l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

RCA Secret 2009

2009-11-25 | アートその他
イギリスのThe Independent紙のオンライン・ニュースにRCA Secret 2009の記事が載っていた。

RCA Secretとは、ロンドンのロイヤル・コレッジ・オブ・アート(Royal College of Art)が毎年今頃の時期に主催するアート・イベント。学校側が無償にて制作依頼した、既に名声を確立しているアーティストから最近の卒業生までの手になるポストカードの作品を、学内で展示販売する。アーティスト1人当たり6点まで出展でき、今年は1000人以上のアーティストにより寄贈された作品が2700点ほど売りに出された。1作品40ポンド(本日付の換算で計算すると5880円くらい)で売られ、その売り上げは奨学金等に使われるべく、学校の基金に充てられる。1994年に始まり、今やイギリスの初冬の風物詩とも言えるこのイベントも今年で16回目を数えた。

さて、何が「秘密」かというと、どの作品も作者の名前が伏せられているという点。めでたく作品を入手できた人だけが、購入後に絵の裏に書かれたサインで誰の作品であるか知ることができるという仕組み。

とは言え、実際のところ「秘密」と言いながら作品を寄贈したビッグ・ネームは事前に発表されるし、やはり作品を観てみるとわかる人にはわかるという作品も多そうだ。私ですらジュリアン・オピーなんかパッと観でわかりました。オノ・ヨーコなんて「Imagine Peace」って書いてあるし(笑)。知らずに買って、「えぇ~っ、これがあの有名人の作品?」という純粋なビッグ・サプライズがあれば、それは楽しいでしょうけど。

それより、さきほど“めでたく作品を入手できた人”と書いたが、作品の入手が結構大変。まずは所定の期間内にインターネットで参加申し込み。これがないと入場できない。1日限りのこのイベント(ちなみに今年は11月21日だった模様)の前に1週間ほど開かれる展覧会にて、各々欲しい作品の目星をつけることも可ではあるが、当日はまず、事前に1ポンドで売り出されるクジに当選した50人が入場してお買い上げ。恐らくこの時点で、誰もが目星をつけるような作品は無くなると思われる。そのあとは先着順となるのだが、行列の先頭集団は何とテントを張るなどして2日以上並ぶらしい。当然のことながら午前8時の開場の前から建物をぐるりと囲むほどの長蛇の列が出来上がり、底冷えのするイギリスの寒空の下、鼻をすすりながら建物の中に入るまで何時間も並ばなくてはならない。そう聞くと、いつか行ってみたいと思う私の気持ちもどんどん萎えてくる(なんて言ってるようじゃ多分一生行けないでしょうね)。

今年のビッグ・ネーム筆頭は、何といってもゲハルト・リヒター。6点寄贈したそうで(太っ腹!)、どれも本当に美しい抽象画。これを一つ6000円足らずで買えるなんて確かに垂涎もの。あとはグレイソン・ペリー、アニッシュ・カプーア、トレイシー・エミン、ビル・ヴィオラ、そして先に挙げたジュリアン・オピーやオノ・ヨーコなど。初めて聞く日本人の方々のお名前も散見された。

日本にもあったらいいなぁ、と思うようなアート・イベントだが(「わぁ、この脱力系のワンちゃん、かわいー」とか言って5000円くらいで買って、裏に「奈良美智」ってあったらどうします?)、後にオークション等で転売するべく人を雇って列に並ばせたりなんてことも起こっているそうなので、ちょっと難しい側面もあるかもしれない。

もしご興味がある方はこちらをどうぞ。今年の出展作品が作者名と共に全て観られます。

吉川龍 展 -そこからみえるもの-

2009-11-20 | アート鑑賞
日動画廊本店 2009年11月13日(金)-11月23日(月・祝)
10:00-19:00 (土日祝は11:00-18:00、最終日は16:00まで)

本展のご案内はこちら

銀座の日動画廊で開かれている、吉川龍(よしかわ・りょう)さんの個展、及び11月16日(月)に行われたご本人によるギャラリー・トークに足を運んだ。

私が初めてこの作家さんを知ったのは、2007年に損保ジャパン東郷青児美術館で開催された「DOMANI・明日」展2007にて『Crocevia(交差点)』と題された作品を観た時だった。

197x325cmの大きな画面に出現する交差点の風景。自転車にまたがる人、歩く人、バイク、車、街路樹、建物。すべてが逆光の中のシルエットで描かれていた。遠目には白黒のモノトーンのように観えるけれど、影の部分には赤や青などが散りばめられていて、そこに漂う大気の運動が視覚化されているような肌触り。

その時の自分のメモにはこんなことが書かれている:

この作品は鑑賞者をとても不思議な時空間に放り込む。まるで昼寝から目覚め、定まらない視点で焦点を合わせようと一点を見詰めている時に、だんだん知覚が覚醒していく過程のようにも。自分の中にある記憶の断片がシンクロし、心象風景のようでいて妙に現実感のある、不思議な感覚を呼び覚ます。

作品の前にはソファーがあり、そこに座って絵としばらく向き合っている男性が多かったのも記憶に残る。

そして2008年、日動画廊で開かれていた個展で再びこの作家さんの作品を観る機会に恵まれた。森の中、木漏れ日があちらこちらの作品から溢れていたイメージが残っている。それぞれグリーンやブルーや暖色などを基調とした上に様々な色が心地よく入り混じり、『Crocevia』しか知らない私にはとてもカラフルに観える作品群だった。逆光の中に舞う光の粒子を捉えた、瞼の裏の残像のような世界も不変。

前置きが長くなったが、やっとここから本展のお話。

その吉川龍さんの、新作35点が並ぶ大がかりな個展が再び日動画廊で開かれている。2008年の個展の時は地下の展示室だったが、今回は1Fのフロアを吉川作品が全て埋め尽くす。

入り口の扉を開けてすぐ出迎えてくれる数点の作品からいきなり、私の知っている吉川ワールドがいろいろな方向に進化していることを知らされる。森はさらにカラフルになり、鹿や小鳥などの動物たちの姿も。今までの表現とは異なる、木の梢や草花を至近距離的に切り取り、木漏れ日ではなく”空”という面で光を取り込んだ構図にも目を引かれる。

しかし中に入ると、更に驚くような作品が。

まず目に留まった『Floating Blaze』。闇を吸いこんでたゆたう海(のように私には観えた)の向こうに広がる夜景の、人工的なイルミネーションを表現した横長に大きな作品(F50+F50)。自然児(?)の吉川さんが描く都会の夜景。やっぱり光の表現が美しい。

『銀夜流』は、F50の縦長の画面に、暗闇の中上方から流れてくる川の動きを、水面に映る銀色の反射光で表現している。作家さんにお伺いしたところ、上記の夜景とこの川の作品は「ある意味挑戦したもの」だそうで、新境地を開いた作品といえるのかもしれない。ちなみにこの『銀夜流』は表面にプラチナ箔を貼ってあるのだが、画面上下には銀箔を貼ってあり、時間が経つとともに銀箔部分だけが硫化していき、奥行きが増していくのだそうだ(いつか表情を変えたこの作品にまたお目にかかりたいものです)。

『水描線』も初めて知る作風。画面全体が白く塗られ、浜辺の水打ち際で戯れる幼い子供二人と子犬がパステル調の淡い色彩で浮かび上がる。のどかで微笑ましい作品だが、微妙な色が混ざった子供や犬のシルエットで陽光の眩しさが見事に表現されている。

勿論、お馴染みの森の木漏れ日や逆光の中に風景を捉えた作品群も健在、というよりますます冴え渡っている。全体的に色彩の力強さが増している印象。

。。。と思うままにつらつらと書いてきたが、いかんせん作品の画像もなく、私の拙い文章ではほとんど何もお伝えできないので(この記事に目を留めて下さった方には、是非会場で実作品を観て頂きたいと切に願います)、このへんでギャラリー・トークで伺った話をまとめておきたい。

今回の出展作品は今年の7月から描き始められ、ひと月8点ほどのペースで描き上げられたとのこと。100号の作品が4点ほど並ぶが、展覧会の構成を考えてまず描き上げられたのがそのうちの1点、『日々-風-色』。DMにも使われているその作品の前で(と言いながら私には持ち合せがないのだが)、作家さん独特の作品の制作プロセスが説明された。私が理解した限り、その手順はざっと以下の通り:

1) アクリル画用の目の細かいキャンバスに和紙を膠で貼り付ける。
2) そこにアクリル絵具やグァッシュを10~20層にも重ね塗りして下地画面を作成。色が濁らないように、かつ薄すぎないように、そして深みが出るよう色を選んで重ねていく。
3) 自分で撮影した写真を片手に、金色のアクリル絵の具を使ってフリーハンドで下絵を描き、光の表現部分に白色などのアクリル絵の具をそのまま盛り上げていく。

更に言えば、和紙は70~80cmくらいなので、大きな作品になると継ぎ目がある。2003年にこの手法を始めて以来、「職業が違うじゃねーか」(ご本人談)というくらい貼りまくっているとのこと。作品をそばで観ると、光の表現部分のマチエールは確かにかなり盛り上がっている。

吉川さんはもともと油絵をやってらっしゃったので、アクリル絵具を使って絵を描くことには抵抗があったそうだ。でも、吉川作品の場合は下絵にこれだけ手間をかけている分、通常のアクリル作品とは一線を画しているように思う。

そして技法上で大きく分けるともう一つ説明が要る。先に挙げた『水描線』など全体が白塗りされている作品。下絵までの作業は同じだが、違うのはラッカー・スプレーで全面を塗装し、ペインティング・ナイフを研いで刀にしたものでそのラッカーを削っていく手法。削ることによって下の和紙の部分が露出し、繊細な色が絡み合ったモティーフが立ち上がってくる(これも実際観てみないとわかりにくいと思うが)。

さて、作品には圧倒的に森や木々が描き込まれた風景が多い。ご本人が生まれ育った豊かな自然環境が根底にあるようだが、今回は鹿、小鳥、蝶などを画中に取り入れた作品もたくさんある。これも後で伺ったお話だが、森に入ると「視覚以上に聴覚に神経を注ぐ」そうで、「目に見える映像以外のものを込めようとした」そうである。

また、絵のモティーフには実在の場所を写真に収めたものを使うが、自転車置き場などおおよそ絵にならないようなところを選ぶとのこと。「心象風景に意味を持たせたい」ともおっしゃっていたが、誰もがそれぞれの記憶と重ね、様々な感情を喚起させられる「ありきたりの風景」を切り取って表現できるのは、やはり作家さんの力量。『Crocevia』に出会った瞬間を思い出す。

最後に、作品のタイトル。「余り説明的にならないように」つけられたそれらは、詩的な余韻を残しつつ作品の世界を言葉で美しく表現する。『風織る』『虹色に浮く』『緑に射す』『VELVET FLOW』『はるかぜのはなし』 etc etc

もしこの連休中、銀座界隈にお出かけであれば是非お立ち寄りください。11月23日まで。

作品の画像も観られる吉川龍さんのサイトはこちら。制作の様子が率直な口ぶりで語られるブログも作品の理解に役立ちます。

吉川龍 (よしかわ りょう)
1971年 栃木県益子生まれ
1997年 東京藝術大学絵画科油画科専攻卒業
1999年 東京藝術大学大学院修士課程美術研究科絵画専攻修了

オルセー美術館展 パリのアール・ヌーヴォー

2009-11-14 | アート鑑賞
世田谷美術館 2009年9月12日(月・祝)~11月29日(日)

     

パリのオルセー美術館所蔵のアール・ヌーヴォー・コレクションからの作品を中心に、日本の美術館所蔵のリトグラフなども含め約150点の作品が並ぶ展覧会。サロン、ダイニング・ルーム、書斎、貴婦人の部屋、というようにセクションが分かれ、それぞれのテーマに沿って様々な作品をゆったりと鑑賞できる。

公式サイトはこちら  

全体の展示構成は以下の通り:

1. サロン
2. ダイニング・ルーム
3. 書斎
4. エクトル・ギマール
5. 貴婦人の部屋
6. サラ・ベルナール
7. パリの高級産業
Ⅰ 七宝
Ⅱ 陶芸
Ⅲ 金工

では順番にいきます。

1. サロン

それまで上流階級のものであったサロンも、17世紀以降は市民階級の間にも普及。「中国風」「トルコ風」「ゴシック風」など趣向が凝らされ、それに合わせて照明器具、鏡、安楽椅子などがデザインされた。文学、芸術など知的な交流の場が持たれ、フランス革命へとつながる様々な思想もサロンで生まれた。

最初に出迎えてくれるのは、5点の調度品。古色加工された金属で作られた葦、トンボ、カタツムリなどが装飾され、蛇行曲線がうねるフロア・スタンドはいかにもアール・ヌーヴォー。個人的にはルイ・マジョレル(ナンシー派のデザイナー)作の『小卓 “蘭”』(1902年頃のモデル)くらいのすっきりしたものが好み。

2. ダイニング・ルーム

邸宅の中に食事のための空間ができたのは18世紀に入ってからのことで、19世紀には一般家庭にも普及。社交の場として邸宅の中で大変重要な位置を占め、食卓、椅子、食器・銀器を収納する棚、料理・デザート・果物などを置く食器台などが一揃えでデザインされ、シャンデリア、暖炉、壁紙、カーテンなども合わせてコーディネートされた。

ここのセクションでは、1900年の万博に出展されて「非の打ちどころがない」と評されたというダイニング・セット(食卓、椅子5脚、肘掛椅子2脚、食器台、花器2台)がステージ上に再現されている他、ティー・ポットやスプーンなどのカトラリー類もケースに展示されている。

『ハーモニー』 ウジェーヌ・グラッセ、フェリックス・ゴダン (1893年)



いろいろな楽器を奏でながら、森の中を行進する美女の一団。豹がつき従い、周りではライオンやオオカミなどもきちんとお座りして聴き入っている。主題は定かではないが、オルフェウスに題材をとったのでは、と解説にあった。女性たちが着るドレスもアニマル柄。ダイニング・ルームの壁を飾る優美なこの作品は、火山岩大型パネルに釉薬を施す技法で作られたという。初めて聞く技法だが、火山岩と聞いてもピンとこない、滑らかな表面。

銀のカトラリー類は観ている分にはきれいだけれど、スプーンの背面にアイリスの装飾などがついてごてごてと重そう。

3. 書斎

ビューロー(bureau)とは本来13世紀頃に使われた毛織物を指す言葉だったが、その毛織物を上に敷いた机、筆記用具なども指すようになり、17、18世紀になるとそれらが置かれた場所、要するに書斎を意味するようになったという。19世紀には全ての階級に書斎が普及、所有者の財力を示す空間となった。

『テーブル・ランプ “睡蓮”』 ルイ・マジョレル、ドーム兄弟 (1902-1904年頃のモデル)



高さ1m以上ある、スクッと立つ大きなランプ。ポストカードではシェード部分が黄味がかって観えるが、実物はもっとピンクに近く、可愛らしい色合いだった。でも花弁にくっきり走る細胞の線が、なんとなく心臓を思わせたりもした。

『インク壺』 モーリス・ブヴァル (1900年頃)
 


水面から姿を現すオフィーリアがモティーフの耽美的なインク壺。目をつぶった切ない顔のオフィーリアが抱えるスイレンの花からインクをつけるなんて、私はちょっと気が引ける。インク壺の蓋のつまみ部分が蝶や蜂ではなく蠅なのはなぜだろう?

サロンにも作品が登場したルイ・マジョレ作の、やはり”蘭”という名の『書斎机』(1903-1905)も展示されていたが、鑑賞用にはいいとして実際使うとしたらどうも曲線が落ち着かない。私はやっぱりカチッとした四角い机が好き。

『散歩』 ピエール・ボナール (1895-1897年頃)

今年はしばしばボナールの作品に出会う。これは「日本かぶれのボナール」(解説より)による装飾的なリトグラフ。上方の馬車の列はデコ風でもあるし、手前の子供の大きく膨らむ頭はアフロ風。ナビ派の画家たちは装飾芸術に強い関心を示し、扇面画、家具、タピスリー、ステンドグラスなど様々なメディアで作品を創作した。

余談ながら、この作品は大阪市立近代美術館建設準備室からの出展。以前ニュースで、大阪市は素晴らしいコレクションを所有しているにも拘らず、経済不況などにより美術館の建設が頓挫していると報道されていた(建設の構想は1983年に発表)。国内外の美術館への作品貸出や巡回展など、活動を止めず頑張っている模様。

4. エクトル・ギマール

アール・ヌーヴォーというとよく写真が紹介される、パリのメトロの入り口をデザインしたのがこのエクトル・ギマール。アーツ&クラフツ、ベルギーのヴィクトル・オルタに学び、鋳鉄、施釉溶岩材などの新しい建材、そしてアシメントリーや曲線を取り入れた建築装飾に力を入れ、自らを「建築芸術家」と呼んだ。

『天井灯』 エクトル・ギマール (1909-1911年頃のモデル)

チラシに大きく写っている天井灯。勝手にパイプオルガンのような大きなものを想像していたので、その小ささ〈高さ41cm〉に肩透かしを食らった。しかしながら、ガラスと金属という材質の組み合わせや、吊り下がる玉の連なりと角柱の流れるようなリズム、青、金、透明という配色はとてもきれい。逆にこれくらいの大きさがいいのかもしれない。

新時代の照明として登場した電気照明のデザインは、この建築装飾家にとって大いに腕をふるえる分野だったのかもしれない。ギマールによる、石墨、グワッシュ、水彩で描かれた照明灯のデザイン画4点も、それ自体が作品としての美しさを持っていた。

5. 貴婦人の部屋

国家として装飾芸術振興運動を推進する際の手本は18世紀のロココ。当時女性がその形成に重要な役割を果たしたが、アール・ヌーヴォーにおいてもデザインにおける女性的感性の重要性が非常に高まる。また、女性が室内装飾の一部とみなされ、装飾の対象としての女性を補完するアイテムも生まれた。雰囲気を出すために、このセクションにはゲランの香水のパウダリーな芳香が漂う。

『婦人用机“オンベリュル”』 エミール・ガレ (1900年の万博に出品されたモデル)

婦人用の私室「プドワール」に置かれたデコラティヴな机。オンベリュルとは小さな花が傘のように集まって咲く植物の総称。下方のカエルが5匹並ぶデザインはユーモラスだが、上方の木彫装飾はすぐ埃が溜まりそう(夢がない見方だが)。面も狭くて、これじゃノートPCしか載らないじゃないか、などという無粋な意見はここでは求められていない。何せ女性は「室内装飾の一部」であった時代であるわけだから・・・。

『扇子 “孔雀”』 ジョルジュ・バスタール (1913年)



彫刻の施された螺鈿細工の放つ、繊細なフクシア色が美しい扇子。広げると、向き合う2羽の孔雀が反復され、それぞれの長い緒が芯に向かって流れていく流麗なデザイン。

『ボンボン入れ “さくらんぼ”』  ウジェーヌ・フイヤートル (1901年)



直径5cmにも満たない小さな入れ物。私はこういう、掌に収まるくらいの可愛らしい小物が大好き(人間が小さいから?)。地の緑と、紅、オレンジ、黄のさくらんぼの実、それをまとめる彫金のハーモニーがちょっと中東的。

そういえば、今年の夏「ルネ・ラリック展」で観た『飾りピン 芥子』もあった。随分日本に長居しているのね。

6. サラ・ベルナール

アルフォンス・ミュシャのポスターで知られる女優、世紀末パリのアイコン。国立高等学院で学び、普仏戦争時には自分のシアターを野戦病院に提供した。1870年には彫刻でサロン入賞も果たす。1894年のクリスマスに「ジスモンダ」のポスター制作をミュシャに依頼したところ大評判に。6年の専属契約を結び、7点のポスターを始め舞台装置、衣裳、宝飾などの仕事も依頼した。

そもそもサラからミュシャに仕事が渡ったのは、クリスマス期の急な案件で他の大きな印刷工房が皆お休みだったから。人間、いつ幸運が舞い込むかわからないもの。このセクションには、サラ・ベルナール主演作品のポスターや、彼女の自宅のためにデザインされたと推測されるゴテゴテした装飾が奇抜な肘掛椅子(『肘掛椅子 "昼と夜”』 ジョルジュ・レイ(推定) (1880-1890年))などが展示。

7. パリの高級産業

アール・ヌーヴォーの作品は、18世紀ロココの時代から続く伝統的な職人の技術を根底に高級産業として発展。この章では「七宝」「陶芸」「金工」という3分野に分けた技術の側面から作品を観ていく。

七宝は中世ルネッサンス美術の多色装飾を目指し、芸術性の高い七宝技術に改良された。その復興は1900年頃頂点に。陶芸は日本の陶芸との出会いで炉器(高温で焼かれた、耐火性粘土を主成分とする素地の硬い焼き物)なども作られた。金工は宗教用具ではない幅広い金銀細工の作品が作られるようになり、日本の影響下、植物などのモティーフもデザインに取り入れられるようになった。

『花瓶』 エティエンヌ・トゥレット (1903-1904年頃)



花瓶といっても高さ12.5㎝の小ぶりなもの。この大きさだからいいのだと思う。

その他、『七宝の花瓶 “オルフェウス”』 ポール・グラントム、アルフレッド・ガルニエ (1892年)も美術的に完成度が高く、目を引いた。

以上になるが、解説は非常に充実していたのに比べ、その作例となる作品数は総じて少なめだったように思う。秋の砧公園を散策がてら、のんびり美しいものを観るのもいいかもしれない。11月29日(日)まで。

樽屋タカシ展 付喪神

2009-11-12 | アート鑑賞
Ginza Art Lab 2009年11月2日(月)-11月14日(土)
15:00~20:00 (最終日 18:00まで)



このところ、私の周りは何かと妖怪づいている。

先月末にロンドンからイギリス人の友人が来日した。新宿で待ち合わせ、太宰治ファンの彼がその日訪ねたという玉川上水の話を聞きながら渋谷に向かう山手線の中、彼のジャケットの襟に何やら白いものがついているのが目にとまった。目を凝らして見ると、一反木綿のピンバッジだった。

数年前に、彼の奥さんの実家がある鳥取で水木しげる記念館を訪れて以来、彼の口からしばしばYOKAI(妖怪)という言葉が聞かれるようになり、お酒を飲みながらYOKAI PROJECTと題して二人で即興で新しい妖怪を創り上げて楽しんだりしていた。それが今回、私が半分冗談だと思っていたそのプロジェクトが結構具体的な形になっていることを知らされ、自費出版で本まで出そうな勢いだ。

そんな彼が日本を去った後、読売新聞に作家の京極夏彦氏の講演会の記事が載っていた。"「抽象力」 不安と共存 昔からの知恵"というのが題目のようだが、その横に「妖怪と遊ぼう」と大書されている。大変申し訳ないことに私は氏の作品は一つも読んだことがないのだが(これを機に今度手に取ってみます)、水木しげる氏の弟子を自称される京極氏の、「日本人は概念をもてあそぶのがとても上手である」「わからないものに対する不安とうまく添い遂げるための装置が妖怪である」等の妖怪論は非常に興味深く、私はせっせとその友達のために記事の英訳を始めた。

そんな折も折、今度は銀座のギャラリーで妖怪をモティーフにした作品の展覧会があるという情報を入手。初めて聞く作家さんだが、これは行かねばといそいそ足を運んでみた。

作家さんのお名前は樽屋(たるや)タカシさん(1974年生まれ)。京都造形大学芸術学部美術科終了、とプロフィールにある。

小さなギャラリーに入ると、一番大きいM60号(803x1303mm)からM8号(455x273mm)まで計9点の作品が並んでいた。いずれも木製パネルに金箔もしくは銀箔が施された背景の上にアクリルで描かれている。コンビニや自販機などが登場する現代の生活の情景の中に跳梁跋扈するカラフルな妖怪たちには”三ツ目小僧”、”犀妖怪”などそれぞれ名前が付され、深く沈みこむような鈍い光沢を放つ金箔、銀箔の上に映える。

展覧会の副題にもなっている付喪神とは(以下DMから転載)、「長い年月を経た道具や家畜に宿るとされる神々とのことで、人々に畏怖の念を抱かせ、ものを大切にする精神に立ち返らせてくれる存在」。この9作品は「付喪神夜行図シリーズ」というらしい。

現代の消費社会に対する批判、と言ってしまえばそれまでだが、この作家は作品のテーマのみならず、パネルの接着剤やコーティング剤にまでエコ素材を使っている点がユニーク。

しかしながら、作品から伝わってくるメッセージ性はまだちょっと弱い感じがしなくもなかった。各作品の解説を読むと、例えば『流通の躍進』と題された作品には以下のように書かれている(青字部分):

2005年2月16日に「京都議定書」が発効され、製造や流通には多くの廃棄物等の発生の抑制が求められています。企業と自然との共生を図りつつ環境保全のための継続的な改善は、今のビジネス形態を意味するのでしょう。

そして絵に目をやるが、踏切の前に停車する、古いテレビ1台を載せたトラック1台(運転台、荷台、トラックの周りには妖怪たちがいる)を観ただけで上記のようなテーマは今一つ汲み取れない。個人的にはもう一ヒネリあってもいいような気がする。

いずれにせよ、画面は丁寧で絵画作品としては美しい。妖怪は人気があるし、実際先週の時点で9点中8点に売約済みの赤いシールが貼ってあった。

11月14日(土)まで。