三菱一号館美術館 2010年4月6日(火)-7月25日(日)
公式サイトはこちら
4月6日(火)に丸の内に開館した三菱第一号美術館。新しい美術館ができる、というのはそうそうあることではないし、ずい分前から新聞その他でいろいろ報道されていたから、興味津津だった。
一応この美術館の歴史をごく簡単に説明しておくと、「三菱一号館」は1894年にイギリス人のジョサイア・コンドルの設計により建設されたレンガ造りの建物。1968年に解体されるが、このたび内装も含めオリジナルに忠実に再現され、美術館として生まれ変わった。
そんな美術館のこけら落としがエドゥアール・マネ(1832-1883)に関する展覧会とくれば、気分も更に高揚。「近代絵画の父」と紹介される彼の画業については、実のところ『草上の昼食』や『オランピア』について何となく理解している(と思っている)程度で、マネの作品を一度に沢山観る機会自体これが初めてとなる。
いつもはのんびり構えている私も、今回は開催2日目の平日に足を運んでみた。お日柄もよく、有楽町からてくてく歩いて行くと、報道でさんざん目にしたヴィクトリア朝風の赤レンガの建物が忽然と目の前に。後ろには34階建てのオフィスビルがそびえ立ち、ちょっと奇妙な光景(でも今や、本家イギリスでもロンドン塔の横に高層マンションが建つご時世ですから)。本展のチラシやチケットに使われている『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』のフラッグが頭上高く風にはためいている下に入り口を見つけたが、どうもそこから入れるのは日時指定券を持っている人だけのようで、一般チケットの人は後ろの広場入り口へ回り込むよう但し書きが出ている。
この美術館は入口が二つあるのかと思いながら、矢印の方向へ曲がりこんだ瞬間、私のテンションは一気に上昇。そこには、狭いながらあたかもロンドンの小路に入り込んだような空間が広がっていた。美術館の赤レンガの壁、陽光の中に眩しい芝や樹木の緑、カフェのテーブル、ベンチに座る人々(芝地がもっと広くて人々が寝転がっていたら更にいいけど、いかんせんここは丸の内のオフィスビルのど真ん中)。「ブリックスクエア」と名称された一角らしい。のちほど丸の内で働く友人に聞いたら、たまにこのあたりでランチをするそうで、丸の内のオアシスだと言っていた。羨ましいなぁ。。。
さて、いよいよ美術館の中へ。元々銀行に使われていたという1階部分だが、当日券売り場は当時の窓口のような風情を醸し出していて、レトロ感がなかなかいい感じ。展示を観るにはまずエレベーターで3階に上がらなくてはならないようなので、招待券を持っていた私はそのままエレベーターの方へ向かった。が、その手前で何やら携帯端末でお客さんのチケットをスキャンしていたタッフの人から、招待券の引き換えが必要なのでまずはくだんの窓口に行くよう指示が。何だそりゃと思いつつ、言われた通りに窓口に戻って招待券を差し出すと、QRコードの入った小さめのチケットを渡された(招待券は半券がちぎられて一緒に戻ってくる)。どうもエレベーターの前でそのQRコードをいちいち読み取っているらしい。招待券や前売り券を持っていても、この、時代に逆行したようなシステムは今後も続行するのでしょうか?
いつになく前置きが長くなってしまったが、そろそろ本題へ。
本展は、「マネの芸術の全貌を、当時のパリが都市として変貌していく様子と結びつけながら、代表的作品により展覧しようとするもの」(チラシより抜粋)。
代表的作品といっても、さすがに『草上の昼食』や『オランピア』などはないが、出展されたマネの油彩画、素描、版画は80点を超え、他の同時代の作家たちによる作品や写真などの資料を合わせると展示数は150点以上にもなり、とても丹念に構成されている。改めて思えば、サイトにも書いてある通りマネは51歳の若さで亡くなっており、よって画業も短く、作品の希少価値の高さから美術館同士の貸し借りもなかなか難しい。実際この画家の個展は世界でもそれほど開かれていない、と聞くと、油彩画だけでも今回よくこんなに集まったものだと思う。
本展は3部構成になっているものの、1章の手前にいわば導入部のような部分があって、本来3章に組み込まれている作品がそこにあったりと、必ずしも順番通りに掛っていない。私はとりあえず出品目録の順に従って、印象に残った作品を挙げておきたいと思います(画像にアップしたのは、すべてマネの作品):
Ⅰ. スペイン趣味とレアリスム:1850-60年代
『ローラ・ド・ヴァランス』 (1862)
マネが関心を寄せ、ルーヴルで模写をしたベラスケスなどの17世紀のスペイン絵画は、当時あまり知られていなかったという。端的にではあってもこのような意外な事実を知る度に、画家への理解も深まる。この作品も、スペインの踊り子が大胆な筆致で描かれ、マネのスペイン趣味を思わせる一点。衣裳が色彩のごった煮のようだと批判されたと言うが、私は体型の方が気になった。プリマドンナにしてはずい分体格がいいような気が。。。
『死せる闘牛士(死せる男)』 (1863-1864/1865(切断と改変))
この絵は実はもっと広範囲に闘牛場の情景を描いたものだったが、遠近感が奇妙などと批判され、画家が上下に切断してしまったもの。今回展示されているのはその下半分の方のみで、他の闘牛士などが描かれた上部は横に写真が展示されていた。そんな作品なので、無背景の中ちょっと闘牛士の身体が宙に浮いているように見えなくもなかったが、闘牛士自体は美しく描かれていると思う。ポーズや表情が穏やかで、まるで劇中のシーンのようでもあるけれど、頭髪、眉毛、衣裳、靴、とマネの黒が引き立つ。
『街の歌い手』 (1862頃)
地味と言えば地味な絵だけれど、黒い帽子、上着の縁取りがメリハリを出しているせいか、やはり人物の存在感は浮き立っている。何とはなしに、小学生の頃好きだった『笛を吹く少年』(恐らく新聞のおまけの複製画)を思い出した。目の辺りがちょっと似ているのかな。今思えば、背景は何も描かれていない斬新性とか、遠近だの輪郭線だの全く知らずに、『笛を吹く少年』は単純に子供心をも捉えたということなのでしょうね。
『エミール・ゾラ』 (1868)
マネと親交の深かった小説化エミール・ガレの肖像画。これは文句なしに素晴らしい絵です。目に飛び込んできたときの絵の放つ力が違う。この作品を観られただけでも来てよかったと思った。背景には『オランピア』や浮世絵、琳派風の作品がさりげなく描き込まれ、マネ自身の主義主張も込められている。乱雑に置かれた机上の書物の中にさりげなくMANETの署名があるのもニクイですね。
マネが「近代絵画の父」と言われる所以の一つは、パネルの解説を元に理解すると、「主題の優越や、遠近法・明暗法を用いた三次元空間の描写」という、それまでフランス画壇で主流であったアカデミックな教義に従わなかった点。とはいえ、マネはルーヴルでオールド・マスター達の模写に励んだり、オランダやイタリアなど美術館巡りの旅もしたりと非常に研究熱心な人だった。その温故知新の土台があってこそのマネの解釈を、この肖像画は雄弁に語っているように私には思えます。
先に挙げた『街の歌い手』もそうだが、主題の優越という点では、ボードレールの影響で「ささやかな日常や市井の生活」に題材を求めたという解説があり、『扇を持つ女(ジャンヌ・デュヴァルの肖像)』(1862)などもその一つ。この作品は、アンバランスとも思えるプロポーションや粗い筆触が見てとれて、素人目に観てもマネの実験性が強く感じられるように思う。他には『オランピア』の習作なども印象に残った。
Ⅱ. 親密さの中のマネ:画家と友人たち
1870年に勃発した普仏戦争に従軍したマネ。続く内戦などで荒廃したパリを離れ、地方で制作された作品や、マネの生涯の友人であったという詩人ステファヌ・マラルメ訳の、エドガー・アランポー『大鴉』のための挿絵などが並ぶ。しかしやはり一連のベルト・モリゾの肖像画は大変興味深かった。
『横たわるベルト・モリゾの肖像』 (1873)
2007年に東京都美術館で開催された「オルセー美術館展」で初めて『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』(1872)の前に立った時は、ただただうっとり眺める以外なかった。黒ってなんて美しいのだろう、と思った。この度その作品を含め、計5点のマネによるモリゾの肖像画が一部屋に集められており、本作品はそのうちの1点。
逆光の中でじっと正面を見据える『すみれ~』に比べ、この作品では横たわってリラックスした姿勢で、柔和な視線をこちらに投げかけてくる。いずれにせよ利発そうな大きく瞳が印象的な、可愛い顔立ちの人だったことがとわかる。
Ⅲ. マネとパリ生活
この章では、マネ後期の作品や、他の画家による当時の華やかなパリの風俗を描いた油彩画などと共に、産業化著しい19世紀パリの様子を示す写真やら建築物の図面など、諸々の資料が沢山盛り込まれている。
『ラトュイユ親父の店』 (1879)
この1枚の絵は部屋をぱっと明るくする。こういう時、絵ってすごいな、と思う。マネは印象派展には一度も出展しなかったが、画風の影響は受けており、明るい色彩で清々しく描かれたこの作品はそんな1点かと思われる。ブリックスクエアのカフェにこの作品の模写を掛けたらぴったりじゃないでしょうか?
マネの油彩画としては他に、レモンやリンゴ、花などを描いた静物画の作品群が珍しかった。また、さり気なくドガの美しい油彩画『ル・ペルティエ街のオペラ座の稽古場』(1872)が観られて得した気分に。ドガも秋口に横浜美術館で個展がある。
図面などの資料では、横で「あら、ポン・ヌフよ」とご主人に嬉しそうに囁いているマダムがおられたが、パリ好きの人には充実した内容で楽しめるのではと思う。 エクトール・オローという人の手による『パリ市のためのオペラ座建築設計案』(1843)などは、設計のための図案で括るには惜しいほど繊細な作品だった。建物の周りに集う人々の描き込みも風情があって、今ならこの手の図案はCGでチャチャッと作ってしまうのでしょうが、やはり手描きの深さは違う。
7月25日までのロングラン開催ではあるけれど、場所柄、そして話題性でGWや週末などは結構混雑すると思われるので、なるべく早めに、出来れば平日に行かれることを勧めします。
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4月6日(火)に丸の内に開館した三菱第一号美術館。新しい美術館ができる、というのはそうそうあることではないし、ずい分前から新聞その他でいろいろ報道されていたから、興味津津だった。
一応この美術館の歴史をごく簡単に説明しておくと、「三菱一号館」は1894年にイギリス人のジョサイア・コンドルの設計により建設されたレンガ造りの建物。1968年に解体されるが、このたび内装も含めオリジナルに忠実に再現され、美術館として生まれ変わった。
そんな美術館のこけら落としがエドゥアール・マネ(1832-1883)に関する展覧会とくれば、気分も更に高揚。「近代絵画の父」と紹介される彼の画業については、実のところ『草上の昼食』や『オランピア』について何となく理解している(と思っている)程度で、マネの作品を一度に沢山観る機会自体これが初めてとなる。
いつもはのんびり構えている私も、今回は開催2日目の平日に足を運んでみた。お日柄もよく、有楽町からてくてく歩いて行くと、報道でさんざん目にしたヴィクトリア朝風の赤レンガの建物が忽然と目の前に。後ろには34階建てのオフィスビルがそびえ立ち、ちょっと奇妙な光景(でも今や、本家イギリスでもロンドン塔の横に高層マンションが建つご時世ですから)。本展のチラシやチケットに使われている『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』のフラッグが頭上高く風にはためいている下に入り口を見つけたが、どうもそこから入れるのは日時指定券を持っている人だけのようで、一般チケットの人は後ろの広場入り口へ回り込むよう但し書きが出ている。
この美術館は入口が二つあるのかと思いながら、矢印の方向へ曲がりこんだ瞬間、私のテンションは一気に上昇。そこには、狭いながらあたかもロンドンの小路に入り込んだような空間が広がっていた。美術館の赤レンガの壁、陽光の中に眩しい芝や樹木の緑、カフェのテーブル、ベンチに座る人々(芝地がもっと広くて人々が寝転がっていたら更にいいけど、いかんせんここは丸の内のオフィスビルのど真ん中)。「ブリックスクエア」と名称された一角らしい。のちほど丸の内で働く友人に聞いたら、たまにこのあたりでランチをするそうで、丸の内のオアシスだと言っていた。羨ましいなぁ。。。
さて、いよいよ美術館の中へ。元々銀行に使われていたという1階部分だが、当日券売り場は当時の窓口のような風情を醸し出していて、レトロ感がなかなかいい感じ。展示を観るにはまずエレベーターで3階に上がらなくてはならないようなので、招待券を持っていた私はそのままエレベーターの方へ向かった。が、その手前で何やら携帯端末でお客さんのチケットをスキャンしていたタッフの人から、招待券の引き換えが必要なのでまずはくだんの窓口に行くよう指示が。何だそりゃと思いつつ、言われた通りに窓口に戻って招待券を差し出すと、QRコードの入った小さめのチケットを渡された(招待券は半券がちぎられて一緒に戻ってくる)。どうもエレベーターの前でそのQRコードをいちいち読み取っているらしい。招待券や前売り券を持っていても、この、時代に逆行したようなシステムは今後も続行するのでしょうか?
いつになく前置きが長くなってしまったが、そろそろ本題へ。
本展は、「マネの芸術の全貌を、当時のパリが都市として変貌していく様子と結びつけながら、代表的作品により展覧しようとするもの」(チラシより抜粋)。
代表的作品といっても、さすがに『草上の昼食』や『オランピア』などはないが、出展されたマネの油彩画、素描、版画は80点を超え、他の同時代の作家たちによる作品や写真などの資料を合わせると展示数は150点以上にもなり、とても丹念に構成されている。改めて思えば、サイトにも書いてある通りマネは51歳の若さで亡くなっており、よって画業も短く、作品の希少価値の高さから美術館同士の貸し借りもなかなか難しい。実際この画家の個展は世界でもそれほど開かれていない、と聞くと、油彩画だけでも今回よくこんなに集まったものだと思う。
本展は3部構成になっているものの、1章の手前にいわば導入部のような部分があって、本来3章に組み込まれている作品がそこにあったりと、必ずしも順番通りに掛っていない。私はとりあえず出品目録の順に従って、印象に残った作品を挙げておきたいと思います(画像にアップしたのは、すべてマネの作品):
Ⅰ. スペイン趣味とレアリスム:1850-60年代
『ローラ・ド・ヴァランス』 (1862)
マネが関心を寄せ、ルーヴルで模写をしたベラスケスなどの17世紀のスペイン絵画は、当時あまり知られていなかったという。端的にではあってもこのような意外な事実を知る度に、画家への理解も深まる。この作品も、スペインの踊り子が大胆な筆致で描かれ、マネのスペイン趣味を思わせる一点。衣裳が色彩のごった煮のようだと批判されたと言うが、私は体型の方が気になった。プリマドンナにしてはずい分体格がいいような気が。。。
『死せる闘牛士(死せる男)』 (1863-1864/1865(切断と改変))
この絵は実はもっと広範囲に闘牛場の情景を描いたものだったが、遠近感が奇妙などと批判され、画家が上下に切断してしまったもの。今回展示されているのはその下半分の方のみで、他の闘牛士などが描かれた上部は横に写真が展示されていた。そんな作品なので、無背景の中ちょっと闘牛士の身体が宙に浮いているように見えなくもなかったが、闘牛士自体は美しく描かれていると思う。ポーズや表情が穏やかで、まるで劇中のシーンのようでもあるけれど、頭髪、眉毛、衣裳、靴、とマネの黒が引き立つ。
『街の歌い手』 (1862頃)
地味と言えば地味な絵だけれど、黒い帽子、上着の縁取りがメリハリを出しているせいか、やはり人物の存在感は浮き立っている。何とはなしに、小学生の頃好きだった『笛を吹く少年』(恐らく新聞のおまけの複製画)を思い出した。目の辺りがちょっと似ているのかな。今思えば、背景は何も描かれていない斬新性とか、遠近だの輪郭線だの全く知らずに、『笛を吹く少年』は単純に子供心をも捉えたということなのでしょうね。
『エミール・ゾラ』 (1868)
マネと親交の深かった小説化エミール・ガレの肖像画。これは文句なしに素晴らしい絵です。目に飛び込んできたときの絵の放つ力が違う。この作品を観られただけでも来てよかったと思った。背景には『オランピア』や浮世絵、琳派風の作品がさりげなく描き込まれ、マネ自身の主義主張も込められている。乱雑に置かれた机上の書物の中にさりげなくMANETの署名があるのもニクイですね。
マネが「近代絵画の父」と言われる所以の一つは、パネルの解説を元に理解すると、「主題の優越や、遠近法・明暗法を用いた三次元空間の描写」という、それまでフランス画壇で主流であったアカデミックな教義に従わなかった点。とはいえ、マネはルーヴルでオールド・マスター達の模写に励んだり、オランダやイタリアなど美術館巡りの旅もしたりと非常に研究熱心な人だった。その温故知新の土台があってこそのマネの解釈を、この肖像画は雄弁に語っているように私には思えます。
先に挙げた『街の歌い手』もそうだが、主題の優越という点では、ボードレールの影響で「ささやかな日常や市井の生活」に題材を求めたという解説があり、『扇を持つ女(ジャンヌ・デュヴァルの肖像)』(1862)などもその一つ。この作品は、アンバランスとも思えるプロポーションや粗い筆触が見てとれて、素人目に観てもマネの実験性が強く感じられるように思う。他には『オランピア』の習作なども印象に残った。
Ⅱ. 親密さの中のマネ:画家と友人たち
1870年に勃発した普仏戦争に従軍したマネ。続く内戦などで荒廃したパリを離れ、地方で制作された作品や、マネの生涯の友人であったという詩人ステファヌ・マラルメ訳の、エドガー・アランポー『大鴉』のための挿絵などが並ぶ。しかしやはり一連のベルト・モリゾの肖像画は大変興味深かった。
『横たわるベルト・モリゾの肖像』 (1873)
2007年に東京都美術館で開催された「オルセー美術館展」で初めて『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』(1872)の前に立った時は、ただただうっとり眺める以外なかった。黒ってなんて美しいのだろう、と思った。この度その作品を含め、計5点のマネによるモリゾの肖像画が一部屋に集められており、本作品はそのうちの1点。
逆光の中でじっと正面を見据える『すみれ~』に比べ、この作品では横たわってリラックスした姿勢で、柔和な視線をこちらに投げかけてくる。いずれにせよ利発そうな大きく瞳が印象的な、可愛い顔立ちの人だったことがとわかる。
Ⅲ. マネとパリ生活
この章では、マネ後期の作品や、他の画家による当時の華やかなパリの風俗を描いた油彩画などと共に、産業化著しい19世紀パリの様子を示す写真やら建築物の図面など、諸々の資料が沢山盛り込まれている。
『ラトュイユ親父の店』 (1879)
この1枚の絵は部屋をぱっと明るくする。こういう時、絵ってすごいな、と思う。マネは印象派展には一度も出展しなかったが、画風の影響は受けており、明るい色彩で清々しく描かれたこの作品はそんな1点かと思われる。ブリックスクエアのカフェにこの作品の模写を掛けたらぴったりじゃないでしょうか?
マネの油彩画としては他に、レモンやリンゴ、花などを描いた静物画の作品群が珍しかった。また、さり気なくドガの美しい油彩画『ル・ペルティエ街のオペラ座の稽古場』(1872)が観られて得した気分に。ドガも秋口に横浜美術館で個展がある。
図面などの資料では、横で「あら、ポン・ヌフよ」とご主人に嬉しそうに囁いているマダムがおられたが、パリ好きの人には充実した内容で楽しめるのではと思う。 エクトール・オローという人の手による『パリ市のためのオペラ座建築設計案』(1843)などは、設計のための図案で括るには惜しいほど繊細な作品だった。建物の周りに集う人々の描き込みも風情があって、今ならこの手の図案はCGでチャチャッと作ってしまうのでしょうが、やはり手描きの深さは違う。
7月25日までのロングラン開催ではあるけれど、場所柄、そして話題性でGWや週末などは結構混雑すると思われるので、なるべく早めに、出来れば平日に行かれることを勧めします。