谷沢健一のニューアマチュアリズム

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父の葬儀(その1)

2007-09-25 | 個人的な話題
 13日にお通夜、14日を葬儀と決めた。2ヶ月以上に及ぶ父の入院は、私の兄妹や家族たちに、父を見舞うことによって交わりを深める機会をうんでくれた。経済的な事柄なども、忌憚なく話し合えた。
 しかし、それ以上に私の念頭にあったのは先祖供養だった。私が谷沢家の将来を思うとき、私の息子や孫たちに負担の掛からぬ供養であって欲しいといつも願っていた。10年前に母が亡くなった時、父と同行して新たに墓地を求めた。そこは母が生前に口にしていたロケーションにふさわしい場所だった。
 だが、父は本家の三男という気安さからか、宗派を禅宗から密教真言宗に改宗した。墓地を購入した数日後、自宅から少し遠いからと言って、知人から勧められた別の場所に求め直した。父の本心は、息子の私の名を汚すことを恐れたのだと思う。柏市以外の場所に谷沢家の墓を建立することは、柏在住の人たちから指弾されると思ったのだろう。あるいは、実際に非難されたのかも知れない。柏の地だけで生涯を送ってきた人だけに、柏を愛すると同時に「世間体」も重んじたのであろう。
 それから10年に渡って、父は一人暮らしの生活をしていた。私たち子どもからの援助なども必要ないと、裕福さを装っていた。切りつめた暮らしをしている老いた父は、母の供養の費用は言われたとおりに出費していた。それは父には過重な金額だった。父の思いは遺されていた大学ノート3冊に書き込まれていた。その苦悩と安堵の記録を見たとき、非常にせつない想いが走った。私は、なぜもっと早く察知できなかったのかと激しく悔い、同時にそれはできなかったとも思った。なぜなら、私が少しでもそれを察知して何か言えば、父は金銭で息子に気をつかわせることを恥じて、私に怒りの言葉を浴びせただろう。そういう誇りの持ち方をしていた父だった。
 墓地、墓石、墓地の管理、布施、寄進……、父は持てるものすべてをそれにはきだしていったのだった。だが、それで母は本当に成仏できているのだろうか。