l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

ウフィツィ美術館 自画像コレクション 巨匠たちの「秘めた素顔」 1664-2010

2010-09-26 | アート鑑賞
損保ジャパン東郷青児美術館 2010年9月11日(土)-11月14日(日)



今まで2回ほどフィレンツェに行ったことがあるが、見学期間が限られた上に事前予約が必要な「ヴァザーリの回廊」には、ついぞ足を踏み入れたことがない。ポンテ・ヴェッキオに並ぶ目も眩むような宝飾店の連なりに目をやりつつも、私はいつも頭上の、丸窓の並ぶ上階部分を見上げては「ああ、いつかあの中を歩きたいなぁ」と思って終わっている。

まぁそれはさておき、まずは「ヴァザーリの回廊」に関連する歴史をざっとおさらいしてみましょうか。

初代トスカーナ公コジモ1世(1519-74)は1560年、それまで使用していたヴェッキオ宮殿に代わる行政庁舎としてウフィツィ宮殿を造営。1565年には息子の挙式に向けて、ヴェッキオ宮殿、ウフィツィ宮殿、そしてコジモ1世妃エレオノーラが1550年に私邸として購入していたピッティ宮殿(ここだけアルノ川を挟んで反対側にある)の3ヶ所を結ぶ回廊を建造。これが「ヴァザーリの回廊」であります。

ヴァザーリとはジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)のことで、建築家、画家としてのみならず、彼が功績を認める美術家たちを列伝として紹介する著書『美術家列伝』でも有名な人。上記にあるヴェッキオ宮殿の改築、ウフィツィ宮殿や回廊の建造などを手掛けた、コジモ1世の美術政策に重要な役割を果たした芸術家でした。

父の跡を継いで第2代トスカーナ公となった芸術好きのフランチェスコ1世(1541-1587)が、1581年にその蒐集品をウフィツィ宮の最上階に陳列。これがウフィツィ美術館の誕生となりました。

ところで、中世まで西洋美術には自画像というジャンルはなかった。作者は飽くまで裏方。しかしルネッサンス期にメディチ家主導による人文主義の下、美術家の自意識が高まり、祭壇画や壁画に自分を描き込んだりするようになる。やがて自画像が描かれるようになり、ヴァザーリの『美術家列伝』には紹介されている各美術家の肖像画が掲載されていたとのこと。

第5代トスカーナ公フェルディナンド2世の弟、レオポルド・デ・メディチ(1617-1675)が自画像コレクションを開始。ここを出発点とし、多様な流派の作品を集めることを念頭に収集が重ねられた結果、今やその数1700点に。全長1kmに渡って上下2段展示で並んでいるそうです。

本展はそのコレクションの中から78点が来日し、うち60点余りが東京会場で展示。図録を見ると、どうも今年「ヴァザーリの回廊」は改装工事をやっているようで、そのおかげで叶った展覧会なのかもしれません。東京の会場もどうしたことか展示室の壁が穴だらけで、こちらも改装中か何かなのでしょうか?

展示は時代に沿って5つの章に区切られて進んでいくので、1500年代から現代に至る西洋絵画の変遷を追うような感覚でも楽しめます。

第1章 レオポルド枢機卿とメディチ家の自画像コレクション 1664-1736

『自画像』 ラヴィニア・フォンターナ (1579)



直径15.7cmの円形の銅板に描かれた細密画。ペンを持ってこちらに斜め横顔を向ける女性は、画家というより宮廷の女官風。豪華な襟飾り、袖のレース飾り、金のブレスレット等、写実的に細かく描き込まれている。

『イーゼル上の自画像』 アンニーバレ・カラッチ (1603-04年頃)

神話の主題などを、力強くダイナミックに描く画家というイメージが強いアンニーバレ・カラッチ。しかしこの画中画作品で、イーゼル上のキャンバスに描かれた、不安げな眼差しを投げかける男性がその人であるとは、私の中で上手く結び付かない。でも解説を読んでなんとなく納得。晩年は衝撃的なデビューを果たしたカラヴァッジォの存在に脅かされ、心身ともに衰弱していたという。イーゼルの足元に寄りそう犬と猫も闇に溶け込んでしまいそうなほど生命力が感じられない。

『自画像』 ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ (1635年頃)



写真や映像を見るだけでも息を飲むような、超絶技巧を駆使した彫刻作品でローマを飾った巨匠。こんなお顔だったのですね。やや神経質っぽくも見えるけれど、割と普通。

『自画像』 ヨハンネス・グンプ (1646年)



自分の顔が映る鏡が左側にあり、それを見ながら筆を動かす画家の後ろ姿を挟んで、右側に自画像が出来上がっていくキャンバス。普通に肖像画を描いてもおもしろくないじゃないか、という画家の創意工夫が感じられます。

『アトリエの自画像』 ヨブ・ベルクハイデ (1675年)

オランダはハーレムの画家の自画像。と言っても、これはオランダの室内画としても鑑賞に値するのではないでしょうか。左側の窓から差し込む黄金色の光に照らされた画家のアトリエには、イーゼルに向かう画家の他に様々なものが描き込まれている。机の上にはタピストリー、石膏像、リコーダー、コンパス、パイプなど、そして壁には金色の豪華な額縁に入った自画像とヴァイオリン。期せずしてこういう絵にお目にかかれると嬉しい。

『自画像』 フランス・ファン・ミーリス(大) (1676年)



オランダはライデンの画家の自画像。ヘッドが二股に分かれた変わった弦楽器を抱えて、ひょうきんな表情でこちらを振り返っている。自分を道化師に見立てて描いているそうで、光沢のある生地の質感描写が見事な衣装も道化師の服装から採られたものとのこと。

『花輪の中の自画像(?)』 ニコラ・ファン・ハウブラーケン (1720年頃)



画面を囲む花輪の描き方から、自然とフランドルかオランダ辺りの画家の作品かと想像されたが、この画家のお祖父さんがアントワープ出身ながら本人は少年時代にトスカーナ地方のリヴォルノに移住したらしい。また、ここに描かれているのは自画像ではなく、友人のフランス人画家の可能性もあるとのこと。いずれにせよ、華やかな花に囲まれて顔を出しているのが、美しい女性や美青年ではなく、物憂げなおじさんだというのがいい味を出しているトロンプ・ルイユ作品。

第2章 ハプスブルク=ロートリンゲン家の時代 1737-1860

1737年にメディチ家が断絶し、ハプスブルク=ロートリンゲン(ロレーヌ)家が大公国の統治を継ぐ。2代目ピエトロ・レオポルド(1747-92)はウフィツィを王立美術館として一般公開。

『マリー・アントワネットの肖像を描くヴィジェ=ル・ブラン』 マリー=ルイーズ=エリザベート・ヴィジェ=ル・ブラン (1790)

チラシに使われている作品。マリー・アントワネットの肖像画を20点以上描いた画家だそうだ(随分前に私もそのうちの1点を、今はなき伊勢丹美術館で観ていたようだ)。薄く溶いた油絵具を塗り重ねることによって透明感を出す技法を用いたそうで、この作品の中でも画家は柔らかそうな細い筆を手に、うっすらとキャンバスの上に姿を現し始めた描き始めと思しきマリー・アントワネットの肖像に取り掛かっている。画家の袖口のレース飾りに絵具が付いてしまうのでは?とつい心配に。

『自画像』 ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル (1858年)



重厚感溢れる正統的な自画像。右上に「1858年、ゴールの画家J.A.D.アングルは、78歳で自分自身を描けり」と署名してあるそうだ。え、78歳にしては肌の張りが随分よろしいのでは?彼の描く女性は皆、髪の毛をきっちりと真ん中分けにしているイメージがあるが、ご本人も真ん中分けだったのですね。目元が犬のバセットハウンドに似ている。

『自画像』 イポリット・フランドラン (1853年)



フランスはリヨン出身の画家。名前を聞いてもすぐには作品が浮かばなかったが、家で図録を当たってみると案の定という感じで割と日本に作品が来ていて(アングルの弟子だった)、ああ、このすべすべした絵を描いた人かと思い出した。この肖像画は未完成とのことで、確かにこれから目元や髭などに手が加えられていったのだろうな、と想像されたが、これはこれで惹かれるものがあった。

第3章 イタリア王国の時代 1861-1919

1861年にイタリア王国が成立し、ウフィツィ美術館も国立の美術館に。各国のアカデミーを通して肖像画の寄贈依頼をしていたため、印象派など19世紀の画家の肖像画が欠けており、1864年以降中央政府を通じて寄贈依頼を行う。その反面展示スペースの問題も生まれ、自画像作品はヴァザーリの回廊に移されていく。

『自画像』 フィリッポ・ガルビ (1873年)



自らが描いた、人体の集合体で形作る『解剖学的な頭部』(1854年)を背景に、何やら書き込み中のスケッチ・ブックから目を上げてこちらを見るナポリ出身の画家。思わず歌川国芳の、人体を集めて顔を描いた作品を思い出す。

『自画像』 フランツ・フォン・シュトゥック (1906年)

名前だけではピンとこなかったけれど、小さく写真で紹介されていたこの人の作品を観て、あ~、本屋でよく見かけるあの美術書の表紙の絵を描いた人かとすぐわかった。それにしても物凄い目力です。

『自画像』 フレデリック・レイトン (1880年)



個人的にこの絵が一番観たかった。画家がアトリエ兼邸宅としてロンドン西部のホランド・パークに建造し、30年以上手を加えながら住み続けた建物がレイトン・ハウス美術館として公開されており、私も10年近く前に訪れたことがある。その「美の宮殿」に足を踏み入れたときは陶然と立ちすくむ以外なかったのだが、その時購入した図録の表紙がまさにこの作品。その数年後にウフィツィ美術館で買った図録にこの絵が大きく載っており、ああ、いつか実物が観たいなぁ、と長いこと念じていた。

イギリスで生まれつつも父親の仕事の関係で幼少の頃からヨーロッパで過ごし、長じてフランクフルト、ローマ、パリなどで画業の研鑽を積み、貴族に叙せられた初のイギリス人画家。作品はヴィクトリア女王に買い上げられ、ロイヤル・アカデミーの学長を務め、生涯独身を貫いて「私は芸術と結婚した」と画業や公私の生活の中でひたすら美を追求したレイトン卿は、ヴィクトリア朝時代の洗練されたセレブの代表だった。

そんな卿が、深い教養を漂わす眼差しでじっとこちらを見据えている。数ヶ国語を操ったという貴方は、どんな声の持ち主だったのでしょう?

『自画像』 エミール・クラウス (1913-14年)

外光を表現するための手段としてあえて逆光の中にモティーフを切り取り続けた画家は、自分の自画像もやはり逆光の中に描いている。「いつでも陽に向かって画をすえて」と日本人画家に助言した彼も、このときばかりは陽を背後に鏡とイーゼルを据えたのでしょうね。

『自画像』 ボリス・ミハイロヴィッチ・クストディエフ (1912年)



観た瞬間、ロシア人でなくともViva Russia!と心の中で叫んでしまいそうな作品。画家のアイデンティティがこれでもかと画面から横溢しています。翻って我が日本の画家が、国会議事堂を背景に自画像を描いても世界の人はどこだかわからないでしょうね。日本の建造物としてクレムリンと同じくらいインパクトのあるものって何でしょう?

第4章 20世紀の巨匠たち 1920-1980

20世紀前半、自画像コレクションは冬の時代に。批評家による寄贈作品の質の批判があったり、第二次世界大戦下では展示が回廊に限定されたり、その回廊も1966年に大洪水で被災したりと様々な事態に直面する。しかし1973年に展示を再開し、その3年後に80歳のシャガールが自画像を寄贈したことがきっかけとなって、収集も再開。

『自画像(胸像)』 ジョルジョ・デ・キリコ (1938-39)



キリコの描く作品は、丁寧に塗られた滑らかなマチエールというイメージがあったが(実のところ実作品を観る機会はあまりないのだけれど)、この自画像では柔らかく動的な筆触が印象的。


『自画像』 マルク・シャガール (1959-68)

章の説明に書いたシャガールの自画像。あのシャガール・ブルーともいえる青い画面に、花嫁姿の最初の妻ベラ、故郷ヴィテブスクの鶏、パリの建造物などが溶け込み、左端にはパレットと筆を持つシャガールが描かれる。随分釣り目だけれど、微笑んでいるのでこちらもほっとする。

第5章 現代作家たちの自画像と自刻像 1981-2010

1981年、ウフィツィ美術館創立400周年を祝って存命の美術家に自画像の寄贈を依頼。その成果はこの年の12月にウフィツィ美術館にて開催された展覧会で発表。以来コレクションの拡充は続いているが、美術館側から寄贈を依頼する際の芸術家の選定は易しくないとのこと。

ちなみに、ここにくるまで藤田嗣治以外の日本人芸術家の作品は見当たらなかったが、この章では草間彌生、横尾忠則、杉本博司の3人の自画像が登場。本展を機に加えられたそうです。

『自画像』 ジャンニ・カッチャリーニ (2000-02)



さすがにこの辺りにくると、普通の肖像画の範疇にない多様な作品が登場してくる。自分の名前のイニシャルを殴り描くとか、鼻だけ描くといった抽象的な表現だったり、自身のレントゲン写真を据えたものだったり。

そんな中でここに挙げたのは、目元が見えないながらまるで平穏なスナップ写真のような絵画作品。特殊メイクのマスクかと見まごうアイヴァン・ル・ロレイン・オルブライト『自画像』(1981年)の強烈な顔と並ぶと、ことのほか平和に映ります。

本展は11月14日(日)まで。月曜休館(10月11日は開館)で、金曜日は20:00まで開いています。10月1日(金)「お客様感謝デー無料観覧日」だそうです。

東京展の後は大阪に巡回します:

国立国際美術館
2010年11月27日(土)-2011年2月20日(日)

シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会い

2010-09-15 | アート鑑賞
東京芸術大学大学美術館 2010年7月3日(土)-10月11日(月・祝)



展覧会の公式サイトはこちら

今通っている美容室で私を担当して下さっている方は、美術がお好き。先日、まだ残暑が厳しかった日にお世話になったとき、暑いですねぇ、という挨拶もそこそこに「予約リストにYCさんの名前があると、朝からヨシッて思うんですよ~」とおっしゃって下さった(嬉)。そしてお互いが最近観た展覧会の報告をしながら髪がパラパラ切られる中、話はシャガール展の話題へ。はい、私も行きました。多分1カ月以上前に。。。

というわけで慌てて記事に取りかかります。

実は私は今まで「シャガール展」というものに行ったことがかった。決して嫌いなのではないし、美術の教科書に載っていた『私と村』(1911)は私の西洋画の原初体験みたいなものとしてずっと心の中にある特別な作品。しかしながら何となくそこで止まってしまい、リトグラフ作品などが巷に溢れているせいか、今までシャガール作品は表層的にしか観ないできてしまった。

本展はしかし、単なるシャガールの作品(今回出展の約70点は、全てパリのポンピドー・センターのコレクション)を並べたものではなく、彼と密接な関係があったという「ロシア・アヴァンギャルド運動」とのつながりの中にその画業を見ていくもの。難しい内容なのかな、と思ったが、観ていくうちに「ロシアの作家の作品と並んで自作が展示されること」というシャガールの生前の夢が理解され、私が今まで知らなかったシャガール像が立ち上がってきて、なかなか得るもののある展覧会だった。

では、構成通りにざっくりと追っていきたいと思います:

Ⅰ ロシアのネオ・プリミティヴィスム

『自画像』 マルク・シャガール (1908年)



マルク・シャガール(1887-1985)は、ヴィテブスク(現ベラルーシ共和国)のユダヤ人居留区に生まれた。1908年にサンクト・ペテルブルクの居住資格を得て現地の美術学校に入学。フォーヴィズムや洗練された東洋趣味に目覚めるも、主題は民衆芸術であり続け、故郷の街、家族、農民などを描き続けた。

そう説明されて改めてシャガールの作品を観ていくと、いつも必ず画面に彼の故郷の情景が溶け込んでいることに気づく。

『収穫物を運ぶ女たち』 ナターリヤ・ゴンチャローワ (1911年)



ネオ・プリミティズムとは、「ミハイル・ラリオーノフや(その妻)ナターリヤ・ゴンチャローワを中心に展開されたロシア・アヴァンギャルド運動初期の一流派」だそうです。スラヴ民族の独自性、イコン、木彫、刺繍、ルボーク(大衆版画)、店舗の看板などの民衆芸術にインスピレーションを見出し、20世紀初頭から活動。1912年にラリオーノフが組織し、モスクワで開いた「ロバの尻尾」展にはシャガールも参加。

ここに挙げたゴンチャローワの作品は、まるでステンドグラス(というよりルボークと言うべきか)の枠のように取られた輪郭線で囲まれ、画面一杯に描かれた二人の人物が、逞しい存在感を放っている。

Ⅱ 形と光―ロシアの芸術家たちとキュビスム

『ロシアとロバとその他のものに』  マルク・シャガール (1911年)



シャガールは1911年にパリに向かい、あの有名なラ・リュッシュ(「蜂の巣」という意味の、モンパルナスにあった集合アトリエ)で制作を始める。そこでキュビスムなどに出会って生まれたのがこの作品。

解説には「キュビスムの様式とフォーヴィスムの色彩が見事に結実」とあったが、まずもってなぜ女性の首が宙に飛んでいるのかが気になる。これは、夢想に動かされるままの人物をイディッシュ語とロシア語で「頭が飛び立っている」と表現するそうで、それを文字通り絵にしたもの。女性の姿をしているけれど、多分にシャガール本人が投影されているようにも思える。下の方にはロシアの教会が見え、上方はカラフルなオーロラが出ているかのように幻想的。

Ⅲ ロシアへの帰郷

『立体派の風景』 マルク・シャガール (1918-1919年)



1914年に勃発した戦争のため、滞在先のロシアで足止めを食らったシャガールは、1918年に故郷ヴィテブスクでの美術学校の設立・運営に携わる。しかし教師として招来したカジミール・マレーヴィチ(本展では、彼の建物模型のような造形物の複製が何点か展示されている)に生徒の人気を奪われてしまい、居場所を失ったシャガールは1920年にモスクワへ。

この作品は、そんな時期に描かれたキュビスム風の作品。真ん中に見えるのが、その美術学校の建物だそうだ。

尚、1915年には愛妻ベラ・ローゼンフェルトと結婚している。以降、何枚も「恋人たち」をテーマとした作品を描いているが、今回はその1枚『緑色の恋人たち』(1916-1917年)も展示。濃い緑色を背景に、女性の胸に目を閉じて顔をうずめる男性は、女性の母性愛に包まれ安心し切った赤子のよう。まぁ確かにヨーロッパではこのような光景によく出くわしますね。

『アフティルカ 赤い教会の風景』  ワシリー・カンディンスキー (1917年)



ワシリー・カンディンスキーの、モスクワ近郊で描かれた油彩の風景画6点も並ぶ。彼もまた、第一次世界大戦を機にドイツからロシアへ帰還した一人とのこと。

Ⅳ シャガール独自の世界へ

『彼女を巡って』  マルク・シャガール (1945年)



1923年に再びパリに戻って独自の路線を進むが、1940年のナチスドイツによるパリ占領に伴い、翌41年に妻ベラと共にアメリカへ亡命。しかし、その亡命中の1944年に最愛の妻が亡くなる。

シャガールは悲しみのために9ヶ月もの間絵筆が取れなかったそうだが、1933年に描いた『サーカスの人々』を二分割して、その左側部分に筆を入れて本作品を完成。真ん中に故郷の風景を置き、その右にローズ色の服を着たベラが首を傾げ、上空には彼女との幸福な日々の残像が浮遊する中、左側にいるパレットを持つ画家本人の顔は上下が反転している。

『日曜日』 マルク・シャガール (1952-1954年)



1948年にフランスに戻ったシャガールは、1950年に南仏のサン・ポール・ド・ヴァンスに居を定める。52年には65歳にして再婚。この作品はその二度目の妻を描いたものであるらしい。月明かりがかろうじて光源であった『彼女を巡って』の青ざめた絶望感を脱し、この絵では新妻の頬もバラ色に輝き、朝日が昇って幸せオーラが一杯。画面下にはパリのお馴染みの建造物群が並び(ノートルダム寺院と思しき紫色の建物と背景の黄色の対比が鮮やか)、そして上方にはいかなる状況でもシャガールの頭から消え去ることのなかった故郷の風景が描き込まれている。

『イカルスの墜落』  マルク・シャガール (1974-77年)



90歳にて完成をみた、約200cm四方の大作。天から落ちてくるイカルスを待ち受けるのは、故郷の村人や動物たち。伴侶の死や二度の大戦を乗り越え、フランスやアメリカなどを渡り歩いた自分の人生は、ここで始まり、ここで終わるのだということだろうか。最晩年にこの主題を選んだ画家の心境をいろいろ思う。

Ⅴ 歌劇「魔笛」の舞台美術

『シリーズ:モーツァルト「魔笛」 フィナーレのための背景幕、第Ⅱ幕第30場』 (1966-67年)



1964年、シャガールはニューヨークのメトロポリタン歌劇場から、新しい建物のこけら落としとして上演されるモーツァルトの「魔笛」のための舞台装飾と衣裳の素案を受注。私は「魔笛」を観たことがないのだが、壁にずらりと並んでいる約50点の色とりどりの舞台美術や衣装のデザイン画(部分的にコラージュのように布も貼りつけてある)を見渡すと、実に華やかな舞台になったであろうことが想像される。彼が描いたパリのオペラ座の天井画もそうだが、シャガールの、華やかながら毒々しくない色彩センスと柔らかい線描は、こうした万人の目に触れる装飾的作品にはまさに打ってつけだと改めて思う。

私は残念ながら時間がなくて観られなかったのだが、展示室内で52分に及ぶシャガールのドキュメンタリー映画も上映中です。とてもよく出来た作品だそうなので(冒頭の美容師さんによると、これを観るだけでも観覧料1500円の元が取れるとのこと)、お時間が合う方は是非。上映開始時間を転載しておきます:

①午前11時  ②午後12時  ③午後1時  ④午後2時  ⑤午後3時の1日5回

本展は10月11日(月・祝)までです。

アントワープ王立美術館コレクション展―アンソールからマグリットへ ベルギー近代美術の殿堂

2010-09-11 | アート鑑賞
東京オペラシティアートギャラリー 2010年7月28日(水)-10月3日(日)



展覧会のご紹介サイトはこちら

思えば、この5年間ほどの間にも東京及び近郊でベルギーの近代美術作品を観る機会は案外あり、私もいくつか足を運んでいる。そのうちに「ベルギー近代絵画」と聞くと、ヨーロッパ、とりわけフランスの芸術運動の影響の中で語られる解説パネルが浮かび、印象派やバルビゾン派っぽい風景画で幕を開け、美しくもどことなく不穏な感じの象徴派、そして線描・色面ともごっつい表現主義が続いて、最後はシュールレアリスム(マグリットとデルヴォー)で終わるという、まるでコース料理を食しているような画一的なイメージが私の中で出来上がった。

たった数回観ただけでちょっと乱暴な言いようかもしれないが、今回の展覧会も、以下の通り大方私のイメージ通りの構成でありました:

第1章 アカデミスム、外光主義、印象主義
第2章 象徴主義とプリミティヴィスム
第3章 ポスト・キュビスム・フランドル表現主義と抽象芸術
第4章 シュルレアリスム


ところでアントワープという都市はどうしても中世のイメージが強いが、チラシによると近年はファッションの中心地としても知られ、最先端のカルチャーシーンを牽引する都市の一つだそうだ。ルーベンスのコレクションで有名なアントワープ王立美術館にも質量ともに名高い近代絵画のコレクションがあるそうで、今回はその中から19世紀末から20世紀中頃までのベルギー絵画、39作家による70点が出展。うち63点が日本初公開、ということはほとんどが初公開ってことですね。

実は図録はおろかポストカードも1枚も買っていないので、走り書いたメモを見ながら感想を留めておきたいと思います。

『陽光の降り注ぐ小道』 フランツ・クルテンス (1894年) *第1章

159.0x108.0cmの縦長の画面の真ん中に、手前からすっと向こうへ伸びる森の小道。両側にはキャンバス一杯の高さに伸びる背の高い並木が繁り、幹肌や小道の上に木漏れ日が柔らかく散らばる。そこに余計なものは何もなく、画家が画面に再現したかったものがダイレクトに伝わってくる感じがする。ああ、この小道は涼しい空気が吹き抜けていくのだろうなぁ。。。

『公園にいるストローブ娘』 ジャン・バティスト・デ・グレーフ (1884-86年) *第1章



一見普通の印象派っぽい絵だけれど、少女の堅苦しいポーズと表情が面白い。明るい公園の緑の中で、この少女はなんでこんなにしゃちほこばっているのでしょうか?こちらに向ける険しい眼差しに口を結んだ硬い面持ち、ぎゅっと握りしめた左手、地面を踏みしめた足元。後ろにいる羊も何だか唐突な感じがしないでもない。

『待ち合わせ』 ジェームズ・アンソール (1882年) *第1章

ゆらゆらとした筆触で画面に立ち現れる、テーブルに座る女性の姿と、外から室内に差し込む光の表現が印象的。

『西フランドルの風景』 アルフレッド・フィンチ (1888年) *第1章

おお、これはモロにスーラですね。パネルの解説に、ベルギーで結成された「二十人会」はフランスの印象派、新印象派、ポスト印象派を積極的に国内に紹介する中、スーラの影響はとても大きく、点描が流行したとあるが、まさにそれを裏付ける作例。後ろの麦畑でしょうか、黄色っぽい色が、先のオルセー所蔵のポスト印象派展で観たスーラの作品の黄色を思わせる。

『カルヴァリーの庭』 シャルル・メルテンス (1914-19年) *第1章

イギリスのヴィクトリアン朝絵画(ヒューズあたりかな)を思わせるような主題。瀟洒な石造りの邸宅の後ろにある緑したたる庭で、女性がゆったりと椅子に座っている。傍らには、中央の甕から水の溢れる小さな池や、テーブルの上に乗った銀のティーセット。こんな細密な絵が、クレヨンで描かれているなんて。

『フランドル通りの軍楽隊』 ジェームズ・アンソール (1891年) *第2章

小さい作品だけれど、建物やその間の道を行進する軍楽隊の細密な描き込みがすごい。上方の空にうっすら入れられたピンク色が、私にはとてもアンソールっぽく感じられる。それにしてもアンソールって本当に多様な絵の描き手ですね~。

『咲き誇るシャクナゲ』 レオン・フレデリック (1907年) *第2章



私にはこの絵が象徴主義の作品と言われても余りピンと来ず、普通によい絵に見えた。クノップフスピリアールトらと同じ部屋に並ぶとなおさら。

『エドモン・クノップフ』 フェルナン・クノップフ (1881年) *第2章

部屋でくつろいでいるお父さんの横顔の肖像画だというのに、目に入った瞬間、何でこんなにギョッとするのだろう?

『フランドルの冬景色』 ヴェレリウス・デ・サデレール (1928年) *第2章

実は心の中で、フランスやらドイツやら言ってないで(ああ、また暴言)自国フランドルの巨匠たちのDNAを溢れさすベルギーの近代画家っていないのだろうか、と思っていたところ、この絵が目の前に。おお、近代のブリューゲルよ!と言われて画家本人が(そして墓の中のピーテル・ブリューゲルが)ハッピーかどうかわからないが、これはまさにあの静謐な冬の世界であります。ただしサデレールの作品の方は空の占める割合が広くて(上方から闇と冷気が降りてくるよう)、人物も一切排除され、木々も滑らか(右側の数本の木々は歩いているようにも)。外来の表現主義と自国の伝統美が美しく融合しているように私の目には映りました。

『海辺の女』 レオン・スピリアールト (1909年) *第2章

スピリアールトの作品が、その繊細で気難しそうな表情を湛えた自画像なども含め数点並ぶ一角は、えも言われぬ神秘的な雰囲気を醸し出していた。この絵は、黒いドレスを着た女性が海の防波堤の手すりに両手を置き、やや首を垂れて海面をじっと見降ろしている後ろ姿。ほとんどモノトーンの世界で、さめざめとした波と共に女性の懊悩が渦巻いているようだ。ちょっとムンクを想起した。

『リキュールを飲む人たち』 グスターヴ・ファン・デ・ウーステイネ (1922年) *第3章

一瞬、一人の男性が二人の女性とテーブルを囲んでエレガントに語らっているのかと思いきや、男性の手にはパレットと筆が握られ、女性二人は周りを額縁で囲まれている。いわゆる画中画です。ポストカードを買おうかと思ったら、肝心の画中画の額縁部分が切れてしまっていたので止めてしまった。同じ角度に首を曲げる女性二人の空虚な表情がちょっと不気味。

『嵐の岬』 ルネ・マグリット (1964年) *第4章

地中の中に埋まった木箱の中で、おじいさんがまるで家のベッドで寝ているがごとく毛布にくるまり、枕を当てがって横向きに寝ている。その真上の地上にはドカンと大きな岩。チラシに使われている『9月16日』(1956年)も美しい絵だったけれど、今回はこちらの方が印象に残った。

尚、本展のチケットで観られるオペラシティの収蔵品展「幻想の回廊」も、シュールレアリスムの延長で楽しめる作品が沢山並んでいるので是非お立ち寄りを。

『冬の旅Ⅱ』 川村悦子 (1988)



結露した水滴が流れる暖かい部屋の窓から覗いている景色かと思えば、その景色には緑があって冬とは思えず。なんていろいろ考えながら。。。

また、「project N」と呼ばれる展覧会シリーズとして、廊下には川見俊の作品がズラリ。私は2009年度のVOCA展で出会った画家だが、のっぺり平坦に塗りたくられた家と、それを取り囲む草木の柔らかい筆触とのアンバランスさが面白い画面を生み出している。実はこれらの家は愛知県や静岡県に実在する、ペンキで塗装された木造民家だそで、画家は試行錯誤の上、ペンキで板の上に描くという手法でこの『地方の家』シリーズを追及している。

『地方の家51』 川見俊 (2010)


スウィンギン・ロンドン 50’s-60’s ミニスカート・ロック・ベスパ―狂騒のポップカルチャー

2010-09-07 | アート鑑賞
埼玉県立近代美術館 2010年7月10日(土)-9月12日(日)



本展のご案内サイトはこちら

この間の日曜日(9月5日)は久しぶりに埼玉近代美術館へ。企画展もなかなか面白そうだし、この日は関連イベントで映画『レッド・ツェッペリン 狂熱のライヴ』の無料上映もあり、涼しい館内でしばし時を過ごしてきた。

映画の方は語り出すと止まらないので置いておくとして、今回は展覧会の感想のみを留めておきたいと思います。

まずは、展覧会の概要の一部をパネルから(青字部分):

本展はロンドンで1950~60年代にかけて日常生活に取り入れられた各国のインダストリアル・デザインを紹介することで、この時代を見つめ直すとともに、ファッションや音楽をベースとした若者文化を取り上げ、当時のライフスタイル全般を振り返ります。

そんなわけで、会場にはそれこそ当時製造された車、スクーター、家具などの大物から、ラジオ、テレビ、カメラ、洋服、キッチン用品など諸々の日用品に加え、エレクトリック・ギターや初期マーシャル・アンプ、レッド・ツェッペリンのギタリストであるジミー・ペイジのギターや衣装、ビートルズ他のレコード・ジャケットなどなど、この頃の勢いあるロンドンのカラフルな様相が想像される品々が所狭しと並んでいた。

一応5年ごとくらいに区切って、パネルに各時代の事象が下記のような感じで説明されている:

1950年
朝鮮戦争が始まる。
世界初の量産型ソリッド・ギター「ブロードウェイ」発売。

この二つの史実が並列されているあたりが、本展の趣旨を明確に物語っていると思われます。

では、目が留まった作品をざっと挙げてみます:



『スクーター ベスパ125cc』 ピアッジョ社 (1951)

第二次世界大戦終結後、1950年代半ばにはヨーロッパ経済が急激に復興し、モビリティの大衆化が進んだ、という解説が入り口にあったが、まさに世の人々がスクーターに跨り、颯爽と街中を移動していたことを想像させる乗り物(画像中、12番がそれです)。あの「ローマの休日」でオードリー・ヘプバーンが乗っていたのもこのベスパだそうだ。シートや足を置くスペースも広く、スカート姿の女性でも足を揃えて乗れるし、フォルムが全体に丸っこいのは、種を問わずこの時代の製品に共通する意匠かもしれない。私もこれに跨って、ヨーロッパの田舎道とか気ままに走ってみたいなぁ。

『自動車 ミニ・ヒーリー カブリオレ』 BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション) (1959)

赤いミニのカブリオレ。展示では屋根が開けられ、中が見えるようになっていた。普通のミニなら助手席に乗ったことがあるが、車体が低くて本当にこじんまりと座席に収まる感じだった。久しぶりにミニの正面に立ってみたが、愛嬌のある表情してますね~。

『ポケット・トランジスタ・ラジオ 2R-21』 ソニー (1965)

ソニー製の小さいトランジスタラジオがいろいろ並んでいて、どれも軽快なデザインで手に取りたくなるものばかり。ここに挙げたのは(画像はないけれど)正方形のもので、手のひらにすっぽり収まりそうなサイズ。赤と黒の2色あり、オブジェとして飾っておきたい。

『デイ・ドレス』 マリー・クワント (1964-65年頃)

画像中、10という番号がついているドレス。襟元や脇に走るラインなどなかなかしゃれたデザインで、明るいマロン色も素敵。細身に見えるデザイン、というか、実際細身じゃないと着られないサイズ。この時代のイギリスの若い女の子たちは、きっと皆ツイッギーのようになりたくて、ダイエットに励んだのでしょうね。他人さまの国に対して大変失礼な言い方だけれど、現在ヨーロッパ一の肥満大国となってしまったイギリスにこんな時代があったなんて、と思ってしまった。

ジミー・ペイジの所蔵品

   

ピンクのヴェルヴェット・スーツを着こなせる人って、そうザラにはいないでしょうね。私は金ボタンが並んだフロック・コートが断然かっこいいと思ったけれど、それにしてもパンツが何て細身なこと!ジミー・ペイジって若い頃こんなに細かったんだなぁ、としみじみ(でも60歳代後半になった今も、さほどお太りになっていないようにお見受けしますが)。

ギターに関しては、古いものもあるにはあるが、ギブソンのレスポールは2000年代製造のものだし、『天国への階段』での演奏で有名な、あの6&12弦のダブルネック・ギターもクローン・モデルだったので(復刻版という意味だと思うけれど、ギターにもクローンという言葉を使うのですね)、私としてはちょっと期待過多だったかもしれない。

レコード・ジャケット

LPレコードのジャケットが連なるディスプレイを見上げて、ああ、この正方形の中にはアートがあったなぁ、と感慨を覚えた。昔、CDの大きさに縮小された時も一抹の寂しさを覚えたが、今やそれすらも消滅しそうな勢いの音楽メディア。音楽とアートの結びつきが希薄になるのは何か間違っているような気がする。そういえば本展のチラシも、LPジャケットを模したデザインをしていて、企画者のセンスを感じます。

 これが広げたチラシ  

本展は今度の日曜日、9月12日まで。もしご興味のある方は、お急ぎ下さい。

ついでながら、次回の企画展は「アンドリュー・ワイエス展 オルソン・ハウスの物語」9月25日(土)-12月12日(日)です。



丸沼芸術の森」が所蔵するワイエス・コレクションの全貌を紹介する、最初で最後の機会となるそうです。

誇り高きデザイン 鍋島

2010-09-02 | アート鑑賞
サントリー美術館 2010年8月11日(水)-10月11日(月・祝)



本展に絡んで「お皿に絵を描く」という体験教室のイベントがあり(8月22日(日)終了)、それに参加した母と共にサントリー美術館に行ってきた。母が鍋島の講義を受けたり絵筆と格闘したりしている間に、私はゆったりと展示室を回って涼やかに鑑賞。

鍋島の優れた作品は東博や出光などでよくお目にかかれるし、それなりにイメージもあったのだが、このようにまとまって観るのは初めて。焼き物の知識のない私には、本展のように一つのジャンルに絞った展覧会はとてもわかりやすく、解説と作例を観ながら楽しく学べる。

では早速、個人的に印象に残った作品を少し挙げながら、各章を順に見ていきたいと思います:

1. 鍋島藩窯の歴史

解説を元にざっと歴史をみると、「鍋島」開発の目的は、佐賀藩が徳川将軍家に献上していた高級な中国磁器に代わるやきものを藩内において生産するため。その歴史は1640年代後半から始まって200年余り続くが、18世紀の初めにかけて最盛期を迎え、採算を度外視して作られた色鍋島や鍋島青磁の多くがこの頃に生まれる。18世紀前半以降は幕府の倹約令により、色鍋島に代わって染付と青磁を主体とする落ち着いた作風へ。1774年には徳川将軍家お好みの鍋島絵柄の「手本」が幕府から佐賀藩へ示され、毎年の献上品にその中から2~3種を含めるよう指示があったとのこと。

『色絵輪繋文皿』 江戸時代 18世紀中葉



花びらのような形(「如意頭型」というらしい)の赤い輪と、シンプルな薄青の輪が知恵の輪のようにつながって画面を二分し、上半分だけ青い文様が覆っている。下半分は全くの余白で、ややアール・デコの作風を想起させる斬新な印象。

『色絵竹笹文大皿』 江戸時代 18世紀後半



清々しい笹の葉の紋様、と思いきや、しなる枝が連動して、真ん中に白抜きの梅の花が浮かび上がっている。さり気なく高度な計算がされたデザインにしびれます。

2. 構図の魅力

今度は紋様の構成に着目し、「連続紋様」「散らし紋様」「割付紋様」「中央白抜き構図」その他に分けて展示。鍋島藩窯はその意匠が1693年頃からマンネリ化し、いかにめずらしい絵柄を考え出すかに苦心するようになり、民窯の作品の紋様も参考にされたそうです。

『色絵更紗文皿』 江戸時代 17世紀後半



花をモティーフにした連続紋様をあしらった、色とりどりの色絵更紗のラヴリーなお皿が並び、心が浮き立つ。この日はこの作品が一番お気に入り。

『染付雲雷文大皿』 江戸時代 17世紀後半~18世紀前半



解説に「朧月が光を発しているよう」とある通り、幻想的で美しい作品。きっちりと敷かれた雷文が、中心の余白との境界線でぼかされているテクニック、まさに芸術的ですね。

『染付月兎文皿』 江戸時代 18世紀前半



まん丸いお皿ではなく、左に余白部分が付け足されたような変形皿。その余白部分は、そうです、兎さんですから三日月です。染付の濃淡で柔らかく描かれた兎自体も愛らしく、毛並みなどとても繊細に表現されている。これは民窯からデザインを採用した作例とのことだけど、身分を問わず、誰でもこのお皿には笑みをこぼすことでしょう。

他に、表紙に全て異なる紋様があしらわれた7冊の絵草子が宙に舞う『色絵絵草子文皿』(江戸時代 17世紀後半-18世紀前半)、赤、黄、青、緑の糸巻きがランダムに散らばる『色絵糸巻文皿』((江戸時代 17世紀後半-18世紀前半)、花のようにも、メカニックな部品のようにも見える雪輪が折り重なる『青磁染付雪輪文皿』(江戸時代 17世紀後半-18世紀前半)など、何となくCGで図案化されたようにも感じるモダンな絵柄も面白かった。きっと職人さんたちは、将軍様の嗜好にプライオリティを置きつつ常に世の流行にアンテナを張り、頭をひねりながら、こうしたデザインを生み出していたのでしょうね。しかし、これらが鑑賞用の食器ではなく、将軍家実用の高級食器であるという事実にはため息が出る。盛られる料理も豪勢だったのでしょうけど。

3.鍋島の色と技

この章では、「色」と「技」の観点から作品を観ていく。鍋島の最も重要な色は染付の「青」で、墨弾き、濃み、瑠璃釉などの技法を用いて幅広い青の表現を駆使。墨弾きとは、平たく言えばマスキングの一種で白抜き部分を残す技法。濃(だ)みは太筆に呉須液をたっぷり含ませて溜め塗りする技法、瑠璃釉とは透明釉の中に呉須をまぜたもの。

色鍋島は、染付の青色に上絵の赤・緑・黄を加えた4色以内で構成(他の色はそれらの混合技で表現)。金彩、紫、黒は用いない。

『青磁染付七壺文皿』 江戸時代 17世紀後半~18世紀前半



白磁、青磁の壺が2つずつに、模様の入ったものが3つ、計7個の壺がシュールに並んでいる。のっぺりとモティーフを塗りつぶした青磁壺の表現はいかにも鍋島。

『色絵椿繋文皿』 江戸時代 17世紀後半



白い椿の花がリズミカルに画面を横切っていくさまが可愛らしい。

特別展示 十四代 今泉今右衛門作品

江戸期の佐賀藩で御用赤絵師を務めた家柄で、代々色鍋島の伝統を継承し続けてきたという今泉家。1962年生まれで、2002年に14代目を踏襲した今泉今右衛門さんの作品が8点ほど特別展示。

シャープな星型の造形が大胆ながら、その白い面に目を凝らさないと感知できないような雪の結晶の紋様が散りばめられた『雪花墨はじき雪文鉢』(2007年)、顕微鏡でのぞいたような雪の結晶が、線香花火の瞬きのように繊細に浮き出る『色絵薄墨墨はじき時計草文鉢』(2010年)など、私の眼には何となくデジタル世代の感性を思わせる作品群だった。

4.尺皿と組皿

この章では、直径約30㎝の「尺皿(大皿)」と、「組皿」を展示。「尺皿」は例年2枚ずつ、小物は20客ずつ、徳川将軍家に献上されたとのこと。

『色絵桃文皿』 江戸時代 17世紀後半~18世紀前半 重要文化財



私は焼き物の絵付けでこんなに写実的に描かれた桃にお目にかかったことがない。果物の表皮の微妙な色合いを、精巧な点描で見事に表現。背景の薄い青も清々しい。

『色絵三壺文皿』 江戸時代 17世紀後半



5組の組皿。三つの壺が並ぶ同じ図柄が描かれるが、「器形や意匠の不揃いを「のびやかさ」あるいは「おおらかさ」ととらえることを鍋島は許さなかった」と解説にあり、この作品でも1枚1枚手描きで、寸分違わず複製しているとのこと。いやはや、スパルタなすごいプロフェッショナル集団ですね。

『色絵蜘蛛巣紅葉文皿』 江戸時代 17世紀後半~18世紀前半



墨弾きで描かれた蜘蛛の巣の上に、3色の紅葉が散る組皿。造形とデザインが美しく調和しているように思う。

5.鍋島の主題 四季と吉祥

最後の章では、鍋島皿に採用された絵柄のうち、四季の花卉草木図案と吉祥図案の作品を観ていく。吉祥図案として典型的なのは、宝尽文・桃文・松竹梅文・瓢箪文などで、同じ図案を色鍋島と染付の2パターン作っていることも少なくない。

『色絵三瓢文皿』 江戸時代 17世紀後半~18世紀前半



画面からはみ出さんばかりに並ぶ瓢箪三つの大らかさ。瓢箪は水筒や徳利として使われていたとのことで(だからこのように紐が括りつけられている)、背景の波や縁の波濤文は瓢箪から流れ出る水や酒を表わすそうだ。ポップで楽しい図柄。

とりあえず以上ですが、ちょっとご紹介と思っても作品を選ぶのは至難の業。他にも重文として有名な作品も並んでいるし、展示替えもありますので(私は『薄瑠璃染付花紋皿』(江戸時代 17世紀後半)が観られなくて残念)、ご興味のある方は是非会場に足をお運び下さい。10月11日(月・祝)までです。