東京国立博物館 平成館 2010年10月8日(金)-12月12日(日)
本展の公式サイトはこちら
今年は平城遷都1300年であると同時に、光明皇后が亡くなられて1250年の節目。ここは一つ、パネルの解説などを読みながら、東大寺の歴史もちょっぴりおさらいしたいと思います。
聖武天皇と光明皇后は、1歳になる前に夭折した皇子を弔うために山房を営んだが、それが発展したともいわれる寺を始めいくつか存在した寺を合わせて742年に金光明寺が成立したと考えられる。
藤原広嗣の乱に際して聖武天皇は平城京から逃れ、その後も都を恭仁、難波、紫香楽と移したが、干ばつ、飢饉、大地震など社会不安が深刻になる中、仏教の力によって国を平定しようと考え、天平15年(743年)に大仏建立を発願。
紫香楽宮で着工されたこのプロジェクトは、天平17年(745年)に都が平城京に戻った際に仕切り直され、金光明寺に大仏が造られることに。大仏の鋳造が始まった直後の天平19年(747年)に東大寺の名前が登場する。
何となくアウトラインだけは押さえたところで、そんな東大寺の大仏ゆかりの、大小様々な至宝の数々を拝見することができるのが本展。既に終わってしまったけれど、期間限定で正倉院宝物の展示などもあり(ちなみに私が行ったのは10月末なので、残念ながら見逃しました)、国宝11件、重文18件を含め出展数は総数67点。
では、構成に従って心に残った作品を挙げていきたいと思います:
第1章 東大寺のはじまり―前身寺院と東大寺創建―
『法華堂付近出土三彩軒丸瓦(さんさいのきまるがわら)』 (奈良時代・8世紀)
最初の展示室には、東大寺周辺から出た出土品が並ぶ。「瓦ばっかりねぇ…」という声も聞こえたけれど、なかなかどうして、この丸瓦は中心にお花のような装飾が施され、その周囲にも小さな玉がぐるりと並べられてちょっと和菓子のような可愛らしさ。14個並ぶ『法華堂屋根瓦』(奈良時代・8世紀)にはそれぞれ瓦工の名前のスタンプが押されていたりと、私にはなかなか興味深かった。
また、一角に現在行われている東塔跡の調査活動を紹介するコーナーがあったが、その東塔は高さ100mの七重塔だったとのこと。しかも東大寺はその再建計画を立てているそうだ。このご時世、資金集めも大変でしょうね。。。
第2章 大仏造立
『誕生釈迦仏立像及び灌仏盤』 (奈良時代 8世紀) *国宝
この章の展示室に足を踏み込むと、おや、いつかどこかで体験した空間。赤い柱やスロープの設置など、去年の阿修羅像展にそっくりです。でも今回ここに鎮座するのは、穏やかな表情で片手を高々と挙げたポーズが印象的な高さ47cmの仏様。4月8日に行われる灌仏会(かんぶつえ。釈迦の誕生日を祝う法会)の本尊だそうだ。
右側の画像はチラシの裏で、灌仏盤の中にお立ちになる仏様。左側が仏さまのクローズ・アップ。
灌仏会の時に仏様に甘茶をかけるので、灌仏盤はいわばその受け皿。この灌仏盤の外側には、草花や飛天など流麗な装飾が施されていて、下方から部分的に時間差で当てられる照明のおかげでその装飾を確認することができる。横には液晶画面で説明も行われており、私もそれを観てから再度実物の周りをぐるぐる。
『伎楽面』 (奈良時代 8世紀)
左上から時計回りに『酔胡従』『太孤父』『力士』『師子児』。『師子児は捨目師作。
752年に行われた大仏の開眼供養会にはインドや中国からも来賓があり、大仏殿の外では伎楽(ぎがく)など様々なパフォーマンスが催された。ここに並ぶお面はその伎楽を演じるときに被るもので、ペルシャ人の顔を模ったという『酔胡従』やモヒカンのような『太孤父』など、どれもデフォルメされた表情が迫力満点。結構重さもありそうに見えますが、どうなのでしょう。
『八角燈籠』および『八角燈籠火袋羽目板』 (奈良時代・8世紀) *国宝
大仏殿の前に立つ、高さ約4.6mの燈籠が目の前にドンと現れる。先ほど挙げたチラシ裏面の、灌仏盤の仏様のお隣に写っているのがそれ(冒頭のチラシ表面にもクローズアップ)。寺外で公開するのは初めてとのことだけれど、まずもってよくこんな大きな国宝が東京くんだりまで運び込まれたもの。大仏に燈火をささげるためのものであるこの燈籠は、大仏殿が二度火災に遭っているにも拘らず被災を免れ、創建当時の姿を残しているとのこと。1000年以上もの長きに渡って風雪に耐えながら、ずっと東大寺の歴史を見守ってきたのですね(早く大仏様の元に帰りたいのではないでしょうか?)。
灯籠の各扉に施された、ふわふわと浮遊しながら、柔らかな表情、しなやかな姿態で横笛を吹く菩薩(音声菩薩-おんじょうぼさつ-というらしい)の優美な姿は、まさに天平文化と聞いて想像する優美な世界。
『東大寺金堂鎮壇具』 (奈良時代・8世紀) *国宝
様々な作品が並ぶが、とりわけ『銀製鍍金狩猟文小壺』から離れられず。近くにあった液晶画面のクローズアップ画像を観てはまた実物のケースに戻り、を繰り返した。また、『銀製鍍金蝉形鏁子(宝相華透彫座金付)』という、蝉の形をした鍵にも目が釘付け。これも液晶画面の解説を観て理解することになるが、蝉の目の間の穴に鍵を差し込むと解錠するという仕掛けになっている。この時代の粋な技巧に驚くばかり。その他、水晶などの玉類も美しかった。
第3章 天平の至宝
『不空羂索観音菩薩立像光背』 (奈良時代 8世紀) *国宝
*光背のみ展示
さすがにご本体にはお出で願えなかったが、逆に光背のみをこのように拝見出来る機会もないので貴重。シンメトリックで均整がとれたデザイン、背後の壁に落ちる影も幻想的できれいだった。
第4章 重源と公慶
『重源上人坐像』 (鎌倉時代 13世紀) *国宝
源平の争乱時、1180年に平重衡(しげひら)が放った矢によって焼き尽くされた東大寺の復興に力を尽くしたのが重源(ちょうげん)。各地で勧進を展開しての資金集めのみならず、自ら三度も赴いた中国から大仏様という建築様式を復興建築に取り入れたり、また深いつながりのあった快慶に数々の仏像を作らせたりと、この人の東大寺再建への貢献度は計り知れない。
意志の強さを思わせる固く結んだ口元や、鋭利な知性と冷静さを漂わせる目元。横から観ると、着物の襟の立ち具合とそこから斜めに伸びる首の角度に目を見張ってしまいました。
また、大仏様は1567年にもう一度戦火の被害に遭うが、この時その復興に尽力したのが公慶上人。本展でも、性慶・即念作の『公慶上人坐像』(1706年)重文が並んでいる。
『五劫思唯阿弥陀如来坐像』 (鎌倉時代 12~13世紀) *重文
今年の夏、三井記念美術館で開催された「奈良の古寺と仏像」展で同名の仏様を拝見しているので(ただしこちらは手を合掌している)、免疫ができていたが、それでもやはりこのアフロヘアーは(厳密にはアフロじゃないけど)何度拝見してもインパクト。本展のポストカード売上げナンバー1なんですってね。と言いながら自分も買ってしまった。
バーチャル大仏
さて、展示作品と共にもう一つの見どころが『バーチャル大仏』。約8m四方の大きなスクリーンに、解説のナレーションと共にカメラが大仏さまの周りをゆっくり移動しながら、お顔や手などを至近距離で映し出していく。普段観ることのできない広~い背中もこちらに迫ってくるよう。天井にも天空の星々が散らばる手のこみよう。
ちなみに、大仏様の高さは14.98m、頭部だけでも5.33mあるそうです。そして、こちらに手のひらを向けている右手(中指の長さ1m越え!)は人々の畏れを取り除いて救済することを表現しており、手のひらを上にして置かれた左手は、人々の願いを受け入れていることを表しているとのこと。
本展も残すところ1週間足らず、12月12日(日)までです。
本展の公式サイトはこちら
今年は平城遷都1300年であると同時に、光明皇后が亡くなられて1250年の節目。ここは一つ、パネルの解説などを読みながら、東大寺の歴史もちょっぴりおさらいしたいと思います。
聖武天皇と光明皇后は、1歳になる前に夭折した皇子を弔うために山房を営んだが、それが発展したともいわれる寺を始めいくつか存在した寺を合わせて742年に金光明寺が成立したと考えられる。
藤原広嗣の乱に際して聖武天皇は平城京から逃れ、その後も都を恭仁、難波、紫香楽と移したが、干ばつ、飢饉、大地震など社会不安が深刻になる中、仏教の力によって国を平定しようと考え、天平15年(743年)に大仏建立を発願。
紫香楽宮で着工されたこのプロジェクトは、天平17年(745年)に都が平城京に戻った際に仕切り直され、金光明寺に大仏が造られることに。大仏の鋳造が始まった直後の天平19年(747年)に東大寺の名前が登場する。
何となくアウトラインだけは押さえたところで、そんな東大寺の大仏ゆかりの、大小様々な至宝の数々を拝見することができるのが本展。既に終わってしまったけれど、期間限定で正倉院宝物の展示などもあり(ちなみに私が行ったのは10月末なので、残念ながら見逃しました)、国宝11件、重文18件を含め出展数は総数67点。
では、構成に従って心に残った作品を挙げていきたいと思います:
第1章 東大寺のはじまり―前身寺院と東大寺創建―
『法華堂付近出土三彩軒丸瓦(さんさいのきまるがわら)』 (奈良時代・8世紀)
最初の展示室には、東大寺周辺から出た出土品が並ぶ。「瓦ばっかりねぇ…」という声も聞こえたけれど、なかなかどうして、この丸瓦は中心にお花のような装飾が施され、その周囲にも小さな玉がぐるりと並べられてちょっと和菓子のような可愛らしさ。14個並ぶ『法華堂屋根瓦』(奈良時代・8世紀)にはそれぞれ瓦工の名前のスタンプが押されていたりと、私にはなかなか興味深かった。
また、一角に現在行われている東塔跡の調査活動を紹介するコーナーがあったが、その東塔は高さ100mの七重塔だったとのこと。しかも東大寺はその再建計画を立てているそうだ。このご時世、資金集めも大変でしょうね。。。
第2章 大仏造立
『誕生釈迦仏立像及び灌仏盤』 (奈良時代 8世紀) *国宝
この章の展示室に足を踏み込むと、おや、いつかどこかで体験した空間。赤い柱やスロープの設置など、去年の阿修羅像展にそっくりです。でも今回ここに鎮座するのは、穏やかな表情で片手を高々と挙げたポーズが印象的な高さ47cmの仏様。4月8日に行われる灌仏会(かんぶつえ。釈迦の誕生日を祝う法会)の本尊だそうだ。
右側の画像はチラシの裏で、灌仏盤の中にお立ちになる仏様。左側が仏さまのクローズ・アップ。
灌仏会の時に仏様に甘茶をかけるので、灌仏盤はいわばその受け皿。この灌仏盤の外側には、草花や飛天など流麗な装飾が施されていて、下方から部分的に時間差で当てられる照明のおかげでその装飾を確認することができる。横には液晶画面で説明も行われており、私もそれを観てから再度実物の周りをぐるぐる。
『伎楽面』 (奈良時代 8世紀)
左上から時計回りに『酔胡従』『太孤父』『力士』『師子児』。『師子児は捨目師作。
752年に行われた大仏の開眼供養会にはインドや中国からも来賓があり、大仏殿の外では伎楽(ぎがく)など様々なパフォーマンスが催された。ここに並ぶお面はその伎楽を演じるときに被るもので、ペルシャ人の顔を模ったという『酔胡従』やモヒカンのような『太孤父』など、どれもデフォルメされた表情が迫力満点。結構重さもありそうに見えますが、どうなのでしょう。
『八角燈籠』および『八角燈籠火袋羽目板』 (奈良時代・8世紀) *国宝
大仏殿の前に立つ、高さ約4.6mの燈籠が目の前にドンと現れる。先ほど挙げたチラシ裏面の、灌仏盤の仏様のお隣に写っているのがそれ(冒頭のチラシ表面にもクローズアップ)。寺外で公開するのは初めてとのことだけれど、まずもってよくこんな大きな国宝が東京くんだりまで運び込まれたもの。大仏に燈火をささげるためのものであるこの燈籠は、大仏殿が二度火災に遭っているにも拘らず被災を免れ、創建当時の姿を残しているとのこと。1000年以上もの長きに渡って風雪に耐えながら、ずっと東大寺の歴史を見守ってきたのですね(早く大仏様の元に帰りたいのではないでしょうか?)。
灯籠の各扉に施された、ふわふわと浮遊しながら、柔らかな表情、しなやかな姿態で横笛を吹く菩薩(音声菩薩-おんじょうぼさつ-というらしい)の優美な姿は、まさに天平文化と聞いて想像する優美な世界。
『東大寺金堂鎮壇具』 (奈良時代・8世紀) *国宝
様々な作品が並ぶが、とりわけ『銀製鍍金狩猟文小壺』から離れられず。近くにあった液晶画面のクローズアップ画像を観てはまた実物のケースに戻り、を繰り返した。また、『銀製鍍金蝉形鏁子(宝相華透彫座金付)』という、蝉の形をした鍵にも目が釘付け。これも液晶画面の解説を観て理解することになるが、蝉の目の間の穴に鍵を差し込むと解錠するという仕掛けになっている。この時代の粋な技巧に驚くばかり。その他、水晶などの玉類も美しかった。
第3章 天平の至宝
『不空羂索観音菩薩立像光背』 (奈良時代 8世紀) *国宝
*光背のみ展示
さすがにご本体にはお出で願えなかったが、逆に光背のみをこのように拝見出来る機会もないので貴重。シンメトリックで均整がとれたデザイン、背後の壁に落ちる影も幻想的できれいだった。
第4章 重源と公慶
『重源上人坐像』 (鎌倉時代 13世紀) *国宝
源平の争乱時、1180年に平重衡(しげひら)が放った矢によって焼き尽くされた東大寺の復興に力を尽くしたのが重源(ちょうげん)。各地で勧進を展開しての資金集めのみならず、自ら三度も赴いた中国から大仏様という建築様式を復興建築に取り入れたり、また深いつながりのあった快慶に数々の仏像を作らせたりと、この人の東大寺再建への貢献度は計り知れない。
意志の強さを思わせる固く結んだ口元や、鋭利な知性と冷静さを漂わせる目元。横から観ると、着物の襟の立ち具合とそこから斜めに伸びる首の角度に目を見張ってしまいました。
また、大仏様は1567年にもう一度戦火の被害に遭うが、この時その復興に尽力したのが公慶上人。本展でも、性慶・即念作の『公慶上人坐像』(1706年)重文が並んでいる。
『五劫思唯阿弥陀如来坐像』 (鎌倉時代 12~13世紀) *重文
今年の夏、三井記念美術館で開催された「奈良の古寺と仏像」展で同名の仏様を拝見しているので(ただしこちらは手を合掌している)、免疫ができていたが、それでもやはりこのアフロヘアーは(厳密にはアフロじゃないけど)何度拝見してもインパクト。本展のポストカード売上げナンバー1なんですってね。と言いながら自分も買ってしまった。
バーチャル大仏
さて、展示作品と共にもう一つの見どころが『バーチャル大仏』。約8m四方の大きなスクリーンに、解説のナレーションと共にカメラが大仏さまの周りをゆっくり移動しながら、お顔や手などを至近距離で映し出していく。普段観ることのできない広~い背中もこちらに迫ってくるよう。天井にも天空の星々が散らばる手のこみよう。
ちなみに、大仏様の高さは14.98m、頭部だけでも5.33mあるそうです。そして、こちらに手のひらを向けている右手(中指の長さ1m越え!)は人々の畏れを取り除いて救済することを表現しており、手のひらを上にして置かれた左手は、人々の願いを受け入れていることを表しているとのこと。
本展も残すところ1週間足らず、12月12日(日)までです。