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アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

平城遷都1300年記念 奈良の古寺と仏像 會津八一のうたにのせて

2010-08-28 | アート鑑賞
三井記念館美術館 2010年7月7日(水)-9月20日(月・祝)



2010年は平城遷都1300年の節目に当たるということで、ここ東京でもそれに関連して本展が開催。チラシから概要を抜粋すると、「奈良の古寺20寺院に伝わる飛鳥時代から室町時代の仏像46点、仏教工芸品19点(うち国宝3点、重要文化財45点)が一堂に展示される仏教美術の大展覧会」だそうです。

展覧会名にある會津八一(1881-1956)は、私も不勉強で今回初めて知ったのだが、解説によると、明治時代の廃仏毀釈の嵐の中、荒廃の危機にさらされた奈良の古寺や仏像の価値を見出し、再評価した人であるらしい。元々英文学を修めたが、のちに奈良美術に魅せられ、以降その魅力を歌人、書家、美術史家としての活動を通じ、世に伝播し続けた。

ちなみにこの展覧会は、新潟、東京、奈良と3ヶ所で開催される巡回展。場所ごとに内容も工夫され、もう終わってしまったが、會津八一の故郷である新潟では彼にちなんだ出展品がとても充実していた模様。

仏像と仏教工芸品に重きが置かれたという東京展の構成は、以下の通り:

展示室1 金銅仏
展示室2 金銅仏
展示室3 會津八一関係資料
展示室4 奈良の古寺と仏像Ⅰ(東大寺・西大寺・唐招提寺・薬師寺)
展示室5 仏教工芸品
展示室6 會津八一関係資料
展示室7 奈良の古寺と仏像Ⅱ(長谷寺・室生寺・當麻寺・橘寺・法隆寺・大安寺・秋篠寺・元興寺)

20の寺院も記しておきます:

秋篠寺・岡寺・元興寺・興福寺・西大寺・正暦寺・新薬師寺・大安寺・當麻寺・當麻寺奥院・橘寺・唐招提寺・東大寺・能満院・長谷寺・般若寺・法隆寺・法起寺・室生寺・薬師寺

では、個人的に印象に残った展示品を挙げていきます:

展示室1 金銅仏

#102 『菩薩半跏像(伝如意輪観音)』 奈良時代後期・8世紀 (岡寺) 重要文化財



まずは飛鳥から奈良時代にかけて作られた金銅仏たちが出迎えてくれる。金銅仏とは、銅で鋳造した上に金鍍金(めっき)を施した仏像。どの仏様も1000年以上の時を経てほとんど表面の鍍金は剥がれ、深く沈んだ鈍い光沢を放っている。この像に限ったことではないが、ここに並ぶ小さな仏様たちの顔の表情、手や指の動き、衣の襞や紐の結び目などのディテールに、観れば観るほど吸い込まれていく。

右にやや首を傾げたこの像は、同じ時代に作られたほぼ同じ大きさの東大寺『菩薩半跏像(伝如意輪観音)』(奈良時代後期・8世紀)と仲良く並んでいたが、猫背の東大寺の仏様と比べてこちらは背筋がまっすぐ伸び、姿勢が正しい。

#10 『押出阿弥陀三尊及び僧形像』 奈良時代前期・7世紀 (法隆寺) 重要文化財



「鋳出した浮彫状の原形に、薄い銅板を当てて図様を打ち出す」技法を押出(おしだし)というそうだ。細かい文様もきれいに打ち出されており、像とは異なる柔らかい仏教美術の世界に心が休まる。このような押出像は全部で4点ほど展示されているが、この作品では中央に阿弥陀様、両脇に菩薩様、その間に僧が二人合掌している。

展示室4 奈良の古寺と仏像Ⅰ(東大寺・西大寺・唐招提寺・薬師寺)

#36 『四天王立像(持国天)』 鎌倉時代・弘安3~4年(1280~1281) (東大寺) 重要文化財



四天王像が四体全て揃って展示されているうちの、これは持国天。各像とも寄木造りで、広目天のみ桜の木、他はヒノキだそうだ。友人も本展でこの像が一番良かったと言っていたが、私も一目惚れ。何てかっこいいのでしょう。右足に重心を置き、クロスした両腕の袖が宙にはためき、内なる力をため込んでいるような表情。刀を振りかざすポーズより迫力があるのでは?

#41 『五劫思惟(ごごうしゆい)阿弥陀如来坐像』 鎌倉時代・13世紀 (東大寺) 重要文化財



正直、ビックリした。チラシの裏に掲載されていた写真でうすうすこの仏像が気にはなっていたのだが、実際対面したら想像以上に大きくて(高さ106cm)、その存在感に息を呑んだ。なぜそんな頭に?と思うのは私だけではないと思うので、解説を引用すると、阿弥陀仏の前身である法蔵菩薩が、五劫(一説に21億6000万年)の長い間修業をしているうちに、こんなに髪が伸びてしまった、という表現らしい。しかもヒノキの一材から丸彫りの一木造りというのも驚きです。

余談ながら、この秋東博で開催される「東大寺大仏」展(10月8日(金)~)にも、これととてもよく似た像が出展されるようです。

#63 『如来形立像』 平安時代・9世紀 (唐招提寺) 重要文化財



この像は、ギリシャやローマの遺跡から出土する頭部と手足を欠いた彫像“トルソー”になぞらえ、「唐招提寺のトルソー」と呼ばれるそうだ。木彫ながら確かにトルソーだが、頭部や手足がないだけでなく(頭部なしでも高さが154cmある)、厚い胸板(横から見るとかなり張り出している)、足の長いプロポーション、身体に張りついた衣の流れるような襞など、ヘレニズム彫刻を思い浮かべずにはいられない。とても美しいです。

展示室5 仏教工芸品

#11 『金堂天蓋天人』 及び『金堂天蓋鳳凰』 奈良時代前期・7世紀 (法隆寺) 重要文化財

 

法隆寺金堂の内陣の、ご本尊の上の天蓋を飾る飛天2軀と鳳凰。そばで鑑賞しても美しいこの作品が、頭上の天蓋の装飾に使われているのか、とちょっと気になって、思わず法隆寺のサイトをのぞいてみた。画像はなかったけれど、「天井には、天人と鳳凰が飛び交う西域色豊かな天蓋が吊され」とあり、その様子をどうにも見たくなった。

国宝である西大寺『金剛宝塔』(鎌倉時代)もこの章に展示。

展示室7 奈良の古寺と仏像Ⅱ(長谷寺・室生寺・當麻寺・橘寺・法隆寺・大安寺・秋篠寺・元興寺)

#103 『伝日羅立像』 平安時代・9世紀 (橘寺) 重要文化財



日羅(にちら)は、聖徳太子信仰に支えられた橘寺において、太子の仏法上の師となった百済僧とされた人だそうだが、本像は日羅像として作られたとは考えられないとのこと。プロポーションや衣襞の表現などは、同時代に作られた前出の#63『如来形立像』に酷似しているが、この像では手足の爪や手相に至るまでくっきりした彫りが印象に残る。切れ長の目、弓なりの眉の根元が寄った先にすっと続く小さな鼻と口は顔の中央にまとまり、整ったお顔立ち。

#8 『観音菩薩立像(夢違観音)』 奈良時代前期・7世紀 (法隆寺) 国宝



悪夢を見たら、この夢違観音(ゆめちがいかんのん)様にお祈りすると善夢に変えてくれるという伝承が江戸時代前期に成立したとのこと。確かにそのたおやかな立姿に穏やかなお顔立ちは、そんな信仰をも生むかもしれない。でも、東京の美術館の展示ケースの前でお祈りしたら逆に罰が当たるのでは、なんて思ってしまった。やはり仏様がいらっしゃるお寺まで詣でないとご利益がなさそうな気がしますが、はて。細部を見ると、手と足の指の先がずいぶん上にしなっていますね。

本展は9月20日(月・祝)まで。東京の後は奈良に巡回します。

奈良県立美術館
2010年11月20日(土)-12月19日(日)

江戸絵画への視線

2010-08-26 | アート鑑賞
山種美術館 2010年7月17日(土)-9月5日(日)



山種美術館の開館記念特別展Ⅵとして企画された展覧会。このシリーズは私にとってはⅣの「奥村土牛」展に続く2回目の訪問となる。所要を済ませた後の、猛暑の日の午後2時という非常に辛い時間帯に日傘を握りしめながら、あの目の回る螺旋階段を上り下りする歩道橋を渡り、長い上り坂をゆっくりと美術館へ向かった。前回は雨だったし、恵比寿駅から徒歩10分となっているとはいえ、天候によってはアクセスはあまりヴィジター・フレンドリーと言えないかもしれない。

それはさておき、今回は“岩佐又兵衛≪官女観菊図≫重要文化財指定記念”という副題がつく。2008年3月に美術館所蔵のこの作品が重要文化財に指定されたことを記念し、これまでほとんど公開されることのなかったこの美術館が所蔵する江戸絵画作品を紹介する運びとなったそうだ。そもそも設立者の山崎種二氏は、米問屋の小僧時代に観た酒井抱一作の赤く熟した柿の実の美しさが心に残り、それがのちのコレクション蒐集のきっかけとなったとのこと。

しかも解説によると、一本立ちしてやっと手に入れた抱一作品は贋作であることがわかり、一旦は古画を諦めて真贋問題のない現代作家の作品収集に転向するも、やはり抱一への想い断ちがたく(?)、山崎氏はのちに江戸絵画の蒐集に再挑戦。

本展では、そんなコレクションを【琳派】【やまと絵】【狩野派】【文人画】【諸派】という五つのジャンルに分けて展示し、最後の展示室を明治以降の近代絵画で締める構成。全体で重要文化財が3点、重要美術品が3点含まれる。

では、順を追って印象に残った作品を挙げていきます:

【琳派】

㊧『秋草鶉図』 19世紀前半(江戸時代後期) ㊨『月梅図』 19世紀(江戸後期)

 

2点とも酒井抱一の作品で、『秋草鶉図』はそよそよと薄を揺らす秋の涼しい微風が漂ってくるような美しい作品。鶉の写実的な描き方も素晴らしい。左端2羽のポーズはちょっと変わっているように見えるけど、鶉ってこんな動きをするのでしょうか?月が黒く変色する前の、銀に輝いていたオリジナルの色彩感覚を、CG画像でもいいから観てみたいなぁ。。。。(重要美術品)

続いて『月梅図』は、緩急の効いた筆遣いが見事だなぁ、と見入ってしまった。かすれ具合も決まった太い枝の一気描き、瑞々しい薄緑が表面に浮かぶしなやかな若い枝、柔らかい紅白の梅の花びら。おしべも繊細に表現されている。

『伊勢物語図(高安の女』 鈴木其一 19世紀(江戸後期)



本作は伊勢物語からの主題。幼馴染と結婚した男がのちに高安の里の女と浮気し、その浮気相手の元へ久しぶりに訪ねていったところ、女が自分でご飯を盛っているのが見えた。宮廷育ちの男にはその姿が野卑に見え、それ以来関係が終わった、という話らしい。この作品は、ちょうど女がご飯を盛っているシーンに遭遇して男が幻滅している様子。単純なエピソードだけれど、女の茶碗のご飯てんこ盛りには私もビックリ。無表情な顔は色気もないし、座り方も男性っぽいし、これじゃ100年の恋も冷めましょうか?

『白藤・紅白蓮・夕もみぢ図(3幅対)』 酒井鴬浦 19世紀(江戸後期)



鴬浦(おうほ)は酒井抱一の養子だそうだが、初めて知る名。34歳で早世したため、作品数は少ないらしい。これは本阿弥光甫の作品を忠実に模写したものだそうで、画像は3幅対のうち右端の白藤。枝垂れる小さい可憐な花びらが水の流れのように涼やかにしてくれる。

3幅とも、余白ではなく花や葉の上に署名がしてあり、なんでだろうと思っていたら、後でこれを「隠し落款」と呼ぶことを知った。

【やまと絵】

『源平合戦図』 作者不詳 17世紀(江戸前期)

6曲1双の屏風絵。夥しい数の鎧姿の武士たちは、集団で押し寄せ、馬で猛々しく駆け回り、船の上で弓を引き、と画面全体で戦いを交えている。描き込みが素晴らしいが、私はとりわけ群青に金色の荒々しい波を立てる川の描き方に魅了された。

『竹垣紅白梅椿図』 作者不詳 17世紀(江戸前期)

6曲一双の屏風絵。金地に紅白の花が散る作品だが、右隻では竹垣(逆U字型に曲げられた竹で作られている珍しい竹垣。関西地方でよく見られたとのこと)が水平に画面を横切り、それに絡みつくように白梅と赤椿の花。左隻では、竹垣が左上から右下に斜めに降りてきて、白椿に紅梅。その構図のバランスが絶妙で、金、赤、白、緑の4色のみの洗練された装飾空間にうっとり。(重要美術品)

『官女観菊図』 岩佐又兵衛 17世紀前半(江戸前期)

実は今まで岩佐又兵衛のことをよく知らずに、その作品を「上手いなぁ」と呑気に眺めていたのだが、少し前に辻惟男氏の又兵衛に関するテキストを読んで、その数奇な生いたちに驚いたところ。よって今回は(混み合っていないこともあって)今まで以上にじっくり見入ることとなった。

チラシおよび副題にある本作は、官女が牛車の上から菊の花を眺めるという平和な情景を描いたものだが、目を引くのは彼女らの髪の毛の細やかな表現。顔の横に落ちる部分は、それこそ1本1本が絡み合うように丁寧に描かれている。格子模様が施された牛車入り口の縁の部分は妙な感じがしないでもないけれど、着物の紋様や菊など細部の表現はやはり繊細で素晴らしかった。(重要文化財)

【狩野派】

『七福神図』 狩野常信 17-18世紀(江戸前期)

 部分

全長約6mの絵巻。大きく口を開けて笑う布袋、大黒点、福禄寿、恵比寿、上品な笑みを浮かべる弁財天。そしてそれぞれの神の周りに戯れる楽しげな唐子たち。目で追っていくうちにこちらも笑みがこぼれるような楽しい光景が展開していく。最後に登場する毘沙門天と福禄寿だけは笑っておらず、何やら二人で談義中。真剣な面持ちで語りかけている毘沙門天の話を、ちょっと冴えない思惑顔で寿老人が聞き入っている。この二人は楽しそうな他の神々をよそに何を語り合っているのだろう?

『明皇花陣図(めいこうかじんず)』 狩野常信 17-18世紀(江戸前期)

 部分

こちらも常信の約5mの絵巻。唐の玄宗(げんそう)皇帝と楊貴妃が、後宮で女官たちに花を持たせて競わせたという故事を描いたものだそうだ。桜や牡丹の花が先に付いた長い枝を槍に見立て、官女たちが互いを追いやる様子はふわふわと華やかでまことに雅。花で飾られた白い鹿もとても可愛い。

【文人画】

『久能山真景図』 椿椿山 (1837年)



真景図とは、「特定の場所の写生に基づいた図に対して江戸時代の文人画家が用いた呼称」だそうだ。ここに描かれる久能山は、静岡県の南東にあるとのこと。松の枝葉を一枝ごとに淡い色で囲んで色をつける描き方が面白い。真ん中の白い部分が上下を分断しているように見えなくもないが、これは霞の表現だろうか?(重要文化財)

【諸派】

『唐子遊び図』 伝 長沢芦雪 18世紀(江戸後期) 



中国で唐の時代から風雅の嗜みとされた琴・棋(碁)・書・画の四芸を盛りこんだ作品。とはいえ、画中では大人しくそれらの芸に勤しむお利口さんたちと、練習はそっちのけで大暴れの唐子たちが半々。碁石は飛び散り、取っ組み合いのけんかをしている子、他の子が書いた書の作品を頭上で引きちぎるいたずらっ子など、とてもやかましい感じ。自分の5歳の姪っ子と2歳の甥っ子の姿も思い出し、思わず笑ってしまった。(重要美術品)

【江戸絵画への視線(近代絵画)】

『名樹散椿』 速水御舟 (1929年)



初めて実作品と対面。想像以上に色彩が立体的で濃い、というのが第一印象。葉と花のシャープな描き方に対し、幹と枝は何というか西洋の絵本に出てくる木のような、平面的な色の塗られ方がされているように見え、ちょっと不思議な画面だった。(重要文化財)

本展は9月5日(日)までですので、ご興味のある方はお急ぎ下さい。

ついでにお勧めは、恵比寿三越で9月30日まで期間限定販売の“日光天然水のかき氷”。私は黒蜜で頂きましたが、イチゴや抹茶など色々な味が楽しめます。口の中に入った瞬間、綿菓子のようにフワリと溶ける食感はまさに絶品。B2です。

ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新

2010-08-17 | アート鑑賞
パナソニック電工 汐留ミュージアム 2010年6月26日(土)-9月5日(日)



まだ記憶に新しいルーシー・リー展でその名を知った陶芸家、ハンス・コパー(1920-1981)。今度は彼が主役の展覧会が開催中です。

まずはコパーについてちょっぴりおさらい。ドイツのザクセン州に生まれたコパーは、ユダヤ人であったためにナチスの迫害を逃れロンドンに亡命。そこで、同じくウィーンからロンドンに亡命して陶芸の工房を開いていたルーシー・リーのボタン製造の助手となり、やがてはリーの元で手ほどきをうけながら、自身も陶芸家の道を志すようになる。

本展では、そんなコパーの陶芸家としての創作活動の全容を紹介。結局彼は終生イギリスで活動を続けるのだが、創作拠点を4回移しており、大まかに作品の変遷と一致しているとのことで、四つの時代区分に括った構成となっていた。

では、少し作品を挙げながら、順に追っていきたいと思います:

1. 1946-1958 アルビオン・ミューズ

ルーシー・リー展の時も魅了された、オートクチュール用の美しいボタンの並ぶケースで幕開け。このボタン制作の助手を足掛かりに、コパーはリーの工房「アルビオン・ミューズ」で、本格的な陶芸の道へ進み始める。彼が轆轤で成形し、リーが釉薬を施して装飾するなどの作業も行われた。『頭部』(1953年頃)と題された女性の頭部のブロンズ像があったが、これは紛れもなく師匠ですよね?

『ポット』 (1954)



色彩豊かな釉薬が施されたリーの作品とは対照的に、コパーの作品は陶土の風情が活かされている。そしてその形状が独創的。土を思わせつつ土臭くないのは、その軽やかで洗練されたフォルムのためなのでしょうね。この作品も、ちょっとソラマメのようなふっくら感を持ちつつ、絶妙に柔らかい窪みが作られ、ほんのりとした陰影が素敵。

『ポット』 (1950年代前半)



轆轤でひいた4つの部分から成る作品。轆轤で成形した部分同士をつなぎ合わせる「合接」という手法が取られているそうだ。ボディの丸味のある部分(球体ではない)は、二つの鉢を口縁で合わせている。この作品のみならず、コパー作品の表面の質感は、何度もスリップ(泥しょう)をかけて乾かし、研磨し、掻き取るという工程を繰り返して出来たもの。

右側の小さな黒いポットは、1973年頃の作品。

2. 1959-1963 ディグズウェル

リーの元を離れたコパーは、ロンドンから北に約30kmのハートフォードシャーにあるディグズウェル・ハウスに活動の場を移す。ディグウェル・ハウスとは、「芸術家を建築家や企業に引き合わせることで社会参画させ、若い作家を支持すること」を目的に、ディグズウェル・アーツ・トラストによって設立された、芸術家たちの住居と制作の場を提供する施設。コパーはここで他ジャンルの芸術家と交流し、工業デザインや公共建造物の壁面装飾の仕事も行った(ヒースロー空港の外壁も手掛けた、と聞くとちょっと身近に感じる)。建築空間へのアプローチを示す「建築時代」といわれるのがこの時代。

ここでは何とスィントン・コミュニティー・スクールというイギリスのヨークシャーにある学校に設えられた、壁の装飾作品『ウォール・ディスク』(1962)が展示されている。初めての試みとのことだが、300x400cmの白壁に、コパーのオリジナルの装飾を再現した形で展示。ランダムに大小の穴が開けられ、それぞれの口縁に様々な形状の陶製の装飾がされている。丸穴から覗ける壁向こうの展示作品も一興。

3. 1963-1967 ロンドン

再びロンドンに戻り、ウェスト・ケンジントンやハマースミスで旺盛な制作活動。あざみ型の「ティッスル・フォーム」やシャベル型の「スペード・フォーム」をシリーズ化するなど多作の時期。ロッテルダムのボイスマン美術館でのリーとの共同展などを通じ、ヨーロッパでもコパーの評価が広まる。

『スペード・フォーム』 (1978)



制作年代はもっと後だけど、これがスペード・フォームの作例。確かにシャベルのような輪郭だが、丸みのある表面を持った独特のフォルム。

4. 1967-1981 フルーム

田舎暮らしへの憧れから、今度はロンドンから西に150kmほどのサマーセット州のフルームに移住。ここが終の棲家となる。

『キクラデス・フォーム』 (1975)



順調に作品を作り続けてきたコパーに最大の不幸が襲う。1975年頃から筋肉が委縮して機能しなくなる病を発症。それでも病と闘いながら、古代のキクラデス彫刻に刺激を受けた「キクラデス」シリーズの作品を作り続ける。

キクラデス彫刻というものを知らないので、お手軽にWikiでちょこっと調べてみた。それによると、キクラデス文明とは新石器時代から青銅器時代初期(紀元前3000年頃から2000年)にエーゲ海のキクラデス諸島に栄えた文明で、最も有名なのは極度に様式化された大理石製の女性像、とのことで画像も載っている。その洗練された形にビックリ、まるで現代彫刻。

コパーの作品に話を戻すが、展示ケースに並ぶキクラデス・シリーズの作品群は、小ぶりながら細身のシルエットで、シャープな感じ。一見シンプルに見えるが、よく見ると凝った形をしていて、考え抜かれたデザイン・バランスを感じる。

以上、ざっとコパー作品を見渡してきたけれど、どんな形にせよ深淵な存在感を静かに放っているような感覚が印象的だった。「どうやって、の前になぜ」という彼の残した言葉も深い。

最後はルーシー・リーの作品約20点も観ることができます。

本展は9月5日(日)まで。残暑厳しき折(それにしても今年は暑いですねー)、コパーの静謐な世界に涼を取るのもお勧めです。入館料は500円、しかも館内にあるカフェでソフトドリンクが半額になるチケットまで頂けます。

有元利夫展 天空の音楽

2010-08-10 | アート鑑賞
東京都庭園美術館 2010年7月3日(土)-9月5日(日)



展覧会情報はこちら

有元利夫(1946-1985)の個展は4年前に一度だけ、小川美術館で観ている。まだ画家のことをよく知らず、それが彼の命日に合わせて毎年そこで催されている展覧会であることも知らず、2月末の寒風に吹かれながら、市ヶ谷の駅から身を縮めて美術館までてくてくと歩いて行った。

あれ以来この美術館には足を運んでおらず、記憶もやや覚束ないけれど、一歩中に入った時のひっそりとした「石」のイメージと、時が沈殿しているような静寂感、そして最初に目に入った有元作品の前で、「ああ、この人は本当にフレスコ画が好きだったのだ」と思ったことはよく覚えている。私の大好きなイタリアの、ルネッサンス期のフレスコ画。展示室ではバロック音楽も流れていた。

この夏、今度は身体にまとわりつくような湿気の中、蝉の声が降りしきる東京都庭園美術館に有元の個展を観に行った。瀟洒なアール・デコの館で観る有元作品はまた素敵に違いない、とすでに心は躍っていた。

今回の個展は、展覧会名が語るように、有元が愛したバロック音楽が一つのアクセントになっている。実際のところ作品名にもオラトリオ、フーガ、ソナタなど音楽用語を用いたものが多いし(彼自身もリコーダーを吹いた)、今回はヴィヴァルディの「四季」など、彼の好きな楽曲から着想された版画作品を集めた展示室などもある。

本展の鑑賞でとても良かったのは、創作に関する彼の言葉が引用され、適度な間隔で作品の横に置かれていたこと。例えば、展示の最初の方には「素晴らしい音楽を画面いっぱいに鳴り響かせる―、いつかそんな作品を作ってみたい」という言葉があった。

『花降る日』 (1977)



先端がほんのりと赤く色づく可憐な白い花びらが、画面全体に舞う。上記の有元の言葉を思い浮かべてじっと観ていると、花びらが音符にも見えてくる。

美大の授業内容は存じないが、有元は東京芸大のデザイン科出身。明瞭で安定感のある事物の表現は、そのせいもあるのだろうか?それはともかくも、ほとんどの作品において描かれている登場人物は一人だけで、身体の線もわからないゆったりしたドレスを着ている。それらの点については、「なぜひとりなのか。簡単に言えば関係が出てくるからです」、「足を描くと、何をしているかがはっきりわかってしまう」という画家の言葉が聞かれる。普遍性を突き詰めた表現、という風に私には感じられる。

『ロンド』 (1982)



他の場所で紹介されていた言葉だが、バロック音楽について有元は「なるべく自然に、リズムにしても心臓の鼓動に合わせ、人間にとって何が心地よいかというところにすっと入ってきて、僕らを浮き上がらせてくれる」と語っている。この作品は、まさに彼のそんな言葉を思い出させるよう。下の4人の女性は輪を作り、一定のテンポでロンドを舞い続ける。宙に浮くような、心地よい繰り返し。

『花吹』 (1979)



学生時代に初めて訪れたイタリアで、ルネッサンス期のフレスコ画に強い感銘を受けた有元は、日本の仏画との共通点をも見出し、岩絵の具を使った独自の画風を確立する。この作品では、女性の頭上に輝く光輪、上部のアーチ型の壁、山河の情景など、割とストレートにルネッサンス期の教会のフレスコ画を思わせる。

ちなみに彼の大学の卒業制作は『わたしにとってのピエロ・デラ・フランチェスカ』(1973)と題された10点連作の作品。今回もそのうちの5点が展示されていて、有元の創作の原点を見るようでとても興味深い。本作は高く評価され、東京芸大のお買い上げとなったそうだ。

何となく気になって、アレッツォのサン・フランチェスコ教会にあるピエロの『聖十字架伝説』をちょこっと見てみたら、なるほど色遣いや雲の描き方など、有元がピエロからただならぬ影響を受けているような印象を受けた。

『光る箱』 (1982)



櫛のように緻密に走る金色の光の筋は、フラ・アンジェリコを始めルネッサンス期の宗教画を想起させるが、金粉はとても和的。そういえば、私は岩絵の具のことはわからないけれど、確かにフレスコ画を思わせるマチエールを持った日本画家の作品をいくつも観たことがある。

『星の運行』(1974)㊧と、『花火』(1979)㊨

   

「音楽を聴いても、その陶酔感は僕の中で浮遊に結びつく。だからそれを絵としても表現したい時、それこそまさに通俗に徹し、臆面もなく文字通り人間や花を点に昇らせてしまうわけです」との言葉通り、ここに挙げた作品では二人とも身体が宙に浮いている。『星の運行』の方では花も舞い、「花はめでたい時、歓喜の時に降ってくる」との言葉を思い浮かべれば、これはとてもハッピーな高揚感を表わした作品かもしれない。『花火』は、それこそ女性が花火と一緒に空へ打ち上がってきそうな勢い。まさに天にも昇る気持ち、ということだろうか?

ところで、私は以前誰かに「なぜフレスコ画が好きなのか」と聞かれ、風合い、とだけ答えたことを思い出した。有元はフレスコ画について「風化というのはとりもなおさずものが時間に覆われることだと思う。いかにも時間そのものが喰い込んでいる感じがして気持ちが安らぐ」と言っている。

まさにそういうことなのかもしれない。クリスチャンでもない私が、イタリアで飽くこともなくフレスコ画で有名な教会を巡り、宗教画の大画面に囲まれて得た心の安寧は、時の堆積に包み込まれる安堵感のようなものだったのだろう。

『出現』 (1984)



有元利夫は38歳の若さで世を去ってしまった。でも彼自身の様式で創り出した「風化した画面」は、これからもずっとそこにあり続け、俗世で右往左往している私のような人間に、「人生なんてあっという間。落ち着いていきなさい」と語りかけてくれることだろう。

本展は9月5日(日)まで開催です(第2・4水曜日がお休みなので、8月11日、25日は閉館)。尚、8月14日(土)から8月20日(金)までは夜8時まで開館するそうです。きっと夜も素晴らしい空間が出現することでしょう。

オルセー美術館展2010 「ポスト印象派」

2010-08-05 | アート鑑賞
国立新美術館 2010年5月26日(水)-8月16日(月)



展覧会の公式サイトはこちら

パリにあるオルセー美術館の、印象派及びポスト印象派の展示室の改装に伴って実現した、世界を巡回する「ベスト・オブ・オルセー」展。「モネ5点、セザンヌ8点、ゴッホ7点、ゴーギャン9点、ルソー2点をはじめとする絵画115点が、オルセー美術館からごっそり来日(うち初来日の作品は約60点)」とある。因みに日本の前にはオーストラリアのキャンベルで開催、日本では東京のみの開催で、このあとサンフランシスコのデ・ヤング美術館に巡回するらしい(2010年9月25日-2011年1月18日)。

ついでに言えば、このデ・ヤング美術館は現在、やはりオルセー美術館からの貸し出しで”Birth of Impressionism”という展覧会を開催中(9月6日まで)。こちらにはエドゥアール・マネの『笛を吹く少年』なども巡業に出されている模様。オルセー美術館、凄いですね。

話を東京に戻し、恐らくもう二度と見ることのできない空前絶後の展覧会という言葉に背中を押され、私も夏バテ気味の身体に鞭打って行って参りました。実際のところアンリ・ルソー『蛇使いの女』と、ギュスターブ・モロー『オルフェウス』だけはどうしても観たかったので。

ということで、さっさと本題に入ります。

印象派以降、絵画作品は大きな様式というもので括れなくなり、「個」の時代に入って行く、というようなことが美術書の類に書いてあるが、それを裏付けるかのように本展では以下の通り10もの章に分けられていた:

第1章 1886年―最後の印象派
第2章 スーラと新印象主義
第3章 セザンヌとセザンヌ主義
第4章 トゥールーズ=ロートレック
第5章 ゴッホとゴーギャン
第6章 ポン=タヴェン派
第7章 ナビ派
第8章 内面への眼差し
第9章 アンリ・ルソー
第10章 装飾の勝利


では、個人的に惹かれた作品を挙げていきます:

『ロンドン国会議事堂、霧の中に差す陽光』  クロード・モネ (1904) *1章



ビッグ・ベンの愛称で親しまれる時計台で有名なロンドンの国会議事堂。建物としてはウェストミンスター宮殿と言うべきなのかもしれないが、いずれにせよこの作品では、その建物のヴィクトリア・タワーと呼ばれる部分とその周辺のあたりが描かれている。

否、主役は霧の中に差し込む陽光と、テムズ河の川面に映るその反射光。

フランスのセーヌ河は女性的、イングランドのテムズ河は男性的、とよく言われる。周りの建物の雰囲気が多分に影響していて、このチャールズ・バリー設計によるロンドンの国会議事堂の、垂直が強調されたゴシック風建築にも確かにあまり色気は感じられない。そんな場所をも、モネはこんな風に美しい色彩で、叙情的に描き上げてしまう。ロンドンの霧は私も住んでいた頃に体験したけれど、こんな風に陽光が射すのなどついぞ見たことがなかった。単にロンドンの大気の状態がモネが滞在していた頃と異なるのか(昔は工場からの煙が凄かったとは聞くけど)、自分のイマジネーションが欠落していたのか?

1章では、この他アルベール・ベナール『ロジェ・ジュルダン夫人』(1886)が良かった。夕闇に浮かぶ顔に控え目に入れられた陰影も自然で、一歩踏み出したような夫人の動きもワルツを踊っているように優雅。この作品と対をなすように隣に並んでいたアンリ・ジェルヴェクス『ヴァルテス・ド・ラ・ビーニュ夫人』(1889)は、ポーズ、衣裳とも暑苦しい印象だったので、余計前者が軽やかに観えたのかもしれない。

『ポーズする女、後ろ向き』と『ポーズする女、横向き』  ジョルジュ・スーラ (1887) *2章



スーラに関しては完成された緻密な点描技法の作品しか観たことがないので、この章の冒頭にある、少年の口の痕跡がわからないほど粗めのブラッシュ・ワークで描かれた『青い服の少年農夫(競馬騎手)』(1882年頃)が目に入るや、おおっ!となった。そして点描作品の代表作『アニエールの水浴』や『グランド・ジャト島の日曜日の午後』の習作なども並び、彼の構築した「網膜上での混色」技法に至るまでの変容を垣間見ることのできる、大変興味深い一角となっていた。しかしながら分厚い人壁に負け、じっくり作品をそばで見られなかったのは至極残念。

『水浴の男たち』  ポール・セザンヌ (1890年頃) *3章



私は単純に、セザンヌの斜めに走る筆触と色遣いが好き。「堅牢な画面」と言われる通り、確かに見事な三角形の構図だなぁ、と思いつつ、右側の雲に原色に近い赤や黄色がちゃちゃっと入っている辺りにも目がいく。

『自画像』  フィンセント・ファン・ゴッホ (1887) *5章



いろいろな色をすくっては、マッチ棒のような短い線をキャンバスに引きながら構築していった自分の顔。目の周りの青はとても大胆。顔や頭髪が、まるでハリネズミの身体を覆う針のごとし。

『星降る夜』  フィンセント・ファン・ゴッホ (1888) *5章



群青の夜空に瞬く北斗七星の放つ光は闇ににじむ。南仏の眩しい陽光に憧れ、その中に照らし出される明るい風景を描き出そうと一心不乱に絵筆を動かしたゴッホも、夜になるとそのほとぼりが冷める一瞬があったかもしれない。孤独感に襲われ、彼の目に涙がにじんでいたりしたのだろうか、などとつい感傷的にもなる作品。

『紫の波』  ジョルジュ・ラコンブ (1895-96) *6章

海に面してハート形のような口を開いた暗い洞窟の内部から、こちらに向かってなだれ込む波を捉えた変わった情景。波頭を立てるその薄紫色の波は雲のようでもあり、日本の江戸絵画のようでもあり。

『護符(タリスマン)、愛の森を流れるアヴェン川』 ポール・セリュジェ (1888) *7章

小品だが、景色の中にある事物を色の塊に捉えて描かれている抽象画のような作品。画面上の、色の調和がとても美しい。解説によると、画家がアヴェン川のほとりで描いているときにゴーギャンがやってきて助言したそうだ。“黄色に見える木には黄色を、青く見える影にはウルトラマリンを、赤い葉にはヴァーミリオンを”。絵心とはそういうものなのでしょうね。

『ボール(ボールで遊ぶ子供のいる公園』 フェリックス・ヴァロットン (1899) *7章

2007年のオルセー展で初めて観た時もインパクトのあったこの作品に再会できて嬉しい。現実感と白昼夢を見ているような感覚が同時に襲ってくる不思議な作品。

『オルフェウス』  ギュスターヴ・モロー (1865) *8章



想像通り美しい作品。しかしながらここに至る間にすっかり目がポスト印象派の作品群に慣れてしまったようで、この作品の前に立ったら妙に「古い絵」に感じたのには自分でも驚いた。今回出展された115点の中で制作年が最も古い作品でもあり、ある意味浮いてしまうのは仕方ないのかもしれないが。

『目を閉じて』 オルディ・ルドン (1890) *8章

逆にこの絵はすーっと心に入ってきた。海を思わせる水平線の上に唐突に現れる、肩から上の女性の顔。右肩を前に差し出し、やや右に首を傾け、顔と首の左側に淡い光が当たる。両目と口元は固く閉ざされ、深淵なる面持ち。青味がかったグレー・トーンの背景も素敵な色で、それまで人波をかき分け、つま先立ちで絵を観てきた疲れを癒してくれるような作品だった。

『蛇使いの女』  アンリ・ルソー (1907) *9章



『戦争』(1894年頃)と共にルソーの2作品のみで構成された9章の部屋。2作品のみと言っても、そのどちらも物凄い求心力を放つ。ルソーは独学で絵を修めた素朴派の画家と紹介されるが、自分も素人のせいか、この『蛇使いの女』の画面構成などお見事!と言いたくなる。鬱蒼としたジャングルを右4分の3に収め、空いた左側に月とピンクのフラミンゴ。折り重なる様々な葉の色調も驚くほど丁寧に描き分けられていて、その部分をじっと観ているだけでも楽しい。

ということで、この展覧会も残すところあと10日余り。もしこれから観に行かれるのであれば、夜8時まで開いている土日の5時以降が比較的混雑が少なくなっているとのことです(サイトからの情報)。

誕生!中国文明

2010-08-03 | アート鑑賞
東京国立博物館 平成館 2010年7月6日(火)-9月5日(日)

本展の公式サイトはこちら



「中国文明」と言われると、“数千年の歴史”という言葉がのしかかり、不勉強な私など身構えてしまうのだが、今回はあっけらかんとした展覧会名と、チラシの可愛いヒヨコちゃんに誘われるまま、とりあえず会場に行ってみた。

展示室では、恐らく何度も中国に行かれたことがありそうな年配のご婦人方が、解説パネルを見上げながら「殷と商が同じなんてビックリねぇ」などと言い合い、作品に解説を加えたりしていたが、私のようなビギナーには次から次へと立ち現れる多様な作品たちの造形が単純に興味深く、肩肘張らずに楽しめる展覧会でありました。

感想に入る前に、サイトを参照しながら少しばかり本展のご説明を。今回お目にかかれるのは、中国の河南省で出土した青銅器、金銀器、漆器、陶磁器、壁画、彫刻、文字資料など約150点の作品群。その河南省とは、黄河中流域に位置し、中国最初の王朝と言われる夏(か)の中心地であったとされ、以降、商(殷)、東周、後漢、魏(三国時代)、西晋、北魏、北宋などの王朝が都を置いた地域。夏が始まった紀元前2000年頃から北宋が滅亡した12世紀頃まで、中国の政治、経済、文化の中心地であった。

ということで、紀元前18世紀頃から紀元12世紀頃までの作品が並ぶ、いわば中国文明のエッセンスを垣間見られる展覧会かもしれません。

では、個人的にインパクトのあった作品を少し挙げていきます:

第1部 王朝の誕生

『動物紋飾板(どうぶつもんかざりいた)』  夏時代・前17~前16世紀



チラシで見て以来、一体どんな作品なのだろうと思っていたのだが、いざ対面したら全長16.5cmの小さなものだった。とはいえ、モザイクのように敷き詰められたトルコ石が織りなす面は、何となくクレーの色面構築を思い出させたりもし(こんなに濃い緑青色の作品はないかもしれないけど)、色が好みのせいもあってその美しさにしばし見入った。被葬者の胸の位置で発見されたそうで、顔の横に両手を揃えて伏すキツネに似たこの動物は、つり上がった目で邪気を払いながら主人を護っていたのかもしれない。

『白陶盉(はくとうか)』  夏時代・前18~前17世



独特の形状をした3本足は空洞で、立脚するためのみならず、この部分にも液体が入ることになる。安定感のあるこの器の何かが私をとても惹きつけるのだが、じっと見詰めてもそれが何なのかよくわからず。

『兕鐄(じこう)』  西周時代・前11~前10世紀



肉を煮るための堂々たる『方鼎(ほうてい)』、罪人を処刑するための刑具である『鈌(えつ)』など、大小様々な青銅器が並ぶ一角にちょこんとあった、液体を注ぐための器。古代中国の青銅器には造形と装飾に優れたものが多いとのことだが、建造物を思わせるような構築美を放つ作品が多い中、蝸牛のようなのんびり感が漂うこの作品は可愛い部類。

尚、もう少し進むと、肉を盛る大ぶりな鼎(てい)が9口、穀物を盛る簋(き)が8合、同じく食べ物を盛る鬲(れき)が9口という大所帯セットが、一つの大きな展示ケースにズラリと並んでいて壮観だった。

『玉壁(ぎょくへき)』  西周時代・前11~前10世紀



磨くと美しい色を発する石を「玉(ぎょく)」と呼ぶ。本展ではその玉を素材とした様々な作品が並んでいるが、壁(へき)は中心に小さい穴のあいた平たい円盤のことを言うそうだ。石は硬いから、現代の研磨機のない時代に人の手のみでこのようにまん丸く造形したり、穴をあけたりするのはとても大変だったことでしょう。しかもこの作品は、中央の穴の周縁部だけ数ミリ高く残してあるという手の込みよう。この玉壁から「完璧」という言葉が生まれたそうです。

『盉(か)』 春秋時代(黄国)・前8~前7世紀



青銅製の容器。先端がくるくると丸まった把手のせいか(注ぎ口との位置関係はちょっと変だけど)、丸っこい胴体が子ブタの後ろ姿みたいで単純に可愛らしく思えた。上部の面には「獣面紋」と言われる象形文字のようなものが刻まれている。そういえば、盉とは香草の煮汁で酒に香りをつけるための容器だそうで、他にもそんな説明の器が出てくる。どんな味のお酒だったのか、ちょっと気になるところ。

『金縷玉衣(きんるぎょくい)』  前漢時代・前1世紀



玉が死体を腐敗から守ると信じられていたため、皇族や王侯貴族は亡くなるとこのような玉を縫い合わせた衣で全身を覆ったそうだ。全長180cmもあるこの作例では2008枚もの玉札が使われており、寸分の隙間なく縫い合わされ、頭頂部も丁寧に円形に覆っている。付随展示されていた耳栓、鼻栓、口に含む蝉型含玉(がんぎょく)、手に握る玉豚(ぎょくとん)も全て玉製。

第二部 技の誕生

高さ180cm以上ある『七層楼閣』(後漢時代・2世紀)
に迎えられる第二部は、「暮らし」「飲食の器」「アクセサリー」という三つのテーマの下、陶製、金製、銀製、玉製、ガラス製など様々な素材の作品が並ぶ。

『金製アクセサリー』 (左)と『金製耳飾り』 (右)、共に北宋時代・11~12世紀



何とも精緻な細工。金製アクセサリーは下部の一番大きな石が取れてしまっているが、どんな宝石が入っていたのだろうと想像するのも楽しい(ルビーなどいかがでしょう?)。耳飾りの方は全ての石がなくなってしまっているが、入っていたらさぞやゴージャスだったでしょうね。

第三部 美の誕生

『神獣』  春秋時代・前6~前5世紀



舌を出す怪獣の頭上には6匹の龍、背中には小さめの龍のような怪獣が立ちあがり、更にその口にも龍がくわえられている。何となく中国雑技団の力技的バランス感覚を思わせた。

『神獣多枝灯(しんじゅうたしとう)』  後漢時代・1世紀



こちらも入り組んだ造形の作品。3層構造の燭台で、人やら動物やらがにぎやかに装飾している(一番下の台座には28体もの動物と人が時計回りに貼りつけられているそうだ)。動物の角か木の枝のように飛び出す龍たちの背には、帝天の使いであるという羽の生えた「羽人(うじん)」たち。てっぺんが鶏というのがちょっとメルヘンチックでもあり、いわば後漢風シャンデリアとでも言いましょうか。

『卜骨(ぼっこつ)』  商時代・前13~前11世紀

画像は省くが、動物の骨に刻まれた甲骨文字。中国で文字が始まったのは前13世紀頃で、当然紙はまだなかったため、亀の甲羅やこの作品のように動物の骨に刻まれた。この甲骨文字が現在知られている中国最古の本格的な文字とのこと。このコーナーでは、他に青銅、石、竹の上などに刻まれた漢字の先祖たちが見られる。その中の1点、黒い石に端正に漢字の列が刻まれた『王尚恭墓誌(おうしょうきょうぼし)』(北宋時代・11世紀)は見惚れるほど美しい。全ての文字を彫り終えるまでに、一体どれほどの時間がかかったのでしょう?

『画像磚(がぞうせん)』  南北朝時代・5~6世紀



磚(せん)とはレンガのことで、これを積み上げて造った墓室を「磚室墓」と言うらしい。その磚に紋様を施したのがこの作品。西洋の礼拝堂の壁面を装飾するフレスコ画に近いのかな?などと思いながら眺めた。本展では、その作例として6点が並ぶが、画像に取り込んだのはそのうちの『出行図(しゅっこうず)』と題された2点。上の作品では男性4人が弓矢や盾を持って行進し、下の作品では女性たちが香炉や傘を持って歩いている。とりもなおさず色彩が美しいことと、衣服のモダンさが印象的だった。

本展は、東京で9月5日(日)まで開催した後、以下の予定で九州と奈良を巡回します:

九州国立博物館 2010年10月5日(火)~11月28日(日)
奈良国立博物館 2011年4月5日(火)~5月29日(日)