損保ジャパン東郷青児美術館 2010年9月11日(土)-11月14日(日)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/6f/bceb20e4edf35b67db7f55d476b15170.jpg)
今まで2回ほどフィレンツェに行ったことがあるが、見学期間が限られた上に事前予約が必要な「ヴァザーリの回廊」には、ついぞ足を踏み入れたことがない。ポンテ・ヴェッキオに並ぶ目も眩むような宝飾店の連なりに目をやりつつも、私はいつも頭上の、丸窓の並ぶ上階部分を見上げては「ああ、いつかあの中を歩きたいなぁ」と思って終わっている。
まぁそれはさておき、まずは「ヴァザーリの回廊」に関連する歴史をざっとおさらいしてみましょうか。
初代トスカーナ公コジモ1世(1519-74)は1560年、それまで使用していたヴェッキオ宮殿に代わる行政庁舎としてウフィツィ宮殿を造営。1565年には息子の挙式に向けて、ヴェッキオ宮殿、ウフィツィ宮殿、そしてコジモ1世妃エレオノーラが1550年に私邸として購入していたピッティ宮殿(ここだけアルノ川を挟んで反対側にある)の3ヶ所を結ぶ回廊を建造。これが「ヴァザーリの回廊」であります。
ヴァザーリとはジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)のことで、建築家、画家としてのみならず、彼が功績を認める美術家たちを列伝として紹介する著書『美術家列伝』でも有名な人。上記にあるヴェッキオ宮殿の改築、ウフィツィ宮殿や回廊の建造などを手掛けた、コジモ1世の美術政策に重要な役割を果たした芸術家でした。
父の跡を継いで第2代トスカーナ公となった芸術好きのフランチェスコ1世(1541-1587)が、1581年にその蒐集品をウフィツィ宮の最上階に陳列。これがウフィツィ美術館の誕生となりました。
ところで、中世まで西洋美術には自画像というジャンルはなかった。作者は飽くまで裏方。しかしルネッサンス期にメディチ家主導による人文主義の下、美術家の自意識が高まり、祭壇画や壁画に自分を描き込んだりするようになる。やがて自画像が描かれるようになり、ヴァザーリの『美術家列伝』には紹介されている各美術家の肖像画が掲載されていたとのこと。
第5代トスカーナ公フェルディナンド2世の弟、レオポルド・デ・メディチ(1617-1675)が自画像コレクションを開始。ここを出発点とし、多様な流派の作品を集めることを念頭に収集が重ねられた結果、今やその数1700点に。全長1kmに渡って上下2段展示で並んでいるそうです。
本展はそのコレクションの中から78点が来日し、うち60点余りが東京会場で展示。図録を見ると、どうも今年「ヴァザーリの回廊」は改装工事をやっているようで、そのおかげで叶った展覧会なのかもしれません。東京の会場もどうしたことか展示室の壁が穴だらけで、こちらも改装中か何かなのでしょうか?
展示は時代に沿って5つの章に区切られて進んでいくので、1500年代から現代に至る西洋絵画の変遷を追うような感覚でも楽しめます。
第1章 レオポルド枢機卿とメディチ家の自画像コレクション 1664-1736
『自画像』 ラヴィニア・フォンターナ (1579)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/c0/e1d2aa9908132eee9d95191797152e18.jpg)
直径15.7cmの円形の銅板に描かれた細密画。ペンを持ってこちらに斜め横顔を向ける女性は、画家というより宮廷の女官風。豪華な襟飾り、袖のレース飾り、金のブレスレット等、写実的に細かく描き込まれている。
『イーゼル上の自画像』 アンニーバレ・カラッチ (1603-04年頃)
神話の主題などを、力強くダイナミックに描く画家というイメージが強いアンニーバレ・カラッチ。しかしこの画中画作品で、イーゼル上のキャンバスに描かれた、不安げな眼差しを投げかける男性がその人であるとは、私の中で上手く結び付かない。でも解説を読んでなんとなく納得。晩年は衝撃的なデビューを果たしたカラヴァッジォの存在に脅かされ、心身ともに衰弱していたという。イーゼルの足元に寄りそう犬と猫も闇に溶け込んでしまいそうなほど生命力が感じられない。
『自画像』 ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ (1635年頃)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/97/6e72803a706ccd54ea8bb2f0a5947680.jpg)
写真や映像を見るだけでも息を飲むような、超絶技巧を駆使した彫刻作品でローマを飾った巨匠。こんなお顔だったのですね。やや神経質っぽくも見えるけれど、割と普通。
『自画像』 ヨハンネス・グンプ (1646年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/39/b96242be28ba0951c697b86ab81ac133.jpg)
自分の顔が映る鏡が左側にあり、それを見ながら筆を動かす画家の後ろ姿を挟んで、右側に自画像が出来上がっていくキャンバス。普通に肖像画を描いてもおもしろくないじゃないか、という画家の創意工夫が感じられます。
『アトリエの自画像』 ヨブ・ベルクハイデ (1675年)
オランダはハーレムの画家の自画像。と言っても、これはオランダの室内画としても鑑賞に値するのではないでしょうか。左側の窓から差し込む黄金色の光に照らされた画家のアトリエには、イーゼルに向かう画家の他に様々なものが描き込まれている。机の上にはタピストリー、石膏像、リコーダー、コンパス、パイプなど、そして壁には金色の豪華な額縁に入った自画像とヴァイオリン。期せずしてこういう絵にお目にかかれると嬉しい。
『自画像』 フランス・ファン・ミーリス(大) (1676年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/ed/38f6f0a71372ad3feaf31a67647a32ad.jpg)
オランダはライデンの画家の自画像。ヘッドが二股に分かれた変わった弦楽器を抱えて、ひょうきんな表情でこちらを振り返っている。自分を道化師に見立てて描いているそうで、光沢のある生地の質感描写が見事な衣装も道化師の服装から採られたものとのこと。
『花輪の中の自画像(?)』 ニコラ・ファン・ハウブラーケン (1720年頃)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/07/853dc92dc39a4fbcc968ce31efd27c19.jpg)
画面を囲む花輪の描き方から、自然とフランドルかオランダ辺りの画家の作品かと想像されたが、この画家のお祖父さんがアントワープ出身ながら本人は少年時代にトスカーナ地方のリヴォルノに移住したらしい。また、ここに描かれているのは自画像ではなく、友人のフランス人画家の可能性もあるとのこと。いずれにせよ、華やかな花に囲まれて顔を出しているのが、美しい女性や美青年ではなく、物憂げなおじさんだというのがいい味を出しているトロンプ・ルイユ作品。
第2章 ハプスブルク=ロートリンゲン家の時代 1737-1860
1737年にメディチ家が断絶し、ハプスブルク=ロートリンゲン(ロレーヌ)家が大公国の統治を継ぐ。2代目ピエトロ・レオポルド(1747-92)はウフィツィを王立美術館として一般公開。
『マリー・アントワネットの肖像を描くヴィジェ=ル・ブラン』 マリー=ルイーズ=エリザベート・ヴィジェ=ル・ブラン (1790)
チラシに使われている作品。マリー・アントワネットの肖像画を20点以上描いた画家だそうだ(随分前に私もそのうちの1点を、今はなき伊勢丹美術館で観ていたようだ)。薄く溶いた油絵具を塗り重ねることによって透明感を出す技法を用いたそうで、この作品の中でも画家は柔らかそうな細い筆を手に、うっすらとキャンバスの上に姿を現し始めた描き始めと思しきマリー・アントワネットの肖像に取り掛かっている。画家の袖口のレース飾りに絵具が付いてしまうのでは?とつい心配に。
『自画像』 ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル (1858年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/a1/45c01858598f8b32fd03b632c5ce6870.jpg)
重厚感溢れる正統的な自画像。右上に「1858年、ゴールの画家J.A.D.アングルは、78歳で自分自身を描けり」と署名してあるそうだ。え、78歳にしては肌の張りが随分よろしいのでは?彼の描く女性は皆、髪の毛をきっちりと真ん中分けにしているイメージがあるが、ご本人も真ん中分けだったのですね。目元が犬のバセットハウンドに似ている。
『自画像』 イポリット・フランドラン (1853年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/a3/a5d1c9419b7635ebf306e66575b839b4.jpg)
フランスはリヨン出身の画家。名前を聞いてもすぐには作品が浮かばなかったが、家で図録を当たってみると案の定という感じで割と日本に作品が来ていて(アングルの弟子だった)、ああ、このすべすべした絵を描いた人かと思い出した。この肖像画は未完成とのことで、確かにこれから目元や髭などに手が加えられていったのだろうな、と想像されたが、これはこれで惹かれるものがあった。
第3章 イタリア王国の時代 1861-1919
1861年にイタリア王国が成立し、ウフィツィ美術館も国立の美術館に。各国のアカデミーを通して肖像画の寄贈依頼をしていたため、印象派など19世紀の画家の肖像画が欠けており、1864年以降中央政府を通じて寄贈依頼を行う。その反面展示スペースの問題も生まれ、自画像作品はヴァザーリの回廊に移されていく。
『自画像』 フィリッポ・ガルビ (1873年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/1c/f1ccea2d20e69deef526f79d0317baa5.jpg)
自らが描いた、人体の集合体で形作る『解剖学的な頭部』(1854年)を背景に、何やら書き込み中のスケッチ・ブックから目を上げてこちらを見るナポリ出身の画家。思わず歌川国芳の、人体を集めて顔を描いた作品を思い出す。
『自画像』 フランツ・フォン・シュトゥック (1906年)
名前だけではピンとこなかったけれど、小さく写真で紹介されていたこの人の作品を観て、あ~、本屋でよく見かけるあの美術書の表紙の絵を描いた人かとすぐわかった。それにしても物凄い目力です。
『自画像』 フレデリック・レイトン (1880年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/13/44b5cc4d34b554558ee970c0e5b8b663.jpg)
個人的にこの絵が一番観たかった。画家がアトリエ兼邸宅としてロンドン西部のホランド・パークに建造し、30年以上手を加えながら住み続けた建物がレイトン・ハウス美術館として公開されており、私も10年近く前に訪れたことがある。その「美の宮殿」に足を踏み入れたときは陶然と立ちすくむ以外なかったのだが、その時購入した図録の表紙がまさにこの作品。その数年後にウフィツィ美術館で買った図録にこの絵が大きく載っており、ああ、いつか実物が観たいなぁ、と長いこと念じていた。
イギリスで生まれつつも父親の仕事の関係で幼少の頃からヨーロッパで過ごし、長じてフランクフルト、ローマ、パリなどで画業の研鑽を積み、貴族に叙せられた初のイギリス人画家。作品はヴィクトリア女王に買い上げられ、ロイヤル・アカデミーの学長を務め、生涯独身を貫いて「私は芸術と結婚した」と画業や公私の生活の中でひたすら美を追求したレイトン卿は、ヴィクトリア朝時代の洗練されたセレブの代表だった。
そんな卿が、深い教養を漂わす眼差しでじっとこちらを見据えている。数ヶ国語を操ったという貴方は、どんな声の持ち主だったのでしょう?
『自画像』 エミール・クラウス (1913-14年)
外光を表現するための手段としてあえて逆光の中にモティーフを切り取り続けた画家は、自分の自画像もやはり逆光の中に描いている。「いつでも陽に向かって画をすえて」と日本人画家に助言した彼も、このときばかりは陽を背後に鏡とイーゼルを据えたのでしょうね。
『自画像』 ボリス・ミハイロヴィッチ・クストディエフ (1912年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/89/8e5927662e9f810d22c8d2d5e447172f.jpg)
観た瞬間、ロシア人でなくともViva Russia!と心の中で叫んでしまいそうな作品。画家のアイデンティティがこれでもかと画面から横溢しています。翻って我が日本の画家が、国会議事堂を背景に自画像を描いても世界の人はどこだかわからないでしょうね。日本の建造物としてクレムリンと同じくらいインパクトのあるものって何でしょう?
第4章 20世紀の巨匠たち 1920-1980
20世紀前半、自画像コレクションは冬の時代に。批評家による寄贈作品の質の批判があったり、第二次世界大戦下では展示が回廊に限定されたり、その回廊も1966年に大洪水で被災したりと様々な事態に直面する。しかし1973年に展示を再開し、その3年後に80歳のシャガールが自画像を寄贈したことがきっかけとなって、収集も再開。
『自画像(胸像)』 ジョルジョ・デ・キリコ (1938-39)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/e9/6dec229e28a2074e653b5f0b500322c2.jpg)
キリコの描く作品は、丁寧に塗られた滑らかなマチエールというイメージがあったが(実のところ実作品を観る機会はあまりないのだけれど)、この自画像では柔らかく動的な筆触が印象的。
『自画像』 マルク・シャガール (1959-68)
章の説明に書いたシャガールの自画像。あのシャガール・ブルーともいえる青い画面に、花嫁姿の最初の妻ベラ、故郷ヴィテブスクの鶏、パリの建造物などが溶け込み、左端にはパレットと筆を持つシャガールが描かれる。随分釣り目だけれど、微笑んでいるのでこちらもほっとする。
第5章 現代作家たちの自画像と自刻像 1981-2010
1981年、ウフィツィ美術館創立400周年を祝って存命の美術家に自画像の寄贈を依頼。その成果はこの年の12月にウフィツィ美術館にて開催された展覧会で発表。以来コレクションの拡充は続いているが、美術館側から寄贈を依頼する際の芸術家の選定は易しくないとのこと。
ちなみに、ここにくるまで藤田嗣治以外の日本人芸術家の作品は見当たらなかったが、この章では草間彌生、横尾忠則、杉本博司の3人の自画像が登場。本展を機に加えられたそうです。
『自画像』 ジャンニ・カッチャリーニ (2000-02)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/e7/2bcdd3f1216fa07dfa364f91cbf89a54.jpg)
さすがにこの辺りにくると、普通の肖像画の範疇にない多様な作品が登場してくる。自分の名前のイニシャルを殴り描くとか、鼻だけ描くといった抽象的な表現だったり、自身のレントゲン写真を据えたものだったり。
そんな中でここに挙げたのは、目元が見えないながらまるで平穏なスナップ写真のような絵画作品。特殊メイクのマスクかと見まごうアイヴァン・ル・ロレイン・オルブライトの『自画像』(1981年)の強烈な顔と並ぶと、ことのほか平和に映ります。
本展は11月14日(日)まで。月曜休館(10月11日は開館)で、金曜日は20:00まで開いています。10月1日(金)は「お客様感謝デー無料観覧日」だそうです。
東京展の後は大阪に巡回します:
国立国際美術館
2010年11月27日(土)-2011年2月20日(日)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/6f/bceb20e4edf35b67db7f55d476b15170.jpg)
今まで2回ほどフィレンツェに行ったことがあるが、見学期間が限られた上に事前予約が必要な「ヴァザーリの回廊」には、ついぞ足を踏み入れたことがない。ポンテ・ヴェッキオに並ぶ目も眩むような宝飾店の連なりに目をやりつつも、私はいつも頭上の、丸窓の並ぶ上階部分を見上げては「ああ、いつかあの中を歩きたいなぁ」と思って終わっている。
まぁそれはさておき、まずは「ヴァザーリの回廊」に関連する歴史をざっとおさらいしてみましょうか。
初代トスカーナ公コジモ1世(1519-74)は1560年、それまで使用していたヴェッキオ宮殿に代わる行政庁舎としてウフィツィ宮殿を造営。1565年には息子の挙式に向けて、ヴェッキオ宮殿、ウフィツィ宮殿、そしてコジモ1世妃エレオノーラが1550年に私邸として購入していたピッティ宮殿(ここだけアルノ川を挟んで反対側にある)の3ヶ所を結ぶ回廊を建造。これが「ヴァザーリの回廊」であります。
ヴァザーリとはジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)のことで、建築家、画家としてのみならず、彼が功績を認める美術家たちを列伝として紹介する著書『美術家列伝』でも有名な人。上記にあるヴェッキオ宮殿の改築、ウフィツィ宮殿や回廊の建造などを手掛けた、コジモ1世の美術政策に重要な役割を果たした芸術家でした。
父の跡を継いで第2代トスカーナ公となった芸術好きのフランチェスコ1世(1541-1587)が、1581年にその蒐集品をウフィツィ宮の最上階に陳列。これがウフィツィ美術館の誕生となりました。
ところで、中世まで西洋美術には自画像というジャンルはなかった。作者は飽くまで裏方。しかしルネッサンス期にメディチ家主導による人文主義の下、美術家の自意識が高まり、祭壇画や壁画に自分を描き込んだりするようになる。やがて自画像が描かれるようになり、ヴァザーリの『美術家列伝』には紹介されている各美術家の肖像画が掲載されていたとのこと。
第5代トスカーナ公フェルディナンド2世の弟、レオポルド・デ・メディチ(1617-1675)が自画像コレクションを開始。ここを出発点とし、多様な流派の作品を集めることを念頭に収集が重ねられた結果、今やその数1700点に。全長1kmに渡って上下2段展示で並んでいるそうです。
本展はそのコレクションの中から78点が来日し、うち60点余りが東京会場で展示。図録を見ると、どうも今年「ヴァザーリの回廊」は改装工事をやっているようで、そのおかげで叶った展覧会なのかもしれません。東京の会場もどうしたことか展示室の壁が穴だらけで、こちらも改装中か何かなのでしょうか?
展示は時代に沿って5つの章に区切られて進んでいくので、1500年代から現代に至る西洋絵画の変遷を追うような感覚でも楽しめます。
第1章 レオポルド枢機卿とメディチ家の自画像コレクション 1664-1736
『自画像』 ラヴィニア・フォンターナ (1579)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/c0/e1d2aa9908132eee9d95191797152e18.jpg)
直径15.7cmの円形の銅板に描かれた細密画。ペンを持ってこちらに斜め横顔を向ける女性は、画家というより宮廷の女官風。豪華な襟飾り、袖のレース飾り、金のブレスレット等、写実的に細かく描き込まれている。
『イーゼル上の自画像』 アンニーバレ・カラッチ (1603-04年頃)
神話の主題などを、力強くダイナミックに描く画家というイメージが強いアンニーバレ・カラッチ。しかしこの画中画作品で、イーゼル上のキャンバスに描かれた、不安げな眼差しを投げかける男性がその人であるとは、私の中で上手く結び付かない。でも解説を読んでなんとなく納得。晩年は衝撃的なデビューを果たしたカラヴァッジォの存在に脅かされ、心身ともに衰弱していたという。イーゼルの足元に寄りそう犬と猫も闇に溶け込んでしまいそうなほど生命力が感じられない。
『自画像』 ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ (1635年頃)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/97/6e72803a706ccd54ea8bb2f0a5947680.jpg)
写真や映像を見るだけでも息を飲むような、超絶技巧を駆使した彫刻作品でローマを飾った巨匠。こんなお顔だったのですね。やや神経質っぽくも見えるけれど、割と普通。
『自画像』 ヨハンネス・グンプ (1646年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/39/b96242be28ba0951c697b86ab81ac133.jpg)
自分の顔が映る鏡が左側にあり、それを見ながら筆を動かす画家の後ろ姿を挟んで、右側に自画像が出来上がっていくキャンバス。普通に肖像画を描いてもおもしろくないじゃないか、という画家の創意工夫が感じられます。
『アトリエの自画像』 ヨブ・ベルクハイデ (1675年)
オランダはハーレムの画家の自画像。と言っても、これはオランダの室内画としても鑑賞に値するのではないでしょうか。左側の窓から差し込む黄金色の光に照らされた画家のアトリエには、イーゼルに向かう画家の他に様々なものが描き込まれている。机の上にはタピストリー、石膏像、リコーダー、コンパス、パイプなど、そして壁には金色の豪華な額縁に入った自画像とヴァイオリン。期せずしてこういう絵にお目にかかれると嬉しい。
『自画像』 フランス・ファン・ミーリス(大) (1676年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/ed/38f6f0a71372ad3feaf31a67647a32ad.jpg)
オランダはライデンの画家の自画像。ヘッドが二股に分かれた変わった弦楽器を抱えて、ひょうきんな表情でこちらを振り返っている。自分を道化師に見立てて描いているそうで、光沢のある生地の質感描写が見事な衣装も道化師の服装から採られたものとのこと。
『花輪の中の自画像(?)』 ニコラ・ファン・ハウブラーケン (1720年頃)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/07/853dc92dc39a4fbcc968ce31efd27c19.jpg)
画面を囲む花輪の描き方から、自然とフランドルかオランダ辺りの画家の作品かと想像されたが、この画家のお祖父さんがアントワープ出身ながら本人は少年時代にトスカーナ地方のリヴォルノに移住したらしい。また、ここに描かれているのは自画像ではなく、友人のフランス人画家の可能性もあるとのこと。いずれにせよ、華やかな花に囲まれて顔を出しているのが、美しい女性や美青年ではなく、物憂げなおじさんだというのがいい味を出しているトロンプ・ルイユ作品。
第2章 ハプスブルク=ロートリンゲン家の時代 1737-1860
1737年にメディチ家が断絶し、ハプスブルク=ロートリンゲン(ロレーヌ)家が大公国の統治を継ぐ。2代目ピエトロ・レオポルド(1747-92)はウフィツィを王立美術館として一般公開。
『マリー・アントワネットの肖像を描くヴィジェ=ル・ブラン』 マリー=ルイーズ=エリザベート・ヴィジェ=ル・ブラン (1790)
チラシに使われている作品。マリー・アントワネットの肖像画を20点以上描いた画家だそうだ(随分前に私もそのうちの1点を、今はなき伊勢丹美術館で観ていたようだ)。薄く溶いた油絵具を塗り重ねることによって透明感を出す技法を用いたそうで、この作品の中でも画家は柔らかそうな細い筆を手に、うっすらとキャンバスの上に姿を現し始めた描き始めと思しきマリー・アントワネットの肖像に取り掛かっている。画家の袖口のレース飾りに絵具が付いてしまうのでは?とつい心配に。
『自画像』 ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル (1858年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/a1/45c01858598f8b32fd03b632c5ce6870.jpg)
重厚感溢れる正統的な自画像。右上に「1858年、ゴールの画家J.A.D.アングルは、78歳で自分自身を描けり」と署名してあるそうだ。え、78歳にしては肌の張りが随分よろしいのでは?彼の描く女性は皆、髪の毛をきっちりと真ん中分けにしているイメージがあるが、ご本人も真ん中分けだったのですね。目元が犬のバセットハウンドに似ている。
『自画像』 イポリット・フランドラン (1853年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/a3/a5d1c9419b7635ebf306e66575b839b4.jpg)
フランスはリヨン出身の画家。名前を聞いてもすぐには作品が浮かばなかったが、家で図録を当たってみると案の定という感じで割と日本に作品が来ていて(アングルの弟子だった)、ああ、このすべすべした絵を描いた人かと思い出した。この肖像画は未完成とのことで、確かにこれから目元や髭などに手が加えられていったのだろうな、と想像されたが、これはこれで惹かれるものがあった。
第3章 イタリア王国の時代 1861-1919
1861年にイタリア王国が成立し、ウフィツィ美術館も国立の美術館に。各国のアカデミーを通して肖像画の寄贈依頼をしていたため、印象派など19世紀の画家の肖像画が欠けており、1864年以降中央政府を通じて寄贈依頼を行う。その反面展示スペースの問題も生まれ、自画像作品はヴァザーリの回廊に移されていく。
『自画像』 フィリッポ・ガルビ (1873年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/1c/f1ccea2d20e69deef526f79d0317baa5.jpg)
自らが描いた、人体の集合体で形作る『解剖学的な頭部』(1854年)を背景に、何やら書き込み中のスケッチ・ブックから目を上げてこちらを見るナポリ出身の画家。思わず歌川国芳の、人体を集めて顔を描いた作品を思い出す。
『自画像』 フランツ・フォン・シュトゥック (1906年)
名前だけではピンとこなかったけれど、小さく写真で紹介されていたこの人の作品を観て、あ~、本屋でよく見かけるあの美術書の表紙の絵を描いた人かとすぐわかった。それにしても物凄い目力です。
『自画像』 フレデリック・レイトン (1880年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/13/44b5cc4d34b554558ee970c0e5b8b663.jpg)
個人的にこの絵が一番観たかった。画家がアトリエ兼邸宅としてロンドン西部のホランド・パークに建造し、30年以上手を加えながら住み続けた建物がレイトン・ハウス美術館として公開されており、私も10年近く前に訪れたことがある。その「美の宮殿」に足を踏み入れたときは陶然と立ちすくむ以外なかったのだが、その時購入した図録の表紙がまさにこの作品。その数年後にウフィツィ美術館で買った図録にこの絵が大きく載っており、ああ、いつか実物が観たいなぁ、と長いこと念じていた。
イギリスで生まれつつも父親の仕事の関係で幼少の頃からヨーロッパで過ごし、長じてフランクフルト、ローマ、パリなどで画業の研鑽を積み、貴族に叙せられた初のイギリス人画家。作品はヴィクトリア女王に買い上げられ、ロイヤル・アカデミーの学長を務め、生涯独身を貫いて「私は芸術と結婚した」と画業や公私の生活の中でひたすら美を追求したレイトン卿は、ヴィクトリア朝時代の洗練されたセレブの代表だった。
そんな卿が、深い教養を漂わす眼差しでじっとこちらを見据えている。数ヶ国語を操ったという貴方は、どんな声の持ち主だったのでしょう?
『自画像』 エミール・クラウス (1913-14年)
外光を表現するための手段としてあえて逆光の中にモティーフを切り取り続けた画家は、自分の自画像もやはり逆光の中に描いている。「いつでも陽に向かって画をすえて」と日本人画家に助言した彼も、このときばかりは陽を背後に鏡とイーゼルを据えたのでしょうね。
『自画像』 ボリス・ミハイロヴィッチ・クストディエフ (1912年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/89/8e5927662e9f810d22c8d2d5e447172f.jpg)
観た瞬間、ロシア人でなくともViva Russia!と心の中で叫んでしまいそうな作品。画家のアイデンティティがこれでもかと画面から横溢しています。翻って我が日本の画家が、国会議事堂を背景に自画像を描いても世界の人はどこだかわからないでしょうね。日本の建造物としてクレムリンと同じくらいインパクトのあるものって何でしょう?
第4章 20世紀の巨匠たち 1920-1980
20世紀前半、自画像コレクションは冬の時代に。批評家による寄贈作品の質の批判があったり、第二次世界大戦下では展示が回廊に限定されたり、その回廊も1966年に大洪水で被災したりと様々な事態に直面する。しかし1973年に展示を再開し、その3年後に80歳のシャガールが自画像を寄贈したことがきっかけとなって、収集も再開。
『自画像(胸像)』 ジョルジョ・デ・キリコ (1938-39)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/e9/6dec229e28a2074e653b5f0b500322c2.jpg)
キリコの描く作品は、丁寧に塗られた滑らかなマチエールというイメージがあったが(実のところ実作品を観る機会はあまりないのだけれど)、この自画像では柔らかく動的な筆触が印象的。
『自画像』 マルク・シャガール (1959-68)
章の説明に書いたシャガールの自画像。あのシャガール・ブルーともいえる青い画面に、花嫁姿の最初の妻ベラ、故郷ヴィテブスクの鶏、パリの建造物などが溶け込み、左端にはパレットと筆を持つシャガールが描かれる。随分釣り目だけれど、微笑んでいるのでこちらもほっとする。
第5章 現代作家たちの自画像と自刻像 1981-2010
1981年、ウフィツィ美術館創立400周年を祝って存命の美術家に自画像の寄贈を依頼。その成果はこの年の12月にウフィツィ美術館にて開催された展覧会で発表。以来コレクションの拡充は続いているが、美術館側から寄贈を依頼する際の芸術家の選定は易しくないとのこと。
ちなみに、ここにくるまで藤田嗣治以外の日本人芸術家の作品は見当たらなかったが、この章では草間彌生、横尾忠則、杉本博司の3人の自画像が登場。本展を機に加えられたそうです。
『自画像』 ジャンニ・カッチャリーニ (2000-02)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/e7/2bcdd3f1216fa07dfa364f91cbf89a54.jpg)
さすがにこの辺りにくると、普通の肖像画の範疇にない多様な作品が登場してくる。自分の名前のイニシャルを殴り描くとか、鼻だけ描くといった抽象的な表現だったり、自身のレントゲン写真を据えたものだったり。
そんな中でここに挙げたのは、目元が見えないながらまるで平穏なスナップ写真のような絵画作品。特殊メイクのマスクかと見まごうアイヴァン・ル・ロレイン・オルブライトの『自画像』(1981年)の強烈な顔と並ぶと、ことのほか平和に映ります。
本展は11月14日(日)まで。月曜休館(10月11日は開館)で、金曜日は20:00まで開いています。10月1日(金)は「お客様感謝デー無料観覧日」だそうです。
東京展の後は大阪に巡回します:
国立国際美術館
2010年11月27日(土)-2011年2月20日(日)