目標を持った彼女は、欧米のスポーツ医学や理学療法に興味を抱き、男性の分野と謂われる世界に挑んでいった。英語を学ぶことから始めて、やがてSTSUの大学院に進んだ。その時の目的は、NATA(National Athletic Trainers Association)公認アスレチック・トレーナーの資格取得だった。
NATAこと全米アスレチックトレーナーズ協会は、1950年に非営利団体として設立。現役のアスレチックトレーナーと、それを目指す学生のための国家機関である。NATA公認のアスレチックトレーナーになるには、CAAHEP(準医療従事職教育認定委員会 the Committee on Accreditation for Allied Health Education Programs)の認可したアスレチックトレーナープログラム(約2000時間)を完璧に終えてから、国家試験(BOC)を受け、それに合格すると、資格が授与される。
プロ、アマ問わずスポーツ界には必須の存在となったトレーナーは、医学的な知識をもとに、常に選手のコンディションをベスト状態に整えるプロフェッショナルである。その最高の所に位置するのが、NATAトレーナー資格である。
その資格を取得した順子は、在米生活も10年目を迎え、野球、バスケット、アメフト、陸上競技等のトレーナーを勤めてきて、充実感に充ちた日々を過ごしているようだ。3年前には千葉国際駅伝のアメリカチームのトレーナーとして帰日した。一時、体調を崩して海の彼方へ見舞いに行けない親としては、大いに心配したが、いつのまにかすっかり回復し、テキサス州・オースチンからニューヨークに移り、ブルックリンのロングアイランド大学講師と同大学アスレチックトレーナーを兼務している。
レンジャーズの大塚晶則投手(今季は肘の故障で苦しんでいる)やサンフランシスコ・ジャイアンツのボウチー監督(前パドレス)からもしばしば連絡が入るそうで、彼らの治療などの話は、私にもいろいろ参考になる。昨年、YBCのトレーニングコーチを勤めてくれた順天堂大の勝原君が米国の長期留学を決めたのも、アメリカで順子にアドバイスを受けたことも大きな理由らしい。
私の人生を苦しめたアキレス腱の故障が、長女の人に尽くす人生のきっかけとなったのは、皮肉という以上に、「いかなる苦痛・不幸も、思いがけぬ喜びや幸福を生み出す」ものだと、つくづく実感している。
NATAこと全米アスレチックトレーナーズ協会は、1950年に非営利団体として設立。現役のアスレチックトレーナーと、それを目指す学生のための国家機関である。NATA公認のアスレチックトレーナーになるには、CAAHEP(準医療従事職教育認定委員会 the Committee on Accreditation for Allied Health Education Programs)の認可したアスレチックトレーナープログラム(約2000時間)を完璧に終えてから、国家試験(BOC)を受け、それに合格すると、資格が授与される。
プロ、アマ問わずスポーツ界には必須の存在となったトレーナーは、医学的な知識をもとに、常に選手のコンディションをベスト状態に整えるプロフェッショナルである。その最高の所に位置するのが、NATAトレーナー資格である。
その資格を取得した順子は、在米生活も10年目を迎え、野球、バスケット、アメフト、陸上競技等のトレーナーを勤めてきて、充実感に充ちた日々を過ごしているようだ。3年前には千葉国際駅伝のアメリカチームのトレーナーとして帰日した。一時、体調を崩して海の彼方へ見舞いに行けない親としては、大いに心配したが、いつのまにかすっかり回復し、テキサス州・オースチンからニューヨークに移り、ブルックリンのロングアイランド大学講師と同大学アスレチックトレーナーを兼務している。
レンジャーズの大塚晶則投手(今季は肘の故障で苦しんでいる)やサンフランシスコ・ジャイアンツのボウチー監督(前パドレス)からもしばしば連絡が入るそうで、彼らの治療などの話は、私にもいろいろ参考になる。昨年、YBCのトレーニングコーチを勤めてくれた順天堂大の勝原君が米国の長期留学を決めたのも、アメリカで順子にアドバイスを受けたことも大きな理由らしい。
私の人生を苦しめたアキレス腱の故障が、長女の人に尽くす人生のきっかけとなったのは、皮肉という以上に、「いかなる苦痛・不幸も、思いがけぬ喜びや幸福を生み出す」ものだと、つくづく実感している。