l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

シャルダン展 ― 静寂の巨匠

2013-01-15 | アート鑑賞
三菱一号館美術館 2012年9月8日(土)-2013年1月6日(日)
*会期終了




こちらも昨年中に見損ね、新年明けに終わってしまうので、駆け込み鑑賞となった展覧会でした。ジャン・シメオン・シャルダン(1699-1779)の、わが国初の個展だそうです。結果から言って、見損ねなくて本当によかった!

私がシャルダンという画家を知ったのは、何年か前に「美の巨人たち」で≪赤えい≫を観た時だったと思います。調理場に吊り下げられた赤エイは、白いお腹を裂かれ、はみ出した赤い内臓が生々しく描かれたもの。それは一度観たら忘れられない、強烈なインパクトのある作品でしたが、でも、印象に残ったのは決してグロテスクさではありません。絵から伝わる「何か」に心をつかまれました。

今回、第1章に展示されていた≪死んだ野兎と獲物袋≫(1730年以前)の解説にあった、対象を「できる限り忠実に、情熱をもって描写する」という言葉を読み、展示室を観て回っているうちに、その「何か」がじわじわと理解されてきました。

画家のモティーフに対する「忠実さ」は、対象を正確に写し取って再現するということのみならず、画家が対象と対峙して感受したものを、妥協せずにあますことなく忠実に画面に描き切っているということなのではないかと(舌足らずな言い方ですが)。それを≪赤エイ≫にも感じていたのだと思いました。

前置きが長くなりましたが、本展の構成は、以下の通りです:

第一部 多難な門出と初期静物画
第二部 「台所・家事の用具」と最初の注文制作
第三部 風俗画―日常生活の場面
第四部 静物画への回帰


では、いくつか作品を挙げたいと思います:

≪錫引きの銅鍋≫ (1734-35年頃)
≪銅の大鍋と乳鉢≫(同


恐らく”対作品”だっただろうという、台所にあるごく普通の鍋類を描いた2枚の小さな板絵。カンバスとは異なる、板絵独特の深みのある絵肌に引き込まれます。

家事の用具が描かれたシャルダンの静物画を観ていくと、取っ手のある壺などの容器の多くが、その取っ手をこちらに向けた角度で描かれていることに気づきます。これは、おおむね緑あるいは褐色がかった灰色のトーンに沈む画面の色調に奥行き感とリズムを出すための、なくてはならない仕掛けなのでしょう。取っ手に反射する光を表現するために、チョンと載せた白い絵の具がアクセントとなり、効果を発揮しています。

≪台所のテーブル(別名)食事の支度≫ (1755年)
≪配膳室のテーブル≫ (1756年)


こちらも対作品。しかしながら、現在前者はボストン美術館、後者はカルカッソンヌ美術館に離れ離れに所蔵されているそうです。別の対作品である≪デッサンの勉強≫≪良き教育≫(共に1753年)に至っては、今回30年ぶりの再会とか。

さて、≪台所のテーブル≫と≪配膳室のテーブル≫ですが、描かれているモティーフに差があります。前者はわりと普通の台所という感じなのに対し、後者には高価そうな、装飾的な食器類が所せましと描きこまれています。

最初の妻を亡くし、画家が二番目に再婚したお相手が富裕な女性で、それに伴って絵の注文主の社会的階層、そして当然ながらその嗜好も変わっていったことを、この2枚の絵が示しているということのようです。

≪セリネット(鳥風琴)≫ (1751‐1753年)



セリネットというのは、カナリアに歌を覚えさせるための手回し式オルガンだそうです。鳥かごの質感描写が見事です。オルガンを回す女性の口元には笑みが浮かんでいるようにも見えますが、カナリアを見やる目は真剣で、結構スパルタな感じも受けます。はっきり描かれていないカナリアですが、なんとなく女性の方を向いて必死に頑張っているけなげな印象を受けます。

≪木いちごの籠≫ (1760年頃)



さほど緻密に描写されているわけではないのに、籠に盛られた赤い木いちご一粒一粒がリアルに伝わってきます。台所に入って、テーブルの上にこんな籠が置かれていたら、どんなに心が弾むことでしょうか。個人蔵の非公開作品だそうなので、またお目にかかれる機会があるか定かではありませんが、この世にこの作品を自宅に飾れる人がいるんですね。

≪鼻眼鏡をかけた自画像≫ 



実作品は来ていませんでしたが、ポストカードが売られていたので思わず買ってしまいました。正直、この自画像を以前ネットで観たときは衝撃的でした。失礼ながらその風貌と作品が結びつかず。男性もお化粧や刺繍などをしていたというロココ時代のファッションで決めたということなのでしょうね。

シャルダンという人の生涯は、年表をしみじみ眺めてみると結構波乱万丈です。作品がやっと売れるようになって結婚した最初の妻は数年で亡くなってしまうし、授かった長男も父より先に亡くなります。作品に頻繁に登場する銀のゴブレットも盗難に遭ったり、アカデミーの会計係を任されたり、晩年には眼病を患って油彩画を断念するなど、多難な人生と言えるかもしれません。でも何よりも作品から浮かび上がるのは、信念の画家という像です。

自画像をしみじみ眺めていると、その目には自負にも似た、うっすらと満足そうな微笑みをたたえているように感じるのは私だけでしょうか?


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