谷沢健一のニューアマチュアリズム

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父の葬儀(その2)

2007-09-25 | 個人的な話題
 葬儀は「神道(しんとう)」で執行することを決断した。神式の葬儀は、関東地方では関西より比較的多く執り行われていると聞いている。早大の石井藤吉郎監督の葬儀も神道であった。その厳粛な雰囲気は心が引き締まる想いだったことを記憶している。死の穢れを清めて霊を慰め、故人を神として祀る儀式であった。仏式は位牌であるが神式では霊璽(れいじ)と呼称される。
 葬儀社からは神社や神官の予定を先に聞いてと催促されたが、順序は寺を訪ねることが最初だと考え、9月11日早朝、菩提寺に連絡をとり住職を訪ねた。松田君も同行してくれた。もともと島根県出身の松田君の先祖も神道で、千葉県に改葬(御墓を移す)していたこともあり、心強かった。
 住職には率直に10年間の御礼を述べ、父の葬儀を家族の総意として神式で行いたいとお願いした。住職は「お父さんは良くお墓に通っておられました。家族皆さんの想いならば、そのようにして下さって結構です」と了承していただいた。まわりからは「英断だね」と言われたが、確かに仏寺に墓地もあるのに、別宗教で葬儀を行うのは英断かも知れない。しかし、それは私の後に残る者たちの幸せのためである。
 すぐに祭祀を司る神社も決定した。会津若松の羽黒山湯上神社から神官(斎主)が来ることになった。また、加藤副部長から「私の一存で東京中日スポーツに連絡しときました」とのメール第1報も入った。そこから各マスコミに流れるはずであり、慌ただしさのあまり、そこまでの余裕がなかったので助かった。翌日の新聞には訃報欄に父の名が告知されていた。
 通夜祭(仏式のお通夜)と葬場祭(そうじょうさい・仏式の告別式)には、受付や案内などに、松田君の日本共済から6名、YBCから9~12名が手伝ってくれることになった。そういう人たちのお蔭で滞りなく厳かに父を送れたことに感謝申し上げたい。