l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

ワークショップ 「細密画を描こう」

2010-05-31 | アートその他
5月8日(土)、9日(日)と二日間に渡って、川口市立アートギャラリー・アトリアで開催されたワークショップに参加した。お題は「細密画を描こう」。本ギャラリーで開催中だった「見つめる」展(会期終了)に関連したイベントで、細密画の技法でデッサンを試みる講座だそうだ。

ろくすっぽデッサンなど出来ないのに何となく申し込んでしまったが、「当選しました」という通知ハガキが来た途端不安が押し寄せてきた。初心者はご遠慮下さい、とは書いてなかったものの、きっと上手い人が集まるんだろうなぁ。

あっという間にその日はやってきて、そういえばあのギャラリーのどこに実技指導が受けられるような部屋があるのだろう、と思いながらアトリアへ。

呑気に時間ギリギリに到着して受付を済ませると、何と先日「見つめる」展で拝見した野田弘志氏の展示室が教室であった。あの超絶写実作品に四方を囲まれて自分が絵を描くことになるなんて。

既に沢山人が集まっていて、各々画材やモティーフを持って机の間をわさわさ動いている。50代以上の方が多そうな印象だったが、一人ニット帽をかぶった若い男性がいる、と思ったらそれが今回講師を務められた日本画家の加藤丈史先生だった。勝手に年配の先生を想像していたもので。後でギャラリーのサイトを見たらちゃんと先生のプロフィールが載っていました。すみません。

さて、モティーフは、ギャラリー側が用意した貝殻、石、木の枝から選ぶことになっている。私はギリギリに行ったので余り選択の余地はなかったけれど、一つ、小ぶりで描きやすそうな巻貝を見つけてにんまり(もうこの時点でアティテュードが間違っています)。

がしかし先生は私のそんな魂胆を見抜いたのか、見回りに来られた時に「これはちょっと小さすぎるなぁ」と私の机からその貝殻をひょいと手に取られ、モティーフの並ぶ台へ持ち去ってしまった。残ったモティーフを覗き込んでいる先生に「貝がいいんですよね?」と聞かれた私は「なんでもいいです」とつい。そして先生が私の目の前に置いたのは、見た瞬間マイッタと思う石だった。

先生、これ描くんですか?(心のつぶやき)

ちなみにこの石は加藤先生が群馬の河原で拾ってきて下さったものだそうで、講座終了後お持ち帰りとなった(今も目の前にあります)。

描き始める前に配られたプリントには以下の要領が書いてあり、先生もホワイトボードを使って講義して下さった:

① 形をとる
② 陰影をつけて立体感を出す
③ 細部(質感・手触り・表情)を描く
④ 細部と全体のバランスを整える
⑤ ③と④を繰り返す

はい、わかりました。

とスラスラ描けるわけもなく。

昔、初めてちょこっとデッサンを習った時、まずはその独特の鉛筆の削り方に面喰った。ボルゾイ犬の鼻みたいに、長~く芯を尖らせる。カッターで削る際、余り力を入れるとボキッといってしまうので、不器用な私は一苦労だった。それに芯をどんどん粉々に削り落としていくのが、貧乏症の私には勿体なくも思え。。。

 これもまだ削りが甘い

だが細密画のデッサンとなると、更に芯が細いことが要求される。カッターで尖らせた上に紙やすりをかける。鉛筆はほぼ垂直に立たせて描き、ほんの少し描いては先を紙やすりで研ぎ、また描いては削り、を繰り返す。芯の濃さも、今回は3B~2Hまでで、普通のデッサンで使う6Bのような濃いものは基本的に使わない。とにかく薄い色で、繊細に色を重ねていく。

と偉そうに説明してるが、私はといえば形を取るだけで悪戦苦闘。

ふう、と顔を上げれば、野田氏の「人間業とは思えない」(とは加藤先生の弁)素描作品が壁に並び、お隣の方をチラ見すれば、これまた素晴らしい巻貝が紙の上に出現している。

でもいい。上手く描けなくても私はこの、対象物と向き合って悶々とする時間が好きなのだから(いや、本当なんですよ~)。

最後は1人ずつ、出来上がった作品を先生が講評して下さって終わったが、とりわけ木の枝を描かれた方の作品は本当にお見事だった。モノクロームの筈なのに、薄茶色の木肌が感じられるのには驚くばかり。

最後に、今回指導して下さった加藤先生のグループ展があるそうなので、ご紹介させて頂きます。「若手日本画系作家の現況と、今後の展開の一端をご紹介する展覧会」だそうです。お近くにお住まいの方がいらっしゃったら是非。

日本の画展2010
2010年6月29日(火)-7月4日(日)
Gallery 健
さいたま市南区関1-1-3
048-837-5642

加藤丈史先生のプロフィール:

2002年 東京藝術大学大学院 修士課程日本画専攻修了
2008年 第34回春季創画展 初入選 以後09・10年入選/第35回創画展 初入選奨励賞受賞 以後09年入選
他、グループ展多数出展 / 現在、さいたま市在住 創画会会友


生誕120年 奥村土牛

2010-05-30 | アート鑑賞
山種美術館 2010年4月3日(土)-5月23日(日)
*会期終了



展覧会名には「開館記念特別展Ⅳ」とある通り、昨年10月1日に場所も新たに新築されて再スタートを切った種美術館の、開館を記念した特別展の一つであるらしい。スケジュールを見ると、今後もⅤ(「浮世絵入門)Ⅵ(「江戸絵画への視線」)、そして開館1周年記念展(「日本画と洋画のはざまで」)と続いていくようだ。いずれにせよ、私にとってこれが山種美術館への初めての訪問。そして奥村土牛(1889-1990)の個展というのも初めて観る。

まずは、この画家の経歴をチラシから要約:

1889年、東京・京橋生まれ。16歳で梶田半古塾に入門して画業の道へ。院展を活動の中心とし、横山大観、小林古径、速水御舟などから多くを学びつつ、「東洋画と西洋画」、「写実と印象」、「線と面」、「色彩と墨」、「立体と平面」という、相反する要素の間で試行錯誤を重ね、両者が融合した独自の芸術世界を築き上げる。101歳で亡くなる直前まで絵筆を持ち続けた。

尚、本名は奥村義三というが、土牛という画号は「土牛、石田を耕す」(石ころの多い荒地を根気よく耕し、やがては美田に変える)という唐代の詩から取って父が命名したそうだ。文字通りそんな画業を貫いて「九十の齢を出てやっと、自分の好きなものを好きなように描くという心境になれた」という土牛の残した言葉に感銘を受ける。

山種美術館は、本画・素描・書を合わせて135点の土牛作品を蒐集しているそうで、今回はその国内外屈指の「土牛コレクション」から選りすぐりの約70点が並ぶ。

構成は以下の通り。大きく二つの章立てとなっており、テーマごとに分けられた小コーナーも設けられていた:

第1章:土牛のあゆみ―大いなる未完成 
トピック1:清流会 
トピック2:干支の動物たち
第2章:土牛のまなざし―醍醐の桜と四季折々の草花
素描・画稿


では、印象に残った作品を数点挙げておきます:

『兎』 (1936)



都内にアンゴラ兎を飼っている人がいると聞いた土牛が、写生に出かけて描いた作品。いかにもフワフワの、兎の真っ白な毛並みが何とも言えず(画像では潰れてしまうが、繊細な毛が丁寧に描き込まれている)。観ているだけでその感触が手に伝わるよう。

『軍鶏』 (1950)



目に飛び込んできたときギョッとした。すごい存在感。鶏というより、あたかも老獪なおじいさんのようで、下手をすると説教でもされそうだ。

と思って図録の解説を読んだら、この軍鶏の持ち主は70歳前後の老人で、土牛が写生する傍らに常に腰かけ、尋ねてもいないのに軍鶏の性格や癖などについて丁寧に解説をしてくれたとのこと。もしかしてその持ち主の人格も少し反映されているのかな、と楽しく想像も。ペットは飼い主に似ると言いますから。

『聖牛』 (1953)



「目が楽しいから生きものを描くのが好き」「私の云う写生は、その意味の、外観の形よりも内部の気持ちを捉えたいということである」という言葉通り、土牛の描く動物たちはどこか人間っぽさが漂う。この作品は、出産後の「落ち着きと気品」が感じられたという、画面一杯に堂々と描かれた母牛とその子。胡粉を何度も塗り重ねられた白い身体は神々しく、上を向く表情は嬉しそうで誇らしげでもあり。

動物を描いた作品と言えば、静かに水中を泳ぐ3匹の鯉を描いた『緋鯉』(1947)も、それぞれの鯉の視線に思惑が漂っているようで印象的だった。

『雪の山』 (1946)



木立が西洋画風で、ちょっぴりセザンヌっぽい。と思ったら、資料展示のコーナーに師匠である小林古径からもらったというセザンヌの画集があった。「昔からなんといっても絵はデッサンがもとです。それを超えた芸術性はその人の心の高い低いで絵ができると思います」とは土牛の言葉。

画風は異なれど、何となくこの間の小野竹喬とイメージが重複するなぁ、と思ったら、二人とも生まれ年が同じく1889年。そうだった、両方ともチラシに生誕120年と書いてある。

この二人やその師匠たちと、この頃の日本画家が西洋画と盛んに対話していた様子がとても興味深い。実際ヨーロッパに乗り込んで画風を追求した竹喬に、日本を出ることなく、家の裏の畑で様々な作物を耕すがごとく自分のスタイルを追求した土牛、なんてイメージも浮かぶ。

『那智』 (1958)



縦273.4cmもある大きな作品。岩肌の色面がやっぱりセザンヌ。

『鳴門』 (1959)



漆喰のような厚塗りの画面で、とても迫力がある。

土牛の奥様が徳島の人で、彼女の実家からの帰途、船上から鳴門の渦潮を見て「描きたいという意欲がおさえ難くわき上がってきた」ため、妻に帯を掴んでもらって写生したとのこと。ターナーが嵐の絵を描くために、荒れる海に出てマストに自分の体を括りつけてスケッチした、という話を聞いたことがあるが(真偽のほどは知らない)、土牛の画家魂もすごい。

『城』 (1955)



見上げたアングルが面白い。歪みに味があって、城が威張っているようにも見える。

『門』 (1967)



私が今回観た中で一番胸に響いた絵。姫路城には昔、いろは順に名付けられた門が15あって、これは「はの門」だそうだ。重々しい木の門扉を開けると眩しいほどの白壁が現れ、更にそこに開けられた銃眼の向う側へ、と視線を誘う明暗の対比、奥行きの表現も素晴らしいが、何より眺めているうちに心が落ち着いてくる。作品の傍らには、門の横に正座してこの絵を制作中の土牛の後ろ姿を撮った写真があり、それがまた染みた。

『睡蓮』 (1955)



最後に軽やかな1枚。青味がかった鉢、オレンジの金魚、赤い蓮の花、緑の葉。色のバランスが絶妙で、いくら観ても飽きなかった。

あおひー個展 「すくいとる」

2010-05-26 | アート鑑賞
antique studio Minoru 2010年5月1日(土)-5月5日(祝・水)



ゴールデン・ウィーク真っ只中の5月3日にあおひーさんの個展、「すくいとる」を拝見しました。すぐに感想を書かせて頂くつもりだったのに、観に行った翌日の家丸ごとの燻蒸作業(結構大変)、その翌日の大掃除(更に大変)とタイミングを逸し、その後もドタバタして、はたと気づいたら5月も終盤という事態に愕然(ダメな私)。

今頃になって逆に失礼かもしれないと思いつつ、やはり自分用のアート鑑賞記録として残しておきたいと、あの日撮った写真の画像をPCに取り込んだりしていた矢先に、あおひーさんからご丁寧なお礼状と、作品をアレンジした素敵なしおりが!

 勿体なくて、しおりにはできません。

これからの季節にぴったりの、情緒あふれる作品。きっと雨の降る日に手に取ったら、しっくりと心に染みいることでしょう。あおひーさん、いつも細やかなお心遣い、本当にありがとうございます!

さて、個展「すくいとる」。経堂の駅から商店街を入ってすぐのその会場は、とても可愛らしいギャラリーでした。



扉を開けて「こんにちは~」と入っていくと、あおひーさんがちょうど先客の方々に作品の説明をされているところでした。

まずは作品を、と入口付近の壁に目をやると、昨年のグループ展で拝見したことのある作品が数点並んでいて、季節が異なるせいか、自分の心理状態のせいなのか、それらも少し異なって観えるから不思議でした。淡い風景に信号が浮かぶ『無題2』はやっぱり私のお気に入りです。

全体を見渡してみてまず思ったのは、モノクローム、カラー共に「黒」の存在感。目黒川に浮かぶ桜の花びらを撮った『限界線』は夜空にばらまかれた星くずのようだし(そいうえば今年の桜の花びらは、何だか白っぽかったなぁ、などと思いつつ)、黒い背景に赤いライトが連なって浮かぶ作品は色の対比にインパクトがありました。

そして、和紙に印刷したという一連の作品群。まるで銀河に浮かぶ惑星のようにも見えますが、全てグラスの中に入った水と氷を撮ったものだそうです。撮影時、少し酩酊状態だったりするそうですが、このような着眼点はさすが。

勿論ほんわりしたカラー作品もあり、椿をモティーフにした『椿(PINK&GREEN)」は色合いが本当に可憐で、今回とても人気があったそうです。

ところで、展示室のパネルにあおひーさんの解説があり、写真についてよく使われる「風景を切り取る」という表現に違和感を覚えていた、というくだりに興味を引かれた私。あおひーさんに「そもそもなぜこのようなピントをぼかした作品を撮るようになったのか」「どのようにしてその手法が出来上がったのか」と質問攻めに。。。

お答えによると(私の理解では)、デジカメ全盛で誰もが美しく写真を撮れるこの時代に、写真の作品でどのように個性を出し、識別化してもらえるか、ということがまず背景にあったとのこと。そしてぼかしのテクニックは、テクノのDJデッキの操作にヒントがあり(テクノもお好きだったのですね~♪)、本来カメラのマニュアルにはない操作で撮ってみたところ、期待していた通りの今の作風が誕生したそうです。

ひょいとポケットから取り出して見せて下さったカメラはとてもコンパクトで、そこからこのようなアーティスティックな写真作品が生み出されているなんて、改めて驚きです。

そして、いわば「切り取る」ことに違和感を覚えて生まれた「すくいとる」という個展のタイトルは、あおひーさんの柔らかい感性にぴったりだと思いました。何というか、私を含め普通の人が見落としてしまうような日常の中から、あおひーさんは何かをすくいとっているのだ、と。

今日もあおひーさんの感性は、あの小さなカメラを通して何かを捕えていることでしょう。次回はどのような世界を拝見できるのか、また楽しみに待ちたいと思います。

☆あおひーさんご自身が今回の個展の解説をされている記事をリンクさせて頂きます→こちら

所蔵水彩・素描展―松方コレクションとその後

2010-05-23 | アート鑑賞
国立西洋美術館 新館2階[版画素描展示室] 2010年2月23日(火)-5月30日(日)



チラシを入手した時からとても気になっていた企画展示。版画素描という展示作品の性格上、照明を落とされたあのシンとした小さな展示室に足を踏み入れるのは毎回楽しみだけれど、今回も期待にたがわず密度の濃い作品が並んでいた。

『舟にて』 (1900-06) ポール・セザンヌ



水分をたっぷり含ませた筆がサラサラと、縦に横にと紙の上をすばやく動き、緑と群青の帯を織りなしていく。身をかがめて作業する人々の姿は風景の中に溶け込んでしまいそうなほどおぼろげだけれど、観た瞬間、何とも言えずセザンヌ。

『背中を拭く女』 (1888-92頃) エドガー・ドガ



とても完成度の高いパステル画。力を込めて背中を拭く右手(こすっているところが赤くなってしまっている)に体を支える左手、と力強いポーズを取る女性の後ろ姿だが、描き込むドガの筆触も力強い。ドガの指先の力がダイレクトに伝わってくるようです。この、描き手の生々しい指の動きを感じ取れることが、素描や水彩画、パステル画などの魅力。

『聖なる象』 (1885頃) ギュスターヴ・モロー



魔法にかかったようにじっと立ちつくしてしまった。この絵には何かが漂っている。優美に舞う天女たちの翼がふわりふわりと妖気をこちらに送ってくるのか、じっとこちらを見る象の眼がこっそり呪文を投げかけているのか。このえも言われぬ美しさに、モローの魅力を再認識。

『漁船』 (20世紀初頭) ポール・シニャック



こちらに向かって停泊する漁船、水面にゆらめく反映、空にたなびく雲。きっとあっという間にスケッチしてしまうのでしょうね。淡い色合いも素敵。

『青い胴着の女』 (1920) パブロ・ピカソ



キャッチャーミットのようなごっつい手が凄いけれど、袖のふわりとしたブラウスの感じが好きでした。

他にもピエール・ピュヴィ・シャヴァンヌ『トレヴーの肖像』(1895)にドキリとしたり、ピーダ・イルステズ『縫い物をするイーダ』(1889年頃)を観て2008年のハンマースホイ展を懐かしく思ったり。

全部で38点の作品が並ぶ本展示は、フランク・ブラングィン展に合わせて今度の日曜日、5月30日(日)までです。




フランク・ブラングィン展

2010-05-22 | アート鑑賞
国立西洋美術館 2010年2月23日(火)-5月30日(日)



公式サイトはこちら

「国立西洋美術館開館50周年記念事業」のトリを飾る展覧会、であるのに、私はこのフランク・ブラングィンという英国の芸術家を今回初めて知ることとなった。

フランク・ブラングィン(1867-1956)は、正規の美術教育を受けていないながら、油彩画、版画、家具、カーペット、陶器など様々な分野の作品やデザインを手掛け、それらはイギリスのみならずフランスやアメリカなどにも残っているとのこと。夏目漱石の『それから』にも登場し、その頃の日本では知られた芸術家であったらしい。

父親がブルージュでゴシック復興を担う建築家、インテリア・デザイナーとして活躍していたということや(ブラングィンはブルージュで生まれ、7歳まで過ごしたそうだ)、長じたフランク自身がウィリアム・モリスの元で職人としてカーペットの図案を写し取る仕事をしていたという点なども、ブラングィンの活動が分野的にも地理的にも多岐に渡っている背景としてあるように想像される。

展示会場入口の前に掛っていた、彼の油彩画の大きなバックドロップ(というのかな?)を見た瞬間、タペスリーみたい、と思ったのは私だけではないでしょう。よく知らずに画家だと思って足を運んだ本展だけれど、観終わってみれば装飾芸術家としての側面の方が印象に残る芸術家だった。

また、何より最大のポイントは、国立西洋美術館のコレクションの基礎となった「松方コレクション」とブラングィンの深い関わり。追ってもう少し書いておこうと思うけれど、大変興味深いストーリーでありました。

Ⅰ 松方と出会うまでのフランク・ブラングィン

この章にはブラングィンが手がけた家具類や油彩画等が並ぶ。最初の方で目を引く、サクラやナシなど様々な木材が組み合わさって作られた『版画キャビネット』(1910年頃)は、前面が人々の群像やフラミンゴなどが浮き出るような輪郭を持って象嵌細工され、工芸的に美しい。その画面にはブラングィンの絵の特徴がそこはかとなく漂っているようにも思う。

1895年、パリにある日本の美術・工芸品を扱う店のために制作された装飾画『音楽』は、人物も背景もとにかく茶色が支配していて、他の作品でもこの「ブラングィンの茶色」は私の中に強いイメージを残す。彼はスペイン、アフリカ、トルコへ度々旅行に出かけ、その豊かな色彩感覚を身につけたというような説明があったが、強烈な陽光に照らされた「土色」が画家の中にかなり強いインパクトを残したのではなかろうか?と思わずにいられない。

『海の葬送』(1890年)



航海中に船上で亡くなった人の亡骸が、仲間の手によって船から海へ葬られる水葬の情景。画題にふさわしく、さめざめとした色合いで写実的に描かれている。よく描けてはいるけれど、油彩画としては凡庸と言えば凡庸な印象も。パリのサロンで3等賞を取ったそうだが、何となく3等賞と言う感じ。

『ラージャの誕生日の祝祭』 (1905-08年)



ラージャを乗せている象と群衆が混ざり合って、判然としない混沌とした絵に私の目には映る。うねうねと勢いよく絵具が乗せてあり、箇所によっては刷毛のように広い筆でガシッガシッと塗られた感じ。この人のデッサン画や版画作品を見ると上手いなぁ、と思うのだけれど、この絵のみならず彼の油絵具の塗り方は個人的にあまり好きではなかった。『海賊バカニーア』(1892年)にしても、構図はおもしろいと思ったものの、カンディンスキーが絶賛するようにはピンとこなかった。ま、素人鑑賞者の好き嫌いの話ですから。

『孤独な囚人』 (1914-17)



これは次のⅡ章の、戦争絡みの主題の作品が並ぶ中にあった1点。リトグラフ作品で、ちょっと暗い主題だけれど、上手だなぁと思ってポストカードを買ってしまった。

Ⅱ フランク・ブラングィンと松方幸次郎

川崎造船所(現・川崎重工業)の初代社長である松方幸次郎は、第一次世界大戦の軍需を見越して先手を打ったお陰で、造船事業で莫大な利益を得る。1916年、取引で訪れていたロンドンでブラングィンに出会い、その芸術的才能にほれ込んだ松方は、以下の三つをブラングィンに依頼(サイトより引用):

①東京に建設する美術館のデザイン作成
②ブラングィン自身の作品の売却
③他のヨーロッパ絵画の購入

上記三つが順調に達成されていれば、東京にも欧米の美術館に引けを取らない美しい西洋美術の殿堂が出現していたことでしょう。しかし。。。

松方は220点を超えるブラングィンの作品を収集したにも関わらず、日本の税法の変更や川崎造船所の経営危機などにより、ブラングィン以外の作品も含めそのコレクションはロンドンの倉庫に長らく足止めをくらうことに。そしてこともあろうに1939年にその倉庫が火事に遭い、そこにあった作品は全て焼失。何という大損失でしょうか。今我々が西美で観られる松方コレクションは、奇蹟的にフランスに残され、寄贈返還されたものだそうです。もしロンドンにあったコレクションも全て揃っていたら・・・(涙)。

そして①。日本に欠けていた文化環境である美術館の建設を、という松方の高い意志を汲んでブラングィンが設計したその美術館は「共楽美術館」と命名され、この章ではその俯瞰図や図面なども展示されている。噴水のある中庭をぐるりと囲む回廊型の美術館は、想像するだにルネッサンス好きには堪らない建造物。しかし、やはり川崎造船所の経営悪化に伴い、実現ならず。ちなみにこの美術館は麻布に建てられる予定だったそうである。

『松方幸次郎の肖像』 (1916)



泰然とした感じの松方幸次郎を、すばやくキャンバスに写し取ったブラングィン。

『背後に別館を配した美術館の俯瞰図』 (1918) 



これが幻と終わった「共楽美術館」。会場には資料を元に再現されたCG映像も。

Ⅲ 壁面装飾、版画。その多様な展開

ブラングィンは生涯に18点もの壁画を制作したそうだ。うちイギリスにある二つの作品について会場で映像が流されていたので、ちょうど足が疲れてきた頃でもあり、ゆっくり座って鑑賞した。

一つは、ロンドンにある「スキナーズ・ワーシップフル・カンパニー」のホール上方の壁面装飾。カンパニーの歴史をシーンごとに描いてパネルにしたもので、ぐるりとフリースのように部屋を囲んでいる。何というか、家具の木製象嵌細工のような、いかにもブラングィンらしい独特の茶色っぽい画面。

もう一つは彼が下絵を描いた、リーズ市のセント・エイダンズ教会のモザイク壁画。ふと思ったことだが、輪郭のはっきりしたモザイクだとブラングィンの構図がより分かり易い。ステンドグラスの作品はデザインしなかったのかしら?

この章で印象に残ったのは、私の好きなピラネージの趣を漂わせる、建造物を配した風景版画作品。『ジェノヴァのサン・ピエトロ・ディ・バンキ』(1913)はとても良かった。これを含め、東京国立博物館がブラングィンの版画作品を多数所蔵しているのは嬉しい限り。

会期は5月30日(日)までと残すところあと僅かになってしまったが、常設展の「所蔵水彩・素描展―松方コレクションとその後」(こちらも5月30日まで)もとても良かったので、合わせて是非。