像』 ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ (1632)



ローマの名門貴族ボルゲーゼ家のシピオーネ・ボルゲーゼ(1576-1633)枢機卿が1605年にローマ市北東部に広大な土地を購入・整備し、夏の離宮および自分の芸術コレクションを所蔵・展示する館として建設したのがこのボルゲーゼ美術館。卿のそのコレクションは、古代彫刻とルネッサンス~バロック期にかけての彫刻・絵画作品を核とし、とりわけジャン・ロレンツォ・ベルニーニとカラヴァッジョの作品は点数も多い。1902年よりイタリア国家の管轄下となり、一般公開されている。

ボルゲーゼ美術館といえば私は真っ先にベルニーニの彫刻作品群を思い浮かべるので、彼の手になる作品が一点でも観られて嬉しい。襟の柔らかい布の質感、あごの周りの肉のたるみなどの表現はお見事。ああ、観たいなぁ、『プロセルピナの略奪』と『アポロとダフネ』。

『オルフェウスの姿のシピオーネ・ボルゲーゼ』 マルチェッロ・プロヴェンツァーレ (1618)



とても色鮮やかなモザイク画。一片がかなり小さいので、ぱっと見にはモザイクと思えない滑らかな画面になっている。弾いているのが竪琴ではなくヴァイオリンのような弦楽器であることや、上を見上げた表情が、ラファエロの『パルナッソス』を想起させる。足元に寄り添う鷲とドラゴンはボルゲーゼ家の家紋に使われているシンボル。ドラゴンはまるで主人にかしずく犬のように可愛らしい。縁の模様は、たまにヨーロッパの宮殿の庭で見かける植木で作ったメイズ(maze:迷路)みたいだった。

Ⅰ 15世紀・ルネッサンスの輝き

『一角獣を抱く貴婦人』 ラファエロ・サンツィオ (1506頃)



20世紀に修復が行われる前までは、ユニコーンのところに車輪が上描きされていて、聖カタリナを描いた作品だと見なされていたという。その辺りの解説が、修復前の作品の写真とともにパネルにあり、なかなか興味深かった。

背景にはほとんど何も描かれておらず、非常にすっきりと明るい肖像画。ユニコーンは小さくて、昔貴婦人の手を温めていたというチワワのよう。そのユニコーンの顔が誰かに似ているなぁ、と思って眺めていたら、中尾彬夫人の池上志乃さんの笑った顔だった。家に帰ってしみじみポストカードを眺めていたら、今度は女性の顔が、その大きな瞳といい小さな口元といい、何となく鳩山首相に似ているような気がしてきた。

何やら妙な感想になってしまったが、いい絵だと思います。

Ⅱ 16世紀・ルネッサンスの実り―百花繚乱の時代

『若者の肖像』 ジョヴァンニ・ジローラモ・サヴォルド (1530頃)

残念ながらポストカードがなかったので画像はないが、今回初めて知る画家にして個人的にとても気に入った作品。どんな画家なのだろうとオックスフォードのアート辞書を引いたら”highly attractive minor master”と思わずクスリと笑ってしまうような紹介がされていた。それはともかく、小さい作品ながら、やや物憂げな表情を浮かべた青年の顔や、しなやかな手の指の表情、衣服の自然な質感は大変魅力的だった。ボルゲーゼ美術館にはこの画家による『大天使ラファエルとトビアス』という作品もあることがわかり、是非観てみたいもの。

『魚に説教する聖アントニオ』 ヴェロネーゼ (1580頃)



上3分の1ほどを空とし、遠景に山も描いて奥行きを出しつつ、崖の上に立って劇的なポーズをとる聖アントニオを頂点に群像を右半分に収めた構図。左半分は暗い海で、聖アントニオの説教を聞きに来た魚の群れが作る水面のしぶきは、何だかお堀や池に集まる鯉の群れを思わせる。聖アントニオは聖フランシスコ会の修道士、と聞けば、創始者の聖フランチェスコの『鳥への説教』を意識した作品かとすぐ合点がいく。

『レダ』 ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオ (1560-70頃)



この人も初見の画家。この作品と対をなすように、同画家による『ルクレツィア』(1560-70頃)が横に並ぶ。主題は全く異なるが、2点とも漆黒の背景の中に美しい色白の女性が描かれており、その一帯に独特の雰囲気を醸し出していた。この『レダ』のちょっと妖しく甘美な振り向き顔、KOされる男性も多いのでは?

『幼児礼拝』 ペッレグリーノ・ディバルディ (1549)

上から降りてくる天使を頂点に、劇的な動きをしながら聖母子の周りに集う人々が二等辺三角形の構図を作る画面。完成度も高く、今回並ぶ宗教画の中では好みの作品だった。

『アメリカ大陸発見の寓意(珊瑚採り)』 ヤコポ・ズッキ (1585)

割と大ぶりな構図の作品が多い中、52x42cmと小さいながら密な描き込みが目を引いた作品。手前の岩場の上には様々な貝殻や大粒の真珠、赤いサンゴ礁にまみれた人々(大方は何かの擬人だと思われる裸婦)がごった返す。遥か彼方の岩場にも沢山人影が見えるが、まるでムーミンに出てくるニョロニョロのよう。

Ⅲ 17世紀・新たな表現に向けて―カラヴァッジョの時代

『洗礼者ヨハネ』 カラヴァッジョ (1609-10)



前半の目玉がラファエロなら、こちらは後半のハイライトということになるのでしょう。カラヴァッジョは1610年に亡くなっているから、まさに最晩年の作品(と言ってもまだ38歳の若さだったけれど)。カラヴァッジョの描く人物たちは、例え下を向いていても強烈な存在感を放つが、このヨハネはこちらを見ているにも関わらず、どこか虚脱しているような感じを受ける。この画家の波乱に満ちた生き方を思えば、最晩年の作品、と聞くと余計に彼の人生に対する諦念のようなものが反映されているような印象を受ける。目元、口元にもやや自嘲的な微笑みがうっすら浮かんでいるようにも感じるのは気のせいだろうか。緋色の敷物の襞がやたら美しく思えた。

『ゴリアテの首を持つダヴィデ』 バッティステッロ (1612)



ゴリアテは巨人だけれど、この首は余りに大きくてちょっと怖かった。厳しい表情のダヴィデが足をクロスしてリラックスしたポーズでその首を持っているけれど、軽々しく持っているのが不自然に思える。

最後にやっぱり一言。行きたいなぁ、この白亜の館に!

 ボルゲーゼ美術館

ついでにもう一つ。カラヴァッジョを主題にした映画「カラヴァッジョ 天才画家の光と影」が公開中です(公式サイトはこちら)。予告編を観たけれど、映像がとてもきれいだったので、早いとこ是非観に行きたいと思います。今年はカラヴァッジョが亡くなってちょうど400年の節目なのですね。


柴田是真の漆x絵

2010-02-09 | アート鑑賞
2009年12月5日(土)-2010年2月7日(日) 三井記念館美術館
*会期終了



公式サイトはこちら

昨夏Bunkamuraで開催された「だまし絵展」にて、柴田是真(しばたぜしん)『滝鯉登図』を観ているのだが、その時は作者の凄さを全く理解していなかった。本展も例によって会期最終盤に駆け込んだが、行かなかったら一生後悔したことだろう。何せここで怒涛のごとく次から次に現れて心を奪う素晴らしい作品の7割は、アメリカ人コレクター、エドソンご夫妻の所蔵品の初の里帰りのお披露目であって、普通に考えて「次回」があるかどうかわからないのだから。

ちなみに本展は以下の通り京都と富山を巡回するので、東京展を見逃した方もまだチャンスはなきにしもあらず。しかもご当地限定の出品もあるので、もしご都合が合うようであれば是非!

京都展
相国寺承天閣美術館 2010年4月3日(土)-6月6日(日)

富山展
富山県水墨美術館 2010年6月25日(金)-8月22日(日)

柴田是真(1807-1891)については、是非公式サイトをご覧ください。大雑把に言うと、是真は幕末・明治期に活躍した漆芸家にて絵師。本展では、漆芸の超絶技法を駆使した漆工作品と、和紙に漆を用いて描く漆絵が見どころであります。その孤高の技術に酔いしれ、時にまんまと騙され。。。

いくら画像を取り込んだところで余りその魅力をお伝えできないかもしれないが、記録として自分が印象に残った作品を挙げておこうと思います(作品が絞り切れなくて、ずい分頑張ってしまった):

『竹葉文箱』



一目ぼれ。柔らかい丸みを持った蓋の表面に走る、清々と流れる木目の縦筋が滝の流れのようにも見え、その上に描かれた竹の葉の間合いが何とも絶妙(あたかも竹の葉越しに滝を眺めているような)。観ているだけで心が洗われるような心持にもなり、またそっと触ってみたい衝動にかられ、しばし動けず。

『柳に水車文重箱』



この世にこんな美しいものがあったのかと息を飲む。漆の変塗(かわりぬり)の技巧の一つである青海波塗(せいがいはぬり)で表された波を挟んで、春と秋の風情が盛り込まれた5段の重箱。この作品が収められたケースの周りを、ぐるぐると何周したことだろう。柔らかく下がる柳の若葉、うっすらと紅葉した葉。願わくば、自然光の中で愛でてみたいなぁ。

『砂張塗盆』



縁の不規則な歪み。ちょっぴり錆びた風情を持つ面の凹み。それを反射する光。どう見ても金属にしか見えないが、これが是真の「だまし漆器」。茶道でお菓子を乗せるのに使う盆で、「暗い茶室で盆が回ってきたときにその軽さに驚くという筋書き」との解説があったが、こうしてケースに入って展示されていても、観れば観るほど金属です。他に『瀬戸の意茶入』という、どう見ても瀬戸物の壺にしか見えない作品も出てくる。何だか、是真のお茶目な魂が展示室に漂っていて、そのだましのテクニックに驚嘆する我々鑑賞者をニコニコ見守っていそうな気がした。

『波に千鳥各盆』



画像では真っ黒にしか見えないかもしれないけれど、ゾクゾクした一品。屈んで見上げると銀色に波頭が隆々と立ちあがり、小さな白い千鳥たちが舞いあがる。緩急をつけた青海波塗による波の表現に、感嘆のため息。

『蛇籠に千鳥角盆』

   千鳥のアップ

千鳥のフォルムが何とも言えず好きでした。

『流水蝙蝠角盆』



一瞬、花柄の蝙蝠かと思ったら、黒い蝙蝠のボディに描かれているのは片喰(かたばみ)の葉だそうです。いずれにせよ、羽を広げた真っ黒な蝙蝠のシルエットにこの装飾のセンス、ポップでよろしいのではないでしょうか。

『沢瀉と片喰図印籠』

  右が表、左が裏

表も裏も、すっきりしたデザインがとても素敵。表に描かれる、細長く尖った葉は沢瀉(おもだか)と言って、水田の脇などに生える多年草だそうだ。多分見たことはあるのだと思うが、今度機会があったらじっくり観察してみたい。

『稲穂に薬缶角盆』

 部分

朱色の薬缶が大きく描かれた大胆な構図。本体底部や、注ぎ口などの部品の接合部分には、ぼかした陰影で影が作られ、絵画的。薬缶の上に置かれた稲穂の黄金色の房は蒔絵で施され、取っ手の部分に目を凝らすと、背景の黒に溶け込むようにキリギリスが止まっているのがニクイ。

『烏鷺蒔絵菓子器』
 


その変わった形状もおもしろいが、遠目に黒と金の装飾模様に見えたものが実は烏と鷺の群れ飛ぶ姿であることに気づく瞬間が楽しい。真黒に見える烏も、顔を近づけて見るとちゃんと羽や尾にも線が入れられ、姿態も様々。少しもくどくないのは、バランスの妙。

『蔓草小禽図戸袋』



唐突に三つの房の先端だけ姿を見せる1枚目。枝は2枚目の画面で下に消え、3枚目でまた姿を現す。そして4枚目には枝のか細い先端と鳥。構図に遊び心があっていいなぁ、と思いつつ、この赤い実は何だろう?と。こんな戸袋がある部屋にいたら、日がな眺めていそうだ。

『瀑布に鷹図』

   こちらが全体図  

一対の作品だが、始めに右幅にうっすらと浮かび上がる鳥の顔を観て亡霊?と思ってしまった。実は左幅に描かれている鷹の親子の、親鳥の顔が滝の水面に写っている図だそうだ。何から着想を得たのだろう。おもしろいね、是真って。

『盆花に蝶図漆絵』



図録の用語解説によると、色漆の色数は、天然の鉱物性顔料を練り込んだものとしては褐色の5色しかないそうだ。そんな制約を感じさせない画面である以上に、よく漆でこんな瑞々しい花弁が、と思う。以前、「美の巨人たち」で漆絵のデモンストレーションを見たが、漆は粘り気があって上手く伸びず、薄い和紙に描くのは至難の業。そもそも木の上に滑らかに塗り重ねることだって大変な修行がいるそうなのに。是真ってすごいな、と心から思う。

『霊芝に蝙蝠図漆絵』



霊芝も吉祥のモティーフだそうで、繊細な蝙蝠の表現と対照的な、こってりした存在感を放っている。褐色の諧調も独特。表具は弟子の手によるものだそうだが、塗りが何だか弱々しい印象を受けたのは私だけかしら?

『宝貝尽図漆絵』



漆絵で描かれた貝の上に、青貝などが砕かれて貼り付けられている。角度を変えて観ると、貝の模様の中に青い光がキラキラ。

この他、動植物などを描いた漆絵の画帖も何点か展示されていたが、油絵とは異なる漆のマット感、角度によって鈍く放たれる反射光など、観ていて目に楽しかった。それにしても、このように自由自在に漆を操れるようになるまでの是真の努力を改めて思う。

『花瓶梅図漆絵』 (1881)

   アップ

「美の巨人たち」で取り上げられていた一品。変塗の一つ、紫檀塗で紫檀の材質を見事に再現した漆絵。84.5x40.4cmあるのに、重さは450gほどと発砲スチロール製のボードくらいしかないという。でもいくらアップで見ても木ですから!

最後にチケット。その頑張りにニッコリしてしまう。単眼鏡を持った人もそうでない人も、つま先立ってみたり、屈んだり、首を左右に動かしたり(ケースにおでこをぶつけたり)と忙しい展覧会であったことを、後々になっても思い出させてくれそう。



余談:帰りの電車内に貼られていた缶コーヒーのROOTSの宣伝広告。画面に流れる褐色の液体が、どうしても是真の漆絵とイメージが重なり。。。