ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『彷徨える河』を観て

2017年08月27日 | 2010年代映画(外国)
コロンビアの作品、『彷徨える河』(シーロ・ゲーラ監督、2015年)を観た。

アマゾン流域の奥深いジャングル。
侵略者によって滅ぼされた先住民族の村、唯一の生き残りとして他者と交わることなく孤独に生きているカラマカテ。
ある日、不思議な呪術をあやつる彼を頼り、重篤な病に侵されたドイツ人民族学者がやってくる。
白人を忌み嫌うカラマカテは一度は治療を拒否するが、病を治す唯一の手段となる幻の聖なる植物ヤクルナを求めて、カヌーを漕ぎ出す。

数十年後、孤独によって記憶や感情を失ったカラマカテは、ヤクルナを求めるアメリカ人植物学者との出会いによって、再び旅に出る・・・
(公式サイトより)

先住民族のシャーマンであるカラマカテと、年数は隔てているが、二人の探検家の物語。
一人目が、ドイツ人のテオドール(1872-1924)
もう一人が、アメリカ人のエヴァン(1915-2001)
この話は、1909年と1940年に著された二人の日記が基だという。
だから映画そのものは、事実とフィクションが混在していると思われる。

カヌーで河を行くテオドール、片やエヴァン。
それに付き添うのは、若いカラマカテと、年老いたカラマカテ。

ここに描かれているのは、正面立って強く批判されてはいないが、先住民族に押し寄せる文明という名の暴力。
それに伴う、失われていく文化や純粋な精神。

作品の、美しいモノクロームの映像の流れ。
映像にばかり目を瞠らされていると、肝心の内容の核心から、ふと、はずれてしまっっていることもあったりする。
かと言って、あえて小難しい話題のやり取りがあるわけではない。
がそれでも、さりげなく相当に哲学的内容も含んでいるはずである。

アマゾンのジャングルを扱った作品と言えば、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の『アギーレ/神の怒り』(1972年)と『フィッツカラルド』(1982年)が印象深かった。
ただ、ヘルツォークの作品が白人視点であるのに対し、この作品は原住民の視点を内在している。
その違いが、興味深い。

これを観て、世の中、世界に優れた映画作品がたくさん点在しているな、と感じる。
この作品は、今後、これに関連したような話題の時、折に触れて思い出される作品ではないかと思う。
ただし、娯楽作品とは縁のないカテゴリーとして。
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