l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

マネとモダン・パリ

2010-04-23 | アート鑑賞
三菱一号館美術館 2010年4月6日(火)-7月25日(日)



公式サイトはこちら

4月6日(火)に丸の内に開館した三菱第一号美術館。新しい美術館ができる、というのはそうそうあることではないし、ずい分前から新聞その他でいろいろ報道されていたから、興味津津だった。

一応この美術館の歴史をごく簡単に説明しておくと、「三菱一号館」は1894年にイギリス人のジョサイア・コンドルの設計により建設されたレンガ造りの建物。1968年に解体されるが、このたび内装も含めオリジナルに忠実に再現され、美術館として生まれ変わった。

そんな美術館のこけら落としがエドゥアール・マネ(1832-1883)に関する展覧会とくれば、気分も更に高揚。「近代絵画の父」と紹介される彼の画業については、実のところ『草上の昼食』や『オランピア』について何となく理解している(と思っている)程度で、マネの作品を一度に沢山観る機会自体これが初めてとなる。

いつもはのんびり構えている私も、今回は開催2日目の平日に足を運んでみた。お日柄もよく、有楽町からてくてく歩いて行くと、報道でさんざん目にしたヴィクトリア朝風の赤レンガの建物が忽然と目の前に。後ろには34階建てのオフィスビルがそびえ立ち、ちょっと奇妙な光景(でも今や、本家イギリスでもロンドン塔の横に高層マンションが建つご時世ですから)。本展のチラシやチケットに使われている『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』のフラッグが頭上高く風にはためいている下に入り口を見つけたが、どうもそこから入れるのは日時指定券を持っている人だけのようで、一般チケットの人は後ろの広場入り口へ回り込むよう但し書きが出ている。

この美術館は入口が二つあるのかと思いながら、矢印の方向へ曲がりこんだ瞬間、私のテンションは一気に上昇。そこには、狭いながらあたかもロンドンの小路に入り込んだような空間が広がっていた。美術館の赤レンガの壁、陽光の中に眩しい芝や樹木の緑、カフェのテーブル、ベンチに座る人々(芝地がもっと広くて人々が寝転がっていたら更にいいけど、いかんせんここは丸の内のオフィスビルのど真ん中)。「ブリックスクエア」と名称された一角らしい。のちほど丸の内で働く友人に聞いたら、たまにこのあたりでランチをするそうで、丸の内のオアシスだと言っていた。羨ましいなぁ。。。

さて、いよいよ美術館の中へ。元々銀行に使われていたという1階部分だが、当日券売り場は当時の窓口のような風情を醸し出していて、レトロ感がなかなかいい感じ。展示を観るにはまずエレベーターで3階に上がらなくてはならないようなので、招待券を持っていた私はそのままエレベーターの方へ向かった。が、その手前で何やら携帯端末でお客さんのチケットをスキャンしていたタッフの人から、招待券の引き換えが必要なのでまずはくだんの窓口に行くよう指示が。何だそりゃと思いつつ、言われた通りに窓口に戻って招待券を差し出すと、QRコードの入った小さめのチケットを渡された(招待券は半券がちぎられて一緒に戻ってくる)。どうもエレベーターの前でそのQRコードをいちいち読み取っているらしい。招待券や前売り券を持っていても、この、時代に逆行したようなシステムは今後も続行するのでしょうか?

いつになく前置きが長くなってしまったが、そろそろ本題へ。

本展は、「マネの芸術の全貌を、当時のパリが都市として変貌していく様子と結びつけながら、代表的作品により展覧しようとするもの」(チラシより抜粋)。

代表的作品といっても、さすがに『草上の昼食』や『オランピア』などはないが、出展されたマネの油彩画、素描、版画は80点を超え、他の同時代の作家たちによる作品や写真などの資料を合わせると展示数は150点以上にもなり、とても丹念に構成されている。改めて思えば、サイトにも書いてある通りマネは51歳の若さで亡くなっており、よって画業も短く、作品の希少価値の高さから美術館同士の貸し借りもなかなか難しい。実際この画家の個展は世界でもそれほど開かれていない、と聞くと、油彩画だけでも今回よくこんなに集まったものだと思う。

本展は3部構成になっているものの、1章の手前にいわば導入部のような部分があって、本来3章に組み込まれている作品がそこにあったりと、必ずしも順番通りに掛っていない。私はとりあえず出品目録の順に従って、印象に残った作品を挙げておきたいと思います(画像にアップしたのは、すべてマネの作品):

Ⅰ. スペイン趣味とレアリスム:1850-60年代

『ローラ・ド・ヴァランス』 (1862)



マネが関心を寄せ、ルーヴルで模写をしたベラスケスなどの17世紀のスペイン絵画は、当時あまり知られていなかったという。端的にではあってもこのような意外な事実を知る度に、画家への理解も深まる。この作品も、スペインの踊り子が大胆な筆致で描かれ、マネのスペイン趣味を思わせる一点。衣裳が色彩のごった煮のようだと批判されたと言うが、私は体型の方が気になった。プリマドンナにしてはずい分体格がいいような気が。。。

『死せる闘牛士(死せる男)』 (1863-1864/1865(切断と改変))



この絵は実はもっと広範囲に闘牛場の情景を描いたものだったが、遠近感が奇妙などと批判され、画家が上下に切断してしまったもの。今回展示されているのはその下半分の方のみで、他の闘牛士などが描かれた上部は横に写真が展示されていた。そんな作品なので、無背景の中ちょっと闘牛士の身体が宙に浮いているように見えなくもなかったが、闘牛士自体は美しく描かれていると思う。ポーズや表情が穏やかで、まるで劇中のシーンのようでもあるけれど、頭髪、眉毛、衣裳、靴、とマネの黒が引き立つ。

『街の歌い手』 (1862頃)



地味と言えば地味な絵だけれど、黒い帽子、上着の縁取りがメリハリを出しているせいか、やはり人物の存在感は浮き立っている。何とはなしに、小学生の頃好きだった『笛を吹く少年』(恐らく新聞のおまけの複製画)を思い出した。目の辺りがちょっと似ているのかな。今思えば、背景は何も描かれていない斬新性とか、遠近だの輪郭線だの全く知らずに、『笛を吹く少年』は単純に子供心をも捉えたということなのでしょうね。

『エミール・ゾラ』 (1868)

 

マネと親交の深かった小説化エミール・ガレの肖像画。これは文句なしに素晴らしい絵です。目に飛び込んできたときの絵の放つ力が違う。この作品を観られただけでも来てよかったと思った。背景には『オランピア』や浮世絵、琳派風の作品がさりげなく描き込まれ、マネ自身の主義主張も込められている。乱雑に置かれた机上の書物の中にさりげなくMANETの署名があるのもニクイですね。

マネが「近代絵画の父」と言われる所以の一つは、パネルの解説を元に理解すると、「主題の優越や、遠近法・明暗法を用いた三次元空間の描写」という、それまでフランス画壇で主流であったアカデミックな教義に従わなかった点。とはいえ、マネはルーヴルでオールド・マスター達の模写に励んだり、オランダやイタリアなど美術館巡りの旅もしたりと非常に研究熱心な人だった。その温故知新の土台があってこそのマネの解釈を、この肖像画は雄弁に語っているように私には思えます。

先に挙げた『街の歌い手』もそうだが、主題の優越という点では、ボードレールの影響で「ささやかな日常や市井の生活」に題材を求めたという解説があり、『扇を持つ女(ジャンヌ・デュヴァルの肖像)』(1862)などもその一つ。この作品は、アンバランスとも思えるプロポーションや粗い筆触が見てとれて、素人目に観てもマネの実験性が強く感じられるように思う。他には『オランピア』の習作なども印象に残った。

Ⅱ. 親密さの中のマネ:画家と友人たち

1870年に勃発した普仏戦争に従軍したマネ。続く内戦などで荒廃したパリを離れ、地方で制作された作品や、マネの生涯の友人であったという詩人ステファヌ・マラルメ訳の、エドガー・アランポー『大鴉』のための挿絵などが並ぶ。しかしやはり一連のベルト・モリゾの肖像画は大変興味深かった。

『横たわるベルト・モリゾの肖像』 (1873)



2007年に東京都美術館で開催された「オルセー美術館展」で初めて『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』(1872)の前に立った時は、ただただうっとり眺める以外なかった。黒ってなんて美しいのだろう、と思った。この度その作品を含め、計5点のマネによるモリゾの肖像画が一部屋に集められており、本作品はそのうちの1点。

逆光の中でじっと正面を見据える『すみれ~』に比べ、この作品では横たわってリラックスした姿勢で、柔和な視線をこちらに投げかけてくる。いずれにせよ利発そうな大きく瞳が印象的な、可愛い顔立ちの人だったことがとわかる。

Ⅲ. マネとパリ生活

この章では、マネ後期の作品や、他の画家による当時の華やかなパリの風俗を描いた油彩画などと共に、産業化著しい19世紀パリの様子を示す写真やら建築物の図面など、諸々の資料が沢山盛り込まれている。

『ラトュイユ親父の店』 (1879)



この1枚の絵は部屋をぱっと明るくする。こういう時、絵ってすごいな、と思う。マネは印象派展には一度も出展しなかったが、画風の影響は受けており、明るい色彩で清々しく描かれたこの作品はそんな1点かと思われる。ブリックスクエアのカフェにこの作品の模写を掛けたらぴったりじゃないでしょうか?

マネの油彩画としては他に、レモンやリンゴ、花などを描いた静物画の作品群が珍しかった。また、さり気なくドガの美しい油彩画『ル・ペルティエ街のオペラ座の稽古場』(1872)が観られて得した気分に。ドガも秋口に横浜美術館で個展がある。

図面などの資料では、横で「あら、ポン・ヌフよ」とご主人に嬉しそうに囁いているマダムがおられたが、パリ好きの人には充実した内容で楽しめるのではと思う。 エクトール・オローという人の手による『パリ市のためのオペラ座建築設計案』(1843)などは、設計のための図案で括るには惜しいほど繊細な作品だった。建物の周りに集う人々の描き込みも風情があって、今ならこの手の図案はCGでチャチャッと作ってしまうのでしょうが、やはり手描きの深さは違う。

7月25日までのロングラン開催ではあるけれど、場所柄、そして話題性でGWや週末などは結構混雑すると思われるので、なるべく早めに、出来れば平日に行かれることを勧めします。

「見つめる」展

2010-04-20 | アート鑑賞
川口市立アートギャラリー・アトリア 2010年4月17日(土)-5月30日(日)



家から徒歩で行けるギャラリーでの企画展。曇天ながら前日の雪(!)が消えた麗らかな日曜日の午後、散歩がてら足を運んでみた。こんな天変地異ともいえる異常気象の中、まだしぶとく咲いている桜の木も結構あるものですね。

さて、「見つめる」と題されたこの展覧会では、野田弘志、大野廣子、諏訪敦という全く画風の異なる3人の画家の作品が並ぶ。

私なんぞが言うまでもなく、「見つめる」ことは創作の原点。対象に形があろうとなかろうと、描き手はそれに対峙し、じっと見つめる。今回の三氏は形があるものを見つめて具象絵画を描くが、ふと思うに、芸術家の方ってもの凄く眼光が鋭い感じがしませんか?残念ながらこのお三方にはお会いしたことがないのだが、今まで自分が遭遇した画家の方たちを思い起こすに、やはり目力が印象に残る人が多い。

ま、それはともかく、この展覧会でも上記3人の画家の目を通して見つめられ、それぞれの感性、技法で平面に再構築された世界が展開する。ギャラリー入り口から野田氏、諏訪氏、大野氏の順番に一部屋ずつあてがわれての展示だったので、その順に回って行った。

【野田弘志】

チラシに使われている『やませみ』(1971)の作者である、超絶技巧の写実画家。お名前は存じ上げていたが、実作品を拝見するのは今回が初めて。

「私は絵によって人が存在することの意味を、生きていることの意味を深い次元で探りたいと考えています」という言葉で始まる入り口のパネルには、「神が天地を創造したように現実のものを再創造したい」、そしてそれは「不可能への挑戦かもしれない」という画家のコメント。

制作に膨大な時間がかかるから生ものは描けない、という率直な言葉に思わず微笑んでしまったが、そんな画家がモティーフに好んで選ぶのは、本人が「造形の絶妙なお手本」と言う化石、骨、髑髏など。背景は漆黒だったり、モティーフが白い台に載っているだけだったりと、主役以外の描き込みはほとんどない。

しかし、対象物の完膚なきまでの描写には息を飲むほど。画像だと平坦に見える『かわせみ』をしゃがんで見上げてみたら、モティーフのところだけ筆跡が盛り上がり、油絵具が光っていた。

『黒い風景 其の三』 (1973)

刈り取られ、束ねられた黄金色の麦の穂。その下には葉脈が活動を終え、乾燥してカサカサになった枯れ葉が積もる。しかし、その周りに細かく舞っているのは孵化した蛾。これは画家にとって期せずして起こったことで、麦の穂にいつの間にか蛾が卵を産みつけており、制作中にこのような状況になったそうだ。ある意味ヴァニタス画のようでもある。



鉛筆画も何点かあり、『グラスとピーナッツ』(1988)は、変わった形のグラスの中で、今にも氷がカランと軽やかな音を立てて動きそう。どの作品も繊細だけれど、署名の文字がまたミクロ。

70歳を超えて尚、「私の絵はまだまだ全然描けていないです」と言い、「もうやることはやり尽くしたという人もいますが、いつの時代もそういうところから出発するもの」という飽くなき絵画への情熱は本当に凄いと思います。

【諏訪敦】

薄暗い空間に、何やら不穏なコントラバスとチェロの演奏が流れる展示室(私は機械に疎いのでよくわからないが、ギャラリー入り口で頂いた資料によると、今回の展示に合わせて特注されたという音響装置が部屋の片隅に置かれている)。入口のパネルには「さまざまな眠りの様相を通して“ひとつながり”のサイクルを観ていただけたら」というコメントがあった。ここで言う眠りとは、乳幼児の無垢な眠りから遺体の永遠の眠りまで、そして麻酔による人為的なものも含む。

『untitled』 (2008)



入り口入ってすぐに掛っている作品。鉛筆のみで、すやすやと眠る乳幼児の姿が精緻に描かれている。“ひとつながり”の人生というサイクルの、そしてこの展示の始まり。

でも、その穏やかな絵から目を離し、展示室をぐるりと見渡すと強い衝撃を受ける。入り口から見て正面の壁には、鼻の穴や耳に綿をつめた、画家の父親の死に顔のアップが大きな画面に描かれているのだから。

一瞬怯むが、とりあえずまた順に従うことにして壁に目を戻す。

乳児期の次は若年期、全裸の若い女性が眠る姿を捉えた「スリーパー」シリーズ。ベッドの上で身体をくの字に折って眠る全身像や、水槽のようなものに下半身を浸して目を閉じる姿が続く。『うつらうつらと、流れた』(2006)は、確か2007年のDOMANI展で拝見した作品。ベッドの上で子供のように眠る、美しい女性の裸体が写実的に描かれているこの絵を観たとき、画家のアトリエで全裸で眠り込むモデルの心境とはどんなものだろう、と思ったものだが、展示室に置いてあった図録の作家のインタビューをざっと読むと意外なことが書かれていた。何でも、モデルの肉体的負担の少ない方法ということで眠ってもらったのがきっかけだったと(中にはタヌキ寝入りのモデルさんもいたとか)。

さて、いよいよ人生の終わりに向かっていく。作家のお父様がチューブにつながれながらICUのベッドに横たわる『father』(1996)。そして、最初に目に飛び込んできて衝撃を受けた、死に顔を描いた『gaze』。まだ未完なのだそうだが、これは作家いうところの「遺体の絶対な静寂」。

私を含め、何故この画家は実の親の死に顔をこんなに冷徹なまでに写実的に描くのだろうか?と思う人もたくさんいることでしょう。作家は「父の死に目にあえず、それがある種の執着につながった」とし、荼毘に付すまでの二日間、遺体の傍らで死に顔のデッサンをしたことは死を受け入れる儀式に似たプロセスであったと述べている。

そう聞いても私などは、このように表現せずにはいられない人の精神の営みは、しかしやはりその表現者にしかわからないと思うのが精一杯。

ところで諏訪氏は「本来的な意味での写実絵画を全うできている画家は、(今の自分も含め)残念ながら日本には一人もいないかもしれない」と言っている。野田氏といい、写実の画家の制作態度には本当に厳しいものを感じます。

【大野廣子】

今回唯一の日本画家。「モンゴルのゴビ砂漠で月と太陽に挟まれたとき、地球が浮かんでいるのを実感」したことが、自分の画業に影響を与えているとのこと。制作道具一式を戸外に持ち出して描く日本画家というのは異例だそうで、確かに作品は自然観察をダイレクトに作品に描き出しているという印象。

『日月山水図屏風』 (1995)



六曲一隻(172.4x360.0cm)の屏風絵。画家の口からセザンヌの名が言及されていたが、画法の違いこそあれ(膠がすぐ固まってしまうので、このような大作を戸外で描くのは大変とのこと)、樹木の緑色が何となくセザンヌのそれを想起させる。本作品は背景の水色もとても美しい。

画像はないが、こちらも六曲一隻の『銀河図屏風 エンデバーに捧ぐ』(1991)は、深みのある濃紺の宇宙を背景に、上から夥しい光の粒子を降らせたように銀河が滝のように注ぎ込まれた作品で、しばし見とれた。

本展は5月30日(日)まで開催しているので(入場料は300円)、お近くに来られた際は是非お立ち寄り下さい。

生誕120年 小野竹喬展

2010-04-15 | アート鑑賞
東京国立近代美術館 2010年3月2日(火)-4月11日(日)
*会期終了



「田一枚植ゑて立ち去る柳かな」という「奥の細道」からの句が添えられたチラシの作品に、ずっと心を惹かれていた。水田をこんなふうに美しい水色に描く小野竹喬とは、どんな画家なのだろう?

もうとっくに終わってしまった展覧会だけれど、鑑賞の記録を残しておきたいと思います。

まずは小野竹喬(1889-1979)の画業の変遷を、パネルの説明からざっとまとめておきます:

1903年に竹内栖鳳に師事。写生派の伝統とカミーユ・コローの写実表現を融合させた師の元で、竹喬自身もセザンヌや、富岡鉄斎の南画に関心を寄せていく。そんな中、自分の目指す写実表現を岩絵具にて表すことに無理を覚え、1921年に渡欧。約1年間の滞在で再認識したのが東洋画における線描写。帰国後は南画風の表現に至るも1939年頃に転換期を迎え、日本画の素材を活かした大和絵風の表現へ向かっていく。最晩年は水墨画も取り入れた。

そのような試行錯誤を繰り返した竹喬の生誕120年を記念して企画された本回顧展では、初公開作を含む代表作100点とスケッチ50点で構成。画業の大きな転換をみた1939年頃を境とし、、「第1章 写実表現と日本画の問題」「第2章 自然と私との素直な対話」という二つの章立てになっていた。

また、第1章のあとに「特集展示1 竹喬の渡欧」、第2章の終りに「特集展示2 奥の細道句抄絵」というセクションも設けられていた。

では、印象に残った作品を挙げていきます:

第1章 写実表現と日本画の問題

『島二作(早春・冬の丘)』 (1916)

  

最初にパネルの解説を読んだせいか、この章に並ぶ風景画の数々は、色彩の力強さや画面構成などがやはり西洋画を意識して描かれているような印象を受けるものが多かった。この春と冬の景色が対になっている作品は、縦長ながら前景、中景、後景と構成が西洋画のようにきっちりしているように思う。

『花の山』(1909)は、起伏のある山道に薄ピンクの花が咲き誇る桜の木がとてもきれい。折しも東京は桜の季節、人工的に整然と並ぶ桜並木と、その周りにぎっしり集って飲食する人々という情景に比べ、このように山里に自然に咲く桜はさぞや美しいことだろうと憧憬した。

『南島四季のうち春秋』(1913)はどことなくスーラを想起させられ、『七瀬』(1915)、『初夏之海』(1915)、『郊外の家』(1915)、『桃咲く頃』(1915頃)などはゴーギャンを思わせた。『七瀬』は茅葺屋根の家が描かれているけれど、西洋の村のようにも見える。『瀬戸内の春』(1916頃)はどことなくメルヘンな感じで西洋の絵本の挿絵みたい。『夏の五箇山』(1919)は、解説に「岩絵具の特性のため平坦な印象」とあったが、よく観ると森、木々、山並みなど緑色を丁寧に捌いている。本作の2年後の1921年に、竹喬はとうとう渡欧することになるのですね。

「特集展示1 竹喬の渡欧」

1921年に渡欧した竹喬と、同行した土田麦僊によるイタリアやフランスなどで制作されたスケッチ作品が展示されていた。セーヌ河、ピサ、コロッセオ、アッシジ、ポンテ・ヴェッキオなど名所の数々。湿気の多い日本と異なり、色の彩度が高いヨーロッパの青い空や海、樹木の明るい緑、重量感のある石造りの建造物などを目の当たりにし、竹喬は何を想っただろう?油彩画をやりたいとは思わなかったのでしょうか?(←すごく素朴な疑問)

第2章 自然と私との素直な対話

展示室をぐるりと見渡すと、青、緑、サーモンピンクが目に飛び込んでくる。入り口にあった解説パネルに、竹喬は「中国絵画や西洋画にはない純粋な日本山水画を創造しようとする大和絵新解釈の時代」に入ったとあったが、渡欧後、構図は短略化され、色彩がより大らかになった印象を受けた。

『奥入瀬の渓流』 (1951)

早い渓流の流れが、薄いピンクとブルーのパステル調の色彩で表されていて美しい。日本の山の渓流というともっと嶮しい感じがするものだけれど、竹喬の手にかかると(大きな木が渓流の上に倒れて画面を横切っているにもかかわらず)、優しい作品になる。

『高原』 (1956)



高原の斜面、青い空、湧きおこる雲、というミニマムなモティーフで夏の高原の雄大な風景を大胆に描き切った1枚。雲が姿を変えながらどんどん流れていくような、山の上の気流に包みこまれる感覚を覚えた。

『黎明』 (1960)

右から左へ伸びる、葉の落ちた木の梢。枝の向うに薄いピンクの雲が一片たなびく。背景の青が深くきれい。この青を出すのに竹喬はとても苦労した、と確か解説にあったと記憶しているが、そばに寄ると顔料がキラキラ輝いていた。

『宿雪』 (1966)



春先、木の根元から雪が溶け出すことを「根開け」というそうだ。これはその情景を描いた作品。しなやかに伸びる細い木の幹は、緑色だったりオレンジ色だったり。それらの根元の雪は、木の体温で溶けたように楕円に穴があいている。幻想的で美しい作品。

『野辺』 (1967)



目線を下げて、草花を見上げた構図。竹喬の自然観察の目は万遍なく行き渡る。青い空と天高くたなびく真っ白な雲を背景にそよぐ、野辺の草花がとても爽やか。

『池』 (1967)



池のブルーの諧調と浮島に生える草の緑。そよそよと風が渡ってくる。

『日本の四季 春の湖面』 (1974)



柔らかいパステル調の色彩がきれい。竹喬はブルーのイメージが印象に強いが、このようなエメラルド・グリーンと、恐らく春の夕日が湖面に反映したのであろうピンク色の溶け合う画面も美しい。

『茜』 (1978)

80歳を過ぎてからの作品もずい分展示されているが、竹喬の筆や観察眼は衰えることなく、相変わらず木々の枝ぶりなど繊細で、表現もみずみずしい。最晩年は墨絵にも関心を持ったそうだが、亡くなる前年、89歳のときに描かれたこの作品は画面下方が墨絵で木立が描かれ、上方はパステル調のブルーの空にピンクの雲がたなびく。

『奥の細道句抄絵 まゆはきを俤にして紅粉の花』 (1976)



「奥の細道」の句意を絵画化したシリーズの作品10点が並ぶうちの1点。どの作品も構図は単純化されながら、詩情豊か。この一連のシリーズ制作にあたり、竹喬はまず句を選び、娘婿に現地に赴いて撮影をしてもらい、その写真を元に絵の構想を練り、満を持して自ら現地への取材旅行を敢行したそうだ。この作品では、竹喬ブルーともいえる青を背景に、黄味がかったオレンジの紅花が3輪、思い思いの方向へ茎をしならせ可憐に咲いている。余談ながら俤は「おもかげ」と読むのですね。難しいな漢字って。

『奥の細道句抄絵 田一枚植ゑて立ち去る柳かな』 (1976)

冒頭に挙げた、チラシに使われている作品。春風にそよぐ柳の若葉の明るい緑、手作業で丁寧に植えられた稲、水が張られた水田に写りこむ白い雲。この作品は紛れもなく日本人の心そのもの。

美術館を出た後、竹喬の作品を想い浮かべながら皇居のお堀沿いに友人の待つ丸の内まで歩いた。お堀伝いに植えられた木々を見上げ、ああ、竹喬はいつもこうして自然の風景を見上げたり、見渡したり、足元に目を落としながら、何十年も描き続けたんだなぁ、としみじみ思った。


あおひーさんの個展のお知らせ

2010-04-12 | アートその他
いつもブログでお世話になっているあおひーさんの個展のご案内を頂きましたので、ご紹介させて頂きたいと思います。

あおひーさんはお勤めの傍ら、独特のピンボケ・テクニックとでもいうような技を駆使しながら、デジタルカメラで日常の情景からアートをすくい取るアーティスト。

そう、まさに今回の個展のタイトルは「すくいとる」。そのタイトルの下には“―デジタルカメラの耳元にそっとウソをついて、もうひとつの見えない景色をすくいとる―”と添えられています。

ご本人のブログにもしばしば作品が登場しますが、いつも「何の風景だろう?」とか、「光源は何だろう?」とか、夜のしじまにゆったりとイマジネーションが膨らみます。

私自身、過去に二度ほどあおひーさんのグループ展を拝見したことがあるのですが、やはりPCの上でデジタル画像として観るのとは印象が大きく違います。以前、その制作方法についてご本人にお伺いしたことがあるのですが、撮る段階で既にこの画像になっているそうで、あとで加工等は一切施していないというお話に大変驚きました。

DMに使われている作品は『溶光梅』。何かにふわっと包まれたような感覚に。。。





いろいろなトーンの作品が並ぶという今回の個展、新緑の美しい季節にどんな空間が目の前に広がるのでしょうか。

個展の詳細は以下の通りです:

日時:5月1日(土)~5月5日(祝・水)11:00~19:00
場所:antique studio Minoru (サイトはこちら
オープニング・パーティ:5月1日(土)17:00~19:00

小田急線経堂駅北口徒歩1分だそうです。みなさまも是非!

第29回 損保ジャパン美術財団 選抜奨励展

2010-04-01 | アート鑑賞
損保ジャパン東郷青児美術館 2010年3月13日(土)-4月4日(日)



公式サイトはこちら

損保ジャパン美術財団より全国の公募美術団体に授与される「損保ジャパン美術財団奨励賞」。その受賞作を展示する本展覧会も、VOCA展と並んで私が毎年この時期楽しみにしているものの一つ。今回は平面作品部門の作家36名、立体作品部門の作家17名(立体作品は隔年開催)、推薦作家26名の作品、合計79点が集った。

私の油絵の先生が三軌会に所属されているので、三軌展をはじめ国展や二紀展などには何度か足を運んだことがあるが、絵画だけでもプロ・アマ問わず100号以上の夥しい数の力作が美術館の壁を覆い尽くしていて、日本の絵画人口の多さにいつも驚かされる。それぞれに特色を持った美術団体の数も全国に一体いくつあるのかわからないけれど、そんな中で「選ばれた新進作家たち」の多様でハイレベルな作品を一度に拝見できるのは貴重な機会に思える。

コンクール形式にもなっている本展の、今回の受賞作品をまず挙げておきます:

<平面部門>
損保ジャパン美術賞 
杉本克哉 『distance/ヘイタイ来ても、トマトつぶれても・・・』 (2009)

秀作賞
大川ひろし 『行き場をなくした素顔』 (2008)
田尚吾 『記憶に咲く花』 (2008)
三宅設生 『リビドー競争』 (2008)

<立体部門>
新作優秀賞
加治佐郁代子 『キノキの記憶』 (2009)

新作秀作賞
中村隆 『思考 No.8』 (2009)
藤澤万里子 『次元の廻廊』 (2009)

では、個人的に印象に残った作品を:

永原トミヒロ 『Untitled 09-01』 (2008)
人影もなく、家が数軒並ぶだけの殺風景ともいえる情景を、青っぽいモノクロームの色彩でぼんやりと描いた作品。作家が住む大阪の町を描いたそうだけれど、実在感がなく誰もが心に持つ心象風景のよう。夢の中の世界のように儚げ。

水野暁 『The River α+(共存へのかたちについて/吾妻川』 (2008)
卓抜した写実描写で、画面全体をグレイトーンで描いた川原の風景。グレイといってもきっと様々な色を混色して出しているのでしょうが、川辺に転がる大小の石やら草やら何やらの質感を、ほとんどモノクロームの色彩で画面に立ち上がらせる技量はすごいなぁ、と思った。これだけ色数の揃った油絵具で、敢えてこの色世界。奇しくもお隣が墨絵の作品だったので、思わず両者を見比べながらそんなことを思ってしまった。

田中晶子 『動くと動く。ゆうるりと』 (2009)
悠然と水面から顔を出すカバの顔。水野暁のシブい作品に浸った直後だっただけに、この絵が目に飛び込んできたときはその明快さが愉快だった。水面を悠々と移動するカバの顔の回りにはその動きで出来た波紋がゆらゆら。近寄って観ると、その波は青磁色とシルバーとで美しく表現されていた。

伊庭靖子 『untitled 12-2009』 (2009)
染付の光沢部分をアップで描いた作品。いつ観てもいいですね。

大鷹進 『パンドラの朱い実』 (2009)
繊維だけになったほおずきの房。透けて見えるその房の中には橙色のまん丸い実があり、緻密に描き込まれた網状の房(や房の外の地上)には小さな人間たちがうごめいている。赤黒い背景は美しくもあり不穏な感じでもあり。

榎俊幸 『獏図』 (2009)
あの、夢を食べて生きるという想像上の動物である獏の絵。アクリル絵画だけれど、金箔も使われていて琳派風といえばそんな感じ(に私には見える)。典雅な草花や雲を背景に、尻尾をもたげ、牙の生える口を開けてこちらにのっしのっしと向かってくる、ちょっと恐竜系のパワフルな獏。身体を覆う鱗のような模様、尻尾に走る細く繊細なスジなど、私が今まで見たどの獏よりもゴージャス。

朝倉隆文 『流出スル形ノ転移』 (2009)
植物の根のような細いものがのたうち、よく観ると西洋の顔立ちの具象も描き込まれ、観れば観るほど混沌。墨でよくこんな緻密な描き込みができるものだと見入った。

杉本克哉 『distance/ヘイタイ来ても、トマトつぶれても・・・』 (2009)
正直、まな板の上のトマトとその周りに群がる銃を持った兵隊たちという作家の感性に、自分が共有できる部分はすぐには見当たらなかったけれど、トマトと流れ出す中身の質感描写のリアルさは印象に残った。

青木恵 『狭間を渡る』 (2009)
岩絵具で描かれた華やかな作品。純粋にきれいだなぁ、と思ってしばし観ていた。赤で輪郭を引かれた金色の大きな花を中心に、ほのかに色づく白っぽい花々が咲き、薄いブルーの蝶が舞う。背景の明るい青色も美しかった。

藤澤万里子 『次元の廻廊』 (2009)
立体作品。ステンレス・スチール製の筒の中を覗き込むと、高透明シリコンで作られた液体が下がり、その向こうにやはり透明の手が生えている。更に顔を近づけると鏡のようにピカピカの筒の内側で中のオブジェの反射がたわみ、その視覚効果で妙な感覚を覚える。

以上です。

水野暁の作品に添えられたコメントに、現代絵画では技術力、描写力は評価されにくいというようなことが書かれてあり、私のような素人鑑賞者にもその意味するところが何とはなしに理解されるけれど、毎年この展覧会に並ぶ作品は技術的に高度で見応えのあるものが多く、素晴らしいと思います。