ポケットの中で映画を温めて

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『尼僧ヨアンナ』を再度観て

2022年04月18日 | 1960年代映画(外国)
『尼僧ヨアンナ』(イエジー・カヴァレロヴィチ監督、1961年)を観た。

17世紀中頃のポーランド辺境の寒村。
スーリン神父は悪魔祓いのために、宿屋の下男の案内で尼僧院に行く。
これまでに4人の神父が悪魔払いに来たが全員失敗している。
そのため、スーリン神父が5人目として派遣されてきた。

スーリン神父に会った尼僧長ヨアンナは、自分に8つの悪魔が取り憑かれている、と言う。
だから助けてほしいと願うヨアンナだったが、笑い声を上げて後ろ姿から振り返る時は別人となっていた。
悪魔となって喋るヨアンナは壁伝いに歩き回り、部屋から出ていく時、壁に手形を残していく。

村人たちが見守る中、尼僧たちが広間に集まる。
そこでは、4人の神父たちによって悪魔祓いの儀式が始まるところで、スーリン神父は壇上でその様子を見ていた。
聖水をかけられ、悲鳴を上げながら逃げ回る尼僧たち。
神父に十字架を振られたヨアンナは、呪いの言葉を吐き散らすが、その後どうやら一人の悪魔が去ったらしい。
だが他の悪魔によって、ヨアンナは床を転がり、神父たちからがんじがらめにベンチに縛りくくられるのだった・・・

この作品は二十歳頃に映画館で観た。
場末のその劇場は、それ以前はマイナーな名画を上映していたが、経営が成り立たないのか3本立てピンク映画館に変わってしまった。
それでも新聞の映画欄をチェックしていると、ピンク映画2本の間に名画が挟まっていたりしていた。
そんな1本が、この『尼僧ヨアンナ』だった。

しかし、煙草の煙モウモウとして薄汚れたスクリーンに映るこの作品は、勇んで観た割にはよくわからなかった。
ましてやピンク映画目的のおじさん客は、こんな小難しい作品を楽しめるかなと同情したりした記憶がある。

カヴァレロヴィチ監督の代表作とされるこの作品は、なる程、それなりに凄いと言われる理由があると思う。
白黒画面のコントラスト、悪魔祓いの場面の舞踏らしき構図の的確さ、無駄のないストーリー。

まずこの作品には原作があり、その原作は、1634年にフランス中西部にある町ルーダンに実際に起こった尼僧の集団悪魔憑き事件を元にしているという。
それに先立つ1617年、ルーダン内にある教会司祭にグランディエという人物が指名され、ハンサムで教養のある彼は娘たちの注目の的になって浮名を流したという。
ある日、女子修道院長が悪魔憑きとなり、その原因はグランディエが邪悪な悪魔だとなり、結果、聖職者たちに処刑されてしまったという。

映画では、そのような前段が省略されていて、わずかな会話と殺風景な丘にある火刑台跡だけで表現されている。
そのようにして最後には、悪魔がヨアンナからスーリン神父の内に住み着き、それを、スーリンはヨアンナに対する愛のために殺人を犯して自ら引き受ける。
このように作品は、悪魔憑きに対して徹底してストイックに追求する。

それにしてもその内容は、一応理解できるとしても所詮、キリスト教に縁遠いためか本質的な理解は不可能と思わずにいられない。
そう言えば、それ以後に作られた『エクソシスト』(ウィリアム・フリードキン監督、1973年)でも、評判になった割にはイマイチ、ピーンと来るところがなかったことを思い出した。

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